宇宙となかよし

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 今日で5月も最後。昨日、正月のような気がするくらい月日が経つのは早いな~と感じます。そして今日は久々に「宝満山」を登ってきました。正直に告白しますと、5月に入ってなぜか体重が増加していました。心当たりはあります。朝、ちびQを保育園に送った帰り、習慣的にコンビニに寄り、そこでなぜか菓子パンやアイスを買っている自分がいたのです。そんなに食べたくもないのに、なぜか買ってしまう。まるで神経症のごとく。そんな感じで、久々の宝満山は思った以上にきつかったです。あ~重力に逆らって歩くのはしんどい、、、なんてことを思って。そんなこともあって、今はお菓子、アイスの類を禁止しています。滝行が終わっても自分で買うのはやめることにしました。

 ところで、山登りっていいですね。いろんなインスピレーションが降りてきます。そう言えば思い出した。昨日の黒斎さんのトークライブ後の懇親会で出たんですが、そもそも「人は食べなくても生きていける」って話。実はこれは「本当の話」だと思っています。先日、インドで70年間何も食べてない男性がニュースになっていましたが、これは決して特異体質ではないと感じています。もちろん現段階では特殊な部類になるのでしょうが、生来の人間としては特別なことではないと。要するに生きてけるだけのエネルギーを何らかの形で摂取できていればいいわけで、そのインドの男性のように「太陽」からエネルギーを得ることがあってもいいのでしょう。詳しい記事がありました。

何も食べず、何も飲まない人々 - 人は不食で生きられるか 
太陽を食べる男 NASAが研究へ 
65年間、水も食料も摂らずに生きる男 

 もちろんまだまだ解明されていないことも多いのでしょうが、常識的に言えば人は「食べ物」でエネルギーを得るようになっています。しかし、そうなったのは人間の生得的な条件ではなく、ただ単純に「思い込み」がそうさせているとも考えられます。

 そもそも人はなぜ食べたくなるのか。それも必要以上に。一説によると、これまでの人類は「飢餓」と闘ってきた歴史があり、それがDNAとして受け継がれているからとも。つまり歴々と「食べなければ死にますよ」という「思い込み」が人類の集合的無意識としてあり、それが単純に受け継がれているだけ、とのこと。ですので、必要以上に食べたくなる人は、いつか起こるかも知れない「飢餓」に備えて、余分なエネルギー・カロリーを蓄えようとする、非常に原始的な習慣に支配されているのです。

 ある研究によると、人間が生きていく上で最低限必要なカロリーは500KCalであり、それ以上は生きていく上では余分なエネルギーであると言えます。にもかかわらず、多くの人がそれ以上のカロリーを毎日普通に摂取しています。この習性自体も「飢餓に対する恐れ」が根底にあるのでしょう。しかしもし、太陽からエネルギーを摂取できることを知れば、まず「飢餓」という概念がなくなります。しかしそれは今現在も飢餓に苦しんでいる人たちも含めて、人類は食べなければ死ぬという強い思い込みに支配されていると言えるでしょう。

 実は昨日懇親会で面白い写真を見せてもらいました。その写真に出ている人の名前を言うのは差し控えますが、知る人は知るとある研究者の方。私も個人的によく知っています。なんとその方はお札を中に浮かしているのです。それは断じてマジックではなく、その人のハンドパワーであるとかないとか。よくわかりませんが、もしそれがマジックでないとすれば、その人の「確信」のようなものが、そのような現象を引き起こしたのだと言えます。

 正直、スプーンを曲げるのは簡単です。そもそも曲がりやすい形状をしている上に、曲がるイメージをしっかりと持てれば、誰でも簡単に曲がります。驚くほど簡単に。雲消しについても、消えたイメージができれば、ほぼ完ぺきに消すことができます(が、それが思いの力なのか判断できないので、今はあまり言わないようにしています)。あと、テニスボールを二つ三つ上に重ねるのも、そのイメージができれば簡単。つまり難しいと思われることであっても、それはそれ自体の難易度と言うより、周囲を含めた「思い込み」の強さ加減によるものだと思われます。

 そうやって考えると、客観的に難しいものなど存在せず、すべては一人ひとりの「認識」や「思い込み」が世の中を作っているのではないか、と。このことは「世の中」を説明する上での、実は基本なのかもしれません。そもそも私たちの世界は、一人ひとりが「認識」しているから存在するという考え方がある通りのこと。今、私はパソコンの前にいますが、それは私がパソコンを「認識」しているから存在しているのであって、認識していなければそれは存在していないのと同じこと。この辺の議論は今までも書いてきたので今日は割愛しますけど、古典物理学に対する量子力学などがその世界観を証明しています。

 ですが、それは2500年前にお釈迦様が「色即是空」と言った通りのこと。つまりこの世のもの(色)とは、すべて情報(空)で成り立ってますよ、と。今、「情報」と言いましたが、実は私たち人間を取り巻くほとんどすべてが「情報空間」での出来事であって、客観的な「物理空間」が独立して存在することはほとんどありません。

 ですので「食べなければ生きていけない」という常識もやはり「情報空間」において作られた世界観に過ぎず、それは「物理空間」を支配していますので、食べなければ本当に生きられない身体になってしまうのです。ですが、逆もまた真なりで「食べなくても生きていける」という「情報空間」を持つことができれば、私たちの身体もまた食べなくても生きてけるようになるのかもしれません。

 そう考えると、いかなる「情報空間」を生きるかが、願望実現においても、自分らしく生きることにおいても重要なことになるのでしょう。先ほどのハンドパワーでお札を浮かす人にとっては、お札は浮くものなのです。スプーン曲げができる人も同様。あ、そうだ。今度の東京セミナーではぜひ「スプーン曲げ」を皆でやってみたいと思います。今まで曲がらないと思っていたものが、いとも簡単に曲がるのを体験すれば、それまでの常識が音を立てて崩れていくでしょうから。他にもいろんな実験ができます。例えば私の好きなコイン投げ。普通にやれば表と裏が出る確率は50%ずつなんですが、「思い」の力によってそのパーセンテージを変えることだってできます。不思議な話ですが、何度もやっていると徐々にトランスに入るようになり、かなりの確率で思い通りの面を出すことができるのです。これまた実験した人がいます。

 これはあらゆることに応用ができます。もしも自分は「お金持ちにならない」と思っているのであれば、それはその人にとっての「常識」であり、作り上げられた「情報空間」であると言えます。そこでその「情報空間」を自由に書き換えるための前提があります。それは何か。スプーンを曲げる際も同じこと。そう、

〇〇ッ〇〇

することです。別に伏字にする必要もないのですが、答えはそのまま昨日の日記にも書かれてあります。「常識」とは「常に抱いている認識」のことであり、多くの人は社会的であれ個人的であれその「常識」にとらわれています。さっき言った「食べなければ死ぬ」ってのも、社会的に形成された強い「常識」の一つですよね。これはもうカチカチなのです。昨日の日記になぞらえて言えば、氷のように固まっているのです。

 そこでその氷を溶かすことで、「常識」さえもが溶けていきます。するともう「何でもアリ」の状態になり、自由に「情報空間」を書き換えることが可能になります。その秘訣が、もう一度言いますが、

〇〇ッ〇〇

することです。自分はお金持ちになれないという、個人的な「常識」を持っている以上、その人は永遠にお金持ちにはなれません。しかし「お金持ちになりたい!なりたい!なりたい!」と強く思っていても、その人は永遠に実現しないでしょう。そこで

〇〇ッ〇〇

すること。「なりたい!なりたい!」とガチガチに願っている限りは、氷も溶けません。その思いを溶かすことが重要で、それが、

〇〇ッ〇〇

することなのです。しつこいですかね。〇〇ッ〇〇するとスプーンも簡単に曲がります。ぜひ自らの「常識」を溶かして頂きたいものです。てなことを偉そうに言いながら、どうもお菓子の誘惑には弱いものです。酒、タバコ、への煩悩は完全にないのにお菓子やアイスには弱い。でも、土曜日から一度も食べてないのは、最近の私にしては珍しいこと。そもそもお菓子を食べなくても死なないのに、つい食べてしまう。コンビニに入ると、ほとんど条件反射のように買ってしまう。コンビニがトリガーとして、お菓子を買うことがアンカーとなっているのでしょう。でも、意識すればそのような煩悩には支配されなくなります。やっぱり意識は重要ですね。

 とにかく私にとっての「願望実現」の第一は、体重を落とすこと。それ以外の願望はほとんど叶っているのですが、これだけはなかなかね。正直に告白しますが。この際、ジェームス・ス〇ナーも道〇さんも本〇健さんも太ってるなんてことは言わずに、しっかりスマートになってやろうと思います。いつも偉そうなことばかり言ってごめんなさい。

 でも、よくよく考えると、〇〇ッ〇〇してれば腹も減らないですよね。食べ物に意識を向けてしまうから腹が減るのであって、力を抜いてしまえば腹も減らない。至極簡単な理屈ですが、無意識の力は強いですね。こんな弱い私ですが、一歩一歩強くなっていきたいと思います。

 実は今日はビッグバンの話をしようと思っていたのに。山登り中、ビッグバンのことばかり考えてて、ついにビッグバン以前の世界を知るに至ったのです。でも、今日は長くなったし、書いてもつまんないと思いますので、今日はこの辺にしときます。宇宙が始まるビッグバンの前は・・・これはすごかったです。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-05-31 23:39 | ■精神世界
 今日も朝から滝。梅雨入り前の5月は、すごく気持ちがいいです。今日は午後から「あの世に聞いた、この世の仕組み」の雲黒斎さんのソロトークライブに行ってきました。直接お会いするのは昨年10月の阿部さんとのコラボ以来かな。今日はソロということもあり、どんな話が飛び出すか楽しみにしていました。

 会場はさすがの超満員。福岡でこれだけの集客はめったにない。黒斎さんの人気のほどがうかがえます。会場には私の知り合いもたくさん。14時ちょうどに黒斎さんが登場。若干スベリ気味のギャグからスタート。これが許されるのも黒斎さんの人柄かな(←皮肉じゃないです)。その後は近況をまじえながら、黒斎ワールドに引き込んでいきます。巧みな比喩を用いながら「あの世とこの世の真実」を伝えていきます。終わったのは16時半でしたが、私が言うのもなんですが、100%共感できる内容でした。

 前半部分は「氷を溶かす」って話。「私」と「神」の間には水の詰まったパイプがあり、普段はそれが冷凍庫で凍っているために、「私」と「神」の間も氷で詰まっている。この「氷」のことを「思考」と呼び、まさに「氷が固まった→凝り固まった思考」の状態が普段の私たちってこと。そこで「私」と「神」がつながるためには「氷」を溶かすことが必要で、それはつまり「思考」をしない、考えない習慣が重要であると。

 この辺りはよく聞く話ではありますが、「氷」の比喩は確かにイメージしやすいです。そして「神」とはインスピレーションの世界であり、「氷」を溶かすことで、無限のインスピレーションを得ることができる。黒斎さんは、その「神」なる世界を「雲さん」と呼んでいるようですが、それは誰にでも存在する、と言うか、元々は「自分=神」だという事実があるだけです。

