感謝の夕べ・・・ 2010.7.25
2010年 07月 25日
そしていよいよ根本昌明さんのコンサートの時間が迫ってまいりました。何度も言いますが、今回の東京出張はすべてこれに始まりました。6月1日に晩飯食いながら何気なく見ていたテレビに根本さんが登場したのです。5分ほどの登場だったのですが、それだけですっげえ感動しちゃって、「もう、行くしかない!」と思ってスケジューリング。根本さんのことは山川紘矢さんご夫妻も応援していることを知ります。そしてすぐに根本さんご夫妻も私のブログを読んで感激してくださったようで、奥さんとはすぐにマイミクに。
実は、、、ほんとのこと言うとですね。今回の出張はいろいろ大変だったのです。まず木曜日の中村隊長とのトークライブが集まらない。自分のセミナーもいつもの半分以下。正直、「仕事」としては完全な失敗、、、となりそうだったのが、それこそ一週間前もそうでした。ぶっちゃけ、「あの時、紳助の番組見てなかったら、こんなに大変なことなかった・・・」とか妙なこと思い始める瞬間もありました(笑)
でもすぐに「これはきっと何かあるんだ!」と思って、とにかくできることに全力投球。すると木曜日のトークライブはほぼ満員。土日のセミナー・宇宙となかよし塾も部屋いっぱいになり、すごくいい雰囲気でさせて頂くことに。福岡空港を出るまで、何となく胃が痛い感じがありましたが、終わってみると全部大成功。
そして何より、毎日が感動の連続。文字通り笑いと涙。そのラストを飾るのが根本さんの「ベートーヴェン感謝の夕べ」でした。「宇宙となかよし塾」に来てくださった方たちと会場に向かいます。地下鉄の同じ車両に山川さんご夫妻が。シンクロだよな~ってことでさっそくご挨拶。
それから、実はちょっとした手違いがありました。てっきりチケットをカードで購入していると思い込んでいたのですが、ファミマで支払いを選んでいたのです。そして気が付いたら支払期限を過ぎていて、当日で入ることに。幸い一番高いS席が空いていたのですが、会場で席表を見ると、ほとんど空席がありませんでした。あぶない、あぶない。チケット買い終わってやれやれとしてたら、おっと!にしおかすみこ登場。顔が小さくてきれいな方でした。
私たちの席はS席だったのですが、なんと一番前。席としては決していい方ではないのですが、指揮者や演奏者の表情などもはっきり見えます。これはこれでいいじゃん。あ、そう言えば、阿部敏郎さんが24日にブログでアナウンスされてたんですね。コンサート直前にそれを知り、携帯からブログ読みました。
この曲に秘められた見えないパワーが純粋に発揮されるという点において、その場限りの奇跡を、聴衆全体が目の当たりにするような気がします。
もしかしたら、この演奏が始まる前と終わった後では、すでに時代が変わっているのかもしれません。
てな記事を読んで、ますますワクワクしてきました。とにかく一番前で見上げる形で座っていたのですが、前半、ピアノが目の前にどか~ん。これはこれでレアな光景です。5時半になって開演。オーケストラの団員が舞台に入ってきます。目の前はヴィオラ奏者。間もなく緑の光沢ある衣装を着た根本さんと、ウィーンから来日された大御所イエルク・デムス氏が登場。デムス氏は82歳ですがかくしゃくとされていました。
一曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲変ホ長調「皇帝」です。5曲あるベートーヴェンのピアノ協奏曲の中でも最もポピュラーだと思いますが、その理由は第一楽章の序奏にあるのではと思います。変ホ長調の和音が響くと、私などはすぐにモーツァルトの39番交響曲や魔笛序曲などを想起してしまうのですが、その和音から実にきらびやかなピアノの単音が天使のごとく舞い降りてくるのです。ほんとに。
