波動旅行の話から・・・ 2011.6.15

 久々にドラマを見ています。「名前をなくした女神」って火9のドラマ。ドラマなんて自分からはほとんど見ることないのですが、ツレは昔からドラマ好きなので、いつも2~3のドラマを録画して見ています。今回、たまたま横目に見ていたら面白かったのでついに最終回まで見てしまいました。来週で終わるのが寂しいです。それにしても初めて知る役者さんばかりでしたが、すごくいい味出してたな~。特にりょう、怖すぎ。

 それはそうと、、、「超意識ワークス2日間セミナー(大阪)」がいよいよ近づいてまいりました。満員まで残り2名。前回の東京と同じパターンで、最後の最後には満員御礼になりそうかな。何だかこの2週間でさらにパワーアップした感がありますので、大阪でも完全燃焼したいと思います。あと、8月末の「Q州ツアー」も最少人数7名で決定となりますが、こちらもあと2名で開催が決まります。

 今回の「Q州ツアー」は昨年の内容をベースとして、もっとゆとりのあるスケジュールを組むつもりです。初日はいつもの通り南蔵院と滝行、宿坊泊。今回はヘミシンクも導入。ヘッドフォンとアイマスクのみご用意くださいね。宿坊でヘミシンクってなかなかいい感じですよね。出来れば滝行後に一回。そして夕食後に一回、さらにできれば翌早朝にも一回やりたいと思っています。ですので、珍しく初日はお酒は控えるか、飲んでも乾杯程度。どっぷりヘミシンクやりたいですね。

 そして2日目ですが、ヘミシンクと勤行後に朝食を取らず、高速道路に乗って一気に「秋元神社」に直行。その間、どっかで朝食と昼食になります。ただ、「秋元神社」はとても遠いので高速に乗って降りて高千穂まで4時間、そこから1時間は見ておく必要があります。となると、食事休憩時間を入れて6時間ですので、朝7時30分に出て13時過ぎか。そこで2時間は「瞑想」したいですもんね。とにかく「秋元神社」のエネルギーはハンパないです。「幣立神宮」が江原以降、もはやくされ切ったパワスポになってしまった以上、「秋元神社」もそうならないことを祈りつつ、今年も行きたいと思っています。その後は時間があれば「天岩戸神社」に寄って阿蘇へ。温泉に寄って汗を流してからペンションです。そっからひたすら語りですね。

 3日目は予定では「輪葉葉」で運試し。昨年は12名中3名が招き猫当選。3名には塾経営の方がいらっしゃいまして、翌月から生徒数が1.7倍になったそうです。その後、私のセミナーにも参加されたのですが、しみじみ言っておられました。「やっぱ、なんかありますよ」と。私もそう思います。確かに「運」なんてものは「思い込み」に過ぎないのかもしれませんが、その「思い込み(情報空間)」を大きく変える場所やモノ、言葉はやっぱりあるんです。はい。で、「輪葉葉」の後は時間があれば「押戸石」に行きますが、厳しかったらそのまま福岡へ。17時には必ず博多に着く段取り。そっから、時間のある人は居酒屋で飲みですね。昨年は12時近くまで飲んでました。

 そんなわけで、これからいろいろと楽しくなってきます。プライベートではQ州ツアーの一週間前に家族で「石垣島」に行きます。ツレが「沖縄に行かなしぬ~」って言うほどの沖縄病ですので、今まで行ったことない八重山に足をのばします。そして9月はいよいよインドですね。もう3月には12名で締め切ったのですが、その後、どうしてもと切望される方がいらっしゃいまして、ツアー会社に聞いたところ車を一台増やして15名のマックス。あとの2名も即日に申込が入りました。さあ、どうなることやら。インド以降はまだ何も決まっていませんが、ガラガラと展開しそうな予感がします。

