本来の面目 2010.4.11

本来の面目 2010.4.11_b0002156_16513132.jpg 坐禅合宿3日目ですが、実は初日の夜、めちゃくちゃ眠かったにも関わらず、布団に入ると逆に目が冴えてほとんど眠れずに夜を過ごしました。昨日は重労働の作務もしたことだし、さぞ疲れてすぐ寝れると思いきや、やっぱり布団に入ると目が冴えるのです。なぜ?なぜ?と思っていたら、謎が解けました。おそらくこれ(右写真)。私の布団の横に大きな絵皿が置いてあって、これが気になって眠れない。気になると言っても、それは無意識レベル。蹴飛ばして割ろうものなら高そうだし、何より危険。無意識はきちんと安心安全を守ってくれてるんですね。皆が寝静まってから廊下の方に布団を移してようやく熟睡。

 今日も5時に起床。掃除、静坐、参禅、朝食、作務、静坐、参禅、終了の儀、昼食となり道場を後にします。3時から天神アクロスにて禅老師と東京から来られた女性禅師の講演会。老師の話は、、、眠かった(^^;。それにしても女性禅師の美しいこと。今回の坐禅合宿にも最初から参加されていたのですが、女優と見まがうごとき美貌と色気。歳は私よりは上でしょうが、すごく若々しく学生時代から坐禅をされているとか。結論。坐禅をすると美しくなる。ちなみに司会の方も坐禅をされてまして、先日のラジオのパーソナリティでもあります。講演会の最後に質疑応答があったのですが、なぜかマイクが私の手元に。おまけに前に出ろと言われてちょっとだけスピーチ。主役を食わないように控えめにしたつもりが。やっぱり前に出るとダメですね。どうしてもインパクトを与えてしまったようで。

 こんな風にして2泊3日の坐禅合宿が満了したわけですが、今回は本当に素晴らしい体験をさせて頂きました。2日目に「見性」させて頂き、3日目の早朝の静坐では、何とも言えないいい気持ちでした。これが最もリアルな世界。今、今、今。ここには何一つ不安も憂いもなく、単純に「喜び」だけがある世界。なんて私は幸せなんだろう。願わくば永遠にこの時間が続いて欲しい。ただ、時間なんてものはいつもあるけど、いつもない。あるのは常に「今」だけ。そして「今」には愛、感謝、喜び、幸福、満足、など形容しうる限りの人間の生きる意味がある。あ~このために生きてるんだなって実感できる世界。

 思えば私もこの5年間ほど、常に「今」を求めて生きてきたように思います。滝行もそう。山登りもそう。今更ですが、会社辞めた時はめちゃめちゃ不安でした。だって貯金が30万円しかなくって、この先の収入の目途もゼロだったわけですから。その30万円も見事に3か月でなくなり、4か月目は企業年金を解約して生活費に充当。でも、心配しても始まらないので、とにかくやれることやる。それでもまた不安は解消されずに滝行へ。

 真冬に滝行とかやってすごいですね~ってよく言われるのですが、実は弱いから滝行をやっているに他なりません。とにかく滝行をやっている時は、ひたすら「今」に没頭して、金がないとか、生活どうしようとか、そんな心配をする暇さえ与えられませんから。いろんな雑念はとりあえず水に流す。さっぱりした気分でやることをやる。その繰り返し。今現在もそう。

 結局のところ、滝行も山行も坐禅も「今」に生きることにおいては同じ。どれだけ「今」に生きられるか。それは別に滝行や坐禅でなくてもいい。山崎パンのアルバイトでもいい。もちろんそれぞれの仕事でもいい。どこまで「今」になりきれるか。大切なのはそれだけ。そのことに気がつくと、人生観は180度変わり、もはや怖いものなし、、、とはまでは言い切りませんが、人生の「質」が変わることは間違いありません。(本当は怖いものなしですが)

 しかし「今に生きる」って言葉にしてしまえば簡単ですが、実はそうとも限らない。なぜなら人には「自我(意識)」があるから。今日の講演会でも言われていましたが、人間ってのは一日のうち2万回も判断をしているそうです。そしてその「判断」がことごとく「今」から引き離そうとしています。この「判断」を具体的に言うと、例えば、

雨が降ってきた → 車が多くなりそうだ、洗濯物が乾かない、気分がブルーになる
お金がない → 家賃が払えない、生活が不安だ、不幸だ
携帯のバイブが動いた → 誰だろう、鬱陶しいなあ、急がなければ
恋人と別れた → 寂しい、絶望だ、腹が立つ
臨時収入があった → ラッキーだ、気持ちが悪い、風俗に行ける

などの「→」の後が「判断」です。そして人間は普通、これらの判断を自働的、無意識的にやってしまいます。それを一日2万回。つまり人は完全に「判断の奴隷」となっています。それって果たして「自由」でしょうか。

 「今に生きる」とはすなわち「判断から自由になる」こと。「雨が降ってきた」ならば「雨が降ってきた」だけのことで、それ以上の「判断」は無意識の条件付けによって自動的に起こること。つまりその自動的な「判断」をストップさせること。それが「今に生きる」に他なりません。そしてその「今」には絶対的な「喜び」があるだけ。「喜び」を打ち消すものがすなわち「判断」なのです。

 この2~3年、このブログでも再三に渡って「本当の自分」について語ってきました。禅では「本来の面目」と言うし、ディーパック・チョプラは「純粋意識」と言うし、それに代わる言葉はたくさんあります。「本当の自分」につながるとはすなわち「今に生きる」ことであり、そこには一点の曇りもない、澄み切った「自分」がいます。

 今朝の「静坐」ではそんな「今」を体験させて頂きました。老師によって「見性」を認められた後の最初の静坐です。その絶対の境地を見ることができた。もちろんそれは今までも見てきたこと。インドはラダックでの劇的な体験を始めとして、650回に及ぶ滝行。そして講演会など。考えてみれば、私は今まで何度も「今」という「喜び」を見てきました。しかし、今回の収穫の一つとしては、それらの「喜び」に対する客観的な確信を得たと言うことでしょうか。単なる思い込みを超えて、普遍的なこの「喜び」を伝えていける。これからも。

 そしてこれからも疑いなく「本当の自分(本来の面目)」を生きていける。本当に素晴らしい3日間でした。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-04-11 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)