「欠乏」からの脱出 2011.5.31

 今日で5月も終わり。明日から6月ですね。気合い入れていきましょ~。ところで昨日書いた「前世に求めるもの」って話ですが、それについてメールやお電話をいろいろ頂きました。反対意見はなく、まさに「リアルに起っていること」として認識して頂いているようです。誇張でもなんでもありません。

 誤解を恐れず言うと、スピリチュアルはものすごくお金になります。不況知らずです。ここでのスピリチュアルとはチャネラーとか占い師の類のこと。似たような商売にコーチ、カウンセラー、コンサルタントなどがありますが、同じく「目に見えないもの」を扱っておきながら、商売として考えた時、決定的に違う点が一つだけあります。それは「結果」について。

 コーチ、カウンセラー、コンサルタントは「結果」を出して初めて評価されるもの。だけどいわゆるスピリチュアル業は「結果」は二の次。クライアントが求めているのは「結果」ではなく、「言い訳」と、そして「自己重要感」だけなのですから。「言い訳」については昨日言った通り。「前世」など目に見えないところに「言い訳」を求めるのです。

 そしてもう一つが「自己重要感」。この「自己重要感」ってのは、とにかく厄介です。厄介と言うか、人間の本質に直結するような価値観。人はこの「自己重要感」を得られるために、いくらでもお金を払う性質があります。その典型がスナック(?)系の飲み屋。私はまず行くことがないので、どのような呼び名が正しいかわかりませんが、いわゆるホステスさんがお酒の相手をしてくれるお店のこと。

 サラリーマン時代に会社の上司行き付けの店に何度か行ったことはありますが、普通に考えたら不思議です。ものすごくキレイな女性がいるわけでもない。お酒はビール一杯1,000円とかが相場らしいですが、そのお店は良心的でセットだったみたいです。つまみや料理なんかもあってないようなもの。カラオケはありますが、自分一人で歌えるわけじゃなく、他の酔っ払いのひどい歌も聞かなければならない。ま、私が連れてってもらったお店は、ある意味「社交場」のような感じではあったので、わからないでもないです。

 でも、ホステスさんが横についてくれるようなお店はどうなんでしょう。実は行ったことありません。テレビとかで見るだけ。今日は「名前をなくした女神」ってドラマを見ていたのですが、そこでララちゃんママって登場人物がホステスしてました。あんな感じのお店。あれだけキレイな女性ならわからんでもないですが、でも、それ以上は基本的にはないでしょ。なのになぜにあんなに高い酒を飲みに行くのか。

 それはすべて「自己重要感」を満たしに行くのです。ホストクラブも同じかな。とにかく人は認められたい、愛されたい、すごいと思われたいって気持ちが強く、それを満たすためにはいくらでもお金を払う性質があるのです。つまり「欠乏」を埋めるために。

 「前世」の占いも同じで、今は普通の目立たない主婦と自覚していても、前世で腕利きのヒーラーだったと言われたら、それだけでいい気分になるわけです。なので、いわゆる「前世」には貴族、医者、ヒーラー、占い師、戦士、僧侶、研究者、姫、、、などの高貴な職業が多いです。貧しい農民とか、乞食とか、一般市民ってのはまず出てきません。そんなの出したら相手の「自己重要感」を満たしてあげられない。つまり「お金」を取れないから、相手の言って欲しそうなことを言えばいいのです。

 商売の原則として「相手の欲しいものを売る」ってのがありますが、その手の商売も同じこと。「相手の言って欲しいこと」を言えば、それだけで換金できるのです。ですので、スピ系の商売でめちゃくちゃ儲かっている人は、もちろん素晴らしい人もいるにはいるのですが、やっぱりその辺のことを熟知して巧みに換金している人もいるわけです。いい悪いは別として。私にはできないだけですが。

 とにかく「相手の言って欲しいこと」なんてのは、ある程度、いろんな人と接すれば自然とわかるもの。「セドナが気になる」と言われれば、「前世はネイティブアメリカンだ」と言えばそれで満足。「インドが気になる」と言われれば、「前世はバラモンの指導者」と言えばそれで満足。「ヒーラーになりたい」と言われば、「前世は医者」と言えばそれで満足。会話の中から、相手の言って欲しそうなことを察知して、それを言葉にすれば大満足でお金を払ってくれるものです。

 そう言えば以前、「神様を付けてあげる」って商売をしてる人がいました。20万近くしたと思うのですが、何度かのセッションでその人に必要な神様をつけてくれるんだそうです。天照大神だったり、不動明王だったり、ラファエルだったり、国も宗教も関係なく、ハッタリの効きそうな神様をお金を出してつけてもらうのです。それも一種の「自己重要感」を満たすことになるのでしょうか。自分には天照大神がついてる、、、と思うだけで満たされた気分になる。その「満足感」を与えるためにやってる商売だとすれば、それはそれで正当性はあるかもしれません。「満足感」だって立派な商売ネタですから。

 だけどね、、、どうなんでしょう。「言い訳」にしても「自己重要感」にしても、それは「欠乏」を埋めるためのものでしょ。そのために「目に見えない世界」を利用するのって、どうかと思うのです。なぜなら、それを埋めたところで、一時しのぎにしかならないでしょ。「前世は医者だった」と言われて、一時的にテンションが上がったとしても、現実でのセルフイメージが低ければ、また「欠乏」が生まれて別の人に前世を見てもらう流れになるんでしょ。

