宇宙から与えられた才能 2011.8.23

 今日は月末のいろいろを済ませてきました。そして9月のラダックツアーでお世話になる旅行会社の方とスカイプでお話することもできました。高山病のこととかも一応心配材料ではあるので、いろいろ聞いてみました。15名もいるので、誰かは何らかの症状は出ると思うけど、予防をしっかりしておけば最小限にとどめられる。昨日の話じゃないけど、旅にせよ人生にせよ、何かの「トラブル(困難)」に見舞われた時には最強の質問をすればいいです。それは。

「この『困難』は自分にとってどのような意味があるのだろうか?」

 困難に遭遇した時、ただ不平不満を漏らすのではなく、その中に潜む「意味」を探す出すと、人生の質はまったく違ったものになります。人は生まれながらに「天命」があるとすれば、どんな人生にも困難(悪魔、影)はつきもの。しかしもしも人生の質に「違い」があるとすれば、その「困難」をどのようにとらえるかだけ。単に不平不満で終わらせるのか、またはそこに積極的な意味を見いだすか。そのための「質問」がこれだったのです。

 私自身もこれまでその「質問」をするだけで、様々なピンチを乗り越えてきた実感があります。ですので、これから先も大丈夫だし、そのことを多くの人に伝えていきたいな~と思うのであります。人生ってのはそもそも「大丈夫」なようにできていますので。それにしても9月のインドツアー、、、おそらくメンバーが思っている上の環境が待ち受けていると思います。私は平気ですが、他の方はどうかな。でも、環境が日本とかけ離れていればいるほど、「変化」も大きいわけで、私としては望むところ。いずれにせよ楽しみです。

 ところで今日の夜は久々にジャズを聞きに行ってきました。太宰府にあるJAZZ工房NISHIMURAってライブハウス。3月のIさんに続いて二回目。今日は早川ゆいがさんってサックス奏者を聞いてきました。若干22歳の平成生まれ。大雨で道路が混んでてこともあり、ちょっと遅れて入ったのですがビックリ。このビックリ感を文章で表すのは難しいし、そもそも関心もないだろうけど、久々に「天才」ってのを見た気がしました。ジャズジャーナリズムは女性高生ミュージシャンばかり取り上げますが、本物はしっかりといるわけです。ちょっとビックリしました。

 「才能」とか「天命」とかは、なるべく早いうちに気が付いた方がいいことはいい。早川さんの場合も、間違いなくサックスを吹くために生まれてきたようなもの。9月からアメリカのバークリー音楽大学に特待生として留学するそうですが、そこで学ぶことは皆無にしても、一流との交流によって腕が磨かれていくのはいいこと。帰国後が楽しみな逸材でした。

 それにしても、やっぱりどう考えても人間の可能性ってのは有限だな~と思います。「無限の可能性がある」はウソ。私はたいがい音楽好きで、楽器の演奏とかもしていましたが、ここ3~4年はまったく触れてもいません。ハマってた時期もありましたが、今では完全に興味を失っています。もし神がいるとして、私を音楽好きにした理由があるとすれば、それはきっと「人には無限の可能性などない」ってことを気づかせるためではないかと思うことも。

 実際、あんな天才的な演奏を聞いてしまうとお手上げです。思うに、「音楽」と「数学」だけは努力しても無駄。そしてその道に進むためには、20歳になる前に頭角を現す必要があるでしょう。そう言えば「音楽」と「数学」ってすごく似たところがあるし、実際、プロの音楽家には数学者だったり医者だったりって人も少なくない。私が知る限りでは夭折の天才トランペッター、クリフォード・ブラウンは数学専攻。彼も二十歳そこそこで頭角を現したんですが25くらいで死んじゃいました。ジョシュア・レッドマンってサックス奏者は現役バリバリですが、医者でもあり弁護士でもある。確か。めちゃくちゃ上手いのだけど、個人的にはあまり好きではないですが。日本にも医師試験に合格してジャズマンになった人もいる。オーボエ奏者のシェレンベルガーも確か数学教師。シュバイツアーも最初はオルガン奏者でバッハ研究者だったのが、後に医者となり世界に貢献。ノーベル平和賞も受賞。

