地球はどこかおかしくなっているの? 2004.12.26
2004年 12月 26日
なんて、のん気な話じゃないんですよね。いみじくも今年の漢字が「災」であったように最後の最後にすごいのがやってきました。そして、今、多くの人が「地球はなんかおかしくなってきてるんじゃないか」ということに気づき始めています。どちらかと言うと現実主義的な私のツレまでもが、そのようなことを言い始めました。
一方で、「異常気象だの天変地異だの言ってるけど、ここ何年も、毎年言ってきてるので、異常な事態であることがむしろ正常なんじゃない?」と言う人もいます。
それも一理あるでしょう。しかしそれは「理屈」の上ではそうであっても、「よくわからないおかしさ」みたいなものは直感的に誰もが感じ始めているのではないか。そう思います。
そもそも地球という惑星は約46億年前に誕生し、その間、宇宙レベルでの多くの変動を経験し(小惑星が衝突したり、地球が凍りついたり、など)、この500万年ほど前にようやく人類らしきものが誕生したと言われています。そして、道具を作り始めたのが200万年前(石器時代)であり、農耕を始めたのはわずか3,000年前になります。その後、今のような文明が築かれ始めたのはわずか200~300年ほどのことで(産業革命以降)、人口及び生み出された物質も爆発的に増加しています。
そこで、人類誕生の500万年というスパンから考えると、この200年、さらに言うとこの20年間で「自然⇒地球⇒宇宙」によって破壊された物質や人々の数は比べものになりません。その意味で、「地球がおかしくなっている」というのはまぎれもない「事実」なのです。
と、そんなスケールの大きな話を荒唐無稽に考えていては今の社会生活はどうなるのだ?、と我に返る部分もありますが、どうも最近の私は「宇宙」を意識せずに生活するのがかえって難しくなってきているのです。う~ん、困ったものです。
しかし、この「地球のおかしさ」について我々はどう対処したらよいのでしょうか。「ほっとけばいい」のか「どうにも対処しようもない」のか。
いや、私は、「ほっとくべきではない」し「対処のしようはある」と考えています。
しかし、その具体的な方法論がよく分かっていないのも事実です。しかし、基本的な方針はあります。それは、今までも何度も言ってきているように、
「地球(⇒宇宙)の嫌がることをしない(喜ぶことをする)」
と言うことです。では、何をもって「地球の嫌がること(喜ぶこと)」と言うのか。それを追求、解明することは、どうにも私に与えられた使命のような気がするのですが、いかがなものでしょうか。根拠はありませんが。
でも、こうやってブログで馬鹿な情報を毎日発信しているのも、この数ヶ月で奇跡のような出会いや出来事が多発しているのも、それを気付かせ、情報を発信せよと言われているように、ふと思ったりもします。おこがましい話ですが。
今日はインドネシアの地震から、なんだかやたらとスケールの大きな話になってしまいました。でも、これだけは言えるのは、「私は今回の被災地にはほとんど行っている」という事実です。そう考えると、「他人事」ではすまされないもの、「地球レベルで考えるべきもの」という気持ちが湧いてくるのも事実です。
2004年も本当の暮れに差し迫って大変な事態にが地球を襲っておりますが、来年もまた今年以上の「災」がやってくることは想像に難しくありません。こんな世の中において、「私」という一個人が何ができるのかわかりませんが、これからも「気付いたこと」「知りえたこと」は躊躇せず、開けっぴろげに言いふらして生きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
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