「世界」の真実 2011.6.26

 今日は午前中、税理士さんの事務所に行きました。自宅から車で5分。PCと資料等を持って10時から打ち合わせ。いろいろ自己流でやっていたので、かなりダメだしされる覚悟でいましたが、確かに不備はあるものの、とりあえず決算書・申告書は作成できる段階ではありました。私の方は水曜日までのその不備を修正して、晴れて税務署に「納税」となれるわけです。ま、ぶっちゃけ余分な出費には違いないのですが、会計意識を高めるためにはいい勉強です。来期の目標設定もしやすいですね。

 ところで先日、「今日も霊の正体に迫ろうと思います」って記事を書きましたが、何かと反響があったようです。その記事に「めぐみさん」という方から、次のようなコメントを頂いています。


相変わらず表現力がすごいですね。精神世界関係のブログをいくつか読んでいますが、Qさんのがダントツしっくりきます。この前の霊はいないのエントリーを読んだ後にジョギングに行ったら、突然「あ、ホントだ。私たちは『この世』も『あの世』もひっくるめた世界に存在していて、五感で感知しているものは薄っぺらい影のようなものなんだ」という考えが本当に腑に落ちました。

バシャールの言葉で私が一番好きなのに"Circumstances don't matter; only state of being matters." (ざっとした訳:環境が問題なのではない。自分の状態が問題なのだ)というのがあります。あの方は語呂合わせが上手で、"matter"という動詞を「問題である」と「物質化する」という二重の意味で使っています。つまり、三次元での変化を求めるのなら自分が変わるしかない、ということと解釈しています。

私達の観念とか潜在意識への刷り込みは投影機みたいなもので、現象界を変える一番有効な方法は、影をやっきになってコントロールしようとするんではなく、それを作り出しているフィルムとか、フィルターとかを変えないと駄目なんでしょうね。

それを潜在意識レベルでやってくれる、つまり本当の意味で変わるお手伝いをするのがQさんの御仕事だと私は勝手に思ってます。

あ、そうそう、私はすごく怖がりで、日本にいた子供の頃は怪談なんて全然聞けないほどでした。アメリカに来てからは怖くなかったんですが(この環境には怖い話が関係していなかったので)、最近またそういう話をネットで読み始めてから家で独りでいるのがちょっと怖くなってました。でも、この一連のエントリーで全く怖くなくなりました(笑)。ありがとうございます。



 ありがとうございます。この方が私の知っている「めぐみさん」であるとすれば、考えられないくらいに「左脳的」なお仕事をされている方です。日本人ですが英語はほぼネイティブ。最近、私のブログの読者さん、セミナー・コーチングに参加される方に、めちゃくちゃ左脳的な仕事をされながら、スピリチュアルへの理解がとても深い方が増えてきたように思います。と言うか、私が左脳的でスピ好きだから共鳴し合うだけなんでしょうけど。

 で、コメントを読んで私もちょっと整理しておきたいことがあるので、今から書きます。そもそも「世界のとらえ方」ってのは、二通りしかありません。それは、、、

1.「世界」は「私」が作りだして存在している
2.「世界」は「私」とは関係なく存在している


の二通りです。端的に言えば、1が「主観主義」、2が「客観主義」とでもいるのでしょうが、まずは「霊」などがとてもわかりやすいです。つまり「霊」は私が勝手に作り出しているってのが1で、「霊」は私とは関係なくすでに存在しているってのが2です。

 そしてこの「主観主義」と「客観主義」の対立は、実は何千年にも渡る哲学的な大命題だったわけです。あんまり難しい話をするのは避けようと思いますが、もう一度、言い方を変えて整理しますと、このようにも言えます。

1.「私」がいないと「世界」はない
2.「私」がいなくとも「世界」はある


 さあ、どうでしょう。どっちの方がしっくりきますか。このような言い方をすれば、おそらく大多数の人が「2」を選ぶと思うのです。だって、普通に考えたらそうじゃないですか。「1」の立場だと、「私」が死んでしまえば、この「世界」がなくなるってことですから、そんなのはあり得ないじゃん、、、って考えると思うのです。常識的に。だって爺ちゃんが死んでも世界はあるし、最近では、、、長門裕之が死んでも、まだ世界はありますからね。

 だけど、私が行ってるのは「爺ちゃん」でも「長門裕之」でもなく、「私」の話です。つまり、厳密に言えば「私」はまだ死んでいませんし、死んだ経験のある「私」は存在しません。よく言うのですが、「臨死体験」は「死」じゃありませんからね。臨死体験によって見てきた世界が死後の世界だって言う人もいますが、それは「臨死体験の世界」であって「死後の世界」ではないので、その辺の区別は重要。

