今日のは読まない方がいい 2010.1.13
2010年 01月 13日
さて、今日の本題へ。朝起きると雪、雪、雪。どうりで寒いはずです。私が滝行に入ると、なぜか「雪」が降ることが多いです。12月もそうでしたし、昨年の一月も一週間くらい降ってたと思います。そして今日は、もう本当に突き刺さるような寒さ。鹿児島でも雪が積もっているくらいですから当然と言えば当然。今日の不入道はすっかり水墨画の世界でした。

それにしてもハンパなかった。「今日はやめておこうか」なんてのは許されないので、来たからには入るしかありません。いつも通り、着替えてから素足で外に出るのですが、新雪の上を裸足で歩いてみました。完全に凍傷になりそうな感覚。そして九字を切ってから足を水に浸けるのですが、飛び上がりそうなほど冷たい。当たり前ではありますが。そして作法の後、六根清浄と唱えながら滝に入ります。最初は身体が冷たさを認識しないためか、いけそうな感じではあります。しかし最初の「禊の祓い」を唱え終わって、般若心経に入る辺りから全身が一気に縮こまり呼吸が苦しくなります。ですが、こんな時こそ「力を抜く」のです。そして呼吸は吐くことを中心に。すると身体が温かくなってくるのですが、頭はガンガンです。うう~苦しい。
般若心経を唱えていると、手足はもちろんのこと、口までがカチカチになってきて、思うように発音できません。ちょっと今日はヤバイかも、、、と思い、般若心経で出ることにしました。ただ、出た後、何となくしっくりきません。これだと苦しかっただけで終わりじゃないですか。もう一度入って、今度は長めの観音経。ここでも次第に声が出なくなるのですが、何とか最後まで唱え、いくつかのご真言を唱えて、九字の印を組んで終了。いつものメニューをこなしました。
とにかく今日の滝は過酷でした。なんでこんな寒い日に滝に打たれるのか。自分でも理解に苦しみます。私は何を目指しているのか。それさえわからない状態。ただ、2010年も年間100日の滝行をすると決めたのでやるしかない。ほんと、ただそれだけなんですね。確かに2004年に開始したばかりの頃は、何か「神通力」みたいな特別な力を付けたいとか思っていたこともあります。しかし、何度打たれてもそんな力は得られません。そこで止めてしまうスピ系の人も多いのですが、私の場合はなぜか今年で6年目の冬になります。
また、今年から「禅」の世界にも入ってしまい、実は今日の夜も「静坐会(坐禅の会)」に行って、一時間ほどただ座ってきたのですが、それとて何のためにやっているのか、きちんと説明することは困難です。痛い足を我慢しながら、ただ座るだけ。何の得やご利益があるのでしょうか。何もない気がします。人によっては「見性」するため、とか思うかもしれませんが、昨日も書いたように「見性」したからと言って、何がどうなるものでもありません。
おそらくは滝に打たれたり、坐禅なんかをするよりは、ちょっとでもアルバイトをしたり、ボランティアをしたりする方が、人のため、社会のためになるのではと思います。と言いながらも、実は「人のため」とか「社会のため」とか、確かに美しい姿勢ではあるのですが、そもそもそのために何かするのも、どうも貧しい気がしないでもない。こんな話をすると、またいろいろ言われそうですが、「~のため」と自分自身を何かに制限しながら生きるのもどうかな、と思うのです。正直。だってそうなると、人や社会のためになることが生きる尺度になってしまい、どうしてもそこに優劣ができてしまうわけですよね。代表的なのが、金持ちが偉いとか、学歴が高いのが偉いとか。
実を言うと、滝行を始めて6年になりますが、これまで何回、そのことで揶揄されたか知れません。決まって「そんなことをする暇があったら」とか「本当の悟りは滝行や霊的登山にではなく日常にある」なんてもっともらしいことを言われたり、ブログで皮肉られたり、フレーズが紋きり過ぎて耳にタコです、ほんと。他には、家族がいるのだから滝行だの山登りだの気をつけろと言う人もいます。確かに危険がまったくないわけじゃありません。でも、比較するのであれば、スキーやスノボの方がよっぽど危険。柔道や空手の方がよっぽど危険。いやむしろスポーツ全般と滝行を比べたら、場所にもよるのですが、スポーツの方が概して危険です。フルマラソンなんか危険極まりない。でも、そういうのはあまり咎められることもなく、滝行になると、なぜかヤイヤイ言い出す人が出てくるわけです。
ついでに言わせてもらいますが、私だって人知れず、いろんな誹謗中傷を受けているのです。昨年、阿部敏郎さんと飲んでた時も、同じようなことを言っておられました。最近、私もコメントを承認制にしたのですが、その背景には、段々といや~なコメントも増えてきたからです。なるべく承認するようにはしていますが、そうなると「オマエは都合のよいコメントばかり承認するのか!」と言われるかもしれません。その通りです。私にとってなるべく都合のよいコメントしか反映させません。なぜならば、都合の悪いコメントを承認するメリットがないからです。もっと正直に言うと、気分が悪いからです。私だって小さな子どもと家族を抱える普通の人間。皆さんと同じく、傷つきやすく、気の弱い人間なのです。そんなことないでしょ!なんて言われても、そんなことあるのです。
