美味しく食べる話 2009.4.29

 今日は一日ツレの買い物の付き合いで天神まで出ていました。と言っても、ランチの後は別行動になり、私は本屋へ。そこでいろいろ立ち読みしたりして時間をつぶしたのですが、一冊、妙に目にとまってしまったので、思わず買ってしまいました。

小林正観「日々の暮らしを楽にする」

 ツレはまだ買い物が終わってなかったようなので、一人でスタバに入って読んでみました。実は正観さんの本は会社を辞める前後に何冊か読んだことがありますが、それ以来だったかもしれません。今でこそ普通の書店にたくさん並んでいますが、当時はまだ知る人ぞ知るみたいな存在で、ネットで注文するか、正観さんの専門ショップみたいなところでしか買うことができませんでした。

 当時、斎藤一人さん、五日市剛さんなどの本を積極的に読むようになって、それで本当に運が良くなり、人生が好転していったのですが、その流れからすると正観さんの本に巡り合うのも必然だったのでしょう。ネットで何かを検索している時、「そわかの法則」なんてのが目に留まり、そこで書かれてあることに目から鱗だったのです。「そわかの法則」ってのは、「掃除」「笑い」「感謝」をすれば運が良くなる、、、みたいな話だったと思います。めちゃくちゃシンプルでいて、そして当時の私にとってすんなりと受け入れられる「法則」でした。もちろん今もそうですが。

 それを知った時、いても立ってもいられず、ネットで注文するのも時間がかかるので、福岡のショップを探して直接買いに行ったものです。マンションの一室のようなショップだったのですが、入った瞬間、引きそうになったのを覚えています。ショップの別室で、何名かの女性が「ありがとう・・」とかをみんなで合唱しているのです。ヤバいと思いながらも、急いで2冊ほど買い求め、すぐに近くのファミレスに入って読み始めたのです。あの時の感動たるや。。。

 ですが、正観さんの本を買ったのもそれっきりで、一般書店で売られるようになってからも読むことはありませんでした。そして聞くところによると、出る本すべてがベストセラー。書いてある内容はほとんど同じだと言うのに、それでもベストセラー。すごいな~と思いながらも、私の中では興味が失せていました。

 それが今日のこと。なんとなく私に「買いなさい」と言ってるような気がして、思わず買って読み始めたのですが、やっぱり面白いです。本当に。中学生でも読める内容なんですが、書かれてあることは役に立つ話ばかり。どれもが腑に落ちるのです。今では、読みながら「これはNLP的には・・」とか「シュタイナーが言ってるのと同じだな・・」なんてことを思ったりするのですが、ある意味、私が勉強してきたこと、そして考えてきたことと矛盾することはほとんどありませんでした。

 2005年に会社を辞めたのですが、その当時は買った2冊の本を何度も読んで実践していました。理屈なんてないんです。とにかく実践。トイレ掃除もしましたし、時にはコンビニのトイレにも素手を突っ込んだりもして。意外と私は素直な性格なので、すぐに実践して、それもしつこく実践するのが幸いしていると思っています。ですが、そうやって実践しながらも、左脳系の私としては「なぜか?」ってのが、どうしても気になったりして、いろいろ勉強している中で、その手の「自己啓発」や「成功哲学」の根拠みたいなのを探究するようになるんですね。もちろん計量的な根拠を導きだすことはできないまでも、それなりに納得できる理屈を導きだし、それをセミナーやブログで語ったりしているのです。

 ですが、それらの「根拠」みたいなのは一巡した感じがあって、確かにいろいろと奥が深い世界ではありますが、もういいかな、と思い始めたのも事実。だからかどうかわかりませんが、最近は成功哲学を読み聞きするよりも「松本人志の放送室」みたいな、お笑い系のくだらない話ばかり聞くようになっていました。それはそれで大きな学びがあったりするのですが。

 という経緯がありながら、改めて正観さんの新刊を読んだのですが、何度も言うように、やっぱり面白い。理屈なんてないのですが、正直、理屈家の私から見ても、正しいことを言っています。そこで正観さんのエッセンスをあえて一言で言うと(これも理屈ですが・・)、、、やっぱり「視点」に尽きるのです。

 正観さんは「幸せも不幸もない」と言っていますが、別の言い方をすれば「物事はすべて無色透明(by山崎啓支)」であり、結局は物事の価値判断を決めるのはそれぞれの「視点」でしかないということ。この「視点」ってのは、よく考えると「すべて」と言っていいかもしれません。