 (ここからは私の見解となります)この話を私なりの表現で言うとすれば、「私」が「意識」であり、「神」が「無意識」となります。言葉の定義はややこしいのですが、このでの「無意識」とは私たちの単なる身体反応ではなく、もっと奥深い、それこそ「超意識」と呼ばれるような領域のことを言います。それを「脳」に当てはめると、「意識=大脳」であり「無意識=小脳」となります。本当は前頭葉とか脳幹とかいろいろ細かい部位はあるのですが、大雑把に「私=意識=大脳」で「神=無意識=小脳」とさせて頂きます。

 「小脳」ってのは「小」とは言うものの、無限のデータベースが詰まっており、そのビット数は大脳の14万倍と言う人もいれば、それ以上のまさに無限倍だと言う人もいます。例えば30年間生きてきた人がいたとして、小脳はその30年間すべてのデータベースを蓄積していますので、時にある特殊な方法を用いることによって「生まれた瞬間」を再現することもできます。よく聞くのが死ぬ瞬間の話。運よくそこから生還した人のほとんどの人が、これまでの人生を走馬灯のように見てきた、と言います。死ぬ瞬間とは究極に「思考」がない世界。その瞬間、「小脳」のデータベースが一気に「大脳」に送り込まれるのです。

 それ以外のケースだと、いわゆる危機一髪で助かった人の話。ある人はダンプに跳ねられ数メートルも飛ばされたそうです。時間にして1秒足らず。しかしその間にそれまでの生涯がまさに走馬灯のように流れたとか。その中で自分が昔、「柔道」をやっているシーンが出てきたそうです。その時、必死で「受け身」の練習をしていたのですが、まさに自分が地面に叩きつけられるその刹那、勝手に柔道の受け身をするよう身体が動いて一命を取り止めたとか。

 これらに共通するのは、まさに「一瞬」にして「小脳」から「大脳」へと大量なデータが送り込まれたこと。しかし、本当のことを言うと、「小脳」のデータベースとは自分の体験に限られたものではなく、まさに「アカシックレコード」と呼ばれるような、全宇宙の叡智が蓄積されているのです。それを私たちは「神」と言うことがあります。

 黒斎さんと「雲」さんとの交信が始まったのも、似たような状況からなのだと思われます。もう少し理屈っぽい話をさせて頂くと、「大脳」と「小脳」の間には「視床」という部位が存在します。それは「情報の関所」と呼ばれることもあり、普段はここで「小脳」からのデータを選別して「大脳」に送り込むようになっています。しかし、情報の関所とある「視床」の働きが弱くなるとどうなるでしょうか。「小脳」から一気に「大脳」へとデータが送り込まれることがあるのです。

 そして「視床」の働きを弱める物質こそがドーパミンやセロトニンなどの脳内ホルモンです。黒斎さんの場合もセロトニンを大量に分泌するきつい薬を飲んでおかげで、幸か不幸か「視床」の働きが一時的に一気に弱まり、その瞬間に「小脳」から無尽蔵と言えるデータが送り込まれたのでしょう。いわゆるチャンネルが開いてしまったった状況。

 じゃあ、薬飲めばアカシックレコードとつながるかと言えば、決してそうでもなく、おそらくいろんな要素が絡み合ってそのような状況を引き起こしたのでしょう。そのような状況が自然と訪れる人もいれば、禅や瞑想、苦行などによって引き起こされる人もいるでしょう。スポーツや格闘技、将棋、囲碁、音楽、研究、、、などその手段を違えども、一つのことに没頭したりすると、「視床」が開き「無意識(小脳)」からのデータが大量輸送されることがあります。いわゆる「ひらめいた!」ってのもそう。

 しばしば、お風呂やトイレなど「リラックス」した状態でいいアイデアが浮かぶって人がいますが、あえて理屈をつけると、リラックスがセロトニンを分泌するがゆえに、「視床」の働きが弱まるからなのでしょう。その意味では「リラックス」こそが真髄であるという意見も成り立ちます、、、と言うかそれがすべて。

 私の話をさせて頂くと、今年の2月、滝行をやっていました。たまたま気温は高い(17度前後)日だったにも関わらず、めちゃくちゃ苦しくて泣きそうになりました。氷点下の滝に打たれる私が、17度もの温かい日の滝に耐えられないなんて。その時気づいたのが、全然リラックスしていないこと。いろんなことがあって「思考」の奴隷になっていたのです。その翌日、今度は意識的に「呼吸」をコントロールしながら身体の力を抜き、リラックス状況を作り出して滝に入ったのですね。すると苦しさがなくなり、その瞬間、とんでもないインスピレーションを受けることができました(→それが「宇宙の呼吸法」ってやつ)。

 てな感じで、黒斎さんのトークライブでもいかにリラックスするかの話になりました。ブログに書かれてない情報も盛りだくさんで非常に参考になりました。特に重要なのは「呼吸」。呼吸は普段は無意識にやっているけど、意識的にもできる不思議な行為です。私は「呼吸」のことを「意識と無意識の架け橋」と呼んでいます。緊張した状態などは無意識でそうなりますが、そこで深呼吸をすれば緊張が弱まります。緊張状態ってのは呼吸の浅い状態。それを意図的に深くするだけで、緊張をほぐすことができるってわけ。他にも「呼吸」はいろいろ役に立つことがあります。氷点下の滝に入る秘訣もまさに「呼吸」だったりしますから。

 黒斎さんのトークライブの話に戻りますが、もう一つ興味深い話があったので、そちらも私の意見を交えながらシェアしたいと思います。私の意見などどうでもいいから、黒斎さんのライブを忠実にレポートしてくれとおっしゃる方はすいません。メモってないし、そもそも忠実にレポートするスキルがないのであしからず。では続けますと、「あの世」では何が起こっているかという話。黒斎さんの(お知り合いの方の)話によると、あの世ではたくさんの人が盛り上がってるんだそうです。映画を見ながら。

 その映画には何が上映されているかと言うと「この世」の人たちの毎日が。そして何があっても拍手喝さい。つまりこの世の私たちは何のために生きているかと言うと、あの世の人たちを楽しませるためにあるんだと。なるほど。ですので、今、こうやってブログを書いている私の姿も、あの世の人たちは拍手喝さいしながら見ているんでしょうね。オ〇ニーしている姿も拍手喝さいで。それはちょっとヤダな、、、と思いますけどね。

 ただ、私たちが見る映画もそうですが、何が面白いかって主人公(ヒーロー)がピンチになったり、救われたりするいわゆる波乱万丈の物語。韓国ドラマの「チャングムの誓い」がなんであんなに面白いかって、2回に一回は必ずチャングムがピンチになるからでしょ。わざわざならんでもいいピンチを自ら作ったりして、「アホやな~」とか言いながら、次々と見て夜更かししてしまうんです。てなこと書いたら思い出した。そう言えば私の本(宇宙となかよし)の154頁にも同じこと書いてたんだっけ。

 つまり私たちの生活にもいろんなピンチがあったりしますけど、だから人生って面白いんじゃないかって。そしてピンチのたびに成長するわけだから、やっぱりピンチはチャンスだってね。本にも書きましたが、ピンチの時って「視聴率最高」なんです。誰が見てるかって。あの世の人たちだったのかって、今日のトークライブで改めて認識しました。私など最近、ピンチを自ら望んでいるような感じがしてね。

 ただ、あの世の人たちとこの世の私たちとの違いもあって、あの世の人たちは無条件にどんな人生にも拍手喝さいしてくれてるんだって。私たちは「おもろい、おもろない」とか言いますが、どんな人生であれ、無条件に尊く素晴らしいもの。そこに「条件」をつけて人生に優劣をつけてしまうのは私たち「思考」がそうしているだけ。「無意識」の世界、つまり「神の世界」では、私たちの人生は誰一人優劣なく素晴らしいんです。だから何やってもいいし、何をやらなくてもいい。完全に自由な世界があるにも関わらず、いろんな条件付けしてしますもんね。それが「思考」であり「氷」の正体。

 おそらくその「氷」を溶かしてしまえば、きっと無条件に素晴らしい人生に気づけるんじゃないかなって思います。そのためにはリラックス、、、ってことで話が元に戻ってしまいました。トークライブでは他にもいろんな面白い話がありましたが、機会あればぜひ生の黒斎さんに会いに行ってみてください。ギャグが面白いかどうかは保証しませんが、イケメンには違いありません。

 トークライブの後、会場にいた私の知人と3人で海を見に行きました。オッサン3人で時間つぶしに。そして19時からスタッフの懇親会に乱入。15名ほどいましたが、7時から11時頃までの長丁場でいろんな話ができました。黒斎さんともゆっくりお話することができました。また、いろんな出会いもありましたし、とても有意義な一日でございました。これからもあの世の人たちを喜ばせるために精進したいと思います(笑)。黒斎さんも、また来てくださいね。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-05-30 23:39 | ■精神世界
 今日は5時に目が覚め、5時半にちびQも起床。6時に家を出て、北九州の「畑観音」へ。すっごくいい天気。7時半には滝に到着。約一か月ぶりの滝になりましたが、今日から「7日行」がスタートです。世の中ってのは「エントロピー増大の法則」が働いているようで、私のような比較的自由な生活をしていると、どうしても自堕落な方向へと進んでしまいます。正直、この5年間、曲がりなりにもフリーランスでやっていけたのは、滝行のおかげかもしれません。定期的に自らを律するような習慣があると助かります。今日の滝はまあまあ水量も多く、気持ちがよかったです。
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 畑観音を後にして、何となく呼ばれるかのように、飯坂から筑紫野方面へと国道200を西に走ります。今日はなんと5年ぶり2回目のあの場所へ行ってきました。筑紫神社です。実はすべてはここから始まります。
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 2005年3月14日の日記を参照頂きたいのですが、ここでコインを投げて「表」が出たので、間もなく会社を辞める流れができたわけです。もう一度振り返ってみます。



<2005年3月14日>
・早朝4時ごろまで仕事して、その時、同僚には「後一年はこの会社で頑張る」と宣言
・それから家に帰ってシャワー&睡眠、午前は有休
・昼から小郡市へ打合せに向かう(本当は電車で行くべきところを車で)
・運転中、何となく「会社辞めていい」という気持ちになって、神社に寄りたくなる(神社はある人の影響)
・信号で止まった場所が「筑紫神社前」だったので鳥肌
・打合せ先には30分遅れると電話を入れて神社境内へ
・コインを取り出し「表が出たら今日辞めると言う」と宣言し、おもむろにコインを投げる
・「表」が出たので、車に戻って10人ばかりに「辞める」と電話
・その日の10時に辞意表明



 という感じなんですが、この辺のストーリーはちょっと脚色して拙著「宇宙となかよし」にも書きましたよね。なぜに急にその「筑紫神社」に行きたくなったのか。無性にと言うのが正しいのでしょうが、今、まさにあの5年前と同じような心境に今あるのです。

