-人生を変える100日ブログ(43日目)- 行が明けた日曜日。なぜだか平穏な気がします。いつもの日曜日なんですが。ところで今日、
100日ブログの書評にて、久々に小林正観氏を読んでみました。2004年に斎藤一人氏を知って、「ツイてる、ありがとう」にハマり、間もなく五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を知りさらに確信。その時、「
五日市剛さんのエッセー」としてブログに紹介させて頂きましたが、その時は五日市さんがここまでメジャーになるとは思いもしませんでした。単に「いいお話だな~」と思って紹介したくなっただけ。それがいつの間にか、グーグルで「五日市剛」で検索すると、今でもオフィシャルページ、ウィキペディアの次にその記事がヒットするのです。それによって私のブログのアクセスが上がったことは言うまでもありません。
それから半年後、今度は「小林正観」なる人物を知るようになるのですが、その時はまだ一般の書店に並んでおらず、福岡市内にある正観さんのショップを探して2冊買い求めたものです。そして近くの「浜勝(とんかつ屋)」でむさぼり読んで感動しまくっていたのが会社を辞める数カ月前。特に「
そわかの法則」には大きな感銘を受けて、グーグルで「そわか」で検索すると、正観さんの本、感性日本料理「そわか」なるお店のページ。その次に私のブログがヒットしています。ちなみに「そわか」なる日本料理店も福岡市内にあります。「感性」って名前からしても、いかにも「正観氏」的なお店のような気がしますね。いつか行ってみたいと思います。
でもこうやって改めて読んでみると、やっぱり正観さんもいいものです。もちろん「方便」的な記述も多いのですが、それでもやはり読んでて楽しい気分になるし、考えさせられる部分は決して少なくありません。正観さんの言いたいことはとにかく「実践者」であれとのこと。「そわかの法則」について言えば、「掃除」「笑い」「感謝」をしっかり実践しましょうと。先ほど、さっそくトイレ掃除をしてしまいました。
ま、正観さんについては、いろいろ思うこともあるにせよ、幸せに生きるための大切な道しるべを示していることは疑えない気もします。「
宇宙方程式の研究」を読んで、改めてそう思ったのです。ただ、正観さんの記述の中で大きく反対したいことがあって、それは「駄洒落で笑えない人間は波動が低い」なる言葉。私が大阪出身ってこともあるでしょうが、私は「駄洒落」で笑うツボは一切持ち合わせていません。「駄洒落」そして「ここ笑うところです」というフレーズが出てくると殺意さえ覚えると言ってもいいくらい。ですので、おそらく正観さんの講演会にも行かないだろうし、これからも駄洒落には厳しい目を向けたいとは思っていますが、久々に正観さんの本を読むと、つくづく「私の原点」を見るような思いになりました。
私の過去のブログを読んだ人はわかると思いますが、2004年は「斎藤一人」→「五日市剛」→「小林正観」と続いて、おそらくそのおかげで会社を辞めることができたようなもの。「感謝」の気持ちと実践さえあれば、人生はいくらでも好転するし、そもそも世の中に「幸」も「不幸」もなく、あるのは自分の心(つまり「内的世界」)だけだと点からスタートすることができたから。
実際、2005年に会社を辞めた時は本当に文無し状態。それでいて再就職をする気もならず、ただ「感謝」だけでどれだけ人生を切り開けるか実験したかった気持ちがありました。そしてインドはラダックで悟ったのが、この世はすべて「感謝」でできているという真実。宇宙につながるとは、まさに「内的世界」を「感謝」で満たすことだと悟ったのです。あの時の状況については
拙著でも書いてるし、今までも何度も語ってきたのですが、改めてまた書きますね。
2005年はとにかく激動。正月からものすごい仕事の担当になり、それはとにかく単価は高くないのに、作業量だけが膨大って一番厄介な仕事。しかも年度末で納期を確実に守る必要があり、とにかく週に4回徹夜とかやってました。それでいながら「21日滝行」を満行したのですから、我ながらすごいものです。まさに「無我」でした。それでも後一年はその会社に勤める決心をしていたのに、3月のある日、打合せ先に行く道すがら、「もう会社を辞めていい」との声が聞こえて気がして、「神社で確かめよう」と思って信号停車した交差点が「筑紫神社前」でした。その神社でコインを投げ、「表」が出たからその日のうちに辞意表明。