 それはまるで喉が渇いて海水を飲むようなもので、飲めば飲むほど、「欠乏」は広がって行くのです。結局、お金だけどんどん吸い上げられるだけで、根本的には何も解決しない。もちろんそのような時期があってもいいとは思います。だけど、それは断じてゴールではありません。それ自体を学びとして考えればいいですが、いつかはその時期を脱する必要がある。それは力を込めて言いたいと思うんです。

 では、その「欠乏」を本当の意味で「埋める」ためにはどうすればいいのか。私は、

「学び」

だと考えています。「成長」と言ってもいいです。新しいことを知る、自分の成長を実感する。それほどまでの尊い瞬間は他にないと思うんです。それはどんなことでも構いません。なにもスピリチュアルだけでなく、例えば「お金の稼ぎ方」でもいいです。それを知った瞬間、目の前がパ~!!っと明るくなるじゃないですか。2005年9月に営業DVDを見た時、今まで知らなかった世界が目の前に広がって、とてつもない喜びに包まれたのを覚えています。そしてその「広がった世界」が「現実」となって今に至る。その繰り返しなんです。

 なので私は本も読むし、テレビも見るし(ドラマも見る)、セミナーや講演会にも参加するし、そして旅にも出る。何のためにかと言うと、「学び」そのもののために。「前世」を知ったとことで、また別の「前世」が知りたくなるだけ。どうやっても「前世」の確証なんて取れるはずないんですから。仮にわかったところで、どうってことないでしょ。一瞬、テンションが上がることはあっても。

 ですが「学び」はそのものにとてつもない価値があります。何のために生きているのか。それは「学ぶため」と言っていいかもしれません。そしてさらに「学び」をシェアする。そのためにブログを書いているのかもしれませんね。

 「学び」のスタートは決して「欠乏」ではありません。「学び」は常に満たされたところからしかスタートしないのですから。「言い訳」のために学ぶこともなければ、「自己重要感」を満たしたいがために学ぶこともありません。「学び」ってそんなものじゃないのです。

 数学者なんて職業の人は、その日、何も用事がなければ、一日中、問題に取り組んでいます。時として微動だにせず頭の中だけで。それは何も儲けるためとか、認められるためではありません。結果論としてそのようなことはあったにしても、数学者にとって問題に取り組むこと自体が至福なんです。すでに満たされたところからスタート。と言うか、「欠乏」がないので、「満たされる」って概念もないのです。ただ、ひたすら学び続けること。それが至福なんです。

 私自身は、こうやってブログを書いていること自体が至福です。その至福のために、別のブログを立ち上げるほど、書いてること自体が喜びなんです。もちろんブログがきっかけで仕事に結びついたりなど、今は確かにあります。でも、2004年にスタートした時は、そんなこと考えもしませんでした。ただ、書くことだけが喜び。実は金儲けのためにアフィリエイトブログとかに挑戦したこともありますが、3か月と持ちませんでした。私にとってそれは「欠乏」を埋めるだけの目的しかなかったから。

 でも、今こうやってブログを書いていると、次々といろんなことが浮かんできます。それ自体がリアルタイムな「学び」になってるんです。ですので「公式ブログ」は学んだことをネタ的に書いているブログですが、「宇宙となかよし」は常に学びをアウトプットする、つまり「アウトプット」と「学び」が完全に同時進行なのです。だって自動書記なのですから。

 おそらく「公式ブログ」はその役割が完全に終われば閉じる日が来ることもあるでしょうが、「宇宙となかよし」はたぶん死ぬまで書いてると思います。なぜって「学び」に終わりはないから。つまり「喜び」に終わりはないから。
 
 「欠乏」ではなく「喜び」がスタート。それを「天職」と言っていいのかもしれません。24時間やってても苦じゃない。それ自体が喜び。そんなことを今、させて頂いていることに感謝しかありません。そして読んで頂いている人がいることにも感謝。

 もう「欠乏」からスタートするのは卒業しましょう。すでに「喜び」に包まれていることを知り、すべては「喜び」からスタートする。それが本当の「人生」やと思うのです。さあ、喜びに包まれた6月がスタートです。久々に東京と大阪に出没。皆さんにお会いできること、楽しみにしています。ありがとうございました。

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Commented by 深海魚 at 2011-06-01 17:52 x
前項から引き続き、騙しのテクニックとしての前世物語、とても面白く拝見。先生の息子さんらしく、倫理観ありで安心できます。

ところで、いま伊藤美海さんと言う人の「人格統合」という本を読んでますが、この世でのトラウマが見つからないない分裂人格があり、それは前世を考えると分かり、解決することがあると書いてあります。
自分の母親の被害者人格のことを考えると、これはとてもしっくりくるんですけど・・・。
Commented by katamich at 2011-06-01 20:45
■深海魚さん!
その御本は読んだことがないので、なんとも言えませんが、確かに「前世」というファクターを用意すると納得できることはあります。
しかし、納得のためにフィクションを持ちだすことには賛成していません。
納得できなくても、それを超える努力をする。これが今生での役割だと思っていますので。。。
Commented by noshiko at 2011-06-01 22:01 x
>クライアントが求めているのは「結果」ではなく、「言い訳」と、そして「自己重要感」だけなのですから。
っていうところに、本当に、深く同意しました。
って、自分もそうだったから・・・
Commented by katamich at 2011-06-01 22:18
■noshikoさん!
かつては、私もそうだったりして・・・(^^;
by katamich | 2011-05-31 23:39 | ■人生哲学 | Comments(4)