 なんと言っても新たに設立した「株式会社アンサー」が今後どのように展開していくのか。そもそもOKだったのか。筑紫神社に行ってしまうと、またコインを投げてしまうのでしょうが、そのことが正直、怖かったんですよね。もし「裏」が出たらどうしよう、、、なんて。

 でも、最近の流れと言い、何か確信のようなものがあり、神社についたのが11時過ぎのこと。
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「あ~、5年前のオレがここにいるんだな」

と感懐深く。まっすぐに境内に向かって財布から100円玉を取り出します。
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 具体的な願いもないので、とにかく、

「表が出たらOK」

なんて漠然とした決めごとで、5年前と同じようにコインを投げてみました。






「表」


が出たので、5年前と同じように「ありがとうございます」と言って賽銭箱に入れ、そこで作法とともに筑紫の神様にお礼を申し上げます。不意に胸が熱くこみ上げてきました。ありがとうございます。

 内心、あ~よかった、、、って感じですが、これもまた決まっていたこと。どんどん楽しくなってきました。スタート。滝行とともにこれからもがんばります。ありがとうございました。 

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by katamich | 2010-05-29 23:39 | ■日一日
 あっという間の一週間でした。そしてもうすぐ6月。5月を振り返ってみると、会社設立という大きなイベントもありましたし、ま、実りある月間だったかなと思います。最近、尉川さんの影響もあってから「歴史」にまた興味を持ち始め、井沢元彦さんの「逆説の日本史」などを読んでいます。歴史に対する通常の「定説」に対する「逆説」と言うことで、中には「これはトンデモじゃないか・・・」と思う論調もあれど、別の角度からの歴史史観に接するのは、現代社会に対するメタ的見方の訓練にもなります。何よりも文章が上手だし、話自体が面白い。しばらくは順々に読み続けそうです。

 これまで何度か言ってきたと思いますが、私は高校卒業するまで「本」なるものをほとんど読んだことがありませんでした。読むと言えばマンガかエロ本程度の、頭の悪い高校生でした。中でも「歴史」はアレルギーが出るほど嫌っており、中学高校と社会科の先生は「天敵」も同然でした。特に中学のK先生(女性)はひどかったです。小テストをすると毎回落第。必ず居残りをさせられるのですが、何度か居残りをサボって部活に行ったら、合奏中(吹奏楽部なので)に呼び出しの連絡が入ってこっぴどく怒られたり。おまけに私の父親は数学教師で同僚。しかも席が隣。そこで正座です。心の中で「親父来るなよ~」とか祈るばかりで説教は聞こえず。その時、親父が職員室に入ってきた瞬間目が合って、そのままターンして出ていったり。あいた~。

 高校は文系に進んだので、社会は二教科。日本史は必修なので、もう一科目は「政治経済」を選択。理由は歴史が嫌いだからです。本当なら世界史を一緒に選択していた方が、何かと面白かったのでしょうが、とにかく「歴史」が嫌い。そんで、歴史嫌いの生徒が必ず言うのが、「昔のことを知っても意味がない」など「中二病」的な発言。それに対して「温故知新」など反論もあるのでしょうが、私は「未来しか見ない」とか一貫して屁理屈を言ってました。とにかく活字そのものが嫌いで、だからと言って数字が好きなわけでもありません。ちなみに実家には「科学(数学など)」と「歴史」の本が本棚にぎっしりでした。父、兄、弟はその両方に対して、めちゃくちゃな読書家でしたので。

 そんな私が、曲がりなりにも本の出版ができたのは皮肉な話です(もちろん家族で私だけ)。ただ、そのような活字嫌いは高校卒業して予備校で授業が始まった一週間後に180度変わってしまいました。予備校界では有名な現代文講師「牧野剛」氏に出会ったから。とにかく衝撃を受けました。90分の授業のすべてが雑談。その直後、、、天王寺の大型書店に直行して家に帰るまでずっと立ち読み。その時に読んだのが「文化人類学」ってタイトルの新書でした。買えよって感じですけど、わけもわからず立ち読みするのが、その時はカッコよかったのです。

 それ以降、まずは新書からどんどん読んでいき、そのうち「法政大学出版」や「ウニベルシタス」などにも手を出し始め、本屋の思想コーナーに入り浸る毎日でした。受験勉強もせず。その頃、ちょうどジャズに興味を持ち始め、天王寺にあるジャズ喫茶に一人で入ります。ジャズの本で紹介されていたもの。高校卒業したばっかりの少年です。マスターは中年のおばちゃんでした。ジャズ喫茶ではリクエストをしていいそうなので、キャノンボール・アダレイの「サムシンエルス」のA面を。やばいですね。今思うとこれは恥ずかしすぎ。でも、そのマスターはニッコリ笑ってかけてくれました。初々しかったのかな。

 確かにそこでアルバート・アイラーとかセシル・テイラーなんかをリクエストしたら、単なるキチガイと思われるところ、やっぱりあの時は「サムシンエルス」で正解だったのかな。その時に話をしたのが、吹奏楽部でクラリネットを吹いていたこと。クラシック(モーツァルト)が好きだってこと。そしたら「耳が肥えてるわね~」とかおだてられて、調子に乗って「バディ・デフランコはベニー・グッドマンよりアーティー・ショウの方がええ」とか本に書いてあったことをそのまま言って知ったかぶり。本当はどちらも聞いたことないっての。あ~恥ずかし。マスターが別の客と話始めると、鞄からおもむろに本。もちろん現代思想っすよ。これまた二重に恥ずかし。でもそのジャズ喫茶に行ったのはそれが最初で最後。いい思い出です。

 で、やっぱり受験勉強よりも「哲学・思想」の本ばかり読む毎日で、冗談抜きで暇さえあればその手の本を読んで、いろいろ唸っていたわけです。運よく大学に入ってからも、一年間は孤独に現代思想の勉強。友達作らず。でも、アパートの隣にハセガワって奴がいて、そいつだけはオレの面白さをわかってて、他に学生に自慢してたとか。

 なぜ、それが自慢かと言うと、当時(大学一年時)の私は、誰とも交流をせずに孤高の存在だったから。おまけにある日突然「スキンヘッド」にして大学に行ったり、靴を履かずに校舎内を歩いたりなど、奇人変人扱いされてたと思います。時にアパートの隣が騒がしくなったりすると、夜中に12時過ぎているのに大学へ。当然閉まっているのですが、どっかの窓から忍び込んで教室の電気つけて一人で勉強。当然にも警備員がやってくるのですが、ちょっとガラの悪いオッサンで注意の仕方がきつかったのに逆ギレ。「学生が勉強して何があかんねん!おら!」とかガラの悪い大阪弁丸出しで反撃。悪いのは100%私です。すいません。

 そんな大学一年だったのですが、二年になるとゼミみたいなのが始まって、学生同士の交流から逃れることができなくなったわけです。すると、お前らなど相手してない的な態度をとるのも限界が来て、いつの間にか友達ができてしまいます。一年から知っているハセガワは「だろ!だろ!アイツ面白いんだって!」みたいなことを周りの奴らに言ってたりして。ちなみにハセガワとは今でも交流があります(電話のみ)。

 そんな感じで一見優等生的な大学一年でしたが、二年から急に授業にも出なくなって、英語の単位を落としちゃいましたよ。それ以外は要領のよさで切り抜けましたが。結局、4年間は単位ギリギリで卒業。就職活動も最初はやっていたのですが、8月にはすべてやめて工場でバイト。卒業後の放浪資金を貯めるために。

 そんで一年間放浪して、帰国後は教授の勧めに応じて大学院で2年間モラトリアム。その後も進学したのですが3か月で挫折。それが27歳でした。その一年がいわゆる「暗黒時代」って奴で、今で言う完全ニートをやってたわけですね。でも、ある日の夕方、「教師びんびん物語」に感銘を受けて外に出る勇気をもらいます。まずは老人ホームでボランティア。その中のエピソードの一つが拙著「宇宙となかよし」にも書かれてあるので、人生って無駄がないですよね。まったく。そんで650円のバイトに雇われ、その半年後に運よく契約社員で採用。ただし、月収12万円の長時間労働。徐々に給料は上がっていったものの、長時間労働安月給は変わらず、将来の見通しも立たずに2005年に退職って感じです。その前年の2004年5月からブログスタート。今に至るわけですね。

 私の半生記など何の興味もないでしょうが、やっぱり人生には無駄がないな~ってつくづく思うわけです。歴史の話から脱線しちゃいましたが、もしも高校卒業後にどっかの大学に受かっていたら。予備校に行ってなかったら。そして予備校で牧野氏に会わなかったら、、、今の私は確実にないと思うのです。が、そんなことも最初から決まってたのかな、と思うのも正直なところ。人生に「もし」はありませんから。

 そう考えると、これから先も決まってるのでしょうから、何やっても怖くないですよね。やりたいと思ったことはやる。その方が気持ちはラクですもの。結局のところ、やりたいことはあるのに行動できないって人は、そこに「恐怖」があるから。ただ、どう転んでもなるようにしかならないので、そんな「恐怖」にフォーカスするんじゃなくて、自分の気持ちに正直に、まさしく「あるがまま」でやりたいことやり尽くす方が私はいいんじゃないかな~と思っています。
 
 人生は決まっています。でも、どうなるかだけはわからない。だったらできることやった方が、少なくとも「後悔」はないでしょう。私はそうやって「今」を生きています。会社設立だって、何となくやりたいから。面倒なことはあっても、これからの可能性の方にワクワクするんだから、やっぱり設立してよかったです。まだ法人登記も完了していませんが。本の出版もセミナーも講演も放浪も企業研修もなにもかも、単に「やりたい」からやるだけ。本当のこと言うと、そこには立派な大義名分もありません。純粋にやりたいからやるだけ。それでいいではないですか。

 世の中にはいろんな「価値」がありますが、私が最も高く置いている価値が3つあって、それが「愛」と「感謝」と「自由」。特に「自由」は私のあらゆる行動指針の基本にあります。お金を稼ぐのは「自由」を得たいからだし、自分自身をスキルアップしたり、知識を得たりするのも、大きな意味で「自由」を目指しているから。お金があった方が自由は大きいし、知っていることが多いことも自由につながります。

 「歴史」の勉強にしたって、知らないよりも知ってる方が「自由」は大きいです。人は本来「自由」な存在。何をやってもいいし、何をやらなくてもいい。もちろん他人の自由を奪うようなことはやってはならないけど(殺傷など)、そうじゃない限りはなにやってもいい。一度の人生だし、どうせ決まっているのだから、あれこれ考えても無駄。やりたいことやる。ただそれだけ。

 てなわけで、、、ということじゃありませんが、明日から7日間の「滝行」に入ります。3月以来だなあ。いろんな変化のある時期なので、ここらで気持ちを引き締め直そうかな、と。それで今回は一つ自分に課したいことがあります。それは「お菓子・菓子パン・アイス」を食べないってこと。最近、恐ろしいことに気がついたのです。ちびQを保育園に送った後の帰り道にセブンイレブンがあるのですが、お金おろしたり、キン肉マンを読むために入ると、なぜか無意識にお菓子類を買っているのですね。食べたくもないに。これはやばい、、、ってことで、ちょっと無意識にも向き合ってみようと思います。正直、酒も肉もHもなくてOKなんですが、今の私にとってはお菓子の方がヤバイ対象だったりして。

