滝谷不動&セピア色 2005.1.2
2005年 01月 02日
滝谷不動はかつて母方の家族が住んでおり、私が生まれてからも祖母がずっと住んでいたので、昔はよく訪れていました。毎月28日は縁日が開かれ、そこにもよく行っていたことを幼心に覚えています。今回の帰省に際して、懐かしいのもあり行ってきました。かれこれ20年以上行ってないことになります。
正月だけに、さすがに混んでいます。境内に入ると、むか~しに来ただけあって明確には覚えていないものの、妙な懐かしさがこみ上げてきました。加えて、最近は仏教に関する知識もわずかながら得てきたので、各々の仏様のお姿、役割、ご真言などもわかり、お不動さんをはじめ、観音様、お地蔵さんなどを見つけるにつれ、「おお、お不動さんや!!のうまくさ~まんだ~・・・」などと言って、子どものようにはしゃいでしまいました。
護摩供では、火を炊きながら般若心経をあげていたりして、私も一緒になって唱えたくなりました(が親が一緒だったのでやりませんでした)。ただし、行をする「滝場」はかなりしょぼかったです。
帰りは、縁日が出ていた道や祖母が住んでいた近所などを車でとおり、懐かしさを体いっぱいに浴びてきました。
夜は高校時代の友人らと焼肉屋に行きました。この1月2日のプチ同窓会は高校卒業以来ほぼ毎年開催しており、私も帰省したときはほとんど顔を出しています。今日は私を入れて男5人だけ(おれ、まるぽん、とっくん、たつみ、どぶちん)で会いました。女の子がいないのはちょっと寂しいのですが、男だけでしかできない話もあるので大変盛り上がりました。
ただしメンバー的にはいつもと同じようであり、出てくる話も毎年同じようなもんです。だけどなぜだか盛り上がるのです。あまり自分たちの近況の話はしません。やはり昔の話を恥ずかしさを噛み締めながら悶えつつ話し、聞くのが楽しいのです。話題を出す、話を盛り上げるのはだいたい私の役割です。
話の内容としては、「今、○○は△△をやっている」という噂話に始まるのですが、盛り上がると「○○は□□のことが好きだった」という話になだれ込みます。その、詳細を語ることはこれを読んでいる同窓にはとてつもなく面白いでしょうが、プライバシーに関わるので控えさせていただきます。また、同窓でない人には面白くともなんともないでしょうので、やはり控えさせていただきます。
我々の高校は一般の高校とはかなり違っています。まず、「全寮制」です。しかもただの寮ではありません。みんな同じような服を着せられ、一日のスケジュールも分刻みで決まっており、それに従わなければ罰則という規律正しい生活を余儀なくされていました。月に一回「外出日」というのが設けられており、それ以外の日にはジャンプ(漫画雑誌)を買いに行くことさえできません。さらに高校は共学なんですが、「男女交際禁止」です。女の子と仲良くしていると教師から目をつけられます。
そんなガチガチの面白味の欠ける高校ではありましたが、それはそれなりに楽しいものでした。寮生活ですので、友達とは四六時中一緒でエピソードには事欠きません(前にこんな文も書いています)。
しかし、やはり面白いのが「男女」の話です。特に男女交際が表向き禁止であったので、隠れてそれらしい行動をするのがとてつもなく思い出になっています。今の一般の高校生からは考えられませんが、(当時の)我々の高校では「男子と女子が話をする」ことでさえドキドキしていました。それでも皆、思春期です。想いの寄せる女子、及び男子はいるものです。
「あの時、二人きりになったとき好きと言っていたら」、
「今ならあの娘にもこう言えるのに」、
「当時一番必要だったのは愛情ではなく勇気だった」、
「意を決してツーショットでとった写真がピンボケでなければ」、
「あの時のあの台詞は告白へのプレリュードだったのでは」、
「放課後、あの娘とすれ違うためにごみ捨てに行っていた」、
「2週間に一回の席替えにドキドキしていた」
(以上は私の体験とは関係あるのもあればないのもあります)
手を握ることはおろか、声をかけること、半径50センチ以内に近づくことさえままならない時期があったのです。そんな時のことを10数年たった今、うっとりと顔を赤らめ、かつエキサイティングに、笑いとともに話すのです。当時の出来事は想い出としてセピア色に染まっていますが、その想い出の一つ一つが今の自分を形作っているのです。
今となっては結婚している人も多いのですが、当時の儚くも美しい想い出があるのは、まさしく「全寮制&男女交際禁止」という規律があってこそなのです。そんな意味でわが母校には今になって感謝したい気持ちでいっぱいです。
>わが同窓へ
いつかの節目にはクラスで集まりましょう。今になってあかせる話もたくさんあるよ・・・、ふふふふ。。。。
今日の順位は?