胸毛ぼ~ん! 2010.5.14
2010年 05月 14日
ところでこのブログのスタンスについての細かい点をご報告。それは「リンク」と「コメント」です。まず右側の「共鳴ブログ」のリンクですが、これは定期的に変更しています。ほとんどがリアルな知り合いですが、更新頻度によっては整理させて頂くこともありますので、くれぐれも縁が切れたなどとは思われないよう、お願いたします。私の判断基準は「更新頻度」だけですので。
ちなみに下の4つはリアルな知り合いじゃないのですが、個人的に大好きなのでリンクしています。ご紹介しますね。
・快楽ジャズ通信
フリライター・ラジオパーソナリティの高野雲さんのブログ。ジャズ好きにはたまらない情報満載です。基本的に毎日更新されています。左側の「ジャズジャイアンツ・おススメの一枚」など初心者への心配りもしっかりされていますが、マニアもうならせる解説力。例えばポール・チェンバースの「ベース・オン・トップ」など読むと、弦高の高い、「ハイポジションで弾かない」など、並みのジャズ好きには気がつかないポイントもしっかり書かれています。だからチェンバースのベースランニングは心地いいのか。アルコ(弓弾き)はともかく。このブログも読み始めると止まりません。そして今日気がついたのですが、リンク集の最後に「宇宙となかよし」が。ジャズ関連のページの中になぜ? ありがとうございます(^^)
・404 Blog Not Found
2月の大阪セミナーでこのブログを知っている人?って聞いたらゼロでした。月間100万アクセスの超有名ブログであるにも関わらず。やっぱり私のブログ読んでいる人は、スピリチュアルが好きな人が多く、その対極とも言える小飼弾さんのブログは読まないのかな、と思いました(ちなみに私もスピ系のブログはほとんど読みませんが)。ひょっとしたら、今初めてこのブログを知った人も少なくないのかな。一言で言って書評ブログなんですが、おそらく取り上げている本よりも面白いです。ライブドアの前身のオンザエッジの元取締役。恐ろしいまでの速読法を身につけているとかで、一時間に10冊を読まれるほどの怪人です。やっぱすごいです。その情報量も分析力も表現力も。このブログだけで現代の潮流をおさえることができます。毎日更新。
・Days in Ladakh
大好きなラダックの滞在記。文章はもちろん、写真も素晴らしいです。拙著「宇宙となかよし」の表紙もラダック(ラマユルゴンパ)ですので、勝手に親近感感じています。このブログを読むとラダックに行った気になりますが、同時に行きたくなりますので、とってもヤバイです。同じページを何度も何度も読んでしまいます(笑)。
・昆虫料理を楽しむ
説明の必要はありません。昆虫料理研究家である内山昭一さんのブログ。文章も写真も素晴らしい。もはや昆虫は高級食材です。
てなわけで、今後はリアル知り合いでない「共鳴ブログ」も増やしていきたいと思っています。それから「コメント」についても。前までは一応、コメント返しもしていたのですが、一月ほど前からしないようにしています。さほど多くもないコメントですが、正直、質問以外のコメントにお返しするのが投げやりになってしまいまして。一つ一つに「ありがとうございます」と返すのも、段々と儀礼的になってきたし。メールの返事は基本的に返していますが、コメントについては質問には答えようと思いますが、それ以外はロムだけでご了承ください。もちろんコメント頂けると嬉しいです。ちなみに承認制にしているのは、単なるスパム対策であって、普通のコメントは無条件に承認していますので。
さて、今日の動きですが、新会社のホームページのコンテンツをいろいろ考えていました。改めて自分自身を棚卸する感じで。やっているといろいろ出てきますね。そして自分がやりたいことについても。本当のことを言うと、別に新会社を立ち上げる必然性はさほどなかったのです。むしろ会社設立費用、経理の複雑さ、その他諸々を考えると、デメリットばかりが立ちはだかります。だからこそ今まで「目標」に掲げておきながら、腰が上がらなかったのでしょう。
そして今年も性懲りもなく年始に「会社設立」を目標にしたのですが、その時点ではさほど本気でもありませんでした。それがなぜに、、、このように動いているのか。考えてみると、ある時点から自分自身の思惑以上の展開が起こっていたことに気がつきます。例えば自分の動きとは別のところで、「会社名」と「ロゴ」と「名刺」が自然と出来上がってしまったり。ただ、本当なら4月にバリバリ動く予定だったのですが、何となく後回しに。