 ということで、明日は北九州の「畑観音」での滝行です。がんばりま~す。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-05-28 23:39 | ■人生哲学
 今日は大きなイベントが2つありました。一つは「ちびQ生誕一周年(誕生日)」で、もう一つが「会社設立」です。朝はまず、ちびQを保育園に送ってから、その足で法務局へ。相談コーナーで書類の最終チェックをして、15万円の印紙購入。それを書類に貼り付けて提出。簡単なチェックがあり、一応、すべてそろっていることを確認して受理。登記完了日は6月1日ですが、書類を提出した日が「設立日」となりますので、5月27日は記念すべき日となりました。

 ところで今回の新会社設立の経緯を少しお話させて頂きます。元々から会社をつくりたいという夢はありました。それこそ学生時代から。大学卒業後すぐに世界放浪に行ってしまうような人間ですので、そもそもサラリーマンで生きることが馴染まなかったのでしょうね。でも、一度はサラリーマンを経験するのも大事だと思うので、とりあえず過酷な環境で4年ほど働きました。ただ、労働時間だけ見ると、残業のあまりない会社の7年分くらいは働いたかもしれません。いい経験でした。

 そして2005年に独立。と言っても、何をする予定もなく単に会社を辞めただけ。今は2010年。なんとかなってるのが不思議なんですが、一方でこれもまた当然と思う自分もいたりして。最初から決まってるんじゃないかと、これは。ただ、今まで通り個人事業でやっていくのも悪くはないのですが、私自身、ここらできちんとしていきたいと思う気持ちもありました。正直、今の段階で会社を設立する必然性はありません。ただ、設立したら何か動く出す予感もあったので今年の一番の目標が「会社設立」だったのです。

 ここで一人重要なキーパーソンが登場します。その方も先日会社を辞めて独立したばかりなんですが、電話やメールでいろいろ話をしていたら、妙なことをおっしゃるのです。

「Qさんは、新しい会社の名前とか決まったのですか?」

実はその時点では会社を設立したいという「気持ち」だけはあったものの、何一つ動いていない状況。それが3月末だったように記憶しています。ですので、社名など決めているわけがありません。その旨を告げると、

「今、降りてきたのでちょっと待ってくださいね」

と電話を切った1~2時間後、次のようなファイルがメールで送られてきました。
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 なんと新社名だけでなく、ロゴからコンセプトまで決まってしまったのです。正直、私はセンスがないので、社名とかロゴとか決めるのは永遠に後回しになるところ、こうやっていきなり出来上がってしまったのです。社名もロゴもシンプルなものですが、実にいろんなメッセージが込められています。

 おそらくその方のアイデアは「一瞬」のうちに出来上がったのでしょうが、順番にお話させて頂きますと、まず、私は「Q」ですよね。ご存知の通り。Qと言えば「質問(Question)」です。つまり問いかけ。私が常々その重要性は力説しています。昨日もそんな話しましたけど。で、Qと言えば「Q&A」となり、「A」とは「答え(Answer)」のこと。つまり「個人」としては「Q」ですが、新たな「法人」としては「A」が誕生するわけです。まさにあらゆる答えを導く会社。

 そこで一つ不思議なこと。あまり言ってないと思いますが、私の高校時代までのあだ名は「A」でした。これは話すと長いのですが(でもないか)、私の父親のあだ名でもあったのです。父親は同じ学校の数学教師で、名前を「エイジ」と言います。ちょうど矢沢永吉とか流行った時期だったのか、親父のあだ名も「え~ちゃん」になりました。そして私の兄が中学に入学すると、当然、「え~ちゃんの息子」みたいな言われ方をされます。兄の名前には「英(ひで)」が付きますので、そのまま「え~ちゃん」を受け継ぎます。その翌年、私も中学に入学するのですが、今度は私まで「え~ちゃんの弟」と先輩から呼ばれるようになり、そのまま必然的に「Aちゃん」となります。ただ、私の名前は「久(Q)」ですので、気持ちの悪い先生は私のことを「Qちゃん」と呼んでいました。

 ま、そんなことですので、私にとって「A」と呼ばれることは、さほど馴染みのないことでもないのです。で、不思議なのが、なぜにその人(社名を考えた人)は私が「A」と呼ばれてたの知ってたのか・・・。もちろん知らないと思うのですが、一瞬、私の中では頭がこんがらがったのです。あれ、高校の同級生だったかな、とか。なわけない、と一人でつっこみいれたりして。

 そんな感じで社名も決定。そしてロゴなんですが、説明の通り。私のライフワークでもある「山」と「滝」がそのまま「Answer」のタイトルロゴになっています。実はさらに深いコンセプトがあり、それはまさに「宇宙」から「答え」が降りてくるプロセスがロゴに秘められているのです。それは「宇宙となかよし」のイメージでもあります。う~ん、深い。

 このような「案」を頂いたのですが、それで即決。このまま法人登録となりました。そしてそのアイデアを出して頂いたのが、「あの世に聞いた、この世の仕組み」の雲黒斎さんだったのです。この流れどうよ!と思いませんか?

 正直言って、あの時、「降りてきた」の言葉がなければ、会社設立はまだしてないと思います。なんせ私はその辺のセンスが皆無ですので、社名を考えるのが苦痛でね。どんな社名にしても、納得してなかったと思います。最初は「宇宙となかよし」に関係あるのを考えてて、「株式会社宇宙となかよし」じゃあまりにもなので、英語にして「スペース」とか「ユニバース」とか考えてたんです。しっくりこないのでギリシャ語(ラテン語だったかな?)にして「ウニベルシタス」とか。どっかの難しい本ばかり出してる出版社じゃないですが、「株式会社ウニベルシタス」などは、覚えにくいし、どう考えてもセンスなし。たぶん私が考えると、複雑で、舌をかみそうな名前になるのも想像できます。「株式会社アラハシャノウ」とか。文殊菩薩の真言です。「株式会社アカシックレコーズ」、、、はいよいよヤバイ。株式会社ミカエル、株式会社ウニヒピリ、株式会社ブラフマン、株式会社くう、、、などヤバイのしか思いつきません。はい。

 てなわけで、この流れも必然。最初から決まってたのでしょう。だからこそ何でもできる。そう言えば私のフリーランス生活が始まったのが2005年6月1日。インドから帰国した日ですが、今年の6月1日は登記完了日。ちなみに2005年5月27日は何をしてかというと、なんと運命の「占い師(パサン)」と出会った日でした。なんか重なりますね~。ああ、インド行きたい。

 それにしても、社名は「宇宙となかよし」がらみにしようと思っていたら、最終的にロゴの意味合いなどで、きちんと着地しているのがスゴイ。雲さんなのか黒斎さんなのかはともかく、やっぱりタダモノじゃないですね。ありがとうございました。

 話を戻しますと、今日は法務局に行った後、カリウさんの事務所にしゃべりに行ってついでにランチ。さらについでに福岡ツタヤでJAZZのCD。今日はコルトレーン2枚、ダラーブランド、ローランドカークなど厳しいのと、ズートシムズ。やっぱりズートシムズええわ~。もし今からテナーサックスをきちんと練習するなら、ズートのフレーズをコピーしまくりたいね。



 夜はちびQの誕生会。と言っても、家族でささやかに。1年前のちびQがこれ。
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 そしてこれが今日のちびQ。久々の登場ですね。
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 大きくなったでしょ。いろんなものが食べられるようになりました。そしてこれがツレ特性の誕生日ケーキ。
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 手づかみでむしゃむしゃ。
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 こんなんなりました。
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 プレゼントもいろんな人から、たくさんもらいました。
 
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 寝る前は布団の上で大暴れ。超ゴキゲンで疲れてストンと寝ました。それにしても早かったな~。ちびQが来てからこの一年、本当に幸せな毎日でした。そう言えば私は「Q」ですが、ちびQは「Akira」で「A」だもんね。やっぱりつながってる、、、かな。これからも家族3人4脚で楽しく行きたいと思います。そのうち4人5脚、5人6脚になる日が来ればいいな~。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

お祝いのクリックをありがとうございます。!
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by katamich | 2010-05-27 23:39 | ■日一日
 今朝、ちびQを保育園に送ってから、家で本を読みつつ、ちょっと「瞑想」の状態に入ってみたんですね。するとすごく面白いことがありました。無意識(潜在意識)とすごくリアルにコミュニケーションをとっていたのです。ここ最近、いろんな情報を出し入れしていて、おそらく「脳」がちょっと疲れ気味だったように思います。そんな時、脳はきちんと自己整理する必要があるようで、一番手っ取り早いのがまずは睡眠。ですが、深いトランスに入ってしまえば、眠ることなく睡眠と同じような状況を味わうことができます。意識ははっきりしている、と言うか、普通に起きているよりも何倍も鋭敏な意識状態が生まれるのです。

 いろんなところで言ってるのですが、以前、シリアを旅していた時、熱が37度台になり、昼間から部屋で寝ていました。するとある瞬間、すごくリアルな音楽が聴こえてきたのです。マイルス・デイヴィスの「It could happen to you」という曲でした。「リラクシン」というアルバムに入っている。その時、ピアノのイントロ、ドラムのレガート、マイルスのテーマとアドリブ、コルトレーンのアドリブと、最後まで実にリアルに鳴り響いたのです。すっごく感動してしまって、涙を流している自分がいました。熱もどこかに行ってしまい。

 あれは、今思うと、潜在意識に入っているあの曲が完全に再現されたんだな、と。つまり、意識では思い出せなくとも、潜在意識には何から何まですべて入っているのです。あの聞こえ方は尋常じゃなく、普通に聞いている以上の臨場感がありました。それと同じようなことが今日もありました。

 今日は音楽ではなく、潜在意識にある「自分自身」との対話。「あの件、どうしようか、そうだね・・・」みたいな感じで話し合っているのです。何か新しい発想が生まれたと言うより、情報の整理整頓をしていると言った方がふさわしく、ああそうか、寝てる時ってこうやって潜在意識さんは働いてるんだなってリアルに実感したのです。面白かったです。トランスから抜け出ると、当然、すっきり。身体はなんかだるかったですが。

 結局のところ、私たちの「無意識(潜在意識)」ってのは、何でもかんでも記憶してるんだなったこと。それも一応はタンスか引き出しのようなところに保存して、何かあると、すっごくリアルに再現することもできる。通常、短期記憶は大脳の「海馬」というところで保存、処理されるのですが、言語にもならない長期的な記憶はまさに「感覚」を通して無限に記憶されている感じです。そして睡眠(及び深い変性意識状態)は、その記憶を整理整頓したり、時として「ひらめき」のような形で意識に登ってくることがある。

 以前どっかで書いたと思いますが、「こびとのくつや」って童話はまさに「潜在意識」の働きを表していると。お爺さんが寝ている間に、小人たちが靴を作ってくれるって、都合のよい憧れのお話です。私もサラリーマン時代、睡魔と闘いながら作業している時、「小人出てこ~い!」とか何度叫んだことか。

