俊ちゃんのニュースを見て・・ 2010.8.13

-人生を変える100日ブログ(13日目)- 

 朝起きると雨が降っていました。旅先の朝に雨が降ると、あることがフィードバックします。それはヨーロッパを自転車で旅行している時のこと。ヨーロッパは夏と言えど雨が割と降りました。自転車で移動していると、やっぱり雨は大敵。さらにキャンプとなると、テントに直接雨が降ってきて不安になったります。そんな夜ですが、日中の疲れのために朝までしっかり寝て、目が覚めるとまだ雨が降っている。そんな時、雨音と草の香りに包まれながら、今日一日の行程を考えるのです。そろそろ雨が止んだ頃を見計らって急いでテントを出てたたんで出発。そんなことを旅館で雨音を聞きながら思い出していました。

 朝食前にひとっ風呂浴びます。誰もいない露天風呂、最高でした。贅沢な朝食後、しばらくしてチェックアウト。天気は曇りがちでしたが、阿蘇、草千里方面に向かいます。草千里では馬を見たのですが、ちびQまたも興奮。南阿蘇から熊本ICに向かって福岡へ。基山PAのロッテリアでランチ。こんなのもいいですね。その後は先日子どもが生まれた友達夫婦のお家にちょっとだけ顔出します。ツレが生後一週間の赤ちゃんを抱っこすると、なぜかちびQが不機嫌に。ジェラシーなのかな。大好きなブドウをもらって落ち着きました。

 家に着いたのは4時頃。ちょうどいいですね。それから何気なくミクシィを見ていると気になる記事が。



「俺は強い」だから不遇にも負けなかった。田原俊彦、その転落人生を赤裸々に語る。

かつてはアイドルの頂点に君臨した、田原俊彦。その凋落を誰が想像することができただろうか。一番驚いたのは自身であっただろう。そのときの心境を彼が赤裸々に語った。

先週に引き続き「爆!爆!爆笑問題」に登場したトシちゃんこと田原俊彦。8月11日放送分では、マスコミにバッシングされるようになったときの心境を語った。

1994年にジャニーズ事務所から独立した理由について、先週の放送分で「キラキラしたアイドルとしての時期は終わったと感じたから」と語っていたトシちゃん。その時期に前後して「俺はビッグだから」や「マスコミは信用できない」といった発言が、彼自身が意図していた以上に重くとりあげられてしまい、マスコミからバッシングを受けて仕事が激減してしまった。ジャニーズ事務所という強力な後ろ盾を失ったことも関係しているのであろう。このとき彼はマスコミからの挑発にのることはなかったが、目に見えて仕事が減って行くことなどから、自分と思う方向とは違う方向に行っている感じはしていたと言う。だが、「発言したことは取り消せないし、本当はそういう意味じゃなかったと言い訳をするのはカッコ悪い」と、あえて反論はしなかったようだ。

「当時は悩んだか」という質問に対して、「悩んでも仕方がないと思っていた」とトシちゃんは答えた。心なしか目が潤み、悔しそうな表情を見せていた。自暴自棄になったりしてもおかしくはない不安な時期だったろう。だが彼は「俺は強いからね」、きっぱりとそう言った。そう、確かに、トシちゃんは強くて明るい。そんな前向きな彼だからこそ、今の穏やかな日々があるのだ。

現在では、高校二年生と中学三年生になった二人の娘さんの父親でもあるトシちゃん。家庭では風呂掃除をしたり、犬の散歩をしたりする、ごく普通のお父さんであるようだ。芸能活動も安定していて、毎年CDを出し、コンサートも開催している。また、ファンと一緒にツアー旅行に出かけるそうだ。自分が辛かった時期にも見捨てずに支えてくれたファンに対しては特に思い入れがあり、大切にしているようだ。「小洒落て、面白くて、エロい」姿をいつまでもファンの前に見せられるように歳を重ねていきたい、と彼は語った。

メディアにちやほやされるだけが、芸能人としてのあり方ではない。トシちゃんの人生はそんなことを考えさせてくれる。一度転落したからこそ、わかることがある。その経験は確実に活かされてトシちゃんはますます強くなっただろう。芸能人の再ブレイクが流行りつつあるが、彼にはそんな安易な波に流されずに、自分の道を歩いてほしいものである。
(TechinsightJapan編集部 大藪春美)



