おばあちゃんの命日 2011.6.20
2011年 06月 20日
初日の「潜在意識編」はオールドコードNLPを中心として組み立て、二日目の「超意識編」はニューコードNLPのコンセプトに私独自の手法を散りばめる感じかな。キネシオロジー、瞑想、オンサなどなど。二日目の午後から一人ずつメッセージを届けて行くのですが、本人は選んだ二本のオンサを聞きながら、「超意識」へとアプローチしていくのです。私は「潜在意識」と「超意識」をあわせて「無意識」と位置付けてるのですが、「無意識」ってのは身体、、、とりわけ小脳の「脳幹」がセンサーとなって反応するため、それぞれのチャクラと対応するオンサを鳴らすことで、そこからのメッセージが脳幹を伝わって前頭葉へと送り込まれます。これをチャネリングと言うわけです。
オンサってのはとても面白くて、同じ周波数のものを響かせる働きがあります。ですので、それぞれのチャクラ、、、つまり「身体」であり「潜在意識」の集結部のことですが、そこと何らかの共振がおこることによって、無意識にインプットされているメッセージが顕在化しやすくなります。今回の大阪では特にそれが顕著だったと思うのですが、実は東京の参加者からもちらほらメッセージを頂いております。詳しくは書けませんが、皆さまから頂いたメッセージよりものすごいシンクロが起っているとか。
そのことが今後、具体的にどのように結実するかわかりませんが、潜在意識や超意識の世界ってのはすべて「つながっている」ことを体感するワークにはなっているようです。ところで今回の大阪セミナーは、当初の予定日から諸事情により延期させて頂いたのですが、実は今回のこの日にとても大きな意味があったことを知りました。
実はセミナー翌日の6月20日は、、、私の祖母の命日だったのです。17日夜に実家に着いて、18日、19日とセミナー。そして20日の午後の新幹線で帰る予定だったのですが、ちょうどその午前中が空いていてお墓参りに行くことになりました。母方の祖母なんですが、とにかく思い出の多い祖母でして、拙著「宇宙となかよし」でもちょっとしたエピソードを挟んだりしています。
今回、大阪セミナーを延期して、そのおかげで満員御礼になったのですが、それも何となく祖母の差し金のように感じています。たまには顔見せに来いよ~みたいな。時々思うことがあるのですが、私って今まで何度となくピンチになりながら、その都度助かってきたわけですが、そんな時、真っ先に感謝するのって、、、実はご先祖だったりするんですよね。中でも真っ先に思い浮かぶのがその祖母です。実は白状しますが、、、何かちょっと困ったこととかあるとですね、、、どこかで「おばあちゃん、助けて~」とか思うことがあるんです。
そんな時、もちろん声が聞こえることはありませんが、どこかで「よっしゃ」と言ってなんとかしてくれる気がしてるのです。そしてその都度、、、やっぱり助かってきました。と言いながら、私は実のところ「霊」などいないと思っています。つまり祖母の霊が私の後ろにいて、見守ってくれているわけではない。とっくに成仏してしまっているし、この世に「霊」みたいな姿でやってくることは決してないわけです。
だけど、私の中にはしっかり存在してるんですよね。しかも確かなリアリティをもって。そしてそれで十分だと思うのです。ところで、ヘミシンクで一つだけどうしても腑に落ちない概念があって、それが「レトリーバル」なる概念。説明によると、死んだにもかかわらず、何らかの形でこの世に未練があって残っている存在を、ちゃんとあの世に帰してあげる活動とのこと。私にように「霊などいない」ことをわかっている人間にとっては、どうしても腑に落ちないところ。
だけど、、、なんとなくわからんでもない部分もあります。「レトリーバル」とはつまりは「先祖供養」のことであるとすれば、実は「未練がある」のは死んだ人ではなく、その人に対する、生きている自分自身の思いであって、それを解決させる行いのことではないかと。実は「供養」とは極めて相対的な概念。例えば祖母が亡くなったとしましょう。その祖母に対して、もしも孫である姉が未練を残していたら、その祖母は成仏してないことになるし、逆に妹の方はまったく未練がないとしたのであれば、その祖母は成仏していることになります。
ようは亡くなった人その一つの存在が「成仏」しているかどうかではなく、その人と関係してきた今生きている人たちの中で成仏しているかどうかが重要なのです。ですので、例えばお坊さんかなんかに「私の祖母は成仏してますか?」って聞く時点で、その人の中では成仏してないから、お坊さんは「それでは先祖供養しましょう」って話を進めるわけです。
もう一度言いますが、実体としての「霊」など存在しません。浮遊霊も地縛霊も存在しません。存在するとすれば、それは故人に対する自分の「思い」があるだけ。それが情報空間の中で臨場感をともなう「実感覚」として顕在化する、、、それに「霊」と名前をつけているだけ。ですので、例えば憑依体質などと呼ばれる人は、いわゆる「霊」の存在を単に強く思い込んでいる体質のこと。昔から「霊の話が好きな人のところに霊は寄ってくる」と言われますが、それもそのはずです。その人たちは霊に対する臨場感を勝手に持っているだけなので、それが顕在化しやすいのも当たり前のこと。
