今日も霊の正体に迫ろうと思います 2011.6.23
2011年 06月 23日
そして今日も弥生会計とにらめっこ。今さらながら、会社に営業部と経理部が分かれてる必然性を感じます。営業は経理を軽く見る傾向があるのだけど、そんなこと絶対ない。ちなみに企画・開発部門は営業を軽く見る傾向があるけど、それまたとんでもない話。組織ってのは何が欠けても、何の比重が軽くなっても機能しないわけですので。私のように一人でやってると、当然、企画・営業・経理も一人でする必要がある。今まで経理を蔑にしてきたとこがあるので、一期はともかく二期は経理の健全化を課題に一つにしたいと思います。これからどうなっていくかわかりませんしね。
ところで、、、最近、「霊はいない」って論調で書いているのですが、どちらかと言うとスピリチュアルカテゴリにあるこのブログで「霊はいない」って発言すると、なかなか反響もあるようです。確かに「スピリチュアル=霊性」などの意味にもなりますので、この分野では「霊」を前提として話が進められる節も無きにしも非ず。ですので、はっきりと「霊はいない」って言いきってしまうこのブログなど、いわゆる霊性・精神性の高い人たちからすれば「読んじゃいけないブログ」ってことになるのでしょうか。ぶっちゃけ、昔そのように言われたこともありましたもんね。波動が低いとか。
そもそも「霊」なんてものは、一種の洗脳のようなもの。最近見なくなりましたが、一時期、江原啓之とか細木和子とかがテレビに出まくっていた時期がありましたよね。あんな番組をリテラシーのない少年少女が見ちゃうと、どうしても「霊」の存在を疑えなくなってしまう。そもそも霊とかUFOってのは視聴率の取れるジャンル。それこそ20世紀後半はその手の番組があふれていましたが、いわゆる「オウム」以降はメディアも自主規制。それが1995年でしたが、それから10年ほどして、オウムの影響もほとぼりが冷めた頃、やっぱり視聴率の魅力には勝てないのか、江原啓之ってアイコンが登場したわけです。
私がスピリチュアルなる世界を知ったのが、ちょうどこのブログを始めた頃の2004年。まだ「オーラの泉」もやってなく、「エグラ開運堂」ってのが深夜にやってました。江原氏に霊視してもらった素人の女の子たちがマジ泣きする番組。あれはあれで面白かったんですが、まさかこんなにブームになるなんてねえ。
白状すると、私はあの当時、それこそ「精神世界」にどっぷり。同時にいろんなことが一気に開花。滝行にも出会うし、それこそ「霊」だってバンバン見えた。特に2005年2月の「21日滝行」をやってる時など、会社の業務も死ぬほど忙しくて睡眠時間もあり得ないほど少ない。週に3~4日は徹夜が当たり前で、一日が48時間なんて日々が続いてましたもん。人間ってのは、睡眠時間を削られ、その上で真冬の滝行なんかしちゃうと、、、いわゆる「霊」を見ちゃうもんなんですね。途中から滝行中に「人の声」が聞こえてきて、導師に言わせると、それは「霊音」と呼ぶのだそうです。ある日、「カー!!」みたいな声と共に、滝の中から突き飛ばされたこともあって、あれがもし「菅生の滝」だったらしゃれにならなかったところ。また、社用車で出かけて会社の駐車場に入ってふと、力を抜いて正面を見ると、、、得体の知れない浮遊物がふらふらしていて、驚く元気もなかったので「あ~また霊か~」と呆然と眺めていました。その当時のブログを見ると、完全なる「オカルトブログ」になってましたもんね。
ですので、当時はそれこそ「霊」の存在を疑うことは決してなかったわけですが、なのに今になってなぜに「霊はない」と断言できるのか。ただね、ここまで歯切れよく言って後で言うのも心苦しいのですが、実は「霊はあると言えばあるし、ないと言えばない」ってのが一番正確な見解なんですよね。「どっちなの!」と聞かれても、やっぱり「あると言えばあるし、ないと言えばない」としか答えられない。