 なので「私」は実際にいなくなってみないと、「1」と「2」とどっちが正しいかわからないのですが、だけど今それを実証するのは永遠に不可能です。ですので「1」か「2」かは、あくまで考え方であり、哲学的命題を超えることはないのです。

 そして歴史的な趨勢を見ていると、例えばお釈迦様は「1」だと思うし、その考え方は実のところ支配的だったと思うのですが、この2~300年でいきなり「2」が優勢になって今日に至ります。歴史的には「2」のことを「近代(モダン)」と呼び、それがいわゆる近代科学(西洋科学)を支えてきたのです。そして私たちの多くも、近代科学をベースとした教育を受けてきたので、普通に考えるとやっぱり「2」が正しいんじゃないかって思うわけです。

 ですが、20世紀に入って「ちょっと待てよ」と言った人たちがいます。物理学では「量子力学」であり、哲学では「現象学」です。おそらく「心理学」や「人智学」もその流れだと思います。ちなみに、、、一年ほど前に知って感動したのですが、「現象学」の祖であるフッサール、「心理学」の祖であるフロイト、そして「人智学」の祖であるシュタイナーは、、、なんと同じ先生から哲学を習っていたそうです。その先生の名をブレンターノと言います。

 どうでもいい話ですが、1997年に世界一周した時、「世界の名著 62 ブレンターノ・フッサール」って本を持って行ってました。ここには後期フッサールの代表作である「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」って論文が収められてて、完全に読破したわけじゃないですが、当時、かなり感銘を受けてしまいました。「ヨーロッパ諸学」ってのは、つまり「2」であり「近代科学」のこと。今、これが「危機」に陥ってる、、、と言うより、それによって「世界」が危機に陥ってますよ、、、との警鐘を鳴らす論文でした。まさに「2 vs 1」なのです。そしてこの本を放浪中に読破しようと、重い荷物を持って行ったにも関わらず、オランダで盗まれてしまいました。アムスの蚤の市で自転車を購入し、サブバックごと放置した隙に盗まれたのです。ただ、そのサブバックには、そのような思い書物、辞書などが入ってるだけで、盗人はさぞガッカリしたことと思います。お金、パスポート、日記はすべて無事だったのですから。

 で、なぜだかこの盗まれた事件を契機かどうか、私は「哲学書」を読むことがなくなり、現象学の本も開かれることはなし。だけど、、、ここ5~6年、精神世界の勉強とかしていると、昔に夢中で読んだ「現象学」との接点がめちゃくちゃ多くて驚きなのです。やっぱり人生において無駄なことは一つもない、、、とつくづく思うわけですが、話を戻します。

 結論、と言うか私の考え方を述べると、私は限りなく「1」が真実だと思っています。つまり「私」がなくなると「世界」はなくなるのです。もう少し正確に言いましょうか。つまり「私」がなくなると「(私にとって意味のある)世界」はなくなるのです。当然のことながら、「私(石田久二個人)」がいなくなったところで、地球が滅びるなんてことはないでしょう。ないと考えるのが自然です。

 だけど、私にとって意味のある世界は、「私」の消滅と同時になくなります。つまりこう言うこと。「私」は常に自分にとって意味のある「世界」でしか生きていないわけです。さらに言えば、「私」は常に「世界」に対して何らかの「意味」をつけて生きているのです。この辺のこと、、、阿部さんとか黒斎さんとか夢駆さんなら、もっとわかりやすく表現するところだろうな~と彼らの才能が羨ましく思うところ。すいません、表現能力が不足していて。

 繰り返し言いますが、実は「世界」とはすべて「私」が何らかの意味づけした世界のことです。言うまでもないですが「私」ってのは石田久二のことじゃないですよ。これを読んでる人、そして世界中の人のそれぞれが「私」なのです。
 
 ようは世界には70億人の人類がいて、その数だけ「世界」があるわけです。「世界」の中に70億の人類がいるのではなく、70億の人類それぞれに合計70億の世界が存在するのです。ですので、私には私の世界があり、あなたにはあなたの世界がある。人の数だけ世界があるので、例えば私がなくなれば私の世界はなくなるってこと。これでどうにかご理解頂けるかな。

 もう一度言いますが、「世界」は「私」に先行してすでにあるのではなく、「私」がいるから「世界」があるのです。そして「私」は常に「世界」に対する「意味づけ」をしていて、その「世界」で生きているだけなのです。となると「私」にとって大切なのは、「世界」に対する「意味」そのものじゃないかとなるのです。そしてその「意味」とはまさに自由自在。それがしばしば言う「人生は考え方で決まる」のベースなのです。