その瞬間、不覚にも涙してしまいました。この感覚はなんでしょう。真っ先にヨーロッパを思い出させると言うか。以前、福岡のジャズライブハウスで辛島文雄トリオを聴いた時のこと。音が鳴った瞬間、その場がニューヨークになってしまい鳥肌が立ったのを思い出します。ベーシストは井上さんという当時はニューヨークでバリバリ活動されてた方だったからか、音が完全にニューヨークになるんですね。
同じように、デムス氏のパッセージからは、その82年の歴史、いやデムス氏に引き継がれたベートーヴェンのDNAがすぐに再現されて、私の目の前にヨーロッパが広がったのです。24歳の時、ヨーロッパを自転車で旅してた時、ウィーンで「魔笛」の野外オペラを見た時を思い出します。決して一流とは言えないオケとソリストでしたが、そこでしか聴けない、まさにモーツァルトのDNAが目の前で繰り広げられて、最初から最後まで涙を絶やすことなく聴いていました。以前書いた旅行記にその時のレポートが残っていました。
夜は俺の最愛のオペラである「魔笛」を聴きに行く。3,000円の安いチケットをゲット。遺跡のような野外ステージで夜の公演。まだ明るいうちから会場に赴き、ウロウロする。ステージからかすかに聞こえるリハーサル中の歌声に思わず身震いする。さあ、スターティング。序曲の後、タミーノの独唱に始まり、3人の侍女による三重唱で涙が溢れ出る。ああ!音楽ってなんて素晴らしいんだろう!!西ヨーロッパ最後の夜を静かに劇的に飾る。終演後は余韻に浸りながらユースまでゆっくり歩いて帰る。夜中の12時になっていた。
(8/13~14)
デムス氏のピアノも一流だけが、そして本物だけが持つ「香り」がそこにありました。世の中にはもちろん内外を問わず、素晴らしい演奏家はいくらでもいます。しかしあのような「本物の香り」だけは、どんなに頑張っても到達できない、いわゆる「演奏家」を超越した「音」がただあるだけ。それはまったくクラシックを聴かない聴取を感動させるに余りある説得力がありました。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲はまだまだ古典の様式を残したままであり、例えばチャイコフスキーやラフマニノフのような派手な演出はないものの、だからこそそのシンプルな「香り」だけが会場に広がるのでしょうか。協奏曲が終わり、指揮者の根本さんはデムス氏の手を引きながら、何度もカーテンコールするんですが、一番前だけにすでに涙ぐんでいる根本さんの顔が見えてしまって、こっちまでもらい泣きしそうになりました。その後、15分間の休憩ですが、ロビーで早くもビール。やっぱり音楽には酒です。私のブログを見て来ましたって方にも何名からお会いすることができました。よかったです!
後半はいよいよ第9。CDでは何度も聴いているし、生演奏もおそらく3回目くらいかと思います。第9を歌うのが夢だった時期もありましたが、確かに聴くだけでなく、いつかはステージの上で歌いたいものです。それにしても第9ってどうしてあんなに感動的なんでしょうかね。
18世紀の交響曲ってのは、いわゆる貴族のためのサロン音楽的な感じであって、それを量産したのがハイドン。それがモーツァルトになると、ドギツイ短調の交響曲(25番・40番ト短調)なんかが登場したりして、より大きな世界観・宇宙観を表現するようになってきます。それが最高に昇華したのが、私は41番ハ長調だと思っています。
高校時代、毎晩、ウォークマンでモーツァルトだけを聴き続けていたのですが、ある日、交響曲第41番ハ長調(指揮はブルーノ・ワルター)を第一楽章から聴いていました。もう何度目かわかりませんが、とにかくその日は41番だったのです。そして「それ」は第4楽章で訪れました。速いテンポで、印象的なモチーフが次々と出てくる曲なんですが、そのラストで、、、イッてしまったのです。宇宙に。