ですので、もし誰かがら「霊に会った」と言ってきても、それを否定する気はまったくありません。それはUFOや宇宙人も同じこと。もしもそれが「幻覚」であったとしても、それも含めて見たのは事実でしょうから否定する必要もない。先日書いたように、パキスタンのラワールピンディって街のホテルで、同室だった川崎さんが、私が外出している間に「部屋が宇宙人に占拠されてた」と言ってきたのですが、私にはその痕跡が見えなかったものの、彼は確かに宇宙人と会ってしかもアドバイスまで受けていたのです。イランで買った風邪薬を大量に飲んでいたためか、宇宙人から「水を一気飲みして7分後にトイレに行け」など具体的なアドバイスをされてたのですが、それなど彼の防衛本能からすれば、「薬を洗い流せ」ってことだったのかもしれませんので、そのアドバイスはとても意義があったわけです。
では、そもそも「霊」って何なの?ってことですよね。大切なのは。私は今、「霊はいない」と言いながら、過去には「霊に会った」ってブログに書いてます。何度も。そこで最近、「あ~そういうことか」とわかったことが色々あるので、その話をしたいと思うのですが、、、ブログでどこまで表現できるかなあ。
まず私たちが認識しうる世界ってのは「この世」と「あの世」があって、私はそれぞれ「この世=意識の世界」、「あの世=無意識の世界」て位置づけをしています。「あの世=死後の世界」ではありません。言葉の定義上の話かもしれませんが、ここんとこはとても大切。そもそも「死後の世界」もありませんからね。で、広さで言うと、これはもう比べものにならないくらい「あの世」の方が広い。「意識<無意識」って図式からもご理解頂けると思いますが。ですが、私たちは常に「この世」と「あの世」を行ったり来たりしています。だけど、一応の基本ベースの世界は「この世」です。
実は「この世」ってのは「あの世」の一部に過ぎないのですが、私たち人間はたまたま3次元である「この世」に波長を合わせて生きるようになっていて、いわゆる五感で知覚できる世界ってのは「この世」のことなんです。そしてそこに波長が合ってるので、この目の前の世界に臨場感や現実感を持って生きているのです。だけどそれは「たまたま」なんです。ホモサピエンスとしての人間の知覚器官が、たまたま3次元である「この世」の認識に長けているからであって、本当の世界ってのは言うまでもなく「この世」の外にず~っとず~っと広がっている「あの世」にあるのです。それがまさに「無意識(潜在意識)の世界」です。そして面白いことに「この世」ってのは常に「あの世」に影響を受けながら成り立っていて、いわゆる「願望実現」についても、とにかくも「あの世」にアプローチせねばあり得ないわけです。その一番の方法が潜在意識そのものである「身体」を活用する「行動」って奴ですけどね。
だけど、人は時として、「あの世」に身を置いていることもある。例えば「睡眠時」がそうです。「夢」なんてのはまさに「あの世」です。そしてヘミシンクもそう。とみなが夢駆さんが「現実を10として夢を2としたら、ヘミシンクで見ている世界は8~9くらい」って言ってたと思うのですが、ようは「現実10」以外の世界はすべて「あの世」と言うことができます。それ以外にもいわゆる「変性意識状態(トンラス状態)」などがそうですし、もっと言うと、ボ~っとして意識がここにない時もそう。つまり「今ここ」以外はすべて変性意識状態だし、ようはその程度問題ってこと。
ですので私が「無意識(潜在意識)」と位置付けている「あの世」の世界には、確かに霊も宇宙人もいる。ただ、本来的には形も何もないものだけど、人それぞれに経験や知識に基づく「フィルター」によって姿が変わることがある。時には別々の人が同じ「姿」の霊を見ることもあるのだけど、その人たちが無意識レベルで共鳴していたらそれもあり。教祖などの場合は、いわゆる信者に対して強烈な共鳴を呼び起こされるので、教祖が見えるのと同じ「霊」を見せることも可能。
じゃあ、そもそも「霊」の正体って何のかって話にもなると思います。「無意識」の中の「情報」と言ってしまえばそうですが、もっとリアルなものとしてどう考えればいいのか。実はつい先日、ある本で面白い文言を見つけました。苫米地英人さんの「お釈迦様の脳科学」って本ですが、本の内容自体はともかくとしてその序章に個人的に興味を引く一文がありました。
