20年ぶりに熱い男を発見! 2011.12.10
2011年 12月 10日
ところで、二日連続続けた「欠乏感」の記事。なかなか反響があったようです。「欠乏感からの願望」を持ってる人はとても多いみたいで、同時に根底にあるのが「自己重要感」の欠如だったりします。なぜ、ブランド品が欲しくなるのか。20万円をするバッグよりも、2,000円でもっとデザインも機能性の優れたバッグはあります。100万円の腕時計よりも1万円ですごくいい時計はあるし、それこそ時間を知りたいだけなら数百円からあります。ブランド品ってのは、他人に見せてナンボ。
話はちょっと違いますが、私の高校も「変形ズボン(ボンタン)」は禁止されていました。だけど、はきたい。けど、教師に見つかると没収される。そこで、パッと見にはわからない「変形」をはいてるのが何人かいました。だけど、そんなの私も気づかない。そこで、耳元でこっそり「オレ、今日、変形はいてるねん」って言うのです。「はぁ~?」って感じですが、そうまでして気づいて欲しわけです。タバコを吸う高校生などもそう。吸いたければこっそり吸えばいいのに、なぜにこれ見よがしに吸うものか。ようは、虚栄心。認めて欲しい。構って欲しい。そんな人間的欲求を満たさんがためのこと。
とにかくこの「自己重要感」ってのは曲者です。多くの人は、完全にこれにコントロールされてますからね。「自己重要感」を著しく欠乏していると、頑張り過ぎたり、無気力になったりってことがよくあります。ですので、精神世界ではよく言われる。先日亡くなった小林正観さんなんかも言いますが、ようは「ありのまま」でいいわけです。それ以上でもなく、それ以下でもない。何をしてもいいし、何をしなくてもいい。そのまんまのアナタが一番なんですよ。そのように「ありのまま」をありのままとして認めることを「スポンサーシップ」と言うのですが、あらゆる承認において最強です。
このスポンサーシップができるのは、よほど結びつきが強くなければなりません。例えば親が子に向ける承認。すべてがそうとは言いませんが、親ってのは、子どもがどんなにひねくれようが、悪さをしようが、極端な話、犯罪者になろうが、愛するもの。認めるもの。今日は保育園で、ちびQが頑張りましたが、頑張っても頑張らなくても一番なのです。私にとっては。
だけど、世の中には親の見栄で、子どもに負担を強いたりもする。テストが100点なら褒めるけど、90点なら叱る。子どもは親から認められようと、次は100点取るよう頑張るのです。そして100点ならOK、90点ならNG。そうやって「条件付きの承認」を与えられ続けると、子どもに植え付けら得るのは「欠乏感」ばかり。
学校のテストで100点取ったら、次は塾のテスト。全国のテスト。そして一番になれ。際限ありません。そして常に「条件付き」の「承認」しか与えら得ないため、そうやって「自己重要感」を満たそうと頑張る。さらに自分に「欠乏感」があると、他人にまで「欠乏感」を求めようとする。
先日ちょっとお話した「釜山大学の会」には、東大生が多く、言ってみれば「東大生」と「その他大学」みたいな構図がありました。特に東京はほとんどそう。私は福岡だったので、東大はおらず、九大、西南大、福大、熊大、芸工大、北九大辺りが中心でした。つまり、いろんな大学がいたのです。だけど、なぜか大学数は多いはずの東京では、ほとんどが東大。釜山で彼らと会ってすぐにわかりました。その会では各支部ごとに活動するのですが、東京ではおそらく、東大以外は大学じゃないみたいな、他の大学生が近寄れない雰囲気があったんだと思います。
驚くべきなのですが、福岡の西南大学生が、同年齢の東大生に対し「平山君」って言っただけで、「おい、クン付けかよ」って返ってきた。「え?」ってなりましたもん。あ~、こんな空気があるのか。そしてその矛先は私にも向かいます。釜山での交流会の最終日、私たちが泊っている旅館に数名、釜山大の学生が来ました。中には美人の学生も。そしてある一室に釜山大生も交えて集まり、かなり手狭になった時、突然、先ほどの平山君とは別の東大生(オウムの上祐さんにそっくりでした)が数を数え始めて言い放ちます。「え~っと、君たち違うから」と、私を含む数名を部屋から追い出そうとするのです。およそ、東大生以外を。
その時、上祐さんの追い出しリストには入らなかった近畿大学の学生がそれを聞いて、「なんやそれ、石田、行こうぜ」と憤慨を抑えながら言いました。その近大生の彼は、ちょっとムードメーカー的な雰囲気があったので「上祐追い出しリスト」に入らなったのでしょう。だけど、彼は東大生が嫌いでした。私が感じるのと、同じような意味で。そしてすぐに出ていくと、数名が付いてきて、間もなく釜山大の美人学生もその部屋に現れます。
