宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

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 5時からの「早朝談話室」の後、しばらくして宝満山に登ってきました。今月3回目の目標達成です。ただ、今日は頂上付近が雨模様で、昨年の雷事件を思い出させるような怖い雰囲気がありましたが、下山するにつれ晴れ間も広がってきたので無事に帰ることができました。家に帰ると、ちびQと一緒にお風呂に入り(幸せ)、しばらくしてご飯。ちびQもミルクでご飯。食後はお歌の時間。笛を吹いてあげると喜ぶのです。かわいい。

 ところで、最近、いろんな人からメッセージを頂きます。「早朝談話室」でお話したいとおっしゃる方も連日。阿部敏郎さんにご紹介頂いた影響だと思います。私のこのブログは自分自身の「体験」をベースに、様々な知識を動員しながら好き勝手書くというスタンス。阿部さんもそうだと思いますが、自らの「体験」があるからこそ、言葉に何がしかの説得力も生まれるものだと思います。その意味では、昨日、話題にした「伊勢白山道」も同様、その方もまた、細部はともかくとして、ご自身の「体験」があるからこそ、多くの読者を獲得するまでの説得性を持ち得たでしょう。
 
 そのように書くと、何やら至高の「体験」なるものに憧れを抱く人も少なくないと思われますし、実際、そのようなメッセージも頂きます。そこで、そのような至高「体験」をするにはどうすればいいのか、いわゆる「悟り」と呼ばれる境地に達するにはどうすればいいのか、という話題に関心が向く人もでてきます。先日、書いた「世の中の図式」で言うと、いわゆる「高次元世界」に突き抜けるための「体験」のこと。究極的には私の言う「絶対愛・絶対感謝」の境地。
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 では、そこに行きつくためには滝行をすればいいのか、山歩きをすればいいのか、瞑想をすればいいのか、スピリチュアルなワークを実践すればいいのか、など何やら特別な方法論にフォーカスしてしまいがちです。しかし、私は「違う」と考えます。もちろんどこかの段階でそのような経験があってもいいと思いますが、3次元に生きている以上、我々が一番先に優先すべきことは「3次元」を極めることだと思っています。

 極端な話、お釈迦様も3次元を極めるところからスタートしています。王子として生まれ、何不自由ない生活をしながら、ある日それを捨てて苦行の旅に出ます。それらを十分に知った上で、極端な「快」でも「苦」でもない中庸に目覚め、深い瞑想とともに「悟り」を開きました。もしもそれを追従するならば、最初からスピリチュアルな領域にばかりつながろうとするのではなく、快も苦もすべて受け入れて「3次元」をまずは極めることが重要だと思われます。

 では「3次元」を極めるとはどう言うことか。3つの要素があると思われます。それは「健康」「人間関係」「お金」です。これらは年間3万人と言われる自殺原因のベストスリーであることからわかるように、この3つをクリアすれば、一応「3次元」での問題は解決すると思われます。

 まず、健康について言えば、世の中には一見不健康に見える人でも、一概にそうとも限りません。「健康」とはつまり「心身の健康」であり最終的には「心の健康」のことを指すからです。例えば何らかの持病を持ちながらでも、感謝に満ち溢れた日々を送っている人はたくさんいます。傍目にその持病は大変な状態であったとしても。その一方で、ちょっと肩が凝りがちなだけで、不平不満を常に言っている人もいます。では、どちらの方が「健康」だと言えるでしょうか。別のいい方をすれば「自由」だと言えるでしょうか。

 私は持病を持ちながらでも感謝をベースに生きている人だと思います。そのような人は持病を言い訳にせず、仕事なり趣味なり、精一杯楽しんで取り組みますが、常に不平不満ばかりの人は、ちょっとしたことでもそれを言い訳にして動こうとしません。どちらが「自由」でしょうか。

 そして「人間関係」と「お金」について。これは私自身、セミナーでも取り扱っているコンテンツではありますが、今日は「お金」について書きたいと思います。端的に言って「3次元」を極めるには「お金」を稼ぐことが不可欠です。では、どうすれば「お金」を稼ぐことができるのか。具体的な方法論はたくさんあり、それらをきちんと実践しなければ、絶対に稼ぐことはできないと断言した上で、スピリチュアルな領域から「お金」を定義したいと思います。

 「お金」とは「与えた愛」及び「受け取った感謝」のエネルギーの総量なのです。

 これは普通に考えたらわかると思います。我々がお金を使うときは、必要なものに対してです。喉が渇いている時、一杯の水をもらったら感謝するでしょう。その「感謝」をエネルギー化し、さらに具象化したものが「お金」です。そして水を与えた人は、そのエネルギーを受け取る権利が発生します。それが「お金」です。そしてその与えることの根底にあるのがいわゆる「愛」です。あまりにも当たり前のこと。
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 ですので、「与えた愛」及び「受け取った感謝」の量(質)が多ければ多いほど受け取る「お金」も大きくなります。なぜ自動車業界が儲かったのか。それは自動車を使う人々が、それに「感謝」したからです。例えば今、地下に潜る車を安価に開発したとしても、それを使う人がいなければ、お金は儲かりません。なぜならそこに使う人の「感謝」がないから。IT業界が儲かったのも同様。ITは自動車ほどの設備投資や材料費も必要としませんが、今では仕事なり生活なりに必要不可欠になっています。私が今、こうやってブログを書いて情報発信できているのも、ITのおかげです。だからこそ、ITを開発した人、売った人は儲かって仕方ないのです。IT長者がいて当たりまえ。

 ただ、「お金」とはエネルギーであるので、一対一の取引のように、直接、「愛」と「感謝」が取り交わされるとは限りません。直接的な取引においては、例えばAさんがBさんにサービスを与えたとして、その対価として得られる報酬がお金となります。しかし実際はその限りではありません。AさんがBさんにサービスを与えたとしても、Bさんは直接Aさんにお金を払うとは限りません。BさんはCさんにお金を払い、そこで始めてAさんはCさんからお金を受け取るようになります。すなわち「組織」です。しかしいずれにせよ、最初に与えたAさんは最終的は「お金」を手にすることができます。
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 しかし、このことは一定の「組織」に限ったことではなく、世の中全体がこのような図式で成り立っているのです。つまり最初に与えた人は、必ずどこかでそれを「お金」として受け取ることが出来る仕組みになっている。そこが面白いところ。

 そして今からさらに面白いことを書きたいと思います。実際の世の中は与えた総量(愛)と受け取った総量(感謝)が一致しないかのように見えるこがもあります。例えば代々の大富豪など、どう考えても遊んでいるようにしか見えない人が、巨額のお金を稼いでいたりします。一方で一時的にお金を稼いだはいいものの、すぐに破産してしまう人、さらに一生懸命に働いているのに、わずかなお金しか手にできない人、たくさんいます。世の中はそんなに単純じゃないのですが、ここではあえて単純に書きたいと思います。

 そのポイントは「お金はどこかの瞬間から自己増殖し始める」という法則です。

 例えば最初はいろんなこと考えたり、睡眠を削ったりしながら、一生懸命に働いて、それで必要最小限のお金を手にしていたとします。しかし、何かの瞬間から、突然、お金は増え始めるのです。お笑いタレントなどを見ててもそう。10年間下積みのような生活で、バイトしながらギリギリの生活していた人が、M1グランプリで決勝進出した瞬間に、仕事がバンバン入って気の休まる暇はないものの、預金通帳の残高がどんどん増えてきたり。

 また、売れないミュージシャンとして生活していたのが、何かの曲が一つ大ヒットするだけで、あとは遊んで暮らせるような。普通のビジネスでもそう。制度政策が変わっただけで、それまで細々と売っていた商品が爆発的に売れ始めたり。かつてのゴミ袋がそうですね。分別収集が導入されてから、特定のゴミ袋の需要が急増し、私の知るある会社は、そのゴミ袋特需で新入りの女性事務社員の一回のボーナスが70万円なんて聞きました。

 そのように、今までと同じことをしていたのに、まるで「お金」自体が意志を持つかのように勝手に増えることだってあるのです。私の例を出すのは遠慮させてもらいますが、確かにそんな瞬間があります。こんな感じに。
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 どうすればその「自己増殖」の瞬間を迎えられるのかと言うと、やっぱり一つのことを地道に続けていくことが一番ってことになるのでしょう。もちろん全然儲からないことをしぶとくやってても、それは執着になってしまいますが、先月よりも3%増しでも、地道にコツコツやるに勝ることはないでしょう。

 ただ、実はそうなってからが重要なんです。いわゆる成金と呼ばれる人が、すぐに身を滅ぼしてしまうのも、その「自己増殖」が始まってからの対応が良くないためです。重要なことは与えるエネルギー(愛)と受け取るエネルギー(感謝)のバランスを取ること。与えるばかりではエネルギー欠乏症になりますが、受け取るばかりだとエネルギーに押しつぶされます。そこで、本当のお金持ちの人たちはその辺のバランスを取るのが上手です。しばしば普通の人が宝くじで高額当選すると、あっという間に身を滅ぼすなんて話はよく聞きます。つまりバランスがとれていないんですね。

