流れに乗るプラス思考 2009.8.23
2009年 08月 23日
それにしても阿部さんの講演会は不思議でした。それを今になって感じます。よくありがちなスピ系講演会のように、エネルギーがどうとか、波動がどうとか、そんな話もパフォーマンスもなく、ブログで書いているような内容プラスアルファを淡々と話しているだけ。その時は「ふんふん・・」と思って聞いていたのですが、それが今になって伝わってくるような、不思議な感覚です。沖縄など毎回行く人の気持ちがちょっとわかります。私も沖縄に住んでいたら、何度も行ってるかもしれません。9月の講演会、、、やっぱり行こうかな。。。
そうそう、昨日の講演会の終了直後、突然、肩をたたかれ「ちびQちゃん、可愛いですね」と声をかけられました。初めてお目にかかる方なんですが、私のブログをちょこちょこ読まれているとのこと。それから、家に帰ると「会場で見かけました」などのメールをいくつか頂きました。阿部さんもかつては同じブログランキングにいましたので、その辺りのことはあるかもですね。9月の講演会、、、やっぱり行こうかな。。。
てなわけで、体調も完全回復したのですが、体調がすぐれなかったのは午前中のみ。そして今日は珍しく昼から滝に行ったのです。何度も言うように午前中はちょっときつかったのです。もしかしたらインフルエンザの前触れ、、、みたいなしょうもない不安までしたりして。そして午後から滝行。お日さまがガンガンなので、滝の水もぬるいかと思いきや、非常に爽快でした。そして帰ってくると、体調は回復。まさに滝で「浄化」したと言っていいでしょう。やっぱりちょっとしたエネルギー負けだったのかな。
ところで昨日の講演会の質疑応答の中で、いくつか私なりに明確に答えられる質問がありましたので、そのことについて。一つは「流れに乗る」、もう一つは「プラス思考」についてです。質問内容の細かい点までは覚えていませんが、まずは一つ目。
しばしばスピ系の本や講演会などで、「あるがまま」「自分らしく」「楽に生きる」「頑張らない」「おまかせする」なんて言葉が散見されます。それはすべて正しい考え方だとは思います。しかし、ちょっと誤解されるのが、「だったら何もしなくていい」という解釈。極端な話、何もせずに怠惰に寝とけばお金も恋人も思いのまま、という解釈ですね。言うまでもなく、そんなことで願望は実現しません。と言うか、みんなわかってるんでしょ、と言いたい。
ちょっと皮肉った話になるかもしれませんが、私がブログを始めて5年。その間、いろんなブログがあるのを知り、ちょこちょこ読んだりしていました。そして中には「願望実現」に関するブログも少なくないことを知ります。それらのブログの特徴は、ちょっとスピリチュアルで、心が軽くなる、前向きになる、認めてもらえる、、、的なスタンスが主流のようです。そして「願望」なんて「簡単」に叶うんですよ、的な言い方で、いろんなテクニック(スピテク)やグッズを紹介して読者に希望を与えます。その代表が「実○くん」です。
しかしながら、紹介されるスピテクなどを実践して、本当に「願望」が「実現」することは、、、ないってこと、みんなわかってるんでしょ。「引き寄せの法則」で引き寄せようとも、せいぜいすいてる電車の席に座れて「席を引き寄せた」って喜ぶのが関の山。でも、本当の「願望」はなかなか「実現」しない。それでも何か知らされていない「秘伝」があるのではとブログを徘徊する。
ただし、中には本当に「願望」を次々と「実現」する人もいるわけです。例えば私。その秘訣がまさに「流れ」にのること。ボディボードのように流れに乗ると、次々と願望が実現するのです。しかし、それは決して「何もしない」ことを意味するのではありません。「流れに乗る」ことの本当の意味は「思ったことをする」ことなのです。