「お~!」と盛り上がっていると、数分後に上祐さんも登場。さすがに後から来た分際ですので、数を数えることもなく、バツが悪そうな顔をしていましたけど。私にしても、近大生の彼にしても、ちょっと「してやったり顔」になったのは言うまでもありませんが、上祐もまた可哀想なんだな、と今なら思います。
つまり、その上祐そっくりさんは、人を「東大生」と「東大生以外」ってカテゴリーで分けるよう条件付けがされてて、人を「ありのまま」で見ることができないわけです。人を「ありのまま」で見ることができない人は、基本的に自分を「ありのまま」で見ることもできない。結局、その上祐そっくりさんも、なにがしかの「欠乏感」で頑張って東大に入って、その延長でしかなったのでしょう。
ただ、その会は確かに東大生が多かったけど、中には人間的にも尊敬できる奴もいました。その会は最初、グループ行動をするのですが、私が入ったグループのリーダーだった人間。彼も東大生でしたが、家庭環境が複雑で、すごく貧しい暮らしをしてきたとか。でも頑張って勉強して、今では奨学金をもらいながら、すべて自活してるって話をしていました。彼は私と同年齢でしたが、「え~っと、君たち違うから」なんて言う奴じゃなく、すごく優しくていい男。ルックスもいい。
そしてふと思い出します。そう言えば、あの会で冊子を作ったことがあった。感想文を寄せ集めただけですが、それを見ると当時のメンバーの名前がわかるはず。押入れの段ボールから今、それを見つけました。名前を見ると、数名は顔を思い出せる奴もいた。生憎と上祐そっくりさんの名前は思い出せない。私の中では「上祐」そのものだったから。
だけど、先ほどの「人間的に尊敬できる奴」の名前はわかった。さっそくインターネットで検索。割とありふれた名前なので、たくさんヒットしたのですが、画像検索して一発で出てきました。見れば確かにこんな顔だった。経歴も書いてあったので確定。東大を卒業した年は確かにかぶる。今は経済学者。専攻は労働経済学。学位取得後、一時期、大阪大学で研究をして、今は某政策系大学院大学の准教授か。そう言えば、、、以前、私のコーチングを受けて下さっていた方に、関西の大学で労働経済学を研究されている方がいた(私のコーチングには、なぜか大学関係者が多い)。同年代だし、おそらく面識あるかもしれない。
そしてさらに見ていると、ちょっと胸が震えた。
釜山大の会で、、、その人(Tさんとします)と私と数名、旅館の一室で河合塾講師の人と集まった。その講師は「古典」の担当で人気講師だった山崎って人。彼は在日韓国人で、大学は関西の私立。あえて「強者」か「弱者」で分けると「弱者」。河合塾の講師は、研究者崩れも多く、どちらかとうと高学歴。だけど、その山崎氏は学歴は低くいろいろ辛酸を舐めてきながら、河合塾ではトップ講師になった。担当クラスは上から下まですべて受け持っていたけど、どちらかと言うと、偏差値の低いクラスに肩入れをしていた。そして通常の授業とは別に、自腹でそのクラスの生徒のために読書会を開いたりしていた。
彼は、本音を言うと、東大とか京大が大っ嫌い。河合塾ではレクリエーションでクラス対抗のソフトボール大会などがありましたが、優勝するのは関東では東大クラス。関西では京大クラス。イメージとしては、頭はいいけどスポーツは苦手、逆にスポーツは得意だけど勉強は苦手って図式があると思っていた。だけど現実は違う。予備校のクラスは志望校、つまり偏差値で分けられるのですが、偏差値の低いクラスは一回戦で大敗し、偏差値の高いクラスが優勝争いに残る。
確かに山崎氏が子どもの頃は、「勉強はできるけど運動は苦手、運動はできるけど勉強は苦手」なる図式があったはず。だけど今は違う。できるクラスとできないクラスが完全に二極化している。そしてさらに、優勝争いに加わる偏差値の高いクラスは、皆が皆、ルックスもいい。浪人生なのに、ソフトボール大会に女が応援に来ている。それに比べて、一回戦で大敗した偏差値の低いクラスはどう見てもいけてない。
その釜山の旅館の一室で山崎氏、吠える吠える。そんな二極化した社会は許せん。実際、河合塾には圧倒的に左翼系の講師が多かったですが。そして先ほどのTさんに噛みつく。
「オマエみたいに、顔も良くて、体格も良くて、勉強もできて、運動もできて、、、って奴が大っ嫌いなんだよ!オマエなんかしょせん、親が金持ちで、小さい頃から塾行って、いいもん食ってきたんだろう!オマエみたいなのは、クソだ!」
