欠乏感と願望実現(前半) 2011.12.8
2011年 12月 08日
例えば6時起きについて。目覚ましを5時55分にセットします。ここで選択肢は起きるか寝るかです。でも、最初から7割だったら「う~ん、、、眠い。明日と明後日起きればいいから、今日は寝とこう」なんて心が芽生えてきます。しかし最初から10割だったら起きる以外に選択肢はありません。6時に起きなければ罰金3万円と言われたら、誰だって起きるでしょう。逆に起きたら賞金3万円でも。つまり、6時起きなんてのはやろうと思えばできるのです。できなかったとしたら、それは怠け心です。つまり、最初から7割を目指すってことは、「怠け心」を前提とした計画でしかないのです。目標は達成ではなく、怠けること。これでは本末転倒。
ですので、改めて謝罪したいと思います。「○×計画」は最初から10割を目指してください。7割は撤回。10割するつもりがなければやらない方がマシです。そんなこともあり、今月から10割に設定したのですが、やっぱり起きれるじゃないですから。普通に。これを徹底すれば、目標達成、願望実現などできないはずないです。
で、今日は来年からスタートする商工会議所や企業でのセミナーのコンテンツを作っており、そんな話も織り交ぜています。このコンテンツは私の「商品」となります。このネタで全国制覇します。対象は基本的にビジネスマンですが、もちろんどなたにでも役に立つ内容。これについては、実は来週16日に東京で初披露したいと思っています。今までの私のセミナーやブログを知っている方にとっては、全部が全部、新ネタってわけじゃないですが、一つのまとまった「商品」として披露するのは初めて。以下のセミナーとなります。
【今月開催】★12月16日(金)★石田久二★「願望実現☆超メンタル術」★結果が出るあなたになる2012年★
この主催者とは8月の九州ベンチャー大学で知り合いました。まだ席はあるようですので、お時間のある方はぜひ。もちろんどなたでも参加できますし、3,000円とリーズナブルな設定ですので、ぜひ気軽にお越しください。新たなコンテンツの初披露がどのようなものか。そしてこれで2012年は日本全国に旋風を巻き起こします。
てなわけで、今日の本題に入りたいと思います。と言うか、最初の話の続きになるのですが、昨日の記事でちょっと長いコメントを頂きました。「非公開」ですが「お答えいただけますと幸いです」とあるので、内容をかいつまんでご紹介すると、こんな感じです。
一度受験に失敗したことがショックで、リベンジを果たそうと、猛勉強して次の受験では希望通りの道に進むことができた。しかし、そのために寝食忘れて勉強し過ぎたためか、心身ともにボロボロになってしまった上に、合格したことで生き甲斐を失い呆然とする日々が続いた。あれから年月は経ち、今でも何かに頑張りたいとの気持はあるけど、当時のことがトラウマとなって踏ん張れない。頑張ろうとすると苦しくなる。もう一度何かを目指して達成することができるでしょうか?
てな内容。よくあることとは言わないけど、ないこともない。以前、私の知り合いに大学を2年浪人して、結局、志望大学に入れなかった人がいました。その後4年間を過ごし、社会人になったのですが、大学受験の悔しさがまだ残っていると言うのです。そして今の会社を辞めて、もう一度受験をしたいと言う始末。じゃあもし合格したらどうするのと聞いたら、行かないと言います。単なる「受験リベンジ」と言うのです。
でもそれはあんまりなので、その彼は会計士を目指すことになりました。仕事内容はわからないけど、なんかカッコイイって理由だそうで。ちなみに会計士は国家医師、弁護士の次に難しい試験と言われています。ですが、医師は医学部に行く必要があり、弁護士は法学部ってイメージがあります。法学部でなくとも一定の条件を満たせば受験はできるそうですが。それに対して、会計士は基本的に学部は関係ないし、在学中に合格する人もいる。勝間和代なんかそう。
ですので、その彼にとっては、大学受験の落し前を付けるの会計士が相応しいと思ったのでしょうね。結局、勤めていた会社(営業の会社)が辛くて辞めて、会計士を目指すと言って去ったそうですが、その後のことを私は知りません。だけど、おそらくまだ合格してないと思います。よっぽど強い動機があるか、元々頭がいいかでなければ、そんなに簡単には受からないでしょう。
失礼な話ですが、2浪して志望大学に入れないなら、あまり受験向きとは言えないし(私もそうですが)、そもそも「強い動機」があるわけでもない。もしあったとしても、それは単に悔しさからくる動機。それは動機としては弱いでしょうが、時々、めちゃくちゃ強いケースもあります。
