今日は朝からいろいろと用事があり、滝行の後に今日も宝満山に行ってきました。7日滝行もあっという間に明日で満行ですが、宝満山は今月6回目。春と秋は登るのに適した季節なので、今月は行けるだけ行くつもりでいます。午後からと、ちょっと遅めのスタート。
先日と違い、今日は表からスムーズに登って90分ほどで登頂。少し頂上でいい気分を味わった後、下山するのですが、途中のところでなんだか気になる道を発見。先日の「裏宝満」が思ったより楽しくて、思わず冒険心が出てしまったのです。途中までは獣道で歩けたのですが、徐々に道がなくなります。すると横に巨大な石の壁を発見してしまい、どうしてもそれが見たくなってしまいました。実際、かなり危ない場所だったのですが、恐る恐る降りていくと、ずるずる~と滑ってしまい、そこでとっさに木の根っこをつかんだのですが、そのはずみで右肩をねじってしまったようで鈍痛が走りました。ちょっと押さえながら右手を上げてみると半分くらいしか上がりません。ただ、骨には異常なさそう。冷や汗が出はじめますが、場所的にも危険だし、一刻も早くどうにかせねばなりません。思いきって右手を上げてみると、なんだかポコンてな感じで右手の痛みがなくなりました。脱臼していたようです。そこで壁の写真を撮ったのですが、右手が震えていたようで、写真がぼけています。

そのまま下って行くのは危険だと察し、もとの道を何とか戻っていくのですが、急な坂であるため、丈夫な木の根っこを確認しながら慎重に登ります。そして整備された道に出たときには、思わずしゃがみこんで胸をなでおろしました。やっぱり自然を甘く見てはいけません。昨年の雷事件の教訓を忘れていました。
それにしてもこの写真はちょっと凄いと思いませんか。ぶっちゃけ誰も通らない道にこんなのがあるのです。岩の切り方は明らかに人工的です。おそらくかつての修験の行者さんは、ここで何らかの修行をしていたのでしょう。ジャングルのような中にある、今は使われていない場所。なんだか不思議な気分になります。おそらく宝満山にはこんなのが探せばいくらでもあるのでしょう。
そんなこと考えると、つい好奇心が先走ってしまうのですが、もしもこのような場所を追跡するのであれば、きちんとした装備をそろえて、チームで行くべきでしょう。市民に親しまれている山と言えど、ここはかつての神聖なる修業の場。命を落とした人も少なくないと思います。やっぱり自然を甘く見てはいけないと改めて認識しました。
ところで、私はどちらかと言うと「好奇心」がある方だと思いますが、なぜこの「好奇心」は「安心・安全」の欲求を上回ってしまうのでしょうか。結局、この答えは「人間だから」となるのです。何度も言うように、無意識(潜在意識)は根本的に「安心・安全」を求めています。ただ、無意識の欲求だけに従うのであれば、それは動物と同じです。動物と人間の違いは何か。それは言うまでもなく、人間には「意識」が備わっていることです。
そしてこの「意識」こそが、単純な「安心・安全」の欲求から解放され、「創造性」を育んだわけです。そしてその「創造性」の根っこにあるのが「好奇心」です。人類は「好奇心」があったからこそ、ここまで発展してきたわけです。もしも「好奇心」すなわち「意識」がなければ、動物のように単純な進化しかできなかったところ、人間には「意識」があったおかげで、すごいスピードで進化を遂げたわけですね。100年前は空を飛んでなかったのに、今では大勢の人を鉄の塊に入れ込んで、一気に地球の裏側まで行ってしまえます。これは動物の進化のスピードに比べると、ものすごく速いです。
そしてその速さを実現したのが「意識」の存在。よく「願望実現」のセオリーの中では「無意識・潜在意識」の書き換えとかがポイントになりますが、確かにそれは間違ってないものの、書き変える主体はあくまで「意識」です。そして「意識」は「質問」を通して「潜在意識」に届きます。
例えばちょうど100年ほど前に有人動力飛行が成功したわけですが、そのためには「質問」があったことはおそらく否定できないでしょう。どんな質問か。それは、
「どのようにすれば、機会を飛ばすことができるのだろうか?」
のような質問。当時は機械が飛ぶことは不可能とされていましたが、ライト兄弟は自転車屋をやりながら、ずっと研究を続けてきたわけです。そして不可能とされてきたことが、現実となりました。
このことは些細な私たちの「願望」においても、そのまま活用することができます。例えば「月収100万円」という目標があったとしましょう。世の中には「月収100万円」なんてのはいくらでもいるわけですが、そう言う人が身近にいなければ、まず最初に「難しい」と考えてしまうでしょう。身近にいたとしても自分にはできないと思ってしまうでしょう。実はそのような「思い込み」は「潜在意識」の中にプログラミングされているのです。
例えば「3階の窓から飛び降りてください」と言った場合、普通の人は「無理」だと考えるでしょう。では、このように質問したらどうでしょう。
「もしも3階の窓から飛び降りることができたとすれば、どのようにすれば可能だと思いますか?」
と。するとここで「思い込み」がちょっと外れます。「もしも飛び降りることができるのならば・・・下にマットを敷けばいい」なんて発想が生まれてくるのです。ここでは誰もマットを敷くなと言ってはいません。さらに言えばロープを使うこともできますし、ヘリコプターに迎えてきてもらうことも物理的には可能です。ただ、ここで意地悪な質問があったとして、
