メインスイッチ 2009.10.22
2009年 10月 22日
そう言えば、今日も阿部さんのブログでご紹介して頂けました。前回紹介頂いたときは、初めて私のブログを知った方も多かったようで、それ以来、阿部さんと黒斎さんのブログに合わせて、私のブログを読むようになった方も多いようです。
何度か書いていると思いますが、実際のところ、今年になるまで阿部さんのブログはほとんど読んだことがありませんでした。それが今年になって、急にいろんな人から読むように勧められたのです。表現の仕方は全然違うけど、相通じる部分があると言われました。
例えば「いまここ」の話。私は「今この瞬間」みたいな表現をしていたと思いますが、この地点に立つとあらゆる不安や悩みが消滅します。それは至高体験とか、その手の話を抜きにしても、事実であると言えます。あらゆる心配の種は「未来への不安」か「過去に対する後悔」のどちらかで成り立っています。そしてそれらは余計なこと。考える必要のないこと。
結局のところ、起こったことしか起こらないわけで、できることと言ったら「今できること」以外にありません。その積み重ねが「未来」を作るわけだし、同時に「過去」を作ってきたわけです。そしてまさに「今」、どのような感覚でいるかによって人生が変わります。
今、とても感謝できていれば、過去はすべて許せるし、未来はすべてバラ色になります。逆に今、不平不満を思っていれば、過去や未来もそうなります。私は「あきらめる」という言葉が好きですが、それは「何もしない」ことを意味するのではありません。「あきらめる」の語源は「明らか」と「極める」だと書かれていますが、意訳すると「物事を極めて真実を明らかにする」ということでしょうか。
私はしばしば、「あなたは幸せにしかなれないので、諦めてください」なんて言うことがありますが、これの意味するところは言語矛盾でもなんでもありません。結局のところ、どんな人も「幸せ」にしかなれないのです。それをあえて自分で不幸にしよう、不幸にしようと頑張っているのが、多くの人たち。その頑張りを取り除けば、瞬時に「幸せ」になれると言うのに。
幸も不幸も自分次第、と言われることがありますが、これをもっと正確に言うと、「不幸こそが自分次第」となるのです。諦めてしまえば、そこに「幸せ」があるのに、自分で自分を不幸にしているだけ。しかもそれが習慣になっているだけ。
話を戻しますが、じゃあ「あきらめる」って「行為」にするとどうなるのでしょうか。「姿勢」としてはまさに「受け入れる」ことです。それを「行為」にすると、受け入れた上で「今できること」をするだけなのです。そしてその積み重ねが人生。
自分で不幸にする人の多くは、過去への執着がやたらと強い人です。具体例としてこんな話がありました。私の知人で、中学生の頃、親の仕事の関係でアメリカかどっかに住むことになります。そこで現地の「日本校」に通うか、「インターナショナルスクール」に通うかの選択肢が与えられました。「日本校」は日本人ばかりで言葉も日本語。「インターナショナル」はいろんな国の人がいて、言葉は基本的に英語。その人は「日本校」を選びました。
しかし今となっては、もしもあの時「インターナショナル」を選んでいたら、もっと国際感覚も身に付き、英語もペラペラだったのに、なんてことを言います。人生最大の失敗とさえ言っていました。さて、この人は幸せでしょうか。
確かに別の選択肢を選んでいれば、別の人生があったでしょう。しかし、現実は「今」の人生だけなのです。5次元のパラレルワールドなどはあるかもしれませんが、生憎とここは3次元です。そしてそれが起こったことであり、選択肢はこれしか今の現実しかないのです。
そこで、過去にとらわれることを「執着」と言い、それとは逆に、過去は過去として受け入れ、「今できること」に没頭することを「あきらめる」と言います。もう一度言いますが、「あきらめる」とは何もしないことではありません。それはまさに「今できること」を積み重ねることであり、実はそこには覚悟が必要となります。
過去への執着は何も生み出さない代わりに、幻想の世界なので、今に対する責任も覚悟もありません。その幻想の世界に逃げているだけですから、今は何もする必要がないのです。しかし、「あきらめる」と、同時に「今」に焦点が集まり、そこで何をするかの覚悟が生じます。そしてその「覚悟」こそが「覚醒」を導くのです。
