宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

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 今日は4年に1回の閏日でしたね。そう言えば前回の閏日のブログはどんなんだったか見てみました。「『超意識』を呼び覚ませ!」ってタイトルで本の紹介などしていました。この「超意識」ってのは私にとってもキーワードですので、4年に1回の貴重な日にシンボリックな言葉を取り上げていたことに感心。そして前段に「29」だから「肉の日」つまり「キン肉マンの日だ!」なんてこと書いてる。進歩がない。どんだけキン肉マン好きやねん、オレ。今は新しいキン肉マンはウェブで読めますが、あの時は週刊プレイボーイで読んでました。「最新号ではロビンマスクがアトランティスという半漁人みたいな悪魔超人に負けたシーンが回顧されてました」なんて書いていますが、そのアトランティスが最新のウェブでも登場してるんですから興奮ですよね。

 そんな話はともかく、今日で2月も終わり。2012年も6分の1が終わりました。3月はイベント目白押し。思えば私が大きく飛躍した年は、毎年がそうではありますが、特に子どもと自著が産まれた2009年は忘れられません。36歳の年男でもありましたが、あの年の3月は私にとって大きな変革の月でした。福岡で隔週のイブニングセミナーをスタートさせ、そして初めての沖縄セミナー。一日セミナーで15名ほど来られました。反応としてはすごく良くて、終了後も皆さん口ぐちに素晴らしいと言って頂き、私も満足でした。そしてその日の懇親会で久高島の真栄田苗さんのことを教えて頂き、翌日、電話するとちょうど空いていたのでガイドをお願いできました。その時は本当に衝撃的な体験をさせて頂き、その日の日記がこちら

 だけど、この日は私にとってもう一つ衝撃的な体験がありました。前日の沖縄セミナーの参加者の一人からメールをもらっていたんのですが、その文面を見てかなり凹みました。ようは「セミナーは最悪でした」という内容。その方が言うには、セミナーの内容そのものと言うより、「NLPセミナーと言いながらNLPの話がなかった」というところが不満だったようです。その後、今の「メルマガ」の前身となったメールを試験的に配信させて頂いて、その時に書いた内容を掲載します(一部略)。配信日は2009年3月19日です。


3月14日に私にとって初の沖縄セミナーを開催させて頂きました。15名もの人にお集まり頂き、集客にご協力頂いた方々には感謝のしようがありません。ありがとうございました。

今回のセミナーはいわゆるコーチングやNLPをされている方も多く、私にとっては今までにない雰囲気でした。皆さま、本当に素晴らしい方たちばかりで、とても密度の濃いセミナーをすることができたと思っています。ちなみに以下のブログにて報告して頂いております。ありがとうございます。

「ココロとカラダとタマシイの学び」 http://happystream.ti-da.net/

「沖縄発 コーチという生き方」 http://eureka.ti-da.net/

「cocoro~こころ~Happyへと~」 http://cocorokira.ti-da.net/

私もこれで「北は北海道から南は沖縄まで」と、堂々と言えるようになりました(笑)

セミナーの翌日は「久高島」に行ってきました。私にとっては2回目なのですが、本当に素晴らしかったです。
五日市剛さんが言われるのですが、

「旅はどこに行くかではなく、誰と行くか、そして誰に案内してもらうか」

を実感した旅になりました。

とりわけセミナー参加者の紹介でご案内頂いた「真栄田苗」さんとの出会いは、私にとって衝撃でした。

(中略) 

大自然はやっぱりいつも私のことを見てくれている。それを実感させてくれる体験でした。感謝します。


ところで、沖縄のセミナーは本当に素晴らしい内容であったと自負しておりますが、その一方、私にとって新たな体験をさせて頂くこともできました。それは何かと言うと「返金」ということです。私のセミナーは内容にご満足頂けない場合、3日以内にお申し出頂ければ全額を返金させて頂くようにしてります。

しかし、今までは返金を求められることはなかったのですが、今回の沖縄セミナーでは初めての返金させて頂きました。その参加者の方は「NLP」にひかれて申し込んだにも関わらず、NLPの内容がなかったので満足できなかった、ということです。

NLPのプラクティショナーコースの経験者だったのですが、確かにコースで扱うようなスキルをバンバン使う内容ではなかったと思います。快く返金に応じながら、ただし、これだけは申し上げました。あのセミナーは間違いなくNLPであると。

それもかなりメタレベルのNLPであると。つまり人間の本質に迫る内容であり、その理解があるなしでNLPのスキルそのものについても違いがでてきます。ですので、NLPを知っている人にとっては、バラバラだったスキルの内容が「点から線、そして面」として理解できるものだし、NLPを知らない人にとっても、人間に対する本質的理解が進み、これからの人生がプラスになるものです。

NLPは様々なスキルによって「感覚」つまり「無意識」を書き換えることができます。ですので、スキルによってバンバンと感覚を変えていくのは、とても心地よいものです。しかしながら、無意識は「現状維持」するという性質があります。つまりスキルによって一時的に感覚が変わったとして、それはすぐに戻ってしまうものです。

確かに「感覚」が変わるのは気持ちがいいです。しかし、本当に大切なことは一時的な感覚の変化ではなく、その人の望ましい方向への根本的な変化なのです。私がNLPを扱う際、常にそのことだけを意識してやっております。

では、どうすれば「根本的変化」を起こすことができるのか。それは2つしかありません。それは、

・強いインパクト
・繰り返し

です。セミナーで得られるのはインパクトです。それによって「感覚」が変わりますが、それ以上に重要なのは「繰り返し」です。何度も繰り返すことによってしか、物事は身につきません。それはNLPのスキルも同じこと。

アメリカのNLP四天王から直接教わり、日本で最もNLPの啓発に貢献している北岡氏は、7年間毎日NLPのスキルを実践してようやく腑に落ちたと言われます。北岡氏ほどの人でもそうなのです。

では、NLPの基本の基本である、「脳は空白を嫌う」の原理を用いて、次のような質問をしてみたいと思います。

・(朝)今日一日、何を与えることができるだろうか?
・(夜)今日一日、何に感謝することができただろか?

答えを導く必要はありません。単純にこの質問をするだけで、人生はがらりと変わります。私は習慣になっています。この質問によって、その日一日は「愛のある生活」ができ、その日を「感謝とともに」終わることができます。この質問の習慣があって、不幸になることは物理的に不可能です。しかし、これもやっぱり「繰り返し」しかないのです。

私がこのレターを配信しようと思ったきっかけもこれです。セミナーに参加頂いた方々が、一回のインパクトで終わるのではなく、忘れた頃にもう一度思い出して頂きたい、そしてよい習慣を繰り返しつけていきたい。でなければ、セミナーの意味がありません。

(中略)

ところで、ある出版編集者の方が、言われていました。返金の申し出があって初めて本物のセミナーになるのだと。つまり、それだけシビアな環境を経験して初めて「プロ」としての資格が与えられるのだと。その意味で、今回の沖縄セミナーはめちゃくちゃ素晴らしい経験をすることができました。

これをお読みの方の中にはセミナー講師や人前に立っていく仕事を目指している人もいると思いますが、「返金」が求められるようなシビアな環境にどんどん身を置いて、そしていざ「返金」が求められたら、決してへこまずテンションをあげて欲しいと思います。へこみそうになったらこのレターを読み直してくださいね(笑)



 このレターは、それまでの時点で私のセミナーに参加された方対象だったので、配信数は300もなかったと思います。だけど、かなりの反響でメールもたくさん頂きました。いい話よりも、やっぱりちょっと陰のある話の方が共感を呼ぶのでしょうか。だけど、こんなのはほんの一例です。調子いいことばかり書いてるようですが、そうじゃないことだってたくさんあります。だけど、今は凹むような体験こそが貴重だと知っているので、プラスに活かせつようにはなっています。

 この時のメールを見たのがセミナー翌日の3月15日で、久高島の宿だったと思います。素晴らしい体験をした直後だっただけに、頂いたメールは特に心に響きました。そしてこれだけが理由じゃないですが、その翌月に予定されていた東京と仙台でのセミナーを区切りとして、いったんセミナーをお休みすることにしました。福岡のイブニングだけはやっていましたが。そしてもっと自分の納得行くものになってから再開しようと決めたのです。

 その再開が9月でした。あるセミナー講師の方から「もしセミナーで食べて行きたいと思うなら、一日15,000円は取れなきゃダメだ」と言われ、今までのほぼ倍である「一日16,000円、二日29,000円」のセミナーを9月に大阪、10月に東京で企画しました。そのセミナーは、、、両会場ともに満員御礼となり、いずれも開催前に締め切る勢いでした。そして12月には著書が出ました。そんなこんなもあり、2009年は本当に飛躍の一年だったと思います。

 そのきっかけとなったのが、やっぱり3月の沖縄だったのではと思っています。今年も沖縄には行きますが、3月にした理由は花粉のシーズンなのと気候がいいのもありますが、私の中の直感が「何かが起る」と言ってきたので、素直に従ったまで。まさに「超意識からのメッセージ」を頂いたから。なので今回、16日に「宇宙となかよし塾in沖縄(←受付中)」を皮切りに、三日間のツアー、プラスオプションを通して、私にとっても人生レベルの「何か」が起ろうとしています。何かはもちろんわかりませんが。

 いよいよ明日から3月。何かが起る。だけど、まずはやるべきことをしっかりやって、一歩一歩足を固めて行きたいと思います。それではまた明日。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-29 23:39 | ■精神世界
 さて、昨日、39歳になったからと言って、何が変わるわけでもなく今日も過ごしました。もう一度改めてお礼を申し上げたいと思いますが、誕生にお祝いメッセージ、本当にありがとうございました。家族よりも早いメッセージに、一つの時代を感じました。主にSNSからのメッセージが多いのですが、ざっと数えると少なくとも100人以上からのメッセージ。ご返事ができなくてすいません。Facebookからは一応させて頂きましたが、それ以外はほとんどできていません。すいません。ちなみにこのブログ、コメントがいつも少ないですよね。あ、もちろん催促してるわけじゃないですよ。アクセスはがあまりなくとも、やたらコメントの多いブログもあるのに比べると、このブログは間違いなくアクセスに対するコメントの数は少ない。だけど、これは記事にもよるようで、頂くときはやたら頂きますので、読んで頂いてるんだなってことが、そこでわかったりするんです。ま、ちょっと言われたのは、このブログは長すぎて、しかも2~3日放置すると追いつくのが大変でコメントどころじゃないとかね。