 この記事を読んで、なんだか嬉しくなりました。テレビで見ることは確かに少なくなったものの、毎年CDも出し、コンサート、ディナーショー、ツアーなど、今でも精力的に活動されている。ジャニーズ事務所から独立し、有名な「ビッグ発言」をした後、瞬く間に干されてしまい、テレビの世界から姿を消されることことを余儀なくされたわけですが、こうやって今でも元気に活動されている。

 何度も言ってきたと思いますが、私は田原俊彦のファンです。だからと言って、コンサートに行くわけでもなく、CDを買うわけでもありません。ただ単に「田原俊彦」という存在が好きなのです。それは干されたことへの判官贔屓でもなく、額が上がってきたことへの同類の好ってことでも、もちろんありません。

 私が俊ちゃんのことが好きだったのが、「教師びんびん物語」を見て。27歳の時って完全なニートだったわけですが、その頃、夕方に「金八先生」と「びんびん物語」が再放送されてたんです。それを毎日の楽しみに生きていました。それ以外は松本人志主演の「伝説の教師」やモーニング娘のオーディション番組「アサヤン」、「ガチンコファイトクラブ」など、とにかくそれらのテレビを見ることがだけが楽しみ。

 当時はインターネットも持ってませんでしたし、本を読む気力もありませんでした。工場のバイトなどをしながら、ただ生きているだけの生活。飲みに行く金も友達も、もちろん彼女もおらず、将来を悲観するだけ。就職活動しても履歴書の段階でNG。そんな時、「教師びんびん物語」を見ることが一番の楽しみでした。そしてどの回かは忘れたのですが、それを見て妙に感動してしまい、涙が出てきたんですね。

 そして「オレも頑張ろう!」って思って、就職活動に本腰を入れ始めます。でも、まともにやっても落とされるのは目に見えている。恥も外聞もなく、とにかく知り合いに手紙を書きます。それも熱い手紙。すると大学時代にお世話になった「生涯の恩師(恩人)」からすぐに電話がかかってきて、とりあえず話を聞いてくれることになりました。

 そしてその日のこと。当時は精神状態が不安定だったので、何かにすがる思いで「ソリティア」をします。塾のバイトで貯めた金で買ったノートパソコンに最初から入ってるトランプゲーム。すると何かを暗示するかのように、するする~っとソリティアが完成します。ちょっと気合いが入って出かけます。しかしながら、その恩人のいる会社にたどり着くまでに道の迷ってしまいます。こんな時に遅刻でもしたら、完全に心証が悪くなる。そもそも道音痴な私ですが、心臓がドキドキして、本気で焦り始めます。約束の時間まであと3分。もうダメだ、、、と思ったところに、目的の会社が現れます。結局、正しい道を進んでいたようですが、その時は「奇跡だ!」と思いました。

 今思うと、これって「引き寄せの法則」になるんでしょうが、まるで私がその目的地に向かったと言うより、目的地が私のところにやってきたような。その恩人はとある建設コンサルタント会社の所長をされていました。そして会社を訪問し、いろいろと話をします。次長と呼ばれる方も少し同席。ただ、その会社や基本的に「土木・建設」関係の会社であったため、「文系」の私は何となく敬遠される雰囲気を感じました。

 正直、その時の感触は良くありませんでした。それからしばらく、一向に連絡がなく、私の方から所長に電話をすると、本社の社長にも相談してみたのだけど、期待に応えるのは難しいとの返事。ただ、その時、ほとんど無意識に出てきたのが、


「タダ働きでもいいから使ってください!それで使いものにならないと判断されたらクビを切ってください!」


という言葉。そこまで言われては、、、ということでもう少し検討してみようとなりました。そして間もなく「アルバイトでよかったら・・・」との返事がきます。これでとりあえずは、念願の「社会人」になる足掛かりができました。ただ、時給は650円で、当時の福岡県の最低賃金ギリギリ。コンビニや工場のバイトの方が時給は遥かにいいです。でも文句は言えません。と言いながら、それでも嬉しくて嬉しくて涙が出てきたくらい。

 そのバイトを始めたことによって、「教師びんびん物語」を見ることもなくなり、老人ホームのボランティアも一か月で辞めることになりました。実は流れから言うとこうなります。


4月、大学院進学 (奨学金なし、家庭教師、工場でのバイト)
6月、大学院挫折 (新たなバイトからも雇われず、最悪のニート)
7月、塾の夏期講習のバイト決定
9月、夏期講習が終わり、同じ塾に夜だけバイト
    昼は何もせずにテレビ、「教師びんびん物語」に出会う
    「びんびん物語」に感動して老人ホームでボランティア
10月、会社でのアルバイトが決定


