激ヤバ体験4日目 2010.8.28

-人生を変える100日ブログ(28日目)- (←私のがちょっと止まっていますが、福岡に戻ってから一気に挽回します)

 それにしても刺激的な毎日です。昨日のユーストで一気にエネルギーを消耗しちゃったのか、すぐに寝て、久々に熟睡できた感じです。身体スッキリ。朝は7時からヨガの時間。NLP四天王の一人であるジュディス・ディロージャ女史は、他の三人に比べて日本ではあまり馴染みがないようですが、ソマティックNLP(身体的NLP)の専門家。つまりNLPは「心」と「身体」の結びつきを極めて重要視していますので、毎日のヨガ実習もその意味でかなりNLP的なワークになるわけです。

 講師は都内でヨガインストラクターをされている野村光恵さん。普段もそうですが、ヨガをやっている時も、それはもう、惚れ惚れする美しさです。今までヨガと言うと、身体を柔らかくするためとか、ダイエットするためとか、骨盤を矯正するためとか、いわゆるカルチャースクール的なものとしてしか考えることはなかったのですが、当然のことながら実に奥が深いです。例えば普通知られているのは「ハタヨガ」と言って、身体的なものに集約される傾向がありますが、実際にはジュナーナヨガ、バクティヨガ、カルマヨガ、ラージャヨガなど、必ずしも身体的なものに限られることもない、と言うか、非常に哲学的な範疇にあるものなんですね。

 ついでに紹介すると、北岡さんによる「4つのヨガ」のエッセイによると「カルマ ヨガでは、より高い意識状態に達するための手段として、日常の仕事を活用します (この意味で、禅はカルマ ヨガであると形容できるかもしれません)。バクティ ヨガは、精神世界の求道者による崇拝、礼拝の局面を強調するヨガです。ラージャ ヨガは、精神修行によって内的なマインド コントロールを達成する方法を探索します。ジュナーナ ヨガは、私たちの真の自己 (アートマン) と普遍的自己 (ブラーマン) がまさしく同一であるという真の知識だけを通して普遍的意識を達成しようと試みます。」と言うことであり、「さらに、北岡式体系では、最先端のコミュニケーション心理学である NLP は、現代のラージャまたはジュナーナ ヨガです。また、NLP の誕生に大きく影響した 2 人の重要人物であるミルトン・H・エリクソンとグレゴリー・ベイツンは、それぞれ、最も重要な現代のラージャ ヨギとジュナーナ ヨギです。」となるそうです。
 
 
 つまりは、NLPとヨガをそれぞれマッピングして考え、むしろNLP=ヨガとしてとらえることもできます。この5日間では、毎朝、ヨガ(身体的ヨガ)の実習が入っているのですが、それ以外のすべての講義やワークもヨガそのものと言っていいかもしれません。そして今日4日目はまさに「身体的NLP」がテーマとなりました。今回の合宿ワークはとにかく私にいろんな刺激をもたらし、新たな自己創造において不可欠な経験になっているようです。

 今日、北岡氏の話からヒットしたのが「姿勢は神である」という言葉。これはすごいですね。「姿勢」によって「神」と同一化できる。例えば私たちには「心」と「身体」があるとしますが、実際のところ、「心」を自由自在にコントロールすることは難しいですよね。どうしても独り言(内的対話)が生まれてしまい、それが自分自身を苦しめます。例えば「できなかったらどうしよう」なんて内的対話がそう。これによって余計な心配をして、自らの行動を制限してしまったり、場合によって「身体」を壊してしまうこともあります。

 ただ、「身体」については、その多くはコントロール可能です。もちろん心臓を動かすとか、汗を自在にかいたり止めたりするとかはできませんが(ただし、インドの本格ヨギはできたりするそうです)、姿勢を正したり、動いたりすることは可能。「心」が「身体」に影響を与えるように、「身体」も「心」に大きく影響します。とすれば、まずはコントロールしやすい「身体」を意識的に正せば、それだけ「心」も正しい状態へと元に戻ります。卵と鶏の話で言えば、それは間違いなく「身体」が先であり、NLPもまさにその「身体」へのアプローチを重要視するわけです。ゆえに「姿勢は神」なのです。

