今日は祭日。ツレとちびQは佐賀の親戚のお家に行ったので、私は家でお留守番です。夕方くらいから外を散歩したりしましたが、やっぱり歩いているといろんなメッセージが降りてくるものですね。前に「あの世とこの世の謎を説く」って記事を二つほど書いて、前世・過去世の話をしようと思ってそのままになってましたが、それに関連してちょっと書きたいと思います。その名も「あの世を知ると願いが叶う」です。まずはこの図を見てください。
もう一度解説しますと、ここでの登場人物はAさんからEさんまで。太線から上が「意識」で、下が「無意識」です。「無意識」はさらに「潜在意識(個人的無意識・集合的無意識)」と「超意識」に分けられます。そして通常、「意識」の世界を「この世」と言い、「無意識」の世界を「あの世」と呼んでいます。
ですので、実は「あの世=死後の世界」では必ずしもないのです。本当のことを述べますと、「死後の世界」は存在しません。確かに完全なる「死」を迎えるほんの直前に、「死後の世界」的なビジョンを見ることはありますが、完全に「死」を迎えると、そこには世界なるものは存在しません。
何度も言いますように、この世に完全な「死」を迎えた後に蘇った人は存在しません。確かに医学的な「死」の状態から生還した人は何人もいますが、本当の「死」とは医学的なそれを超えたところの、永遠に蘇ることのない絶対的な状態であるのだから。
その意味で「死後の世界」とは言葉的に正確ではなく、「医学的な死を迎えた人が蘇る直前に見た世界」と言うのが正しいのです。ですので、本当の意味での「死後の世界」については、誰もそれを確かめることはできません。そして永遠に。であるにも関わらず、私たちは誰ひとり例外なく、その世界にいずれは行くことになります。
そしてこれまた何度も言ってきたように「三途の川」と呼ばれる「生と死の境とされるライン」もまた、上の図の「集合的無意識」にある情報の一つに過ぎません。「三途の川」は西洋人には必ずしも一般的でないことから見ると、それは日本人や東洋人に特殊な「無意識(集合的)」の一つの情報に過ぎず、そのモデルとなるのが「ガンジス川」なのです。そのことについては前に書いた通り。
図の説明を続けると、私たちが「この世」と呼んでいる3次元世界は、図の通り「あの世」の延長上のものであり、「あの世」の一部に過ぎません。つまり「この世」は「あの世」の絶対的な支配下に置かれるもので、「あの世」の出来事が「この世」に完全に反映されているわけです。
ですので、例えば「願望実現」なり「コミュニケーション」なり、「この世(意識の世界)」だけで完結するにはどうしても不十分となります。コミュニケーションを例にすれば、私たちが通常行うのは言語的コミュニケーションであり、それは文字通り「言語」によって意思疎通が図られます。AさんとBさんは表面上(意識上)は別の人間なので、「言葉」を媒介にコミュニケーションを取るわけですが、言うまでもなくそれは万能ではありません。
例えばAさんがBさんに「私のことを信頼してください」と言ったとしても、それ以前に、Aさんの身なりや表情その他で信頼できるかどうかわかるもの。言葉なんてのは、全情報のほんの一部にしか過ぎないのです。恋愛でも同じ。「私と付き合ってください」で恋愛が成就するのであれば苦労しませんが、実際はそうじゃないでしょ。
言葉でどんなに言われたところで、それ以前に好きかどうかは決まっています。「付き合ってください」と言われて「NO」だとしても、その理由は言葉だけではわかりませんから。例えば「なぜNOなのか?」と聞かれたとして、「タイプじゃないから」と答えたとします。ちゃんとした答えのようですが、では「なぜタイプじゃないのか?」と聞かれたら「なんとなく」としか答えようがないでしょ。
つまり、恋愛が成立する理由なんてのは「言葉」で説明できるものではなく、「感覚」つまり言葉を超えた「無意識」の領域ですでに決まってしまっているのです。その部分がAさんとBさんが重なった「Y」の部分です。どんなに言葉を駆使しようと、「無意識のY」の部分で既に決まっており、そこでは言葉は完全に無力化するのです。
