ロボットか人間か 2009.8.18
2009年 08月 18日
てなこと言うと、なんだか特別なことのように思われるかもしれませんが、私の場合はたまたま「滝行」が合ってるだけで、別にそれでなくてもいいのです。そして明らかに言えることがあり、それは、
「この世には一つのことを毎日できる人とできない人がいる」
ということ。そして言うまでもなく、「毎日できる人」に幸運の女神はほほ笑みます。ただし、本当に「毎日できる人」は一握り。大部分の「毎日できない人」がいるから、「できる人」がその他大勢から抜けられるのです。至極単純。
ただ、これまた矛盾する言い方かもしれませんが、世の中のすべての人は「毎日」何かをやっています。例えば寝る、食べる、トイレする、歯を磨く、顔を洗う、など。その中に不平不満を言う、ため息をつく、必要以上に悩むなどもあります。一方で、毎朝感謝の言葉を述べる、バカ笑いする、ワクワクするなどの人もいます。
結局のところ、「毎日」やっていることが、その人の人格なり運勢を決めるもの。ですので、もしも「なりたい自分」がいるのであれば、それに向けて「毎日」やれば誰でもなれるのです。ただ、何度も言うように、その「毎日」がめちゃくちゃ難しい。本当に最初の3日位はテンション上げてやるのですが、すぐにやる気がなくなります。
それはまさに「無意識(潜在意識)のメカニズム」なんですが、その「無意識」に我々はロボットのようにコントロールされてしまいます。「無意識」に打ち勝つにはやっぱり「意識」の力が重要な時があります。と言いながらも、本当は「意識」なんかに頼らず、ワクワクすることだけをやればいいのですが、奇妙なことにワクワクすることもやり続けると飽きてくる。
例えば私は旅行が好きですが、今の私に楽しめる旅行期間ってのは長くて3週間が限度。一番最近やった長い旅行は2005年5月のインド3週間になりますが、それも今では長いですね。1999年にアイルランドとマレーシアを1か月間。これも最後は帰りたくてたまらなくなりました。ワクワクってのは「非日常」だからこそと言うこともあり、それが「日常」になると楽しくなくなるんですね。ただ、中にはあまりにも長期旅行し過ぎて、日本に帰るに帰れない、、、と言う人も時々はいます。
それと同じことが、実は私のブログを書く、という習慣についても言えます。2004年5月に開始した当時は書くのが楽しみでワクワクしていました。ですが、間もなく、、、書かないと気持ちが悪くなり、今ではブログを書かないと禁断症状が出るようになりました。バックパッカーには10年も日本に帰っていないつわものが時々いますが、あれは楽しんで旅行しているのではなく、帰国しようにもなんとなくきっかけがないだけのように思います。
かつてエジプトはカイロに「サファリホテル」という安宿がありました。今もあると思いますが。その安宿に「小林住人」なる変わった人がいました。その当時でもう7年くらいそこにいるそうで。だからと言って、何をするわけでもありません。観光に行くわけでもなく、アラビア語を勉強するわけでもなく、ただひたすら日本人宿化したその安宿のドミトリーのベッドにいるのです。見た目は普通の感じでした。ただ、あれは好きでそこにいると言うより、もう出るに出れない状態だったのでしょう。それこそ「無意識」にコントロールされて。ただし、今は出た、と言うか追い出されたと噂に聞きました。
「ショーシャンクの空に」という大好きな映画がありますが、あの中で何十年も監獄に暮らし、老いて仮釈放された途端に自殺をした囚人がいました。本来、監獄よりも外の方が良いに決まっています。しかし、何十年もそこに暮らした囚人にとっては、外の世界は監獄以上に過酷な世界だったのです。ですが、それは単に「感覚」が慣れていないだけ。
その意味で言えば、私の「毎日ブログを書かないと気持ちが悪い」ってのも、単に「無意識」にコントロールされているだけなのかもしれません。だからと言って、それに対して不満であることはまったくありません。例えば私がもしも「ショーシャンク」のような環境に何十年もいさせられたら、最初は嫌でしょうが、そのうちに慣れてしまうでしょう。比較すべきではないでしょうが、私も高校時代は今では考えられないような「寮生活」をしていました。朝6時15分に起床して運動場で体操。いっせいに朝食をとって清掃、登校準備。夕方は5時40分に点呼、夕食、入浴、清掃、勉学みたいな感じで、完全にコントロールされていました。今では考えられませんが、当時はそれで順応していました。しかし、頭では窮屈に感じていました。
