世渡り上手であれ 2011.11.17

 半年ぶりに実家に帰ってきました。最初は明日の大阪講演に直行するつもりだったけど、いろいろあって前泊することにしました。で、いつものように夜中までオカンとしゃべり倒していました。私は三兄弟の二番目ですが、兄は近くに住んでて子どももいるので顔を出すことはあれど、弟は正月に無理やり一日だけ帰る程度で、電話をかけてくることはまずない。昔から勉強はすごくよくできて、それなりの会社勤めしていますが、人付合いはあまり得意じゃなかったようで。兄も同様。

 それに対して、私はさほど勉強ができませんでしたが、いつの間にか「人付合い」の術は身に付けていたようです。それを初めて実感したのが、高校卒業して浪人して土方やってる時。妙に年上の人から好かれて、昼飯おごってもらうこともしばしば。その中の一人から言われました。「石田、世渡り上手やな~」と。

 その時、「あ、オレ、世渡り上手なんか・・」と自覚したのですが、それは大学入ってからも爆発。とにかくよく飲みに連れてってもらいました。家庭教師の紹介などもたくさんいただき、多いときで月に10人以上教えていることも。あの当時、一回3,000~4,000円で、一人につき週に1~2回が標準でしたので、多くて月に20万以上稼いでいました。なので、結構いい生活だったかな。海外にもよく行ってたし。さらに前の会社の就職したのも、人からのお世話。そしてもちろん会社を辞めてからも、ずっとその路線です。

 結局のところ、自分の「実力」なんてのはほとんどないのですが、ある意味、「世渡り」だけで生きているような感じもあります。では、どうすれば「世渡り上手」になれるのでしょうか。今まで生きてきて、一つだけわかったことがあります。それは、、、

「相手に関心を持つ」

です。学生の頃、例えば年上の人と飲みに行っても、「へ~、そうなんですか~、面白いですね~」と相槌打ちながらどんどん質問するんです。すると相手は必ずしゃべる。しゃべらない相手をしゃべらすことは簡単。質問すればいいのです。人付合いが得意でない人の特徴は、まず間違いなくこの「質問」が下手。そしてその返事に対する「驚き」がなく、素っ気なく受け止めてします。もちろん悪気はないのです。だけど、相手が気分良くなるかどうかは別問題。

 「いい人=世渡り上手」って公式はありません。むしろ多少癖のある人の方が世渡りは上手だったりするけど、その根点にはコミュニケーション能力があるわけです。で、コミュニケーションの成分を三つに分けると、「聞く」「認める」「質問する」となるのですが、その中には実は「話す」は含まれないのです。もちろんプレゼンテーションなど一方向の表現の場合は話すスキルは大切ですが、「コミュニケーション」というものにおいては、「話す」ことのスキルはほとんど必要ありません。

 なぜなら「コミュニケーション」で必要なのは、「分かち合い」だから。そもそも「communication」の「com」ってのは「共に」と言う意味。Community(共同体), Common(共通), Communism(共産主義)など、「com」にはすべて「共」が付いています。一方通行ではあり得ないのです。

 ですので、コミュニケーションにおいて重要なのは「話す」ではなく「話させる」こと。そのための技法がまさに「聞く、認める、質問する」です。話を聞かない相手に話をしたくありませんし、自分を認めない相手に話をしたくありません。そして質問しない人に一方的に話をするのも苦痛です。

 その一方で、話す(質問される側)は何のスキルも必要ありません。聞かれたことをただ話せばいいだけ。もちろん関心のないテーマについて聞かれても困るでしょうが、それは質問者が相手の関心に触れるようにすればいい。でも、それもまた一方的じゃないかと思う人もいるかもしれない。つまり、一方的に質問しているだけでは、お互いに話し合うことにはならないんじゃないかと。それについては、私の経験上も違うと思っています。

