本当は今日が「21日行」の満行の日だったのですが、集中豪雨のため2日間お休みしたので、満行は月曜日に延期。今日はひとりでいつもの不入道に行って、昼から親子3人で天神にメガネを買いに行きました。私も一つ買って、ツレも買いました。ちびQはたくさんの車を見て大興奮。指さして「うお~うお~」って言ってるんです。ちびQも成長したな~と嬉しくなりました。
ところで今日も「願望実現」の話で昨日の続きをしたいと思います。「信念は人生を創る!」のは本当の話であって、どんなに能力があったとしても、それを活用する上での「信念」がなければ使いものになりません。ここでの「信念」はセルフイメージと言ってもいいと思いますが、私はしばしば「覚悟」と言っています。
そしてその「信念」や「覚悟」を試す上で、その通過儀礼的に「21日間」を置いてみるのはいいと思います。つまり、これまでの自分にはない習慣を「21日間」で挑戦してみる。昨日の記事のコメントに、酒やタバコを長年やっている人間にとって、それを禁止するのはものすごい修行です、とありましたが、その通りだと思います。私は続けて100回の腕立て伏せができませんので、それをやることはものすごい負荷。でもプロレスラーにとっては朝飯前。あくまで自分基準でいいとは思いますが、その辺は自分に正直になること。
ここで「願望実現」には2種類あることを示しておきたいと思います。一つは「自我」からくる願望。もう一つはいわゆる「本当の自分」からくる願望。「自我」からくる願望は、様々な「条件付け」によって形成された願望ですね。お金持ちになりたい、出世したいなんてもそうです。一方、「本当の自分」からくる願望とは、そんな「条件」を超越した、まさに独特でユニークな願望です。
では、それぞれの願望の叶え方を書きたいと思いますが、まず「自我」からくる願望を叶えるには、その「願望」にエネルギーを集中させること。「お金持ちになりたい」であれば、そのための全エネルギーを注ぎ込むのです。すると当然叶います。当たり前の方法ですよね。もちろんエネルギーが十分でなければ叶いませんが、仮に叶ったところで、人間関係や健康を害したりして、何かのバランスが崩れるようなことがあります。それが「自我」からくる、いわば偽りの願望です。
一方、「本当の自分」からくる願望は、すべてのバランスが完璧に整えられていて、かつ、心から欲している人生レベルでの願望。自らの天命とも言えるような、まさに「これをするために生まれてきた」という種の願望です。しかし、これがまた簡単には見つからない。すべての「条件」を排して、最もピュアなピュアな自分へと立ち戻る必要があるのだから。
しかし私のこれまでの経験上、その願望を自然と見つける、つまり「本当の自分」へと立ちかえる方法があることを知っています。それが「21日間」の修行です。何のことかさっぱりわからないと思いますが、こういうこと。修行という言葉に抵抗があれば、とにかく期間限定で、自らの限界を超えるようなことにチャレンジするのです。
これはランチェスター経営の竹田先生が言ってたのですが、若い時期に、一度は徹底的に「自我」を崩壊させるほど仕事をした方がよい、と。営業の仕事でも、普通はルーティンで一日20枚程度しか名刺を配らないところ、一日に100枚配るまで会社に帰らない、など。とにかく毎日、ヘロヘロになるまで仕事をする。するとあれこれ考える暇もなくなり、まさに自動ロボットのようにひたすら動く。そんな時、突然、天啓がやってくることがあるんですよ、と。
(あかん、、、、今日も猛烈に眠い、、、ってことでひと眠りしてからまた書きます)→続きます
ここ2~3日、ブログ書いていると猛烈に眠くなる。きっとエネルギーを消耗してるんだろうな~と思います。いや、ほんと、「公式ブログ」でも新たに3~4は記事を書いてますので、気づかぬうちにかなり脳に負荷を与えてるんだなと思います。それはともかく続きます。
一つ目の「自我」からくる願望を叶えるためには、そこにエネルギーを集中して注ぎ込むしかありません。だいたい叶いますが、時には健康や人間関係などバランスを崩すこともあります。一方、「本当の自分」からくる願望はバランスは完璧で、魂が喜ぶ体験をします。
では、どうすれば「本当の自分」からの願望を叶えることができるのか。いろんなアプローチがありますが、その前にまずはそれを見つけないことにはですね。その一つが「自我」を崩壊させること。つまりあれこれ考えずに働くこと。いや、自分はリストラにあって仕事がないんです。そんな人の場合は、「歩く」ことがいいかもしれません。ここでは「歩く」を例にして話を進めたいと思います。あくまで「例」ですから、具体的な行動は各自で考えてください。
千日回峰行モドキに、まずは21日間、50キロ歩き通したとします。その間、やっぱり酒はやめた方がいいと思います。タバコはいいとして、酒飲んで歩ける距離じゃないですから。そうなるとまず、健康にはいいです。体力もつくと思います。それは確実。では、それによって「本当の自分」からくる願望は見つかるのか。私は「見つかる」と思っています。しかし、それが何だかわかりません。今は、
しかし、見つからない人だっています。それは新たに「自我」からくる願望をセッティングしてしまう人。それが以下の図です。
これはどう言うことかと言うと、「21日間50キロ歩き通す」ことで「月収100万円」なんて「自我」の願望をセッティングしてしまっている状況です。なぜに「歩く」ことが「月収」に結びつくのでしょうか。お金が欲しければそれだけ働くしかないのです。宝くじも当たりません!
