他力で生きる 2008.12.18
2008年 12月 18日
ちなみにもう一度繰り返しになりますが、私の「4年サイクル説」ってのは、
1993年:大学入学
普通の学生生活
1997年:大学卒業
一年間世界放浪、モラトリアムとして大学院、ニート生活
2001年:会社員になる
とにかく働きづめ。でも年に一回は海外旅行に行ってた。
2005年:会社を辞める
いろいろ試行錯誤、紆余曲折しながら、フリーランスで生活。
2009年:来年
で、神田昌典の「春夏秋冬説」ってのは、12年サイクルで3年ごとに季節が変わるというやつですね。その両方のサイクルの変わり目が重なり、しかも年男。う~ん、何かある。しかも2009年は200Q年でもありますしね。
私は占星術とか詳しくありませんが、まんざら「4年サイクル説」ってのは当たってるかもしれません。その法則まではまだわかりませんが、それぞれが過去の大きなトピックを拾い出して並べてみると、もしかしたら「4年」のサイクルが見えてくるかもしれません。例えば入学、卒業、就職、転職、結婚、起業、事故など。私の場合は入学、卒業、就職、起業が見事に4年ごとになっていて、そう言えばツレと初めて出会ったのも就職の年でした。そういう意味では、この「4年サイクル」を見つけることができれば、「何かある」のを事前に察知できるわけです。先日、この話を読んで同じように拾い出してみたら、やっぱり「4年サイクル」があるのを発見し、来年がその変わり目だと報告してくれた人がいました。セミナーの懇親会にて。皆さんもぜひやってみて、できれば教えてください。もしこれが「法則化」できれば、コーチングなんかでも役に立ちそうです。
私は確かに「行動」や「努力」はめちゃ大切だと思っています。それなくして成功とか幸せはないと思っています。しかし、それと同時に、やっぱり何か大きな「意思」つまり「宇宙の意思」みたいなのがあって、自分自身が何者かによって生かされていることを常々思っています。つまり「他力」の世界観。そもそも生まれてきたのだって、自分の「意思」ではなく、やっぱり何か、つまり「宇宙の意思」みたいなものが働いているとしか思えないわけです。その「宇宙の意思」によって与えられた「命」のことを、私は「天命」と言ったりしているのですが、これは人によってはちょっと誤解があるようです。
「天命」とか「使命」という言葉を使うと、具体的な職業や立場のことを思う人もいると思います。それが「天職」みたいな言葉と結びついて、今の仕事が天職かどうか考え込んでしまったり。例えば事務職の仕事をしていたとして、それが楽しくなかったとします。ワクワクしてなかったとします。それをして、自分は天職に恵まれていないと不平不満を思うようでは、おそらく本当の意味での「天職」には出会えないと思います。
私の考えでは、「天職」とは得るものではなく、与えられるものだと思っています。そしてどうやれば与えられるかについて、これも何度も言っていると思いますが、やはり今の自分に「感謝」できるかどうか。それしかないのです。「天命」や「天職」を一言で言うと、それは具体的にどんな仕事をするのかではなく、最終的には「自分らしさ」でしかありません。つまりどんな仕事であろうと、それが「自分らしさ」とつながっていれば、それは「天命」であり「天職」なんです。そして自分らしい生き方をしている人は、まず間違いなく「感謝」の心で満たされています。
人はなぜ不平不満を思ってしまうのか。それはそこに「自分らしさ」がないからです。例えば私の例で言えば、会社員時代ってのは、やっぱり「自分らしさ」がなかったように思います。自分らしくあろうとすればするほど、何か圧力を感じてしまう世界。しかしこれが社会であり、人生なんだと半ば諦めている状況でもありました。しかし会社を辞める1年ほど前から、いわゆるスピリチュアルな考え方を知って、そこから「感謝」をベースに生きようと思ったのです。すると最終的にはどうあがこうとも、やっぱり会社を辞めるよう導かれ、そしてそろそろ4年になろうとします。この4年間は私なりに「感謝」をベースとした生き方を心がけ、本当に奇跡の連続でした。そして今ではとても自分らしいあり方につながっている実感があります。もちろん心は「感謝」に満たされています。
天命に生きろだの、天職を探せだの、実はそのような姿勢は、本来の意味での「天命」や「天職」から最も遠ざかるあり方だと言えます。たぶん探しているうちは見つからないでしょう。他人に聞いてもわかりません。しかし何かのきっかけで、本心から自分自身のことを「感謝」できるようなれば、あとは自然と「天命」につながるものなのです。これは確信しています。
逆説的ではありますが、「探す」という状況は現状に満足していないからこそ出るものであり、その奥には必ず不平不満が根付いているものです。その不平不満は「無意識」にインプットされている限り、やっぱりその不平不満の状況こそが実現してしまうわけです。では、探さなければどうなるのか。満足しているから探さないのならまだしも、不満だけど諦めていて探さないのとでは、やはり意味が違います。
結局のところ、「無意識」が「感謝」に満たされているかどうか、それだけなんでしょう。ではどうすれば「感謝」の状況でいられるのか。心を心で変えるのは正直難しいです。感謝しろ、と言われて「はい、わかりました」と素直に感謝できる人であれば、何の苦労もないわけですから。
どうすれば「感謝」できるのかについては、やはり月並みなかもしれませんが、最初はそれを「言葉」に出すことしかないのです。先日のチャリティトークライブでもお話ししましたが、やっぱりどう考えても「宇宙」は「愛と感謝」でできているとしか思えないのです。「愛」と「感謝」は実はベクトルが違うだけで、同じものを違う角度から見ただけのもの。
「愛」は与える、「感謝」は受け入れる。ただ、それだけ。表現の仕方が若干違うだけのものです。先日のトークライブに来て頂いた、「♪笑顔と感謝日記♪~幸せ風水生活~」のkeiさんがこのように書いてくださっています。
『ありがとう。感謝してます。』て言葉が自分を満たす言葉なら
『愛しています』は、人をあたため満たす言葉だな~て知りました。
と。なるほど。その通りだと思いました。「ありがとう」は自分に向けられた言葉、そして「愛しています」は相手に向けられた言葉。しかし、「ありがとう」も「愛しています」も角度が違うだけで、結局は自分も相手もハッピーにする言葉。Keiさんも言っている通り、「ありがとう」は言えても、「愛しています」は照れくささもあってなかなか言えないもの。しかし、だからこそ言ってみる価値だってある。今まで言えなかったことだけに。
今年の10月に35歳8か月の「悟り」を経たのですが、何を悟ったかと言うと、やはり「宇宙」は「愛と感謝」で出来ているんだな、ということに尽きるのです。それを象徴する出来事が、まさしく11月4日の「奇跡の日」での出来事でした。つまりブッダガヤの子どもたちからシャワーのように「ありがとう」と「愛しています」を頂いたこと。その瞬間、私は本当に号泣してしまったこと。
トークライブではその時のビデオを15分間流したのですが、これはミネハハさんの許可さえ頂ければ、youtubeにでも公開したいくらいに感動的なビデオとなりました。本当に「言葉」の力は素晴らしいものです。「天命」につながり、自分らしい生き方をするには「感謝」をベースとした生き方。そして「愛」。それぞれを心に抱く、もしそれがすぐにできなければ、言葉に出すことからスタートしてみる。
私も改めて「ありがとう」とそして「愛しています」という言葉を大切にしていき、一人でも多く人、そして一つでも多くのことに対して、その二つの言葉で包んでいきたいなあ、と思いました。
なんだか取りとめもない文章になりましたが、この辺で。やっぱり「何か」はあるようです。
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