宇宙を切る脳 2011.11.24
2011年 11月 24日
私が覚えている最古の記憶ってのは、確か2歳。「ひさちゃん、いくつ?」って聞かれて「にさい」って答えたのをちょっと覚えてて、お尻にあせもの粉をつけてもらってるのも記憶にあります。また、おばあちゃんの家に泊りに行って、天井から忍者のようなものが降りてきた夢を見たのを覚えています。当時はそれが怖かった。また、もうちょっと後の年齢で、ミニカーが巨大化して、それに連れされる夢を見た時は本気で怖かった。
ま、それはともかくとして、もう2歳にもなると、いわゆる「自我」が芽生えてきて、「自分」と「他人」とを区別できるようになってきたようです。その区別する手段が「言葉」です。自分と母親を区別し、母親と父親を区別し、犬と猫を区別し、食べ物と飲み物を区別する。このプロセスのことを「分節化」って言うのですが、世界ってのは「言葉」によって切り取られ成立する。その「言葉」を生みだすものが「大脳」であり、この地球上で世界を区別して生きているのは人間だけってことになります。
犬がご主人とそうでない人を区別するのは、言葉ではなく、条件付けによるもの。何度も餌をあげていると、「この人は餌をくれる人だ」と身体(潜在意識)に刷り込まれ、それで区別するようになる。人間も身体(潜在意識)で区別するものはあるけど、複雑な区別になると言葉(意識)を介してでないとできない。そしてそれが人間の世界ってやつ。
だけど、実は今日の滝行でもそうだったのだけど、時として、この世界の区別がなくなる瞬間を感じる時がある。例えば今日の気温は8度で、滝行するには十分にキツイ。最初は確かに「自分」と「滝」とが分離され、元々性質の違うものがぶつかり合うのでキツイのですが、無心に念仏を唱え身体の力を抜いて行くと、いつしかキツサがなくなり、気持ちよく滝を受け入れている自分に気が付くことがある。そしていつしか、自分と滝との区別が薄くなり、まさに「一体化」している瞬間を味わうことがあるんです。
何度も書いてきたと思いますが、2005年5月にインドに行った時、ラダックの丘の上(ナムギャルツェモ)にてある種の「悟り」を啓いたのですが、その時は確かにこの世、この宇宙はすべてが「喜び」でしかないことを体感することができた。幸せも不幸もなく、そのような「区別」をしているだけ。それを超越したところに「喜び」があり、だからこそ「大丈夫」だと実感したわけです。
しばしば禅や瞑想でも、自分と世の中との境目がなくなる経験をすることがあるようですが、思えば私は、2004年から始めた滝行によって、それを「体験」する訓練をしてきたんだな~と思うわけです。結局、この世、この宇宙は「ひとつ」でできていて、私たち人間はそれを「言葉」によって区別しているだけ。
だけど、その区別こそが科学の進化を促し、人間にとって住みやすい地球を作ることに成功したんです。最近、、、でもないですが、ずっと前から私は「宇宙人」についていろいろ考えることが多いです。人間(地球人)以外の知的生命体は果たしてこの宇宙に存在するのかって命題です。これまで多くの人が、NASAは宇宙人との接触を隠ぺいしていると主張してきましたが、先日、ホワイトハウスがそのことを否定する公式見解を発表しました。その発表自体が隠ぺいの証拠だと言う人もいるでしょうが、私はその発表は極めて妥当だと思っています。
もちろん地球外生命体は割と近くにも存在するかもしれません。一番有力なのが、木星の衛星であるエウロパ。エウロパにはものすごい厚い氷の層があって、その下は地熱で温められ、ちょうどいい具合に生命が生息している可能性があるとのこと。ただし、いたとしてもアメーバのような原始生物であり、それを確かめるにはまだまだ技術が必要で、何よりお金もかかる。それだけの費用を投入してアメーバの存在を確認する意義があるのかと議論されるでしょうが、私はあると思っています。現実的には新たな挑戦によって、科学技術が進歩するから。