それによって「本当の願望」が隠されてしまっている状況。苫米地さん的な言い方をすれば、ストコーマ(盲点)が生じている状態です。結局、何をやろうとも「自我」の願望が立ちはだかっている限り、「本当の願望」を見つけることは困難なのです。ここでの「自我」の願望のことを「執着」と言ったりします。
以前、「100日ブログ」なる企画をしたことがあります。希望者30名の人たちと100日間ブログ更新を頑張るのです。私の書き方もよくないのかもしれませんが、それによって「奇跡」が起こる、、、なんて言ったものですから、やっぱり「奇跡」を期待してしまうのですよね。そして本当の「奇跡」が起った人もいました。
しかし何も起こらない人もいました。その違いは何か。はっきりしています。何も起こらない人は、「執着」でガンジガラメ。例えば100日ブログの間に「恋人を見つける」「収入をあげる」「結婚する」「就職を見つける」など、あまりにも具体的で、言ってみれば「自我」の願望でガチガチなんです。
100日間ブログを書いたら恋人が見つかる。そんな法則はありません。そんな「自我」の願望をセッティングしている限り、本当の意味での奇跡、つまり「本当の願望」など叶うはずありません。見えないのですから。そこで重要なのは執着を手放すことです。それが以下の図。
先ほど、「自我」が崩壊するほと働くとよい、という話をしたと思いますが、そこには「自我」はないので、盲点も生じず、すべてが見えている状態。「自我」をなくすには歩くこともいいし(ただしハンパじゃだめ)、禅や瞑想でもいいです。もちろん滝行でもいいです。
私の場合で言うと最初は「21日滝行」の時、それこそ自我がなくなってました。なんせ、徹夜続きで熱も38.5度、扁桃腺炎症なんて状態だったわけで。しかし、その時はこれといった「願望」はありませんでした。そして奇跡は起こりました。それが会社を辞めるということ。もちろんそれは奇跡の始まりだったわけですが。
もう一度言いますが「恋人」を見つけつために「歩く」なんてことは考えないこと。恋人を見つけるには、それなりの行動をする。収入を上げるなら知恵と労力を使って働く。しかし、ある時、本当に「自我」がなくなった時、「本当の願望」が見つかるかもしれない。
「自我」は「盲点」をつくりだすんです。ですので「盲点」を外すには「自我」をなくすこと。それを「悟り」と言います。つまりすべてが見えた状態。「目覚め」と言ってもいいです。ただし、私はこう思います。「自我」をなくすために、「自我」の願望にエネルギーを注ぎ込むことも大切な時期もあること。それが実現したら、「な~んだ!」と言って自我がなくなることもある。また新たな自我の願望が生まれることもある。でも、それはそれでいい。
世の中には社会的成功という自我の願望を持つ人がたくさんいて、それを叶えまくったら、なぜかボランティアとか貢献に走る人多いでしょ。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなどもそうだし。それは自我の願望を実現することによって、自我自体を消滅させ、それによって「本当の願望」を見つけた人たちなんです。
ですが、自我の願望すらわからない、、、って人は、まずは何かやってみる。50キロ歩くでもいいし、100日ブログ書くでもいい。禁酒、禁煙、禁H、禁菓子などでもいい。仕事してる人は、今から21日間は我を忘れて仕事に没頭してみる。絶対に喫茶店でサボらない。常に電話か訪問をしている。ずっとするのはきついけど、21日間ならできるかもしれない。そうやってとにかくやってみるのです。もちろん瞑想でもいいんです。
大切なのは「自我」の盲点に隠れている「本当の自分(願望)」に到達することですから。要するに私の言いたいことは、
よっしゃ~!がんばろうぜ!!!
やるだけやって、あとはおまかせだ~!!
ってことなのかもしれません。これを言うために理屈をこねてみました。ありがとうございました。