となるともしも恋愛を成就させたいのであれば、「無意識のY」を書き換えれば済むこと。それを非言語的コミュニケーションと言ったりしますが、その範囲は場合によっては「洗脳」の領域まで深まる可能性もあります。つまり好かれていない相手を思い通りにするには「洗脳」が手っ取り早くて、その手法に長けているのが新興宗教の教祖だったりカリスマだったりするわけです。
前も書いたと思いますが、以前、塾講師をしている時、同い年の講師に妙な男がいました。外見的にはいいところなしなんですが、高校生の彼女がおり、40歳の独身女性から猛烈アプローチを受け、さらに中学生の女子生徒の数名を虜にしてしまう、文字通りジゴロと呼べる人間がいました。失礼ながら外見はおろか、それ以外にも何のアドバンテージを見つけることもできないのですが、なぜかモテるのです。
しかしそのうち理由がわかりました。と言うのも、同性である私までもが、その彼に心を許してしまう何かがあったから(変な意味ではなく)。結局のところ、彼は「無意識のY」を操作する達人だったわけです。意図してかどうかはわかりませんが。
そして「願望実現」に関して言えば、Cさんの「無意識のX」が相当します。意識(言葉)でどんなに願ったとしても、「無意識のX」がOKを出さなければ、その願望は実現しません。つまり願望実現の極意もまた「無意識のX」を書き換えることにあるのです。
ただし、XやYといった「個人的無意識」よりも、さらに深いところに「集合的無意識」なるものがあります。それが「無意識のZ」の部分ですが、これは「個人的無意識」に比べて書き換えるのは極めて困難です。ヒトラーに相当するカリスマか、世の中の流行を操作する仕掛け人などは、その「集合的無意識」を書き換える方法を知っており、そのセオリー通りにやって行くのですが、一般人にはまず無理かもしれません。ただ、ネット教祖的なカリスマブロガーなんてのはその資質があるかもしれませんが。
いずれにせよ「潜在意識(個人的無意識のXとY・集合的無意識のZ)」の部分は、書き換えたり、書き換えられたりしながら、「意識」の世界を支配しているわけです。この「潜在意識」の部分を「あの世」と言い、「意識」の部分を「この世」と呼んでおり、だからこそ「あの世を知ると願いが叶う」ってことが言えるのです。本のタイトルみたいですけどね。
NLP(神経言語プログラム)などは「潜在意識=あの世」の世界を操作する技術体系だと言えるわけで、NLPがとりわけ「願望実現」と「コミュニケーション」のスキルに傾倒するのも、そのような理由によるわけです。では、ここで「願望実現」に関してもう少し説明したいと思います。
すでに述べたように、「願望実現」の極意とは「潜在意識の書き換え」です。とりあえずは。「あの世の情報を書き換え」と言ってもいいでしょう。では、どうすれば書き換えられるのかと言うと、ま、あえて一言で述べると「繰り返し」と「インパクト」しかありません。特に現実的なのは「繰り返し」であって、それについては昨日のブログを読んでみてください。
ただ、闇雲に「書き換える」と言っても、潜在意識は必死で抵抗してきます。その抵抗が願望を実現させない力であり、逆に言えば、その抵抗を除去すれば願望実現など簡単なわけです。では、どうすれば除去できるのか。そのための前提として「潜在意識(あの世)を知る・理解する」ことが重要です。言い換えると「潜在意識の意図」をしっかり理解すること。
これなくして「潜在意識」を書き換えることは不可能です。では、どうすれば理解することができるのか。その一つが「身体」に聞くってことです。キネシオロジーなどの方法もその一つですが、まずは単純に身体反応をしっかりと見ること。この「反応」のことを、NLPでは条件反射やプログラミング(アンカリング)と呼んだりしています。