 でも、そうやって「熟読」していらっしゃる方も少なくないようで、しばしば私でさえ書いたのを忘れてるようなことを話題にしてださることもある。「え!なんでご存じなんですか?」と聞いたところ、「いや、ブログに書いてたじゃないですか」って言われることも一度や二度ではありません。このブログがやたら長いってのは自覚してまして、だからほとんど読み直さないし、時には誤字脱字がそのままってこともしばしば。いや、ほんと、いい加減ですいません。

 せっかく39歳になったのですから、少しは気を遣いながら書こうかと思いながら、そんなの今に限ったことでもないわけで。だけど、改行は昔に比べて多くなったと思います。前は自分でもヒドいと思いましたもん。2,000字近く一回も改行しないで、小さなディスプレイだったら完全に字で埋まることもしばしば。今でもケータイやスマホはそうみたいですけど。そう言えばもっと前はスクリーンも真っ黒だった時もあります。真っ黒の地に白い文字。目がチカチカすると何度も言われたので、それは直しました。前はこんな感じで(↓)。
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 とにかくまあ、一つ歳食ったからと言って、何を変えるでもなく、今まで通りマイペースにやっていこうと思います。それにしてももう3月。今年は恐ろしいほど花粉が来ません。若干の目の痒さはあるものの、ティッシュを使うこともほとんどなくて、鼻の通りも普通です。鼻が詰まって味がわからないこともなし。

 この季節はいつも花粉のことばかり書いてしまいますが、そろそろ忘れてよい時期が来るかもな~と思っています。まだまだ完治とまではいかないものの、特別な薬を飲むわけでもなく、もちろんよくわからないサプリとかレメディを飲むわけでもなく、なんとなく改善しつつあります。しばしば「思うから病気になる」と言う人がいます。特にガン関係はなぜか多い。

 ちょっと前に、ある講演家の話として紹介された文章をMixiで読んだのですが、恐ろしいことが書かれていました。ようは、ガン保険とガン健診はガンをイメージングして引き起こすきっかけになるので、入ってはならないって話。私はそれを読んで「恐ろしい話だ」と思ったのですが、共感するコメントが多いことにさらにビックリ。

 理屈に理屈を重ねるようですが、「保険や健診をしてはならない」って言う時点で、かなり強いイメージングがなされていることを無意識は知っています。これは病気に限らず、しばしば「~べからず」といった強い否定は、逆に強いイメージングに結びついてしまうことがあります。誰もが一人や二人は会いたくないと思う人、思ったことのある人がいると思いますが、その気持ちとは裏腹に、会いたくない人のことを一番にイメージングしているのもまた事実です。そして「会いたくない」と思っただけで、目の前にその人がいるわけじゃないのに、いるような感覚になってしまう。

 同じように「病気になりたくない」と強く願うことは、それを強くイメージングすることにもなる。頭では「思うべからず、見るべからず」と思いながら、その「~べからず」の主体に強くすがってしまう。前も書いたと思いますが、かなり前の心理学の実験で、死刑囚に対して「今から血を抜きますが、3分の1がなくなったところであなたは死にます」と告げた上で、ベッドに括り付けて腕に針を差し込みます。モニター上は血が抜かれてるのが見えるのですが、実際は抜いていません。嘘のモニター。だけど、血液が3分の1なくなったところで、その死刑囚は絶命してしまったそうです。

 イメージングってのはそれだけ強烈で恐ろしいもんです。最近思うのですが、「病気」の本質とは実は原因ではなく「症状」そのものなのでは、と。こんなこと言うとお医者さんから怒られてしまいそうですが、この世の中には確かに「原因」と「結果」の因果関係があります。そして通常は、「原因」があって「結果」の順番になると思うのですが、実は逆なのではと思うこともあり。

 先ほどの死刑囚の例では、本来、血を3分の1抜けば死ぬわけで、それは確かに原因です。しかし、その実験のケースでは原因そのものは存在せず(嘘なので)、「結果」だけをその死刑囚にイメージングさせたのです。すると本当に血が3分1抜かれたのと同じような「症状」だけが起こり、つまり「原因」なきままに死んでしまったのです。

 ガンなど病気の例で言えば、病気を気にし過ぎることは、その病気のイメージングに結びつき「症状」を誘発し、その結果、「原因」までも作ってしまうことになる。逆に「きにしないことを気にし過ぎる」ことも同様。これが「~べからず」の思想ですが、これまた潜在意識の世界では「気にし過ぎる」のと同様の効果をもたらすことになりかねない。なので、私のスタンスとしては、やっぱり「保険」と「健診」はしっかりやっとくべき。これは病気をイメージするとかしないとか以前に、気温が寒い時に暖かジャンバーを着て出るようなもの。雨が降りそうだったら、傘を持って出るようなもの。

 ジャンバーを着ることは「寒い」をイメージングしちゃうので着てはならないとは誰も言わないでしょ。傘を持って出ることは「雨」をイメージングしちゃうので持って出てはならないとは誰も言わないでしょ。気温が下がれば寒くなるだろうし、天気予報で雨だったら降る確率は高い。病気だってそうで、生きてると、特に長生きしたり、忙しく働いてたりすると、どうしても病気になるリスクは発生します。そのリスクを軽減する、つまり雨が降りそうな時に傘を持って出るように、当たり前のこととして保険や健診を受けとけばいいのです。

 雨は仕方ないにしても、寒いなんてのは個人差のあるもの。気温が10度でも寒いと言う人がいれば、それで暖かいと言う人もいる。私などは氷点下で滝に打たれたりするので、10度はかなり暖かいイメージです。実際ジャンバーも着ません。だけど、誰もかれもに「寒いとイメージングするか寒いです」と言って、ジャンバーを取り上げるようなことはしません。逆に寒いんならジャンバー着ろよ、って言うでしょう。

 なので「当たり前」ことをすれば、それだけで「症状」を抑えることはできるんです。花粉もそう。私はあまり薬は飲みたくない質なので、なるべく飲まないようにしていますが、外に出るときはマスクをして、昨年から鼻に塗る花粉ガードのような液体を付けています。潜在意識との対話で花粉症を克服するんだ、なんて意気込んではいません。以前、それでえらい目にあったことありますもんね。花粉がバンバン飛んでる中、山登りに行ったりとか。思いっきり花粉を吸い込んだおかげで、その日からしばらく苦しかったですもん。

 つまり、花粉が飛んでるんだから、なるべく吸い込まないようにするだけ。私は薬を飲みたくないので飲みませんが、もちろん飲んでもいい。自由選択。そして実際、吸い込む量が減って「症状」が軽かったとしましょう。実際のところ、私がどれだけ克服したかはわからないけど、「症状」さえでなかったらそれでいいですもんね。

 ガンだってそうですよ。詳しいことは言えませんが、誰だって今も、細胞は悪くなってるんです。しかし、それが広がる前に自分で抑えているからガンの「症状」がでないだけで、原因となるものはすでにたくさんあるのです。量や免疫力の違いはあれど。なので、病気に関しても、原因そのものをすべて取り除くことができないのであれば、症状がが出ないようにしとけばいいだけ。

 これは「不幸」についても言えますよね。確かに「不幸」には「原因」があるでしょう。それこそ幼少期のトラウマとか斯く斯く然々とか。前世のカルマなんて言う人もいます。しかし、そんな原因さがしばかりするよりも、今の症状どうにかすればいい。つまり「不幸」って「症状」をですよ。

 私が予言の類が嫌いなのもそう。昨年の8月にとある予言ブログに思いっきりかみつきましたが、あれ読んで無駄なパニックなどの「症状」を起こす人がいるんですよね。実際には起こってないのだから「原因」そのものはないはず。だけど、「症状」を起こすことはできるわけで、それはまさに「これから血を3分の1抜きますよ」と嘘を伝えるようなもの。「いついつに巨大地震がきますよ」なんて自信ありげに言われたら、バカバカしいと思いながらも気になるじゃないですか。それで本当にパニック症を引き起こした人だっているのですから。

 なんか、いろいろあちこちしながら書いちゃいましたが、ようするに「原因」など気にせずに「症状」をどうにかしろってこと。不幸の症状があるんなら、ハッピーな症状にフォーカスすればいいだけ。恐れる必要もなし。寒けりゃジャンバー、雨なら傘、病気には保険に健診、花粉にはマスク。そうやって当たり前のことしとけばいいんです。じゃあ、ハッピーになるにはどうすればいいのか。もうおわかりでしょう。ハッピーには笑顔です。

 そんなわけで、とにかく「症状」をどうにかしましょう。どうせならハッピー症にかかっちゃえばいいのです。金持ち症でもいいし、モテモテ症でもいいし、幸せにしかならない症でもいい。願望実現症でもいい。オレはそうしたいね。以上、今日も読み返さずに、そのままアップします。誤字脱字支離滅裂御免。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-28 23:39 | ■人生哲学
 今日はちょっとしたお祭りでした。と言っても、それはネット上の話で、リアルには夕食後にちょっとしたお菓子を食べたくらい。そう、2月27日になった瞬間から、フェイスブック、ミクシィ、メールなどで「お誕生日おめでとう!!」のメッセージを怒涛のごとく頂きました。ありがとうございます。心から感謝申し上げます。

 これで私も39歳になりました。サンキューとか、キューサン(Qさん)とか語呂のいい年齢です。村上春樹が「ノルウェーの森」を書いたのは38歳。人は40歳になる直前、今の自分を絞り出しておきたいものだと言った人がいました。私もいよいよ40歳までのラストイヤー始まりました。2005年にインドで予言された「40歳で本物のお坊さんになる」まであと一年。これからどんな一年になるのかとても楽しみです。いずれにせよ、大きな区切りの一年になることは間違いなさそうです。とにかく今、毎日が本当にワクワク楽しいです。数年前がウソのよう。ほんと。

 でも、最近、つくづく思うのですが、やっぱり「人生」って最初から決まってる感じですね。そんな言い方すると、「だったら何もしなくていい」と考える人もいるので微妙なんですが、それでもやっぱり「決まってる感」を年々感じるようになるのです。そしてこれから先、会う人も決まっている。と言うか、これからの出会いもすべて計画通りの人。なので、変な言い方ですが、最近、誰と会っても初対面の感じがないんです。特に最近はセミナーとかで出会うことが多いのですが、初対面感があまりないので、一度会えばほとんど覚えています。2~3年前にお会いした方とそれ以来の再会であっても、昨日、会ったばかりのように感じてしまう。なので、しばしば驚かれることもあるんですが、私にとっては普通のこと。

 40歳でお坊さんになると言われながら、基本的には予言とか占いとか話し半分で真に受けない質なんですが、それでもその言葉が響いて、いまだに言い続けてるとこ見ると、何か深い意味があるのかもしれない。そんな風には感じています。