それがまさにコメントの方と思います。受験に失敗したことが悔しくて、猛勉強してリベンジに成功。だけど、その前に聞きたいこともあります。悔しいから猛勉強したのはわかるけど、そもそも何のためにその学校に行きたかったのか。単なるネームバリューなのか。
つまり「願望」には二通りあるのです。一つが「充足からの願望」、そしてもう一つは「欠乏からの願望」です。
前も書いたと思うのですが、「欠乏からの願望」を実現するのは大変です。例えて言うなら、乾いた喉に海水を流し込むようなもの。飲めば飲むほど喉が渇き、満たされることがありません。もちろん一時的には満たされた気になるのですが、すぐに乾いて苦しくなる。資格ジャンキーなんかもそうですよね。使いもしない資格をたくさん持ってたり、あとは学校やセミナーにやたらと通いたくなる人。行けば何かが満たされると思って行くのですが、その時ばかりで、結局、欠乏感から脱出することができない。
私がやってる滝行などもそう。滝行をすることで、何か特別な人になれると思う人がいる。実は私もそうでした。滝行をやれば平凡なサラリーマンから脱出できる。そんな風に思ったこともあります。そして実際、辞めちゃいましたけど、私自身は何も変わっちゃいない。だけど、同時に気が付いたこともある。私はやりたいからやってるってことを。
本当に多いんですよ。特別な力を付けたくて滝行に来る人。だけど、言うまでもなく特別な人間になどなれやしない。それがわかると来なくなる。そして次の何かを求めて、その連続。つまり、滝行にしても、他にスピリチュアルな何かにしても、セミナーにしても、資格にしても、それらをやることで「特別」になれると思う人がいる。
じゃあ、その根底にあるのは何か。「自分は特別じゃない」って「欠乏感」でしょ。もう喉が渇いて仕方がない。特別な何かをくれ~くれ~ってね。さらにその奥にあるのは「自己重要感」であり、特別な何かにさえなれば、人から認められる。そこで資格だ、セミナーだ、滝行だ、スピリチュアルワークだってなるのですが、やってもやっても「特別な何か」にはなれない。
そんな人、今まで何人もあったことがありますが、だいたい共通点があります。まず、常に上から目線で斜に構えている。話しかけられるのをずっと待ってる。自分から話しかけることは極端に少ない。その割には人恋しい。さらにはちょっとした妄言癖もある。もちろん皆が皆、それらに当てはまるわけじゃないけど、いずれにせよ「自己重要感」を満たさんがための欠乏はがひしひし伝わってきます。
そう言えば以前、ちょっとした高額セミナーに参加した時のこと。約半年のセミナーでしたが、申し訳ないけど、やっぱり半分以上は「欠乏感」で来ている人でした。ある男性は、その方は公務員だったのですが、ある日、コーチングのミニセミナーに参加してそれがすごく楽しかった。そしてすぐに70万円ほどする資格コースに申し込んだのですが、もう、そのセミナー中は感動の連続だったそうです。泣いた、泣いたと連発していました。
だけど、その姿を見ながらふと疑問が。それは「んじゃあ、あなた、何しにここ来たの?」って疑問。NLPなりコーチングなりコミュニケーションなり、その基礎を作ったのは、かつての自己啓発セミナーの残党でした。具体的な名前も数名あげられますが、やめておきましょう。それらの自己啓発セミナーってのは、とにかく人の感情を揺さぶることが上手。怒らせて、泣かせて、笑わせて、その繰り返し。
今のコーチングやNLPにも、その辺のテイストがかなり色濃く反映されています。それらの着地点は一つ。まさに「自己重要感」を満たすこと。自分はこんなにすごい人間だったんだ。そして感動するのです。今も行われている、とあるメガセミナーでは、3日か4日、とにかく踊り狂って、泣きわめいて、握手やハグを繰り返すそうですが、セミナーが終わっていざ日常に戻ると、またいつもの「欠乏感」が蘇ってくる。本当のオレはこんなのじゃない。本当のオレにもう一度会いに、、、そしてセミナーリピーターとなるのです。
ですので、そのようなセミナーに行きまくってる人はどうなるかわかりますよね。本当に満たされたわけじゃないのに、一瞬でも「特別な何か」って気になったため、日常では無意識的に上から目線になってしまう。いや、これはセミナーをやってる私にもひしひしと伝わってくるんですよ。自分はいろんなセミナーに行ってきた、この「宇宙となかよし」ってブログはそこそこ読める、この人もセミナーやってるみたい、それではお手並み拝見、、、みたいな感じで。何人かに一人はいます。
もちろん面と向かって言うことはないですが、私はとても悲しい。私が悲しいのではなく、その人がとても悲しい。正直なところ、私には、かつての残党たちのように、感情を揺さぶって、自己重要感を完全に満たすには役不足。と言うか、乾いた喉に海水を与えるようなこと、私にはできない。だったらむしろ、「あなたからは欠乏感しか伝わってこないですよ」と言ってあげた方がいいのかもしれない。