 ですので、もしも「自己増殖」が始まったら、それを貯め込むことなく社会に還元することが重要。お金持ちの人たちが寄付をしたり、社会活動したりするのも、その辺のことがわかっているからなのでしょう。そして寄付によって与えた「愛」は、それがある利息をつけて「感謝」という形で帰ってきます。だからお金持ちはお金持ちなのです。そしてここまで行くとそれは「高次元世界」に進んだことになるのでしょう。

 ただ、この「自己増殖」の段階ってのは、一定レベルにならないと訪れないわけで、世の中の多くの人はやっぱりなんとでもお金を稼ぐことが先決。もっと言えば、失業中で生活もヤバい人だっているわけですから。では、どうすれば「お金」のエネルギーを引き寄せることができるのか。それは法則的には「高次元」ですが、具体的には「3次元」で頑張るしかないのです。

 上の「世の中の図式」では頂点に「絶対愛・絶対感謝」をおいていますが、こればかりは何度も言うように「体験」でしか認識することはできません。口先ばかりの愛や感謝は薄っぺらいもの。では、そのような至高の「体験」未満の人はどうすればいいのか。それが「行動」のレベルで「愛」と「感謝」を実践することに他なりません。元に戻りますが、それが「愛=与える」であり「感謝=受け入れる」なのです。それはe-BOOK「宇宙となかよし」でもお馴染みですが。
 
 では、もっと具体的に言えばどうか。やっぱり一生懸命に働くしかないのです。サービス残業だって文句を言わずにするしかないのです。ま、文句ばかり言ってた私が言うのもなんですが、それでも最後の1年間はこの辺のことに気付き始めて、すべてを「感謝」で考えるようになった結果、今のように私の進むべき道を選ぶことができました。そしてとにかく一生懸命にたくさん働くこと。それが行動レベルにおける「愛」の具体化なのですから。

 しかし、失業中など、働く以前の人はどうすればいいのか。実を言うと今になって思うのですが、私がニート時代のどうしようもない時に、この法則を実践していました。正直、日雇いのバイトにも雇われなくなり、夕方の「金八先生」と「びんびん物語」の再放送、「アサヤン」に「ガチンコファイトクラブ」を見ることくらいしか人生の楽しみがなくなったとき、知り合いが院長をつとめる特別養護老人ホームでボランティアを始めたのです。あの時はとにかく社会と関わりたくって、何でもいいからやりたかったのです。

 そしてボランティアを始めて1か月が経った頃、後に入社する会社でアルバイトをするようになりました。とにかくあの時は求めることよりも、自分のできることで何か社会と関わっていたかった、その思いでいっぱいだったのです。それはつまり「与える=愛」の行動だったのです。その結果、思わぬところから仕事ができるようになったのです。もちろん直接的な因果関係は証明できませんが、私はこれが「宇宙の法則」だと思っています。

 ですので、もしも失業中で仕事が見つからなくって困っているのであれば、「与える」ことが不足しているのかもしれません。ハローワークに通いながら、何でもいいから「与える」ことへとシフトするべきです。ボランティアでなくとも、公園のごみ拾いでも、近所の掃除でも。さらにそんな時こそ自己投資に時間やお金を充てるのもいいと思います。行動様式、そしてお金の使い方をちょっと変えるだけで、状況は劇的に変わることがありますから。

 以上のように、高次元の悟りを目指すより、最初にすることは3次元を極めること。実は高次元も3次元もその根底は「愛」と「感謝」です。それが高次元のスピリチュアルなレベルなのか、3次元の行動のレベルなのか。その違いがあるにせよ根本は同じ。しかし、順番はやっぱり3次元が先なのです。つまり一生懸命に働き、そして起こりうることにすべて「感謝」する。それが極められれば、必ずや次のステージへと誘われるもの。
 
 世の中って、実はすごくシンプルなのかもしれません。ありがとうございました。


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by katamich | 2009-08-31 23:39 | ■精神世界
 今日は選挙。昼過ぎから親子3人で行ってきました。もっとも、ちびQは選挙権ありませんが、今回の選挙は世紀の「政権交代劇」が見られるだろうし、民主党の子育て対策にも期待を寄せて、清き一票を投じてきました。そして下馬評の予想をはるかに上回る議席の獲得で、政権交代が相成りました。時代が変わる・・かな?

 正直、政治そのものはそんなに急には変わらないでしょうが、国民の「機運」みたいなのは変わりつつある気がします。何より今回は最高の注目を集める選挙でしたし。2009年8月もこれにて閉幕。やっぱ凄い月だったと思います。

 ところで今日は、ひとつ、「内在神」について書きたいと思います。「内在神」ってのは、ブログランキングをクリックして頂ければご存じの、あのモンスターブログにて提起される概念です。もう伏字にすることもないと思いますので、「伊勢白山道」というブログについて。

 私自身、そのブログについて丹念に読んでいるわけではありませんので、言及するに的外れなこともあろうかと思います。ですので、記事の細部についてあれこれ言うことではありません。ただ、先日、丸善書店に行った時、そのブログの著者の方の著書が3冊平積みになっているのを確認し、つい先日、2チャンネル時代の読者である方とお話したこともあり、一つの「現象」として興味深いものがありましたので、ちょっと考察してみることにします。

 まずは「初めての方へ」を読んでみたのですが、はっきり言って素晴らしいことが書かれています。現状に感謝する、魂を成長させるための生老病死の恩恵、先祖供養の大切さ、そして内在神を信じること。まったく批判に当たることなどなく、どれもが素直に受け入れられることです。しかし、それは同時に目新しい話もなくどれも「あたりまえ」のこととも言えます。もちろん「あたりまえ」のことを当たり前にできる人は、世の中、決して多くありませんので、何度もそのことを提示することは意義あることでしょう。

 ただ、私が興味深いと思ったのが、ある意味、昔から何度も言われてきたような道徳的な話に、なぜにあれほどまでの読者がつくのか、それも熱狂的に。それはマーケティングの視点から見ても興味がそそられます。ですので、今日の考察については、著者であるリーマン氏の霊視の判断など内容そのものではなく、「伊勢白山道」という「現象」そのものにスポットを当ててみたいと思います。

 例えばビジネス書界で言えば、「伊勢白山道」に匹敵する人がどのくらいいるでしょうか。古くは大前研一氏か、最近では勝間和代氏、本田健氏、石井裕之氏くらいでしょうか。例えば「伊勢白山道」に関する著書が発売されるとなると、予約の段階でアマゾン総合一位に輝きます。これはビジネス書から見ると驚愕の現象。実際、ビジネス書界では「アマゾン」は一つのベンチマークであり、そこで上位を取るために、作家はありとあらゆる手を使います。よくあるのがアマゾンキャンペーンで、ブログやメルマガを通じて、読者に対して一定期間にアマゾンでの購入を促すものです。そのキャンペーンに参加された方には、著者の音声やレポート、セミナー優待券などがもらえます。そのキャンペーンのやり方についても、それはちょっとやり過ぎでは、、、と思われるようなものもあります。そしてキャンペーンで人為的に上位に食い込んだ本が面白いかと言えば、決してその限りではありません。そもそも本当に面白い本であれば、キャンペーンなどする必要ありませんから。

 それに対して「伊勢白山道」関連書籍はそのような工作をせずとも、発売前から堂々一位。やっぱり内容が面白いからなのでしょう。もちろん面白い面白くないは、人それぞれで一概には言えませんが、少なくともそれだけの読者を獲得していることは事実。なんでこんなに売れるのでしょうか??

 そこでちょっと思い当たったのが、ビジネス書のベストセラーである、ロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん貧乏父さん」、本田健氏の「ユダヤ人大富豪の教え・スイス人銀行家の教え」など。実はこれらの本と「伊勢白山道」にはある共通点があります。それは何でしょう??