 しばしば「夢は実現する」って言い方があり、それに対してある有名なコンサルタントは「夢しか実現しない」としばしば言われています。確かにそうだと思いながらも、私はちょっと違う。私にとっては、「夢以上が実現する」って感じなのです。この場合の「夢」をどう定義するかはるでしょうが、それもし、「思い描いたイメージ」であれば、確かに描かなければ実現しない、と思いながらも、これまでの私を振り返ってみると、「描いてないイメージがどんどん実現してる」って感じの方がしっくりくる。

 と言うか、夢や願望って、自分の意思で設定するのではなく、どっかから「与えられる」ような気がしている。何度も出す例ですが、私はSMAPのメンバーになることを夢や願望に持ちません。しっくりこないから。だけど、本を出すとか、セミナーで全国行脚するとか、インドツアーするとか、そんな願望は自分にもフィットするので、違和感なく受け入れられます。だけど、なぜそんな願望を持つようになったのか、自分でよくわかりません。

 つまり「願望」なんて、すべて「与えられる」ものなんです。ただ、その「与えられる」ためのセンサーの違いはあるかもしれません。医者の子どもとして生まれ、物心ついた時からずっと「将来は医者になる」と言われ続けていたら、その人はきっと医者になるでしょうし、そんな願望を自然と持つようになっていたでしょう。
 
 だけど、これは厳密な意味での「与えられた願望」ではありません。言うなれば「条件付けされた願望」です。親や先生、地域、文化などによって条件付けされた偽りの願望。自分は本当に何をやりたいのか。私は確かに本を出版し、それを願望としてきました。だけど、これまでの人生で、本を出すように言われたことはただの一度もありませんし、元々はあまり興味もありませんでした。ブログだってそう。誰かからか「ブログを書きなさい」などと言われてこともなく、最初は「旅と音楽のホームページを開設したのだから、せっかくなので日記でも書いてみよう」くらいのノリ。だけど、気が付けばたくさんの方に読んで頂いたし、そうなるよう狙ったこともありません。文章だって上手じゃないし、最初から読ませることを目的にしたこともない。だけど、いつの間にか本を出したいな~と思うようになり、その延長上にいろんな夢が広がっている。

 私の中では完全にフィットしてるんですよね、今の感じが。じゃあ、与えれたと言うけど、誰が与えたのか。それはやっぱり、超越的な存在としか言いようがない。神と言ってもいいし、宇宙と言ってもいい。あえて「宇宙」と言うならば、何やら超越的な「宇宙の意思」のようなものがあって、その決められた意思に従っていろんな役割が与えられてるような気がします。その役割こそが、本当の意味での「願望」じゃないかと。

 しかし、その「願望」を受け入れるには、それなりの準備が必要。その準備とは一言で言って、「素直」になることなんじゃないかな。じゃあ、「素直」って何か。それは我がままとか欲深くって意味じゃなくて、どうだろう。自分らしいって言い方もできるし、自由とか自然って言い方もできる。だけど今のところは「素直」って表現が一番しっくりくるかな。

 そして「素直」であれば、突然、「願望」が与えられる。そんな感じです。後はその願望を叶える、と言うか勝手に叶う。その意味で言えば、「夢しか実現しない」ってのも正しいし、「夢以上が実現する」もまた真なり。そもそも与えられた夢しか実現しないし、その夢ってのは通常、自分で考えている以上のことだったりしますから。

 そんなとこで、今日から39歳となり、また新たなスタートとなりました。もっともっと素直に自分らしく生きていこうと思います。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-27 23:39 | ■願望実現
 今日は夜のゴミ捨て以外、一歩も外を出ず、自室にずっとこもっていました。正直、滝に行かなくていいとホッとします。何だかんだとキツイことには変わりないですからね。ちなみに、ちびQはインフルエンザで金曜日からずっと家。だけど、熱は最初からほとんどなく元気に走り回っています。しかも、この週末はばあちゃんに泊りに来てもらって、ちびQも大喜び。ま、これはこれでよかったのかな。保育園に行ってると、この辺の流行りは避けれらませんものね。

 それはそうと、昨日はちょっとネガティブな話をしてしまったのだけど、同級生から思わぬメッセージも頂いてビックリ。読んでくれてる人って結構いるんだな~、やっぱり。でもまあ、昔の話ってし出すとキリないですよね。年に一回くらい高校の同級生と東京で集まることがあるんですが、同じ話ばかりで、それでもかなり盛り上がる。酒の量も増える。何に笑ったのか覚えてなくとも、翌日はひたすら腹筋が痛い。なんやろね、あの感覚。

 それはともかく、教え子がたくさんいると、私みたいなひねくれ者もいるので大変ですね。ま、素直な生徒ばかりでも問題とは思いますが。ちなみに私にとってのベストオブ小学校先生は5年の担任だった、女性の先生です。おそらく当時27歳くらいだったんじゃないかな。小学生から見た27歳だと立派な大人ですが、今の私の年齢から考えると、よくぞやっておられたと感心します。その先生の何が良かったかと言うと、贔屓がまったくなかった。私など大人しい生徒じゃなかったのでよく怒られましたが、それも今思うとすごく納得できるんですよね。当時も、その辺は感じていました。今はもう、50歳超えてるのか。月日ってのは流れるもんです。

 そう言えば、小学校には教育実習の先生もよく来ました。近所の短大からが中心だったので、歳にして20歳前かも。それでも先生は先生と思っていましたが、授業中、泣かしてしまったこともありました。当時は先生が泣くことに驚きでしたが、今思うと、20歳前後なんてまだ子どもですもんね。私がオッサンになっただけかもしれませんが。覚えている限りでは、音楽の授業で、みんなで替え歌を合唱した時。クラスで一番悪さする宮川君が外に出されそうになり、私が率先して宮川君を助けた時。文句あるなら言いなさいと言われて、アホバカと言った時。そりゃ、ま、確かに私も悪いですわ。だけど本心を言うと、あの当時、「悪いことしたな~」って思ったりもしたんですよ。結局、私の一番アカンとこは、悪いと思いながら悪いことしてたこと。

 先ほどの5年の担任だった先生からは、そのことでこっぴどく怒られました。クラスに障害のある生徒がいたのですが、かなり乱暴な口のきき方をすることがあって、しばしばいじめられてたんです。私もよく加担していました。そんなある日、家庭科の調理実習時間に、数名でその生徒をいじめるようなことがあって、私も仲間に入っていたのですが、家庭科担当のおばちゃんの先生が見ているのを見て、やめて席についたのです。私以外の連中はまだ続けていました。その後、クラス全体が放課後に残されて、その家庭科の時間のことを問題にされました。その時、「一番悪いのは石田君だ」と先生から暗に言われました。なぜなら「悪いとわかってやってたから」と。

 その時は自分よりもっとやってた奴がいるのに、なんでオレだけ名指しで何度も怒られなアカンねん、って気持ちでした。しかし、今はよくわかるし、あの直後に先生から一対一でも怒られて素直に謝りました。わからん人間には何度も教えれば済む話。私は悪いってわかってやってたのですから質が悪い。だけど、その先生はちょっとしたことでもすぐに褒めてくれた。叱る時は叱るけど、褒める時は褒める。それは誰に対してもそう。だから好きやったんだと思います。

 私も、小学校、中学校、高校、予備校、大学と、いろんな先生のお世話になってきましたが、それぞれに恩義を感じ、そして私のパーソナリティにも大きな影響を与えていると思います。特にそのベースとして、少年時代からの「宗教体験」は無関係ではないと思っています。小中高と私は新興宗教系の学校に通っており、今はまったく信仰をしていませんが、知らず知らずに思想的影響は受けている気がします。そして先ほど、ホームページで改めてその教義のようなものを見たのですが、なるほど、と思いました。

 個別宗教のことを評価するのはなるべく差し控えたいのですが、その宗教には21箇条の「処世訓」なるものがあって、今、それを見るとすごくよくわかるのです。もし今、私がその項目について説明しろと言われたら、私なりの言葉できちんとお話ができそうな感じ。私自身、いろんな国を旅する中で「宗教」については人並み以上の関心を持ってきたと思います。聖地巡りも好きで、例えばユダヤ・イスラム・キリストの聖地であるエルサレムを始め、仏教の聖地ブッダガヤ、ヒンズーの聖地バラナシ、イスラムシーア派の聖地マシェド(イラン)など、「聖地」はどれもとても神聖な気持ちにさせてくれるものです。クリスチャンではないですが、旅先で教会を見つけるとどこでも入ってしまうし、モスクやシナゴーグも同様。なんか落ち着くんですよね。お寺や神社も言うまでもないですが。

 その関心の延長上に、宗教と経済・社会との関連性を論証したマックス・ヴェーバーの本などは学生時代によく読みました。そのようなフィルターを通して世の中を見ると、日本が経済発展するのもよくわかります。経済発展が絶対的な価値かどうかは別として、日本は長い歴史の中で、知らず知らずに発展の精神的土壌を作ってきたことは確かでしょう。ヴェーバーはその精神的土壌のことを「エートス」と呼んでいるのですが、何だかんだと、日本はそのエートスがある限り、著しく衰退することはないと考えています。その土壌を一言で言うと、月並みな言い方ですが、やっぱり「ちゃんとしてる」んですよね。そのことは3.11の震災後の日本人のあり方が、世界を驚愕させた事実を見てもわかると思います。社会秩序が崩壊するほどの略奪などもなく、レジにはきちんと並ぶ。道をふさぐことなく、通り道を開けておく。それ以外にも、メジャーで活躍しているイチローやマツイが、バットやグローブを大切に扱っていること自体が、周囲の選手を驚かせたとも伝えられています。そんなの日本人にとっては当たり前のことなのに。

 今、日本では経済や社会保障、教育の分野などで、いろいろと問題視されてることが多いですが、私は決して悲観的になる必要はないと思っています。一般の人はあまり関心ないと思いますが、日本は今でも世界最大の債権国です。財政がひっ迫していると言われながらも、海外に一番金貸して、しかも多額の援助までしている国は日本だけです。その援助も半端ないですからね。そう言えば最近、韓国のあるタレントが「独島(竹島)は韓国の領土」と言ったことを受けて、日本のある企業がCMにそのタレントを使うことを見合わせたそうです。そのことが韓国人感情を逆なでし、韓国メディアは「3.11でたくさん寄付したのに、日本は恩知らずだ」と報道したそうですが、いやいやちょっと待って欲しい。震災後に通貨スワップで韓国に5兆円を融資したじゃないですか。これで日本は4兆円の損失があるとも言われてて、もし、それを被災地に回したらもっともっと楽になっているはず。そんなこともちゃんと報道されてない日本ってどうよ、ほんと。実際もし、日本が一切の義捐金を受け取らない代わりに、対外援助をすべて凍結する、そしてお金も貸さないと決定すれば、震災復興はもちろん、雇用も社会保障もすべて解決です。額面の上では。