実は「思う」ってめちゃくちゃ特別なこと。例えば「この講演会に行きたい」と思ったとします。世の中は思考であふれています。人は起きている間のほとんどすべて何かを考えています。それが60億パターンあるわけです。今この瞬間に、いったいどれくらいの「思考」が生まれたでしょうか。そしてその2秒後にはどれくらいの「思考」が生まれたでしょうか。数えることは不可能。それだけ地球上には「思考」が溢れているのです。
その無限の「思考」の中から、どう言うわけか私は特定の「思考」を選び取ります。世界中の海から、特定の貝殻を拾うこと以上に限られた確率です。ただ、それは自分が選んだと言うより、向こうから来たと考えた方がいいです。昨日の阿部さんの講演会は飛び入りですが、あたかも講演会の方が私に近づいてきたような錯覚さえします。今、このブログを読んでいるのは、あなたが探して選んだブログではなく、いつの間にか読んでしまっている、つまりブログの方があなたに向かってきたもの。そしてそれを「読む」という行為も一つだし、昨日の講演会のように「行く」のも一つ。
つまり無限の「思考」の中から勝手に選びだされたメッセージを、私は「講演会に行く」という行動によって形にしただけ。例えば今、誰かに電話したくなったとします。なぜ電話したくなったのでしょうか。意味はわからないけど。そして次の瞬間、電話をする人と、しない人にわかれてしまいます。電話をする人の論理は「電話した方がいいと思ったから」、電話しない人の論理は「面倒だから、忙しいだろうか」などなどいろんな言い訳が付随します。
そして電話をしない人は、それはそれで自分の感覚に従ったとか、無理しないどこうと思ったとか、いろんな言い訳をするのでしょうが、それは「思う」という特別な現象を無駄にしたのと同じこと。それそれでいいと思うかもしれませんが、せっかくの「流れ」をここでストップしてしまったのです。その時はそれで特に困ることもないでしょうが、それは「流れ」に乗ったのでは決してなく、淀んだ水たまりの上でぷかぷか浮かんでいるだけ。溺れるリスクはないでしょうが、それでは永遠に「流れ」に乗って運命をつかむことはできません。
楽に生きるための考え方やテクニックも時にはあっていいと思いますが、自分自身が本当に「やりたいこと」を実現するには、「やりたい(と思った)こと」を確実に実行する。それが本当の意味での「流れに乗る」ということなのです。確かに乗るためにはサーフィンと同じく、多少は「技術」が必要となります。しかし、それは乗ろうとしなければ決して上達しません。水たまりに浮かんでいるだけでは、決して乗ることはできません。思ったことをすぐにやってみる。この連続がすなわち「流れに乗る」ことなのです。
それからもう一つ、「プラス思考」について。よく物事は「無色透明」だと言われます。そしてそれは100%正しいです。例えば大学受験で失敗したとします。その失敗によって、もっといい大学を狙えるチャンスに巡り合ったとか、もっと基礎学力を身につけて考える力を養えるとか、予備校で掛け替えのない友や恋人の出会うチャンスをつかんだとか、いろんな側面があります。単純に「失敗した」というネガティブな側面以外にも、いろんなポジティブな側面があり、「プラス思考」とはそのポジティブな側面を見ていこうとするもの。確かにその方が人生は楽です。
しかし、それだけではもしかすると人生において本当に尊いものが見えないかもしれません。例えば恋人と別れたことがめちゃくちゃショックだったとします。それこそ10年間付き合ってきた彼氏から一方的に別れを告げられてしまい、自分はもう30歳半ば。今でも彼のことを愛しているし、願わくばよりを戻して結婚したい。そして独りになると彼との楽しい思い出ばかりが蘇って、涙を流さない日はない。
そんなとき、どうすれば自分の気持ちを整理することができるのでしょうか、と聞かれることもあります。もしかしたら、もっといい男と出会えるチャンスができたとか、彼にも欠点があってそれと生涯つき合わなくて済んだとか、男を見返してやろうという力が自分を成長させるとか、いろんなポジティブな側面もあるにはあります。