それはともかく、とにもかくにも厄介なのは「自己重要感」って奴です。最近読んだD・カーネギーの「人を動かす」にも書かれてましたが、人は自らの「自己重要感」を満たすためには、いくらでもお金を払うし、いくらでも努力をする。
さて、先ほどのコメントの方に戻りますが、お会いしたことがないので、あくまでコメントから伝わってくる印象で書きます。受験に失敗した当時も、リベンジした当時も、そして今も、「欠乏感」に悩まされ続けています。「自己重要感」を満たそうと必死です。でなければ、あのような長いコメントも残さない。読んでください、認めてください、ってメッセージしか伝わってきませんもの。反論はあるでしょうが、少なくとも私にはそのように伝わってきました。
さらにこれも推測でしかありませんが、小さい頃から、あまり人から認めてもらってなかったのでは。身近な人からも。例えば親からは、「あなたは素晴らしい、なぜなら良い子だから」なる条件付きの承認が大半だったのでは。人は誰もが認められたい存在。だけど、成長の過程で「良い子だから素晴らしい」、「良い子じゃなければ素晴らしくない」などの「条件付け」をずっとされたらどうなるか。「素晴らしい」と認められんがために、一生懸命に「良い子」になろうとするのです。
その「良い子」の条件の一つに、志望校に合格することがあった。周りはそう思ってなくとも、自分の中では、合格しなければ無価値であると思い込んでしまっている。しかし、結果は不合格だった。自分が無価値であることが証明された。少しでもその価値を認めてもらうには、リベンジしかない。そして頑張って頑張って、思い通りの結果を手にしたにも関わらず、まだ足りない。それもそのはず。海水を飲み続けてきたのだから。
自分の話をすると、私は小中高一貫の学校に通っていたので、受験は大学が初めてでした。しかし、私の学力では、第一志望の国公立はおろか、他の私学も全滅。おまけに滑り止めに受けていた偏差値40の近畿大学二部も不合格。受験期には偏差値50はあったので、偏差値40の大学に落ちたのはそれはそれはショックでした。
完全に無気力状態になり、2~3日は泣きながら寝込む始末。オレは無価値だ、近所のパン工場で働くしかない。そうまで自暴自棄になりました。でも、親からは何もとがめられることはありませんでした。とにかくパン工場はあんまりだから、もしよかったら予備校でも行ってみないか、もちろん学費は出すからと言われたのです。私もちょっと落ち着いたら、さすがにパン工場はないので予備校に行きました。河合塾大阪南校です。
入塾式ってのがあって、確か栗本慎一郎が講演してました。最近名前聞きませんが。スタートダッシュをかませって話だったように覚えています。ですが、木曜日から始まる授業もなんとなく受けてるだけ。ところが、一週間が経とうとした水曜日のこと。人生を変える出会いがありました。それが現代文講師の牧野剛氏との出会い。その90分の授業を受けた直後、こんなことしてられんと、予習復習もほったらかしで、天王寺の紀伊国屋書店に走ります。そこで、さっきの授業で聞いた「文化人類学」ってタイトルの本を探し、忘れもしない、中公新書の「文化人類学入門」なる一冊を見つけました。とりあえず、「これを読むまで帰らない」と決めて、買わずに立ち読みだけで読破したのです。正確に言うと、字を負っていただけ。今にすると、「おい、買えよ!」と思うのですが、その時は「立ち読みで読破するのがカッコイイ」みたいな洗脳を受けていましたので。
あ、すいません。話が脱線していますが、もう少し回想録にお付き合いください。字数も多くなったので、続きは明日にします。ちゃんと後でつながるのでご心配なく。ありがとうございました。
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なんて言うか、頭をガツンと叩かれた感じです。
「読んでください、認めてください、ってメッセージしか伝わってきませんもの。」との内容を見た時は、正直「何でそんな酷いこと言うの?!」と思ったのですが、記事を何度も読み返してみると、今も昔も自分自身に「自己重要感」があるのは確かだなぁ、と思いました。「何でそんな酷いこと言うの?」と思う私の意識の下には「何で(この私に)そんな酷い事言うの?」という意味が込められていたと思います。
そういう無意識に育ってしまった欠乏感に、耳を傾けて気付いていこうと思いました。
また長くなってしまいそうなので、これで失礼します。
明日の記事も、楽しみにしてます!
本当に、ありがとうございました。
>6時に起きなければ罰金3万円と言われたら、誰だって起きるでしょう。
こんなのがありましたww
http://japan.digitaldj-network.com/archives/51895607.html