グランドセオリー 2010.5.10
2010年 05月 10日
今日は本当に久々に一人っきりでした。この生活は慣れてるはずなんですが、久々なので何となく調子が外れた感じ。今日はもっぱら本を読んで過ごしたのですが、頭の片隅には常に執筆のことがよぎります。昨日ブックオフで買ってきた茂木健一郎さんの「ひらめき脳」を読んでいたのですが、めちゃくちゃ参考になるところがありますね。実はこれを読みながら、まさにいろんなヒラメキが降ってきたので本の執筆にも活かせそうです。
この本で興味深いと思ったのが、
「創造性」=「体験」×「意欲」
という公式。ここでの体験とは「側頭葉」であり、意欲は「前頭葉」。したがって「創造性」は「側頭葉」×「前頭葉」とも書き換えられるのですが、さらに言い換えると「無意識(側頭葉)」×「意識(前頭葉)」ともなります。
「願望実現」の話の中でしばしば「潜在意識」という言葉が用いられます。それは「無意識」と同義なのですが、とかく「潜在意識」を活用することが願望実現の秘訣のように言われることが多いです。その割にはその方法論が漠然としているわけですが、願望実現のグランドセオリーから言うと、願望を実現することにおいて、最も重要なのは「意識」に他なりません。
つまり「潜在意識(無意識)」を活用するには「意識」の力なくしてあり得ず、それは競走馬と騎手の関係にもなぞらえます。ここでの競走馬とは無意識のメタファーであり、騎手が意識に相当します。確かに競走馬は馬力もスピードもありますが、騎手がしっかりとコントロールしなければ、思う方向には進んでくれません。
これと同じように、願望というゴールに向かうには、「意識」に力が何より重要なのです。その意味で「創造性=体験×意欲」という公式は願望実現においても的を得ていると言えます。
ところで昨日も紹介したこの絵ですが、
パッと見ただの黒い斑点なんですが、ここにはある絵が隠されています。答えを言うと、絵の上半分に男性(イエス・キリスト?)の顔が見えると思います。実は私は、答えを見てもなかなか顔が見えませんでした。しかし一度見えると、もう顔にしか見えず元に戻ることができません。
しかし、そもそもなぜに顔が見えるのでしょうか。それは私たちの「体験=側頭葉=無意識」に「顔」がインプットされているからです。さらにはその顔がイエス・キリストに見えるのも、私たちの過去の体験の中に「イエス・キリスト」が何らかの形でインプットされているからです。
この事実はとても興味深いです。例えばこの斑点の絵から何らかの意味ある「絵」を見つけることを「願望」だとしましょう。そのためにはまず「見る」という行為が必要。それが「意識」の力であり、当たり前ですが、見ようと思わなければ絶対に見ることはできません。
しかしその前に「イエス・キリスト」を知っていなければ、それを認識することはできません。例えばこれがキリストではなく「マハーヴィーラ」だったとしましょう。ジャイナ教の開祖ですが、おそらく一般的日本人でマハーヴィーラの顔を知っている人は皆無でしょう。となると、当然、顔が見えてもマハーヴィーラだと認識することはできません。
さらに言うと、これがどこそこ星の宇宙人だったらどうでしょう。まずわかりませんよね。つまり「わかる」ためには、その前提としての知識や体験(アーカイブ)が必要なのです。チャネリングにしても同じで、自分のボキャブラリー以上のことを言語化することは基本的に不可能。ようは「チャネリング能力≒ボキャブラリー」だとも言えるわけで、たくさん本を読んでいる人の方が占いでもチャンリングでもやりやすいでしょうね。
願望実現の話に戻しますが、願望を実現するには「無意識×意識」が重要なのですが、ここでの「無意識」とは何かって話。これがすなわち五感によるありありとした臨場感のこと。しばしば願望実現のゴールを「現状の打破」に置く人がいるのですが、それでは決して打破はできません。なぜならその場合における「無意識」の前提は「現状」でしかないから。
「UFOからタコ星人が出てくるのを想像しないでください」と言っても、その時点で想像しちゃいますよね。なので無意識には否定形が存在せず、いくら現状を打破したいと思っていても、イメージしているのが「現状」である限り、そこから脱出することはできないのです。
だからこそ願望実現には目標設定やイメージングが必要となるのです。とにかく視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚のすべてがフル動員されるまでにリアルなイメージングができてしまえば、後は早いです。それが現実化されるだけ。
キリストの顔を知らなければキリストを認識できないのと同じように、自らの願望を知らなければ、それを実現することはできません。それが願望実現のグランドセオリーなのです。
ただ、ここでさらなる考察を加えたいと思います。しばしば「悟り」や「目覚め」を体験する人がいますが、その臨場感たるや、まったく未知の世界であったことが多いです。例えば「あるがまま」という世界を見る人がいますが、それをリアルに見た人は、決して私たちが言語化している限りの「あるがまま」でないことは知っています。「ひとつ(ワンネス)」を本当に見た人にとっては、それが単に観念として「ひとつ」でないことをよく知っています。