その当時はスピリチュアルも精神世界も何も知りませんでしたが、モーツァルトの41番第4楽章のラスト数分で完全に「宇宙」に行ってしまったのです。「やばい、、、帰ってこれなくなる・・」とまで思ったほど。その時、モーツァルトはもはや貴族など特別階級のためではなく、私たち人間に「宇宙」の存在を体感させるために、まさに宇宙の代弁者としてこの曲を書いたんだろう、、、と思ったほど。高校生の私がすでに。
第9の話に戻りますが、第9も確かに「宇宙」を表現した音楽には違いありません。ただ、モーツァルトの場合は、もう完全ストレートに「コレガウチュウデス(これが宇宙です)」と言ってるのに対し、ベートーヴェンはまずは「人間」を表現するところからスタートしてるんですね。
今、気がついたのですが、ベートーヴェンの第9もモーツァルトの41番も同じく最後の交響曲であり、第4楽章で「宇宙」を表現しています。つまり、作曲家として最終的に表現するべきは「宇宙」であり、第9や41番が最後の交響曲になったのは、それ(宇宙)以上に表現すべき対象がなくなったから、、、と考えられなくもないですね。
で、第9なんですが、有名なのは合唱付きの第4楽章ですが、本当は最初から聴くべき。第一楽章の出だしとか、いつもよくわからん。え・・始まったの?見たいな出だしですが、あれってもしかしたら自我の形成プロセスなんかな、、、と思うことがあります。そして自我の確立とともに「苦悩」が始まる。第二楽章なんかも3連符が焦燥感をかきたて、時折ティンパニが強烈な鉄槌を与えるなんて、まさに人間の苦悩そのものじゃないかと。一転して第3楽章は安らかに。私の大好きな楽章ですが、この辺りで涙腺はかなりヤバいんですよね。人生って素敵やんっていつも思います。
・・・なんですが、一応、ここまでは「人間」を表現してるに留まってる気がするんです。根本さんが最後に「今まで第4楽章は演奏できなかった」と言ってましたが、そこに始まる「宇宙」をどのように表現すべきなのか、手を出しかねていたからなんでしょうか。言うなれば「ヤバイゾーン」なんです。
ただ、モーツァルトの「宇宙」はずっと抽象的で、別の言い方すれば数学的。それに対してベートーヴェンの「宇宙」はもっともっと具体的で、私たちが「喜び」と接する、言わば目に見える形での「宇宙」があると感じるんです。そう言えば第4楽章の有名なフレーズは「歓喜の歌」って呼ばれてますもんね。
ただ、「喜び」と言っても、私たち人間の感覚で言えば、「悲しみ」や「苦しみ」に対する「喜び」のような一種の評価軸が入る気がするんです。しかし、宇宙の喜びとは、そんな相対的な価値ではなく、何ものも比べようのない絶対的な「喜び」なんです。
吉野家とすき家ではどっちの牛丼の方が美味しいか、、、ってのと同じように、昨日より今日の方が喜ばしいってのは、人間、もっと言えば「自我」の評価によって判断される喜び。しかし本当の意味での喜び、すなわち「宇宙」の喜びとは、ただ単にそこにある「喜び」のこと。それを「神」と言ってもいいかもしれませんが、ただ、喜びとしか言いようのない世界。それが第4楽章なんです。
ですので、第1~3楽章は「人間」としての苦悩や安らぎを体現していたのに対し、第4楽章はそれらとは次元の違う、遥かに超越した世界があるわけです。だからこそ、そんなにおいそれと振れない、、、と言う根本さんの世界観はものすごく共感するものがあります。そしてまさに宇宙の「悟り」の境地を体験した今の根本さんだからこそ、表現できる世界がある。それを私たちは聴きに来ていたのです。
演奏が始まる前、私のセミナーにも来られた方と「一流と超一流」の違いについて語り合っていました。一流てのは確かに上手だしすごい。非の打ちどころがない。それに対して「超一流」はほとんどの「粒子」の世界であって、上手とか下手を超越した説得力がある(もちろん上手ですが)。もう言葉にできない何かがあるんです。