しかし、そんなポジティブな側面ばかりを見て、本当に気持ちが整理できるのだったら、その人の元彼に対する「愛」はそれだけのこと。別れてよかったです。でも、本当はそんなに簡単には整理できないはずで、それが本音。そんな時はポジティブな側面を見るなど姑息なことをせず、別れた悲しみととことん付き合って、とことん泣き崩れればいいのです。「悲しみ(かなしみ)」は「愛しみ」とも書くように、悲しめば悲しむほどに、そこに「愛」を実感することができるもの。そしてその深い「愛」は元彼に対する一時的なツールに終わらず、その人の深い部分に浸透していくことでしょう。そして、どんなに深く悲しもうとも、人間ってのは現金なもので、いつしかその悲しみを忘れるようにできています。程度はあるかもしれませんが。そこで残ったのは、元彼と別れた悲しみではなく、そこで感じた深い「愛」だけ。
もしも即座に失恋のポジティブな側面ばかり見ようとすれば、その「愛」に気づくことはなかったかもしれません。しばしば「努力は奴隷の力」とか「頑張るじゃなくて顔晴る」なんて、妙な言葉遊びがありますが、そんな生き方ばかりしているのであれば、努力によって得られた本当の幸せや、頑張ることの感動を味わうことはできません。
「プラス思考」は確かに「マイナス思考」よりはマシかもしれませんが、「プラス思考」によって人生の真実から目を背けることになるのであれば、私はそんな生き方はまっぴらごめんです。ただし、本当のことを言うと、究極の究極としては、この世の中、そして「宇宙」には絶対的な「プラス」しかありません。「愛」とか「感謝」と言い換えてもいいです。しかしそれを「体験」するためには、まさしく「体験」が必要なのです。それが人生ってやつだと思います。ありがとうございました。
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いい感じです。
2月15日の東京セミナーで得たものがどんどん花ひらいている感じですねぇ。
ちなみに私はショックを受けて落ち込んだ時は
落ち込んだ自分と一緒にいる感覚を大事にしております。
どん底まで、落ちきれば後は浮上するしかないですもんねぇ。
中途半端に落ち込むからいつまでたっても回復できない。
プラス思考になるのはそれからのような気がします。
Qさんの流れに乗るというお話
メッチャ納得しました。
行動と技術、絶対必要ですね。
つまりは本気で生きることを言いたかったのです。
NLPとかやっている人の中には、なぜかマイナスに目を向けないのが癖になっている人がいて、それはそれで人生の真実に向き合っていないとも感じています。
2月15日ってはるか昔に感じてしまいます(^^;
コーチングなんかでも、むやみやたらとリフレーミングをすることは、私自身はあまり好みません。もちろんリフレーミングは必要な時もありますが、そればかりで一時的な反応を変えるだけでは進歩がありませんものね。
一つだけ
忘れるにも+と-があるんですよね。
-(忘却)+(消却、焼却)
思い切り悲しむ事により心の傷を焼却するってことなんですね。
でも、無理に忘れようとして忘却してしまうと、心の奥底に傷を閉じ込めただけで、何かの拍子に表れてしまうのですね(^^;)
そうですね、ニュアンスとしてはおっしゃる通りだと思います。
ただ、私的には「悲しみ」にも「肯定的意図」があると考えますので、
すべて消し去ってしまうことについては、どうかとも思っています。
何かの拍子に現れたとき、そこに「感謝」できるかどうかが、本当の意味での「忘れる」ことだと考えます。
私も同意です(*^-^*)
良い心できちんと悲しむことが出来たら、悲しみが感謝に変化するというか、私は次元上昇と考えることが多いです。(悲しみが感謝になり、悲しみが消えるという意味で)
これは言葉の表現の違いだけで、感覚的に掴んでることはkatamich様と同じだと観じます。
(*^-^*)
ここにこれてよかったです。ありがとうございました。
どういたしまして!!

























