今日もたいへんな気付きがありました 2005.1.10

 今日は成人式だったですね。今年は例年ほど騒がしくなかったようです。私は、、、会社に行ってました。明日の打ち合わせ資料の作成です。それはいいとして今日はちょっとした気付きがありましたので、ご報告します。

 昨日、初めてお話した方(Kさん、と言います)から、今朝メールが来ていました。「言霊」についての内容でした。昨日、その「言霊」という話で、Kさんの元同僚で私の友人でもあるHさんの話をしました。それは、私がいつも言っている「ツイてる」という話です。今となってはかなり広まった感のある「ツイてる」ですが、「ツイてる」と言っていると本当にツイてくるという話です。

 そのHさんは半年ほど前、仕事でものすごくストレスをためていたのですが、「ツイてる」という「言霊」に出会って以来、「ツイてる」と言いまくっていたら本当にツキがまわってきたそうなのです。ストレスのたまる前の仕事を意を決して退職したあと、失業期間ゼロで再就職し、さらにその会社でも異例の昇給などツイてることばかりなのだそうです。最近は、電話する度に「ツイてる?」と聞いてきますし、今年の年賀状も「ツイてる」でした。

 その話をしたのです。昨日の時点では、「ふ~ん」という普通のリアクションでしたが、今日、そのことがメールに書かれてありました。本人には了承得てませんが、とても素晴らしい内容なので、その部分を引用したいと思います(Kさん、お借りします)。

(ここから)
 Hさんの『ツイてる』という言葉。どこかで聞いたことのあるフレーズだと思ったら、経営の神様と言われる、松下幸之助さんの言葉と一緒ですね! なんでも、松下電器の受験(面接)のときに、必ず『あなたはツイていますか?』と聞いていたそうなんです。もちろん、答えがYESでない人は、その時点で不合格らしいんですよね。。。理由は、『ツイていない』人を雇っても、会社によいエネルギーは流れ込んでこないから、だそうです。この話を聞いたときはよく意味がわからなかったんですが、今日のHさんの話を聞いているうちに、わかってきました。たとえ謙遜のために、『ツイていない』と言ったとしても、その言葉を発した時点でマイナスのエネルギーを発しているんですね。また、『ツイてる』と発言し、周囲に対して感謝の気持ちをわすれないことで、未来につながる機動力のようなものを自然と得ているのかもしれませんね。謙遜すること、が大切なのではなくて、感謝の気持ちを周囲に伝え、周囲の人も幸せにすることが大切なのかもしれませんね。感謝されていやな人はいませんから。。。
(ここまで)

 素晴らしいですね。ここまで理解が深まるとは。私もこの内容が気に入ったので、すぐにグーグルで「ツイてる 松下幸之助」と検索してみました。すると、素晴らしいものに出会ってしまいました。まず、このページに出会いました。その中の「ツイてる」の話は、「最近、正観さんが『ツイてる』の話をすることが多くなった気がします」という文章で始まっています。一通り読んだ後、「正観さんって誰だ?」と思い、探してみると、「小林正観」という人であることがわかりました。

 そしてさらに「小林正観」と検索すると、感動的な文章に出会ってしまったのです。例えばこれです。それは「そわかの法則」というものです。

 ちょっと長いですが、重要な部分を引用したいと思います(ちなみに、リンクの文章はすべてが必読の名文です)。

(ここから)
般若心経の最後の部分は「ボウジ ソワカ」と言います。
この「ソワカ」とは「事が成る」「事が成就する」という意味です。
神が人間の成す行為の中で好きなものは、「そわか」の3文字のようです。

「掃除」の「そ」、「笑い」の「わ」、「感謝」の「か」の3文字です。

この3つの行為を続けている人間を、神さまが応援しているように思えます。

「そわか」の1番目は「掃除」です。
神さまは「きれい好き」らしいのです。
「姿かたち」がきれいな人、心がきれいな人、「水まわり」や「身のまわり」をきれいにしている人を神さまは支援・応援します。

2番目は「笑い」です。
「笑い」とは肯定すること、受け入れること、共鳴、共感すること。
「笑顔」や「笑い声」は、宇宙や地球が神の為した行為を、「肯定的」に受け止めた、ということにほかならないのです。
笑える人は肯定的な人、受け入れられる人、明るい人。