 本当はここで思いっきりひっぱりたいのですが、答えを先に書くと、それは「匿名性」です。今ではキヨサキ氏も本田氏も公言しているようですので、書いていいと思いますが、「金持ち父さん貧乏父さん」や「ユダヤ人大富豪・スイス人銀行家」は存在しません。キヨサキ氏に関しては、キャッシュフローゲームを売るためのパンフ本だと言いきっています。つまりそれらの本に登場する、メンターとなる人物は実在せず、彼らの全くの創作だったのです。

 しかし、多くの読者は、実際に「金持ち父さん」も「ユダヤ人大富豪」もいると思って読みますし、そうであるからこそそこにロマンを見てしまうのです。もしも仮にキヨサキ氏が「これは私の創作です」と最初に言ってたのであれば、あれほど売れることはないでしょう。キヨサキ氏という実在の人物ではなく、どこかに実在するとされる神秘的な存在の教えだからこそ、人は夢中になって読み進めるのです。

 それと同じようなことがブログ界でもありました。「実現くん」というブログです。これはすでに閉鎖されているのですが、そのミラーサイトがあちこちにありますので、検索すれば出てくるでしょう。「実現くん」とは、月収30万円の平凡なサラリーマンが、様々なスピリチュアルテクニックを実践することで、短期間に月収1,000万円を実現したとされる方のブログです。それが本当かどうかはわかりませんが、そこで紹介されるテクニックの具体性やわかりやすさなどから、一時期、熱狂的に読者を獲得しました。

 しかし、結局、「実現くん」の正体はわからずじまいでした(知ってる人は知ってるんですけどね・・)。そして閉鎖したにも関わらず、誰かが勝手に復刻して未だに読まれているようです。ともかく、その正体のわからない「実現くん」のブログはその「匿名性」ゆえに読者を本当に熱狂させました。もしも、これが匿名ではなく、山田五朗が書いているとかだったら、そんなに熱狂しなかったのではと思います。よくある願望実現ブログの一つにすぎないとされ。

 このように人は「匿名」に対して、並ならぬ関心を示すものです。そしてそれは「脳」のメカニズムそのものなのです。例えば次の図を見てください。さてこれは何でしょう?
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 まず左側は言うまでもなく「円」と答えるでしょうが、右側については多くの人は「欠けた円」と答えるでしょう。しかし厳密にはこれは「欠けた円」ではなく「曲線」です。なぜその「曲線」に対して「(欠けた)円」と見てしまうのでしょうか。それは人間の「脳」のメカニズムによります。脳は欠けたと見える部分について、どうしてもそれを埋めたくなるからです。脳には空白を埋めたくなる原則があるのです(詳しくは山崎啓支「NLPの基本がわかる本」)。

 例えば韓国ドラマをつい徹夜して見てしまった人も少なくないと思います。なぜなら韓国ドラマはどれも続きが見たくなるような終わり方になっているから。もちろんドラマは何でもそうですが、韓国ドラマは特にそんな感じです。つまり続きが「空白」になってしまい、脳の空白を埋めたがるメカニズムによって思わず延々と続きを見てしまうのです。つまり人は「空白」に引き寄せられる性質を持つのです。

 2年ほど前に流行った「ザ・シークレット」も同様。読んでみるとなんてことない成功哲学なんですが、古今東西の成功者がこっそり実践してきた「シークレット(秘密)」がある、なんて言われると、俄然知りたくなってしまいます。しかも「量子力学」なんて魅惑的なタームが散りばめられてたりして。これもよくわからないから魅惑的なんです。

 要するに「金持ち父さん」も「ユダヤ人大富豪」も「実現くん」も「ザ・シークレット」もその正体・実体がよくわからないから、魅力があるのです。そしてそれは「伊勢白山道」も同じこと。私が認識する限りでは、「伊勢白山道」の著者リーマン氏はまったく謎に包まれています。一応表向きはサラリーマンとなっていますが、それだからこそ、実はとてつもない力のありそうな人に思えてしまいます。しかもしばしば「霊視」などと、これまた脳に「空白」を作ってしまう神秘的な言葉が随所に出てきます。それも2チャンネル、ブログ、書籍と続く中で一貫してその「匿名性」を保持したままでいます。私が知る限り、そのような前例はありません。
 
 ここまで来ると、確かにブログ自体は生身の人間が書いているにせよ、何かとつてもない神秘的な存在が書いているかのように錯覚してしまいます。その神秘的な存在が、時折、「霊」の話を交えながら、非常に道徳的なことを説いていくものですから、もはや逆らえない説得性を感じてしまうのです。そして完全に虜になってしまうのです。

 ちなみに「伊勢白山道」を読むと、おそらく無意識だと思いますが、いわゆる「催眠言語」が非常に巧みに用いられています。例えば8月30日の「避けても無駄です」の中で「空気を避けて生きる事が出来ないように、霊を避ける発想も間違いなのです」と書かれていますが、これ読むとすごくもっともらしく正しく感じてしまいますよね。「空気を避けて生きる事が出来ない」は明らかに正しいです。しかし「霊を避ける発想も間違い」は本当でしょうか。それぞれを切り離して読むとおかしいことに気付くのですが、それらをつなぎ合わせると、なぜか正しいように錯覚してしまいます。それをエリクソン催眠では「リンキング」と言います。その他には「流動性」「固定化」「霊的ハンディ」「感謝の磁気」など、とり出してみるとよくわからないんですが、文章の中に埋め込むと途端にもっともらしくなる言葉が羅列されます。それまたエリクソン催眠では「ノミナライゼーション(名詞化)」と言います。その辺りは指摘し出すときりがなく、あたかも催眠言語の教科書のようです。

 つまり、「伊勢白山道」はその「匿名性」によって読者を引きつけ、さらに催眠言語によって読者をさらに深くまで落とし込む仕掛けが巧みになされているのです。もちろんそれは無意識でしょうが、意識してできるものでもありません。そしてコメント欄を読むと、そこに書き込みをされる読者は完全に「トランス」に入っていることがわかります。例えば多くのコメントの最後に定型的な言葉が並んでいますが、まるで洗脳された信者がその教団のマントラを必死に唱えているかのようです。
 
 ここまでくると、ほぼ全自動的に「伊勢白山道」に書かれてあることを信じてしまいます。人はそもそも「一貫性」を保ちたくなる生きものです(詳しくはロバート・チャルディーニ「影響力の武器」)。自分にとって心地よい、都合のよいことが書かれてあると、その人が書いていることは、すべて正しいと思いたくなるものです。ある程度距離を取っていると、ここは正しいけど、そこは違うな、と冷静に読むことができるのですが、完全にはまり込んでしまっていると、その冷静さを失い、すべてが正しいと自動的に思ってしまうのです。

 例えば「先祖供養に3本の線香を焚く」は間違いでもありませんが、絶対正しいわけでもありません。つまり儀式の作法の一つとして、やりたい人がやればいいだけのものです。そしてそれがいいと信じている人にとっては本当にいいものなのです。現実は個々の認識によってつくられますから。ちなみに私の祖母は朝晩不動明王の真言を唱えていましたが、それがいいと思っているので、本当によかったんだと思います。私の知る限り、とても幸せな老後でしたし。

 同じように、「3本の線香」をしっかり実践して、そして心穏やかな生活を送ることもできるでしょうが、そうなればなるほど、それを提唱する人の言うことまでも正しいと「一貫性」を保ちたくなるのです。それは脳のメカニズムなのです。例えば上のエントリーについて、「仏像なども霊を寄せて、その場に固定化させています。固定化された霊が霊障を起こします」とありますが、これだと仏壇のある家はどうなるのでしょうか。場合によっては、深くはまってしまった人は、先祖代々の仏壇を処分することも考えられます。

b0002156_128390.jpg 確かに「伊勢白山道」で書かれてあることは、素晴らしいことが多いです。しかし、私はそこで最も大切な「内在神」という意味を今一度確認して、その上で読まれるのがいいと思われます。「内在神」とは私の言葉で言うと「超意識」のことです。「潜在意識」が自らの「安心・安全」を守らんとするがために、しばしば行動のブレーキをかけてしまうものであるのに対し、「超意識」は普段は「潜在意識」に覆い隠されながら、最終的に自分自身を絶対的に守り、最善の道へと指南してくれる最も深い意識のことです。

 その部分につながることは、もしかすると「悟り」と言ってもいいのかもしれませんが、「超意識」つまり「内在神」を信じることが、本当の意味で自分らしく、祝福された生き方になると私は考えています。「内在神」とは何か。そこに「伊勢白山道」の最も大切なメッセージが託されているのでしょう。

 世の中には様々な苦難が待っています。だからこそ魂は磨かれ、自分らしい生き方へと近づいて行けるもの。ですが、しばしば自分の心を奪われてしまいそうな魅力的な存在に遭遇することもあります。そんな時こそ「伊勢白山道」で説かれている「内在神」の存在へと立ち返り、苦難や誘惑に打ち勝つ勇気を呼び覚ますのです。

 今日、24時間テレビを見ていたら、とても感動的な話が紹介されていました。ある女の子は先天的な呼吸器の障害を持ち、ほどなくして声を失ってしまいました。声とは通常、肺から出る空気が声帯を震わすことで出るものです。それが、その女の子は呼吸器の手術によって、空気が声帯を通ることなく外に出てしまうようになったのです。つまり物理的に声を出すことは不可能になったのです。しかし、その女の子はおしゃべりがしたいとの強い思いによって奇跡を起こします。何と肺からの空気でなく、胃袋から空気を声帯に送り出すことで、声を出すことを可能にしたのです。医学的には完全なる奇跡だそうです。

 私はそこに「超意識」であり「内在神」を見ました。もはや医者の力ではその女の子に声を返すことはできません。しかし、その女の子は自らの力で奇跡を起こし、声を取り戻したのです。その思い、そしてその力は、私たちの想像を絶するものだと思います。誰にも頼ることができず、自らの可能性を信じるしかないのです。そして奇跡が起きます。まさに「神」が宿った瞬間。自らの内にある神を呼び起こした瞬間なのです。