さらについでに言うと、昨年末に本が出てアマゾン一位になって喜びまくっていましたが、するとやっぱり「本を買って頂いた読者に対する配慮がない」とか意見を頂くわけです。もちろんめちゃくちゃ感謝してるし、何度も何度もそのように表現してきたにも関わらず、ちょっとした言葉尻を捕まえては「偉そう」だの「感謝が足りない」だの言われるわけです。さらには、気持ちはわかるけど、表現には気を付けた方がいいなどと大人な意見を頂いたりもして。
あと、ついこないだ、私の本が平積みになっている写真を自慢げに紹介したのはいいものの、隣に伊勢白山道さんの本があって、「隣はまあ・・」なんて余計なひと言書いたばっかりに、「揶揄するな」などとコメントされたりして。確かに私も伊勢白山道さんのブログにはちょっとは意見したいことがあったにしても、別にいちいち揶揄するもんでもありません。あちらさん、ブログランキングでは同系統の3つくらい一位に君臨してて、その上で本屋さんでもお会いするなんてまあ、、、というニュアンスなんですが、そこに何か「真理」があるならはっきり書けとか言われて。なんもないって。正直、どうでもいい話。昨日の話題じゃありませんが、大きなお世話。そんなにはっきりさせたければ、コメントでちまちま質問してこんで電話しろ!無料だから!ということです。そのための窓口もあけてるのだし。
要するに何を言いたいかと言うと、一つは昨日と同じ「大きなお世話」ってこと。滝行しようが、山登りしようが、坐禅しようが、単にやりたいからやってるのであって、「~のため」という大義面分もなければ、大きな使命感を持ってやっているわけでもありません。ブログだってそう。そもそもは個人的な日記だし、書きたいことを書くのが私のスタンスです。よく思われようとか、人のために役立つメッセージにしなければ、なんて意識し始めたらこんなに続けられません。
こういうスピ系(と勝手に思われる)のブログを書いていると、どっかでぶち当たる壁かもしれません。書き手である、例えば私のことを、人格者だったり何かの聖人君子だったり、読者が勝手に作り上げて、それに反するような文言があったりすると、すぐに食いついてくる。正直、「またか」と思うことも何度もありました。今、これ読んでいるスピ系ブロガーの方ならわかると思います。阿部さんにしても、黒斎さんにしても、おなすさんにしてもね。これまで何度となく「大きなお世話」的な攻撃を受けてきたかと思いますし。そう言えば、こちらはブロガーではないのですが、五日市剛さんも同じようなことを言われてましったけ。今は書いてませんが、ミクシィ日記でもいろいろあったそうですし。
だからと言って、何も意見を言うな、ということではありません。私が好き勝手ブログ書いているように、好き勝手反応して、好き勝手コメントしてくださっても結構です。ただし、私はその「好き勝手」を「本気」で書いています。もちろん力を抜くこともありますが、基本的なスタンスは「本気」です。ですので、もしも何らかの形で自分や家族が傷つけられるようなことがあったら「本気」で立ち向かいます。それだけははっきり言っておきます。何か意見を言いたいのであれば、その覚悟でお願いします、ということ。なんだったら、匿名コメントや2ちゃんでちまちまやるのではなく、電話番号教えるからかけてこい!と言ってるわけです。
話がめちゃめちゃ脱線しましたね。何の話だったっけ。そうそう、私が言いたいのは「~のため」という大義名分に縛られ行動するのは自由じゃないでしょ、と言いたかったのかな。よくわからんくなってきた。滝行するのは単にやりたいから。そんなことやってる暇あったらゴミ拾いしろなんて、ほんと大きなお世話。環境美化だったり、経済活動だったり、社会一般的に「役立つこと」に結びつかなければ価値がない、なんて考えるのは正直、「不自由」だな~と思うわけです。
やりたいからやる。それでいいじゃないですか。思い出したので、ついでに言います。スピ系の人に多いのが、「ヒーラーになりたい」ってやつ。全員が全員ウソついてるとは言わないまでも、ほんまにヒーラーになりたいんか?と思うこともしばしば。手かざすだけで、金もらえて感謝される。本音にあるのは、手かざすとこじゃなくて、後者じゃないのか?と思うこともあります。本当に心からヒーラーになりたいなら、それは非常に素晴らしい。でも、やるなら本気で。金もらえなくても、感謝されなくても、ひたすらヒーリング道に本気で取り組む。金や感謝に結びつかないから価値がないなんて考えているうちは、まだまだ本気じゃないってこと。
話を戻しますが、私は何事も「やりたいからやる」がスタンス。でもやるからには本気。ブログは書きたいから書く。好き勝手書く。でも本気で書いています。滝行だって山登りだって坐禅だって、やるからには本気で。そして私は一つだけ「真実」を知っています。それは「本気」でやると「感動」と、、、大きな声じゃ言えませんが、「お金」がついてくること。「感動」はいいにしても「お金」も??
