人生に無駄なし! 2010.5.28

 あっという間の一週間でした。そしてもうすぐ6月。5月を振り返ってみると、会社設立という大きなイベントもありましたし、ま、実りある月間だったかなと思います。最近、尉川さんの影響もあってから「歴史」にまた興味を持ち始め、井沢元彦さんの「逆説の日本史」などを読んでいます。歴史に対する通常の「定説」に対する「逆説」と言うことで、中には「これはトンデモじゃないか・・・」と思う論調もあれど、別の角度からの歴史史観に接するのは、現代社会に対するメタ的見方の訓練にもなります。何よりも文章が上手だし、話自体が面白い。しばらくは順々に読み続けそうです。

 これまで何度か言ってきたと思いますが、私は高校卒業するまで「本」なるものをほとんど読んだことがありませんでした。読むと言えばマンガかエロ本程度の、頭の悪い高校生でした。中でも「歴史」はアレルギーが出るほど嫌っており、中学高校と社会科の先生は「天敵」も同然でした。特に中学のK先生(女性)はひどかったです。小テストをすると毎回落第。必ず居残りをさせられるのですが、何度か居残りをサボって部活に行ったら、合奏中(吹奏楽部なので)に呼び出しの連絡が入ってこっぴどく怒られたり。おまけに私の父親は数学教師で同僚。しかも席が隣。そこで正座です。心の中で「親父来るなよ~」とか祈るばかりで説教は聞こえず。その時、親父が職員室に入ってきた瞬間目が合って、そのままターンして出ていったり。あいた~。

 高校は文系に進んだので、社会は二教科。日本史は必修なので、もう一科目は「政治経済」を選択。理由は歴史が嫌いだからです。本当なら世界史を一緒に選択していた方が、何かと面白かったのでしょうが、とにかく「歴史」が嫌い。そんで、歴史嫌いの生徒が必ず言うのが、「昔のことを知っても意味がない」など「中二病」的な発言。それに対して「温故知新」など反論もあるのでしょうが、私は「未来しか見ない」とか一貫して屁理屈を言ってました。とにかく活字そのものが嫌いで、だからと言って数字が好きなわけでもありません。ちなみに実家には「科学(数学など)」と「歴史」の本が本棚にぎっしりでした。父、兄、弟はその両方に対して、めちゃくちゃな読書家でしたので。

 そんな私が、曲がりなりにも本の出版ができたのは皮肉な話です(もちろん家族で私だけ)。ただ、そのような活字嫌いは高校卒業して予備校で授業が始まった一週間後に180度変わってしまいました。予備校界では有名な現代文講師「牧野剛」氏に出会ったから。とにかく衝撃を受けました。90分の授業のすべてが雑談。その直後、、、天王寺の大型書店に直行して家に帰るまでずっと立ち読み。その時に読んだのが「文化人類学」ってタイトルの新書でした。買えよって感じですけど、わけもわからず立ち読みするのが、その時はカッコよかったのです。

 それ以降、まずは新書からどんどん読んでいき、そのうち「法政大学出版」や「ウニベルシタス」などにも手を出し始め、本屋の思想コーナーに入り浸る毎日でした。受験勉強もせず。その頃、ちょうどジャズに興味を持ち始め、天王寺にあるジャズ喫茶に一人で入ります。ジャズの本で紹介されていたもの。高校卒業したばっかりの少年です。マスターは中年のおばちゃんでした。ジャズ喫茶ではリクエストをしていいそうなので、キャノンボール・アダレイの「サムシンエルス」のA面を。やばいですね。今思うとこれは恥ずかしすぎ。でも、そのマスターはニッコリ笑ってかけてくれました。初々しかったのかな。

 確かにそこでアルバート・アイラーとかセシル・テイラーなんかをリクエストしたら、単なるキチガイと思われるところ、やっぱりあの時は「サムシンエルス」で正解だったのかな。その時に話をしたのが、吹奏楽部でクラリネットを吹いていたこと。クラシック(モーツァルト)が好きだってこと。そしたら「耳が肥えてるわね~」とかおだてられて、調子に乗って「バディ・デフランコはベニー・グッドマンよりアーティー・ショウの方がええ」とか本に書いてあったことをそのまま言って知ったかぶり。本当はどちらも聞いたことないっての。あ~恥ずかし。マスターが別の客と話始めると、鞄からおもむろに本。もちろん現代思想っすよ。これまた二重に恥ずかし。でもそのジャズ喫茶に行ったのはそれが最初で最後。いい思い出です。

 で、やっぱり受験勉強よりも「哲学・思想」の本ばかり読む毎日で、冗談抜きで暇さえあればその手の本を読んで、いろいろ唸っていたわけです。運よく大学に入ってからも、一年間は孤独に現代思想の勉強。友達作らず。でも、アパートの隣にハセガワって奴がいて、そいつだけはオレの面白さをわかってて、他に学生に自慢してたとか。

 なぜ、それが自慢かと言うと、当時(大学一年時)の私は、誰とも交流をせずに孤高の存在だったから。おまけにある日突然「スキンヘッド」にして大学に行ったり、靴を履かずに校舎内を歩いたりなど、奇人変人扱いされてたと思います。時にアパートの隣が騒がしくなったりすると、夜中に12時過ぎているのに大学へ。当然閉まっているのですが、どっかの窓から忍び込んで教室の電気つけて一人で勉強。当然にも警備員がやってくるのですが、ちょっとガラの悪いオッサンで注意の仕方がきつかったのに逆ギレ。「学生が勉強して何があかんねん!おら!」とかガラの悪い大阪弁丸出しで反撃。悪いのは100%私です。すいません。

