欠乏感と願望実現(後半) 2011.12.9
2011年 12月 09日
さて、昨日の「欠乏感と願望実現(前半)」の続きです。簡単に復習しますと、「願望」には「充足感からの願望」と、「欠乏感からの願望」があるって話。そして「欠乏感からの願望」は、飲めば飲むほど喉が渇く海水を飲むようなもので、満たそうとすればするほど、まだ足りない、まだ足りない、と欠乏感に陥るわけです。その根底にあるのが「自己重要感」の欠落であり、それを満たそうと資格取ったり、セミナーやスピリチュアルワークに参加したり、滝行のような特別な何かをしようとする。だけど、何度も言うように、その「願望」の源にあるのが「欠乏感」である限り、何をやっても満たされることなく、頑張れば頑張るほど、さらに欠乏感が増大するわけです。
昨日のコメントの方もそう。受験失敗のためにリベンジを果たしたのだけど、達成感は一時的なもので、今もまだ欠乏感に陥っている。おそらく「良い子だから素晴らしい」のような、条件付きの承認を受けてくると、その条件が満たされないと欠乏感に陥るわけです
そこで、私の回想録の続きになります。大学受験を失敗して、無気力ながら何となく予備校に。一週間目、現代文の牧野剛氏の講義を受けて一変。いきなり読書家になってしまった。この話はブログで何度もしてると思いますが、もしかしたら今から書くことは初めてかも。それで、私の浪人生活は本、特に哲学書に彩られるのですが、一年後の大学受験はどうなったのか。二度目のセンター試験。800点満点で前年よりは点数が上がったものの、希望とする大学には程遠い。ある大学の文学部哲学科を目指していたのです。センター試験の時期ですので、一月の半ば。
通常であれば、その点数で受けられる大学を志願し、2月から始まる私立大学へと切り替えるのですが、私が選んだ道は、「もう一年浪人」でした。しかし、ここで大切なのは、私はそれを「自分で決めた」ってことです。その時、親に頼みました。学費は自分でどうにかするから、もう一回チャレンジさせてくれ、と。そしてすぐに土方のアルバイトを見つけ、約3か月の間、働きました。そこでも私の人生に大きく影響する、素晴らしい出会いがありました。
この時の私は、世間的にいい大学に入るとか、周囲を見返すとか、そんな欠乏感はなく、単純に「哲学の勉強をしたい」なる気持ちしかありませんでした。そして二年目の浪人では、例えばキネシオロジーの石丸氏、私に世界を見ることを教えてくれた竹国氏などとの出会いがあり、今の自分になくてはならないベースが築かれたと思っています。
昨日の話で会計士を目指す知人の話をしましたが、彼は実のところ、私によく似ている。二年間の浪人をし、三回目の大学受験でも失敗。私はなんとか滑り止めで受けた、福岡の片田舎にある公立大学に進むことになります。しかしどうでしょう。もしも私が福岡に来なければ、まず、滝行に出会うこともなかったし、ちびQだって存在しないことになります。確かに三度目の正直も失敗した私ですが、その頃にはもう悔いもなく、できる環境で自分のやりたい勉強をすればいいと思うようになっていました。
先ほどの知人は、大学受験失敗のリベンジを「もう一度受験して合格証書を手にしたい」なる、なんとも下らないことを言い始めたのですが、行く気もない大学を受けてどうするのか。そして「その代り」として会計士を目指すことになった。勤めていた会社を辞めてまで。しかも、加賀田晃先生の研修を受けながらも。あ、本人特定になること言いすぎましたが、ま、いいか。もう3年以上は音沙汰がないので、今どうしてるかわかりませんけど。
ようは、私の場合、福岡に来た時点ですでに「できる環境で自分のやりたいことやろう」って気持ちに変わっていて、それでまあ、大学一年時はかなり変態的な学生生活を送っていました。友達を作らず、ひたすら哲学書を読む毎日。一方、先ほどの知人は、大学受験に失敗したことがいまだに尾を引いていて、それを埋めんがために会計士を目指す。ちょっと言い過ぎな面もありますが、あえて対比を明確にすると、私も彼も、似たような境遇でありながら、私が「充足感からの願望」であったのに対し、彼は「欠乏感からの願望」によって動かされていたのです。
「~をすれば満たされる」ではなく、「~をしたい」。昨日のコメントの方への答えもここにあります。受験に失敗して、その欠乏感を埋めるために頑張った。目標達成したにも関わらず、どこか満たされない。その方の進んだ大学は、日本人であれば誰もが知ってる名門。東大京大を蹴ってまで行く人もいる大学です。私なんかとレベルが違う。何がそんなに不満なのかわからない。さらにコメントには、大学時代は外国にもたくさん行ったと書かれてました。それでも満たされない。
