宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

佐世保市の小学生カッター殺人事件から一週間が経ちました。
そして被害者少女の父親の、亡き娘に対する手紙が公開されました。

今回の事件については不幸とは思いながらも、センセーショナルな関心も半ば新聞を追っていました。しかし、公開された手紙を読んで初めて事件性を超えた「死」というものを意識させられました。
父親にとっては「さっきまでいた娘」が「いない」のです。「死」とは細胞の活動停止、肉体の消滅といった物理的事象を超えた「文学的」意味があることに気がつきました。つまり「実体」としての個を超えた、「関係」性の消滅といったところに人間にとっての「死」があるのです。

父親の手紙には涙が出てきました。手紙を読むまでは佐世保という衰退の進む企業城下町における社会病理、また、センセーショナルな事件性にデコレートされた一少女の死にしか、今回の事件を考えていませんでした。父親の手紙には「死」に直面することにより誰もが経験する「関係」との別れがストレートに表現されていました。我々が「死」と対置して得る悲しみは人であれ犬であれ金魚であれ「今までいたものが急にいなくなる」「今まであったはずの関係が急になくなる」ことに対する悲しみです。その「関係の帯」が太ければ太いほど、切れた時の悲しみは大きいものです。父親の手紙にはその太い「関係」の消滅を追体験させるものがありました。

それにしても今回の社会病理的な事件性はさておき、少女の死という現象にどういう意味を与えればいいのでしょうか。私は全ての現象には必ず何らかの「意味」があるものと考えています。目の前にどんな不幸なことがあっても、将来的には必ず良いことに結びつくための「意味」があるのだと。しかし、最も愛する者の死にどういった意味があるのでしょうか。その答えを出すものはやはり「時間」だけなのでしょうか。

私は現在、特定の宗教を信仰しているわけではありません(仏教系新興宗教の高校を卒業していますが)。果たして少女の死に対しどういった意味を与えるのか、宗教はどのように説明するのでしょうか。特に「愛」を最高価値とする某宗教などは。戦争ばかりしているので答えられないですか。

今日の日記はちょっとセンチメンタルなものになってしまいました。センチメンタルを重ねて私なりの少女に対する追悼を今から行います。

"Waltz For Debby(少女のためのワルツ)" by Bill Evans

世界一美しい曲です。
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# by katamich | 2004-06-08 01:23 | ■時事問題 | Comments(0)
今日のスポーツ新聞の一面は全て窪塚洋介に関する記事でした。
窪塚洋介は最近何かとマスコミを騒がせ、ある意味、時の人でした。

さて、この飛び降りについて私もちょっと書かせていただきます。
飛び降りの理由としてマスコミの見解をまとめると、①自殺説、②事故説、③衝動説の三つに大別されます。真相は今の段階でははっきりしませんが、私見では自殺でも事故でもなく、③の衝動が正しいと思っています。

自殺はまずありえません。もし仮にそうだとしても、一時的な衝動による自殺願望であり、計画的なものではありえません。事故もマスコミが言う通り、単なる事務所側のエクスキューズです。

今回は衝動による飛び込みが正しく、もっと詳しく述べると次の3点に絞られます。
これはまだマスコミも書いてませんが、おそらくいずれか、もしくはいずれもだと思われる「真実」です。

・衝動説1―身の丈にあわない精神世界への没頭
窪塚は最近、育児休業であまりオモテには出てきませんでしたが、実はこの間、精神世界にものすごく入り込んでいました。そして窪塚は中山康直、江本勝、渡辺延朗といった「精神世界」界のコアな人物と深く交流を重ねており、その一連の話は「地球維新」という本やテレビ番組等でまとめられています。例えば大麻礼賛騒ぎは他ならぬ中山康直の影響によるものです。
それがなぜ飛び降りに結びついたのか。それは短期間のうちに日本の「精神世界」界のコア人物とあまりに交流し過ぎてしまい、オマケに先の「地球維新」といったイベントや波動医学の講演等にしばしば呼ばれていたために、精神世界における修行レベル(つまり身の丈)が間に合わないうちに、それ以上のことを要求されてしまっていたからなのです(そのように錯覚していた)。そして、その行き過ぎた要求に応えるためには精神世界における最重要問題である「死生観」に迫る行動を取らざるを得なかったというわけなのです。