「もしも道具を一切使わずに自分の足で着地することを前提に飛び降りる」
なんて条件があれば、どうなるでしょう。正直、物理的には不可能なケースだってあるのです。しかし、「質問」には欲求の「元」となるものがあります。その「元」とはまずは「安心・安全」を担保したものである必要があります。その上で「飛び降りる」という欲求の「元」には、鳥のようにふわりと飛ぶがあるのであって、両足で着地することでは決してありません。
ライト兄弟の例で言えば、おそらく彼らは「鳥のように飛ぶ」ことを目指したのであって、そのまんま「鳥になる」ことを目指したのではありません。どんなに頑張っても人間がそのまま「鳥」になることは不可能です。しかい「鳥のように」なることは可能。それを実現したのが動力飛行だったわけです。
このように「無意識・潜在意識」のプログラムを書き換えるためには「質問のパワー」を使うことが効果的です。先ほどの「月収100万円」という目標があったとすれば、
「もしも月収100万円を維持することができるとすれば、どのようにしてそれが可能になるだろうか?」
と質問し続ければいいのです。ここで脳に「空白」ができますので、あとは勝手に埋まるのを待てばいいだけ。私は会社を辞めてから4年間、確かにそのような「質問」によって切り抜けて来ましたし、これからもこのような「質問」は続けていくと思います。例えば、
「もしも会社に雇われずに、自分の好きなことして生活することができるとすれば、どんなやり方があるだろうか?」
と質問するのです。するといろんな答えが出てきて、それを忠実に「実行」した結果、今のような現実があるわけです。これはコーチングで言う「as if フレーム」ですが、山崎啓支さんの「
願いがかなうNLP」にも書かれてある通り、最強の質問だと言えます。そして思えば、私自身がこれまで自分に課してきた質問がまさしく「もしも~ならば」だったのです。
とにかくこれは他に方法がないからやっていたようなもので、勢いで会社を辞めた後、絶対に雇われないことを誓った手前、このように自分に質問するしかなかったのです。有名なヴィクトール・フランクルの「夜と霧」によると、ナチスの強制収容所から生還できた人と、死んでいった人の違いは、まさに「質問」の力があったと読み取れます。それは「今という状況の意味」について、そして「生きのびるために、今、どうすればいいのか」ということ。それらの「質問」を持っていたものだけが生還できたのです。
また、私の大好きな映画に「ショーシャンクの空に」という有名なものがありますが、ここで主人公は強制収容所さながらの劣悪な環境において、「希望」を捨てなかったことによって、最後にどんでん返しで脱出することができたわけです。他の囚人が「希望は危険だ」と言いながらも、主人公だけはそれを捨てなかった。そしてそれを地道に行動に移していました。
結局、それらもかなり極端な「願望実現」であり、(ショーシャンクはフィクションですが)あんな絶望下に置かれていたとしても、「質問」を繰り返すことによって、その「願い」は叶うのです。その質問とはつまり、
「もしも○○できるとすれば、どうすればいいのか?」
と言う質問。もっと正確に言えば、
「もしも○○できるとすれば、今、何をすればいいのか?」
そしてその「今」の答えが出てきた時点から、それを「行動」に移すこと。失敗はありません、あるのはプロセスだけ。「希望」を持ちながら、そのための「行動」を続けている限り、その「希望」は現実のものとなるのです。そしてそのことを過去の人たちは私たちに教えてくれています。
そもそも「ナチスの強制収容所」から生還することを考えたら、私たちが持っている「希望」のほとんどは「ぬるい」としか言いようがないかもしれません。就職、転職、結婚、恋人、お金、人間関係、、、など、言ってはなんですが「ナチスの強制収容所」に比べたら。。。
もしも今、何かの壁に直面しているのであれば、ぜひ、「
夜と霧」と「
ショーシャンクの空に」は見ておくべきです。そこでぜひ「希望」の意味と、「質問のパワー」について考えてみるとよいでしょう。
「好奇心」の話からだいぶそれちゃいましたが、結局は「願望」の根底にあるのも、また「好奇心」であることが多いです。「もしも月収100万円になったら、どんな生活が待っているだろうか?」なんてのは、まさしく「好奇心」の賜物。「もしもあの人と結婚できたら、どんなに幸せだろうか?」なんてのも、もとはと言えば「好奇心」かもしれません。そしてその「好奇心」を満たすために、「もしも○○できるとすれば、今、何をすればよいのか?」を常に問い続け、そして行動する。
だからと言って危ないことを積極的にしろというわけではありません。もちろんそこにはバランスが大切。今日は右肩をちょっと負傷したものの、凄い壁を見ることができたし、何よりブログのネタとして気づきを頂きました。明日は満行です。ありがとうございました。
【愛と感謝:27日目】<愛>
・当たり前の話ですが、腕が痛いにもかかわらず、きちんと洗い物をしました。
<感謝>
・宝満山の下山中、好奇心に任せて別のルートを進んでしまい、ちょっと負傷してしまったものの、無事に家に帰ることができて、こうやってブログを書いていることに感謝。