覚醒に向けて 2011.8.5
2011年 08月 05日
さて、、、今日も昨日に引き続き、あの話に時間を取られてしまいました。こんなことしてる暇ないのにな~。おかげで散髪に行く時間が遅くなって、ちびQのお迎えが最後になってしまいました。ま、どんなことであれ「まったり」し過ぎるよりはいいので、7日に向けてアドレナリンを放出しておこうと思います。120名満員御礼立見ありですからね。いったいどうなることやら。楽しみたいと思います。
で、「あの話」についてですが、いやまあ、頭痛くなりますねえ。昨日は実際頭痛くなりましたが。顛末については「公式ブログ」でわかりますが、ついでに一つ一つリンクしておきますね。暇な人は読んでください。新しい記事から貼って行きます。一応、最新の記事で完結。鈴木ケイスケさんの日記の転用ですが、これは拡散に値する素晴らしい記事です。
<必読>■何度もバナナの皮に滑る人たち
■予言ブログへの対応の可能性
■オレが予言ブログを看過できないもう一つの理由
■昨日の昼の約15分間の出来事
■これで終わりにしますが・・・
■オレが予言ブログを看過できない個人的な理由(アメンバー記事)
■キチガイ光臨!!
■なぜ、人は「予言」に振り回されるのか
■拡散中の予言ブログについて
ケイスケさんが言うように、人間ってのは、これまでの歴史で何度も「同じバナナの皮」で滑っているだけ。まずそれを肝に銘じてほしい。これまでの歴史の中で「予言」が当たったためしは、本当に数えるほど。しかもそれは限りなく「偶然」でしかない。
正直、今の世の中、「予言」で「当てる」ことは簡単です。例えばツイッターのアカウントを100個ほど取って、毎日、一つずつ「明日地震が来ます」みたいなことを書いていれば、いつかはヒットする。そのヒットしたアカウントを育てていけば、瞬く間に脚光です。
同じように、今もどこかで「予言」なか誰かがしているわけで、そのほとんどが誰にも知られることなく、消えていってる現状。でも、そのうち誰かが当てることもあって、その時初めてスポットが当たられるだけ。これ、私自身も経験ありますからね。公式ブログにも書きましたが、2005年の福岡西方沖地震で3月19日の夜に「明日地震が来ます」って書き込んで寝たら、その翌朝に本当に震度5強が来た話。それは船井幸雄系の地震予知サイトでも取り上げられ、私は俄かに「予言者」のような扱いをされたこともあります。それにいい気になってか、地震雲とかにやたらと敏感になって「いついつ来ます」って言ったら見事に外れ。目が覚めました。今となったら笑い話ではありますが、もし当たってたら、今は違う人生を送ってるかもしれません。波動を注入した石ころを10万円で売ってたりしてね(笑)
そんなわけで、今さら「予言」って言っても珍しくないし、そのほぼすべてが外れて消えていくわけですが、中には人の心を捕える「予言」も時には出てくる。その一つが今回の「コテ造ブログ」なんです。
このブログが人々の心をつかんだ理由は非常にシンプル。
・予言の描写が細かくビジュアル化しやすいこと
・「天使」の声を聞ける「子ども」が発信者であると言う設定
そう言えば以前、「石と対話できる少女」の石が販売されてたのを見たことあります。いわゆる開運グッズですが、その少女は単なる劇団員。確か詐欺で捕まったんじゃないかな。経営者が。ま、人は子どもとかペットには弱いわけで、「子どもが天使からメッセージを授かっている」なんて設定は、スピリチュアル好きにとってはタマラン舞台設定ですもんね。
もしこれが「41歳独身ニートの妄想」だったとしたら、「まずは働け」って言われて終わり。何度も言うように、重要なのは「印象」であって、中身そのものじゃないんです。なので、私なんかがそれを批判しようものなら、「子ども」を批判しているように思われて、逆に攻撃されてしまう。そもそもその設定自体が怪しいわけで、私の読解力では、完全なる創作にしか読めませんもの。
もちろん子どもはいたとしても、きっと自分のあずかり知らぬところで話題になっていて、何も知らないままブームは去って行くのでしょう。息子じゃなくて甥をモデルにしてる気もしますけどね。そのブログのコメント欄は閉じていますけど、他のコメントをしている人とちょっと意見交換した際、こんな人がいました。プロフィールを見るとシータヒーリングとかしている女性でしたが、「目を瞑ると母と子の温かさが伝わってきます」などと言うのです。う~ん、それはないね。でも、その人にとっては文章の内容とか影響なんかより、「母と子の温かさ」にフォーカスしてしまっているので、私が意見を申し上げようものなら、その「温かさ」に対する批判のように反応してしまう。
しばしばスピ系の人の中には「感情は正直である」と言う人がいます。つまり理性的判断よりも、「感情」の方が正確ってことでしょうか。でも、これは事実ではありません。例えて言うなら、映画を見ていた時、それは単なる物語(作り話)であったとしても、感情は素直に反応するでしょ。ホラーを見たら恐怖心を覚えるし、感動物語を見たら涙が出る。もちろんそれは悪いことではありません。感動物語を見て涙を流すのは、人間らしい素直な感情ですから。
