今日も一日中「
公式ブログ」をいじくっていたところですが、昨日の夜中、面白いことがありました。夜中の3時前、突然、ちびQが起きて、おもちゃで遊び始めたのです。暗い中で。さすがに注意して布団に戻したのですが、しばらくは私の身体に乗ったり叩いたりで、何やってるのか。4時前にようやく寝たのですが、ツレの身体に覆いかぶさって、ツレは押しつぶされるような夢を見ていたそうです。で、朝になるとお熱。元気だったので保育園に行ったのですが、まもなく保育園から電話がかかってきて、熱が上がったので連れて帰ってくれと。昼食時に迎えに行き、夕方にはじいちゃんばあちゃんが来たので、ようやく仕事に戻れました。
それにしてもアメブロは面白いですね。このエキサイトブログなどはシンプルだけが取り柄で、それはそれでいいのですが、多機能のアメブロも使いこなすと相当面白そう。昨日も書いたように、「宇宙となかよし」は私の人生そのもの、「裏側」は携帯投稿専門、「公式ブログ」は仕事、、、という位置づけでいきます。これからしばらく「公式ブログ」の記事がどんどん増えていきますので、お楽しみに。こちらと違って、行間もあけて読みやすくなっています。記事も右側の「ブログテーマ一覧」から好きなように読めるようにして、テーマも細分化しています。そうそう、今日はメルマガも発行しました。そして
メルマガのバックナンバーも「公式ブログ」で読めるようにしました。3か月前までですが。
てなわけで、どんどん進化していきます。そして今日は何を書きましょうか。滝行をやっていると、毎日、何かのヒラメキがあるもんで、この「公式ブログ」もその一つ。実は一週間前にはこんなアイデアもなく、それこそ4~5日前にいきなり思い付いて、すぐに実行したってわけ。ヒラメキすぐ実行。これですね。
ま、「公式ブログ」については、まだ始まったばかりなので、これがどのように展開するかは未知数ですが、面白いことになりそうな予感はあります。とにかくヒラメキが大切なんです。じゃあ、どうすればヒラメキが出てくるかが重要となりますよね。そうなると答えは一つ。考えないってこと。ですが、しっかり考えること。なんか矛盾してるように聞こえるかもしれませんが、要するに最初はしっかり考えることが重要なんです。
今日、苫米地英人さんの「
なぜ、脳は神を創ったのか?」に付録でついてきた音声を聞いてたんですが、これがかなり面白かったです。本書の主な主張の一つが「神がいないことが科学的に証明された」ってことなんですが、これだけ読むとあまりにも誤解が生じそうです。苫米地氏の言っていることは、「神=全知全能・完璧」であるとして、その上で「神」はいないと言っているだけ。要するにゲーデルの「不完全性定理」の説明をそのまんましているだけで、なにも新しいことでもありません。「不完全性定理」ってのは、結論だけ言うと、ものには必ず矛盾があると言うことを、数学的に証明したってこと。苫米地氏の言い方を借りると、物理空間では「不確定性定理(量子力学)」が働き、情報空間では「不完全性定理(数学)」が働いており、要するにすべては「空(くう)」であることを主張しているわけです。
そこまでは普通の話なんですが、面白い視点だと思ったのが、「宗教」と「コーチング」を並べて論じているところ。「宗教」の場合、アプリオリに全知全能の絶対的な「神」がいて、そこに幸せになるすべての情報があるんですよ、と言ってきた。一方、コーチングは自ら設定した「目標」に幸せになる情報があることを言っている。
従来の宗教観(全知全能の絶対的な「神」が前提)では、とにかく「神」は唯一絶対で、完全完璧だったのが、不完全性定理が「完璧などない(必ず矛盾がある)」と証明したおかげで、「神」が相対化してしまったわけです。これのいいところは、原理主義的にならないこと。
例えばキリスト教の「神」が絶対だとすれば、イスラム教やヒンズー教の神は「神」じゃなくて、他宗を認めることがなくなるわけです。「うちの神は絶対だけど、そっちの神は偽物でしょ」って論理をお互い持ちあうわけだから、いがみ合いや宗教戦争が勃発するわけです。
でも、「神」が相対的であれば、「うちの神もいいけど、そっちの神も悪くないね」って話にもなり、お互いを認め合うことにもつながるわけですね。うちの神は絶対じゃないんだけど、いいこと言ってるから、自分はそれに従って幸せになる、、、、と言う考え方と、コーチングの「目標設定」が同じだと言っているのです。
言われてみればなるほどです。宗教の場合は「神」に幸せになる情報があり、神父や僧侶の元でそれを勉強するわけなんですが、コーチングは「目標」にこそ幸せになる情報があり、その答えを自分の中から導きだすって話ですね。わかりやすいです。
ですので、宗教の場合は、「幸せになりたい」という問いに対して、「神」の中に答えがあったわけですが、コーチングの場合は、自らの「目標」と、そして自分自身の中に答えがあるわけです。ですので、コーチング的に言えば「幸せになりたい」と言われたら、例えば「あなたにとって幸せとはどういうことですか?」とか「どうなれば幸せであると実感できるのですか?」とか「幸せであるための条件があるとすれば、それは何ですか?」などの質問が続くわけです。
そしてそれらの問いに答えることが「目標設定」であり、宗教で言うところの「神」と同じ性質を持つものなんです。私自身も不完全性定理を持ちだす以前から、いわゆる全知全能性というものは存在しないと考えるところがありました。言い換えると「完璧な答え」などないと言うこと。もし答えがあるとすれば、それは人それぞれだと言う至極当たり前の話になるんです。
だからこそ、常々「○○さんが言ってるから正しい」とか「○○のブログに3本の線香が・・」などのような話を盲信すべきじゃないと言ってきたわけです。それはそれで部分的には正しいかもしれないけど、あくまで部分的。もしも自らが「目標」を定めたり、自らが幸せになるための答えを導き出すのであれば、そっちの方が余程尊いし、確実だというわけです。
ですので、本質的な話をすれば、「神」が全知全能でないわけだから、個々人の「目標」もいわゆる「神」も同じですよってこと。全知全能の「神」を信じるばかりに、自ら考えることを放棄するのではなく、自らの「夢」や「目標」を愛し、それを実現するためにとことん考える。そっちの方が本当の意味での幸せに近いのではと、私は考えるのです。
てなわけで、最初の話につながるんですが、やっぱり考えましょうよってこと。とりあえず「目標」を定めて、それを実現するためにしっかりと考えて、考えて、考えて。そして考えない。その瞬間にヒラメキがやってくるので、その通りに実行すれば、だいたいハズレがないです。
思えば、私もそうやって今まで過ごしてきました。常に何かを考えている。ハゲるほどに考えている。そして滝に打たれたり、山に登ったり、坐禅をするなりして、考えない時間を意図的に作り出すわけです。そこで初めて「考え」つまり「目標」に対する「答え」つまりヒラメキが生まれるわけです。
ようするにしっかり考えて、リラックスしましょうよってこと。「公式ブログ」の立ち上げも、前々から考えてたのではなく、滝行始めて急に。それまでは公式サイト(会社のホームページ)ばかり考えてました(それも作るけど)。やっぱり滝行はやめられまへ~ん!ってことで、明日は北九州です。では、寝ます。ありがとうございました。