 本当の幸せとは最終的に自分で勝ち取るもの。誰かに聞いて与えられるものではありません。今一度、「内在神」の意味をしっかりと理解し、信じることで、あらゆる困難に打ち勝ち、本当の幸せを手にしようではないですか。神はだれ一人例外なく内在しているものですから。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-30 23:39 | ■精神世界
 4時55分に起床。いきなり電話がかかってきたのです。出るとすぐに切られました。間違い電話だったようです。ちょうど起きる時間だったので、そのまま起きて5時半に家を出ます。6時に天神で仲間を拾って、本日は北九州の名勝「菅生の滝」にて滝行。21日行満行の締めくくりに、素晴らしい滝でした。

 ちなみにここはいろんな意味で危険な行場で、実際、何人も行者さんがここで命を落としているようです。もちろん私たちは命をかけるような滝行をしているわけでもないので、ここに来るときはたいていグループです。

 こんな感じです。下の方で打たれている方もいらっしゃいますが、私はいつも上の方で打たれます。なぜ、下で打たれる人がいるのか。それは後の写真でわかることでしょう。
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 これが上の方の滝です。登っていく足場は決して安全ではありません。
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 上から見るとこんな感じです。けっこう怖いでしょ。
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 こんな感じで広がっています。夏場は納涼スポットとしてもにぎわいます。そろそろギャラリーも増えてきました。
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 私もここで打たれます。「菅生の滝」は見た目には雄大で、人を安易に寄せ付けない雰囲気がありますが、実際、入ってみるとこんなに優しい滝はありません。
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 そしてこちらが導師。導師はかつてここで1,000日滝行をしました。最後の10日間はいわゆる四無行(食べない、飲まない、眠らない、横にならない)を敢行しました。私は在家のなんちゃって行者ですが、導師は天台宗に僧籍を持ついわゆるプロの行者。若い頃からいろんなもんが見えるそうです。
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 てな感じで、8月8日から始めた21日行を無事に満行しました。さっきテレビを見ていると恒例の24時間テレビがやっていました。テーマは「一歩を踏み出そう」と言うことで、冒頭にポール・ポッツが歌っていました。冴えない風貌のセールスマンが、勇気を出してオーディション番組に応募したことをきっかけに、全世界でコンサートをするようになり、CDの売上は600万枚。

 人にはどんな可能性が待っているのかわかりません。私も今日で一区切り。9月から新たな気持ちで一歩を踏み出そうと思います。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-29 23:39 | ■滝行
 今日で21滝行も21日目。今年の目標として「行」を100日(14週間)することを掲げていました。うち、9週間が終了です。残りは12月に21日間(3週間)、それ以外に7日間を2回やれば達成です。できそうですね。あと宝満山に月3回登るのについては、今月はあと1回。31日にでも登りたいと思います。

 ところで、なぜに私は滝に打たれたり山に登ったりしているのでしょうか。理由はいろいろあると思いますが、正直に言うと、日常生活から一時的に逃げるためです。こないだも言ったように、修行のための修行などする必要ありません。そもそも地球人ってのは修行しにやってきてるようなものですから、日常生活がすなわち「修行」なのです。その意味で言えば、私にとっては滝に打たれることよりも、サラリーマン時代の方がよっぽど修行でした。特に退職3か月前などは、レンガを積んだ側から壊さるような仕事で週4日の徹夜。それも完全なサービス残業です。それに比べると、氷点下の滝に打たれることなんか温泉です。

 そしてフリーランスになった今、その辺の修行から解放されたかと言うと、実は全然されていません。フリーランスは生活の保障がないと言う修行があります。サラリーマン時代は決められた仕事を文句言いながらでもこなせば、それで生活はできていました。しかし今は、誰も仕事を与えてくれません。次から次へと自分で作っていくしかないのです。私はしばしば羨ましがられます。自分の好きなことをやって生活していることに。しかし、これって本当は変な話で、羨ましいなら同じことすればいいだけ。会社辞めて自由にやればいいじゃないですか。でも、そうなると生活していくためのもっと大きな修行が課されます。だったらサラリーマンのままでいい。まったくその通りです。

 ですので、私の場合は実は24時間365日修行しているようなものですが、その中でしばし修行を忘れる瞬間があります。それが私にとっての滝行や山登り。それらはつまり修行から逃げるための修行なのです。私は弱い人間ですから。ただ、それでもきちんとやっていれば、いろんな気づきがありますし、日常の修行を乗り越えるパワーを頂けるのも事実。


 そんな中で今日は私が「体験」を通して気づいたことを書きたいと思います。その一つの「体験」としては、2005年5月の3週間のインド旅行があります。会社を辞めた直後で、まさに日常生活から逃げるようにインドに旅立ちました。その辺のことはe-BOOK「宇宙となかよし」にも書いていますが、今日はもうちょっとつっこんで書きたいと思います。端折って言えば、デリーに着いた初日の夜、安宿街に向かって歩いていたら突然暴漢に襲われ、そばに着いてきていたタクシーに逃げるように乗り込んだところ、悪徳旅行会社に連れていかれ、そこで所持金のほとんどを奪われます。

 カードがあると思って、気分の悪いデリーから逃げるようにラダックへ飛んだのですが、その時、カードの残高は5,000円程度。それで辺境の地とも言えるラダックで一週間過ごさなければならなくなったのです。一泊450円の宿を見つけて何とか寒い夜を凌ぐことはできるのですが、食費や交通費は大幅に抑える必要があります。つまり動けないのです。することがなくて思いついたのが、丘の上で「般若心経」を1,000巻唱えること。それくらいしか暇つぶしがなかったのです。一日200巻を3時間程度で唱えて5日目のこと。800巻過ぎた辺り、突然、滝のように涙が出てきたのです。そして目の前に電光掲示板のように「感謝」の文字が浮かび上がり、そこから私の世界観は一変してしまいます。

 その後、デリーで送金を受け、バラナシ、ブッダガヤと奇跡の体験しながら回るのですが、最後、ブッダガヤで世話になったインド人の友達の店でお土産を買うことになりました。そこで欲しかったのが香木で出来たお釈迦様の木像。日本円で4万円程度。あれば買ってたでしょうが、カード残高もないので泣く泣く諦めます。そうやって後ろ髪引かれながらインドを後にしたのですが、その欲しかったお釈迦様の木像、、、なんと日本で私を待っていたのです。

 もちろんブッダガヤで欲しかったのとまったく同一のものではありませんが、大きさ、形、材質も同じ。値段も同じくらい。私がインドを旅している間、滝の導師が仏像マニアの知人から押し付けられたものでした。要らなくなったからと言って神様を捨てるわけにもいかず、導師に処分をお願いしたとのこと。ただ、その時、そのお釈迦様は誰かを待っていると言ったそうです。それが私でした。今も家にあって毎日手を合わせています。

 そしてそのような「体験」を一度でもしてしまうと、それ以来、「宇宙の意思」みたいなのを信じざるを得なくなったのです。結局、私は「宇宙」から生かされているのだし、そうである以上、困ったことは絶対に起こらないと確信ができたのです。ただし、その条件として、「宇宙の意思」にそった「自分らしい生き方」をしている限りにおいて。その意味で言えば、今の私の生き方はおそらく「自分らしい」まさに「天命」を生きていると思っています。ブログや講演会、セミナーなどでメッセージを伝えたりするのは、他でもない、私がやるべき「天命」だと思っています。

 ところで、昨年、ちょっとした経緯があり、NTTのマイラインを売る営業を3か月間限定でやりました。しかし、なぜか8月のゲリラ雷雨に遭遇し、宝満山の下山中に雷に感電して気絶。右足の筋を痛め全治10日間の安静を強いられました。その間、営業の仕事ができません。実はそのことを、今年の3月、沖縄セミナーの翌日に行った久高島にて、神人の真栄田苗さんとお会いして言われました。一つは雷に打たれたことで、何かの力を得たであろうと。そしてもう一つは「自分らしい生き方」をせよとのこと。

 やっぱり「宇宙」は何らかの「意思」みたいなのを持っていて、いつも私のことを気にかけてくれているんだな~と思ったものです。それら様々の「体験」を通して、私の中で確固たる信念、いやむしろ「体験」そのものとして受け取ったメッセージ、、、それが「絶対感謝」と「絶対愛」だったのです。


 インドのラダックの丘の上で般若心経をあげようと思い立ち、ただひたすら上げていると、800巻を過ぎた辺りからとめどもなく涙があふれ出て、そこで一つの「悟り」を得ました。それが宇宙は感謝でできているということ。あの時は誇張抜きに「感謝」という文字が電光掲示板のように現れたのです。それ以来、私の世界観は一変。あらゆること「感謝」することが、最も早く「宇宙」の意思に触れる道なんだと。

 それと同様に、私は「宇宙」から生かされています。いや、もっと具体的に私は「宇宙」から気にされています。「宇宙」はみんなのことを気遣っているのではありません。私のことを気遣っているのです。そしてそれはあなた一人のことを気遣っているのです。私はそれを「宇宙」の「絶対愛」として受け取ることができました。

 そしてこれが、私が受け取った世の中の仕組みです。本邦初公開。
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 さあ、これを見てすぐに入ってくる人は、かなりわかっている人ですね。本当はこの図だけでわかって欲しい気もするのですが、とりあえず可能な範囲で言葉で説明しますね。