 今日、体験した世界は、まさに「小人」たちでした。「潜在意識」に入っているたくさんの記憶を小人たちが整理整頓している。それも私と相談しながら。そうだね~それはそこ、とか。不思議な感覚ですが、別に珍しいことでもないかな。

 ところで「チャネリング」ってのがありますが、よく天使と対話したり、神や仏が出てきたり、とにかく何らかの「目に見えない存在」と交信することを言うようです。でも、正直、99%は錯覚です。厳密に言うと、確かに「交信」している気はしていても、本来本当の「天使など存在」と対話していることはありません。私も今まで何人も「自称・チャネラー」と出会ってきましたが、99.9%は自分でも「交信などしていない」ことがわかっている人たちです。単に特別視されたくて、ちょっとした「変性意識体験」を誇張して言ってるだけです。でも1%くらいは本当に「交信」している可能性もあるので、すべてがすべて否定するわけではありません。

 私がよく見聞きする「チャネリング」ってのは、一言で言って「記憶の再構成」のこと。普通、私たちが「記憶」として意識するのが「海馬」に入っている言語化された記憶です。例えば昨日の晩飯なんてのはとりあえず「海馬」に入るので、現段階では思い出すこともできるでしょう。しかし、一週間後には忘れてしまうのがほとんど。でも、恋人との初めてのデートでのディナーなどは、何十年経っても覚えていることが多いです。そのような長期記憶は「大脳新皮質」に保存されます。しかし、昨日の晩飯みたいなどうでもいい記憶は海馬からも大脳新皮質からも放り出され、一時的に記憶から取り消されます。

 しかしその記憶は完全になくなったのではなく、いわゆる感覚器官としての「小脳(脳幹など)」に保存されます。小脳は「小」とは言いますが、大脳よりも容量が大きく、自転車の乗り方なんてのはいかに複雑であれ忘れることはありません。しょうもない記憶自体も小脳にきちんと保存されているので、そのような記憶のことを「潜在意識の記憶」と呼ぶことができるのかもしれません。図式化するとこう。

出来事→「短期記憶⇒海馬に保存」→重要な情報→「長期記憶⇒大脳新皮質」
                →感覚的な長期記憶・重要でもない記憶→「潜在意識の記憶⇒小脳」


 そこで「チャネリング」ってのは、どっから出てくるのかと言うと、言うまでもなく「潜在意識の記憶」から。言い換えると、「自分の中の意識していない記憶」から出てくるのです。ですので、天使や神など、「自分」と独立した超越的な存在からメッセージを受け取っているのでは断じてありません。

 例えば「イエス・キリスト」からメッセージを受け取っていると言う人がいたとしましょう。しかし、なぜにそれを「日本語」で受け取ることができるのでしょうか。もしも本当にイエスであるならば、ヘブライ語かアラム語でなければならないはずです。要するにその人は、日本語で読んだ本(聖書など)やブログ、見聞きした話などの「記憶」を再構成して話しているだけなのです。

 天使も同様。天使語でなければおかしいはず。でも、こんな反論をする人がいるかもしれません。イエスも天使もバイリンガルで、あの世ですべての言語をマスターしたのだと。もちろんそうでないことを証明することはできませんが(そうであることも同様に証明できない)、とりあえずは私の言うように「単なる記憶の再構成」と言う方が、「バイリンガル」と力説されるよりは説得性があるんじゃないでしょうか。

 これは赤ちゃんが前世の記憶をしゃべるってのも同じこと。言語習得前後(1~2歳)で突然、「ボクは・・・」とか不思議なことをしゃべりだすことがあるようです。そして両親は、教えてもいないことをしゃべりだした!これは前世からのメッセージだ!とか騒ぎ立てるのですが、これも心配いりません。赤ちゃんは生まれた直後(またお腹の中)から、言語化されずとも、両親や周囲の情報をしっかりと吸収しているからです。

 退行催眠で0歳当時の記憶が蘇ることも普通にありますが、つまりはすべての情報が「潜在意識の記憶」として保存されていて、それが言語習得と同時に整理・再構成されて出てきただけ。でも、私たちは教えてないです、と言う人もいるかもしれません。つまり両親が言った「記憶」はないと。ただ、これは一週間前の晩飯を覚えていないのように、赤ちゃんが生まれてから話した内容をずっと覚えてられないのと同じこと。また、自分たちはしゃべってなくとも、テレビなどから吸収していることは普通に考えられます。騒ぎ立てる必要なしです。

 あと、チャネリングってのは、それらしいことは練習すれば誰にでもできます。先日、チャネリングのスクールに通ったことがある人と話をしましたが、そこで教えられていることも大したことありません。思った通り。ようするにそれっぽい単語をつなぎ合わせて早口で伝える訓練をするだけです。いわゆる「預言カフェ」の方式。預言カフェってのは東京は早稲田にある喫茶店のことですが、ここでは「主」からのメッセージを一人ひとり頂くことができることで、スピリチュアル好きには重要なスポットの一つとなっているようです。私も行きました。

 5分程度のメッセージ(預言)を吹き込んでもらったのですが、誰にでも当てはまるような抽象的ない言葉をひたすらつなぎ合わせるだけで、すべて当たっていると言えば当たってるけど、私に特定したメッセージは何一つありませんでした。それどころか「職場の人間関係」と言う言葉が出てきたので、私にはいわゆる「職場」はないので、これもどうかと。仕事上の人間関係のことだと言えばそうかもしれませんが、ようするにその程度のこと。

 このようにチャネリングってのは、その99%はすべて論理的に説明がつくものばかりで、いわゆるチャネリングとしてはデタラメ。でも、1%くらいはホンモノがあることは否定していません。確かに説明のつかないことはあるかもしれません。しかし、そのわずかな1%以下がメインと考えるのではなく、まずはデタラメと疑って考える方が、確かにロマンや面白味はないかもしれませんが、きちんと生きていく上では健全な姿勢だと思っています。

 と言いながらも、私は「潜在意識の記憶」を決して軽視しているのではありません。普段は私たちの「意識(海馬・大脳新皮質)」には登ってこないにしても、その中には非常に重要な「情報」が保存されていることもあるから。私たちの「潜在意識」は軽視できません。私たちは生まれてからこれまで、本当にありとあらゆる「情報」を吸収して生きてきたのですから。例えば3年前の4月21日の朝7時34分に乗った地下鉄の中で見たOLさんが身に着けていたアクセサリーの形に「成功のカギ」がある可能性だってあるのです。でも、そんなことは覚えてないですよね(海馬や大脳新皮質にはないですよね)。でも、いかなる情報であっても「潜在意識」はすべて吸収しています。潜在意識は有益かどうかを判断することはできませんが、とにかく無尽蔵なる「情報」の中には、今の自分を飛躍させる「秘訣」があることも事実。その「秘訣」にアクセスすることが重要で、その方法が他でもない「質問」です。

 「質問」はまさに脳(前頭葉)に「空白」を作り、それを埋めるために「潜在意識」から常に「情報検索」しているのですから。そこで必要な情報がヒットすれば、それを活用すればいいだけ。さらに「情報検索」の能力自体も、良質な「質問」を繰り返すことで向上してきます。私自身も今ではかなり検索機能が向上してきたので、たいていの問題は比較的早くに解決できるようになりました。

 てなわけで、ロマンもくそもない話で申し訳ないのですが、こう考えた方が健全だと思いますよ。ただ、「良質な質問」によって「潜在意識」からの検索機能を鍛えておくことは重要。天使のチャネリングなどに頼らず、自らの検索機能を信じて活用する方が、確実に必要な情報を得ることができますので。今日はこの辺で。ありがとうございました。

潜在意識のスイッチをぽち!
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by katamich | 2010-05-26 23:39 | ■精神世界
 今日もいつものように、朝起きて、ちびQにご飯を食べさせて保育園へ。今月は誕生日なので、保育園の誕生会で「餅踏み」をしたそうです。これは地域限定なのか、私は知りませんでした。こちらでは一歳になると、わらじを履いてお餅を踏むお祝いがあるようです。そして「選び取り」ってのもやったそうです。いくつかグッズを並べて、何を選ぶかで将来の職業が決まるとか。ちびQは「電卓」を選んだので、商売で成功するとかしないとか。

 一般的に子どもの将来は親の職業の影響を受けるとも言われています。サラリーマンの子どもはサラリーマン。教師の子どもは教師。商売人の子どもは商売人など。その意味で言うと、私の父親は数学教師。私はセミナーや研修の講師などしてるので、もしかしたら影響受けてたのかな。ついでに言うと、私の実家は昔から「本」が大量にありました。父親が読書家なので。兄も弟もめちゃくちゃ読書家で、私だけ違ってたのです。高校までは。ですが、気がつくと、私の家には本が散乱しており書棚もびっしり。本の出版までしています。う~ん、、、親の影響は侮れない。ちなみに、ちびQも私の真似をしてるのか、絵本が大好きです。多分、読書家になるでしょう。

 ところでメルマガを配信しました。先日、尉川さんのオフィスで収録した「対談」のご紹介です。一時間以上で動画は8つになりました。長いのでメルマガでは一つずつ解説を加えていますので、よかったら読んでみてください。登録すると最新号だけ読めますので。

 以下の動画は6つめで「仏教とNLP」について語っています。一応、尉川さんとは「NLP」という共通の軸があるので、そこから展開してきたのですが、ちょうど「仏教」の話になったところです。



 ただ、私や尉川さんが感心を示しているのは、いわゆるお釈迦様が開いた「原始仏教」で、今日日本の葬式仏教ではありません。禅や密教にも関心はありますが、根本は原始仏教で「空(くう)」の悟りについて。実はNLPも原始仏教も「認識が世界をつくる」と言う意味において、相通じる部分があります。

 いわゆる「近代科学(モダン)」の前提が「客体」は自分の認識とは独立した実体として存在しているという考え方です。それに対して「ポストモダン」と呼ばれる一連の思想体系の特徴は、そのような実体として「客体」を前提とはしません。それが心や無意識を扱う精神分析学であったり、古典物理学に対する量子力学のような流れに結びつきます。いずれも「主体」と「客体」は無関係ではありえず、主体は客体への影響を無視することができないことが前提となります。

 しかし、「ポスト」と言いながらも、それはすでに2500年前にお釈迦様が悟っていたことでした。むしろ「モダン」という概念自体が世の中に対する歪んだ考え方であると言った方が正確かもしれません。昨日のコーチングで「すべてはひとつ」とはどういうことなんでしょうか、と聞かれました。スピリチュアルな本やブログではよく出てくる言葉ですね。すべてはひとつ。

確かにこれは「言葉」で説明するのは難しいかもしれません。だって正確に伝わらないから。それをあえて伝えるとすれば、それは「実体などない」となるのかもしれません。では「実体」とは何か。実は「実体」には反意語があるのですが、それがもしかすると「すべてはひとつ」のイメージに近いのかもしれません。
 
