アイデンティティの力! 2009.5.30
2009年 05月 30日
昨日のNLPでもお話したのですが、NLPのニューロロジカルレベルに当てはめて考えると、ある日突然「父親」というアイデンティティが加わったことによって、私の「すべて」が変わったような感覚を得ています。ニューロロジカルレベルってのは、ピラミッドの下から「環境(when,where)」「行動(what)」「能力(how)」「信念・価値観(why)」「アイデンティティ(who)」と積み重なっていくのですが、特徴として上位レベルは下位レベルに絶対的な支配力があることです。
例えば「ピアニスト」という職業の人がいたとして、その人が「ピアニスト」というアイデンティティを持っていれば、下位レベルのすべてが「ピアニスト」として統合します。「環境」レベルでは家にピアノがあるなど、ピアノを弾く環境を持っています。「行動」レベルでは、練習するなどピアノを弾く行動をしています。「能力」レベルではピアノが弾けるという能力を有するようになります。
その人が名実ともに「ピアニスト」であれば「環境」「行動」「能力」の3つのレベルは満たされていることになりますが、その逆に、例えばこの3つがあったからと言って、その人は必ずしもピアニストであるとは言えません。アマチュアの上手な人でもそれらは持っていますから。そこでアマチュアとプロの違いはどこにあるかと言うと、もちろん下位レベルでの質の違いはあるでしょうが、決定的に違うのはそこの「ピアニスト」として「信念」や「アイデンティティ」があるかどうかです。何ものにも替えがたいピアノを演奏する上での大きな理由(BIG WHY)を持っていること。これが「信念」です。そして有無を言わさず自分自分を「ピアニスト」だと名乗れる「アイデンティティ」。これがプロとアマチュアの違いであると言えましょう。
ニューロロジカルレベルでは、さらに上位概念である「スピリチュアル」のレベルがあり、そこでは「For what,For whom(何のために、誰のために)」が備わります。一介のプロピアニストを超えた、本物中の本物ピアニスト、例えばホロヴィッツ、ルビンシュタイン、ブレンデル、内田光子級のピアニストは、そのような「スピリチュアル」のレベルにあると思います。彼らがピアノを弾くことで、全世界に光明がもたらされるレベル。本物の条件はまさしくスピリチュアルなのです。
では、何かになりたいと思う際、最初から「スピリチュアル」や「アイデンティティ」が備われば時間はかからないと思われます。ある意味「天啓」みたいな感じで。しかし、そのケースはあるにはあるのですが、稀だと言えるでしょう。その稀なケースの例としては、数学者の秋山仁や歌手の徳永英明などが当てはまると言えましょう。秋山仁は中学生の頃、数学は0点だったそうですが、にもかかわらず彼は堂々と「自分は将来数学者になる」と公言していたとか。また、徳永英明については、中学生のある日、突然、頭が割れるような怪音とともに「お前は歌手になるんだよ」という声を聞き、それを機にそれまで考えたこともなかった音楽の世界に入ったと言われています(金スマで見ました)。ちなみにその「お前は歌手になるんだよ」という声の主は、40歳を過ぎた徳永英明自身の声だった、、、という不思議なオチが付きます。
そのような、わかりやすい「天啓」を受ける人もいるのですが、通常、歌手になりたければ、「環境」レベルから努力する必要があります。ギター買って(環境)、練習して(行動)、上達して(能力)、、、みたいな感じで。ただ、本当のことを言うと、それがわかりやすい「天啓」でなくとも、人は誰もが何らかの「天命」を持って生まれているので、どこかでそれに気がつくことが本当は大切なんですけどね。「天命」や「超意識」については、私のテーマでもあるので、今日のところはこの辺で。
で、「父親」という「アイデンティティ」を得た私の話ですが、これは突然「ちびQ」が世に出てきたことによって、私の中の「すべて」が変わったように感じます。「環境」レベルでは、赤ちゃん布団やチャイルドシートなど、ちびQのための環境が整えられています。そして「行動」レベルでは、毎日、ちびQの顔を見に行き、ちびQのために働く。そして「能力」レベルでは、父親としての役割を果たすという能力が備わると思われます。そして「信念」レベルでは、私の存在の大きな理由がちびQにあると言う「BIG WHY」を獲得することになります。そして「私は父親である」というアイデンティティ。
世の中、児童虐待など痛ましい事件が後を絶ちませんが、なぜこのようなことが起こるのか。それは「アイデンティティの喪失」にあると考えています。私の場合は子どもができたことによって、その「アイデンティティ」に目覚めた実感はありますが、世の中にはその実感を得ない人もいます。子どもができても、父親・母親という「アイデンティティ」が芽生えないのです。となると、当然、親としての「信念」「能力」「行動」「環境」も備わらず、「自分は親でない」という「アンチ・アイデンティティ」を統合することになるのです。それが虐待の本質。
では、なぜにその「アイデンティティ」が備わらないのでしょうが。理由はいろいろありますが、多くは自分の中の「幼児性」を捨てきれないことが原因だと考えます。つまり精神的に大人になりきれていないのです。通常は社会経験を積む中で幼児性から脱却し、精神的な大人へと成長していきます。その段階で子どもができると、親というアイデンティティを得られやすいのですが、それ以前の状況だとそうはいかないケースがあります。私は児童虐待の専門でもないので、個別のケースで説明するほどのデータは持っていないのですが、おそらく見た目上の大人と内面(幼児性)のズレが、虐待問題に対して少なからず影響していると思いますし、客観的な説明もできそうな気はします。卒論レベルでもできそう。辛気臭い話になったので、その問題はこの辺で。とにかく「アイデンティティ」は重要だと言うことです。
ところで、ちびQの名前ですが、実は一か月ほど前から決めていました。名付けに対して私はあまり深く関与してなかったのですが、ツレは名づけ事典などを借りたりして、いろいろと考えていたようです。候補もいくつかあったようですが、その中でピンときたものあったので、結局、それに決まりました。その名は、、、
滉(あきら)
です。どっかで聞いた名前ですね(笑)。いかにも私が付けそうなと思うかもしれませんが、考えたのはツレです。イメージは「沖縄の太陽(てぃだ)」です。「水」と「日」と「光」。大好きな沖縄の海に日光がさすイメージ。例えばこんな風に。
(久高島)
(伊平屋島)
などなど。そして言うまでもないのですが、私のメンターである「加賀田晃」氏ともかかってはいます。加賀田先生のような大きな人物になって欲しいと言う願いもあり。加賀田先生の「晃」にさんずいを付けただけのように思いますが、いろんな思想的背景があったことをご説明させて頂きました。
さらに言うと「滉」は「ひろし」とも読みますが(と言うか、「あきら」よりも「ひろし」の方が普通みたいですが)、「ひろし」は「宇宙」にもかかってきます。つまり「宇宙となかよし」にもかかってくる、、、と書いてて今気づきました(笑)。それからe-BOOK「宇宙となかよし」の中にも「アキラ」という人物が登場します。このアキラは良いキャラ設定をしているのですが、ある意味、ゆるゆるな雰囲気があります。そんな感じになっても、、、ま、いいか。
と言うわけでして、突然、アイデンティティが変わってしまった私ですが、これからどうなるか。私自身が一番楽しみです。ありがとうございました。
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【愛と感謝:63日目】
<愛>
・今日もちびQたちに会いに行きました。
・実家から母親が来ており、しゃべり倒して親孝行できました。
<感謝>
・ちびQの順調な誕生と成長に感謝。この気持ちは本当に感謝の言葉でしか表現できません。