「本人に自覚があるかわかりませんが、茂木(健一郎)氏の唱える『クオリア』とは簡単に言うと『霊』のことです」
苫米地さんが茂木さんのことを言及しているのはあまり読んだことないので、この一文はとても興味深いです。「クオリア」ってのはとても難しい概念なのですが、「感覚の質」とでもいえるのでしょうか。例えば「赤」って色がありますが、「赤のその赤らしさ」ってのは完全に主観的なもので、その「質感」そのものを客観的に処理することはほとんど不可能に近いですよね。茂木さんは、その「クオリア」の正体を解明することを、研究者としてはもちろんライフワークとしても取り組んでいるのです。
これ読んで苫米地さんって人はやっぱり面白いこと言うな~と思いました。実は茂木さんってのは、別に江原裕之と親交があるからとかじゃないですが、そもそもオカルトが好き。オカルトと言っていいのかわかりませんが、ようは「心霊現象」にものすごい関心を持っている人なのです。
ノーベル物理学賞を取ったブライアン・ジョセフソンって人がいるのですが、その人は「ジョセフソン素子」なる研究で学会の最前線に立ちノーベル賞を受賞したのですが、それ以降、何をしているのか謎に包まれているとされていました。ジョセフソンは実は、、、オカルト(心霊現象)の研究をしていたのです。そこに光を当てたのが今を時めく二人の研究者、茂木健一郎氏と竹内薫氏です。二人はなんと、、、ジョセフソンの「オカルト研究本」の翻訳・解説を出版しているのです。
ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの「科学は心霊現象をいかにとらえるか」
元訳は「超常現象とプラトン世界」。この本は実に面白い。足がムズムズするほど面白い。全体的に難解ではあるのですが、茂木氏と竹内氏の解説を読むだけでも価値があります。この本の読みどころはいろいろあって、例えば「音楽」の話とか震えるほど面白いのですが、言わんとしているのはまさに「クオリア」の解明とでも言えるのでしょうか。(ついでに言うとこの本は絶版になってて私は原価よりちょっと安いくらいで手に入れましたが普段は何倍も値がついています、、、が今は300円台!おい!)
音楽を聴いた時時、確かに物理的振動としての「音」を認識することはできます。だけど、特定の音楽を聴いた時の感情の湧きあがりやイメージ、感覚などは単なる物理的振動としてのみとらえることはできないですよね。モーツァルトの音楽を聴いた時の「この感じ」は一体何なのか。同じギターの演奏でも、生音とアンプを通した音とでは、その「質感」が違うけど、それは一体何なのか。この感覚がクオリアであって、この言葉にできない「この感じ」こそが、、、実は「霊」の正体なのです。わかんなくなったかな。
例えば亡き祖母のことを考えたとします。その時、普通にはない「この感じ」がありますよね。どう説明したらいいのかわからない。この感覚。セミナーでも言ってるように、「潜在意識」とは「身体(感覚)」のこと。それに対して「顕在意識」や「言葉」のこと。科学ってのは極論すれば「言葉」による説明です。つまり科学の科学たるゆえんは「言葉」でその世界を表現できること。それに対して感覚やクオリアってのは、そもそも「言葉」では説明できないのであって、果たして科学の対象としてあり得るのかって議論があるのです。茂木氏はなんとか科学の言葉でクオリアを説明したいのか、または従来の科学にはないパラダイムで説明したのか。その両方か。いずれにせよクオリアを解明するってのは、茂木氏が言う通り、ノーベル賞10個分以上の価値がある、いや、それどころじゃないかもしれません。