もちろん一般的には「一流」の上に「超一流」があるわけですが、時として、「一流」を経ずして「超一流」の世界観を創造してしまう、言わば突然変異みたいな現象があります。ひょっとしたら、それが今日だったのかも、、、と最後に思いました。例えばそれは、、、まったくクラシックに興味のなさそうな連中までが、演奏中に号泣していたなんて事実を見てもそう感じます。
ちなみに私の隣には「AF」ってロゴの入った帽子をかぶり、汗に濡れたTシャツとサンダル履きの男が座ってたのですが、彼はクラシックまったく興味なし。それでも演奏中には何度も涙が出たと言うのだから、やっぱり「何か」があったのかもしれません。もちろん私も、全体で7~8回はかなり泣いてしまいました。
本当はもっといろいろ書きたいのですが、ブログの字数が迫っているのと、何だか言葉にする限界を今感じていて、もはや言葉が降りてこない状況なんです。どうでもいい話ですが、今日はマヤ歴で「時間を外した日」だったそうです。明日から新年。「時間を外した日」ってのが、どんな意味を持つのか知りませんが、それもまたやっぱり「何か」があるのかもしれません。
阿部敏郎さんが「この演奏が始まる前と終わった後では、すでに時代が変わっているのかもしれません」って書いてましたが、もしかしたら本当にそうだったりして。その瞬間に立ち会えたのかな。少なくともオレは、今日の演奏聴けてよかったです。そしてこのブログ見てきた人たちとも数名お会いしましたが、やっぱり書いてよかったです。口々に「(書いてくれて)ありがとうございました」って言われちゃいましたから。いやいや、根本さんありがとうです!
人生ってさあ、、、やっぱ「感動」だし「喜び」だよね。それも絶対的な。今回の東京出張もこのコンサートがきっかけで、このコンサートに終わりましたが、やっぱり「感動」を人生のプライオリティにおいているだけに、一分一秒、そして今この瞬間がすべて「喜び」であることを知る。そんな4日間だったな~と今思っています。あ~もっと書きたい。でも書けない。なんでだろうかね。と言いながら、もう6千字以上も書いてたりして。
よっしゃ!もっともっとオレらしく激しく生きようと思う。日々是感動。ただ、それだけだね。演奏会終了後は一応楽屋に顔出して、根本さんの奥さんや山川夫妻ともお会いできました。その後はホールの地下のイギリス風パブでフィッシュ&チップスを肴にギネスビール3杯づつ飲みました。男3人で。それがまた、めちゃくちゃ楽しい語り飲みでした。あっつあつのトーク炸裂でね。あ~!本当にいい日やった。そしていい人生ですよ。オレ最高!そしてみんな最高!ありがとう!!
くりっくでかんぱーい!
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もう一点、口元だけでなく目元も笑うようにすべし、のお話しは目からウロコでした。日中何度か気にしてやってみましたけど、それだけでテンション上がりますよ、私の場合。
実は終了後に本買いたかったのですが、タイミング逃しちゃったのでそれはまたの機会に、という事で。
ホントにありがとうございました。
ただただ圧倒!
先日はありがとうございました(どちらに座ってらした方かな??)
目元で笑うのはそれなりに訓練が必要ですが(笑)、いっぱつでスイッチ入るのでおススメです!
本、、、また今度にでもどうぞよろしくお願いいたします!
ご縁に感謝!
よくわかりませんが(笑)、ありがとうございました!
実はあの時お話しに出た「パワーかフォースか」を翻訳したエハンデラビィさんと共に、今年の4月に「ルーミーその友に出会う旅」という本を出しました。私は翻訳で参加させてもらいましたが、ルーミーという詩人の翻訳を2004年から続けていたので、Qさんが著者を出版された時はすごく嬉しかったんです。“Qさん、私ももうすぐ出ますよ~!”みたいに2009年暮れに平積みされた「宇宙となかよし」を見て話しかけたものです。。。
なんて話を25日にお伝えしたかったのですが、恥ずかしくてその場はやめました。。。なので今伝えました!