要するに人は多かれ少なかれ「無意識」にコントロールされるロボットなのです。ただ、そのロボットであることに心から積極的であるか、そうでないかの違いはあるでしょう。私は毎日ブログを書くことに心から積極的です。しかし、高校時代のような寮生活をしろと言われても絶対に嫌です。会社勤めもできません。
結局のところ、ロボットであっても積極的かどうかは、「無意識」と「超意識」がつながっているかどうかだと思います。嫌な会社勤めを辞められないのは、「超意識」につながらずに「無意識」にコントロールされているだけ。逆に会社勤めであっても、そこに使命感を感じて積極的に取り組んでいる人は「超意識」につながりながら「無意識」にコントロールされているのです。
いや、もっと正確に言うと、「超意識」につながれば「無意識」のコントロールなどはないのです。「超意識」が別の方向を向けば、そのままスムーズに向いて行けるのです。例えば私の例で言うと、2004年にブログを始めました。そのうち毎日書かずにおられなくなりました。それは一見「無意識」にコントロールされてるようですが、実はその時すでに「超意識」とつながっていたのだと思います。その一年後、ロボットのように働いていた会社を辞め、「超意識」の意思のままに自分の好きなことができるようになりました。言い換えると「宇宙の意思」のままに。
そして今、本を出すことに「恐怖」を感じている自分がいます。本を出してしまえば、生活がガラリと変わることがわかっているので、「無意識」がそれにストップをかけているのです。しかし、「超意識」は完全に本を出すことを求めています。そしてもはや出さずにはおられない状況に来ているようです。
結局のところ、本当に幸せな状況とは「超意識」につながっているかどうか。単純化するようですが、それに尽きるのです。「超意識」につながっていなければ、どんなに頑張っても本当の意味で幸せにはなれません。では、どうすれば「超意識」とつながることができるのか。それこそが私の最大のテーマとなります。ある人は「超意識」のことを「神」とか「宇宙」とか「ハイヤーセルフ」とか「魂」とかで表現します。そのバックグラウンドは違えども、実は同じようなもの。古くて新しいテーマ、つまり「超意識」につながることが人生の最大のテーマなのです。
そのうちに「超意識」だけをテーマにした本を書こうと思っていますが、今日の段階で言えることは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、まずは何かを「毎日」すること。そうすれば、今までの「無意識」にないパターンがそこに現れ、何かの拍子に「超意識」が顔を出すかもしれません。
私はブログを毎日書くことによって「超意識」に出会えた気がします。一定期間の滝行をすることによって「超意識」に出会えた気がします。先日「自分らしく生きる」のwhite-crystalさんが、篠栗88(87)か所を3日で踏破しましたが、おそらく彼もそこで「超意識」に触れることができたのではないかと思います。
実は自分自分に降りかかってくること、やろうと思うことに「偶然」はないようです。すべては必然。そして本当に「やろう」と思ったことは、「無意識」のコントロールに屈することなく、まずは「毎日」、決められた期間やってみることが重要です。さもなければ、その人は永遠に「無意識」にコントロールされっぱなしで人生を終わる可能性だってあります。
一度「やろう」と決めたこと。それは何か意味があって「やろう」と決めたのです。なぜならそこには本来あるはずの無限大の選択肢の中から決めたことなのですから。ひょっとしたら「超意識」の導きかもしれないし、そうでないかもしれません。しかし、やってみないことにはわかりません。21日間または100日間、やってみて初めてわかることだってあります。
今のあなたは「無意識」にコントロールされるロボットなのか、または「超意識」の意思にままに自由に羽ばたく真の人間なのか。この問いかけから始まります。ありがとうございました。
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