 それにしてもですね、、いつも言ってるように、やっぱり「旅はどこに行くかよりも、誰と行くかが大切」なのです。これは五日市剛さんからしみじみ言われたこと。ぶっちゃけ、、、秋元神社とかひとりで行っても楽しくないですからね~。と言うか、インドだってひとりで行くのと、仲間と行くのとでは、楽しさが100倍は違うです。前も書いたと思いますが、「旅」ってのはいくつかの段階があって、例えば「家族旅行」→「修学旅行」→「友達旅行」→「社員旅行」、、、辺りは多くの方が経験すると思います。その中に私のような「バックパッカー」もあるのですが、それはそれで時々はめっちゃ楽しいにしても、最終形はやっぱり「波動旅行」なのです。今名付けました。

 つまりそれまでまったく知らなくとも、「波動」の共鳴だけで集まるメンバーとの「旅」は最高なのです。私はそのプロデュースをさせて頂くってこと。Q州ツアーにしてもインドツアーにしても、基本的に私のブログを読んでる人ばかり。瞑想や滝行、ヘミシンクに興味があったとしても、背中に羽の生えたピヨピヨ系の人はいませんもの。基本的に地に足着いた人ばかり。被害者意識の強い人もいません。

 他のスピ系セミナーとかに行くと、ほんといらっしゃいますよ。被害者意識の強い人が。自分一人で世の中の不幸を背負ってるみたいな表情した人が。笑いがなく、顔の筋肉が緊張しっぱなし。いや~不幸そうだな~ってのは見ただけでわかりますもの。で、自分が不幸なのを前世のカルマのせいにしたりする。もしもカルマだとすれば、今生でそれを落とす機会を得られたのだから前向きに苦しめばいいのに、、、と思ったりもするんですが。ちなみに私はカルマなんてものはないと思っています。

 そもそもカルマなんてのは、古代のバラモン階級がでっち上げた方便に過ぎないわけです。方便と言えば聞こえがいいですが、ようは自分たちの特権を守らんとする言いがかりのようなもの。あの時代はバラモンを頂点とする差別構造が明確にあって、例えば奴隷や乞食に生まれたのは、輪廻におけるカルマって言って正当化できたわけです。今、一生懸命に乞食やってれば次は商人くらいには生まれ変わりますよって論理です。カルマがあるから差別があって当たり前って思想。もしカルマって概念がなかったら革命が起ったかもしれませんものね。

 ちなみにお釈迦様の言うカルマ(業)ってのは、すべてつながってるのだから、ちゃんとしましょうね、、、ってこと。悪いことすれば、それは返ってくるんですよってのが釈迦の言うカルマ。バラモンとは意味が違うわけですが、私たち(現代スピリチュアル)がイメージするのは、どちらかと言うとバラモン的なカルマじゃないかな。その前提には「生まれ変わり(輪廻転生)」ってのがあって、今、不幸なのは前世のカルマだって言い訳しちゃうんですね。もし本気でそう思ってるのなら、来世でいい思いするよう、今、しっかり不幸を味わえって思うのですが、中には20万近く払って「カルマ除去セッション」を受けたりする。いや、ほんといるんですよ。20万もあるのなら、インドに行った方がいいじゃん、と思うのです。それか美味しいもの食べるとかね。20万じゃ多すぎかもしれないけど。

 で、前世のカルマがどうとか言いながら、「あなたは宇宙から絶対的に愛されてます」なんて言葉聞いて涙流したりする。いやいや、もしそれが本当なら、そんな理不尽なカルマなんて与えんちゅうに。確かに宇宙は愛と感謝でできてるってのは本当のこと。すべては喜びのまま。絶対大丈夫。私は常にこの立場でもの言ってるのですが、だからこそそんなどうしよもないカルマとかないっちゅうねん、、、と思うのです。