 人は「自分に関心を持ってくれる人に関心を持つ」なる法則があるようで、関心を持って質問してくれる人に対しては、ある瞬間から、逆に質問したくなるもんなのです。できる営業マンなどもそのことをよく知っています。一番嫌われるのは、一方的に商品説明する営業マン。加賀田先生のセオリーでは、次のようなプロセスを経ることが鉄壁。

1.アプローチ
2.人間関係
3.必要性
4.商品説明
5.(テスト)クロージング


 できない営業マンはアプローチしてすぐに「商品説明」に入って嫌われてしまう。もし、商品説明がしたいのであれば、その前に「人間関係」を作っておく必要がある。そのための技法がまさにコミュニケーションであり「聞く、認める、質問する」なのです。例えば飛び込み営業でも、最初は相手にいろんな質問をします。もちろん相手が関心のありそうなテーマ。身に付けてるものとか、部屋に置いてあるものとか、相手の成功談とか。その辺のことを一通り聞いてひと段落すると、実は相手の方から聞いてきます。「ところで、今日は?」、と。

 そこで初めて営業の話をすると、商品説明などろくすっぽしなくとも印鑑を押してくれる。これはまあ、対面営業ではすごく効果的ですが、基本はやっぱり人間関係。何かを売るとかの目的じゃなくとも、人と良好な人間関係を築く力があれば、世の中は割とうまく渡っていけます。

 そして、この根底にあるのは「愛」なのです。マザー・テレサは「愛の反対は無関心」と言いましたが、と言うことは「無関心の反対は関心、ゆえに愛と関心は同じか近い」ってことが導けます。つまり他人に関心を持つには、その根底に「愛」がなければならない。こんなこと言うと、「オマエは愛があるのか?」なんて言われそうですが、「愛」って言葉はさほど大げさに考える必要もない。例えば私の子どもに対しては100%の愛があると思っていますが、自分の興味のある対象については、人であれものであれ関心を向けるもの。それも広義で言う「愛」には違いありません。

 ま、こんなこと言うのはですね、今まで「あなたには愛が感じられない」って言われたことがあって、それは私がものをハッキリ言うとこから来てるようなんです。例えば変な洗脳とか、似非科学とか、似非医療とかについては、ハッキリと「おかしい」と言うのですが、その手のを信じてる人からすれば気分はよくない。そしてその人たちからすれば、「愛のない発言」と言われてしまうこともある。

 だけど、誤解してならないのは、誰にでも愛想をふりまき、自分が思ってることとは裏腹に何でも認めるそぶりを見せるとか、思ってても何も意見を言わないことが「愛」では決してないってこと。実際、マザー・テレサなんてのは、周囲は敵だらけだったそうですし、歴史的な偉人は多かれ少なかれ、必ずアンチが付きもの。だけどもし、そこに信念があれば、そんなアンチには負けずに活動を続けることができる。その根底はまさに「愛」だと思うのです。

 例えば私が、子どもに対して100%の「愛」を持っていることを否定はできないでしょうが、子どもを守るため、子どものためになることならば何でもできます。それがたとえ誰かを傷つけるようなことがあっても、子どもへの「愛」を貫き通すことでしょう。マザー・テレサの例で言えば、例えば貧しい子どもたちを奴隷のように売買したい人にとっては、完全に敵でしょうし、少なからずその売人たちを傷つけることになります。

 ですので、「愛」をベースに活動していたとしても、そのプロセスでは誰かが傷つくことは避けられないかもしれない。インドの売人だって生活がある。マザー・テレサがその売人たちの生活を奪っていたことにもなる。だけどもし、その根底に「愛」があれば、どんな攻撃や理不尽に対しても屈することなく続けられる。ここで有名な「逆説の10カ条」という詩が出てきます。これはマザー・テレサの言葉として広まってますが、実際は別の人が書いた詩に、マザー・テレサが感動したことが発端のようです。だけど、この詩はいつも私を勇気づけてくれます。