 まず、三角形の下の方にいる人みたいなのは人間です。そして私たち人間が生きているのは3次元世界です。さらに私たちの下には物的世界ってのがあります。「物的」は言葉として正確ではないのですが、いい言葉が浮かばなかったのでそれにしています。ここではあまり重要じゃないので。シュタイナーを勉強している人はおわかりと思いますが、鉱物・植物・動物の次の段階に「人間」がきます。そしてそれらの最大の違いは「意識」を持つかどうか。鉱物・植物・動物は「無意識」のみの世界であるのに対し、人間は「意識」を有しています。それにより「思念」が生まれます。

 そして本来であれば、すべては世の中は無色透明で価値判断などないんですが、人間は「思念」を持つがゆえに、そこに「善・悪」のフィルターを通して「価値」をつけてしまいます。つまり色づけです。その色づけされた世界を「現象界」と言います。現象とは目の前に現れた世界そのもののこと(「現象学」的に言うとエポケーされる前の世界のこと)。

 基本的に我々は常にこの「現象界」に生きています。例えば「財布を落とした」という現象があったとします。それに対して私たちはすぐに「悪」という感情を貼り付けます。そして「財布を落とすこと」はすなわち「悪」という方程式によりそれを事実化しています。その他には「結婚」、「成功」、「合格」、「健康」、「安全」、「満腹」などはほとんどが「善」です。一方、「生老病死」、「失敗」、「不合格」、「危険」、「飢え」などはほとんどが「悪」です。程度の差はあれど、私たちは世の中の現象に対して、ほぼ自動的に「価値化」しそれを「事実化」して生きています。

 そして実際、生まれてから死ぬまで、ずっとその世界観で過ごす人がほとんどです。しかし、実際はすべてが「無色透明」で「善」も「悪」もないのです。普通の人は、ここでつまづきます。財布を落とすことはどうしても「悪」としか思えず、そこに「善」の欠片もないはず。もちろん「善」ではないでしょうが、かと言って「悪」でもないのです。

 例えば1円落とした時、人の気持ちはどうなっているでしょうか。おそらく大したことないと思い、気にも留めないでしょう。感情レベルではほぼ無色透明と言っても差支えないです。しかし100万円を落とした時はどうなるでしょうか。めっちゃ落ち込みますよね。ただ、一日一億円稼ぐ人が、投資かなんかで100万円損失したところでそこまで大騒ぎはしないでしょう。結局のところ、それらは程度問題で、突き詰めると最初から決まった価値なんてないのです。

 一般的に「結婚」はめでたいので「善」に見えますが、結婚で不幸になる人も世の中にはたくさんいますので、絶対的に「善」とは言い切れません。「病気」は今度こそ「悪」に見えますが、世の中には病気だからこそ自分のアイデンティティを保っていられる人だっており、その人は健康になってしまえば、自分じゃなくなるので、病気とて絶対的に「悪」とは言えません。そう考えると、人間の「思念」に左右されない絶対的な「善悪」ってあるのでしょうか。おそらくないでしょう。そう考えると、本来はすべて「無色透明」のはずのものを、3次元に生きる我々はすべてにおいて「善悪」で判断してしまいます。

 で、これはおまけで付けたのですが、その真上に「霊界」ってのがあります。これは言い換えると「現代スピリチュアル」の世界です。現代スピリチュアルの特徴は端的に言って「現世利得」です。前世、守護霊、ご利益、先祖供養、煙焚き、占い、などいわゆるスピリチュアルと言われる営為のほとんどが「現世利得」に結びつきます。もちろんそれ自体を否定するつもりはありません。私もご利益とか大好きですから。

 ただ、これらってのはすべて「善悪」の価値判断の上で行われることで、3次元世界の話から全然脱してないんですね。ですがなんとなく「上」っぽい顔してるので、ちょっとだけ高次元世界にハミさせてますが、実際は3次元の話です。例えば「幸せになるには先祖供養」、、、という方程式があるとします。これは正しいかどうかで言うと正しい部類に入るんじゃないかとは思います。しかし、これも本来は無色透明であって、先祖供養すれば誰もが100%ハッピーになれるかと言うと、決してそんなわけありません。中には先祖供養しているのに結婚できません、私のやり方は間違ってませんか?みたいな疑問を持つ人もいます。結局、ノウハウかよ!ってこと。

 そしてその延長上に「幸せになるには壺」なんて話が出てきちゃいます。確かに壺買って幸せになる人が全くいないとは言いません。ですが、一般的に費用対効果で言えば、決して高いとは言えないでしょう。そもそもこの「幸せ」ってのが既に価値判断であって、色づけされた世界になっています。

 つまり「現世利得」を求めている限りにおいては、それはすべて3次元世界の話に過ぎないのです。もちろん「現世利得」を求めるな、と言っているのではありません。それも段階としては必要ですから。実際、私たちが生きているのは3次元ですし、その中でできる「成功」を目指すのが、社会人の役目と言えば役目です。山にこもって霞食って生きるのが、人間の使命なんてことはありません。せっかく3次元に生まれたのですから、できることをやってからあっちの世界に帰りたいですもの。

 しかし、私がここで伝えたいメッセージはそこに留まるものではありません。成功哲学では「ラットレース」なんて言葉で言われますが、実は「現世利得」ばかりに縛られるのもまたラットレースに他ならないんです。たとえが適切じゃないかもしれませんが。つまり「善」だからする、「悪」だからしないと言う図式。それも価値判断された上ので善悪について。それはそれで、ハッピーなこともあるでしょう。

 しかしですね、、、これまた「体験」したものでなければわからないのですが、実はその「上」があるのです。つまりラットレースから抜けるための「上」が。それがいわゆる「高次元世界」に進むということ。スピ的な言い方をすれば、それがアセンションするということ(2012年のなんとかとは一切関係ございません)。

 その最初の段階として「本質界」を知ることになります。「本質界」と名付けたのは「現象界」の反意語として。イデア界とかモノ自体とかでも同じような意味。ともかく、世界ってのは本質的にはすべて「無色透明」なのです。まずはそこに気が付くことが一つの段階。で、もしもそれが本当に腑に落ちていれば、変なスピリチュアリストに惑わされることはなくなります。

 例えば凄腕チャネラーと呼ばれる人から、「あなたはこのセッションを受けなければ、前世のカルマを解消できずに、いつまでたっても幸せにはなれません」と言われたとします。しかしこれは3次元の価値判断。幸せとか不幸って何?ってこと。そしてそのチャネラーさん、決して高次の存在につながっているわけではないのです。まさに図で書いたような「霊界」の何某かにつながっただけ。

 そもそも人に恐怖を与えるチャネラーがいたら、それは完全に偽物。その辺の浮遊霊とつながって、ろくでもないことを言いたい放題しているだけです。言うこと聞く必要ありません。ですが、逆にいいことばかり言うチャネラーはどうかと言うと、それまたそんなに真面目に聞く必要もありません。ちょっと距離をおいて聞くのがベター。なぜならいいことばかり言われると嬉しいので、どんどんその人のことを信用しちゃいますよね。そこで9回いいことを言ったとして、10回目に恐怖なことを言われたらどうしますか。人は「一貫性」を保ちたがるので、最初の9回は正しいけど、最後の10回目は間違っているとは思えないのです。やっぱ言うこと聞いちゃうでしょ。

 なので恐怖を与えるチャネラーは論外としても、いいことばかり言うチャネラーもちょっと距離を置いてた方がいい場合が多いです。そもそも最初から恐怖を与える人もあまりいませんから。「あなた精神性高いわね~!」の一言でイチコロの人だって少なくありません。だから何か!って話ですが。今、ドキッとした人、いますよね(笑)

 話を戻しますが、この世の中は本質的にはすべて「無色透明」なのです。色即是空空即是色と言ってもいいかもしれません。NLPをしっかり学んでいる人は、その辺のことは知識として知ってはいるでしょうが、最近は覚醒した人も多くなっているので、まさに「体験」ベースで知っている人も増えていると思います。

 でもですね、実はそれだけにとどまらないんです。これもまた「体験」したものにしか理解できないと思いますが、もっと高次の世界があるのです。それが図の中の「絶対愛・絶対感謝」の境地です。今しがた世の中は「無色透明」と言ったばかりですが、実は本当の究極の「宇宙」の始まりにまでつながってしまえば、そこにあるのは「愛」と「感謝」だけなのです。愛と感謝って陳腐な表現かもしれませんが、それが一番しっくりくるんですもの。それは「いまここ」と言ってもいいかもしれません。

 善悪なんてのは時間の概念がなければ成り立ちませんから。チャネラーが「あなたの前世は・・」とか「あなた○○になりますよ」なんて言うのは、まさに時間にがんじがらめのメッセージでしょう。もしも本当に「いまここ」につながっているのであれば、過去も未来もまったく関係なくなります。じゃあ、何があるのかと言うと、何度もいいますが、それは「体験」するしかないです。私は非常にリアルに「愛」と「感謝」を体験したから言えるのです。

