魂が喜ぶこと 2011.4.16

 土曜日。今日の滝行に行こうと思っていたのですが、どうもまだ体調が優れず中止にしました。もしかしたら滝に行ったら良くなることがあるかもしれませんが。ま、原因はちょっと喉が痛い程度のことで、季節の変わり目にありがちなこと。でも、花粉もなくなったし、いよいよ良い季節になっていました。

 私は昔からそうなんですが、2月を中心に毎年テンションが下がるんですよね。高校時代からそうだったと思いますが。多分、心が冬眠してるんでしょう。ただ、ここ数年は「滝行」がありますので、なんとか平常を維持しています。

 そう言えば2004年秋に滝行に出会って、今年で7回目の冬を越すことができました。それ以来、ほぼ年間100日の滝行をしてきたのですが、ぶっ続けで100日行をやったのが2006年のこと。1月から4月までの一番寒い時期でした。その最終日が「4月21日」だったのですが、その日は24時間お堂に籠って「食べない、飲まない、寝ない、横にならない(四無行)」でお経を唱え続ける行に入っていました。そして7回の滝行。今思うとかなりストイックと言うか、マニアックなことをしていたと思うのですが、そう言えばここ数年は自分自身でもちょっとストイックさが抜けているような気がしています。

 当時は今ほど生活も安定していないし、何かと必死に生きていたように思います。しかし最近は良くも悪くも「安定」してしまっていて、何となく自分に負荷をかけることを避けている気がしています。会社員時代は嫌がおうにもキツイ仕事で負荷がかかっていましたが、独立後は自分で負荷をかけなければバランスがとれません。その意味で、私にとっての「滝行」は必要不可欠。最近は「宝満山」にも行ってないので、そろそろ復活しようと思っています。とにかく「宝満山」でのインスピレーションはハンパないですからね。

 そう言えばちょっと懐かしくなって、当時の「100日行」の最終日の日記を改めて読んでみました。最終日に「お堂」での生活がレポートされています。その「最後の5時間 」から。


 100日目最後の滝に入り本堂に戻る。一瞬、「もう帰ろうか」という囁きが自分なかで聞こえる。明け方の滝まで本堂にいる約束だが、「100日は終わっ たじゃないか。もう帰って休もうよ。」という声が聞こえる。しかしここで帰ってしまっては、自分を裏切ることになる。「いや、帰らない。」と反論し、再び ダウンとジャージで冷えた体を温める。とにかく寒い。特に足が寒い。素足は感覚もなく、太ももには乾いたバスタオルをかけているものの、心から冷えてい る。マッサージのようにさするが寒さはやまず。本堂の電気を消して、ロウソクの炎と本尊を照らす小さな灯りだけにする。横にはならないが、壁に背をもたせ る。半跏の姿勢をとり続けることは困難だ。寒さで身を丸めると腰が痛み、背筋を張ると痛みはなくなるが、寒さがダイレクトに伝わる。その繰り返し。時間を 気にすると、一分間の長さが身にしみる。楽しいことをしている時間はすぐに過ぎるが、耐えている時間はなんと長いことだろうか。時間なんてものは結局自分 次第なのだ。そして、「ありがとうございます」と唱え続ける。考えられる限り全ての人のことを思い浮かべながらひたすら「ありがとうございます」と唱え続 ける。今、私がここにいるために誰一人として欠いてはいけないのだ。私以外の全ての存在のおかげで、かろうじて私という存在があるのだ。親兄弟、先祖のお 蔭はもちろんだが、地球上にいる全ての存在との関係、意識との関係の中で私がいるのだ。「ありがとうございます」と言い続けるしかないじゃないか。霊の存 在も、外の風の音、水の音も気にならない。今、私は「ありがとうございます」という言葉に包まれている。観音様もお不動さんもお釈迦様も文殊様も私のこと を見ている。その超越的な存在に対しても「ありがとうございます」と言い続ける。時に言葉が止み、意識がなくなる。「無」になっているのか眠っているのか わからない。気が付くと時計の針が進んでいる。時間はどうあっても進んでいくものなのだ。1時、2時、3時と決して眠るわけでなく、時間が過ぎていく。そ の間、時に般若心経、時に観音経をあげながらも「ありがとうございます」と言い続ける。何回言ったかなどは関係ない。とにかく言い続ける。時計の針が4時 を指す。ちょうど24時間前に来た時間だ。この一日はなんと長かったことだろうか。段々と意識は覚醒してくる。ゴールはもうすぐだ。4時半、5時と時間が 進むと、東の空がほんのり色を帯び始める。かと言って暖かくはならない。でも気持ちは徐々に暖かくなってくる。5時を過ぎた辺りで、立ち上がる。外に出る と、朝の空気が気持ちいい。線香を持って仏様を回る。そうしながらも太陽がどんどん上がってくる。東の空に向かって感謝の意を表する。焼香した後、再び本 堂に戻ってお経をあげる。そして滝着に着替え、朝の滝に入る。朝一番の太陽のエネルギーと瑞々しい滝の生命エネルギーを一気に浴びる。ある意味、私がエネ ルギッシュにならないわけがない。最後の滝は初心に戻って、禊ぎの祓い、般若心経、ご真言を順番にあげて、最後に印を組んで終了。本堂と仏様に「ありがと うございます」と言って、不入道を後にする。車に乗ってミラーを見ると、私の顔が変わっていた。目がくぼみ、顔全体が霜焼けのように赤い。口はへの字。ま るでお不動さんだ。コンビニでホットコーヒーとシュークリームを買って食べる。五臓六腑に染み渡る。顔の表情が段々と穏やかになってくる。そのまま無事に 家に到着。24時間行、そして100日行が終わった瞬間を味わう。