でも、ツレの会社復帰、ちびQの保育園がスタートし、私の自由な時間ができたことで、いよいよ腰を上げたところ、いつの間にか設立日も決まり、手元には「法人印」まである状況です。もちろん新会社名で。
振り返ってみると、何かが動く時ってのは、いつも一気にが多いです。年末に出した拙著にしても、出版のゴーサインが出たのが10月1日。その後、残り半分を書いて、世に並んだのが12月半ば。そしてあれよあれよとアマゾン一位になって増刷。2冊目以降のオファーも。そのような周囲の動きに対して、いつも戸惑うのは私自身。別の言い方をすれば「自我」となるのでしょうか。
そして良く言われるのが「自我≠自分」ってこと。このでの「自分」とは「本当の自分」という意味ですが、確かに「本当の自分」につながると、「自我」の思惑に関わらず、物事がどんどんと進みます。そして後々に「必然」だったことに気がつくのです。
私が会社を辞めた時も、朝4時まで仕事をしていて、その時、同僚には「あと一年はこの会社で頑張ってみる」と言ったばかりのこと。それから家に帰り、午前中は有休で睡眠。午後から打合せに行くのに、車で向かっているところ、突然、「辞めていいよ」という声が聞こえてハッとなる。とりあえず神社に聞いてみようと、車が止まったとこが「筑紫神社前」という交差点。すぐに神社に向かって、コインの表が出たら「今日辞めると言う」と約束して徐に投げたら案の定「表」が。その日の夜10時に辞意表明。
それから紆余曲折して今に至るのですが、つくづく物事が動く時ってのは「自我」はダメじゃん!ってこと。もちろん「自我」は必要だから存在するのであって、なぜ「自我」があるのかは別の機会に書くとして、いずれにせよ「自我」の力が弱まったところで、何かが動くのがこれまでの経験上の事実。では、どんな時に「自我」の力が弱まるのかと言うと、私の場合では、、、
・歩いている時
・旅をしている時
・徹夜している時
・感謝している時
・山登りしている時
・滝行をしている時
・車に乗っている時
・追い詰められた時
・ブログ書いている時
・リラックスしている時
・自転車に乗っている時
・講演でしゃべっている時
・禅・瞑想で三昧に入った時
・単調なことを繰り返してる時
などなど。あくまで私の経験の話であって、中にはリラックスと追い詰められた時など矛盾するものも含んでいるようですが、私にとってはどちらもそう。「歩いている時」なんてのも良く聞く話ですよね。京都に「哲学の道」ってのがありますが、それは哲学者西田幾多郎がそこを歩きながら思案したから。同じく哲学者のカントは、毎日、同じ時間に同じ道を同じ歩調で同じ表情で歩いて思索にふけっていたそうです。
ここで言う「思索」とは「自我」のことではありません。西田やカントが取り組んでいたような哲学の大命題については、浅はかな「自我」では太刀打ちできませんから。まさにチャネリングとも言えそうな、もっともっと深く本質的な思索のこと。
そして今日、銀行に行くのに歩いて行ったのですが、その時、面白いことがひらめきました。確かに「自我」はジャマな時があります。でも私たちはいつも「自我」に支配されて生きているわけで、それが「苦」を生み出すのです。例えば他人との比較などそうですよね。自分としてはベストを尽くして満足したはずなので、その結果について他人と比較して劣っていた場合、せっかくベストを尽くしたことが、途端に「苦」に変身してしまうのですから。
では、どうすれば「自我」を簡単に超えることができるのか。それはもともと「自我」では太刀打ちできない命題に取り組むことで可能になります。前にも紹介した「魔女狩り」の話。
任意に女性を連れてきて水に沈めます。その人が死ななかったら魔女なので処刑。死んでしまったら魔女の疑いは晴れるけどすでに死んでしまっている。連れてこられた時点ですでに死から逃れることが不可能になります。これを専門用語ではダブルバインドと言いますが、これを超越する時、新たな「解」が出てくるわけです。
ただ、そのような命題(魔女狩りで死なない方法)を解くには、「自我」では太刀打ちできません。禅の公案などもそう。実際に参禅してみるとわかるのですが、公案の多くは「自我」からは得られない解が求められます。
その他にも例えば私のセミナーの命題の一つにこんなのがあります。人は誰もが「大丈夫」な存在。でも次第にそのことを忘れてしまいます。しかし、ある時、思い出すことがあり、それこそが目覚めであり悟り。つまり人は「思い出すために忘れる」という自己矛盾をはらんだ存在なのです。では、なぜ人は「思い出す」ために「忘れる」のでしょうか。この命題を解くには「自我」の力を借りることはできません。