 本当に体験しましたもの。宇宙は本当に私に与えるだけ与えて、私が何をやっても受け入れてくれてるな~、と。そして与えることが「愛」であり、受け入れることが「感謝」だと、リアルに体感しちゃったのですね。やっぱり「宇宙」は愛と感謝で出来てるよな~って。その瞬間、ぶわぶわぶわ~って涙出ましたもの。そんで、昨年11月のインド旅行で、ブッダガヤの子どもたちから「あいしてる~」と「ありがとう~」ってシャワーのように言われた時、マジ泣きしちゃいましたから。証拠動画もあがっていますしね。
 
 ほんと、「宇宙」に包まれると言うか、守られると言うか、見てもらってると言うか、そこにあるのは安心とか安全なんてのをはるかに超えた、本当に至福の瞬間なのです。で、今ではそれが割と頻繁に起こるようになっていて、特に、ちびQが生まれてから、ほんと、泣かない日はないくらいに感謝していますし、愛していますから。そんで、子どもがいるとかそんなの関係なく、みんながこんな気持ちを持つことができればめっちゃええやろな~って思いますものね。そんで、私も世の中の人すべてに、ちびQに抱くのと同じような愛と感謝で接することができればな~って思いますものね。

 結局のところ、図のてっぺんにある「絶対愛・絶対感謝」の境地に立つと、三角形の底辺に至るまですべて「愛」と「感謝」で包まれるわけなんです。じゃあ、どうすればそんな境地になれるのか。その辺についても、これからブログとかセミナーとか講演会で伝えていけたらな~って思うんです。今のところセミナーでは3次元のことがメインですが、どっかで高次元のこともしっかりやりたいとは思っています。それが私の「天命」のように今は思っています。「宇宙となかよし」って言いますからね。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-28 23:39 | ■精神世界
 今日は5時から「早朝談話室」でした。4月頃から開始して、あまりアナウンスしていないので、ぼちぼちしか申し込みはきませんが、一応、続けていますのでお知らせします。これは平日朝5時に限定して、要するに私と雑談するだけ。とは言っても、お話ししたい人のテーマに基づいて話しますので、コーチングとまでは言わないにせよ、それなりに気づきのある談話ができればと思っています。

 その後、ちびQの寝顔を見ていたら、そのまま、、、ウトウトしちゃいました。再び起きて滝行。21日滝行も残り2日。今回はなんだかめちゃくちゃ速かったように思います。今回の「行」はなんだか凄く実りのある行だったな~と思います。残りの日も気を抜かずに感謝してお滝を頂きたいと思います。


 と言うわけで、今日の工程は終了、、、ってことはないです。まだ午前ですから。それにしても最近、阿部さんのことばかり書いていますね。9月26日(土)の「いまここ塾in博多」も申し込みしちゃいました。今度はアクロスで。う~ん、今から楽しみだな~。私も今までいろんな講演会やセミナーに行きましたが、こんなに余韻が続くのって、五日市剛さん、加賀田晃先生くらいかな。その五日市さんからは昨日しょうもないことで電話がかかってきたり、加賀田先生はなぜかご近所付き合い。縁のある人とは縁があるものです。

 ところで、ご存じの通り、私のブログって文章量多いし、理屈っぽいところもあるのですが、ただ、理屈のための理屈を言っているのではないことを賢明な読者様ならおわかりだと思います。私もまた、阿部さんや五日市さんと同じく「体験」に根差した話がメインであるつもりです。もちろんすべてがすべて「体験談」ではないもの、どこかに私の実体験とつながってなければ絶対に伝わりません。

 今日、ある方から「NLPトレーナーのブログは面白くない」とメールを頂きましたが、実はそれは同感。私もNLPセミナーとかやっていますが、自分自身の実体験に基づくコンテンツしか取り上げたくありませんし、実際そうしています。でもなぜかNLPの一日セミナーとかで取り上げられるのが「アイアクセシングキュー(視線解析)」だとか「タイムライン」だとかが多いです。その辺って、いかにもNLP的だし、ワークの手順もわかりやすいので取り上げるのでしょうが、じゃあ、本当にあなたはそれを普段使っているのですか?と問いたい。

 しゃべる時目線が上向きだから「視覚系」なんてのを、日常のコミュニケーションで瞬時に判断してやってるのでしょうか。ほとんどしないでしょう。それよりも普段から相手のことをしっかりと見る(キャリブレーション)習慣ができていれば、そんなテクニックは必要ないはずです。でもNLPのテキストにその辺が出てくるので、ついやってしまう。気持はわかるのですが、使えないスキルを広く浅く教えるよりも、本当に自分自身が「体験」したことを魂込めて伝える方が絶対いいです。

 9月に久々に大阪でセミナーやりますが、そこで取り上げるコンテンツはほぼ100%私の「体験」ベースです。会社を辞めてから5年間、なぜか収入がずっと入り続けるのは、ある「秘伝」を実行していたから。そして今でもやっているから。それは私の生々しい「体験」があるから伝えられるのであって、本やテキストに載っているのをそのまま教えても何の価値もありません。

 結局のところ、私が受けたり聞いたして感動するセミナーや講演会ってのは、その講師の「体験」がしっかりと根付いているものばかり。加賀田晃先生のセミナーについては、飛び込み営業で100人中ほぼ100人に売り歩いてきたリアルな「体験」があるから凄すぎるのです、五日市剛さんが、なぜにあれだけ全国、最近ではスペインやアメリカなど全世界から講演会のオファーが絶えないのか。それは五日市さんの「体験」がそこにあるから。同じように阿部敏郎さんの講演会やブログがなぜにこんなに人気があるのか。それは阿部さんの「体験」そのものがそこにあるから。

 そうでなければ伝わらないのです。じゃあ、そういう「体験」をしていない人は、講演会やセミナーをやっちゃダメなのか、、、と思う人いるでしょう。誤解を恐れず言います。ダメです。やっちゃダメです。ただ、これまで生きてきて「体験」のない人は誰ひとりとして存在しません。誰もが何らかの「体験」をしているのです。その「体験」をベースに人に語ればいいものを、そうでないところにコンテンツを求めようとするからダメなのです。

 例えば私は背泳ぎしかできません。クロールで100メートル泳いだことは生まれて一度もありません。しかし、クロールのやり方なんかは本やインターネットにたくさんでています。そこで私がそれらを参考にクロールのやり方についてブログで書いたところで、誰も読まない自信があります。しかし、オリンピックの水泳選手がブログに書いたのであれば、それはみんな読みたがるでしょう。

 ですので、もしも「NLPトレーナーのブログは面白くない」と感じたのであれば、そのトレーナーは決定的に「体験」が不足しているのです。プラク&マスターで約80万円、バンドラーのトレーナーコースで100万円。それらを払えば一応「トレーナー」として資格発行できるセミナーが行えます。しかし、彼らが本当にNLPを「体験」として使っていなければ、どんなに工夫しても受講生には伝わりません。そしてその伝わらないセミナーを受けた受講生が、もしも同じように200万近くのお金を払ってトレーナーになってしまえば、完全に質のデフレスパイラルに陥ってしまいます。誤解を恐れず言いますが、日本のNLP業界の未来は決して明るくありません。単なる資格の切売商法になっています。そんな資格を持っていても何の役にも立ちません。

 先日、ある方とその辺のことについて話をしていました。私と同じ意見を持っていたのですが、じゃあ、これから先、いわゆるセミナー業界はどうなっていくのか。答えは一つしかありません。NLPなりコーチングを単なる「スキル」として伝えていくのではなく、個々人の講師がそれらを自らの「体験」と結びつけ咀嚼しながら伝えていくオリジナルコースしか生き残る道はないと考えます。もちろんタイトルにNLPがあるのはパテント問題をクリアしているのであれば構いません。しかし、そこで行われているのは、ありきたりのNLPセミナーではなく、講師の「体験」をベースとしたオリジナルである。私が目指しているのもまさにそこです。

 確かにいろんなセミナーに出て勉強することは大切です。本を読むことも大切です。しかし、それらの情報が自らの「体験」と結びついていなければ、その人は永遠にセミナーオタクで終わってしまいます。勉強することよりも重要なのはまさしく「体験」の絶対値を上げていくこと。もちろん私もこれから、いろんな人のセミナーや講演会に参加することはあるでしょう。しかし、私はそこにいわゆる「勉強」しに行くつもりはありません。自らの「体験」の質を上げるために行くのです。

 例えば阿部さんの「いまここ塾」はいつになく私の心を打ちました。なぜ心を打ったのか。それは阿部さんの「体験」に基づく話が、私自身の「体験」と共鳴したからです。そして阿部さんの講演会を聞いたほとんどの人が、同じようにそれぞれの「体験」と共鳴したと思います。音叉を叩くと、別の同じ波長の音叉が響きます。まさにそれです。

 しかしここで重要なのは、単に響かせて終わりではなく、自らの音叉つまり「体験」を磨いてくことなのです。それはつまり阿部さんの講演会から得られた「響き」を自らの実生活で生かしていくことに他なりません。例えば阿部さんは20年前、「魂はひとつ」である至高体験をされました。字面だけ見ると何のことかさっぱりわかりません。しかし私で言うと、この5年間、幾度となく「絶対感謝」の境地を味わったことがあります。「絶対愛」と言ってもいいです。そして実は「魂はひとつ」と「絶対感謝」とは決して無関係ではありません。このことを「情報」として読んでいる人にはわからないと思いますが、「体験」として知っている人はおわかり頂けると思います。