・衝動説2―精神世界のマスターという錯覚
一番目にも重なることなのですが、短期間のうちにあまりにもコアな人物と接してしまった結果、物事の分別が分かる前に、自らもそのコアメンバーと同等であると思い、あたかも何でもできるスーパーマンかのように錯覚したからなのです。ですので窪塚の中では空を飛ぶことは「朝飯前」だったのです。

・衝動説3―ニアデス(臨死体験)への希求
最後の説はニアデス体験への希求です。既に述べたとおり窪塚は精神世界にはまり込んでいます。精神世界では目に見えない事象を取り扱い、この3次元空間は精神世界レベルで見ると実に低級な世界となります。しかし窪塚はまだ3次元空間から脱していません。そこで3次元から脱出する最も効果的な方法がニアデス体験なのです。先の中山康直氏は幼き日に川で溺れニアデスを体験中、高次元の惑星に行ってきました。森田健という人は体外離脱という方法でニアデスを経験できるため、8次元の世界から3次元を見ることができます。そのように窪塚の場合も高次元に身をおきたいがために、「死」に近づく飛び降りという行動を取ったのだと思われます。

以上から、今回の飛び降り事件の真相を一言で言うと、「精神世界への過度な没入と精神レベルの未熟さとのギャップ」が最大の原因なるのです。

飛び降り事件の真相はわかりました。しかし、問題はこれからです。何が問題かというと、それは窪塚が「生きていた」ということです。
9階から飛び降りて重症を負いながらも生きていたという事実は、今後の窪塚に対し確実に何らかの影響があるはずです。私の予想では、先ず、先ほど述べた何人かのコア人物から叱責をくらい、しばらくは実業に専念することと思われます(例えばビデオ映画など)。そして事件のほとぼりが完全に冷めた頃(3年後くらい)に再び精神世界に関する活動を再開し、事件を含めた一連の出来事を手記に綴り、「○ォ○ン○ル○」突入まであと5年なんてことをしきりに言い始めることでしょう。

さあ、どうでしょう。私の考えが正しいかどうかは、窪塚ないしその身内がマスコミに登場する頃になって分かります。

それよりも、なぜ私がここまで詳しく断定的に言えるのか不思議に思いませんか?
それはある部分で私は窪塚と重なり合うからなのです。もちろん飛び降りなどは決してないのでご心配なく(^^;

話は変わりますが、今日は行き付けのリバーサイドにジャズライブに行ってきました。黒岩静江という女性ボーカルでした。私はどちらかと言うとジャズボーカルは苦手なのですが、今回のライブには度肝を抜かれました。近いうちにレビューしたいと思います。

(写真は「地球維新」における渡辺延朗と窪塚)
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# by katamich | 2004-06-07 01:21 | ■時事問題 | Comments(0)
日曜日はだいたい9時に起きて「題名のない音楽会」を見ます。
そして、ニュース系の番組、「いいとも総集編」、「アッこにおまかせ」などを見るのが日曜日午前の日課です。

そして今日は月に2回の吹奏楽の練習日でした。
今日は平穏な一日だったので、私の所属するノアール・アンサンブル・ウインズの練習のレポートでもしてみます。

本団体は最初に音合わせを兼ねた基礎練習をします。
近頃は本当に音を合わすのがうまくなったものです。私は中学生からこれまで、学校の楽団を始め、いくつかの楽団を経験してきましたが、その中において本楽団は少ない練習ながらも最も音を合わすのがうまい楽団だと思っています。
その秘訣の1つはチューナーという機械を使わないことだと思います。
チューナーを使うと自分の音程が数字で表されるので便利ではあるのですが、肝心の耳を鍛える訓練にはなりません。
チューナーを使わないでいると、とにかく「周りにあわそう」という意志が働くものです。
私は音を合わせるのは技術の問題ではなく、意思の問題だと思っています。

話を無秩序に飛躍させますが、世の中を動かす力は技術(物質・モノ)ではなく、人々の意思(精神・コト)だと考えています。ですので、世の中を平和に導くためには人々の意思(集合意識)を平和に志向することが必要なのです。

