中学の時イケてないグループに属していたオレ 2008.12.30 

 今年もあと2日ですね。本当に早い一年でした。今日も家でオフィシャルサイトの構築を進めていました。とりあえずは元旦に発表できるところまでは作りましたが、まだ、50%くらいでしょうか。まだ、もう少し、頑張ります。

 今日は友達の家で忘年会。3家族合同で。料理とお酒を楽しみながら、まったりする感じですね。時々はこうやって集まるのも楽しいものです。20代や独身の頃はよく居酒屋などに飲みに行っていたのですが、子どもが増える年代になると、どうしても家で集まることが多くなりますね。で、なんとなくテレビでもつけながら飲んでいたら、ツレが大好きだと言う番組「アメトーク」が始まりました。私は見てなかったのですが、先日、サバンナ高橋(犬井ヒロシ)が持ち込んだ「中学の時イケてないグループに属していた芸人」ってのが、めちゃくちゃ面白かったそうです。そして今日もその企画が始まったので、みんなで見ることにしました。確かに面白かったです。ただ、なんとなく笑えない、と言うか、あまりにもリアル過ぎて。私自身のことを振り返ってみると、中学時代は確かにイケてなかったです。別に今がイケてるとわけでもありませんが、中学時代って、なぜにああだったのでしょうか。周りに聞いてみると、結構思い当たるところがある人も多いみたいです。

 ただ、今になって考えてみると、中学時代でイケてる人間って、実はほとんどいなかったように思います。もちろんいたはいましたが、ずば抜けてスポーツができるとか、中学生離れしたルックスとか、ごくごく少数に限られていたように思います。これは男子だけではなく、女子もそう。中学時代にイケてる女子なんて、本当に2人か3人くらいだったような。ただ、上級生の女子だけは、やたらとイケてるように感じていたりして。私の場合は吹奏楽部だったので、先輩の女子と接する(と言うか、同じ空間にいる)ことがあったのですが、やたらとその人たちに憧れたものです。そんで、「オレらの学年、ろくなんおらん!」と言ったりして、自分たちのことを棚に上げて。

 ただ、卒業後、しばらくして改めて卒業アルバムなんか見ると、実はカワイイ女子がたくさんいたことに気づくのです。または、当時はパッとしてなくとも、大人になったら大化けしそうなポテンシャルのある女子がたくさんいることに気づくのです。しかし、当時はまったく気づかないわけで、当然、性欲の対象(想像上の)にもならなかったわけです。しかしこれについては、私なりの見解があります。

 私の学校は幼稚園から小中高と持ち上がりで進学する人が多く、高校卒業時で幼稚園から一緒だった同級生は半分以上にのぼったりします。もちろん途中からくる人にとっては、みんなが新鮮なんでしょうが、私みたいな幼稚園からの持ち上がり組は、それこそウンコもらしてる当時から知ってるわけで、半ばキョウダイのような感覚もあったんですね。なのでどんなにルックスが良くても、その辺はスルーしてて、現に中3の時など、私の同級生の女子に憧れている中1の後輩がいたりして、「オマエ、おかしい!」と言ってたわけです。ただ、これは私が先輩に憧れたのと同じ理屈で、イケてない上に、自分のことしか見えてないことと表れだったりします。

 テレビ見ながらいろいろ話してたのですが、中学時代ってのは、一部の例外を除いて、ほとんどが「イケてないグループ」に所属していたように思います。ただ、それにも程度があり、1:8:1の割合で「イケてる:イケてない:おわってる」には分かれてたかもしれません。「イケてる」に属する人は、ま、ハッピーだったと思いますが、問題は下一割の「おわってる」のグループです。私は幸いここには属してなかったと思いますが、微妙にそこまで陥落しそうな時期もあったと思います。そして多くの中学生はそのグループにだけは入りたくないと、必死で身を守ろうとするか、逆に「おわってる」人間をでっちあげたりするわけですね。残酷ですが、これが中学生の現実です。

 この時期の特徴と言えば、「イケてる」グループの人たちは何の努力も必要なかったということでしょう。とにかくスポーツとルックス(ただし中学生離れした)だけで、自然とそこにグルーピングされるわけで、その他大勢の「イケてない」連中は、何とかしてそのグループに属しようと頑張るのですが、ほとんどが徒労で終わるわけです。頑張ってイケてるグループと一緒に行動しようとも、そこはやっぱりイケてないことは変わりないので、そのうち違和感を感じて、一番居心地のいいグループに帰ってきちゃうわけですね。