 自分で言うのもなんですが、いい文章だと思います。当時のことを思い出しました。今年は2011年ですので、あれから6年経ったわけです。思えば私の人生が本格的に変わっていったのは、あの時期からだと思います。その翌月には「大阪オフ会」とか行って、その後も立て続けに東京、名古屋などへと足を運んだものです。東京で「オフ会」をした時などは3日連続でやったりもして。飲み会、ランチ会、ランチ会、みたいな感じでしたが、たくさんの人とお会いすることができました。

 その最初の「東京オフ会」の初日に「幸せまん」さんと言う方がいらっしゃって、その日はたくさんはお話できなかったのですが、その時に初めて「セミナー」なるものの存在を知ることになります。幸せまんさんは、すでに独自のセミナーをされていて、そのことが頭のどこかに残っていました。そしてその翌年に「ジョイント」のお願いをしたのが私の初セミナー。

 その初セミナーに参加された方の数名がその年の9月に滝行に来られて、それがいわゆる「Q州ツアー」のスタートとなりました。また、初セミナーの2か月後に私の単独での初の東京セミナーをやったのですが、その懇親会の時に「Qさんと行く奇跡のインドツアー」なる企画が勃発し、翌日、起きたらミクシィにコミュができていました。その翌年は本当にインドに行ってしまい、その翌月には拙著「宇宙となかよし」の原稿(物語編)を一気に書き、その翌年2009年に出版となったのです。

 それ以降、本がきっかけで頂いた機会もたくさんあって今に至る。そろそろ2冊目、、、と何度も言ってますが、まだです、すいません。でも、必ず出します。気が熟した時に。

 ま、こうやって振り返って見ると、例えば今の話だけでも、「100日行」→「オフ会全国行脚」→「初セミナー」→「Q州ツアー・インドツアー」→「本の出版」→・・・とつながっているわけで、この中の一つでも欠けてたら今はありません。例えば「オフ会」に参加したメンバーはたくさんいたのですが、私が幸せまんさんに連絡したきっかけがこうです。