話を今日のレポートに戻します。
今日は次の曲を練習しました。簡単にコメントしたいと思います。

・陽だまりの詩
これは何年か前、ルクプルというグループに歌われ流行りました。
一般に「ルクプル」と一息で発音されるようですが、正確には「ル・クプル」で英語で言うと「ザ・カップル」となります。日本語では「2人組み・夫婦」となります。
ただしグループが流行るにはルクプルでなくてはならなかったのでしょう。
世の中、「スマップ」とか「トキオ」とか「キンキキッズ」とかちょっと聞いて意味のわからない名前が売れる仕組みになっています。「ニンジャ」のようにイメージが先行する名前は売れなかったではないですか。多分、バレーボールしか出る場所のない「ニュース」も売れないです。
なので「ルクプル」は「ザ・カップル」や「2人組」ではダメなのです。
話がそれましたが、これは結構いい曲です。

・翼を下さい
これもスタンダードです。ちなみに2年前ニューヨークでケニー・ギャレットというジャズサックス奏者のライブに接した時、この曲をやっていました。「すげ~」と思ったのですが、ギャレットは納豆や生うにをこよなく愛する日本マニアでした。一応マニア受けもする曲のようです。

・ARSENAL
意味がわからないマーチです。爽やかなまあまあいい曲です。

・ストロベリー・ダンス・アワー
これはテレビ番組「発掘!あるある大辞典」で流れるファンキーな曲です。私としてはレギュラーの「あるある探検隊」の方が好きなのですが、さすがに吹奏楽ではできません。
実はこれは吹奏楽用の譜面がなく、みんなスコア上の好きな音符を適当に吹いています。だけど一番完成度が高い気がします。私は8小節ほどソロがあるのですが、毎回違うフレーズになってしまいます。アドリブと言えば聞こえいいのですが、実のところ行き当たりばったりです。そんな適当が売りの演奏曲です。

・ボレロ
ご存知ラベルのボレロです。アレンジはラテンテイストで結構かっこいいですね。昔はこの曲が嫌いでした。なぜなら同じフレーズが続いて単調だから。でも今は結構気に入っています。同じフレーズを延々と吹いているとトランスに導かれるものです。実はかなりニューエイジ入っています(←意味が分からなかったらすいません)。

以上、どうでもいいレポートでした。

今日は楽団員と話していたのですが、私のホームページも結構読まれているようです。それもかなり細かくまで。あまりうかつなこと書けませんね、とは言ったのですが、これからもどんどんうかつなことを書くつもりです。
どうぞご贔屓あれ。
# by katamich | 2004-06-06 01:20 | ■音楽 | Comments(0)
今日はオフです。7頃目が覚めましたが、心地よい光を感じて寝転がっていました。

今日はまた新しい趣味ができました。
それは「掃除機を吹く」と言うことです。
正確には掃除機に付いている筒に口をあてて唇を震わせながら「ブーブー」鳴らすのです。

実はこないだ月曜日に聴いたディジュリドゥがものすごく衝撃だったようで、「オレも吹きたい」といても立ってもいられなくなり、飛びついたのが掃除機の筒だったのです。

吹き方はトランペットなど金管楽器を吹く要領で唇を筒口にあてて震わせて音を鳴らします。
私はリード楽器は吹けるのですが金管楽器はほとんど吹いたことがないので最初はうまく音がなりませんでした。
でも一時間ほどロングトーンを続けているとしだいにこつがわかり、夜の今ではなかなかいい音がするようになりました。
また、ホーミーの要領で倍音を鳴らすコツもつかみ、今は一応「ディジュリドゥ~、ディジュリドゥ~」と鳴らせるまで上達しました。たった一日ですごいでしょう。

しかしこの先が難関です。ディジュリドゥは息継ぎなしで延々と吹きつづける、つまり「循環奏法(サーキュリー・ブリージング)」を習得する必要があるのです。これは息を吐きながら吸う方法で、かなり難しいです。しかし習得すると何かと便利そうです。目標は一ヶ月。頑張ります。

なんだかまた新しい世界が開けそうな感じです。

(写真はディジュリドゥ奏者のチャーリー・マクマーン)
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# by katamich | 2004-06-05 01:19 | ■音楽 | Comments(0)
昨日、酒を浴びてしまったので、微妙に酒が残って二日酔い気味です。
でも今日は大事な日です。そんなことは言ってられません。