私たちの多くは「幻想」の世界で生きています。その「幻想」を生み出せるのも、人間のみに与えられた「自我」の特権です。そして「自我」は「苦」や「葛藤」を生み出します。そしてまさにそれこそが人間と言うこともできます。と同時に「苦」や「葛藤」は乗り越えるために用意されたもの。その乗り越えることもまた人間に与えられた特権なのかもしれません。
過去や未来は人間の「自我」が生み出した「幻想」であり、黒斎さん風に言うとマトリクス。そこで「自我」の「葛藤」を乗り越える時、「幻想」の奥の真実が明らかになります。それがまさに「いまここ」の極み。
もう一度言います。真実が明らかになり、そこに極みを見ること、それを「あきらめる」と言います。そして私たちは「幻想」に生きていながら、真実は「今」にしかないことを知り、ただ淡々と「今できること」を積み重ねるだけ。これがそのまま人生となります。
以前ご紹介したと思いますが、山崎拓巳さんの「やる気のスイッチ」という本についていた浅見帆帆子さんとの対談CDを聞いていると、帆帆子さんが面白いことを言っていました。「やる気」なんて、点いたり消えたりするものじゃなくって、一度、点いたら消えないものでしょ、と。一度自転車に乗れるようになったら、しばらく乗ってなくても乗れるように、一度、「やる気」に火がつけば、それは一生のものだ、と。
まさにそうだと思います。その対談では「やる気」がテーマでしたが、それは「あらきめる」の境地と同じと言っていいでしょう。過去や未来という観念は、私たちの「自我」が恣意的に生み出した「幻想」であることに気づき、まさに「いまここ」に目覚めること。本当に一度そこに気がつけば、その後の人生は、文字通り「幸せ」になります。
自分を苦しめている「過去」もなければ、不安な「未来」もないわけですから、あるのは、本当に「ありのまま」の今この瞬間だけ。その瞬間に生かされていることに気がつけば、それ以上の幸せは存在しないのではないでしょうか。そしてその「(幸せな)瞬間」が、肉体という3次元の衣を着ている限り、これからもずっと続くのです。そしてそれは消えることはありません。
一度自転車に乗れるようになったら、ずっと乗れるように、真実の世界に気がつけば、もう見失うこともありません。不安や後悔に苛まれながら、せっせと線香供養する必要もありません。それが「今できること」のすべてであれば、それはそれでいいです。しかしそれが単に「幻想」の悪戯であるならば、そんな行為に執着する必要はありません。
ただ、その瞬間、瞬間に生かされていることへの感謝。私はそれで十分であると思います。そして「今できること」は最も自分らしいこと。私は今、ブログを書いています。本当に楽しくて仕方ありません。ブログを書けることに感謝しかありません。さっき子ども(ちびQ)の寝顔を見てきました。本当に感謝しかありません。毎日、滝に打たれています。それも感謝しかありません。
何度も書いてきたと思いますが、私がいわゆる「絶対感謝」なるものに目覚めたのが、2005年6月のインド旅行にて。初日に暴漢にあい、所持金を奪われ、たった5000円で一週間を秘境ラダックで過ごさねばならなくなったとき。することがなくて、丘の上で般若心経を1000巻唱えていて、その850巻目辺りで、突然、「世界」が変わったのです。自分はなんて幸せなんだろう、と涙が止まりませんでした。
吉野で千日回峰行を満行された仙台在住の塩沼亮潤阿闍梨も同じようなことを本に書かれていました。ある日、いつものように夜中の山歩きをしている時、暴風雨に見舞われ、雨ざらしで身動きが取れなくなった時のこと。ご飯として持ってきていた、塩抜きの「握り飯」が雨でボロボロと崩れ、それをすするように口に入れている時、その瞬間、なんて有難いんだ、、、と涙が出て止まらなかったと言われます。
確かにインドにせよ、滝行にせよ、回峰行にせよ、それは日常の感覚からはかけ離れているでしょう。しかし、人は誰もが毎日毎日「修業」をしており、その手段が亮潤さんの場合は回峰行であっただけのこと。そして亮潤さんは、その経験を多くの人に伝えることをお役目としているだけ。
多分、このブログを読んでいる人には、今、本当に苦しい時期を過ごしている人も少なくないと思います。でも、そんな苦しい時期こそが、「目覚め前夜」なのです。まさに今がチャンスです。もう過去や未来の「幻想」に逃げることなく、「今できること」を一所懸命にあきらめてください。その苦しさは永遠ではありません。もうすぐ目覚めるのですから。