 いずれにせよ、自らの「才能」なり「天命」に気づくことは、人生において最も重要なことには違いありません。ネイティブアメリカンやアボリジニなどには、「天命」に気づくための通過儀礼があると言われます。それを「ビジョンクエスト」と言うのですが、だいたいが過酷な旅に出したり、苦行のようなことをさせたりするそうです。そして極限まで追い込まれた時、突然、自分の生まれてきた意味を知ると言います。

 実は同じようなことがとある教育プログラムでもされています。アメリカで開発された方式ですが、日本にも導入されており、サドベリースクールで調べれば分かると思います。聞くところによると、小学校で履修する科目が全部で600時間ほどあるそうですが、そんな授業などせずずっと好き勝手にさせる。そしてある日突然、自分のやりたいことに気が付いたらそこに集中させる。そうなると自然と履修すべき科目も消化するようになり、なんと600時間分を30時間程度でやってしまうんだそうです。

 ちなみに語弊があるかもしれませんが、サドベリーとは違う意味で、それと似たシステムが日本(及び世界)にもあります。それは「ニート」です。ただし、半端なニートではありません。もちろん学校にも行かず、外にも出ず、ただひたすら家に引きこもるのです。するとある日突然、自分のやりたいことに目覚める。有名どころでいれば、タレントの千原ジュニアがそうです。ですので、私個人的にはニートも引きこもりも実は肯定的。ただし、やりからには徹底的に。それくらいの追いつめられた状況から何かが得られる。2016年から始まる新しい時代を担うのは、実は今、引きこもっているニートなのではないかと本気で思っています。

 とにかくいろんな方法なりきっかけはあるにせよ、「天命」を見つけることは人生の一大重要事項。私のバイブルの一つでもあるマルロ・モーガンの「ミュータント・メッセージ」にはこのような一文があります。私はそれよ読んでドキッとしました。

「宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか?」

 この物語(実話がベースと言われている)はアメリカの女性記者がアボリジニの「ビジョンクエスト」に同行する話なんですが、いわゆる文明人(アメリカ、ヨーロッパ、日本人など)は人工的に生成されたミュータントとであり、宇宙から与えられた使命に鈍感であると指摘されます。つまり「宇宙から与えられた才能」を知ることは、「人間」として当然ことであり、それを知らずに一生を送るミュータントは異常な存在なのです。

 そして私たち(これを読んでいる日本人の多く)は悲しいかなほとんどがミュータントであると言えます。「ミュータント」から「人間」になるには。それがまさに「天命(宇宙から与えられた才能)」を知ること。拙著「宇宙となかよし」の基本的視点もそこにあります。

 妖怪人間ベムではありませんが、「はやく人間になりたい・・・」のであれば、まずは自分が「ミュータント」であることを認める。その上で「自分にはどんな天命が与えられているのだろうか?」と問い続ける。そして様々な問題(悪魔、影)を恐れず、勇気を出して突き進む。自分らしい人生を突き進む。その一環として「旅」があると考えており、私が企画するQ州ツアーやインドツアーもまさにその上にあるものなんです。

 私はいわゆる提供する側ではありますが、私自身ももっともっと「自分」と向き合い、「天命」を生きていきたいと思うのであります。そしてそのお手伝いをする。それもまた私に与えられたお役目なのかもしれません。そう言えば島田紳助が引退会見しましたね。私がモデリングする3人のうちの一人が紳助。あと二人は加賀田晃と石井裕之。大学時代は紳助の番組をチェックしてよく見ていました。特に深夜番組はめちゃくちゃ面白かったし、学ぶことも多かった。「紳竜の研究」なるDVDも私のバイブルであり、何度も何度も見ました。でも、このDVDは今後、再発されることはないでしょう。その意味でも貴重なDVDです。そして紳助もまた有り余る才能に恵まれ、「天命」を生きた一人でした。引退の原因は決して肯定できるものではないにせよ、「紳助」って才能そのものについては、これからも学んでいきたいと思っています。紳助の話はまたどっかで改めてしたいですね。今日はこの辺で。ありがとうございました。

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by katamich | 2011-08-23 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)