 どうなんかな、すべてをカルマのせいにしたら楽なのかな。私としては「幸も不幸も自分次第」って思ってるので、その方が遥かに楽でしょ。考えとしても。生まれつきどうしようもないカルマが付いてるとしたら、それだけで気い狂いそう。だって、自分でどうしようもないんでしょ。そこでもし20万払ってカルマ除去できるんなら喜んで払うでしょう。だって20万ぽっちでカルマがなくなって、金持ちになれるならめちゃくちゃ効果的な投資ですもん。でも、生憎そんなことはない。

 やっぱり今生のつけは今生で払うようになってるみたいだし、だからこそ自分の思った通りに人生を切り開ける。以前、「人生は考え方で決まる」と聞いて感動したって話をしたと思うけど、それってものすごく元気の出る考え方じゃないでしょうかね。「人生はカルマで決まる」なんて言われたら絶望的。でも、幸いかな、そんなことはありません。はい。

 良きことを思えば良きことが起る。悪しきことを思えば悪しきことが起る。それが縁起であってほんとの意味でのカルマ。そしてそれがまさに「宇宙の法則」なんです。話がそれましたが、被害者意識の根底にあるのも、こう言った非合理的なカルマ思想だとすれば、早く目覚めよって思うのです。ないから、そんなカルマとか。バラモン~現代スピリチュアルがでっち上げた妄言に過ぎません。はい。

 てなわけで、何の話だったかな。そうそう、「波動旅行」の話だったけど、私のツアーに参加される人は不思議と被害者っぽい人がいない。これも波動共鳴の法則。すべては自分次第ってことだから、思ったようにハッピーになれるわけです。そう言えば昨日だったか、テレビに島田紳助が出ていて、思わず「紳助、ほんま好き勝手な人生やな~」ってつぶやいたら、ツレから「ジブンもやろ~!」って言われちゃいました。確かにそうかも。

 でも、これもまたカルマとか関係なく、「宇宙の法則」に従って生きてるから。そう言えばだいぶ前だったか、「オーラの泉」って番組で元プロ野球選手の新庄に対して江原か三輪かが「あなたご褒美人生ね」って言ってたって話を、ピヨピヨ系の人がうらやましそうに言ってましたが、それもありませんから。そもそも今、こうやって生きてるだけですでに「ご褒美人生」なのです。すでに宇宙から最高のギフトもらってるじゃないですか、と思うのです。本気で。

 だけど、目の前の現象をどうにかするのはすべて自分次第。だから面白いんですよ。カルマだのご褒美人生だの言ってないで、とにかくやることやろうぜって思うのです。ま、そんなとこでしょうか。今日のところは。取り留めのない話になりましたが、落とし所がわからんのでいきなり終わります。ではまた明日。ありがとうございました。 

いつもめちゃくちゃありがとうございます!
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【大阪】6月18日(土)・19日(日):超意識ワークス2日間セミナー(残2)

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【九州】8月27日(土)~29日(月):GSJセミナー2011(Q州ツアー)(開催決定まで2名)

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Commented by オーレ at 2011-06-20 23:27
「カルマという思想があったほうが心が楽になる」という人たちは確かに存在して
それは、どうしようもないような苦痛を味わった人たちだと思います。
例えば、事故で足を失った、失明した、顔や体の全身やけど・・・とか。

取り返しようの無い苦しみを背負った人の場合、
「引き寄せの法則」的な発想じゃ救われないんですよ。
実際知り合いがそういう人なので・・>事故の火傷

だってポジティブ思考で足が生えてくるわけじゃないから。
「君が障害者になったのは事故を恐れていたから」で済まされちゃ、そっちのほうが理不尽なわけだから。
何か理由があると思わなきゃやってられないわけです。
カルマ解除の儀式すらも無意味ですし。

こういうのって自分自身が経験しなきゃ理解できないと思うんですね、ホント。
だから自分で直接体験して学ぶのではないでしょうか。人間の痛みを。
Commented by katamich at 2011-06-21 07:48
■オーレさん!
カルマの思想を超えることが大切だと思うのです。
by katamich | 2011-06-15 23:39 | ■精神世界 | Comments(2)