 先日、初めて参加した「いまここ塾」において、私は私が体験した「絶対感謝」の境地を思い出しました。もしかしたらそれは日々の3次元的営みの中で忘れていたことかもしれません。しかし、私は思い出した。だったら、これからもその「絶対感謝」の境地に近づくような「あり方」を目指し、それに基づく「行動」をしていきたい。それこそが「体験」と「体験」の響き合いなのです。ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように、「体験」そのものも「体験」でしか磨けません。それは決して「情報」だけで磨けるものではないのです。

 このブログを前から読んでいらっしゃる方は、おそらくこの2~3日のブログはやけに熱いな~と思われるかもしれません。それはそのはず。阿部さんの話を聞き、それによる「響き」があり、そして私の「体験」が磨かれ、それを文章にしているからです。

 今日も長くなってしまいましたが、明日はその私が「体験」した「絶対感謝」と「絶対愛」についてお話したいと思います。そこでもしよかったら今発行しているe-BOOK「宇宙となかよし~天命につながる幸せ法則~」を読んでおいて頂ければ幸いです。「いまここ」や「魂はひとつ」と同じように「絶対感謝・絶対愛」の境地を知ることができれば。この後の言葉が続きませんが、そういうことです。とりあえず霊感商法にはひっからなくなります(←そんなことか!とツッコミたくなるでしょうが、一言では言えないのです)。てなわけで、また明日。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-27 23:39 | ■精神世界
 今朝は今年の夏、一番寒い朝だったそうです。氷点下近い滝に打たれる私からすると、ぜんぜん温いとは思いますが、それでも気温の変化を如実に感じる滝行でした。一日一日「秋」が近づいてくる。私はこの季節が嫌いではありません。春の到来よりもずっと好きです。ま、その辺は理由がはっきりしていて、春の到来って「スギ花粉」も一緒に来ますからね。来年は一か月ほど家族3人で沖縄にでもステイしたいくらいです。沖縄はスギがありませんから。

 そうそう、沖縄と言えば、阿部敏郎さんのブログ「いまここ塾」で「宇宙となかよし」が紹介されちゃいました。午前中、なんだか私を取り巻くネット環境が賑やかだと思ったら、そういうことだったのです。とにかく凄い人気ブログですので、大量にアクセスが来ました。ありがとうございます。

 それにしても、阿部さんの「いまここ塾」をそれほど多くの方が読んでいるなんて、凄い時代にいることを感じさせます。正直、人気ブログって嘆かわしいのが少なくないんですよね。「人気ブログランキング」の総合などを見ると、上位はほとんどが芸能ゴシップだったり、ペットのブログだったり。今流行りの「アメブロランキング」などを見ても、上位は相変わらず「あいのり」の人たちで占められていたり。正直、シュレックさんのブログとか読んでもぜんぜん面白くないじゃないですか。

 それはともかく「いまここ塾」は読んでみてわかるのですが、めちゃくちゃ深いです。「深い」なんて言葉で言い表していいものかわかりませんが、相当な感性と知性がないとついて行けないだろうと思ってしまうのも事実。これは言ってみれば阿部さんの個人的な「体験」に基づくエッセイ集のようなもの。そしてその「体験」ってのは、本来「体験」したものでないとわからない世界。

 例えば「砂糖」を説明するには「甘みを持つ調味料の一種であり、主な成分は糖である(wikより)」みたいな「言葉」でもできるのですが、じゃあ「砂糖の甘さ」を説明しろと言われて、「言葉」で説明できる人はいないでしょう。「インジェラ」って聞いてすぐわかる人は決して多くないと思います。エチオピアの主食なんですが、不思議なことにそれはエチオピアにしかないそうです。ネットで調べるとインジェラの説明はたくさん出てきます。しかしどんなに説明を読んでも、インジェラの味がわかる文章はありません。結局、砂糖にしてもインジェラにしても「食べる」という「体験」がなければ、その本質を知ることは不可能なのです。
 
 「いまここ塾」も似たようなもので、阿部さんと同じような「体験」をした人でないと、そこで書かれていることをしっかり理解することはできないと思うんです。こう言ってはなんですが、私はなんとなく「わかる」んですよね。例えば気温が0度の滝行などしていると、ある時、冷たいとか痛いとかの感覚がなくなって、しかも、その瞬間一切の雑念も消え失せ、あるのは「オレハイマタキニウタレテイル」という事実だけになるんです。それがどうしたと言われても、どうとも言えません。

 例えば「冬の滝はめっちゃきついっすよ~」と言うと、あまりにも当たり前ですが、なんとなく「わかる」と思います。そうじゃなくて「オレハイマタキニウタレテイル」という境地は、本当に「体験」しないとわからないと思うのです。Mと言われそうですが、その時はなんだかめちゃくちゃハッピーな気分で涙が出ることもあります。

 結局のところ冷たいとか痛いなんて感覚も「時間の連続性」の中でしか感じられないもの。心配や不安もそうですよね。どう考えても「いま」に心配することは不可能です。心配ってのはそれがいつであれ「未来」にしか向けられませんから。「後悔」もそう。この瞬間に後悔することは物理的に不可能ですから。

 同じように滝の中の「冷たい」って感覚は、「時間の連続性」においてしか認識できないのです。それがたとえ火の中であろうと、瞬間瞬間は熱くないのです。しかし、そうは言っても私たちの「肉体」は「3次元仕様」で出来ていますので、火の中に入ると大火傷します。ただ、ヨガの達人には火の中に手を入れても火傷しない人がいますが、これは本当に究極なんでしょう。ま、私はそこまで行こうとは思いませんが、冬の滝行では、それに近いところは味わうことができます。真冬の滝で冷たさを感じない。それはまさに「いま」に生きているから。

 ですので、私が滝行を5年間、それも冬の滝を5回経験した中で言うのは、真冬の滝で「感覚がなくなる(麻痺ではなく)」ような「体験」は、まさしくとことん「いま」にフォーカスした結果だと思うのです。導師も言っていましたが、自分の肉体と水との区別がつかなくなるような「体験」です(私はまだそこまで行ってませんが)。

 じゃあ「いま」ってどれくらいの長さか、と言われると、仏教では「一刹那(手を叩いて鳴る瞬間)」と言われたりしますが、実際はもっと短いような気もします。それこそ「微分」の世界で、それを一番的確な言葉で表したのが「空(くう)」じゃないかと思います。

 「色即是空空即是色」の「空」です。直訳すると「形あるものは形がなく、形がないものは形がある」と意味のわからないものになりますが、そもそも「形(色)」とはまさに「時間の連続性」においてしか存在できないもの。滝で言えば、「冷たい」という感覚自体は「時間の連続性」の中で感じるものなので、それは「色」です。しかし、その「冷たい」という感覚も、「いま」にとことんフォーカスしたところにはなくなってしまいます。その瞬間がすなわち「空」です。

 ですので滝の中の「冷たい」という感覚も、それ自体が「時間の連続性」において感じるだけであり、本当はそんなものないんですよ、ということ。これ、もう少し言い換えると「3次元」と「5次元」とでも言えましょうか。言うまでもなく「3次元」とは「色」のことで、「5次元」は「空」です。我々は常に「冷たい」などの連続した感覚において生きています。つまり3次元に生きています。しかしもし、本当に「いま」に生きていることを自覚できれば、そこはすでに「3次元」ではありません。

 つまり私たちは普段「3次元」に生きていると思いがちですが、本当は「3次元」と「5次元」の同時性の中で生きているのです。本来的には私たちは「5次元」に身を置いているはずなのです。ただ、地球においては何かの理由で「3次元」で生活しなければならなくなっています。それを修行と言うのかもしれません。葛藤と言うのかもしれません。

 ですので「色即是空空即是色」の本当の意味は、「あなたは普段3次元にいると思っているかもしれませんが、実際は5次元に本当のあなたがあり、とは言うものの、ここは地球なので、とりあえず5次元を感じながら3次元で生きるようになっているのですよ」、と言うことなのです。おそらくこの訳語は世界初でしょうね。でもお釈迦様はそのこと知ってたのです。

 「大乗仏教」の本質は「空」だと言われます。それは仏教云々に限らず、「空的世界(くうてきせかい)」を知ることが「悟り」の序章であり最終章なのです。そしてその「空的世界」が「いまここ」なのでしょう。しかしその世界は「体験」でしか知ることができません。

 では、その世界、つまり「悟り(別のいい方をすればアセンション)」とは「体験」した者のみぞ知るみたいな、閉鎖的なものなのでしょうか。決してそんなことはありません。砂糖の甘さを知るには食べるしかないのですが、その前に「砂糖ってどんな味なのかなあ」と憧憬を得ることは決して無駄ではありません。この世に「砂糖」という凄い何かがあるそうだ。私は「砂糖」を食べるために生きようと思います。そう思ったところに「砂糖」が口に入ると、それはもう至福の瞬間でしょう。