と言い放つのです。しかし、Tさんは先ほど書いたように、決して恵まれた家庭環境ではなく、塾にも行かず努力を重ねて東大に入った。河合塾で浪人はしたけど、当時はどの予備校でも「実績」が欲しかったので、東大クラスなんてのはほとんど学費なしの特待生。Tさんもそう。私の兄にも予備校からの特待生案内が来ましたが、現役で京大に入ったので行くことはありませんでした。
ただ、この特待生制度は民間の予備校とは言え、やっぱり納得できない。実は、、、偏差値と親の収入は完全に正比例してる事実があり、なぜに裕福な人間に対し学費免除にせなあかんねん!!って山崎氏は吠えるわけです。山崎氏からすれば、Tさんなど完全に目の敵。だけど、先ほど言ったように、Tさんは英才教育で東大に入ったのではなく、新聞配達して苦学して東大に入った。(新聞配達してとか、塾に行かずなどの詳細は、私の思い込みだったかもしれませんが、恵まれてなかったことは確か)
山崎氏はTさんのことを散々クソだとけなしてたけど、それを聞いてさすがに何も言えなかった。だけど、あくまで一般論としては、確かに「偏差値と親の収入は正比例」します。もう30年も前からそう。ようは、いい大学に入るといい企業に入れる。収入もいい。収入がいいと、女にもモテる。そして美人と結婚する。子どもにも良いルックスが受け継がれる。そして小さい頃からピアノとか水泳とかを習わせ、お受験で幼稚園から高校までエリートコース。当然大学も東大クラス。つまり、学歴と所得、ルックスは「世襲」するのです。
そんな環境に育つと、上祐そっくりさんのような人間にも育って当然。だけど、Tさんは違っていた。いわゆる貧しい環境で苦学して頑張ってきたので、そんな人にこそ特待生は相応しい。ただ、散々、山崎氏から噛みつかれて、Tさんもそれなりに反論はしたものの、こんなことを最後に言いました。
「でも、確かに僕もクソなところがある。今日の話は心に響きました。」
横で聞いてた私は素直に、「こいつすげ~な~」と思いました。
そんなエピソードがあったのですが、先ほど、そのTさんの活動をネットでいくつか読んでみたところ、つい一か月前にとある研究会が開催されていて、Tさんはその報告者の一人。そのT氏のテーマを見ると、、、
「所得格差と教育投資」
これを知った瞬間、もう20年近く前になる、あの釜山での旅館のことが蘇ってきて、どうにも胸が熱くなってきました。今も熱い。ブルブルしてる。
Tさんがもともとそのような問題意識を持っていたか知りませんが、少なくとも「教育投資と所得格差」なんてのは、まさに山崎氏が散々噛みついた元凶そのものじゃないですか。山崎氏は在日韓国人として育ち、それはもう苦労した。大学は京都の某私立大学で、悪くもないけど、東大京大に比べられもしない。河合塾に古文講師として就職したけど、周りは高学歴ばかり。それでも頑張ってトップ講師になった。
彼は偏差値の低いクラスに、プライベートで読書会を開いてたのだけど、それだけ、親の収入によって人生の大半が決まってしまう現実が許せなかったのでしょう。だから、東大と聞くと真っ先に噛みついてしまう。その矛先にTさんがいた。だけど、Tさんは違っていた。にもかかわらず、Tさんは山崎氏の言う「クソ」じゃないながらも、周囲に「クソ」ばかりいたのも事実で、それなりに感じることもあったのでしょう。
そして今、一流の経済学者として取り組んでいる問題がそれ。熱いよ!熱すぎるよ!!
すいません、本当は「欠乏感」の話しようと思ったのに、脱線しまくってます。だけど、ひょんなことからTさんのことを思い出すことができてよかったです。私はさほど貧しい家庭ではなかったですが、エリートコースでもなんでもありません。兄と弟も才教育ではなかったけど、たまたま勉強ができたので、いい大学には入れた。だけど私は、、、二年も浪人しながら、決していいとは言えない大学。卒業後は放浪、大学院挫折、ニート、ワープア、そして逃げるように退職。
それでも何とか頑張ってます。そしてこれらも頑張ろうと思ってます。「教育と所得は世襲する」って事実(マクロ経済学的に)があったとしても、それを突き破るのは、結局は個人です。個人の「思い」が突き破る。「世襲」なんてクソです。だったら、もっと熱く生きようぜ!境遇とか才能のせいにするんじゃなく、熱い思いをもって、自分らしく、そして楽しく頑張って行こうぜ!
これからもそんなメッセージを発信していきたいと思います。ありがとうございました。
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