 だけど、日本のマスコミはとかく「日本はダメだ、ダメだ」とばかり言う。確かにダメな面も多いでしょうが、今でも日本以上に住みやすい国はないと思います。国民満足度調査などをすると、上位にあるのはいつも北欧などヨーロッパ諸国であり、日本はさほど上でもないわけですが、これはあくまで主観的な調査。そりゃ、ダメだダメだと聞かされてたら、ダメって言っとかないとと思うでしょ、多くは。だけど、本当は決してダメじゃない。だからと言って、何もしなくていいわけでもありません。経済を維持するには「成長」が不可欠なので、これからの若い世代もしっかりと働かなきゃダメ。

 だけど、少なくとも日本の良い面、悪い面をしっかりと、できれば外からの評価も含めて見た方がいい。するとどれだけ恵まれた国であることかがわかるし、そうなるための精神的土壌(エートス)は絶対に失われていない。それは3.11を見て、改めて実感したこと。何だかんだと一年間でものすごく復旧していて、世界を驚愕させてるそうですしね。私たちはつくづくいい国に住んでいるものです。

 日本って国は、ほんと、稀に見る「与える国」だと思うのです。債権国と言っても、そのお金は返ってくるとも限らないし、実質的には援助と変わらない。返してもらったところで、また貸してくれと言われたら一緒のことだし。だけど、「宇宙の法則」と言うべきか、与えたものって返ってくるんですよね。利子付けて。確かに日本は取られ損の部分ばかりですが、そうありながらも世界一豊かに国の一つじゃないですか。北朝鮮なんか見てごらんなさい。金くれ金くればかりで、人質までとって、ミサイルで脅して、それでもいつまでたってもじり貧じゃないですか。奪うものは奪われる、与えるものは与えられる。日本人は皆、知ってるんですよ。人の嫌がることはしない、自分で悪いと思ってることもしない。

 話が戻っちゃいましたね。そう、イジメが良くないのは自明ですが、良くないと自覚してやってる人と、自覚しないでやってる人とでは、やっぱり責められるべきは自覚している方。小5の私がそうだったように。そこは平等じゃないんです。自分で悪いと思ってることは決してやっちゃいけない。逆に言うと、自分がやって欲しいと思うことは、積極的に他人にしてあげること。ナポヒルの「思考は現実化する」にも書いてありますよね。

 悪いと思うことはしない、悪いことがわからない人には教えてあげる。良いと思うことは積極的にする。他人が喜ぶことは一番にする。その辺のこと、「当たり前」と思えるのは日本人の特質だと思うのです。海外の債務国の多くは、どうにかして借りた金を返さないで済まそうと思うのが現状なのに。日本は無宗教と言われますが、実を言うと、宗教のいいとこどりを普通にしているだけ。確かに変な宗教はありますが、伝統宗教はもちろん、新興宗教の多くもちゃんとしてるし、言ってることは極めてまっとう。そのまっとうな部分を根本に持っているからこそ、いろんな宗教を受け入れられるのです。

 そして多くの国民が「まっとう」である以上、日本はこれからも大丈夫だと実感しています。とにかく日本に住んでいることが自体が最大の感謝だし、だからこそ何でもできるわけで。感謝の心を忘れず、そして自分らしい生き方をこれから続けていこうと思います。今日も話が脱線しまくりましたが、そういうことで。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-26 23:39 | ■人生哲学
 そんなわけでして、本日、「21日滝行」を満行しました。連日の雨のおかげで、水量もまあまあ多くて、ちょっと痛いくらいの気持ちよさでした。ちなみに写真は私ではありません。
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 3月はおそらく滝行をする日程が取れないと思うので、次に行をする時はもう完全に春でしょうね。2004年8月に初めて滝行をして、2005年が初めての冬越し。私の滝行は「冬越し」を基準に数えていますので、今年で8回目の冬越しが終わったことになります。27日には新たな歳を迎えますし、気分新たにガンガンやっていこうと思います。

 ところで話変わりますが、フェイスブックで私の小学校の頃の担任のページを見つけました。今は隠居されてるようですが、6年間で2回も担任をして頂いたし、いろいろと忘れられない思い出のある先生でした。いい先生かどうかで言うと、いい先生だと思います。教え子の中には今でも心酔されてる方もいるようですし。私が小学生の当時、一般家庭にパソコン(マイコン)はほとんどなかったのですが、その先生はいち早くワープロやパソコンに取り組んでおられました。生徒の成績などもパソコンでデータ管理し始めたり、毎日、生徒の日記をワープロで清書して配るなどされていました。日記と言っても、その日の出来事みたい短い文を毎日書かせて、その中の面白いのをピックアップする感じだったと思います。私は、誰それ先生がプールの更衣室で着替えてるのを見て、チンゲがモジャモジャだったとか、そんな話を書いたことありました。

 それはともかく、その担任だった先生は、おそらく国文学かなんかの専門でもあり、とにかく文章を読ませて書かせることが、他の先生と比べて多かったように思います。私自身もそれがさほど嫌じゃなくて、素直に読んだり、書いたりしてました。そしてとにかく教育熱心だった印象が強く、その先生の悪口を言う生徒もほとんどいなかったように思います。しかし私は、、、嫌いでした。いや、正確には、好きだったと思うのです。と言うか、好かれたいとは思っていました。しかし、なぜか私はその先生から嫌われてる、少なくとも好かれてはいないと感じていました。他の生徒への接し方と比べて、私に対しては妙に冷たいと感じてたのです。褒められることもなく、かといって叱られることもほとんどなく。なので、他の生徒がその先生のことを「いい先生」と言うのがどうも違和感がありました。

 そんなある日、いつものようにパソコンの話になり、「パソコンではこんなこともできる」みたいなのをいろいろ見せてくれました。その時、生徒の成績もこれでデータ管理できるみたいな話で、もちろん詳細は覚えていませんが、一つだけ強く心に残ったことがありました。当時のクラスには、生まれつきハンディキャップを持つ生徒がいたのですが、その生徒は脳にも若干の障害があり、もちろん勉強もできません。テストの成績はいつも10点とか20点。0点のこともありました。

 そのある日、そのハンディのある生徒がなんと75点を取ったのです。ただし、クラスの半数近くが100点を取るような簡単なテストだったので、75点は決していい点数ではありません。だけど、いつも10点とかからすれば、75点はすごくいい点数で本人も大喜び。さらにいつもはクラスで最下位だったのが、その時はそうじゃありませんでした。70点というさらに低い点数の生徒がいたのです。それは私でした。一応言っておくと、私は当時、特別にできたわけじゃないものの、勉強のできない奴なるレッテルを貼られるほどでもありませんでした。もっとできない生徒はまだいたはず。だけど、そのテストだけは、どうミスしたのか70点しか取れなかったのです。

 75点で大喜びしている先ほどの生徒の横で、70点を必死で隠す私がいました。しかし次の瞬間、残酷なことが行われたのです。いくらパソコンでデータ管理をしているとは言え、それはあくまで先生の手元のこと。公表するにしても上位にとどめておくでしょう、普通は。だけどその時に限って、75点を取った先ほどの生徒をベタ褒めし、「それに比べて石田はもっと頑張らないとな、はっはっは!」などと高笑いし始めたのです。よりによってその時だけ。あの時ほど恥ずかしい思いをしたことはありません。ウンコを漏らす次くらいに恥ずかしかった。それ以来、「やっぱりボクは嫌われてるんだ」と思い込むようになり、私の中では「贔屓の先生」と位置づけるようになっていました。実際、ちょっと複雑な話なんですが、親の職業(立場)と生徒への接し方にはどうも相関関係があるような印象もありました。ま、それは私がその先生に対して素直になれなかったから、そう思っただけのことかもしれませんが。

 で、今さっきのことですが、その先生のページをフェイスブックで見つけ、いや、正確には2か月くらい前に見つけていたのですが、文章をしっかり読むのは初めて。その中の一文にこのようなものがありました。

「私は在職中、贔屓する心は最悪で許せないと思ってきました」(←文言そのものは変えています)
 
 なんか突き刺さりましたねえ。「オマエはキング・オブ・贔屓じゃ!」と突っ込みたくなったほどですが、なんか妙に混乱しちゃったのですよ。私の中で「贔屓」と言えば、その先生だったくらいなので。だけど一方で、私が浪人で予備校に通った最初の講義で、ある英語講師が「オレは差別しますよ」と言ったのも思い出しました。しかし、その予備校講師は、私が知る限り差別などなし。どんな学生に対しても平等に接していたように思います。

 そして私はその「差別しますよ」って言う講師が好きでした。その影響かわかりませんが、私も差別することに悪気を感じないし、人間なんだから当然、贔屓も差別もあるだろう、くらいに思っています。例えば私は、我が子とその他の子とは差別していますし、それを悪いとも思っていません。また、私はプロ野球にあまり関心がありませんが、阪神を贔屓する、巨人を贔屓する人がいたって全然かまわないでしょ。もちろん、それとこれとを一緒にするなって意見もあるでしょう。

 だけど、人間ってのは「自我」がある以上、どうしても差別、区別、贔屓はしてしまうもんなのです。究極のところ「悟り」ってのは、それらの「差」がすべて「取れる」こと。当て字のようですが、まったくその通りなのです。人はこの世に対して、例外なく特殊なフィルターを通して見ているわけで、そのフィルターのことを「自我」と呼ぶのです。ですので、ある意味、差別も区別も贔屓も「自我」の宿命のようなもの。ですので、できればその先生も、

「私は在職中、贔屓する心は最悪で許せないと思ってきましたが、知らず知らずにしてきたと思います」

くらいにして欲しかった。いやむしろ、「私に贔屓されるように頑張れと思っていました」くらい言ってもらった方がスッキリする。そんなこと言うと確かに反発は買うでしょうが、現実生活ではいかに贔屓されるかが重要じゃないですか。特にペーパーテストだけで決まらない恋愛だとか就職だとかは、いかに相手から贔屓されるような人間になるかがポイント。だけど、そうやって贔屓の競争にさらされながら、いつかは「人間の本質」に到達することもあるでしょう。それこそ差別も贔屓も何もない「ワンネス」と呼ばれるような世界として。