例えば何らかの「願望」があったとします。それがもし叶いにくい願望であるならば、それを思ったり口に出したりした瞬間、「身体」のどこかが過剰に反応します。例えば表情だったり、呼吸だったり。逆にそれが容易に叶う願望であれば、その反応は決して強いものではなく、通常、リラックスと呼ばれる状態になるわけです。
まとめて言うと、叶わない願望の場合は「身体」が緊張し、叶う願望の場合は「身体」がリラックスする。そしてその身体反応に敏感になることが、潜在意識を知ることであり、その意図を知ることなのです。私はそこでの身体反応(緊張)のことを「コリ」と呼んでいるわけですが、その「コリ」をほぐした時、人によってはビジョンが見えたり、声が聞こえたり、直感が降りてきたりします。それを「潜在意識からのメッセージ」と呼ぶことがあり、そこで初めて「潜在意識を理解する」ことが完成するのです。その辺は今度の東京セミナーでも確認しますが。
ちなみに、場合によっては「前世・過去世からのメッセージ」を受け取る時もあるのですが、その前に「前世・過去世って何?」って前提があります。それについては、さらに深い話になるので今日は割愛させて頂きますね。
話を戻しますが、「この世」は「あの世」に支配され、「潜在意識」によって現実が決められてしまうのは事実です。しかし、だとすれば私たちは「潜在意識」にコントロールされるロボットに過ぎないってことになります。確かに「潜在意識の書き換え」によって「意識」的な願望が実現することはありますし、私などもその辺を得意とするわけなんですが、その前に、私たちは本当に「ロボット」でいいのか!って問いかけがあるわけです。
その答えを説くのがまさに「潜在意識」より深く潜ったところの「超意識」にあるのです。「超意識」の領域においては、AさんからEさんまで、誰もが「ひとつ」につながっていることが分かると思います。それをスピリチュアル系では「ワンネス」と呼ぶわけですが、「意識(この世)」の世界では確かに独立しているように見えても、その奥深くでは一つにつながっている。
もしもそこまで入ってしまうと、「意識」も「潜在意識(個人的無意識・集合的無意識)」も超越して、まさに「空(くう)」に溶け合うことになるのです。ちなみに「意識(この世)」の世界のことを「色(しき)」と言い、「超意識(あの世の深層)」のことを「空(くう)」と呼ぶわけです。
般若心経の中の「色即是空・空即是色」はまさにこれ。つまり「この世(色)とは、すなわちあの世(空)の一部である一方で、同時にあの世を反映したのがこの世なんですよ」ってこと。ようするに「この世はあの世であの世はこの世(色即是空空即是色)」なのです。
ただ、私たちの多くは「空」ところか、その前の「潜在意識」の世界をも知らず、「色」である「意識(この世)」がすべてだと思いがち。だから願っても叶わないし、言っても通じないのです。そこでちょっとだけでも「あの世(潜在意識・超意識)」に目を向けることで、「この世」で生きている世界観がガラガラガラ~と変わっていくのです。
そこで「あの世」なり「空」を見る方法として確立されたのが、「瞑想」であり「坐禅」だったりします。今ではNLPやヘミシンクなどもう少し時間のかからない方法が確立されていますが、いずれにせよ、私たちの世界は「この世」だけではなく、その奥に「あの世」があり、それを「見る」ことが世界を広げ、本当の人生を送る上で不可欠なんですよ、、、ってことを言いたいわけです。もちろん私のセミナー(ワークス)でもこれが最大にして唯一のテーマなのです。
そんなわけでして、この上の図はかなりすごい図だと自負してますので、もう一度じっくり見た上で「あの世」の世界へとダイビングしてみませんか!!人生が変わる(本当は変わるのではなく、本来の人生に戻る)ってのは、こういう瞬間にこそあるんです。さあ行きましょう!ぎゃ~ていぎゃ~てい!
そう言えば、もう一つ大切なメッセージがあったのですが、字数制限が近いので明日のテーマにしたいと思います。そのメッセージとは「空とマントラと数字」って話です。それではまた明日。ありがとうございました。