これまた、外国にさえ行けば、今の欠乏感を埋めることができるかもしれない。そんな動機があったのでしょうか。ちなみに私も外国には行きまくっています。そもそものきっかけは二浪時代に出会った現代文講師竹国氏の影響です。「うわ~、すげ~、パスポート不所持でアメリカを逃げ回ってたのか!よしオレも不法滞在するぞ~!」みたいな冗談ともつかないロマンに取り付かれてしまったのですが、そう思ったのは、竹国氏がカッコイイオッサンだったから。福岡の大学生になってからも、河合塾とは付き合いがあり、竹国氏主催の「釜山大学の学生と交流する会」にも参加。「キムパの会」って言ったんですけどね。
そんなのに参加するのに、私にはもはや欠乏感などなく、単純に「行きたい!」って気持ちだけ。ついでに言うと、その「キムパの会」には二年間参加して、釜山大学にも二回行ったのですが、その二回目の足でソウルから初めてのインドに行きました。それも単純に行きたかったから。行ったらどうにかなるなど思いもせず、ただひたすら行ってみたい見てみたいだけ。そしてさらに付け加えると、その二回目の釜山大学には私に会いたくて参加した一年目もいました。
その前年の10月、河合塾福岡校で「キムパの会」の報告会をしたのですが、私は最後に10分間しゃべりました。すると、、、その後の教授室で、私の前に列ができたのです。私としゃべりたいって。河合塾に通う浪人生と高校生。いや、ぶっちゃけ何しゃべったか覚えてないのですが、バカ受けしたことだけは確か。ただ、その当時、スキンヘッドに皮ジャン着てたので、目立ってたのもあるでしょうか。ちなみにスキンヘッドにした理由は、わかる人にはわかる、男性特有の「秋の抜け毛」が20歳にして増えたのにショックを受け、その衝動で髪を剃ってしまったのです。当時は大学に友達もいなかったので、私のことを避ける避ける。だけど、アパートの隣の部屋だった、ハセガワって男だけはよく飲んでて(あ、友達いたなあ)、しかもその男は友達が多かったので、周囲の連中に、「あの石田ってのは、めちゃくちゃオモロイ奴なんだよ」って言いふらしてたそうなんです。二年生になると、突然、大勢の友達ができちゃいましたけどね。
また話が脱線しそうなので元に戻します。でもまあ、かなり怪しい奴だったけど、その時の報告会に参加してた河合塾生の数名が翌年の釜山大学にも参加して、その時、聞かれたのですよ。「去年の報告会で、スキンヘッドに皮ジャン着てた人は、今年は来てないんですか?」ってね。「それ、オレやん」って即答したら、突然、テンション高くなりやがんの。「会いたかったです!」とか男に言われても嬉しくないっちゅうねん。ついでに言うと、その2~3年後、大学の後輩が就活してる時、面接かなんかで一緒になった学生から、「石田さん、ご存知ですか?」って聞かれたとのこと。九大か熊大の学生らしかったですが、その彼もまた釜山大学の会で私のことを知っていたとか。どんだけインパクトあるねん、オレ。
すいません、話が脱線し過ぎて収拾つかなくなってきた。でもついでながら言うと、その釜山大学の会の報告会でしゃべってバカ受けした話ですが、今、まさに人前でしゃべって生活してるのにつながってて感慨深くなりますよ。これもまた欠乏感から出たことじゃなし。自分の思ってることしゃべったら、たまたま当時の予備校生の心をつかんでしまった。今は商工会議所で講演するぞ~とか「願望」にしてるけど、元々はすでにあったんですよね。
商工会議所や企業で講演やセミナーをするのは、どう考えても欠乏感じゃない。自分の好きなことやって生きるには、それが手掛かりだと思ってるだけ。もしも私に欠乏感があれば、どうだろう。今も大学で博士号を取ることにしがみついてたかも。あの当時は少なからず欠乏感がありましたもの。大学院で最終学歴の書き換えして、社会人になるのも遅れてたから、博士号でもとればリベンジできると思ってた時期もあり。
だけど、ま、踏ん切り付けるのは早かったかな。その後は恩師のツテで就職して4年半。2005年に会社辞めた時など、もうすっからかん。欠乏感がないって意味で。だって、もう、失うものないですもん。学歴だって関係ないし、資格もない。どうやって生きりゃいいかわからん状態で、やりたいことやり続けてたら、なんとかここまで来ただけ。まさに「充足感からの願望」しかないので、スムーズに実現し過ぎでしょ、やっぱり。
昨日のコメントの方の話に戻りますが、その方が「欠乏感からの願望」しかないのは明らか。受験に失敗したら、それはそれとして、その時の環境で楽しめばよかっただけ。その辺の選択肢をすべてシャットアウトして、リベンジにかけるだけの数年。もったいない。だけど、その方はまだ20代半ば。たぶん私より一回りは年下でしょう。なのにすでにたくさんの「欠乏感」を抱えてしまっている。「欠乏感」なんてのは、赤ちゃんの時はゼロだけど、年取れば取るほど増えていくものなのに、20代ですでにそれ。
だけど、その方は幸いです。いろいろ厳しい口調で書いたかもしれないけど、もしこの文章を読んで、気が付くことがあればすごく嬉しいし、そうなることを真剣に願ってます。一言で言うと「やりたいことやれ!」ってこと。てなこと言うと、「そのやりたいことがわからない」とか「やってるつもり」とか言う人もいる。でもすいません。「やってるつもり」ならば、それは単に「つもり」なだけ。そう思おうとしてるだけで、本当にやりたいことやってたら、あんな悩み持たない。
