唯一絶対なる至福の世界 2010.10.20
2010年 10月 20日
今日から完全復活。昨日の話の続きでもしましょうか。「スピリチュアル」ってのは、元々は人々に「夢」を与えるものだと思うのです。ただ、精神科医の香山リカさんが言うように、「30代負け組女性」への「救済」がブームの背景にあったという指摘も一理あるかもしれません(「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」より)。ま、この手の話はあまり書き過ぎるとまた誤解される恐れがありますので、これ以上は香山さんにお任せするとして、確かに人々に「夢」を与えるものとしてブームは形成されてきたと思われます。
そのシンボル的人物が江原啓之氏であり、スピリチュアルを生業とする人は、とりあえず江原氏との整合を図らずして商売が成り立たない現実がありましたので、オーラ、前世、守護霊などのキーワードを散りばめるわけです。ただ、私も一介の「スピリチュアル研究家」として、これまで「体験(右脳)」と「知識(左脳)」の両面から、様々な考察を重ねてきた上で言うと、例えば「オーラ」も「前世」も「守護霊」も、そして「ハイヤーセルフ」も単なる「内的世界」の想像物に過ぎないと結論付けられるのです。
ちなみに仏教の一派に「禅宗」なるものがあり、パッと見すると、坐禅を組んだり瞑想をしたりするのも、かなり「スピリチュアル」な営みのように思われるかもしれません。しかし実際にちゃんとした「坐禅」を経験すると、巷のスピリチュアルとは真逆にあることが理解できるでしょう。
「禅」や「原始仏教」などの目的とするところは、一切の妄信、迷信などから解放されることであり、唯一絶対の「リアルな世界」を見ること以外にありません。実は今年の4月に、禅歴20年以上のとある女性禅師の方と対談をさせて頂いたのですが、その方なども「スピリチュアル??何それ?」でした。その意味で、価値観の共有が図られ対談も楽しくスムーズに進んだものです。
そしてその唯一絶対なる「リアルな世界」とは何かって話になるのですが、それがまさに「今ここ」なのです。前も書いたかもしれませんが、ある人から「(阿部敏郎さんの言うように・・)過去や未来などの『時間』は存在しないってのは、単なる方便なんですよね?」と聞かれたことがありました。しかし、これに対して正直に答えると、「NO」となります。もしもこの世に、絶対に動かせない真実の世界があるとすれば、それはまさに「今ここ」にしかなく、その意味では「時間」など存在しようがないのです。
ですので「過去や未来などの時間が『存在する』ってのは、単なる方便なんですよね?」って質問であれば、それは完全に「YES」です。私たちは日常的に「時間」を当たり前のようにとらえていますが、確かに「時間」という概念がなければ3次元をスムーズに生きていくことは困難です。その意味で、「時間が存在する」ってテーゼは3次元的な文脈において「方便」なのです。
これまで何度も言ってきたように、「時間」の本質は「記憶」です。つまり「時間=記憶」であり、そうである以上、「時間」とは「前頭前野」が生み出した「幻想」ってことになり、それは絶対的に「正しい」です。おそらくこの地球上に「時間」なる概念を持って生きているのは「人間」だけでしょう。そしてこの「時間」こそが、人間のある種の「苦」の根本にあるものなのです。
例えば「悩み」って感情は「時間」を前提としています。それは「希望」もまたしかり。昨日の話の続きで言うと、「預金残高356円」って現実は、多くの場合、「悩み」や「不幸」の感情を生みだします。しかし「預金残高356円」って現実それ自体には何の価値もありません。「幸」も「不幸」もなく、ただ、「預金残高356円」って現実があるがままにあるだけ。
そして私たち人間の多くは、何らかの「現実(と言うより現象)」に対して、様々な「条件付け」を施されて生きています。それを「プログラミング」と言ったり「アンカリング」と言ったりします。例えば「無職」という「現象」がまさに今あったとします。「無職」がインプットだとすれば、アウトプットとして考えられるのは「不甲斐ない」でしょうか。または「世間体がない」とか「恥ずかしい」とか「人間としてヤバイ」とか、、、そんな様々な「内的世界」を構築するのではないでしょうか。