 ですので、「霊」もいると言えばいるし、いないと言えばいない。茂木健一郎氏が「クオリア」と呼ぶ、目の前の世界に対する言葉にできない「この感覚」に「霊」と名付けてしまえば霊になるし、「仏」と名付けてしまえば仏になるし、「精霊」と名付けてしまえば精霊となる。

 そして私たちは常に「この感覚」とともに生きているのですが、それを認識する際に用いるフィルターこそが「五感」であり「意識(言葉)」なのです。そしてこの「フィルター」のことを「意味」と呼ぶのです。なんとも言えない「この感覚」に「霊」というフィルターをかぶせれば霊になる。だけど、そもそも「その感覚」には関心がなく、フィルターも何もない人には霊が見えない。ただそれだけのことなのです。

 ですので、これは私の「願望実現」の基本的理念にもなります。もう一度言いますが「世界」とは個々人がそこに意味づけした(フィルターを通した)世界でしかないわけで、その「意味(フィルター)」を変えてしまえば、世界は一瞬のうちに変わるし、それが「願望実現」に直結した意味であれば、それはそうなる。そこでこのような「質問」が成り立つわけです。

「あなたはどのようなフィルターを選んで生きていますか?」

 どのような「フィルター」を選ぶかだけが、私たちの「人生」において大切なのです。例えば「貧乏」というフィルターを選んでいたら、その人の構成する世界は貧乏な人生になる。「金持ち」というフィルターならば、その人の構成する世界は金持ちの人生になる。これはすべてにおいて成り立ちます。つまりはフィルターを通さずして存在する「世界」は「私」にとっては絶対にあり得ません。「世界」とは「フィルター」を通した意味づけされた世界でしかないのです。

 しかし、、、時としてこの「フィルター」を手放して「世界」をとらえる瞬間があります。それがまさに「悟り」です。基本的に生まれたて赤ちゃんは「意識(言葉)」を持たず、最小限度の「五感」しかありません。少なくともその五感には余計なプログラム(アンカー)は組み込まれていません。そのようなほぼ「無色透明」のフィルターで世界を見ること。これを「悟り」と言うのです。

 ですので、しばしば聞かれるのですが、いわゆる悟った人ってのは、24時間悟りっぱなしなんですか?と。言うまでもないですが、そんなことあり得ないですよね。だけど、いわゆる多くの人と違う点があるとすれば、いわゆる「悟った人」は、少なくとも自分が悟ったことを知っている人のこと。だけど、それがイコール24時間悟りっぱなしでは決してありません。

 「悟る」とは「フィルター」を限りなく「無色透明」にして世界を見ること。だけどその前に、もしも今日のブログに共感頂けるのであれば、まずは私たちの「世界」は「フィルター」を通した世界であることこと「理解」すること。まずはそれだけで「悟り」とは何たるかが、なんとなくお分かり頂ける一歩になると思うのです。そんなわけで、コメントを頂いためぐみさん、ありがとうございました。それにしても、なかなかお会いするタイミングが合いませんな~(笑)。

 さてさて、夏風邪もよくなったことだし、また新たな活動に向けて進みたいですね。とりあえず申告と納税が終わったらすっきりさわやか。そろそろパスポートとインドビザも取得しないとね。それから7月1日から第三期の福岡NLPセミナーがスタートします。このセミナーが「願望実現」がテーマですが、ベースとなる考え方がまさに今日書いたような話。世界はフィルターである。全6回でなんとかフィルターの存在に気が付き、そして自分の好きなフィルターにかけ直せるようなお手伝いができればな~と思っています。関心のある方は、ぜひお待ちしています。ありがとうございました。

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Commented by めぐみ at 2011-06-28 12:05 x
はい、ご存知通りのめぐみです。 わー恥ずかしー。 コメントで本当は天使関係のこととかもっと書きたかったんですけど、Qさんはイヤと言うほど知っておられることですし、あまりに長くなりそうだったのでやめました。 霊のこととか、音楽のこととか、こういう切り口をしている方はあまりおられないんですよね。 左脳人間にスピ系はハンデがあるので、Qさんばんざい、ありがとう、です。

Q州ツアーもインドも都合が合いませんが(涙)、その内絶対お会いできると思います。 ベストなタイミングで(と私が決めたので:笑)。
Commented by katamich at 2011-06-28 18:57
■めぐみさん!
ですね。ベストなタイミングで!
by katamich | 2011-06-26 23:39 | ■精神世界 | Comments(2)