じゃあ、わからない場合は。それは「知らん」と言うしかない。「欠乏感からの願望」を持つ限り、行動の矛先のほとんどが欠乏感、さらに言うと「自己重要感」を満たすことにつながってしまう。何か特別なことをすれば認められるんじゃないか。そう思っていろいろ手を出すけど、その欠乏感は埋まることはない。
なぜなら、その方は他人にしか目が向いてないから。何かすれば「他人」から認められる、自己重要感を満たしてくれる。そんなことありません。自分のことを最終的に認めるのは自分以外にはありません。自分を認める、自分を愛する。それができれば、本当にやりたいことだって見つかるし、できる。そしてそれこそが「充足感からの願望」なのです。
私を見てください。正直、「物理的欠乏」について言えば、私はかなりの線ですよ。学歴も職歴もクソ。資格もない、IQだってかなり低い。だけど、こんなに楽しくやってるじゃないですか。自分のやりたいことしかやらずに。何にもないんだけど、すべてを手にしている。もちろんまだまだ稼ぎたいし、本だって出したいし、知名度も上がればいいなと思う。子どももあと2人は欲しい。マンションも欲しい。いろいろ欲しいものはあるけど、だけど、焦ってもいない。それが必要ならば授かるだろうから。つまり、自分で得ようと頑張る必要もない。なぜなら、周囲の人たちが持ってきてくれるから。
そうなるのは、何度も言うけど、私が「充足感からの願望」しか持ってないから。自分が満たされていたら、そして自分のことを認め、自分のことを愛していたら、後はどうとでもなるのです。私は願望実現セミナーの時、最初に恐ろしいことを言っています。
実は、願望を叶えることは不可能。だけど、私は次々と願望を叶えている。どう言うことか。ここに願望実現の秘訣中の秘訣があるのです。それは「叶う願望しか持たないから」です。何度も言うけど、私は7人目のSMAPに入ろうなんて願望は持ちません(森君を入れてます)。叶うわけないし、叶えたいとも思わないから。だけど、自分の願望は次々叶っている。それは「叶う願望」だから。言い換えると、それがまさに「充足感からの願望」なのです。逆はもちろんわかりますよね。「欠乏感からの願望」が叶うことはないのです。仮に資格取得など形として達成できても、気持ちが満たされることがない意味において、それは永遠に叶わないのです。
そんな感じで一気に書いてしまいましたが、いろいろ赤裸々なことも書きましたし、特定個人についてボロクソ書いちゃいました。ごめんなさい。でもキレイゴトだけのブログなんてつまらないでしょ。私のブログは、これからもキレイゴトを言わず、直球で行きますので。てなこと言うと、「それは子どものすること」って批判も頂いたこともあるんですよ。あまりに直球でしゃべるもんだから。ならば言わせてもらう。読まなくていいよって。
キレイゴトが好きなら、そんなブログなんぼでもある。面白くないけど、開いた瞬間、チャラチャラ~って素敵な音楽が流れて気持ちはいい。あ、また言っちゃった。すいません。でもたぶん、そのブログ読んでる人は、私のとか読んでないだろうから、ま、いいか。
それはともかくとして、これからも内容証明を送られない程度には、多少、直球で書いて行きたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
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欠乏感からの願望では結局その欠乏感が実現されるということでしょうか。
自分の願望はどっちのドライブだろう…
願望を捨てた時に不思議に叶ったりするのも、自分の今が受け入れられて充足するからなのでしょうね。
今日もありがとう☆
私も相談者の方と同じように、「○○しないと認められない」という強迫観念から有名大学、有名企業と突き進んできましたが願望実現後の空虚感に長年悩んできました。
Qさんの体験談がガツンと頭に響きました。ありがとうございました。何度も何度も読み返そうと思います。
ありがとう、Qさん!
あ、その話ですね!
どっちの願望か、、、考えているうちはどうかなあ。。
子どもの心って、、、言うは易しですけどね(^^;
ありがとうございます!
どういたしまして!
どういたしまして!
恋愛なんて、まさに充足感からスタートした方がいい、と言うか、欠乏感から引き寄せられる恋愛って疲れると思うんですよね。
充足感と欠乏感というキーワードがこのエントリーを読んでから離れず、普段の行動を「これは充足感からの行動か、欠乏感からの行動か」を意識するようになり、結果的に付き合いをやめてしまう人も出てきてしまいましたが、充足感は日に日に増している感じはあります。
「人生がときめく片づけの魔法」の「ときめき」と同じくらい、私にとっての重要キーワードになりました。ありがとうございました。