ここには、
「無職」→「ヤバイ」
って結びつきがあるのですが、これは言うまでもなく絶対的な結びつきではありません。この「→」に問題があり、正確に記述すると、
「無職」→「プログラム(条件付け・アンカリング)」→「ヤバイ」
って図式があるだけなのです。そしてこの「プログラム(条件付け・アンカリング)」を構築しているのが「潜在意識」です。ついでに言うと私も「無職」ですから。でも私の中では、
「無職」→「プログラム」→「自由」
って図式が成り立っているので、何の不安もありません。しかし、「無職」って現象そのものは「ヤバイ」でも「自由」でもなく、単に「無職」って事実があるだけです。それ以上でも以下でもない。その事実を認めた上で、私は「自由」って「プログラム」を選択してるだけに過ぎません。あ、そう言えば、私は「無職」のようでありながら、社会的には「代表取締役」って立場にもあるのも忘れてた。でも、世の中ってこんなもの。「社長」が偉いわけでもなく、「社長」って肩書きが社会的に「偉い」って条件付けを受けているだけ。実際は何も変わりません。私のように。
話を戻しますが、私たちの「幸せ」も「不幸」もすべて「内的世界」において作られたもの。この「内的世界」こそが「プログラム」であり「潜在意識」であり「アンカリング」となってるのですが、もしも唯一絶対なる「至福」があるとすれば、そのような「内的世界」には決して存在せず、その「外側」に出て初めてそれを知ることができる。
私たちは常に「内的世界」という、作りだされた「箱(ボックス)」の中で右往左往して、社会的、体験的に構築された「プログラム」に翻弄されて生きています。その「プログラム」がたまたま「幸せ」の感情を結びつけば、その人はにわかに幸せな気分になるでしょうが、逆に「不幸」の感情と結びついてしまえば、その人はすぐにまた不幸な気分に支配されてしまいます。つまり「内的世界」ってボックスの中にいる限り、その人は永遠に絶対的なる「至福」を感じることはありません。
では、どうすればボックスの外に出ることができるのか。それはまさに唯一絶対なる「リアルな世界」を体験する以外にありません。それが「あるがまま」であり「今ここ」の世界。そしてその「至福」を体験するとどうなるか。昨日と同じことを言いますね。
な~んだ!
ってこと。何にも特別なことはなく、ただ、本当に「あるがまま」の世界があるだけ。だからこそ人間の多くは「眠ってる」と知ることもできる。「内的世界」なんてのは「夢」ですからね。単なる。先日のセミナーでも聞いてみました。
「あなたは起きていますか?」
と。するとほぼ全員が「はい」と答えます。しかし、
「あなたは覚醒していますか?」
たずねると、なぜか「いいえ」と答えられます。では「起きている」のと「覚醒している」の違いは何ですか?と聞くと、明確な答えは返ってきませんでした。でも、私はその違いは明確に、しかも極めて左脳的に説明することが可能です。
つまり「起きている」とは生理的な「睡眠」から解かれた状態であるのに対し、「覚醒している」とは私たちが日常埋没している「内的世界」から解放されたことを意味するのです。その「内的世界」に埋没している状態のことを「催眠」と言い、私たちは多かれ少なかれ、全員が常に「催眠」の状態にあります。もちろん私もそう。
しかし「私は常に催眠にかかっている」と知った上で生きていくのと、それを知らずに生きていくのとでは雲泥の差があります。なぜなら「私は常に催眠にかかっている」と知っていると、いつでもどこでも「起きる(覚醒する)」ことができるからです。それが「あるがまま」の世界であり「今ここ」の世界。いつでもそこに立ち戻ることで、瞬時に「催眠」から解放され、新たな「内的世界」を構築することができるからです。
