すべては与えられたもの 2011.8.25

 今日は週末のQ州ツアーの資料作成や下調べなどをしていました。ツアーの3日間は晴れ。台風もなし。それでいて連日に雨により滝の水量も多く、何から何までベストなコンディション。ますます楽しみになってきました。今回は15名中、関東7名、関西3名、九州4名、東北1名ってな構成です。年齢は全員30歳以上で、平均すると私と同年代かな。そして女性10名に男性5名。とにかく、場所、性別、年齢、職業などまったく異なるメンバーが2泊3日を一緒に過ごすわけで、なんだか不思議な感じがすると言えばそうですが、共通の「価値観」に基づいて集まってるわけで、その必然性をいつも痛感させられます。

 最近、セミナーにしても、ツアーにしても、オフ会にしても、いつも思うことがあります。「あ、この人は会うべくして会ってるんだな・・・」、と。地球上には70億の人間がいるわけですが、一人が生涯で出会える人数ってどれくらいなんでしょう。すれ違うだけじゃなく、実際に顔と名前を認識して「会う」ってのは、おそらく一万人もいないんじゃないかと思います。今、日常的に連絡を取ってるような人など、100人もいない。いや、せいぜい30人くらいかもしれません。そう考えると「会う」ってのは、その時点でとてもない「シンクロニシティ」なわけです。

 人は誰もが「天命」を持って生まれてきています。どう思うが勝手ですが、これは私の「哲学」です。70億人もの人がいるなかで、そのわずかな人間と会ってるわけですが、それを「必然」と呼ばずして何と呼ぼうか。そしてその「必然」を演出しているのがまさに「天命」なんだと思います。今回のQ州ツアー15名のうち、半分の人はまったく初対面。私でさえそうですが、メンバーの一人一人からすれば、私以外誰も知らない状況で参加することになります。事前に「交流掲示板」で一通りの自己紹介をしてもらってるのですが、どの方も限りなく「なんとなく」の参加のような感じ。

 確かに、滝行やったり、宿坊に泊まったり、パワースポットを巡ったりするので、楽しそうではあります。だけど費用も時間もかかるし、何より一人で心細いってのが大半ではないでしょうか。そんな「障害」を越えてでもやってくる。これもまた必然としか言いようがないでしょう。

 私がいわゆる「スピリチュアル」に出会ってよかったな~と思うことの一つに、「起りうることをそのまま受け入れる」ってことを知った時。もちろんこれは何もしないことを意味するのではありません。例えば目の前に「石」が飛んできたとします。それに気付いたらどうしますか。当然、避けますよね。「受け入れる」ってことは、そのまま石にぶつかることでは決してありません。

 だけど気が付かずに石にぶつかってしまったらどうでしょう。石にぶつかる前には戻れませんので、その時に「これも何か意味があるんだ」と思って受け入れる。「願望実現」もそうです。そもそも「願望」なんてものは、自分で得るものではなく、いつの間にか「与えられる」もの。例えば私は、「嵐の一員になる」なんて願望はありません。もちろん端から無理な話ではありますが、そもそも無理なものを「願望」に持つことは決してありません。逆に言うと、「願望」に持つってことは、その時点ですでに「叶う」ものなのです。

 例えば「年収10億円」なんて願望を本気で持っている人は非常にわずかだと思いますが、「年収1000万円」くらいであれば、強く持っている人も多いと思います。そうである以上、それはすでに「叶う」もの。あとはその「願望」に向けて行動すればいいだけ。もちろんいろんな困難はあると思いますが、困難のない人生なんて面白くないですもんね。

 今回のQ州ツアーでは、事前の交流掲示板にて「10年後の自分の姿」って質問を設けています。そこに「総理大臣になる」なんて書いてる人は一人もいません。それぞれがその人らしい「姿」を描いており、確かに現時点ではそうなっていなくても、それは早晩、「叶う」ことを意味しています。ほとんど予定調和的に。そしてその「姿」は自分で描いたものではなく、これまでの人生における必然的な連鎖によって「与えられた」ものなのです。ですので「願望実現」を語る際、「どんな願望がありますか?」ではなく「どんな願望を与えられていますか?」の方が本質的には正しい。

 そもそも人は誰もが例外なく「生きてる」のではなく、「生かされてる」のであり、あらゆる行動や思考が自分の産物と言うよりもむしろ、「与えられたもの」でしかありません。「願望」が叶うってことについても、自分で叶えられることなど何一つない。いかなることでも、それは「他人」が関与している。今、こうやってブログを書いていますが、このパソコンはNECが作ったもので、NECが作る以前にも、そのための発明をした人がたくさんいます。インターネットにしても、まずプロバイダがあるし、そのインフラを作ったのもまた別の人。今かけている眼鏡だってそう。自分で作ったものじゃありません。

 そうやって一つ一つ考えてみると、何一つとして自分で作ったものとか、叶えたものはありません。もしあるとすれば、それは「意図」があるだけ。「ブログ書きたい」って「意図」があって、それを世界中の人が助けてくれている。ただ、それだけなのです。

 ですので、例えば「年収1000万円欲しい」と思ったとしましょう。自分の力では決して得られません。誰かがそうしてくれるのを待つしかない。厳密に言うと、そのための「意図」をしっかりと持って、人に頼みまくるしかない。だけど、やたらに「1000万円くれ」と言っても誰もくれません。そのためには「1000万円」をくれるための、何らかの「価値」を生みだす必要があります。それは知識だったり、労力だったり、人格だったり。その辺のことがしっかり備わって初めて動いてくれるのです。だけど、仮に1000万円が手に入っても、それはどこまで行っても自分で得たものじゃなく、誰かが持ってきてくれたもの。その真実だけは決して忘れてはなりません。

 「天命に生きる」

 これは私にとって、いや、人生にとって最も大切なこと。しかしその「天命」にしても、それは「与えられたもの」でしかありません。自分で「天命」を勝ち取ることなどできません。そして「天命」を生きるプロセスにおいて、いろんな人やチャンスと出会うのでしょうが、それらもすべて「与えられた天命が引き寄せたもの」に過ぎません。今、今ブログを読んでいる。そのこと自体も、何かの必然であり、与えられたこと。

 週末はいよいよQ州ツアーだし、来月はインドツアー。そこで非常に多くの人は体験と出会うのでしょうが、それらはすべて「天命」が引き寄せたものであり、すべては必然のもの。そう考えると、、、なんだかすべてが楽しくなってきました。とりあえずツアー中は「晴れ」なのでバッチリです。「雨」でもそれはそれで必然なんでしょうが、とりあえずは「晴れ」であることに喜びたいと思います。楽しみです。それではまた明日。ありがとうございました。

今日の話に共感して頂ける方はクリックをお願いします!
↓ ↓

人気blogランキング

【福岡】9月11日(日):とみなが夢駆&Q コラボワークス in 福岡

【東京】9月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 東京

【九州】8月27日(土)~29日(月):GSJセミナー2011(Q州ツアー)(満員御礼)

【世界】90日間で人生が変わる超意識コーチング(第三期)
by katamich | 2011-08-25 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)