人って尊いよな・・ 2009.10.25
2009年 10月 25日
このような場で語り合うこともまた、本当のセミナーのように思います。今後も20人前後のセミナーも続けていくつもりではありますが、今回のような合宿形式のコアなセミナー、そして講演会へと、レパートリーを広げていく予定。
今日のセミナー自体は、資料を用意しては来たものの、参加者と対話しながら進める形となりました。そしてわかったことが一つ。人間ってのは、誰もが「尊い」存在なんだな~ということ。
私が本当に心から伝えたいことがあるとすれば、一つだけあります。それは何があっても「大丈夫」だということ。人生の中で、本当に「大丈夫」というメインスイッチが入ってしまえば、それからの人生は本当にバラ色になると思います。
もちろん私だって、ミクロなことでは、いろんな不安や不満もあるかもしれません。でも、寝る前にはなぜかスッキリ。ただ、生かされていることへの感謝があるだけ。起きた時も、「あ~今日も元気に朝を迎えることができた、ありがとうございます」と言う自分がいたりします。
私自身、そう言った自分のことが大好きです。セミナーでも言ったのですが、人には「本当の自分」と「表面上の自分」の2種類があるようです。「本当の自分」とは生まれながらに持つ、最も純粋な自分のこと。「表面上の自分」とは、主に0歳から14歳までの体験によってプログラミングされた、単なる反応として自分。
例えば「人が嫌い」という人がいたとします。人間である以上、生まれながらに「人が嫌い」な人など存在しません。しかしある時、誰か怖い人が近くにいて、とても傷つけられたことがあったとします。そのたった一回の体験、そのインパクトによって、人は、正確には潜在意識は、「人が嫌い」という一般的なプログラムを構築してしまうのです。そんなのは「本当の自分」ではあり得ませんが、それでもやはり「自分」の一部分であることは確か。
「ホ・オポノポノ」で言われる言葉(ありがとう、あいしてる、許してください、ごめんなさい)は、まさにそんな「自分」に向けられる言葉。人は「表面上の自分」をいつも頑なに守ってしまいますが、そこで重要なのは「感謝」や「許し」なのです。そんな自分を理解し、愛する。
それによって「表面上の自分」はどんどん「氷解」し、ある時、「本当の自分」が姿を現します。その瞬間、すべてが「大丈夫」であることを知るでしょう。
先日、「感謝」を願望実現のツールや、後ろめたい行いに対する免罪符のように使うのは、本当の感謝ではない、と書きました。それは、本気でそう思っています。しかし、人にはそれぞれに段階があるのも事実。どうしても叶えたい願望、許せないこと、愛せない人などがいる場合、単純に「感謝しなさい」とか「愛しなさい」と言われて、すぐにできれば苦労はありません。
だったらまずは「形」からやるのも一つの方法です。どんなに感謝できないことが起こったとしても「ありがとう」と言ってみる。普通のロジックで考えたら、こんなのは精神異常に思えます。それでも「ありがとう」や「あいしてる」と「言葉」に出して言ってみる。最初はアレルギー反応を起こして、「ありがとう」という言葉を拒否してしまうこともあるでしょう。
それでもなお「ありがとう」と言ってみる。「あいしてる」と言ってみる。「許します」と言ってみる。泣きながらでも言ってみる。するとある日、突然、「あ、これでよかったんだ」と思うときがやってきます。実のところ、私がそうでしたから。
ですので、今、苦しかったり、ピンチであればあるほど、夜寝る前に「今日一日、ありがとうございました」とか、朝起きた瞬間に「今日も元気に朝を迎えることができ、ありがとうございます」と言ってみる。そのうち、起きた瞬間に「感謝」が芽生え、気がつけば、一年前と全然違った状況になっていることに気づくこともあります。
本当の「感謝」は究極です。しかし、そこまでの段階でない人もいる。そんな人に対して「お前は本当の感謝を知らないからダメだ」なんてことは言えません。本当の「感謝」なんてものは、しようと思ってできるものではありませんから。でも、とりあえず形だけでも「ありがとう」ということは可能。そこからスタートしてもいいのです。
私のブログを読んでいる人は、ある時は「本当の感謝でないと意味がない」と書きておきながら、またある時は「形だけの感謝でも、しないよりまし」と書いているのを読んで、混乱することもあると思います。一見すると、一貫性がないように思われるかもしれません。しかしその矛盾は「段階(ステージ)」という言葉で筋が通ると思っています。
形だけの「ありがとう」もまた、その人のステージ。でも、いつかは本当の感謝に目覚めるときがやってくる。そのことを知って欲しいという願いだけはあります。
それから、つい先日、「現状の打破」にとどまるのではなく、具体的な「目標設定」が大切という話をしました。しかし究極的には「目標設定」などしない段階に立つのが理想。単に一日一日を「感謝」だけで過ごし、現状も未来もすべて受け入れられる境地。確かにこれは理想です。
しかし、現実に不平不満を思っている人がいて、その人に「感謝しなさい」と言っても無駄。そこで現状を変えていく突破口となるのが「目標設定」のアプローチです。そう、すべてに「段階(ステージ)」があるのです。
それから、満月に通帳をかざして臨時収入を得る、なんて儀式がありますが、それで本当に収入が入ることはありません。試してみるといいです。だからと言って、その行為自体が無意味とも言えません。毎月の「満月」に改めてお金に思いを向ける儀式としては意味がありますから。
言うなれば、「満月通帳」とは、お金持ちの人がそうであるための「習慣」とは言えるでしょうが、お金持ちでない人がお金持ちになるための「手段」では決してありません。それもまた「段階(ステージ)」なのです。
そのようにいろんな段階を経ながら、それぞれの苦しみや喜びを感じるのが人間。そしていつか突然、「本当の自分」に出会うことがある。出会わないかもしれない。それでも、人間はすべて「尊い」存在であることは事実。
セミナーの参加者の一人が面白い話をしていました。子どもが言葉を覚えて、5歳くらいになるまで、こんな質問をして見ると面白い。それは、「○○ちゃん(くん)は何のために生まれてきたのかな?」、と。
実際、この質問をいろんな幼児に投げかけ、その答えを集めて分析した病院があったそうです。言葉としてはいろんなパターンがありながらも、ほとんど共通する答えになるそうです。それは、
「役に立つため」
もしもこれが事実だとすれば、人間はみな「役に立つため」に生まれてきた。つまり、人間はみな「役に立つ存在」だと言えるのです。そうやって、人は誰かの役に立ちながら生きているのです。これを「縁起」ということもあります。
今、こうやっているのも、必ず誰かの、どこかの役に立っている。このブログを読んでいる人も、みな例外なく役に立っている。お互いを助け、お互いを尊重しながら。それはまさに「愛(与える)」と「感謝(受け入れる)」ことの連鎖だと言えるのです。誰かの愛に誰かが感謝し。誰かの感謝に誰かの愛が運ばれ。そうやって私たちは生きている、なんて「尊い」存在なのでしょうか。
とにかく「大丈夫」。これだけはどんなに否定されても、揺るがない信念であり事実です。ありがとうございました。
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