 私が大好きなお笑いなんかでも、タレントさん達は一般の人と比べて、いつも面白い体験をしているかと言うと、決してそうではないでしょう。例えば「松本人志の放送室」なんかでも少年時代の話をよくしているのですが、彼らが特別珍しい少年時代を送っていたのではありません。確かに面白いエピソードには事欠かないのですが、それを面白く語っているのは彼らの「視点」であって、そもそも「面白いこと・人」があったわけではありません。

 「美味しいものを食べる」と「美味しく食べる」ってのは、似ているようでまったく違うように、物事の価値を決めるのはそれぞれの「視点」だけなのです。そして「幸せな人」は何でも「美味しく食べる」のに対して、「不幸な人」は「美味しいもの」を求めているだけ。これ、とても重要です。

 正直、「美味しいもの」なんてこの世に存在しません。誰が食べても「美味しいもの」なんて存在しません。お金出したら「美味しいもの」が食べられるかと言うと、決してそうではないでしょう。ぶっちゃけ「キャビア」なんてそんなに美味しいものでもありません。一応、イランで最高級と言われるキャビアを食べましたが、一緒に食べていた日本人は、、、「イクラの方が美味しいね」と言いました。私も同感。「マツタケ」だってそんなに美味しいかと言えば、どうかな、と思います。私は「シイタケ」の方が美味しいと思っていますし。

 結局、「美味しい・美味しくない」を決めるのは、その人の「視点」だけなのです。そして「美味しいもの」を求め始めると際限ありません。「美味しんぼ」という漫画がありましたが、結局、「究極のメニュー」って決まったのでしょうか。なんとなく「卵かけご飯」を食べてる山岡さんの方が幸せそうに見えましたし。

 もう一度言いますが「美味しいもの」を求めている限りは永遠に不幸です。仮に金かけて「美味しいもの」を食べたとしても、「もっと美味しいものがあるはずだ」と次なるものを求めてしまい、不満だけが残ってしまいます。求めている限り、不幸なのです。

 一方、どんなものでも「美味しく食べる」ことができる人は永遠にハッピーです。一膳の「卵かけご飯」でも、決してキャビアやマツタケに劣るものではありません。それが今食べ得る最高の一品だと思えば、最高にハッピーなのです。これは人生全般においても同じ。

 「楽しいことをする」ことと「楽しく過ごす」は似ているようで、全然違います。「Qさんは楽しそうでいいですね」とは言われますが、私がいつも特別「楽しいこと」があるわけでもありません。例えば私は「滝行」や「宝満山」を日常的に接していますが、「私も滝に打たれたり霊山に登ったりしたいのですが、近くにないんですよね」なんて不満を言う人もいます。妙に羨ましがられることもありますが、その感覚が私にはわかりません。私は単に生活を「楽しく過ごす」ようにしているからであって、ただそれだけなのです。

 今、福岡に住んでいることに100%満足していますが、私の中では福岡がNo.1であっても、他人にとってもそうだとは思っていません。もちろん東京や大阪に住んでいる人を羨ましく思うこともありません。今、住んでいる福岡に楽しく住んでいるだけであって、福岡が特別楽しいところだという気持ちは全くありません。もしも、私が東京に住むようになったとしても、今度は東京最高!と言うでしょうし、青森に住むことがっても同じでしょう。

 それが「足るを知る」ことですし、実際、「足るを知る」を知ってしまえば、私は「すべてを持っている」ことに気づかされます。例えば「今ここ」において、不足しているものは一つもありません。私は今、ブログを書いていますが、めちゃくちゃ楽しくこれを書いています。このブログを今読んでいる人は、おそらくネットにつながるという意味で私と同じ境遇なはずです。ですが、私は「ブログを楽しく書いている」のであって、楽しいことがあるから書いているのでもないし、ブログを書くことが「楽しいこと」と言う気持ちもありません。もしもブログを書くことが「楽しいこと」であれば、みんな書いているでしょうから。

 お笑いの話で言うと、松本人志や島田紳助はいつも「面白いこと」があるのではなく、いつものことを「面白くしている」から面白いのです。最近、松本人志が面白いと認める「バカリズム」ってタレントがいますが、彼などは典型。常にいろんな「視点」を構えて、物事を「面白く」見ようとしています。その結果、彼の話は何でも面白くなりますが、彼が特別「面白いこと」に恵まれているわけでは決してありません。