となると、先ほどの話と矛盾してきます。私たちはすでに知っていることしか、それを認識することができないという前提に立った時、悟りを経験した人は、その悟りをすでに知っていたのでしょうか、という命題。
これについては明確に答えることができます。「はい」、と。「悟り」とは何かって話になると、とかく神秘体験やイタコのような憑依現象のことを言いだす人がいますが、決してそんなオカルトなことでも特別なことでもありません。
実は誰一人、例外なく、「悟り」からスタートしているのです。それは赤ちゃんを見てもよくわかりますし、もしかしたら父母未生以前の「本来の面目」の段階で知っていることなのかもしれません。それが何かのきっかけに一瞬のうちに思い出す感覚。私はそれを「悟り」と呼んでいます。
ですので、一度悟ってしまえば、斑点の絵がキリストにしか見えなくなるように、悟った状態を永遠に失うことはありません。一度自転車の乗り方を覚えてしまえば、30年間乗らなくてもすぐに思い出すように、元に戻ることが決してないのです。もちろん不意に自我が覆いかぶさって、一時的に見失うことがあっても、すぐに軌道修正できるようになります。
実はこの1~2年の間、しばしば「Qさんは悟ったのですか?」なんて聞かれることが多くなっていました。そう質問する人にとっての「悟り」がどんなものか知らないので、正直、返事のしようもないのですが、強引に私の体験だけで言うと「はい」と言うことができます。
それは私自身、「悟り」なんてことを意識する以前から言っていたことですが、2005年のインド(ラダック)の丘の上ですることなくて般若心経を唱えている時、その850巻目辺りから急に目の前の景色が変わりました。例えて言うなら、次の絵が飛び出てくるような感覚です。
この絵は2次元ですが、ちょっと見方を変えると、突然、3次元になってある文字が浮かび上がってきます。同じように、私が体験したのは3次元がそれ以上の次元に瞬時に変わるような体験でした。そしてそこで悟ったのが「大丈夫」という境地。何があっても大丈夫だってこと。その辺の話は拙著「宇宙となかよし」でも書かせて頂きましたが、一度、「大丈夫」を知ってしまうと、もう戻ることができません。
3次元的な話をすると、2005年6月の段階で貯金が30万円。9月には企業年金を解約して生活費に充てるほど困窮していたにも関わらず、私は「大丈夫」を知っていたので、さほどあわてることなく、そして案の定、大丈夫だったので今に至っています。これからも何があっても大丈夫なのでしょうね。
つまりは「悟り」ってのは、決して未知の世界ではなく、最初から知っていたことを思い出すに過ぎません。4月は坐禅に行きました。それは臨済宗円覚寺派の白隠和尚から代々受け継がれる由緒ある公案禅です。そこで「見性」したことを客観的に認められたわけですが、その時は何も特別なことではなく、「な~んだ」と拍子抜けした感じがしたほど。と言いながらも、「悟り」をより意識化できたので、それはそれで意義がありました。
何度も言いますが、願望実現であれ、見性であれ、「無意識」のアーカイブにすでにあるものを引き出すことに過ぎません。ただ、願望実現については多少の引き出すための作業が必要になりますが、見性に至っては何もする必要がないとさえ言えます。だって誰もがすでに知っていることなのだから。
4月の大阪セミナーではいろんな仕掛けをすることができたと思っています。「本当の自分」に行きつくための仕掛けです。6月にも東京でやりますので、あまりここで詳しくは言えないのですが、一言で言って「思い出す」ための仕掛けです。
多くの人はどうしても大いなる何かを「外側」に求めてしまがちですが、それをどうにかして「内側」に向けて、すでに知っていることを思い出すことが重要。そのために施した仕掛けが、昨日もテーマにして「空白」です。要するに「ど忘れ」してるだけ。つい先日、この人の名前が思い出せなくて往生したことがありました。
ムーディ勝山ですね。まさに今、そうそう!と思い出して膝を叩いた人も少なくないでしょう。つい最近の人なんですが、人は簡単に「ど忘れ」する生きものです。「本当の自分」だってそう。誰もが「ど忘れ」してるんです。それを思い出せばいいだけ。そういや、ど忘れ禁止法案とか言った女性議員がいましたっけね。名前思い出せますか? 言った本人が「ど忘れ」される昨今なのは皮肉な話ですが。
ところで「ひらめき脳」を読んでいたら、これまた驚きのフレーズがありました。
「脳の中で情報が伝達する時には、心の中では時間が経過しない」
って言う、著書の茂木さん自身の「ひらめき」です。うわうわ!その通りと思いますよね。「悟り」や「見性」も同じく、それって本当に一瞬ですものね。それを言語化するのは大変なんですが、その「情報」が前頭葉に伝達されるのは、本当に一瞬のこと。それを45年間かけて言葉にしたのが釈迦って人ですが。
と言うわけで、今日も支離滅裂な日記になってしまいましたが、明日も早起きで規則正しい生活をするためにそろそろ寝ます。文章はいつも読み直してないので、誤字脱字があったら失礼。そうそう、水曜日は「宇宙となかよし塾」です。ありがとうございました。
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