 とにかくですね、私としては「贔屓」と聞くと、いろいろなエピソードから真っ先にその先生のことを思い浮かべていたのに、その先生自ら「贔屓は許せない」と書いていたことに、なんだか複雑に思ってしまったのです。そんな私はかなりしつこくでひねくれてると自分でも思いますが、その一文を見て、私の中のイヤ~な部分が浮き出てきたように感じました。

 確かに私も贔屓や差別はいけないと「頭」では理解していますが、その贔屓や差別がこの世を作り、さらに便利な社会を形成してきたのも事実。贔屓はよくない。だけど、その矛盾、理不尽を受け入れ、贔屓されるよう努力するのも大切じゃないか。そればかりは理想論ばかり並べても始まらないこと。

 ついでに言うと、1989年にドイツが統一し、ソ連も解体したことで、いわゆる「共産主義」は終わったかのように思われてますが、実は違います。「共産主義」をマルクスの言うものに当てはめるのであれば、「共産主義」を成立させた国や文化は未だにありません。なぜならマルクスの言う共産主義とは、資本主義が限界に直面した、歴史的必然として発展した形であるから。つまり、東欧や中国、北朝鮮などの「共産主義」はその理念だけを社会に当てはめただけであって、「歴史の必然」では必ずしもなかったのだから。むしろ、資本主義のあらゆる矛盾に直面しんがら修正を繰り返してきた日本こそが、本当の意味での「共産主義」と言えるのかもしれません。実際、日本は世界で最も成功した「社会主義国家」だとの言い方もありますから。ここまで所得格差が少なく、そして社会全体の豊かさのパイが大きい国もありませんから。

 ようは、「贔屓はダメだ、差別するな」ってのは、イデオロギーで言う共産主義のようなもので、そんな理念を押しつけてたところで成立しません。実際、北朝鮮を見たらわかるように、確かに民衆は貧しさを「平等」に享受してるのでしょうが、体制側は贅沢三昧じゃないですか。「平等」の理念を推し進めた結果、極端な二極化社会を人工的に作り出してしまったのが、今の北朝鮮の現状。そして皮肉なことに、「不平等(競争)」を推進した資本主義の方が、最低水準の確保の意味で「平等」だったりする。つまり、私としては「贔屓も差別もあるのが社会の現実なんだから、とにかく頑張れ」って言われた方が、やっぱりスッキリするもん。だけど、真のリアリティとは一切の「差」のない世界だったことをどこかで気づく人もいる。そしてそれでいいんだと思っています。

 今日の日記はかなり乱暴な議論になったと思います。特に同じ小学校の卒業生などからすれば(見てる人も多いと思いますが)、その先生のことはすぐに特定できるし、かなり不愉快な気分になるのではと思います。だけど、そんなことを私に書かせてしまうほど、あの一文はちょっとショッキングでした。ま、私の心が腐ってるだけかもしれませんが、このブログには正直な気持ちを書きたいと思っています。

 そんなわけで、滝行とかの修行しながら、まだまだ心根の貧しさは洗い流されない私ではありますが、これからも正直に素直に、それでいて人々のお役に立つ人間になれるよう精進していきたいと思います。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-25 23:39 | ■人生哲学
 21日行の21日目。明日で満行となります。思えば今から7年前の2005年2月。まだサラリーマンで、それもめちゃくちゃな繁忙期でしたが、初めての「21日滝行」に挑戦し、途中、扁桃腺が腫れて熱が38度5分まで上がりながらも、抗生物質でつぶして、そして「無理」をしながら何とか21日間を達成できたのは感無量でした。その日は焼肉を食べて寝たのですが、翌日、日曜日は朝9時から出勤。そのまま怒涛の3連続徹夜で家に帰りついたのは水曜日の午前3時でした。

 その間、誕生日を挟んでいて、ツレ(今のヨメ)がケーキを作ってくれてたのに、3日も明けたので見事に腐敗していました。あのケーキを見た時、さすがに「これはヤバい」と思いましたもんね。そしてシャワーを浴びて布団に入っていると、胸がドキドキ鼓動するのです。そんな日が何度もあり、ひょっとしたら「このまま目が覚めないんじゃないか・・・」と思うこともあり。あの時、病院に行っていたらきっと「ウツ病」と診断されてたと思います。頻繁に霊も見るし、いろいろおかしかったですからね、あの当時は。

 だけど、そんな私をどこかで救ってくれていたのが「精神世界」だったのも事実。21日間の滝行を何とか満行し、「宇宙の意思」を信じるようになり、そんな大変な状況であっても「これは何かある」と前向きに考えることができたのは、やっぱり「精神世界」のおかげでした。21日行を満行した時、導師から「満行後は必ず何か起る、それが何かはわからないけど、頭の片隅においといて」と言われたのもありました。そのちょうど2週間後、いわゆる「声」が聞こえてきて、会社を辞める決意。それまで何度か辞めようと思いながらも躊躇する自分がいたけど、その時ばかりは何の抵抗もなかったんですよね。

その後、残務処理もあるので4月いっぱいまで勤めていたのですが、最後の最後までこき使われて。おまけに有休願いを出そうものなら、ある上司から「オマエを4月まで雇ってるのは、休ませるためじゃないんだぞ」などと言われ、結局、有休消化もほとんどできず、さらに正社員年数が足りなかったので退職金もなし。5月にインドに行った費用を差し引くと、手元には30万円しかありませんでした。その後、何とか月10万円で3か月。4か月目は厚生年金基金を解約した11万円で生活。もう、完全にギリギリの生活でしたが、その9月も「21日行」をやったのでした。

「21日行」をやると「何かが起る」と言われてましたが、その満行直後、あのDVDが突然やってきて、それで息を吹き返し、10月から収入が入り始め、そして現在に至ります。あれから7年。私もよく生き残った者です。それもこれも、すべては「滝行」のおかげ。これだけは断言できます。今では年間100日が完全にライフワークになっていますが、滝に依存とまでは言わないものの、定期的に滝行しなければ気持ち悪い身体になってるかもしれません。ま、それよりも滝行自体が生活にいいリズムを持ち込むのでしょうね。早起きとか。

 そんなわけで、明日で満行となります。また「何かが起る」かな。そう言えば今年はほんと、花粉の症状がまだまったく出ていません。何となく気配は感じるものの、いつもこの時期はヤバかった。でもこの2年くらいはかなりマシかな。潜在意識との対話法を覚えたのもあって。その一方で飛散は例年より遅れてるので、これからって説もあります。来週には京都でセミナー。実家にも顔出す予定。そしてその2週間後には沖縄が待っています。

 そうそう、今回の沖縄ですがキャンセル待ちの方が数名いらっしゃる状態で、本日、メンバーの振込の確認をさせて頂いたので、おそらくキャンセルは出なさそうな感じです。お待ち頂いている方には申し訳ないです。次回もし開催することがあれば、優先的にご案内させて頂きたいと思います。そして今日、19日の宿も予約しました。実際は17日から19日までなんですが、20日が祭日ってこともあり、半分くらいの人が19日も残られます。19日はいわゆる「沖縄の安宿」でして、こんな雰囲気で一人2,600円。安っ!
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 これに夕食と泡盛が込みです。沖縄の生温かい風に当たりながら飲む泡盛やオリオンは格別ですからね。そして今回も「何か」が起るのが楽しみです。あと、簡単に業務連絡。16日の「宇宙となかよし塾in沖縄」はまだ受付中です。普段より人数は少な目なのもあり、かなり濃い話ができると思います。それから3月3日の「大阪オフ会」は開催人数を満たしましたので予定通り開催させて頂きます。こちらも受付中ですが、一応、私のセミナー・ツアーに参加したことがある人まで拡大しました。あまり多すぎてもじっくり語れないので、残り5名とさせて頂きます。希望者はメールをお待ちしています。

 そんなところで、今日はちょっと短めですが、3月は「何か」が起りそうな予感です。もちろん悪いことじゃなくて、とてつもなくいいことが起りそうで、もう、ワクワクです。何が起るかわからないけど、とにかく楽しみです。この感覚が大切なんですよね。それではまた明日。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-24 23:39 | ■精神世界
 今朝4時に外に出ると、なんだか6月の梅雨時のような暖かさ。先日までの氷点下がウソのよう。今回の21日行は雪の日も何日かあり、氷点下で氷を割って入ることも。真冬の滝の醍醐味と言えばそうですが、正直、気温が高くなると気分は楽です。花粉も今のところ症状なし。これからだとは思うけど、何となく大丈夫な気がするんですよね。ちなみに今日は、ちびQが風邪で保育園をお休みしたので、私も一日家にいました。そんな風に対応できるのもまた感謝ですね。

 そう言えば今日、興味深いニュースが。


ニュートリノ「光より速い」は誤り? サイエンス誌

米科学誌サイエンスは22日付電子版で、名古屋大学などが昨年発表した素粒子ニュートリノが光より速く進むとの実験結果は、装置の接続不良による誤りだった可能性があると報じた。光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論を覆す内容として議論を呼び、研究グループが検証作業を続けていた。

 観測結果は昨年9月、名古屋大などの国際共同チームが発表した。スイス・ジュネーブの欧州合同原子核研究機関(CERN)からニュートリノ を発射し、約730キロメートル離れたイタリアのグランサッソ研究所にある観測装置で検出した。約1万6000回のデータから、ニュートリノは光よりも 60ナノ(ナノは10億分の1)秒早く到達し光速を上回ったと結論づけた。

 米サイエンス電子版は、この実験に精通した研究者の指摘を掲載。それによると全地球測位システム(GPS)につながった光ファイバーと、コ ンピューターの電子カードとの接続が悪かったため測定結果に誤りが出たという。接続不良による到達時刻のずれを調べると、ちょうど60ナノ秒だった。ただ、結論を出すにはさらに確認作業が必要だとしている。



 と言うことで、残念ながらと言うか、やっぱりと言うか「光速を超える物質」の発見は間違いだった可能性が高そうです。アインシュタインの相対性理論では、「光より速い質量は存在しない」と論証されていたのを、それを「観測」が覆すのか、、、と世界を沸かせましたが、当初から怪しいとは言われてましたもんね。ノーベル賞を受賞した小柴博士の観測結果とも矛盾してたし。もちろん5月の再試までわからないことですが、おそらく覆されることはないかな、と思います。