 実は本日、「滝行セミナー(仮題)」の正式案内を開始しました。名付けて「本当の自分に出会う「願望実現」特別セミナーin福岡」です。ここでは文字通り「本当の自分」、そして「天命」や「天職」に出会うことを目指していますが、誤解してはならないのは、「天命」なんてのは求めるものではありません。よく、「私の今生の使命は何ですか?」なんてことをスピリチュアル系の何かに聞く人がいますが、そんなこと言ってる時点でダメダメです。「天職見つけました!」なんて言う人も信用できないです。その言語パターン自体、自分自身と「天命」「天職」がかけ離れていることを認めているようなものですから。

 結論から言うと、「天命」や「天職」なんてのは、すでに持っているのです。すでに足りているのです。と言いながらも、確かに見つからない人もいるでしょう。その見つからない人のパターンの多くは、「視点」が外に向いているからなのです。だから人に聞きたがるのですね。自分は知らなくても、それなりに力のある人は知ってるんじゃないか、なんて勘違いを起こしてしまうのです。つまり「ない」ところに「視点」を向けているから、永遠に見つからないのです。

 そこで「視点」を変えてみるのです。内側に。すると簡単に見つかります。私の場合、何が「天職」かなんてのを現段階で明確に言うことはできないまでも、少なくとも今やっていることはそれに近いという感触は持っています。人前でしゃべったり、何かを伝えることは、もしかしたら自分の「天職」かもしれない、、、と今はちょっと思っています。それは人から言われたことではありません。

 先日、山登り中に一緒に登っている人には話したのですが、実は昔、今のようなことがありました。これはちょっと支障があるのでブログには書けませんが、高校の時、今と同じような「状況」が2時間ほどありました。振り返ってみると、あの2時間が私の原点であり、そこに「天命・天職」の萌芽があることに気づかされたのです。それはあくまで自分で気づいたのです。その辺の話もセミナーではしっかりしたいと思っています。

 ですので、私のセミナーでは、とことん「視点」を操り、今ある「最高の自分」を発見してもらう、そのことだけに目的があるのです。

 小林正観さんの話からかなり脱線してしまいましたが、正観さんが言ってることも、結局は「視点」の話。確かに「トイレ掃除をすれば臨時収入の桁が増える」なんて「法則」っぽいことも書いていますが、それさえも実は「視点」の話なんです。正観さんの話の中には、しばしば般若心経やお釈迦様が出てきますが、例えば「色即是空空即是色」と言うことも、結局は「視点」をモノにせよ、と言ってるように思います。

 「色即是空空即是色」ってのは、直訳すると「形あるもの(色)は形がなく(空)、形がないもの(空)は形がある(色)」となるのですが、これではさっぱり意味がわからないので、いろんな解釈が生まれるわけです。それを今日の話や正観さんチックに解釈すると、こうなります。

「すべて持っていると思っても、実は何も持っていないのです。しかし、何も持っていないと思っても、実はすべて持っているのです」

と。「あれが足りない、これが足りない」と思うのも、「すべて持っている」と思うのも、現象としては同じこと。つまりそこにどんな「視点」を入れるかによって、世界は180度変わりますよ、と言う意味なのです。私には「天命」がない、なんて思っていたらそうかもしれませんし、「天命」を探していますと言う限りは永遠に見つからないかもしれません。

 ですが、「今、まさに天命を生きている」と思った瞬間から、その「天命」は自然と授かる・・・・のです。最後にもう一度言います。「美味しいものを食べる」のを求めるのではなく、何でも「美味しく食べる」ようにすればハッピーなのです。「楽しいことを」を求めるのではなく、どんなことでも「楽しく過ごす」ようにすれば超ハッピーなのです。そこには選択の自由があります。もし選ぶなら、どっちを選びますか。「幸せ」と「不幸」の境界があるとすれば、実はそこだけなのです。ありがとうございました。

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愛と感謝:34日目】

<愛>
・今日はツレの買い物にお付き合いしました。
<感謝>
・小林正観さんの本を改めて読んで、いろんな気づきがありました。
by katamich | 2009-04-29 23:13 | ■人生哲学 | Comments(0)