しかし、映画という舞台設定であれば、感情は動いたとしても、理性ではそれを「作り話」だと知っている。だけど感情は素直に反応する。言い換えると「感情は作り話に反応する」のです。ですので「コテ造ブログ」の予言についても、そもそも「母と子と天使」って舞台設定があって、その「情報」に対して「感情」が動いたとしても、それが「事実」であると言う保証はありません。
むしろインターネットというバーチャルな世界であり、その情報自体が何らかの影響を社会に与えるもだとすれば、まず疑うべきは「感情」です。あえて感情を静めて、テキスト(文章)を冷静に読んでいく。するとその話が「創作」であることが簡単に浮き彫りになります。
もう一度まとめますと、ブログに限らず本でもテレビでも映画でも、「作品」と呼べるものは、すべて二重構造になっています。つまり、、、
・意識:言葉・メッセージ
・無意識:感情・インプレッション(印象)
の構造。そして「意識」と「無意識」の力関係においては、「無意識」の方が遥かに大きいって事実からして、まさに反応するのは「印象」そのものなのです。「世界平和」なるメッセージをそのまま伝えても、誰の心にも響きません。しかし「世界平和」を例えば音楽であったり、小説であったり、映画などに乗せて伝えると、人々の心を直撃することがあります。商品マーケティングでも同じ。
例えばTOTOの「温水洗浄便座」なんか、それが普及する前は、誰も必要だと思わなかったわけです。そこで「ニーズ」を植え付けるために取られる手法がまさに「コピーライティング」です。普通なら「大便の後は温水でお尻をキレイにしましょう」ってのがメッセージですが、それでは絶対に普及しない。そこで登場したコピーが「お尻だって洗って欲しい」です。このコピーはなぜか感情を動かします。
また、わかりにくい例かもしれませんが、クラリネットにはフランス製とドイツ製があって、一般的に日本で使われるのはフランス製。ドイツ製は値段も高いし運指も難しいので敬遠されます。しかし元ベルリンフィルの名手カール・ライスターの音に対してある評論家が「カスタードのように甘く滑らかな音」と評しただけで、ドイツ製に走った日本人奏者がいたと聞きました。
世の中のコピーはすべてそうです。メッセージをそのまま伝えても広がりません。そこで「感情」に訴えかける文章を一言で表現する。これがコピーライターの才能であり、その代表的人物として糸井重里がいることはご存知でしょう。
同じように「8月×日に地震が来る」ってメッセージをそのまま言っても、絶対拡散されません。でも、言いたいことはそれでしょ。防災意識を高めようなんてことは今さら言う必要もない。当たり前のことだから。ですがそのメッセージを何らかの「舞台」に乗せて発すると、ものの見事に拡散することがあります。もしもそれが「商品」であれば、そのブログ主はかなり稼ぐことができるでしょう。もし仮に、その日に何らかの災害が起り、実際に被害があったとしましょう(もちろん予言とは何の関係もありませんが)。そこで登場するのは何か。おそらく「銀行口座」でしょう。これだけの顧客リスト(読者)を持っていたら、義捐金を集めることなど簡単。もちろんそんなに露骨にはしないと思いますが、311の後も芸能人を中心にたくさんあったじゃないですかね。「コテ造基金」なんて出てきたらビックリですけどね。
つまりこれが「拡散」のメカニズムなのです。ツイッターなどはその点が上手くできていて、140字でいかに「感情」を動かすかが重要。茂木健一郎さんなども、その辺の可能性が面白いと言っていました。糸井重里、リリーフランキーなどもツイッターを上手に活用しています。中島らもが生きていたら、もっと面白かったのに。
今回の「予言ブログ」についても、内容自体は今までの寄せ集め。一説によると「地震解析ラボ」の測定に便乗したって話もあります。しかしここで拡散した原因は「予言内容」ではなく「天使のメッセージ」であり「母と子の温かさ」なのです。冷静に考えたら、「オマエ、明日、車にひかれるよ」って言われて「ありがとうございます」と言えるはずないのに、そこに「印象」のいい「舞台」が敷かれると、メッセージそのものよりも「舞台」に心が奪われてしまう。「舞台」という高性能の乗り物に陳腐なメッセージが乗って拡散しているだけ。
これが今回の騒動の本質なのです。もちろん私は「地震が来ない」とは一言も言ってません。地震大国ですので、いつだってその可能性はあります。もちろん予言された日に来る可能性もありますが、予言とは何の関係もありません。そしてそんな予言を信じることと、精神性・霊性とは何の関係もありません。スピリチュアリストが果たす役割は予言を拡散することではありません。
あくまで冷静な目で本質を見抜き、人々を覚醒に導くようなメッセージを発信し続けることじゃないでしょうか。その意味で、冒頭の鈴木啓介さんの投稿は、まさに「同士」として心強く感じたものです。スピリチュアルとは何か、覚醒とは何か。まさにこれからの時代が真に求めるテーマでしょう。それでは今日はこの辺で。ありがとうございました。
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