 それ以外にもいろんなワークがあったのですが(ちなみに「内的対話」を簡単に止めるワークは昨日やりましたが非常にパワフルでした)、最後の方で北岡氏による催眠誘導(瞑想指導)があり、その時、昨日までごちゃごちゃしていた思考が瞬時につながる経験をしてしまいました。それについては福岡に戻ってから改めて書きたいと思うのですが、いわゆる「悟り」についての左脳的理解。

 ついでに言っておきますと、北岡氏のメルマガ(新・これが本物のNLPだ!)を読んでもらえればわかる通り、時として非常に難解な印象を受け、かなり左脳的、率直にいえば「頭でっかち」な人のように思えるかもしれません。実際、NLP業界でも北岡氏はそのように思われている節があるようですが、私は今までこのメルマガを最もよく愛読していたように、極めて質が高く、正直、ここまで書いてもいいのか(無料で)と思うほど、すごいメルマガだと思っていました。当然バックナンバーはほとんどすべて保存しています。

 ただ、先ほど言ったように、人によっては難解で頭でっかちに思われるみたいですが、その理由はその人にそれを理解するだけの「参照機構」がないからだと北岡氏は言ってますし、私もそう思います。今回のセミナーではかなりオフレコな情報もあり、その中で北岡氏の「体験」を洗いざらい話してもらうことがありました(飲み会時も含めて)。そこでわかったのは、あのような難解(に見える)文章も、すべて北岡氏の「右脳的体験」に裏打ちされたもだったのなのです。

 言うまでもなく「砂糖の甘さ」を言葉で説明できないように、「右脳的体験」そのものを言語化することは極めて困難。でも北岡氏がこれまで数十年間一貫してやってきたのが「右脳的体験」を「左脳的知識」に落とし込む作業に他なりません。ゆえに、同じような「右脳的体験」を有している人にとっては北岡氏の文章もよく腑に落ちることなのでしょうが、そうでない人にとっては単なる小難しい文章に見えてしまうのです。

 例えば「悟り」を左脳的に文章化することは極めて困難ですが、似たような体験をした人にとっては、「悟り」をテーマにした極めて難解な文章があっても、まるで音楽を聴くように心に響くことがあります。ただ、「参照機構」がない人にとって北岡氏の話は無意味かと言うと、決してそうでもありません。誤解を恐れずに言うと、いわゆる「右脳的体験」として「参照機構」は誰もが持っているのですが、それと「左脳的知識」とのパイプを閉ざしているだけの可能性があるからです。
 
 例えば私のこのブログもだいたいが長くて、時として抽象的な文章が続くこともあります。私としてはもっと読まれてよいブログだと思うのですが(笑)、人によっては開いた瞬間に「長い」と言って閉じてしまうこともあるようです。ただ、そのような反射的に閉じてしまった人でも、後日、何かの機会に読んでみたら、「うお~!これはすげ~!」と思ってどっぷりハマるって報告を受けることがしばしばあります。

 それはおそらく、私と同じような「右脳的体験(参照機構)」を持っていたにもかかわらず、最初は読もうとしなかったのが、ある時、ふと読んでみてビックリする。これはまさに自らの「右脳的体験」が「言語化されている」ことに驚くこと現れなんです。ですので、北岡氏の話なりメルマガについても、今回のユーストや私のブログでの紹介をきっかけとして「読む」ことがあれば、その何割かはビックリして自らの「右脳的体験」が喚起されることもあるでしょう。

 その意味で、今回のセミナーでは直接話を聞いたこともあって、私の「右脳的体験(参照機構)」がかなり刺激されたことは言うまでもないし、その時はぼんやりしてても、それらが突然、ぴった~ん!とつながって、ものすごい気づきをもたらすこともあるのです。今日のように。

 そんなわけで今日もかなり濃い時間を過ごしたわけですが、夜は街に出て飲み会がありました。最初は居酒屋、次はカラオケスナック(実はジャズ喫茶)。北岡氏も単なる「おもろいオッサン」に過ぎないことが改めてわかりました。明日は最終日。なんか今から寂しくなっているのですが、とても有意義な毎日を過ごしています。ありがとうございました。 

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Commented by ベンチャー大学の栢野/かやの at 2010-08-29 10:10 x
おもしろそうですね。参加者はどんな人?男女、年齢、自営かそれ以外=サラリーマン・主婦・OL・学生か
by katamich | 2010-08-28 23:39 | ■人生哲学 | Comments(1)