 その後は塾、家庭教師、会社バイトなどでニートから脱出し、翌年4月にその会社の契約社員として採用。ただし、新卒の7割給料にボーナスなし。年収200万ちょっとが2年間。3年目に正社員で給料もマシになる。最終的に4年勤めて退職、独立起業となり現在に至ります。

 こうやって振り返ってみると、本当にいろんな人のお世話になってきたことがわかります。そして同時に何一つ「無駄」ってものはないこともわかります。今思うと、すべては一つの「物語」の上で必要不可欠だったこと。あの時、「教師びんびん物語」がやってたのも必然。ニートでことごとくうまくいかなかったのも必然。

 それを知っているからこそ、やっぱり「大丈夫」ってことを伝えていきたいわけです。ま、確かに私なんかよりもっともっと悲惨な目にあっている人はたくさんいるでしょう。それもまた「必然」だったことを知っているから、そのことを伝えていきたい。

 今思うと、私はどこか「教師」という道が用意されてたような気もします。もちろん「教師」と呼ばれることはありませんが、今は「講師」として似たようなことをやっています。元々私の父親は数学教師。予備校時代、本の素晴らしさを教えてくれた牧野講師、同じ予備校で世界を見ることを教えてくれた竹国講師、大学時代の恩師であり後の会社の所長。そして「教師びんびん物語」の俊ちゃんに、「伝説の教師」の松ちゃん。いろなん人から教えられてきて、今の私があるんだと思っています。

 そして今、私は逆に何かを教える立場で恩返しをしたい。それがもしかしたら私の「天命」なのかもしれないな、、、と思う今日この頃。俊ちゃんのニュースを読んで、思わず振り返ってしまいました。栢野さんじゃないけど、昔の私を救いたい、そしてたくさんの悩める人たちを救いたい。そんな気持ちで毎日を過ごしています。さあ、もっともっと頑張ろうかな。ありがとうございました。 

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Commented by ベンチャー大学の栢野/かやの at 2010-08-14 22:08 x
いいねえ。最高やね。

共に、元落ちこぼれ挫折人間として、昔の自分を救おうぜ!
Commented by 陽子ママ at 2010-08-15 06:12 x
昔の自分を救うってわかる気がします。

大丈夫よ
と声をかけてあげたくなる
昔の自分がいたるところに居ます。

Qさんの声だけ聞くといい声だなあとおもいましたよ。
声だけ聞くとっていい方変ですね。
お会いした時は感じる声のわりあい30%
声だけ聞くと100%そこに意識がいくでしょ
そしたら、ああいい声だなあってあらためて思いましたよ。(*^_^*)
Commented by kaorin at 2010-08-15 11:27 x
Qさん、結構大変だったと思いますよ。

けど、自分より悲惨な目に逢っている人がいる…この視点が、たまらなくスキです。
Commented by トシのファン 46歳 女性 at 2010-08-16 12:15 x
田原俊彦で検索してたらこちらが表示されて御邪魔してます。「教師びんびん」良かったですよね。私もコンにいくわけでもCDも買いませんが(昔は行ってたし買ってました)今でも大好きです。実は今は嵐に堕ちてファンをしておりますが、飛ぶ鳥を落とす勢いの嵐と比べてもやっぱりトシちゃんのほうが凄い!今も頑張ってるトシちゃんをみて私の目は間違ってなかったんだな~~と思いました^^(当事は世間的にはマッチのほうが認められてて、トシちゃんはおバカ扱いされてましたから)。私も唯一無二の「田原俊彦」の存在そのものが好きです。
突然、熱く語ってすみませんでした。とてもうれしかったので^^ありがとうございました。
Commented by katamich at 2010-08-19 15:06
■栢野さん!
救いましょう!
Commented by katamich at 2010-08-19 15:06
■陽子ママさん!
ありがとうごあいます!
Commented by katamich at 2010-08-19 15:07
■kaorinさん!
いや、まだまだ私などアマちゃんです!
Commented by katamich at 2010-08-19 15:07
■トシのファンさん!
紛れ込んで頂きありがとうございます(笑)
俊ちゃん、もっとテレビで見たいですよね!
by katamich | 2010-08-13 23:39 | ■人生哲学 | Comments(8)