血液型と性格の関連性 2004.12.28
2004年 12月 28日
本年の仕事納めを済ませました。昨日からの心配材料であった風邪と客先との関係(?)についても、何事もなく済み、無事に家でくつろいでいます。
そう言えば昨日は「満月」でした。先月から話題になっている「満月に通帳をかざすと思わぬお金が入る」をするのを忘れていました。しかし、先月は私を含めいろいろな報告を聞いています。思ったよりも効果はあるようです。私は会社外の臨時収入が万単位で入りました。私の親も何気にこれを読んでいるのですが、素直に実行したところ、考えられない入金があったそうです(数千円ですが)。私の親はそれに味をしめて、昨日も両親とも「満月通帳」を実施したそうです。今度は年末ジャンボまで。アホな親です。毎月の行事になりそうですね。
さて、今日のテーマです。先ほど、テレビで流行りの「血液型と性格」に関する番組がやっていました。私は常日頃、再三言ってるのですが、「血液型と性格の関連性」はまったくのデタラメだと思っています(この辺りのサイトが参考になります)。
ただし、日常の会話の中でジョークの一環として「俺ってB型だから」と言うことはあります。しかし、それはコミュニケーションの潤滑油としては多少は良いにしても、ステレオタイプに血液型で全人格を決定してしまうような言い方には問題があると思います。
ところで、私も最近の血液型に関する番組は、ちょっとやりすぎのような感を抱いていました。例えば、幼児を血液型別にグルーピングし、動物実験のように行動を観察したり、最初から関連性があることを前提にサンプルを集めていたり。
そして先日、ついに「放送倫理・番組向上機構(BPO)が『いじめや就職差別を生んでいる』との抗議をもとに民放各社に慎重な対応を求める」との姿勢を打ち出しました。何となくホッとしたものです。
今日の血液型の番組は総集編らしく、性懲りもなくこれまでと同じような実験がなされていました。私はチャンネルを回しながらパラパラと見る程度でしたが、最後の方でどこかの大学の教授がなにやらもっともらしく言っていたので、そこだけはきちんと見ました。すると、「血液型と性格」に関する結論としては次のようなものでした。
①血液型と性格の関連性はある程度は認められる
②しかし個人差は大きい
③血液型と性格には関連性がないことは心理学の定説であることを知って欲しい
③はもっともとしても、①と②には明らかな矛盾があります。そもそも「個人差が統計学上認められない」という状態を「関連性がある」と言うのに、「関連性はある」が「個人差がある」とは何事なのでしょう。そこまで関連性を実証したいのであれば、「統計学上有為性が認められる」という結果をしっかりと出して欲しいものです。
しかし今のところは、③のように「血液型と性格は関係ない」というのが心理学(=統計学)上の定説となっています。また、医学的にも血液型を決める糖類は脳神経細胞にはまず作用せず、性格というのは大脳新皮質の働きなので「血液型と性格は関係ない」のだそうです。
私はB型ですが、これまで「俺って何型に見える?」と聞くと、すべての血液型を言われたことがあります。私の周りにもA型だけど散らかし放題の人や、O型だけど引っ込み思案などいくらでもいます。血液型信奉者に言わせると、A型だけど散らかし放題の人は「B型の要素が強いA型」なのだそうです。ちなみに私はA型とO型とAB型の要素が強いB型なのだそうです(なんのこっちゃ)。
なお、余談としては、A型は感染症に弱く、O型は強いので、A型はセックスに慎重で几帳面となったのに対して、O型は大雑把で社交的にセックスを繰り返すことが出来、それが性格を決定付ける因子となった、という説もあるようです。話としては面白いですが。
そもそも、これも定説なのですが、「血液型と性格の関連性」なんて話題なり研究があるのは日本だけだと聞いています。アメリカ人に血液型を尋ねると「(知ってても)知らない」と返答されるか、露骨に嫌な顔をされるからしいです。当然ですよね。例えば、「あなたの陰毛の形態はどのようなものですか。広いですか、狭いですか。濃いですか、薄いですか。長いですか、短いですか。」と、突然聞かれたらどうしますか?
血液型もそれと同じくらい個人的で、かつどうでもいいものなのでしょう。
ところで、「陰毛形態と性格の関連性」という本を書いたら売れるでしょうか・・・?「広い×濃い」で大雑把とか、「狭い×短い」で几帳面とか、「薄い×長い×広い」でマイペースとか。この方がいろんなパターンができると思いますけど。
話がそれました。血液型の話って、確かに日常会話としては多少は使えても、その弊害もあることをきちんと知って欲しいものです。よく言われるのが、「B型をAB型は採用しません」などの就職差別、AB型に対する教室での不当ないじめ(マイノリティーだから)、血液型の相性が悪いと言われてギクシャクするカップルなど、血液型が原因となる問題も多いようです。
もっと怖いのは、「A型は几帳面」「B型はマイペース」「O型は大雑把」「AB型は二重人格」なんてのが定説のように言われると、もともとそうでなかった人が、無理矢理、血液型で言われるような性格に押さえつけてしまい、何年かすると、本当に「血液型と性格の関連性」が出てしまう恐れがあるということです。これが進むと、「日本人の性格は4種類しかない」などと海外から馬鹿にされ、かつ、士農工商やカースト制のような本当の差別構造が出来てしまうかもしれません。
極論すれば、「血液型問題とは同和・人権問題」となる可能性もあります。
外国と比べて日本の場合は単一(的)民族国歌なので「血」に対する思想・感受性が弱いのかもしれませんが、そろそろ「血液型が原因となる社会問題」について真剣に考えるようになって欲しいものです。同和問題や男女差別、障害者差別、外国人差別など、苦労しながら様々な人権問題と闘ってきたのに、わざわざ新しく問題を発生させる必要はないと思いませんか?
この血液型のような問題は、出身地(主に県)などのようにステレオタイプを産みやすい問題です。ステレオタイプの問題についてはまたどこかで書きたいと思いますが、とにかく、人の個性は血や出身地、性別なんかで決められるものではないし、そんなことを考える必要もありません。人は人らしく、ありのままの自分で、もっと自分を大切に生きていった欲しいものですね。(結論)
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(「世界に4つしかない花」なんて歌いませんよね~)