答えを言いますと、「実体」の反意語は「関係」です。「実体」とは他のあらゆる対象(実体)と切り離された独立した存在と定義されます。通常、「私」とは「他人」でない私のことを言います。「近代科学」はその前提に立っています。例えば「人間」と「自然」は切り離されて独立したものとして存在しています。でなければ、無差別に自然を開発し、破壊することなどできません。しかし、そのような前提があったからこそ、今、私はこのマンションに住めているのです。自然の状態にコンクリートを敷き詰めて、その上にさらにコンクリートの建物を建てたから。もしも「人間」と「自然」が「ひとつ」だという大前提があれば、マンションは建ちませんから。

一方、「関係」とは何か。それは「実体」として目に見えるものではなく、すべてを「ひとつ」に結びつけるそのもののこと。コネクターでもなければ、網目でもありません。因果の結びつきでもありません。そのようにイメージしてしまうと、「すべてはひとつ」を体験として実感することができなくなりますから。まさに「関係」とは「関係」のこと。それをお釈迦様は「縁起」と呼びました。

 実は「悟り」の境地とは、「関係」及び「縁起」となる概念を極めて高い臨場感をもって体感することです。数学者や物理学者の多くは「数式」を見ただけでドーパミンが放出されるようです。私たちは「5次元」を認識することはできませんが、5次元の方程式は存在します。普通の人が見てもさっぱりでしょうが、物理学者がその数式を見るとイッてしまうそうです。セックスの快感など比じゃないくらいに。

 ちなみにニュートンは生涯童貞を貫きました。ただ、彼はリンゴが落ちる瞬間を見て、イッてしまう男なので、セックスなどする必要はなかったのです。カントも生涯童貞でした。彼は哲学者ですが、そもそも哲学とは数字を用いない数学と言えるので(数理哲学ってのもありますが)、抽象的な思考体験で毎日イッてたのは想像に難しくありません。

 人間ってのは、極めて抽象的な世界に対して、極めて高い臨場感を得ることができる生きものです。そしてそれが最高まで達したのが「悟り」であって、一度、その世界を見てしまうと、あらゆる物理的煩悩は消えうせてしまいます。と言いながらも、「悟り」を日々継続している人など稀なので、悟ったと言っても、生活に煩悩が出てくることはあるでしょうが。

 先日も書いたように、今はなぜか「悟りブーム」のようです。そして悟りや目覚めを目指して、切磋琢磨している光景が散見されますが、実のところその「悟り」の方向に疑問を感じることはあります。要するに「現世利得のための悟り」というやつ。これは一般のスピリチュアルブームとまったく同じ。江原啓之の番組は終わりましたが、江原さんの番組に代表されるスピブームも、結局のところ「現世利得」を単に求めているだけでした。現世利得のためには働くことが重要。でも働くのは嫌なので、なんとかしてラクに豊かに幸せになりたいって考えです。

 結局のところお金持ちになりたい、好きなことしたい、今の苦しさから脱したい、、、などの「現世利得」に向かって悟りの修行をしているようでは、それは永遠に訪れません。と言いながらも、かつての私がそうだったので、あまり偉そうなことは言えませんが。

 ここでもう一回「すべてはひとつ」について考えたいと思いますが、先ほど、「すべてはひとつ」とは「実体」ではないと言いました。つまりその反意語である「関係」がそれに近いかな、と。では、今、やっている仕事、今置かれている状況、今の収入状態、今の健康状態、今の人間関係、今の苦しさ、、、などなど「なぜ」そのような状態に置かれているのでしょうか。

 答えを言うと、それは「意味」があるからそうなっているのです。じゃあ、その意味は何。そんなこと知りません。でも、何一つ無駄はなく、すべては必然的な「縁起(関係)」のもとで「今」があるのです。つまり「悟り」とは「今」のことでもあり、今をしっかり生きることこそが「悟り」への近道なのです。

 ですが、現世利得のための悟りブームを見ると、「今(の状況)」を打破するために「悟り」を目指しているように感じられます。「今=悟り」であるとすれば、その「今」を否定している限りは、永遠に「悟り」に近付くことはできません。

 もう一つ言いますと、悟ったからと言って、今以上に幸せになることはありません(不幸にもなりませんが)。悟ったからと言って、収入がアップするわけではありません。悟ったからと言って、すべての苦しみから解放されるわけではありません。これまでと同じように苦しみ、そして笑う。ただ淡々と「今」があるだけですから。

 じゃあ、何のために「悟る」のですか。意味ないじゃん。そう思うかもしれませんが、実はその通り。正解です。悟っても意味ありません。だって何の変化もないのですから。それでも「悟る」ことは人生にとって最も大きな目標だと言えます。悟るってのは、他の言い方をすれば、目覚める、本当の自分を知る、すべてはひとつ、大丈夫、愛、感謝などなど。


 納得いきません!私は幸せになるために悟りたいのです!大きな目標って言ったのは何でですか!何かあるから重要なんでしょ!それを説明してください!


 ・・・とお叱りを受けても、すいません。説明できません。だって本当に何も変わらないのですから。「宇宙となかよし」のブログは面白くないですよね。なんとか先生みたいな開運情報もないし、毎日、長々と屁理屈をこねまわしているだけで。でも、これまたすいません。これ以上、面白くなりません。でも、一つだけ言えることは、今、私は最高にハッピーだってこと。オチもなにもありませんが、今日はこの辺で。ありがとうございました。

クリックすると最高にハッピーだってこと!

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【東京】6月12日(土)・13日(日):クイックチェンジ!実践!NLPセミナー in 東京 ~潜在意識から超意識への旅(2日間コース)~(残7)

【福岡】6月9日(水):宇宙となかよし塾(4)(大野城まどかぴあ和会議室・19:30~22:00)

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6月5日(土):第184回ベンチャー大学「繁盛コンサル・富田英太」
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by katamich | 2010-05-25 23:39 | ■精神世界
 今日は午後からマリーロータスの尉川さんのオフィスへ。最近、よく会っています。以前からお互い知ってはいたのですが、いざ話をしてみると、次々といろんな話が飛び出し、気づきも多い。これは自分たちだけで留めておくのはもったいないってことで、ユーチューブ対談をしたのが先週の金曜日。でも、その時はビデオの誤作動で録画失敗。今日はその撮り直しをしたのですが、当然のことながら、前回とは全く違った内容になってしまいました。重なる部分は2割もないから。今回は録画成功しましたので近々公開します。お楽しみに。

 夜はコーチング。と言っても、レギュラーのではなく、先日の大阪セミナーのオプションとしてのセッション。あ、ついでに申し上げますと、レギュラーコーチング(新規)及び早朝談話室は今月いっぱい(5月31日)までで受付終了とさせて頂きます。継続のコーチングは気の済むまでさせて頂きますので、その辺はご心配なく。

 で、今日のセッションですが、基本的に時間は気にすることなく、思う存分にお話して疑問点を解決して頂きたいってスタンスでやっています。守秘義務がありますので、詳しく書くことはできませんが、一般的な話として2つほどシェアさせて頂きたいと思います。一つは「感情のコントロール」、もう一つは「すべてはひとつ」について。

 まず、一つ目の「感情のコントロール」ですが、その前提として知っておくことがあります。それは「感情とは無意識の反応である」ということ。例えば雨が降っているのを見てブルーになったとします。これは自分でブルーになろうと思ってなったのではなく、「雨」という現象に対して、「ブルー」という反応が結びついただけ。この動作はいわゆる「プログラミング(条件付け)」によって起こることなんですが、これは「入力-出力」の関係で言い表すことがあります。雨という入力に対して、ブルーという出力です。

 これをもう少し専門的な用語で「トリガー」と「アンカー」とも言われます。トリガーとは鉄砲の引き金のこと。アンカーは船の碇のことで無意識に埋め込まれた「状態」のことを言います。つまり「雨」という現象が引き金となって、「ブルー」という状態が自然と生み出されるのです。これはすべて「無意識」で行われています。トリガーとアンカーの例をいくつかあげてみますと、


「トリガー」→「アンカー」
・パトカー(V) → ドキッ!
・ゴキブリ(V) → 鳥肌
・梅干という言葉(A) → 唾液
・サザエさんの終わりの音楽(A) → 憂鬱な気分
・ガッツポーズ(K) → やる気
・足指を動かす(K) → ワクワク感
・昔の恋人がつけていた香水(O) → 当時の感情
・コーヒーの香り(O) → リラックス
・外国で飲む味噌汁(G) → 日本にいる感じ
・ぶり大根(G) → 絵画の創作意欲(「美味しんぼ」より)


 アルファベットはそれぞれV=視覚、A=聴覚、K=感覚、O=嗅覚、V=味覚を表します。これらの5感による入力がトリガー(引き金)となって、それぞれ特定のアンカー(反応)が喚起されます。ここでの特徴は二つあって、一つはそれぞれ「無意識」の反応であること。もう一つはそもそもトリガーとアンカーには何の結びつきもなかったこと。例えば腕をつねると痛いのは、生理的な反応ですので、トリガーとアンカーの関係には結びつきません。しかしパトカーとドキッには本来何の結びつきもないのですが、車の運転中にパトカーを見るとなぜかドキッとしてブレーキに足をかけてしまいます。

 上の例についてよくわからないものもあると思いますので、簡単に説明しますと、


・パトカー(V) → ドキッ!

 これは車の運転をしている人、とりわけ警察に切符を切られた人に埋め込まれたアンカーです。私はこのクチでしょうか。


・ゴキブリ(V) → 鳥肌

 おそらく日本人の生活習慣の中で、ゴキブリは不潔で害悪なものだという刷り込みがあるように思われます。あんなに小さな虫ごときに、なぜに大の大人が悲鳴をあげるのか。赤ちゃんはそんなことはなく、単純に動くものを目で追いかける程度だと思います。つまりはゴキブリと恐怖が繰り返し刷り込まれますので、それを見ただけで鳥肌がたってしまうのです。


・梅干という言葉(A) → 唾液

 多くの日本人限定であって、外国人にはない反応ですよね。


・サザエさんの終わりの音楽(A) → 憂鬱な気分

 確かにサザエさんの音楽と憂鬱な気分には何の因果関係もないのですが、多くのサラリーマンは翌日からの仕事を思い出してブルーになるんです。サザエさん症候群なんてことばもありますよね。


・ガッツポーズ(K) → やる気

 ガッツポーズは一般的に良い状態の時にするポーズだという社会的刷り込みがありますので、とにかく拳を上に上げるだけでやる気がでてくることが多いです。


・足指を動かす(K) → ワクワク感

 ブライアン・トレーシーの本に書いていました。多くの人はワクワクしている時、無意識のうちに足指を動かしているそうです。ですので、逆に意図的に足指を動かすことで気分をワクワクさせることができるって理屈です。


・昔の恋人がつけていた香水(O) → 当時の感情

 きっと心当たりはあると思います。香りを思い出すことはできなくとも、街中でふとその香りに気がついただけで、昔の恋人のことは、当時の気持ちあ蘇ることが。


・コーヒーの香り(O) → リラックス

 コーヒーの香りに生理的なリラックス効果があるかどうかわかりませんが、コーヒーブレイクという言葉や習慣によって、コーヒーとリラックスが結びつきが強化されることはあると思います。ちなみに私はコーヒーですが、イギリス人は紅茶なのでしょうね。