 そんな大学一年だったのですが、二年になるとゼミみたいなのが始まって、学生同士の交流から逃れることができなくなったわけです。すると、お前らなど相手してない的な態度をとるのも限界が来て、いつの間にか友達ができてしまいます。一年から知っているハセガワは「だろ!だろ!アイツ面白いんだって!」みたいなことを周りの奴らに言ってたりして。ちなみにハセガワとは今でも交流があります(電話のみ)。

 そんな感じで一見優等生的な大学一年でしたが、二年から急に授業にも出なくなって、英語の単位を落としちゃいましたよ。それ以外は要領のよさで切り抜けましたが。結局、4年間は単位ギリギリで卒業。就職活動も最初はやっていたのですが、8月にはすべてやめて工場でバイト。卒業後の放浪資金を貯めるために。

 そんで一年間放浪して、帰国後は教授の勧めに応じて大学院で2年間モラトリアム。その後も進学したのですが3か月で挫折。それが27歳でした。その一年がいわゆる「暗黒時代」って奴で、今で言う完全ニートをやってたわけですね。でも、ある日の夕方、「教師びんびん物語」に感銘を受けて外に出る勇気をもらいます。まずは老人ホームでボランティア。その中のエピソードの一つが拙著「宇宙となかよし」にも書かれてあるので、人生って無駄がないですよね。まったく。そんで650円のバイトに雇われ、その半年後に運よく契約社員で採用。ただし、月収12万円の長時間労働。徐々に給料は上がっていったものの、長時間労働安月給は変わらず、将来の見通しも立たずに2005年に退職って感じです。その前年の2004年5月からブログスタート。今に至るわけですね。

 私の半生記など何の興味もないでしょうが、やっぱり人生には無駄がないな~ってつくづく思うわけです。歴史の話から脱線しちゃいましたが、もしも高校卒業後にどっかの大学に受かっていたら。予備校に行ってなかったら。そして予備校で牧野氏に会わなかったら、、、今の私は確実にないと思うのです。が、そんなことも最初から決まってたのかな、と思うのも正直なところ。人生に「もし」はありませんから。

 そう考えると、これから先も決まってるのでしょうから、何やっても怖くないですよね。やりたいと思ったことはやる。その方が気持ちはラクですもの。結局のところ、やりたいことはあるのに行動できないって人は、そこに「恐怖」があるから。ただ、どう転んでもなるようにしかならないので、そんな「恐怖」にフォーカスするんじゃなくて、自分の気持ちに正直に、まさしく「あるがまま」でやりたいことやり尽くす方が私はいいんじゃないかな~と思っています。
 
 人生は決まっています。でも、どうなるかだけはわからない。だったらできることやった方が、少なくとも「後悔」はないでしょう。私はそうやって「今」を生きています。会社設立だって、何となくやりたいから。面倒なことはあっても、これからの可能性の方にワクワクするんだから、やっぱり設立してよかったです。まだ法人登記も完了していませんが。本の出版もセミナーも講演も放浪も企業研修もなにもかも、単に「やりたい」からやるだけ。本当のこと言うと、そこには立派な大義名分もありません。純粋にやりたいからやるだけ。それでいいではないですか。

 世の中にはいろんな「価値」がありますが、私が最も高く置いている価値が3つあって、それが「愛」と「感謝」と「自由」。特に「自由」は私のあらゆる行動指針の基本にあります。お金を稼ぐのは「自由」を得たいからだし、自分自身をスキルアップしたり、知識を得たりするのも、大きな意味で「自由」を目指しているから。お金があった方が自由は大きいし、知っていることが多いことも自由につながります。

 「歴史」の勉強にしたって、知らないよりも知ってる方が「自由」は大きいです。人は本来「自由」な存在。何をやってもいいし、何をやらなくてもいい。もちろん他人の自由を奪うようなことはやってはならないけど(殺傷など)、そうじゃない限りはなにやってもいい。一度の人生だし、どうせ決まっているのだから、あれこれ考えても無駄。やりたいことやる。ただそれだけ。

 てなわけで、、、ということじゃありませんが、明日から7日間の「滝行」に入ります。3月以来だなあ。いろんな変化のある時期なので、ここらで気持ちを引き締め直そうかな、と。それで今回は一つ自分に課したいことがあります。それは「お菓子・菓子パン・アイス」を食べないってこと。最近、恐ろしいことに気がついたのです。ちびQを保育園に送った後の帰り道にセブンイレブンがあるのですが、お金おろしたり、キン肉マンを読むために入ると、なぜか無意識にお菓子類を買っているのですね。食べたくもないに。これはやばい、、、ってことで、ちょっと無意識にも向き合ってみようと思います。正直、酒も肉もHもなくてOKなんですが、今の私にとってはお菓子の方がヤバイ対象だったりして。

 ということで、明日は北九州の「畑観音」での滝行です。がんばりま~す。ありがとうございました。

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Commented by kaorin at 2010-05-29 20:26 x
こんばんわ…。

スジ通っているホネっぽいこと、ガンガン言っておいて…、そうでしたか、お菓子やアイスお好きなんですね???(爆)
この落差が面白いんです!!いいですねぇ…。スキっす!!

でも、このお菓子、ホントに気をつけてないと、習慣になっちゃうんですよ~~。そのうち食べないと違和感感じちゃったりして…心も身体も…。

今日おっしゃっているのは、共感いたします。

あらかた決まっているのでしょうけど、やはり後悔したくないですね…。
同じ後悔するなら、やらない後悔より、やって後悔する方が、いいかな???決まっているんだったら、諦めもつくし…。

歴史は面白いです。特に戦国時代と維新前夜あたり…。血が沸き立つ感じです。もちろん、司馬さんですけど、案外面白かったのが遠藤周作さん。

by katamich | 2010-05-28 23:39 | ■人生哲学 | Comments(1)