なので、本当のことを言うと、人間は死んでしまったらそれで終了です。死後の世界もなく、もちろん天国や地獄もありません。あるとすれば、もう一度言いますが、個人に対する「思い」が残っているだけ。そしてその「思い」は故人の年齢や死に方によっても大きく左右します。例えば死ぬまで健康で家族と幸せに過ごし、ピンピンコロリと大往生すれば、決してその故人に対して未練を感じることはないでしょう。だけど、不慮の事故や病気、自殺などの場合、どうしても故人への未練を感じてしまいます。東北の津波でお亡くなりになった方々に対しても、やっぱり未練を感じてしまいます。
だけど、もう一度言いますが、「未練」があるのは故人ではなく、今生きている私たちの方なのです。今、ヘミシンクを一生懸命している人の中には、津波でお亡くなりになった方々へのレトリーバル活動が盛んに行われているようですが、言うまでもなく故人の霊はそこにはありません。あるのは活動する人たちの心の中。ですので、私などは今後、どんなにヘミシンクを一生懸命やったとしても、最初から「霊など存在しない」ことを知ってるので、レトリーバル活動はできないと思うし、それはそれでいいと思っています。
だけど、、、どんなに「霊」が存在しないと言っても、私が祖母に感じている「思い」は存在します。祖母はもうこの世にはいないけど、私の心の中には存在します。それこそこの写真の時期のように記憶のない頃から、
私が大学生で亡くなる直前のことまで、しっかりと存在しています。そしてもちろん時々は思い出すこともあって、いつも感謝している一方で、何かあると「助けてくれ~」と手を伸ばすことも。そして、それでいいと思ってるのです。
今回、いろんな偶然が重なって6月20日の命日にちょうど実家にいることができたのですが、これも祖母に対する私の「思い」がそうさせたのだと思います。だけど、それもこれも含めて、私はあえてこのように表現しています。
「おばあちゃんに呼ばれた」
何年かぶりに墓参りで祖母の顔を見ることができました。きっとこれからも助けに来てくれるだろうし、ちょっとねだればお小遣いだってくれると思います。へへへ~~~(笑)
てなわけで、今回の大阪セミナーは点と点が線となり面へと広がる、まさにシンクロニシティの世界そのものを体験できた気がしますし、きっとこれからもその傾向や加速すると思います。さあ、今からどんな面白いことがまっているのやら。ワクワクします。ありがとうございました。
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宇宙情報と一体になるまでは、死後もなんらかのエネルギー体〔?〕として存在することはないのでしょうか?
石田さんの大ファンで、一人さんの大ファンでもある自分としてはどう考えていいか分かりませーん・・・
相変わらずコメント欄が激重なので、短くしか書けないですが、ほんと感動しました!
まず、人は生きようが死のうが、すでに「宇宙情報」であり「エネルギー体」なので、「一体になるまで」という表現はありません。また、「いまここ」においては、霊どころか時間も観念も実体もすべて消滅します。と言うか、最初からそんなのないことに気が付きます。つまり色即是空なんですね。
霊視する場合も、亡くなったご先祖っていう特定な誰かとかに繋がっていくんじゃなく、ハイアーセルフとか宇宙とか神様とか呼び方あるけど多分超意識に繋がっていってると思う。先祖の遺伝子も自分のなかに入ってるし、おばあちゃんの遺伝子ももちろん入ってるし、そのとき先祖やおばあちゃんの超意識も一緒に自分の超意識に入るのかな~。わかんないけど面白い。全部ワンネスなのかも。あー、うまく文章にできない。 でもみんな繋がってると思うと至福の気持ちになる~Qさんありがとう
でも可愛がってもらった記憶は私の力になってます。見当違いだったらすいません‥つい記事を読んだら嬉しくなってしまいました(謎)
その通り、まったく同じ意見です!!
いわゆる、浮遊霊も、地縛霊も、もっと言えば、金毛九尾の狐に代表される、いわゆる妖怪も、確かに存在している、と僕は思います。
で、それは僕がヘミシンクを始める前から、いろんな体験を通じて知ったことで、そしてヘミシンクをやるようになって、その存在を確信するようになったことで…
先入観とか、そういうものではまったくなく、後になって、やっぱりいるんだ~…と確信したことばかりですね。
まあ、長くなるので、今度お会いしたときにでも、じっくりお話しましょう(^^)
また、レトリーバルというものも、人救いではなく、自分救いにつながるのだという意味で、とても意義があることだと、僕は思っています(^^)
レトリーバルなんてアホくさい、その人の妄想だと思っていたし、ヘミシンクやってからしばらくも、レトリーバルなんて自分とは関係ないことだし、自分では絶対にやることはない…と思っていました。
でも実際にやってみると、そこには理屈では説明できない、たくさんの深い気づきと、また理屈では説明できない、たくさんのシンクロを得ることができました。
ですから、まずは、自分の先入観を一切取っ払って、とりあえずレトリーバルを「やってみる」というのはいががでしょうか?
体験を重ねるうちに、不思議な経験をたくさん積み重ねることができ、ますます自分の、あの世はこうではないか?という推測に「確信」を得られる体験が積み重ねていけると思いますので(^-^)
ヘミシンクにおいて一番大切なのは、まず体験することだと思います。体験は自分を絶対に裏切りませんからね(^^)
コメントありがとうございます!
そうですね~、ヘミシンクが進んできたら、ぜひやって見たいとは思います。レトリーバル。
「人救い」じゃなくて「自分救い」ってのはそのまんま共感します。先祖供養だってようは「自分救い」ですからね。
いろいろ面白いですね!