 
・外国で飲む味噌汁(G) → 日本にいる感じ

 何カ月も海外にいると、粉末の味噌汁を飲むだけで、日本のことが蘇ってきます。味噌汁を飲んだことがない人にとっては、単なるしょっぱいスープに過ぎないのでしょうが。


・ぶり大根(G) → 絵画の創作意欲(「美味しんぼ」より)

 美味しんぼってマンガの中に、創作意欲を失った画家の話が出てきます。それを山岡さんが料理で解決するっておきまりのパターンなんですが、その人にどんなに豪華な料理をふるまっても元気がでなかったところ、一切れの大根を食べるだけで意欲が蘇るのです。その画家は昔漁師でぶりが大好物だった。その時の気持ちがアンカリングされてたんです。


 てな感じで、本来、因果関係のない反応について、社会的な刷り込み等によって結びついてしまうことを「プログラミング(条件付け)」と言うのですが、それを意図的に活用したスキルが「アンカリング」です。

 ですので、アンカリングのワークなどでは、パトカーを見てもドキッとしないようにするとか、逆にパトカーを見た瞬間にハッピーな気分にさせるとか、自由自在に無意識のプログラミングを変えることが可能なのです。通常やるのは、いつでもハッピーな状態を引き出せるようなプログラムをその場で作り、とにかくハッピー、ハッピー、ハッピーで過ごせるようにするわけです。

 ただ、すでに刷り込まれた無数のプログラムに対して、一つ一つ書き換えていくのは、なかなかすぐにはできないことだと思います。コツをつかめば簡単ではあれど。でも、とりあえずは何かに対するネガティブな反応を、どうにかしていきたい。突然ハッピーになるような特効薬ではなく、漢方薬やビタミンCを飲むような感覚で、じわじわと自らの感情をコントロールする方法があればいいな、と。

 今日はその方法をお話させて頂きました。それは非常に簡単です。もしも何かの「反応(感情や感覚)」が生じてしまった時、単純にその「反応」を眺めるだけ。雨が降ってブルーな気分になった時、単純に「私は雨が降ってブルーな気分になっています・・・(以上)」と自分の反応を客観的に見るだけ。ただ、それだけで感情をコントロールするコツはつかめますし、その習慣によって早い段階で人生が劇的に変化していきます。

 そもそも特定の「反応」が引き起こされるきっかけは非常に些細なことである場合が多いです。嫌いな上司の顔を見る、嫌な客から電話がかかってくる、朝起きたら何となく憂鬱、人から何かを言われて気分を害する、仕事しながらため息がでる、、、などなど。これらの「反応(アンカー)」に対しては、そもそも関係のない「原因(トリガー)」が無意識的に結びついているだけです。

 まずはそのことに「気がつく」ことが重要。別の言い方をすれば、「無意識」の反応を「有意識化」することです。それがどんなに大きな意味を持つものか、実際にやってみるとわかります。とにかく特定の「入力(トリガー)」と「出力(アンカー)」の関係を客観的に見つめるだけ。それ以上は何をする必要もありません。

 「あ・・出てきた・・・(以上)」てな具合に、意識的な処理をすればOK。プログラムを書き換えるなども考える必要なし。重要なのは「無意識」を「有意識化」することですが、もしもそれができれば、うまく行けば後は勝手に「反応」が変化してくるかもしれません。ただし、変化させようと焦らないこと。そしてそのネガティブな反応を嫌わないこと。好きになるとも、感謝するとも考えなくていいです。その「反応」を意識的に表に出して、ちょっとより分ける感じでOK。それ以上はいかなる価値判断をする必要もありません。つまり「判断しない」ってことが重要。

 それだけで間違いなく人生は変わります。経験済み。で、二つ目の質問である「すべてはひとつ」については、長くなりましたので、また別の機会に。それではまた。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-05-24 23:39 | ■願望実現
 さあ、今日も何の話しましょうか。今日も特に変わったことのない一日。毎日のことですが、私がブログを書くのは、ほとんど「自働書記」に近い感覚で書いています。完全にブラインドタッチですので、書くスピードはしゃべるのと同様、猛烈に速いと思います。よく聞かれるのですが、毎日の長文の日記にどれくらいの時間を費やしているのかと。平均すると、だいたい一時間程度でしょうか。ほとんど推敲もせずに、考えるよりも先に文章を書いている感じ。ブログに費やす時間の一時間が長いか短いかはともかくとして、私にとってこの一時間は何よりも「至福」の瞬間です。

 人は誰もが聞くよりもしゃべる方が好き。同様に本来は「読む」よりも「書く」方が好きなんだと思います。ただ、多くの人は奥ゆかしいためか、こんなに便利なツールがあるのに、あまり書こうとしません。書くネタがないとか、時間がないとか言われますが、一度こうやって「書く」習慣が身についてしまうと、書かなければ気持ちが悪いし、逆に書いているだけで、脳内から「快感ホルモン」がどんどん出て健康になっていくようです。

 昨日書いたように、「宇宙となかよし」も5月に7年目を迎えましたが、死ぬまで書くことが私の「人生」だと思っています。別にそれを「目標」にしているのではなく、その方が、私にとってはるかに自然だからってこと。9年目を迎えるのは2012年。精神世界業界はすっごいお祭りになっているでしょうね。

 ただ、こないだも書いたと思いますが、ビジネス系のセミナーをやった時、参考までに「2012年」のことを知っているか聞いてみたところ、手を上げたのは20名中3名くらいでした。世間的には2012年とかアセンションなんてのは、その程度の認知度なんですね。でも、仮に20名中3名の認知度が一般的だとすれば、15%の人が知っていることになります。テレビの視聴率でも15%はなかなかのもの。

 ですので、15%が2012年に対して何らかの「思い」を持っているのであれば、それは相当大きなムーブメントになるとは思います。ちょっと前までは「ノアの箱舟」のような言い方をされていて、特別な選ばれた人たちだけがアセンションできて、光の世界で生きることができるなどなど。そのためには「波動」を上げておく必要があるので、いろいろしないとダメですよって、ある種の洗脳を施すわけです。それがビジネスに結びついたケースもたくさんありますが、最近はヤバイことにはなっているとか。

 ただ、もしも仮に「ノアの箱舟」が来たとしても、私は乗りたくないな~と思っています。光の世界だとか、5次元だとか大それた話がありますが、私は3次元の闇の世界で生きて死んでいくことを望みたいと思っています。正直なところ、もしも私だけが5次元に進化したとしても、3次元に残った人たちのことが気になりますもの。それが身内であろうがなかろうが。

 でも、多分、そんなことはないと思います。「ノアの箱舟」が来るなんてことは。と言いながらも、2012年が来るのが何となく楽しみではあります。本当のことを言うと、2004年にこのブログを開始したのですが、ちょうどその頃から私の焦点は「2012年」にありました。仲の良かった友達の家でいつものように語り合っている時、突然、「2012年って知ってる?」と聞かれて、その時、初めてその話を知ったのです。

 ただ、その時点では今よりももっとオカルト的な話だったのですが、いずれにせよ「あと8年」が私の中での合い言葉となっていました。それが今となっていは「あと2年」です。何も起こらないと思いながらも、何か起こるかなってささやかな期待と不安があるのも事実。

 でも、一つだけ言えるのは、2012年も私がシコシコとブログを書いているんだろうなってこと。今と変わらずに。そして「今」と変わらない「今」があるだけ。確信があるのは、それだけのことで、それがすべての情報だとも言えるわけです。箱舟の船頭になるつもりもないし、でも、私の箱舟が楽しそうだったら「どうぞ」とは言うと思いますが、あっちの箱舟に興味があるのなら、それもまた「どうぞ」です。と言うか、誰もがそれぞれの「箱舟」を作って、お互い乗り合って楽しめばいいだけで、特定の誰かの箱舟に我先にと目がけて行くのはどうかと。

 つまりはノアさんの箱舟にだけ集中するのではなく、一人ひとりが箱舟を作って楽しむ。そして一人ひとりが自分の箱舟が大好きで、だからこそいろんな人に乗って欲しいと思う。要するに誰もが自分のことが心から「大好き」って思えるような時代が来れば、すっごく幸せな世の中になるんだと思っています。自分のことが好きな人は、実は他人のことも大好き。

 不幸な人の特徴として、他人の幸せが嫌いってことがあります。でも、究極は(潜在意識的には)自分も他人も「ひとつ」なので、他人の幸せが嫌いな人は、自分の幸せも嫌いってこと。だからいつまでたっても「幸せ」はやってこない。と言うか、「幸せ」に気がつくことができない。

 他人の幸せを見つけることができたら、そこで「よかったね~」と一緒に喜んであげる。それは同時に自分の「幸せ」を一つ見つけることにもつながるのだから。そして皆がお互いの「幸せ」を喜び合って生きていける。それが2012年なんだったら大歓迎。でも、競ってアセンションだの幸せだの言って、あっちに行くのなら、私はこっちで手を振って見送りますのでどうぞどうぞ。でも、多分、こっちに残る方が楽しいこと多いと思いますよ。てなわけで、今日はこの辺で。ありがとうございました。
 
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by katamich | 2010-05-23 23:39 | ■精神世界
 今日は(も)何の話をしようかなあ。2004年5月に開始したこのブログ(当初は「宇宙となかよし」というタイトルではありませんでした)。今は5月なんで、すでに丸6年も経過。ブログ始めて7年目に突入しました。この調子で2014年4月いっぱいまで続けると10周年ってことになります。私は41歳。え~!って思いますが、20代の頃は30代が信じられなかったし、10代の頃は20代が信じられなかった。私の周りには50代、60代の方もたくさんいるので、41歳なんてまだ若い若い。普通に性欲もあると思います。

 まだ先の話ではありますが、ブログ10周年の暁には何かやりたいと思います。とりあえずは、講演会&パーティを全国各地でって感じかな。その頃、私は何をやっているでしょうか。今はセミナーや研修、講演、執筆が中心ですが、2005年に会社を辞めた時は、そんな概念さえない時代。なので、ひょっとしたら、現時点で概念さえないこと(少なくとも私の中では)をやっている可能性はあると思います。

 昨日の日記で「目標設定」のことを書きましたが、確かに「目標」は立てた方がいいです。その方が「方向」が定まるので行動の指針がつきやすい。でも、「目標」に向かって歩いていると、ある日突然、別の道が現れて、導かれるように進んで行くと、、、ってことがあります。その結果、当初の目標とは全く違うところに立っていることがよくあります。

 突拍子もなく会社を辞めたりなどすると、通過儀礼のようにマルチビジネスに誘われるのですが、今となっては私がそれをやっていることなど考えられません。ですが、短期間であれ関わっていたことは無駄ではなかったと思っています。いいこと悪いこと含めていろんな学びがあったのは事実ですから。

 そして今ではセミナーや講演で全国を周っています。おそらくその辺の動きはこれからも変わらないとは思いますが、本当のところ何をやっているのか現時点ではわからない。ですが、すべてはすでに決まっている、と思っています。そんなことを裏付けることが、これまでの行動の中にいくつもあるのです。