 ただ、今回は凡ミスとは言えど、「科学」の面白さを再認識した感じはあります。だって、「相対性理論」と言うと、それこそ「絶対」と言えるほどの大前提じゃないですか。それを覆したと言われると、怪しいと思いながらも無碍にはしない。そして実際、間違いが見つかったら、それを素直に認める。別のジャンルだったら「ねつ造」とかしそうなものを、潔く認める姿勢。これぞ科学。やっぱりオレ、科学、好きだな~。頭悪くてよくわからないこと多いけど、「印象」とか「世論」によって物事が決められるジャンルよりは、やっぱりずっと面白い。スッキリします。

 しつこい話だけど、「血液は腸から造られる」という「千島学説」など、確かに全体を流れる「印象」はいいのですが、だからと言って正しいとは限らない。と言うか、明らかに「間違い」と証明されてるのに、「しっくりくる」などの理由で信じようとする姿勢が問題。血液が骨髄から造られること観測されてるし、一方で腸から造られていないことも観測されているのだから、今後もきっと「血液は骨髄から造られる」って説(事実)が覆されることはない。それは「印象」なんてファクターの入りようのない客観的事実であって、70億の人類が一斉に突然変異でも起こさない限り、今後も血液は骨髄から造られ、腸から造られることはないでしょう。

 ただ、こう言いながらも、「血液が腸から造られる可能性」は「論理的」には0じゃないと思わなくもない。ただし、その可能性は0.000…0001%もないと思いながら、厳密に「0」とまでは言わないでおきます。もちろん「科学的」には0と処理されるのですが、明日私が地球外知的生命体と握手して会話するくらいの可能性は残しておきたいと思います。

 と言うのも、人間の身体ってのはまだまだ神秘の可能性があるだろうから。例えば事故や病気で「声帯」を失ってしまった人が、どうしても声を出したいと努力して、なんと「胃袋」を声帯の替わりにして声が出るようになった人などもいます。まさに「信念」ですよね。信念は不可能を可能にすることもある。

 それから確か戦前の人体実験だったと思うのですが、ある国の死刑囚に対して、「血液を抜くこと」で死刑を執行すると告げました。血液を3分の1失うと死んでしまうそうで、そのことも死刑囚に告げました。そしていざ執行が始まり、自分の血液が抜かれていく様子をモニターで観察までさせられます。まさに地獄の苦しみです。だけど、モニター上では血が抜かれながらも、実際は抜かれていません。しかし、その死刑囚はモニターで自分の血が3分の1まで亡くなったところで死んでしまいました。もう一度言いますが、モニターはあくまでダミーであって、実際には1滴たりとも血は抜かれていません。

 ようするにその囚人は、血が抜かれたという「情報」によって殺されたのです。単なる「情報」であるにも関わらず、「身体」にまでダイレクトに影響するわけです。ちなみに今はそんな非人道的な実験は、少なくとも先進国や公にはなされていませんが、戦前はいろいろあったようです。特にナチス政権下のユダヤ人に対しては、皮肉ながらも、そこで行われた人体実験が医学の発展に寄与した側面もあるようです。

 それ以外にも、沸騰したかに見えたヤカンの水(実際には冷たい水)がかかっただけで、本当に火傷してしまったなどのケースもあるようです。つまり「身体」ってのは、直接の物理的刺激だけでなく、架空の「情報的刺激」だけで反応してしまうものなのです。

 わかりやすい例を言えば、「梅干し」って「情報」を書きましたが、その文字を見ただけで口の中から唾液が出てきた人もいるでしょう。私も書いた瞬間に出てきました。だけど、実際に梅干しを食べているわけじゃない。逆に「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言うように、心の持ち方次第で、身体などいくらでもコントロールできる。滝行やっててもその辺は実感します。氷点下の滝行などすぐに風邪ひくと前は言われましたが、滝行で風邪ひいたことはなし。でも、風邪ひくと思ってる人はひくんでしょうね。

 それから、アンソニー・ロビンズの「一瞬で自分を変える法」の中にも興味深い事例が紹介されてあります。


 オーストラリアのアボリジニには、呪術師が「呪い」をかける習慣がある。強力な呪いの言葉を唱えると、呪われた人は自分は重病にかかり、死ぬと思い込むようだ。心と身体の関係について数多くの著書があるハーバート・ベンソン博士は、1925年に起こった実例を紹介している。

「敵に呪いをかけられたと知った男は、惨めそのものだった。愕然と立ちつくし、呪いをかけた裏切り者をにらみつけ、(中略)。・・・その男は今にも死んでしまいそうだった」

  私はこれほど真に迫った、恐ろしい話は読んだことがない。そして、「信じること」がいかに大きな影響力を持つかをこれほど如実に示す話はない。普通に考えれば、誰もこの男の命を脅かすようなことはしていない。ところが、この男自身が「自分は死ぬ」と信じ込んでいたために、生理機能もそのように変化して、ついには死に至るような、恐ろしい力が働いたのである。(p.131~132)


 
 これらの様々な事例から言えるのは、「情報(精神)」ってのは「現実(身体)」の上位概念にあるってこと。もちろん物理的に身体が不調になって、心まで不調になることはよくあります。だけど、そんな時こそ、心を強く持つことで身体を元気にすることだってできる。その理論でいくと、、、「血液は腸から造られる」と思い込んでいる人は本当に、、、ってことはさすがにね(笑)

 それはともかく、これも実は最近よく書いている「フィルター」なんですよね。私たちはそれぞれ独自の「フィルター」を通して世界を見ていると言いましたが、「呪術」を信じている人にとってはそれもフィルター。ホメオパシーは「科学」と言うより完全に「呪術」ですが、やはりそれを信じている人にとっては効果があるんでしょう。
効果の程度はあれど。

 だけど一方で、ワクチンや予防接種をすると「マヤズム」が立ち上がって、治る病気も治らなくなる、、、なんて「情報」もまた信じている人にはその通りになっちゃうんですよね。ホメオパシーに限らず、自然療法家、代替医療家の中には「通常医療の医薬品は副作用が強い」と言いますが、確かにそんな側面もある(ただし、漢方や薬草の中には毒性の強いものもあるので、自然なものが無害というわけじゃない)。しかし、それもまた「情報」であって、「副作用が強い」と思い込んでいる人、また、それを言う人のことをオセロ中島のごとく信じ込んでしまう人にとっては、本当に強くなってしまう。効果以上に。

 ですので、本来であれば、副作用のある医薬品であっても、お医者さんが「副作用なんて大丈夫ですよ」と笑って言ってもらえれば、患者も安心するし、実際の問題も少ないかもしれない。だけど、今は副作用の説明もちゃんとしなきゃならないし、いわゆる「科学」が真摯であるがゆえに、「情報」としての力を最適に活用できない側面もあるんです(ウソも方便も含めて)。そこが悩ましいとこではあるんでしょうけど、通常医療以外の多くの自然療法、代替医療は都合のよい「情報」を拡大し、都合の悪いものは触れない傾向があります。そしてそのことをつっこまれることも少ない。

 「呪術」とは「情報」であり、「科学」とは「現実」のこと。そして「情報」というフィルターが「現実」に大きな影響を与えてるのも事実。だからと言って、すべてを「情報」に委ねるほど、現代社会は遅れていない。かつては世界のほとんどが「情報」で成り立っていたのでしょうが、それでは問題・限界があることを社会は知っていて、それを改善する過程で「科学」が発展してきて、今日に至るのです。

 ニュートリノの話からかなりそれちゃいましたが、ただ、どんなに「情報」が「現実」に先行すると言っても、宇宙全体の物理法則を動かすにはやはり限界があるし、不可能なものは不可能。果たして今後、光より速い物質が発見されるかと言うと、その可能性を全否定まではしないけど、はやり考えにくいのではと思います。以前、「光速を超えるとは、ゼロよりも遅くなるようなものだ」と聞いたことがあるのですが、そう考えるとわかりやすい。光の速度って、何かと比べられそうな気がするじゃないですか。理論を知らない人にとっては。だけど、ゼロより遅いって何だろうって思いますよね。逆戻りなんて言っても、それはそれで速度がありますから。

 ですので、おそらくは「情報」とは完全に切り離された、絶対的な物理法則がこの宇宙にはあって、それを解明していことが「科学」なわけですよね。なので、最終的に言えるのは、おそらく物理的な絶対法則そのものがゆがめられることはないにせよ、そこに人間の「認識」や「情報」などのフィルターがかかってしまうことよって、あたかも「絶対法則」そのものが相対化され、そこで創られた現実そのものが「真実」のように錯覚してしまう。だけど、それは一人の人生にとってはとても大切なこと。その辺の説明で納得するしかないんでしょうね。

 そんなわけで、ニュートリノの話は、おそらく残念な結果になりそうな気はしますが、その科学的姿勢にはいろいろ気づかされるとこもありました。そんなとこで。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-23 23:39 | ■精神世界
 やっぱり早起き最高。10時に寝て4時に起きる。今は4時から滝に行ってますけど、滝行が終わってからもこのパターンは続くと思います。今日は9時から12時までファミレスで執筆。それから一度家に帰って3時から6時まで図書館のロビーで執筆。これができるのも、ひとえにポメラちゃんのおかげです。ほんと、私にとって革命的なアイテムです。まじ、最強。

 ところで、一昨日書いた「フィルター」の話っていろいろ考えさせられることが多いようです。メールも頂きました。もうちょっとわかりやすく言うと、フィルターを通した世界ってのは色の付いた「サングラス」をかけて世の中を見るようなもの。

 その色ってのが、人によっては赤だったり青だったりだけのこと。だけど、多くの人はサングラスをかけていることにさえ気付かず、「世界は赤いんですよ!」と言って回ってるわけで、もう一方の人は「いや、世界は青いんです!」と反論している。だけど、端から見たら「オマエらサングラスかけてなに言い合ってるねん」ってことですよ。そう考えると滑稽な話ですよね。だけど、私たちは例外なくサングラス(つまりフィルター)をかけて世の中を見てるんです。フィルターのことを、思い込みと価値観とか言い表すこともできますが。

 だけど、3次元に生きる上では、そのフィルターはなくてはならないのも事実。一応、この世の中ってのは、無数の「価値」でできているようなもので、だから面白いとも言えます。以前、ある人たちと食事をしていた時、ちょっと変わった味のご飯が出てきました。それがとても美味しく、だけどどこか知ってるような味。その時、「これ、何の味っすかね~」と何気なく言ったら、年輩のある男性が「そんなの腹に入ったら同じだろ」ってご返答。確かにそうです。どんな味でも腹に入ったら同じ。カロリーの違いくらいはあれど、味はあまり関係ないです。