 東京ではきとりかさんという方たちと飲もうってことの流れからオフ会になったのですが、きとりかさんの知り合いとして参加されたのが幸せまんさんでした。その時までお互いほとんど接点がなかったと思います。そこで私のブログを読んでいる方が幸せまんさんのセミナーに参加されたことで、幸せまんさんご本人からお礼のメールを頂きました。そのことを覚えていたので、翌年、ジョイントを申し込んだってことです。

 ですので、もしもあの時、私のブログを読んでいる方がオフ会に来なかったら、そして幸せまんさんのセミナーに参加してなかったら、さらにお礼にメールを頂いてなかったら、、、きっとセミナーをやるチャンスがなかったか、もっと遅れていたと思います。

 そうやって考える、どう考えてもすべてに意味があるとしか思えません。たとえ短期的にはその意味がわからずとも、もしかしたら10年とか20年の単位で結びつくことだってあるのでしょうから。そう考えると、まさに今この瞬間も意味がある。

 ちなみに今年もインドに行きますが、私をのぞく参加者の11名はそれぞれにきっかけがありました。ほとんどが私のセミナーに参加された方ですが、例えばある女性参加者のケース。昨年10月に阿部敏郎さんの「いまここ塾博多」に行った時、講演中、阿部さんが何度か私をいじったんですよね。その時に同じく参加された方が後日私のセミナーにも来られて、それでインドにも興味を示します。ですので、もしも私やその方が阿部さんの講演に行かなければ、その方のインドもなかったでしょう。

 また、年末に「無料コーチング」の企画をやった時、ある女性が参加されて、一度お会いした方でもあったでの、忘年会にお誘いしました。ちなみにその女性と会ったのは、雲黒斎さんの講演の懇親会ででした。そして年末の忘年会でちょっとインドの話をしたら、「来年のテーマはこれだ」と思ったそうで、すぐに参加表明。

 それからまた別の方のケース。今やっている6回シリーズのNLPセミナーの3回目の懇親会の席で、ちょっとインドの話をしたら、それで興味を持って参加表明。その方は2年前の連続セミナーにも参加されたのですが、今回の参加申し込みは2日前とかだったと思います。

 それ以外にも一人ひとりのケースを考えると、誰もがそんな偶然的なきっけかに当てはまります。そして9月にインドに行ったら、それがきっかけでさらに人生が開けるのだと確信しています。

 とにかく何一つとしてムダがない人生。誰ひとりとして不必要ではなく、会う人すべてが必然的な出会い。セミナーを自分でする時も、参加する時も、そこに参加される人たちは最初から決まっていたかのように、ものすごいご縁を感じる人ばかり。いつもいつも不思議に思うのです。なんでこんなにもすべてがベストなんだろうと。

 しばしば「シンクロニシティを起こす」なんて表現を本とかブログ等で読むことがありますが、実際には「起こす」のではなく「起っている」のです。自分で起こせることなど一つもありません。そして常に「起っている」わけで、そのことに気づくかどうかだけが違いなのでしょう。

 だからと言って何もしないでいいわけじゃない。「直感」で思ったことは、そのままに実行する。やりたい、会いたい、行きたいと思ったことは、そのまま実行する。私がまさにこれです。もしかしたら昔からそうかもしれませんけど。オカンからも言われたことがあります。昔から「やりたい」と思ったことはなんとしてでもやってきたな~と。世界一周とかもそうですし、言いだしたら気が済まない。だからあきらめる、とかも言ってました。力づくで止められなくてよかったです。

 確かに「こと」は起っています。だけどその「こと」を選択する自由もあるようなのです。どっちを選んでも必然ではあるのだけど、「魂」の喜びの違いはある気がしている。そして「直感」に従った方が、遥かに魂は喜んでいるし、次々と「シンクロ」に気がつくことができる。ほんと、そう実感しています。つくづく。

 そんなわけで今日もなんだか振り返りのような日記になりましたが、今も、そして明日も、必然的な「出会い」があるわけで、それ考えただけでもワクワクしますよね。そろそろ山登りも復活させたいと思います。今日はこの辺で。ありがとうございました。 

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by katamich | 2011-04-16 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)