そこで「瞑想」について昨日の話の続きをちょっとします。実は「瞑想」には二種類あって、一つがこの世の中を「あるがまま」に見ることで、言わば外向きの瞑想と言えるでしょうか。それに対して、自分自身の「内的世界」を変えるための、言わば内向きの瞑想があるようです。私の理解では、本来の「瞑想」とは前者であり、後者は単に自らの「変性意識」に導くための手段に過ぎません。もちろん自らの都合のよい「変性意識」に導くことができれば、それはそれで幸せな気分にはなれるでしょう。でも、私個人はそこを目指していません。私が目指しているのは、唯一絶対的なる世界を知ることだけだからです。
一度、それを知ってしまえば、そこで初めて自らの「内的世界」をコントロールすることができるわけです。今回のセミナーではできませんでしたが、先月の「Q州ツアー」のワークではスプーン曲げを題材に体感してもらいました。多くの人は「スプーン(金属)は曲がらない」という「内的世界」を持っているのですが、ちょっとした催眠誘導でその世界をまず変えてみました。すると何名か曲がるようにはなりました。
次に「内的世界」から脱出するワークをやり、そこから改めて「内的世界」に立ち戻ったところ、スプーンが曲がる人が増えただけでなく、中にはグニャグニャに曲がる人も出てきました。つまり「願望実現」一つをとっても、まずは「内的世界」というボックスから出ることが重要であり、そのための方法論として「瞑想」及び「瞑想状態」に至る行為があるわけです。
お~っと!今日も「ハイヤーセルフ」の話ができんかった。でも、私の言うことから、その辺のこともそろそろわかるのではないかと思います。一つだけ言えるのは、「ハイヤーセルフ」なんて単なる「名前」に過ぎないってこと。でも、人は「名前」に弱い生き物。そんな厳かな名前を付けられた途端、勝手にイメージしちゃうでしょ。「インナーチャイルド」も同じ。これも潜在意識的なある種の状態について「名前」を付けただけ。なのに本当に「赤ちゃん」のようなイメージをして、それが出てくるか来ないかってことに右往左往する。
確かに私自身もインナーチャイルドのイメージを見たことはありますが、それが単なる「イメージ」であることを知っていますので、落ち着いて対応することができるのです。「ハイヤーセルフ」にしても、明らかにそんな「実体」は存在しません。
中にはある特別な状況に置かれると、「アラジンと魔法のランプ」の「ジーニーさん」のような「実体」が目の前に現れて、あれこれ最善の道を指南してくれると思っている人もいる。ないですから。はい。「声」も聞こえませんから。はい。でも私は、ハイヤーセルフの声をいつも聞いています。そしてその通りにすれば、何でもうまくいくようになっています。
ハイヤーセルフはいないと言ったりいると言ったり、声など聞こえないと言ったり聞こえると言ったり、、、一体どっちなんだ!と思われるかもしれませんが、その辺のことはまた明日書こうと思います。長くなりましたので今日はこの辺で。ありがとうございました。
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Qさんは本当にスゴイですよ、自分の中ではかなり注目人物です!「この人…マジで本物だわ(霊的な意味ではなく人として)」って。リアリストの目線でなんだか中村天風さんっぽい。
本文『「内的世界」から脱出するワークをやり、そこから改めて「内的世界」に立ち戻ったところ…』はなるほどです。
つまり「あるがまま」ってのはなんだか冷たいロボットの物質的観察で何も感じず、なんだか情味がなさそうだなぁ…と思っていたのですが、やはり続きがあるのですね。
ついに本日「ハイヤーセルフ」なるものの解説が!?でるのか!? 皆さんお楽しみにしておきましょうね。
ってかQさんに会いたくなって来た、絶対会っておきたい人だわ。現在、半分ニートですが仕事についたあかつきには初任給でセミナー行こうかな………………行こ!
いつもありがとう。です。
そうですね。本当にそうですね。心底同意します。
でも、日常に戻るとまた忘れて右往左往する日々・・・。
わたしもセミナー、せめてライブに行きたいです。