でも、繰り返し言いますが、どうぞあきらめてください。そして「今できること」に没頭するのです。私も思えば、本当に苦しい時代がありました。27歳で完全なニートになり、毎日、家に引き籠って、どんどんダメになって行くのです。その時、確か「金八先生」か「教師びんびん物語」の再放送を見ていて、外に出る勇気をもらって、「今できること」を始めたのが、ひとつのきっかけでした。
就職活動しても落とされ、日雇いのバイトからも雇われない時代。でも、できることをすべてやろうと思い、恩師に手紙を書いたことがそのまま就職につながりました。その後、サラリーマンを経験するのですが、辞める直前は本当に苦しかったです。その記録は、2005年の2月~3月辺りのブログに残っています。その苦しい時期にも滝行をやっていたのですから、今思うと、完全にアホでした。でも、もう何も考えることができないくらい、ひたすら仕事や滝行に打ち込んだ結果、半月後に退職を決意でき、その後のインド旅行で私のとっての覚醒体験があったのです。
確かにその後も、ミクロには不安もありました。でも、私は「絶対感謝」の境地を体験した感覚だけは持っていたので、やっぱり「大丈夫」なことがまさに今証明できています。今は本当に幸せです。何があるから幸せなのではなく、この瞬間、この瞬間に「幸せ」を感じることができるから幸せなのです。
山崎拓巳さんは、浅見帆帆子さんが言う「自転車に乗れるようになる」ことを「メインスイッチ」と名付けていました。そのメインスイッチがオンになることを「覚醒」や「目覚め」と言うのでしょうが、メインスイッチはまさに目の前にあります。そしてその準備ができた人からどんどん、スイッチはオンになっていきます。
その準備とは、過去や未来への不安を抱きながら、シンボル的な行為に勤しむのではなく、まずは過去や未来の「幻想」を断ち切るトレーニングをすること。それが瞑想であってもいいし、私のような滝行や山登りであっても言い。もちろん仕事であってもいい。何より重要なのが「今」であることを知ること、そしてその瞬間を積み重ねることで、準備が整っていき、ある日突然、メインスイッチが入ります。それはウンコをしている時かもしれません。オ○ニーをしている時かもしれません。シベリア文太のサブいネタに不覚にも笑ってしまった瞬間かもしれません。
いずれにせよ、準備が整った瞬間、突然、メインスイッチがオンになるのです。先日、ちょっとぶっちゃけた記事を書きました。願望なんか叶わなくてもいいとか、NLPなんてどうでもいいとか。その記事を読んで、実際にセミナーをキャンセルされた人もいました。それはそれで私の気持ちが通じて嬉しく思います。でも、本音をもう一度言うと、私がこれからやりたいのは、そんな小手先のテクニックやスキルを伝えて、その場しのぎをするようなセミナーや講演会ではなく、一人ひとりの「メインスイッチ」がオンになることを支援するような活動なのです。
そして今、このブログを読んだ瞬間から、できることがあります。それがまさに「今できること」です。何をすればいいですかと不安になって先祖供養することではなく、今、目の前にすることがあるはず。そこに没頭すること。そしてその今、今、今、を積み重ねることによって準備が整っていいき、ある日突然、メインスイッチがオンになるのです。そのための準備がまさに今ここにあります。ありがとうございました。
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(さっき見た、ちびQの寝顔)

最近になって阿部さん、黒斎さん、そしてQさんの記事を頻繁に拝見させていただくようになりました。
占いやおまじない、過去生に引き寄せなど、一通りその道(?)を辿ってきましたが、その道程にもお三方の記事を読んだことがあり、正直そのときは「?????」という感じでした・・・^^;
でも今はお三方のおっしゃることが一番すとんと腑に落ちるというか、ああもうこれでスピ巡りの必要はなくなったな、と感じております。
毎日の記事更新、本当にありがとうございます。
本の出版も楽しみに待っています!!
「シンボル的な行為に勤しむのではなく」
今の状況に欲しかったお言葉です。
ものすごく執着しすぎて、頭がおかしくなりそうでした。
今この瞬間を感じてみます。
ありがとうございます。
十分にONになってると思います(^^)
よかったですね~!
願って頂きありがとうございます!
ちびQ無敵!
どういたしまして!
本当に自分らしい行いを重ねてれば、それですべてOKだと思います。
無意識の力は強いですからね(^^)
どういたしまして!

