ですので、禅の公案にしても、日常的なダブルバインドにしても、それらの「問い」を答えるには、「自我」の力では限界があることをまずは知った方がいいです。そこで重要なのがまさに「我」を取ること。昨日書いたあまりにも強引な公式をちょっと変えてもう一度書きます。
「自我」→「宇宙」 ⇒ 「自」-「我」→「宇宙」 ここで「我」を投げる(ありがとう:有我投)
「自」→「宇宙」 ⇒ 「じ」→「うちゅう」
「じ・うちゅう」・・・・「じゅちゅう」 ⇒ 「ち」を取って・・・「じゆう」→「自由」
となるのです。ここでの「ち」とは、「自我(エゴ)」の最後の種である「恥」のこと。「パワーか、フォースか」で人間の意識レベルを測定しているのですが、そこではこうなってますよね。
悟り(700-1000)
平和(600)
喜び (540)
愛(500)
理性(400)
受容(350)
意欲(310)
中立(250)
勇気(200)
プライド(175)
怒り(150)
欲望(125)
恐怖(100)
深い悲しみ(75)
無感動(50)
罪悪感(30)
恥(20)
詳しくは「宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部「あなたの意識はどのレベル?」」やこちらのサイトより。
しばしばスピ系の人と話をしていると、いかにも愛と感謝で生きてそうでいて、怒りや欲望もありません、罪悪感もなくなりました。とか言いながら「恥」の話をすると、言葉が出なくなる。営業の神様・加賀田晃先生も「照れや羞恥心はいらん!」と言います。なぜ人は「夢」や「目標」を言えないのか。たいていは恥ずかしいからでしょ。言えないような夢が叶うはずないんです。
話を戻しますが、「宇宙」につながる生き方をするには、「自我」と「宇宙」の間の「我」をなくす必要があります。そのカギとなるのが「感謝(ありがとう・有我投)」であり、最後に残る「ち(恥)」を捨て去った時、初めて「自由」となり「宇宙」とつながることができます。
「自由」ってのは、何の束縛もない、何のこだわりもない、ただ「あるがまま」の境地。「悟り」とも言えます。臨終の瞬間、親族から最後の言葉を要求されたとします。通常ならば、そこで人生を締めくくる偉大な言葉を残したくなりますよね。でも、これは単なる条件付け。「・・・なければならない」って。
こんな時、「感謝を忘れずに生きなさいよ」とか言うと格好つくのでしょうが、例えば「腹減った」とか「最後に一回オ〇ニーしたかった」とか「胸毛ぼ~ん!」とか言ったら親族ずっこけますよね。でも、私も最後はこうありたいと思っています。最後の最後は子どもや孫のことなど考えずに、ただ「言いたいこと」を言うだけ。これが「自由」った奴で「悟り」そのものなのですから。
今日も話があちこち行ってますね。すいません。でも、これはまさに「我」の力が弱まったからであり、何となく勝手に書かされてる感じがしています。どんな難しい問題も、命題も、「自我」の力では限界があります。「我」を投げ、「恥」がなくなったとき、人は「悟り」の境地に達し、あらゆる問題が解決します。魔女狩りの問題もクリア。
それにしても「魔女狩り」の答え知りたいでしょ。先日の大阪セミナーでも言われました。でも、教えたれへ~ん! てなわけで、今日はこの辺で。有我投ございました。
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確かに、向き合うと、厄介な感情ですね。考えたことなかったです。
あっ、そうですね…。恥かいた、と思うと、腹立たしかったり、いたたまれなかったり、縮こまる感じとか、ほかの感情も呼び覚ましますね…。
って、昔の人は良く言っていたらしいですけどね。
今時は聴かなくなりましたよね~(; ̄Д ̄)
・・・
まあ、それはともかく、Qさんは色々と懐かしい事を思い出させてくれます。
小学校2年の時、当時の友達と競い合って我流の速読術をやっていた事がありましたよ。
友達のように読書好きではなかったので、すぐ飽きちゃいましたが・・
ヾ(´▽`;)ゝ
子供の頃って、不思議な独自修行をいっぱいしてましたね~
一日中、かかとを地面に着けずに過ごすとか~
はだしで床に落ちている十円玉を拾うとか~
バカですよね・・・(; ̄Д ̄)グハァ
自我ってすぐ限界がきちゃって…
何も考えなければ自然となんでもできてたし分かってたのに、自我が強くなると分からなくなったり出来なくなったり…
でも考えなくちゃ駄目だって無限ループしたり(笑)
とてもスッとしました~
ありがとうございました。
恥の話実行してみますね。