逆説の十か条

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。
2. なにか良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。
3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。
4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。
5. 正直で率直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えを持ちなさい。
7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8. 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。   
  それでもなお、築きあげなさい。
9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。
10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。



 今では聖者のように伝えられているマザー・テレサも、その当時はいろんな攻撃や中傷にあっていたからこそ、この詩に感動したことでしょう。なんか話が脱線しまくってますが、つまり「愛」を守ることも容易ではないし、「愛」に基づく行動をすることも同様。

 人は人から「関心」を持たれたい存在です。これを「自己重要感」と言うこともできますが、人はこの「自己重要感」を満たすために生きていると言っても過言ではない。逆に言うと「自己重要感」を満たしてくれる相手には、心も財布も開いてしまう。もちろん相手からお金を奪うために「自己重要感」を満たすと考えるのはどうかと思うけど、そんなのはすぐに見透かされるでしょう。

 いずれにせよ、相手に「関心」を持つことはコミュニケーションの基本であり、同時に人間社会の基本です。その「基本」の上で生活している人は、やっぱり人から好かれるし、巡り巡ってお金だって入ってくる。それを「世渡り」と言ってしまえばそうかもしれませんが、世渡り上手であって損することはありません。

 人は世渡り上手な人間に対して、八方美人だの、調子がいいだの、揶揄することが多い。それでもなお、世渡り上手でありなさい。まずは相手に関心を持つ。「関心持ってくれ~」と心の中で叫ぶのではなく、まずは自分から。それによってどれほど得することがあろうことか。その意味では、時として鬱陶しいと思われるほど他人に関心を示してしまう私も、何だかんだと食っていけてるのは、自分で何となくわかる気がしないでもないです。世渡り上手になりましょう。それが愛ですから。ありがとうございました。

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Commented by 稼いで成功ルーカス at 2011-11-18 16:12
こんにちは、ルーカスです。

いつもお世話になっております。

記事を参考にさせていただきました。

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Commented by すー at 2011-11-18 17:55
はじめまして。

ちょっと、お節介だったかなーとか良かれと思ったことが裏目にでたりと少々落ち込んでたので、Qさんの言葉で元気づけられました。
ありがとうございます。
Commented by Qさんファン at 2011-11-18 23:55
「質問は、直接的にほめるよりも百倍も効果があります」と、加賀田先生の著書に書いてありました。
多くの営業本は褒めることを推奨していますが、褒めるって結構難しくて場合によってはリスクがありますよね。
それに対して、質問することで相手が話したいことを話せる状況に導くというのは、難しくなく、相手も満足しやすい。
加賀田先生の人間心理への洞察力は本当にすごく、大変勉強になると思います。
Commented by めぐみ at 2011-11-23 05:06
マザーテレサって本当にタフなおばあさんだったそうですね。恵まれない人のためならなんでもできるみたいな。

私は相手に関心を寄せて質問するのはまあまあ得意なのですが(子供の時にカーネギーの「人を動かす」に感動しました)、その相手がいつまでたっても私のことをちょっとは尋ねてくれないと結局はがっかりしてしまいます。特に、友達とか恋人候補みたいな人の場合ですが、やっぱり一方通行ではなりたたないんですね。期待し過ぎなのかな。
Commented by katamich at 2011-11-23 14:43
■稼いで成功ルーカス さん!
ありがとうございます。
Commented by katamich at 2011-11-23 14:44
■すーさん!
いえいえ、どういたしまして。
Commented by katamich at 2011-11-23 14:44
■Qさんファンさん!
そうですね、加賀田先生も言ってます。ただし、質問が尋問にならないよう注意する必要はありますが。。。
Commented by katamich at 2011-11-23 14:45
■めぐみさん!
期待することなく、一方通行でいいんじゃないかと思います。。
by katamich | 2011-11-17 23:39 | ■人生哲学 | Comments(8)