人生の使命 2004.8.26

 今日は同じような話を、たまたま会社の上司と同僚にしたので、その話をしたいと思います。上司には客先への車の移動中、同僚には会社の残業中2人になってからしました。

 今、会社の状況は非常によろしくないです。会社というか業界全体が撃沈状態です。そんな中で皆、様々に迷い彷徨っています。業界から離れていく人も少なくありません。実を言うと私も半年前までは悩みに悩んでいました。しかし、今はというと、今の状態が良いわけではありませんが、少なくとも「迷って」はいません。なぜなら、私には自分の生きている使命が具体的ではありませんが、「ある」ということを確信しているからです。

 近年、相変わらず「自分探し」というのが流行っているようです。1980年代には村上春樹村上龍なんかが徹底して「自分探し」にこだわった文章を書き、最近では香山リカなどが「自分探し」をテーマに本を乱発しています。先日、「世間の目」という本を書いた佐藤直樹氏ととあるライブハウスでばったり再会してお話したのですが、彼の友人である片山恭一セカチュウも、アキの生と死を巡った徹底した「ぼく」の自分探しの物語であり、純愛小説ではないと力説していました。新聞に書評も書いたそうです。そう言えば、村上龍の「13歳のハローワーク」も見方を変えれば「自分探しマニュアル」以外の何ものでもないですね。「自分探し」は今も変わらず「若者の永遠のテーマ」なのでしょうか。

 しかし、ごく最近になって気づいたのですが、「自分探し」と言うのはもはや若者の特権ではなくなっているようです。つまり、今や中高年こそが「自分探し」に躍起になっていると言えます。ちょっと考えればわかることで、今の中高年の若いころは景気がよく、とりあえず与えられた仕事をやっておれば、家族が生活でき、マイホームを建てることができる時代でした。そんな時代は、「自分=会社」、「自分=家族」であり、それに依存しておれば、とりあえず「自分」というものを失わずに済んだわけです。しかし、今はどうでしょう。長引く不況で、会社からはリストラされ、家族からも見放され、行き場所が完全になくなってしまい、最悪の場合、自殺を選択する人も少なくありません。最近私は「滝」に凝っていますが、まさしく、「滝打ちツアー」なんてのを旅行会社が企画し、中高年を中心に利用客も多い等です。様々な要因で自分を見失った中高年が、自己を見つめなおすために参加されるようです。

 そこで、私は思うのですが、現在の勝組みとはまさに「自分を見つけた」人のことをさすのではないでしょうか。自分を定義付けしてくれるのは、会社でも家族でもなく自分自身なのだという当たり前のことが出来ずに、世に彷徨している人は、全てにおいて負けているような気がします。

 話は変わりますが、昨日、「春日まちづくり塾」の打上げで、そこの塾長をされていた人と話たのですが、彼女は約7年前、当時の日本では全くマイナーであった、「住民参加のまちづくり」や「ワークショップ」の大切さに目をつけ、当時勤めていたコンサルタント会社を退職し、自分でやっていく決意をしたそうです。多くの人から「食っていけないよ」との助言を得ていたそうですが、何の迷いもなく突き進み、今となっては住民参加やワークショップの分野で、彼女は九州で第一人者となっています。「何かするのに相談しているうちはするべきじゃないのよ」と言っていましたが、正にその通りと思います。おそらく彼女は当時、自分の使命というものを直感的に感じ、まさしく「自分を見つけた」結果によって行動にでたのであると思います。

 もう一つ話をしますが、私が学生の頃に読んだ本にドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーが書いた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本があります。内容を乱暴に言うと、「禁欲的なプロテスタントが欲にまみれた資本主義を生み出したのはなぜか」という逆説的命題に始まり、それは「当時のプロテスタントは信仰にのみではなく、自分に与えられた職責を全うすることによってのみ救済が得られる(予定説)」と信じていた、そして「職責を全うすることこそが資本主義の発展」と同意であるからというのです。

 この話を現代流、私流に言い換えると、「人生勝組みになる(=資本主義の発展)」には、「今置かれた状況をありのままにとらえる(=職責を全うする)」ことであり、それはすなわち「自らの置かれた立場に感謝する(=禁欲的なプロテスタント)」ことである。すなわち、「人生に勝つには全てのことにおいて感謝すること」なのだと考えているのです。

 ここで私の持論になるのです。やはり楽しく生きていくには、自分に降りかかってきた全てのことに感謝し、ツイてると言うことが大切なのです。目の前では良くないことであってもマクロで見れば将来必ずそれがプラスに生きてきます。

 「自分探し」の話に戻ると、「自分」というものを最も効果的に見つけるには、置かれた自分を肯定する、感謝することだと思います。中高年の多くはかつての景気の良い時代が頭にあるため、そうでない今の時代、今の自分を否定、不平に思い、それが「世の彷徨」をもたらすのではないでしょうか。

 つまり、不平・不満を思っていると、本来与えられるはずの「使命」に気づかない、逆に物事に感謝して生きていると、全てがうまく流れの上にのり、自分の「使命」に早く到達するのだと思います。

 では私の使命とは何か。最初に言ったように、具体的にはわかりません。しかし、それに近づいているという実感だけはあります。なぜなら、自分が漠然に思い描いていたことが、その数日後には具体的な形となって現れるのがず~と続いているからです(例えば、滝、スピリチュアルな友人、突然のお金、予定が一切ブッキングしないこと、何かする時には必ず晴れ、など)。

 まさしく、私は未来に与えられるはずの使命に真っ直ぐに向かっているという実感があります。おそらくそこに到達した時は「本当に迷わない」で行動に出ると思います。それが一年、いや半年以内に訪れるような気がしてなりません。

 そんな話を、上司と同僚にたまたま今日という同じ日にしてしまいました。結構、熱い話してますね。

(今日は写真はありません)
by katamich | 2004-08-26 22:46 | ■人生哲学 | Comments(0)