実のところ、宇宙開発なんて私たちの生活にほとんど関係ないようだけど、その開発プロセスにおいて、いろんな技術が発明されたのも事実。あとは、戦争かな。第二次世界大戦までは、戦争が技術の進歩をけん引してきたけど、核爆弾が開発され、冷戦後は宇宙開発が技術革新の誘発剤となってきました。ですので、確かに今でもインターネットを始めとしていろいろ進歩は著しいと思いながらも、実は科学の進化は鈍化してると見る人もいます。
実際、ドラえもんや手塚治虫のマンガなどで描かれる「21世紀」ってのは、いわゆる近未来都市のようで、空飛ぶバスのようなもので移動してたりします。唯一、携帯電話(スマホ)だけが、手塚治虫の世界を超えたモノのようですが、インフラ的にはこの30年間、あまり変わってない気もします。飛行機もそうだし、新幹線もそう。私が幼い頃、リニアモーターカーが将来は実用化されると言われてたけど、今は話しさえ聞きません。癌の特効薬だってとっくに開発されててもいい。
つまり、私たち(正確にはちょっと前の私たち)が想像していたような「21世紀」からすれば、やや遅れてる気がするのも事実。ただ、科学ってのは一人の天才の出現によって、突然発展を遂げ、一気に世界を変えるようなものなので、今はその天才を待っている時かもしれません。そしておそらくその天才が出現するタイミングも、長い歴史の中で決まっているような気もします。その天才の出現は、、、おそらくもうすぐ(5年以内)かもしれません。もちろんまだ誰も知らない天才です。アインシュタイン以上の天才がそろそろ現れそうな予感がします。
ま、それはそうと、エウロパです。エウロパに生命が存在する可能性はゼロではないけれど、知的生命体が存在する可能性は限りなくゼロ。少なくとも人間とコミュニケーションとれるような知的生命は存在しないでしょう。もっと言うと、この宇宙にも、もしかしたらいないかもしれません。宇宙は広大なんだから、人間と同じような知的生命がいてもおかしくないと言う人は多いですが、しかし。それほどの可能性を認めながらも、今まで誰ひとりそのような生命体と接触したことがないって矛盾があります。
実際には接触してるのだけど、それが隠ぺいされてると言う人もいますが。少なくとも再現できるレベルではありません。実際、知的生命体の存在可能性を計算した人もいるのですが(ドレイク方程式)、そこでもやっぱり可能性は極めて低いとのこと。もっとも、人類がかろうじて観測できそうなのは、全宇宙の4%以内であって、残り96%にはとんでもないものがあるかもしれませんが、今のところはダークマターやダークエネルギーとしか名づけようもない世界。そのダークマターなどを「分節化」できるほどに、人類の知が発展すれば面白いのでしょうが、果たして今の地球人が存在する間にできるかどうか。
前も言ったと思いますが、このままいけば、2100年には人口が100億を超えてしまいます。つまりドラえもんの生きる22世紀です。その頃にはどうなってるでしょうか。水上に住む技術などが開発されれば当分は持ちそうですが、ただ、水や食べ物はどうなるのか。それもまた、海水を真水化したり、何らかの技術で食べ物を大量生産できたりするかもしれません。その一方で、本当に宇宙(月、火星、小惑星など)にする人も出てくるのか。そうなると、そこで生まれた人が本当の宇宙人ってことになるでしょうかね。
ま、そうやっていろいろ考えることはあるのですが、それでも「宇宙」はただあるだけ。どこで星が爆発しようが関係なし。私たち地球人はたまたま高度な「脳」を持ってしまったがばかりに、「宇宙」を「言葉」によって切り刻み、自分たちの都合のよい姿に変えて来たのでしょうが、それでももし、4光年向こうのシリウス辺りが爆発すれば、地球も一気に粉々。そんな近くでなくとも、どっかの星が爆発して、いい具合にガンマ線を浴びてしまえば、地球上の生物はすべて絶滅してしまう。3億年前もそんなことがあったらしく、三葉虫の絶滅もそれが理由じゃないかって説まであります。
高度な脳を持つことは、世界(宇宙)を区切ることである一方、その脳の働きを鎮めることで、世界が実は「ひとつ」であることに気が付くこともある。そんなことを、滝行によって思ったりしました。ではまた明日。ありがとうございました。
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