 例えば「人前で話をする」ことを続けるために必要なことは、話のネタ、疲れない声、話すのが好きであること、などありますが、そのような材料は意図せずしてこれまで集まってきました。話のネタについて言えば、まずはたまたま始めたこのブログがそうです。私がしゃべれるのは、基本的にブログに書いてきたから。プラス、話しながら出てくるものもあります。ではブログはなぜ書けるのか。毎日長文で。それは20歳前後にハマっていた哲学(現代思想)の影響が大きいと思います。特によく読んだのが現象学。そして今思うと、現象学は量子力学や原始仏教の考え方に極めて近いことを知ります。

 精神世界の思想的な側面ってのは、一言で言ってポストモダン(脱近代)です。強引に言うと、「近代」はアプリオリに客観世界(物理物理)が存在することを前提としています(※アプリオリ:演繹的証明の必要のない自明的な事柄)。つまり個々の認識に先だってこの世の中は存在するという考え方。それが近代(モダン)の定義です。それに対して、現象学にしても、精神世界にしても、量子力学にしても、いわゆるポストモダン的な文脈に括られる思想や科学は、アプリオリな客観世界の存在を疑うことから始まります。

 つまり目の前の世界も、それが最初からあるのではなく、私たちが認識するから「ある」のだと。ここでの認識のことを、「物理空間」に対して「情報空間」といいます。つまり私たちの世界は究極的にはすべて「情報空間」であり、その意味において私たちの認識は、すべて「物理空間」へと影響を与えるのです。

 「願望実現」のメカニズムもここにあります。「情報空間」に対して高いレベルでの臨場感を持つことができれば、それは「物理空間」へと結晶化します。例えば今、私たちは日常的に極めて高い精度でテレパシーを行っています。それはある時代のある人たちが「テレパシー」に対する高い臨場感を持っていたから。地球の裏側の人とリアルタイムで話したいな~という「願望」があり、それが前頭前野へと送り込まれ、しだいにその「情報空間」が結晶化します。その結果できたのが携帯電話です。飛行機も炊飯器も掃除機もロケットもパソコンも、今目の前にある「物理空間」はすべて「情報空間」の反映です。

 そして人間は前頭前野が発達しているおかげで、高い臨場感を伴う情報空間を作り出し、その結果、生活がどんどん便利になっていったのです。どんなに頑張っても猿に携帯電話を発明することはできません。それは前頭前野が発達していないから。
 
 そしてこの世はすべて「情報空間」であることを悟ったのがお釈迦様であり、その代表的な思想体系が「空(くう)」なのです。色即是空空即是色とは、この文脈で翻訳すると、「物理空間とはそもそもは情報空間の一部に過ぎず、同時に情報空間はあらゆる物理空間を作り出すのですよ」って意味。

 携帯電話の例で言えば、「携帯電話(色)ってのは、もともと誰かが考えたから(空)あるのであって、その考え(空)が結晶化することによって携帯電話(色)が作られたのですよ」となります。

 こう考えると、最初から「モノ」があるとする近代科学がいかに大雑把なものかわかるでしょう。これはもちろん携帯電話の発明云々の話に限らず、もっともっと深い意味での話。例えば「真空」って概念があると思いますが、私たちは永遠に「真空」を認識することができません。なぜなら真空を観察してしまうと、そこに素粒子が必ず生じてしまうから。詳しくは量子力学の簡単な解説書をご参照ください。で、この「素粒子」のことを仏教では「空」と言ったり、ここでは「情報空間」と言ったりしているだけです。

 話を戻しますと、こんな話がすんなりと受け入れられ、そしてそれをベースにしてブログを書いたり、セミナーをしたり出来るのも、20歳前後にハマっていた現象学が無関係ではないのです。あと、マイクも使わずにどんなに長時間しゃべっても喉が壊れないのは滝行の賜物です。話すのが好きになったのは高校時代の体験があったから。そんなことを一つ一つ紐解いて行くと、ちょっと前まで概念さえなかった「セミナー」ができるのも、実は最初から決まっていたとしか思えないのです。

 余談になりますが、尉川さんも私も、基本的には「すべては情報空間だ」と言う人です。表向きは。霊なんかもその人の中の情報空間に過ぎません。私も今の家に引っ越す前、何度か霊を見たことがあります。真夜中に起こされて、ふと見ると窓際に菅笠をかぶった3人の白装束がいたりして。その時は般若心経で追い払ったのですが、今思うと、それも私の情報空間の一部に過ぎません。

 と、いう前提を置きながらも、、、実のところはどうか。実は情報空間とは思えないこともあるのです。先ほど、「すべては決まっている」と言いましたが、実のところ「生年月日」「時間」「名前」だと客観的な情報だけで、その人が死ぬ日時までわかってしまうそうです。「~そうです」と言ったのは、私自身会ったことないし、当然、自分が死ぬ日も知りません。そして知ろうとも思いません。ただ、尉川さんは、そんな人に会って話をしたこともあるとか。深い人ですよ。

 つまり私の人生で起ったこと(シンクロニシティ)、そして人の運命をすべて知っている人がいるという事実(?)などを考えてみても、どうやら人の運命は決まっていると考えた方がよさそうに思うのです。ただ、その運命を知る知らないのも、まさに運命の中にあります。でもですね、、、こんなことってないでしょうか。

 いわゆるデジャブみたいな漠然としたものではなく、突然、目の前にすっごい臨場感をもって何かが現れる瞬間を感じたことがある人は。もはやそれは現実か架空の区別もつかないくらいに。でも時系列的に見れば「架空」だし、現にまだ起こってないことなんだから架空に決まっています。でも、あのリアリティはハンパなかったぞ、なんてことが。そしてその時に見たことが、数年経過して「実現」しているようなことが。

 実を言うと、私が大学時代、ある女の子の家庭教師をしていました。ある日突然、「石田さんは社長になるんですか?」と言われたことがあります。その時はそんなことないやろう、と答えたと思うのですが、15年くらい前のことであるにもかからず、その一言が今でも耳に残っています。そしていつしか、それは現実となるんじゃないかと思っている自分がいました。その結果どうなったか。数日後に株式会社が設立されますので、私は法的な意味においても「代表取締役社長」となります。

 それ以外にも「全国周ろうよ」とか。あ、また一つ思い出した。今から10年ほど前の話ですが、大学の友達の家に泊まったことがあったんですね。当然、ご家族の人ともお話します。その時、友達のお母さんから「石田さんは将来何になるんですか?」と聞かれました。わかりませんと答えたと思いますが、その時、「講演家とかどうですか」と言われたのを今でも覚えています。そしてそれがずっと耳に残り続けています。

 おそらくそれ以外にもいろんな人からいろんなことを言われたとは思うのですが、私の耳に残っていることはほとんど実現しています。それって何なんでしょうか。当然、「本の出版」も誰かから言われて、耳に残っていたからこそ実現しています。ただ、誰も「スマップの一員になりそうですね」とは言ってくれません。

 結局のところ、誰もが人生はすでに決まっているのでしょう。そしてその時々においては、いろんな人の口を借りて「運命」を聞くことになります。その中でも耳に残って、つまり、とりわけ高い臨場感を伴っている言葉ってのは、時が経つといつの間にか実現しているのです。それは私の努力で実現したのか、それとも最初から決まっていたのか。両方なんでしょうが、その努力さえも最初から決まっていた。そう考える方が妥当な気がします。

 なので何をやっても無駄。と同時に、何でもできる。何もしないのと、何でもするのと、どっちが楽しいか。私は何でもする方。どうせ最初から決まっているんだから、何やっても同じ。だったらできる限りやろうよ、と私は思うのです。

 人間の前頭前野を発達させたのは「死の恐怖」だと言った人がいました。死の恐怖をやわらげるために、人類は発展してきたのだと言えましょう。なぜ家を作ったのか。それは雨風をしのぐため。そんな原始的なことから、それこそ携帯電話やパソコンに至るまで、あらゆる発明の源には「死の恐怖からの回避」ってのがあると思います。しかし、「死の恐怖」は時として非常に不自然、不均衡な現実を作り出しています。

 例えば肉牛一頭を育てるのに、どのくらいの穀物を必要とするのか。おそらくその穀物で多くの飢餓が救われると言う人もいます。もちろん現時点で肉牛をバッシングするのは妥当ではないでしょうが、そのような説があるのも事実。この例から引き合いにすると、先進国の一部の「持てる人々」が自らの「死の恐怖」から逃れるために、後進国の「持たざる人々」の自由を奪ったという考え方も成り立ちます。環境破壊なども一例でしょう。

 つまり「死の恐怖」→「前頭前野の発達」→「文化・文明の発達」→「不自然・不均衡」という流れがあるとすれば、その大元の「死の恐怖」がなかったらどうなるのか。その「もし」を考えるのは困難ですが、ひょっとしたら違った形での人類の発展があったかもしれません。

 ですが、もしも人生は最初から決まっているのであれば、死を恐怖しようがしまいが同じこと。だったら死を恐怖しない生き方も成り立つわけです。そもそも人間は生まれた瞬間から死に向かって歩き始めます。つまり私たちは例外なく死に向かって生きているわけです。そんな矛盾を抱えた存在が人間であり、もしかしたらその矛盾こそが人間の「苦」の根本なのかもしれません。だとすればその「苦」を消滅させるには「生―死」という二元論から脱出することが重要となります。

 「生死」という一つの「系」から外に出てみる。すると何があるか。それを見た人がいる。その人たちのことを「目覚めた人(ブッダ)」と言うのかもしれません。では、どうすれば「生死の系」から出ることができるのか。それが大切なんですが、6月のセミナーでも扱うように、それもまた「ダブルバインドの超越」と密接に関係してきます。なぜなら私たちが避けられない究極のダブルバインドが「生と死」にあるのですから。人は「死」を避けようとします。しかし「生」きることは「死」へと近づくことでもあります。人は「生」を目的として「死」を避けようとするのに、「生」にまっとうすればするほど「死」が近寄ってくる。それが人間の「苦」の根本にあります。

 よく言われるように、なぜ「悟る」とあらゆる「苦」が消滅するのか。その答えは「悟り」とは「生と死」を超越することだから、です。話を最初に戻します。今年でこのブログも7年目に入りました。10周年は2014年ですが、9年目(Q年目)に何かが起こります。そう、2012年ですね。実はこの「宇宙となかよし」の一つのクライマックスもその年にあるのかもしれません。

 2012年12月。精神世界では何かが起こると言われていますが、フォトンベルトがないことは証明されたし、電気が使えなくなったり、特別な天変地異が起こったり、世界戦争が起こったりすることも、まずは考えなくてよさそうです。でも、あるとすれば、、、それがもしかしたら人類の目覚め(悟り)なのかもしれません。

 「死の恐怖」が「不自然・不均衡」を生み出したのだとすれば、「生死の超越」がもしかしたら「自然・均衡」を導くのかもしれません。そのスタートが2012年かどうかはともかく、そのような世界が訪れることを期待するばかりです。今日は濃かったかな。ありがとうございました。
 
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by katamich | 2010-05-22 23:39 | ■精神世界
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