正直に言いますね。そうなのです。お金の話とかすると嫌に思うかもしれませんが、私はこのブログを本気で書いています。だから出版できたのです。最初から出版目指して金儲けのために書いていたのでありません。純粋に書きたいから書く。でも本気で。その結果、出版が実現して、ささやかながらも印税を頂くこともできるのです。印税を寄付します、なんてことも言いません。公表せんでも、寄付くらいしてますから。でもちゃんと生活費と遊興費にもまわします。
めちゃめちゃ生々しい話ばかりしてすいません。でも、私くらい生々しい話してもいいでしょ。年末の東京講演会はもっと生々しい話しましたけどね。でも、その方が共感を得られるのも事実。おそらく今月と来月の講演会も生々しく本気で語っていきたいと思っています。
もう一度言います。やりたいことを本気でやっていると、感動がついてきます。滝行はやりたいからやる。2006年の冬に100日連続で滝行しましたが、その間、肉、酒、性の禁止。30過ぎの男が100日間セ○ッス・オ○○ー禁止。それであっても、100日行をやりたいからやったのです。そして満行した時、もうめちゃくちゃ感動しましたもの。インドだってそう。2008年11月にインドツアーしましたけど、インドで何度泣いたことか。めちゃめちゃ感動。それ以外にもですね、人のためにも社会のためにもならないことをたくさんやってきました。でも、それらを本気でやると、めちゃめちゃ感動がついてくるのです。そして忘れた頃にお金も。本田健さんなんかが「好きなことやっているとお金はついてくる」と言っていますが、あれは本当の話。でも「本気で」を付けた方がより正確。
なので、私はこれからも誰のためにもならないようなことを、単に「やりたい」からだけでやっていこうと思っています。ただし、やるからには本気でやります。そして最後に一言だけメッセージを発しさせてください。やりたいことをひたすら本気でできる人生って素晴らしいと思うよ。ありがとうごさいました。
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『シャーマンはお金などもらってはいけません。神様にお借りした力に感謝し、自分の(シャーマンとしての)なすべき事をするだけです。』
そうおじいちゃんは言って、ガリガリの身体にボロボロの服だったけど、シワシワの笑顔が優しくて綺麗だった。なんか、あの時の事を思い出しちゃったよ。

昨日と言い、今日といい
>「大きなお世話」
この言葉に快哉を叫びました。
あっぱれです。
日本男児の覚悟を感じます。
気持ちいですね。
本音を率直に語れるのは。
本気だからこそできること。
興味関心からやりたいことだけをやる。
愛してます。
余談ですが
Qさんの本
知人や部下やキャバクラのお姉ちゃんなどに配りまくってます。
感謝されますねえ。
ありがたやありがたやです。
応援してまぁす!!!!!!!!


音声が付いてることで、より一層体に沁み込んだ感じです☆
改めて、ありがとうございますm(__)m
少し前ですが、「暮らしのおへそ」という雑誌に、作家の田口ランディさんがネイティブアメリカンの人が言ったことを紹介されていたのですが、
そこには、
『私たちが、自分のなかにある、ふたつの対立するものを統合することが、 世界に対する貢献である。』
と書かれてありました。
さすがというかなんというか・・
真理だなぁ~としみじみ思いました。
人のことをアレコレ批判してみたり、大きなお世話を焼く前に、
自分の中にある対立するものを統合していこうと、ますます感じました。
やりたいことをひたすら本気でやってる人は、常に今ここを生きていて、皮肉を言ったり妬んだりする暇がないから、より人生が豊かになっていくのでしょう!
Qさんの率直フルスィング、これからも楽しみです♪

他人にとやかく言われようと、自分が好きで楽しくて周りに迷惑掛けてな
いのなら、思う存分やらなきゃソンだと思います。
何事も楽しむことが一番かなと思い、私もお金にも周りの役にも何の立たない踊りを毎日踊ってます。
それは楽しいから。続けていたらいつかはお腹の肉も落ちそうだからです(笑)。落ちなくても別にいいんです。
Qさん、滝修行レポート楽しみにしています。頑張って下さい。
あの世界を席巻した「ザ・シークレット」を出版したロンダバーンさんもすごい支持と同時にすごいバッシングにあってますすしね。そのザ・シークレットに出演しているDrディマティーニによると、彼のセミナーや出演した番組などでアンケートをとっても大体支持、不支持の半々になることが多いようです。
つまり、人間の成長にはサポートとチャレンジの両方が必要ということなのでしょう。サポートだけだと人間は甘えまくり堕落するし、チャレンジだけだとつぶれてしまう。だから、その両者のバランスの中で人間は成長するのでしょう。
だから、チャレンジとサポートが両方来たということはすばらしい! 万歳!
真夏のオーストラリアより
モナカ寅次郎
なつかしいですね。
絶好調のようで、こちらこそ愛しています。
アセンションは近いですね(^^)
ほんと、暇なし!今ここに暇はありません。
チャレンジウェルカムです。なので、もっともっと批判しちゃってください(^^)