 ただ、これも中学の時ばかりで、高校生になるとちょっとずつ勝手が変わってくるのです。中学時代は覇権を握っていたような奴らも、どうもパッとしなくなったりして、逆に中学時代にイケてなかった連中がちょっとずつカミングアウトし始めるわけです。私などは、どう考えても高校からの方が楽しかったですし、今の自分に近いです。これまで何度かブログで書いたと思いますが、私の中学時代は「クラス一存在感のない男」と言われてましたから。英語のNと言う教師が「このクラスで一番存在感ない奴だれや!」みたいなこと言いだして、その瞬間、「やばい!」と内心思っていたら、すかさず「石田や」みたいな声が聞こえてきたわけです。ただ、今考えると、そこで一番に名前が上がるということは「存在感ある」ことの証でもあり、実際には私より本当に存在感なかった奴もいたわけです。当時の私は単純に学校では大人しかっただけ。そして数少ない文化系の部活に入っていただけ。当時の男子はなぜかほとんどが運動系の部活に入っていましたから。その分、マイナー感がかもし出されていたわけです。実際、それが嫌でブラバンを辞めた同級生も多かったです。と言うか、同級生の男子は私以外全員辞めてしまいました。

 今思うと、あの時、一緒になって辞めないでよかったです。周りに流されて辞めるなんて、そんな主体性のない人間にならなくてよかったです。たとえマイナーと言われようと、自分のやりたい部活に属する。これこそが私の生き方であり、今の私に通じる部分でもあるわけですね。そして高校になると、「スポーツ」と「ルックス」というたった2つだけのパラメーターが多様化していき、それぞれがそれぞれで勝負しやすくなったわけです。そこには「勉強」、「美術」、「音楽」、「しゃべり」、「性格」などの要素が加わってきて、それは女子についても同じで、いわゆる「自分にとってイケてる」という概念が生まれてきたわけですね。もっと言えば、努力によって「イケてる」と思われることが可能になってきた時代。

 周囲の価値観が変わると、中学時代は「スポーツ」にも「ルックス」にも縁のなかった私でも勝負できるようになってきて、高校を卒業する頃には「クラス一存在感のない男」のレッテルは消えるどころか、逆に「クラス一存在感のある男」になっていたわけです。ま、「一」は言い過ぎかもしれませんが、何かと「存在感」はあったと思います。そして高校を卒業すると、それがどんどん加速していき、大学時代は「とにかく存在感がある男」と言われたり、あるサークルでは「部屋に入ってくるだけで場の空気が変わる男」とも言われたりして。そして今は、インターネットがあるおかげもあり、日に千人以上の人から「存在」を気にされる存在となっていたのです。私の場合はネットの世界だけでなく、そこからリアルな場にもどんどん現れるわけで、自分のワールドがどんどん築きやすくなっているわけですね。

 結局、これはどういうことか。なぜ、中学時代には「クラス一存在感のない男」だったのが、今のような「存在で勝負できる男」になったのか(←言いすぎなのは分かっていますが、あえて言わせてください)。それは結局、「自分らしく」に気づいたからなのです。「自分らしさ」で勝負できるようになったし、それを自分で認めているからなのです。中学時代は「スポーツ」と「ルックス」しか男子を計る要素がなく、吹奏楽部やコンピューター部をバカにしたり、チェッカーズみたいな髪型に近づけたり、ビバップみたいな変形(の制服)を教師に気づかれないように調達したりしてたわけです。その点、私はすべてにおいて反対していました。男子でたった一人の吹奏楽部でしたし、髪型は放置してましたし(今もですが)、ビバップみたいなのは私にとってすでに揶揄の対象でしたし。つまり中学時代は「自分らしさ=イケてない」に極論なってしまうのですが、その当時のクセを引きずっている(無意識にインプットされている)人は、未だに自分でないものを目指そうとして苦しんでいるわけですね。

 そう言う意味で、そんな人たちは実は中学時代から思考様式が変わってない証であり、逆に中学時代の私はすでに先行した思考様式を身に着けていたわけなのです。アメトークみてここまで語る私も私ですが、私の言いたいことは、人間は最終的に「自分らしさ」を追求できる人こそが「イケてる」ことになるのです。中学時代の私は確かに「生きにくさ」を感じていました。ですが、今はなんて生きやすい世の中なんだろう、と感謝せずにいられません。

 いよいよ2009年がスタートしますが、ますます「自分らしく」、そして「イケてる」自分を追求しようではありませんか! ほんま、ありがとうございます。ではでは。

2009年はもっともっとイケてるオレたちを目指そうぜ!
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by katamich | 2008-12-30 23:12 | ■人生哲学 | Comments(0)