 ここでの「味」とは「価値」のこと。なので「腹に入ったら同じ」ってのは「価値にこだわるな」って意味でもあります。どんなものでも美味しく食べればいいだけのことで。だけど、あえて言いたい。そんな人生って楽しくないでしょって。

 一切の価値判断をせずに、ただ、淡々と受け流しながら生きること。それはある意味、「悟り」と言っていいような境地でしょうが、それって3次元に生きてる上で、あんまり楽しいあり方じゃないです。ちびQも今年の5月で3歳になりますが、離乳食が始まった当初は、口に運べば何も言わずに食べて飲み込んでくれました。しかし今は、かなり好き嫌いも出てきて、「味」という「価値」にこだわるようになっています。それはご飯だけでなく、オムツなどもそう。先日までアンパンマンのオムツをしていたのですが、その絵柄には二種類あって、一つが「カレーパンマン」で、もう一つが「赤ちゃんマン」。ちびQはカレーパンマンが好きなのか、家でオムツを替えるときは、なぜかカレーパンマンじゃなきゃダメ。形も機能も同じなのに、絵柄にこだわる。それこそ「はいてしまえばどっちも同じだろ」と言いたいとこ。だけど、その「こだわり」が面白いんですよね。

 この、こだわりとか好き嫌いってのが何らかの「価値」に結びつき、そのパターンによって独自にフィルターが完成する。なのでこの世界には70億通りのフィルターが存在するわけで、それぞれがそれぞれのフィルターを通してこの世界を見てるんですよね。で、大ざっぱに言ってしまえば、赤いサングラスか、青いサングラスかの違いであって、どちらも「真実」を見ているわけじゃありません。国や文化間で戦争するのも、赤か青かを言い合ってるようなもの。全体主義か民主主義か、資本主義か共産主義か、キリスト教かイスラム教か、など。

 だけど、もう一度言うけど、それらの「価値(フィルター)」があるのが3次元の特徴であり、人間の宿命のようなもの。なので、それはそれとして認めることも大切。そしてそのフィルターを楽しむ姿勢も大切。だけど、世の中には二通りの人がいて、それはこの世界がフィルターを通して見た世界であることを知っている人と、知らない人。そしてほとんどは「知らない人」だと言えるでしょう。

 赤いサングラスをかけてることに気付かず、「世界は赤だ」と言い張っている。もし、サングラスの存在を知っていたら、「自分が見てる世界は赤だけど、青があってもいいよね」って考え方もできるわけです。だけど、究極的にはサングラスを外した世界を見てみるといい。ただ、言うは易しで、なかなか外れないんですよね。もしも一度でも外すことができれば、この世界は「喜び」に満ちたものであることを知り、状況が変わるとは限らないものの、人生に対する姿勢は変わるんじゃないかな。

 仮に自分に不幸せにするようなフィルターをかけているのなら、まずはそれがフィルターであることを知り、場合によってはかけ直してもいいわけで。では、どうすればサングラス(フィルター)を外すことができるのか。結論から言うと、一発で確実に外せる方法はありません。だけど、まずはこの文章を読んで、「あ~、なるほど、そんな考え方もあるのか」くらいに受け取ってもらえればOK。その上で本当に外したいと思うのであれば、その情報なんてナンボでもあります。例えば、ディーパック・チョプラ博士の「富と成功をもたらす7つの法則」などは、字数こそ少ないですが、実はこれだけで十分。ただし、ちゃんと理解するのは簡単じゃないでしょうが。私も最初読んだ時、チンプンカンプンだったけど、ある日、突然、ぶわ~って理解できた感じ。あ、なるほど、あの感じだったのか。

 特に方法論としては、第一章の「純粋な可能性の法則」にすべて書かれてあって、このブログでも何度も紹介したと思いますが、つまり、

1.「沈黙」の実践方法
2.朝30分、夜30分の瞑想
3.「今日、私は何も判断しない」
4.自然とふれあう


の4つで完璧です。それ以外にもっといい方法があるかどうかで言うと、ま、ドラッグとかヨガとか呼吸法とかあるんでしょうが、違法だったり、金かかったり、ちゃんとした指導者が必要だったり、簡単じゃないですもんね。

 ま、裏を返せば、「フィルター」ってほとんど上の4つと逆の世界ですもんね。「沈黙」どころか、自我のおしゃべりばかり。瞑想によって情報を遮断することもなく、判断の連続。「自然」ってのは川や森って意味でもあるけど、自然のもつありのままの姿にアクセスしなさいってこと。人工的な環境にいる日常だと、なかなかそんなわけにもいきませんからね。

 今日は何でこんな話したかと言うと、現実生活がフィルターを通した見た世界であれば、「死後の世界」、「幽霊」、「宇宙人」、「オーラ」、「前世」なんてものは、もっとフィルターを通したものだってこと。「この世は幻想だ」と言うと、スピ系の人の多くは「そうだ、そうだ」と共感してもらえるのに、これは別に「あの世」が真実って意味でもないですからね。その前に「あの世」の定義もありますが、一般的に言われる「死後の世界」のような「あの世」なんてのは、現実生活以上にフィルターを通した世界。

 「目に見える世界=幻想」、「目に見えない世界=真実」ってわけじゃありませんからね。「オーラ」なんてその典型で、あんなの誰だって見える。周辺視野で見た対象、それがオーラです。だけど、なぜかオーラの色とか大きさとか、そんなものに「価値」を見いだして、そこにいろんな解釈を求めてしまう。オーラの色なんて、特別なものじゃなくて、その人をイメージする色ってあるじゃないですか。水色っぽい人とか、ピンクっぽい人とか、黄色っぽい人とか。そのイメージにオーラを被せてるだけ。オーラが汚れてるなんて言い方する人もいますが、そんなの表情とか姿勢を見たら普通にわかるでしょ。憂鬱そうな顔見てたらわかるわけで、オーラなんて言い方する必要もない。

 人を「あるがまま」に見るって、オーラだのなんだのって判断することじゃない。文字通りあるがまま。サングラス、フィルターを取っ払って、その人の「純粋な可能性」にアクセスすること。そしたら結局、「大丈夫」ってことしかないですもんね。ただ、それ言ってもお金になりませんから、オーラの色とかいろんな情報与えて判断するわけですね。

 とにかく、私たちは常に「サングラス」かけて世の中を見てるってこと。外せなくとも、まずはそのことを理解する。オーラを見るなんてのは、サングラスに特殊なシールを貼ってみるようなもの。そんな「特殊」なツールなど必要ないんですよ。スピリチュアルってのは、何か特別なことのように思われがちだけど、決してそうじゃない。余計な情報に惑わされることなく、ただシンプルに。とか言いながら、このブログも「余計な情報」かもしれませんけど。その辺は各自で「判断」してください(笑)

 そんなところで、また明日。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-22 23:39 | ■精神世界
 今朝は3時55分に起きて滝行。気温は5度でしたが、雪があがったので体感的にはかなり楽でした。いよいよ本格的な春の香が感じられて、わくわくしてきました。花粉も今のところなし。いつも誕生日の27日から3月上旬にはピークを迎えるのだけど、今年はまったく大丈夫だぞ。このまま乗り切れば、3月中旬には沖縄が待っています。今まで2回ほど3月に沖縄に行ってますが、スギ花粉がないのでほんと楽です。最近早寝早起きが習慣化していますが、沖縄でもぜひ早起きして一日を有意義に過ごしたいと思っています。

 初日は恩納村のホテルで優雅に楽しく。二日目は久高島ですが、島の宿はほんとなにもない。ですので、たっぷりと瞑想したいと思います。宿は和室なので、夕食後に車座になって2~3時間ほど瞑想。みんなでやると入り方が全然違うので、瞑想中に起こったことなどをシェアし合うのもいいなあ。生まれ変わりの儀式の後ですので、いよいよ何かが起こりそうな感じ。そして翌朝も日の出前には起きて瞑想。いや~、楽しみです。久高島では基本的にお酒はなしで。三日目は一応解散ですが、半分くらいのメンバーがその日も泊まるので、那覇の安宿にみんなで泊まることに。その日はゆんたくなどしながら、夜通したっぷり飲みたいと思います。沖縄最高。

 そう最近、MixiやFacebookを見ていると、早寝早起きする人が増えているような気がします。Facebookのウォールに早朝のメッセージを書き込むと、すぐさま「いいね!」が連続します。最近はほとんど4時起きですが、以前は1時に寝て7時半に起きるなんて生活だったのが、今年になって10時に寝て4時には起きるようになっています。今までは10時から3時間ほどだらだらと過ごしていましたが、今は4時に起きて7時までは誰にも邪魔されない完全に自由な時間になっています。その時間にブログも書くのですが、ネットのつながる自室ではなく、コタツの部屋でコーヒー飲みながらポメラDM100で執筆に集中。本の執筆もこれでだいぶはかどっています。とにかく早起きはいいですよ~。沖縄メンバーも早起きにお付き合い頂きますので、どうぞヨロシク!

 そう言えばFacebookで思い出したけど、今日、めちゃくちゃなつかしい人と再会することができました。私より2コ上の男性ですが、小学生時代のガキ大将。よく危ない遊びをさせたりするので、私たちの親からは危険視されていましたが、ある日、親の転勤のため突然いなくなりました。その方がいなくなり平和が訪れた一方、かなり寂しい思いをしたことを覚えています。その人の名は通称Tにいちゃん。今や日本のトップドラマーの一人としてしばしばテレビなんかでも見かけます。ちょうど今は東方神起のバックバンドでツアー中のようですが、幼なじみがそうやって活躍する姿を見るのは嬉しいもんです。

 当時、私の同級生でトシヤ君という親友がいたのですが、彼とは今でも2年に一回くらいは東京で飲むことがあります。高校時代の仲間と飲むと、当然、高校時代の話に花が咲くのですが、トシヤ君は小学校から一緒なのでTにいちゃんの話をよくします。私はそうでもなかったのですが、トシヤ君はよく泣かされていました。そんだけ特別に仲良しだったのですが、今思い出しても理不尽なことが多かったです。仮面ライダーごっこの配役を決めるのに、Tにいちゃんは絶対に「スーパーワン」をとります。一応、じゃんけんで決めるのですが、Tにいちゃんは必ず最初にグーを出します。そのパターンを知ってたので、私はパーを出しながらも、一応、一番好きだった「スカイライダー」を選ぶのでTにいちゃんとはバッティングしませんでした。だけど、ある日、Tにいちゃんがあまりにも理不尽だったので、いつもようにパーを出してじゃんけんに勝ち、その時、私は「スーパーワン」を選んだのです。その時のTにいちゃんのセリフは今でも忘れません。