今日は私の母校である福岡県立大学の労働経済論という講義でゲストとして話をしに行く日でした。
そのために仕事も有給をとっていました。しかし、実は今朝の段階まで話す内容が決まっていなかったのです。
本当は昨日の夜にレジュメをきって考えるつもりだったのですが、お酒を浴びてしまったおかげで。。。

そんなことで起きて一時間でレジュメをまとめました。集中したらできるものです。
11時半に家を出て、2時に大学。そこで講義の依頼を頂いた先生と会い、仲の良かった哲学の先生とも再会しました。

2時半からの講義です。生徒数は90人と思っていたよりも人数が多くビックリ。
朝レジュメをきったばかりなので話す内容もシミュレートしてませんでしたが、何とかなるものです。
話しはじめると緊張がほぐれてきました。
一時間ほど話をした後、生徒からの質問を受け付けるのですが、人数が多いためか手は上がりませんでした。
しかし、残りの時間で感想を書いてもらったのですが、どの生徒もギッシリと書いており嬉しい反応でした。

話の内容をレジュメにそって簡単に示すと次のような感じです。
・自己紹介(大学時代とこれまで、今の仕事について)
・職業を取り巻く世の中の動き(国際化、情報化、少子高齢化など)
・やっぱり大企業か公務員?(就業構造の二極化)
・就業スタイルの多様化(正社員、契約社員、派遣社員、パート・アルバイトなど)
・若者はどこに行ったか?(フリーター、パラサイト、ニートなど)
・年収300万円時代の生き方(これで家族を養えるか?!)
・これからの世の中(資本主義の崩壊?!、競争社会から協奏・共創社会へ―NPOの台頭)
・先輩からもう一言(地域で学ぶことの意義など)

まあ、こんな感じでレジュメをきったのですが、話は当然脱線しながら進めました。
後で感想を読むと、生徒にとってはこんな話が印象深かったようです。
・正社員という生き方がだけが絶対じゃない。でもスキルを磨くことは大切。
・スリランカで会ったイタリア人のおばちゃんは年収300万円でも年に数ヶ月はバカンスを楽しみ満足な生活をしている。日本は収入はあっても時間の奴隷でストレスだらけ。
・情報社会では溢れ出る情報に対して自分で見極め判断していく力が必要。
・30歳になっても会社では一番下っ端。若者はどこに行ったのか。
・市町村も会社なら倒産するくらいの財政難(特に田川市)。
・NPOとしての生き方もこれからはあり。
・35歳以上のフリーターは無職、35歳を超えると転職できないという35歳限界説。
・一年目でボーナス100万円出すところもあれば、何十年働いているのにボーナスなしのところもある。
・大企業と中小企業の格差が広がっている。しかし、大企業でも突然倒産があれば、中小・ベンチャー企業でもいい給料を出すところはある。
・大学を卒業して就職してもくもくと働くのが人生ではない。けど将来ビジョンを持っていないと辛い。
・バブル時代の就職活動と今の時代の就職活動の歴然とした待遇の違い。
・今は不況だけど今の時代を過ごせてよかった。バブルを知らなくて良かった。
などです。

私個人に対する感想としては、
・放浪したり、フリーでいたりの期間があるのにきちんと会社に入ってるのが不思議。
・プロフィールの中の「暗黒時代」について詳しく話を聞きたい。
・いろんな生き方があるのだなあ。就職活動の不安がすこし軽くなった。
・田川で学ぶことの意義をもっと話して欲しい。

とまあ、いろんな感想なり意見、質問があったのですが、機会あればまとめて答えたい気もします。

私としては一時間もの持ち時間で自由に話したことがなかったので、今回はものすごくいい経験ができたと思います。
私は人前で話をすることが好きな方なので、これからも人前で話せるようなネタをたくさんため込みたいと思います。
そのためにはとにかく勉強して、人と会って、本を読んで、経験して、感動してということが大切だと考えています。

とにかく今回のことについては、機会を与えてえてくれた先生、そして話を聞いてくれた学生さんたちに心から感謝申し上げたいと思います。

(写真は03年夏にスリランカで会ったイタリア人女性と私)
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# by katamich | 2004-06-04 01:18 | ■日一日 | Comments(0)
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