そして5月には21日間のインドに行ったのですが、初日に暴漢にあい、夜中に悪徳旅行会社に連れまわされ、所持金をすべて奪われる始末。ATMに行くと残高5,000円のみ。たったそれだけで6泊7日のラダック滞在をしてしまうのです。資金はギリギリなのでラダックで一番安い宿に泊り、そこを拠点に近場をうろつくばかりで、することは限られます。そこで思い付いたのが「般若心経1000巻」をあげること。中日が5日間あったので、一日200巻として合計1000巻に挑戦します。200巻ってのは時間にして4~5時間。もちろん休み休みなので、連続で唱えると2時間ちょいってとこでしょうか。その5日目、日記によると820巻目辺りから、とにかくとめどもなく涙が出てきたのです。そして電光掲示板のように目の前に「感謝」の文字が見えて、この世のはまさに「よい」も「悪い」もなく、すべては「感謝」という粒子でできているのだと悟ったのです。
その瞬間、初日の暴漢と悪徳旅行会社、会社でのいろんな出来事、27歳時の絶望的なニートなど、、、今までのあった「よくない」と思っていた出来事がすべて「感謝」に変わってしまい、同時に未来もすべて「感謝」になったのです。まさしくオセロが黒から白へと一気に変わるが如く。そこでさらに悟ったのが「何があっても大丈夫」って言葉。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、、、この情報は真実なのか。頭ではわからないけど、とにかく「実証」してみる価値はある。しかもインドから帰ると私は文無し、仕事なし。それでも大丈夫なのか。
あれから5年経ちますが、本当に「奇跡」のような毎日で、確かに「大丈夫」であることを実感。しかも当時よりもずっとずっとよくなってるし、願ったことが次々と実現している。会社を辞めた時点で誰が本を出版するなど予想したでしょうか。それも五日市さんに帯を書いてもらい、さらにはアマゾン総合一位など。一つ言えることは、私の「内的世界」が常に「感謝ベース」であったこと。私の周囲の人からしばしば言われるのですが、私ってとにかく楽天的。なんとかなるさでなんとかなってきてる。実は元来、ちょっと悲観的であったツレまでもが、私に感化されて願望実現の達人になってしまっています。私が知る限り、ツレが願ったことはすべて実現していますから。
とにかく最強の成功法則は「感謝ベース」で生きること。それが私の原点だったってこと、改めて思い出しました。そう考えるといろいろ反省すべきことはあります。不平不満を言わないまでも、すぐに他人のことを批評したり、偉そうになったり。私ってコンディションのよくない時は殊勝な気持ちで「感謝」だのなんだの言うのに、ようなるとすぐに慢心してしまいます。悪い癖ですが、時々、反省できる自分でいてよかったです。
とにかく「内的世界」を「感謝ベース」に塗り替えること。ただ、感謝の「気持ち」って言われてすぐに変わるものじゃない。だとすれば「ありがとう」とか「感謝します」など「言葉」からスタートしてもよい。どうしても状況を変えたいのであれば、「ありがとう一日一万回」を100日するでもいい。それだけやって仕事しないのも問題ですが、行き詰ったら最後はそんな方法だってある。それで乗り越えられる局面もあるかもしれない。まさに「実践者」であること。
ちなみに「宇宙方程式の研究」を読んで面白いと思ったのが「スプーン曲げ」の話。脳波がアルファ波からシータ派、デルタ派になれば力を入れずともスプーンは曲がる。私もスプーン曲げはできるのですが、確かにあれは力技では曲げられません。曲がっている姿をイメージしながら、「曲がりました」の完了形、さらには「曲がってくれてありがとう」の感謝形で曲げるといとも簡単に曲がる。
これは「雲消し」も同じこと。2005年にインドに行く前、滝の導師から「雲消しの術」を伝授してもらい、まさにインドでマスターした技。これなんかもやっぱり「感謝ベース」でやるとうまくいくわけです。てなわけで、来週のQ州ツアーでは「スプーン曲げ」と「雲消し」を一気に伝授させて頂きたいと思います。ある意味、「感謝ベース」の脳波になるための訓練だと思って。
そんなわけでして、小林正観さんの本を久々に読むと、それも今読むと、いろんな気づきがあるものですね。ちなみにこの本にはいろんな種明かしがありました。今、公になってるかわかりませんが、正観さんはあの高○○○氏に影響を受けていたのですか、と。その高○○○氏からつながるのが「伊○○○○」だったりすると、何かが一本つながった。なるほどって話ですが、この辺は不確かなので書くのはこの辺で。
ところで最近、月木恒例のユーストですが、明日13日(月)もやります。「
第七回宇宙となかよしUSTセミナー」です。テーマは「お金」について。これまた興味深いテーマでしょ。今日はこの辺で。ありがとうございました。