 「オマエは最初にパーばかり出すから反則だ、だからオレがスーパーワンだ」と、これまた理不尽な言いがかりをつけて、結局、Tにいちゃんがスーパーワンで、私はスカイライダー。Tにいちゃんから目の敵にされているトシヤ君はしばしば「ライダーマン」にさせられるのですが、Tにいちゃんの同級生であるKにいちゃんは、ライダーマンのバイクが一番かっこいいとフォローしていました。ライダーマンだけ装飾のない普通のバイクなんですけどね。しょーもないこと覚えてるな~オレ。

 覚えてるついでですが、キン肉マンの話させてください。毎週月曜日になると週刊プレイボーイのウェブ版で楽しみに読んでいます。最近は特に面白いので大興奮でMixiやFacebookに書き込むのですが、悲しいことに、誰も話に乗ってこないのです。ちなみに今、キン肉マン二世が終わって、なんと旧キン肉マンの「王位争奪編」の続きが始まってるんですよ。しかも今活躍しているのが、七人の悪魔超人。突然、ステカセキングが出てきた時、PCのディスプレイに向かって真顔でこぶし振り上げて「うお~!」と叫びましたもん。ネットでもお祭り騒ぎ。全国のキン肉マン世代の気持ちが一つになった瞬間です。当然のこと、Twitterでゆで嶋田先生にお礼のツイートをしましたけどね。ちなみに以下の画像はネットで拾ったのですが、右が初登場のステカセキング、左が最新のステカセキング。新旧とも登場シーンが同じなとことか、世代の心を完全に鷲掴みにしています。今のゆでたまご先生なら抱かれてもいいと思っています。
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b0002156_7413470.gif ちなみに、最初にキン肉マンの魅力を教えてくれたのが、当時のKにいちゃんでした。Kにいちゃんの家にはコミックが2巻を除いて全巻揃っていて、「これ見て」と見せてもらったのが、確か10巻か11巻。テリーマンがマウンテンをブレーンバスターで破って、グランドキャニオンに転落したと思いきや、ヒモの切れたブーツを片手に登場するテリーマンの姿。真顔でカッコいいと思いました。(これね⇒)

 当時、私はプロレスも大好きで、中でもテリー・ファンクはアイドルでした。そう言えば、テリー・ファンクはテリーマンのことを知っているのだろうか。テリー(ファンク)の何がカッコいいかって、あのラフファイトと根性ですよ。試合をしても、いつも順当に勝つわけじゃなくて、必ず血みどろのピンチなりながら、最後は逆転する。テリーマンと同じやんけ。で、どんなピンチになってもギブアップしない。アナウンサーも「テリー、万事休すです。だけど、絶対ギブアップしないでしょうね」とか興奮気味に言うのですよ。

 テリーファンクの引退試合もテレビで見ました。最後はアナウンサーも「テリー!カムバックしてくれ!」と絶叫するのですが、私も「テリー!止めないでくれ!」と握り拳あげたものです。最後は感涙ですよ。テリーはその後、期待に応えてカムバックしれくれましたのですが、その頃、私の中ではブームは去っており、当時の心境としては、「別にカムバックせん方がええ」とか冷ややかに評価してましたもんね。現金なものです。だけどほんと、引退劇が派手であればあるほど、カムバックはしちゃいけないのです。その典型が都はるみ。NHK紅白歌合戦を最後に引退したのですが、あの引退劇によって、間違って「ミソラ」と言ってしまったNHKアナウンサーが更迭されながらも、結局、都はるみは帰ってきました。その後のぐずぐずさ加減はご存じの通り。やっぱ、引退すると言ったら、素直に引退して出てこない方がいいのです。山口百恵みたいに。引退後に返り咲いたスターなんていませんものね、私の知る限り。なので、私も88歳までこのブログ書き続けます。

 どうでもいい話ばかりですいません。ついでに続けます。最近、10時にちびQと一緒に寝るようになってるのですが、布団に入ってからもいろいろお話をしてくれます。昨日は保育園の友達のもなちゃんから、おもちゃのフライパンで叩かれたそうで、「もなちゃん、フライパンで叩いた、わるいよ~、あきらくん、泣いた」とか報告してくれました。30分くらいその話ばかり。それ以外にも、「のりちゃん、ガブした(のりちゃんに噛まれた)」とか、ちびQは優しい性格なのか、いつもやられてばかりのようです。でも、ちびQがやられていると、友達のれゆちゃんがいつも助けてくれるそうで。どうなることやら。最近、「怖い顔して」と言うと、この顔をします。ぜんぜん怖くないんですけど。
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 それはそうと、昨日も一通り報告が終わったのですが、しばらく無言で天井を見つめてるんです。そして「おとーさん」と呼ぶので振り向くと、「あれ」と言って天井を指さします。部屋はいつもカーテンを閉めてるのですが、外で車が通ったりなんかすると、カーテンの隙間からライトの光が差し込んだりします。光がぶわ~と動くのですが、それ見て、思い出しました。私も物心が付いた時、同じように車のライトが部屋に差し込んで動くのを見ながら寝たな~って。その瞬間、私の小さい頃のことをいろいろ思い出して、しばらくちびQと一緒にライトを見ながら、気が付けば寝ていたようです。

 そんなわけで、今日はちょっと昔の話ばかりになりましたが、たまにはいいでしょ。よかったら「キン肉マン」も読んでくださいね。それではまた明日。ありがとうございました。

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【沖縄】3月16日(金・夜):宇宙となかよし塾 in 沖縄
by katamich | 2012-02-21 23:39 | ■日一日
 今日から新たな一週間がスタート。週末はほとんど執筆ができなかったので、今日はまたファミレスにランチとドリンクバーで3時間ほど執筆してきました。書いているといろいろアイデア浮かんでくるもんです。結局のところ、動くしかない。脳を活性化する最も良い方法は身体を動かすこと。これは脳科学的にも立証されています。明日は午前中から外に出て執筆してこようと思います。家でやるとついネットしたりウトウトしたりしますもんね。意志の弱い私です。

 そんなわけで2月もいつの間にか残り10日。この調子だと今年もあっという間に終わるんだろうなあ。でも、今年は私にとっていろいろ楽しみなイベントが待っています。特に今年は仕事面での飛躍が著しそう。予定ではスピ系の本を一冊、ビジネス系の本を一冊出そうと思っていますが、前回出した2009年と今とでは、私の状況も随分と変わったものです。そして2009年もまた飛躍の一年でした。

 そのきっかけはいろいろあったと思うのですが、私の中ですごく印象に残っているのが、3月に行った久高島での「儀式」だと思うのです。「儀式」と行っても大げさなことがあるわけじゃないですが、「『人の子』から『神の子』へと生まれ変わる儀式」をやって頂けるのです。それは久高島の最先端カベール岬にて、一度、子宮に入ってから出てくる儀式。その瞬間、私自身のフィルターが一気に変わった気がしたんです。

 そもそも私たちが見ている世界とは、ありのままの世界ではありません。70億人の人類がいれば、70億通りの「世界」があり、それは70億人それぞれの「フィルター」を通して見た世界。もしその「フィルター」の共通項が多ければ、それが「文化」となり、集合的な見方の世界となります。例えば英語で「rice」と言えば「米」のことですが、日本語ではそれ以外に「ご飯」「稲」「苗」「ライス」など様々な呼び方があります。それは日本が米食文化だからであって、アメリカ人が「rice」と一言で表すものを、私たち日本人はたくさんの言い方で表現する。それが文化的フィルターなのです。

 だけど、究極的には個人個人70億通りのフィルターが存在してるわけで、例えば「雨」と現象を見たとき、ある人は「鬱陶しい」と感じるけど、別のある人は「清々しい」と感じることもある。ありのままで言えば「雨」は「雨」という現象以上のものではありません。そこに何らかの意味付けをする人がいるだけで、その意味付けする媒体が個々のフィルターとなっているのです。

 そのフィルターは同じ国や文化だと似たようなとこはありますが、二つとして同じものはありません。「世界」はそもそも無色透明。そこにそれぞれがフィルターをかけながら見ることで、様々な「世界」が登場するんです。例えばもし、会社の上司や同僚とで、どうしても意見や価値観の合わない人がいれば、それは相手がバカとか思うのじゃなく、「あ、私とはかけてるフィルターが違うんだな」と冷静になっていればいい。そしてそのフィルターをちょっと借りてみると、また見えてくる世界も違ってくる。それを「理解」と言うのです。

 現実世界もまたすべて「幻想」だと聞くことがあるでしょうが、それはつまり同じフィルターはこの世に存在しないって意味。「世界」をありのままに見ていない以上、世界はすべて幻想なのです。逆に言えば、「幻想」から解放される、つまり真の「目覚め」を体験するには、フィルターそのものを取っ払ってしまうこと。その方法の一つが「瞑想」なのですが、その話はまた別の機会に。

 いずれにせよ、私たちは何らかのフィルターで世界を見ているわけですが、人生を変えるには、そのフィルター自体を掛け替えることが必要。願望が叶わない状態から叶う状態へと変化させるためには、目の前のフィルターを掛け替えればいいだけ。とても簡単でしょ。では、どうすれば掛け替えられるのか。

 例えば「一冊の本を読む」でもいいし、「セミナーや講演に参加する」でもいい。例えばこのブログ自体も、私のフィルターを皆さんに紹介しているようなもので、阿部俊郎さんには阿部さんのフィルターがあるし、小飼弾さんには小飼さんのフィルターがあって、その世界観を読者は共有することができるんです。ブログは一般の書籍と違って、出版社や編集者のフィルターが介在せず、その人の生の純粋なフィルターを楽しむことができるから面白いんです。なので、特定のブログを読み続けることもまた、フィルターの書き換えには効果的。

 そしてそれ以上に効果的なのが、やっぱり身体を使うこと。つまり「行動」です。中でも「旅」はすごく効果的。インドなんかに行っちゃうと、価値観が変わると言われますが、その価値観ってのもフィルターのこと。その一つとして、例えば久高島のような神聖な場所で、最後の神人と呼ばれる方にお世話いただくこと。素晴らしい経験になることでしょう。実際、前回に行ったとき、「これからもセミナー講師としてやっていこう!」と決意するきっかけになりましたので、その意味でもすごく貴重な体験でした。
 
 それはともかくとして、人生を変えるには、その人生は「フィルター」を通したものであることを理解する。すべてはそこからスタートですからね。そう言えば滝行もそうかもしれませんね。真冬に毎日打たれていると、目の前のフィルターがどんどん変わっていくようです。とにかく頑張りましょっ。それではまた明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-02-20 23:39 | ■精神世界
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