3番目は「感謝」です。
「ありがとう」の言葉を言っているだけでいろいろな奇跡が実際に起こっています。
「ありがとう」の源の言葉は「ありがたし」。
人の力ではできないことが成されたとき、「有り得ないこと」(が起きた)たというので「ありがたし」と言いました。
「ありがたし」「ありがとう」という言葉は、神をほめたたえる言葉、神に対しての感謝の言葉だったのです。
人に対して使われるようになったのは室町時代以降のことでした。
「ありがとう」を言われ続けたら、神さまもその人に対して好意的になるのではないでしょうか。

「ありがとう」だけでも神さまを味方につけることができるのですが、それに加えて「掃除」と「笑い」が加わるのです。

神さまが強い味方になってくれそうではありませんか。
(ここまで)

 これを読んだとき、感動で心が震えました。私が昨年の実践の中で気付いたことがすべてここに集約されていたのです。

 まず、「そ」は「掃除」。これは今年元旦のブログに書いた内容です。トイレの蓋をしめると金がたまるという話から、トイレ掃除をすると「ウンがツク」、蓋をしめると「ウンが逃げない」という話に展開しました。つまり、「掃除」と「ツイてる」の関連です。

 さらに、「掃除」をもっと広げると、それは「地球の掃除」、つまり「環境保全」と同義であることに気付いたのです。今年から私は環境保全のために寄付をはじめるとともに地球に嫌われない生き方を心がけようと今年の目標の中でも書きました。
 
 すなわち、「そわか」の「そ」とは「環境保全」と同義、もっと解釈すると、地球の「『そ』せい(蘇生)」にも通じるものだと気がついたのです(ブラボ~!!)。

 次に、「わ」は「笑い」。これも今まで何度も書いてきました。まちづくりでも「笑い」を取り入れようと、「笑いのまちづくり」まで提案したところです。さらに、竹の話の時も、「竹」が「天」まで伸びて「笑」、すなわち竹のように腹の中を空っぽにして心から笑おうと決意したと書きました。言うまでもなく「笑い」は万病の薬です(免疫力をあげ糖尿病も治癒します)。

 最後に、「か」は「感謝」。これはもう言うまでもないことです。「ツイてる」という言葉自体、感謝の表現ですし、五日市剛さんのエッセイでも「感謝」のエネルギーのすごさが語られています。

 「そ」「わ」「か」。もうこれで何も悩む必要はないのです。この法則に則って生きていけばよいのです。深く考える必要もないのです。

 そして、「そわか」についても一言。私が「そわか」を知ったのは「滝行」を始めてからです。先の文章にもある通り、般若心経は「そわか」で終わります。般若心経の中で私がもっとも好きなフレーズは「色即是空」などではなく、最後の「ぎゃ~てい、ぎゃ~てい、は~ら~ぎゃ~てい、はらそうぎゃ~てい、ぼ~じ~、そわか」の部分です。この部分だけはサンスクリット語をそのまま音読みしており、漢字から意味が推測できません。サンスクリット語のお経のCDを聞いても、この部分はこのままです。

 この部分は簡単に言うと「行け!行け!」という意味らしいのですが、確かにこの部分を唱えていると、不思議と「力」と「勇気」が湧いてきます。今、こうやって文章書いているそばから心が震えてきます。

 ちなみに「そわか」という言葉は、他のお経やご真言なんかでもよく耳にします。観音様の「おんあろりきゃ そわか」とか、薬師如来様の「おんころころせんだりまとうき そわか」とか、虚空蔵菩薩様の「のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼり そわか」とか。仏教にとっても大切なことばなんでしょうね。そわか。

 「掃除」「笑い」「感謝」そして「そわか」。これらは、ここ半年程度の間に、すべて私の体験の中から出てきたことです。一見何の脈絡もないようですが、すべて「何か一つ」に集約されていたのです。

 今日はちょっと「感動」で心が震えっぱなしでした。本当にツイてる!!!

(余談ですが、「そわか」は梵語で「掃除」「笑い」「感謝」は日本語だから関係ないじゃん、なんていう人とは決して友達になれないでしょうね。言葉なんてすべて人間の心から出てきたものなので、何語であるなんて関係ないのですよ。すべての言語は「人間の意識」の上でつながっているのですよね。)

ところで今、部屋が散らかっている。いつもですが。やった、掃除ができる、ツイてる!!

(この面白い顔の人から部屋が汚いといつも怒られています)

今日もたいへんな気付きがありました 2005.1.10_b0002156_29670.jpg

by katamich | 2005-01-10 23:12 | ■人生哲学 | Comments(0)