だけど、私たちは明らかに「言葉」を超えた世界を今まさに生きています。ジョセフソンの言う「プラトン世界」のことですが、私はそれこそを「あの世」と呼んでいるのです。つまり、「あの世」なんてのはそもそも「言葉」で説明できないもの。以前、このブログで書いたのか、どっかでしゃべっただけの中わかりませんが、「モーツァルトの音楽こそが宇宙人だ」と言ったことがあります。つまり一般的なグレイ型宇宙人のような、「この世」の認識方法で目に見え、言葉で説明できる限りのものが宇宙人ではないのであって、その限りで言うと、私たちが宇宙人に遭遇することは絶対にないと言えるのです。だけど、モーツァルトの音楽のようななんとも言葉にできない「この感覚」そのものを「宇宙人」と言えば、確かに宇宙人は存在するし、実際に会っているわけです。
で、いずれにせよ私たちは言葉で認識できる「この世」を生きながら、同時に言葉を超越した「あの世」を生きています。砂糖の説明はできても、砂糖の甘さを説明することはできないように、私たちは常に言葉を超えた「あの世」の世界に生きているのです。しかし「この感覚」をどうにかして伝えたい、、、そう思った時に出てきた言葉がまさに「霊」なのです。
最初に「霊はいない」と言いましたが、それはあくまで「この世」の論理での話。「あの世」には言葉にはできずともしっかり存在しています。だけど、私たちはとりあえず言葉でしかコミュニケートできないので、「この感覚」のこと「霊」と名付けただけ。
例えば同じ場所にいても、ある人はそこになんとも言えない「この感覚」があるのに対し、別の人は何も感じない。感じない人はそのままですが、感じる人はどうにかして「この感覚」を客観視したい。その時の名前がまさに「霊」なのです。なので人それぞれ「この感覚」は違うわけで、同じものを見ていても、表現方法は違うわけです。なぜならそもそもそれは「言葉」で表すことができないのだから当然のこと。ある人はラファエルと言い、ある人は不動明王と言う。「名前」をつけて「この世」的解釈したら違うけど、そもそもの「この感覚」の大元は同じ。
そんな話なんです。ま、この辺のことはまさに「言葉」で表現することが難しいので、これからもちょくちょく取り上げていきたいテーマではあります。実生活には何の役にも立ちませんが。それではまた明日。ありがとうございました。
このポチって感覚も霊なのです!
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少しピントがずれますが、池田明という人が、胎内記憶の研究そしています。Qさんも胎内記憶がありますか。
まだまだ書きたいことが山ほどありますよ!

自分という個体を通してしか知覚できないので、
自分はみえるけれど隣のひとは見えない、その逆もあり。
肉体のチューニング具合によって見る聞くものが違うのは
当たり前なのだけど、感覚器官は大体同じ仕様だから
大まかには同じとされる。
同じ楽器で同じ曲を弾いても、違う音楽になるように。
そんな風に受け取りました。
ありがとうございます。その通りと思います。

バシャールの言葉で私が一番好きなのに"Circumstances don't matter; only state of being matters." (ざっとした訳:環境が問題なのではない。自分の状態が問題なのだ)というのがあります。 あの方は語呂合わせが上手で、"matter"という動詞を「問題である」と「物質化する」という二重の意味で使っています。 つまり、三次元での変化を求めるのなら自分が変わるしかない、ということと解釈しています。
(すみません、長くなったので分けて投稿させていただきます)

それを潜在意識レベルでやってくれる、つまり本当の意味で変わるお手伝いをするのがQさんの御仕事だと私は勝手に思ってます。
あ、そうそう、私はすごく怖がりで、日本にいた子供の頃は怪談なんて全然聞けないほどでした。 アメリカに来てからは怖くなかったんですが(この環境には怖い話が関係していなかったので)、最近またそういう話をネットで読み始めてから家で独りでいるのがちょっと怖くなってました。 でも、この一連のエントリーで全く怖くなくなりました(笑)。ありがとうございます。