 もしもそのような憧憬を持つことなく、勝手に口に砂糖を入れられても「何か口に入った」で終わってしまいます。砂糖はあまりにも一般的ですので、さっき例に出した「インジェラ」にしましょう。福岡には一軒だけエチオピア料理店があるのですが、生憎、インジェラは夜のディナーでしか食べられません。それはそうと、このブログを読んでいる人で、インジェラを食べたことのある人はほとんどいないと思いますが、今日、とりあえずその存在を知ることができました。もしも都内にお住まいであれば、食べられる店を探すのはそう難しいことではありません。そしてその気になれば、インジェラはわりとすぐに食べられます。

 しかし、ここでインジェラの存在を知らなければ、一生涯、インジェラを食べずにいたことでしょう。インジェラを知ったおかげで、インジェラを食べることができたのです。それと「悟り」も似たようなものかもしれません。阿部さんのブログのコメントなど読むと「いまここ」がわかりません、と書いている人もいます。

 それは「インジェラの味がわかりません」と言ってるのと同じで、正直、どんなに読んでもわからないのです。しかし、阿部さんのブログでも、私のブログでも、インジェラがあることを知った段階から、いつかインジェラを食べる「体験」できるようになるのです。

 もしよかったら、、、このブログを読んでインジェラを知った人は、実際、どこかで食べて、後からで結構ですのでコメント欄に「インジェラ食べました!」と書き込んで頂ければ嬉しいです。それは「悟りました!」と同じとうなことですから。

 ただ、悟りとかアセンションか言うと、スピ系の人たちは、すぐにその「ノウハウ」を知ろうとします。太陽を凝視するとか、そんな危険なノウハウまで紹介されます。しかし、そんなノウハウは実は必要ないんです。私は滝行とかやりますが、そんなのも本当は必要ない。阿部さんがやっているような瞑想も本当は必要ないのかもしれません。

 「悟り」とか言うとすぐに怪しくなりますが、日常の生活で「あ、これでいいんだ」と感動する瞬間があれば、それが「悟り」です。中には天然で悟る人もいるかもしれませんが、何かのご縁かこうやってブログに出会っています。決して特別なことをお勧めしようと言うのではありません。しかしもし、このブログを読んだことで、いつの日か「あ、これでいいんだ」と「体験」することができれば、書いてて妙理に尽きるというもの。ちょっとだけ下世話な言い方しますね。もしもその「体験」ができれば、世の中から心配事が一切なくなりますよ。お金も健康も人間関係も。

 と言うわけで、今日もまた熱く語っちゃいましたが、そういうことなのです。これで、いつかはインジェラ食べられますので、気楽に気楽に。ただ、インジェラはそんなに美味しいものでもないそうですが(あ、言っちゃった・・)。でも「悟り」みたいのはいいと思いますよ。誰が食べても美味しいと思います。

 ところで、話変わりますが、ブログランキングについて。昨日「スピリチュアル部門」で一位だとか言っていましたが、ついに「あのブログ」がご登場されました。そしてめでたく2位に陥落。ただ、新しくできたこの部門もおかげでちょっとずつ盛り上がりそうです。怖いこと書いているので、私はあまり読みませんが、でも文句なしの超人気ブログです。2位になったことよりも、これで私のブログにもアクセスの恩恵がありそうでよかったです。「あのブログ」を超すには別のエネルギーが必要になるので、とりあえずこのままで。でも、これからも末長く応援の方もよろしくお願いしますね(^^)。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-26 23:39 | ■精神世界
 今日の滝は冷たかったです。お盆過ぎて本格的に「秋」の気配を感じるようになりました。これから先はもう一回くらい暑くなることはあるにせよ、日に日に気温も低くなり、そして昼が短くなっていくのでしょう。いい感じですね。

 昼からは親子3人でお出かけ。ちびQをチャイルドシートに乗せてショッピングセンターへ。ベビーカーやらおもちゃやらお洋服やらいろいろ。その中でちょっとだけヒヤッとすることがありました。ツレが一人で洋服を見始めたので、私はベビーカーを押して店内をウロウロします。すると何やらエスカレーター付近が騒がしくなっています。どうやらご年配の男性がエスカレーターで滑ったのか、頭を打って血を流していると言うのです。男性は倒れたままエスカレーターで上がってきます。周囲に大人の男は私だけ。ちびQのベビーカーを押しているのですが、エスカレーターに挟まったりしたら大ごとだと、その男性を抱えて安全な場所へ避難させます。すぐに係員が到着して119番。そして、ちびQは・・・と振り向くと、いない!

 赤ちゃんは見ときます!という声に従って、私は倒れた男性の介助に向かったのですが、戻ってみるといないのです。ただ、頭ではどこかの女性が見ていることはわかっているのです。しかし、いざ、ちびQが目の前からいなくなってみると、瞬時に脂汗が出てきました。そして見つかるまで3秒もなかったと思います。その3秒がどんなに長かったことか。何食わぬ顔してベビーカーに乗っているちびQを見た時は涙出そうになりました。もう離さんぞ。

 そして間もなく救命士が到着。倒れた男性もしっかり意識はあったようなので、まずは一件落着。それからいくつかお店を回っていると夕飯時になってしまいました。ちびQはよく着いてきたものだ。帰ってご飯の準備をするのも大変なので、通りがかりのうどん屋へ。よく考えると親子3人では初めての外食でした。疲れたよ~。


 と言うわけで、それが今日一日の動きでした。ところで、最近、私の身近で本を出版する人が増えてきました。そもそも日本全国に出版社は数え切れないくらいありますし、各社の編集者は本を出す作家を常に探している。そう考えると、本を出すことなんて簡単なこと。私も、2年ほど前からいろいろ動いてきていますが、そろそろ本当に出るかもですね。ベストのタイミングで。

 ちなみに最近の本の中にはブログ発も少なくないようで、私の場合もブログと無関係ではいられません。そんな中で、最近、新しくできた人気ブログランキング「スピリチュアル」に参加すると、いつの間にか一位になっていました。これはこれでなかなかええ風が吹いてるな~とか思うのですが、ところでこのブログって本当に「スピリチュアル」かい?って思う人もいるかもしれません。

 確かに滝に打たれたり、なんとなくスピリチュアルっぽいことはしてたりはします。江原啓之さんも滝行してたそうですし。ところで、私自身、世の中で最も嫌いなテレビ番組は何かと聞かれると、とりあえず2つはすぐに思いつきます。一つは「たけしの家庭の医学」です。正式名称忘れた。これ見てると、何やっても病気になりそう。病気の話って視聴率とれるから続いているのでしょうが、あまり見ない方がいいかもしれません。病気を引き寄せそうで。

 そしてもう一つは言うまでもなく「オーラの泉」です。ダントツで有害番組です。ちなみにダントツで有害図書は「水からの伝言」です。なぜそう断定するのかは、その理由を言えと言われたら、それこそ48時間でも延々と説明できるでしょう。で、そんなことを言うから、私のブログは一部のスピリチュアル系の人から嫌われるのです。実際のところ、今まで何人からマイミクを切られたことか。私から申請はしないのですが、リクエストされると、ま、たいていはOKします。ですが、いつの間にか切られているのですね。理由は何となくわかります。最初、「宇宙となかよし」ってちょっとスピっぽいタイトルに惹かれて読んでみると、これがなかなか面白い。ミクシィもやってるみたいだからマイミクにしてもらおう!って感じでリクエスト。

 しかし、時々、「オーラの泉は有害番組」みたいなことを書くので、これはキツイとばかりにこっそりマイミクを切っちゃうんですね。ま、それはそれでいいです。私もしっかり把握していませんから。もちろん、普段は「オーラの泉」が好きな人に面と向かって批判することはありません。一応、その時は「ふ~ん」と相槌だけ打っておきます。ただ、このブログでは自分の好きなように書くスタンスですので、多少は遠慮しますけど、意見を曲げることはしません。

 「オーラの泉」は有害番組で、「水からの伝言」は有害図書。波動低いっすね。スピリチュアルランキング一位にあるブログが「これ」ですので皮肉なものです。ただ、この代表的な2つがスピリチュアル系の人たちに受け入れられやすいのは、実のところそれが「事実」だからでもなく、「真実」を語っているからでもなく、単に「印象」がいいからなんですね。実際、江原さんも江本さんも、めちゃくちゃ「いいこと」言っています。

 ただですね、、、その程度の「いいこと」って、幼稚園の先生も言ってるんです。みんな仲良くしましょう。もしもこれを完璧に守れたら、世の中から戦争はなくなります。ご飯を食べるときは、作ってくれた人に感謝して食べましょう。もしもこれを完璧に守れたら、食糧問題や環境問題は一気に解決します。親孝行してご先祖様に感謝しましょう。もしもこれを完璧に守れたら、本当に愛と感謝に満ち溢れた世の中になります。

 実のところ、幼稚園で教わるメッセージこそが人生の「真実」だったりするのですが、なぜかテレビやマスコミで取り上げられる人たちのことの方が尊いと思ってしまうのです。それは言うまでもなく、そのように「演出」しているからなのです。つまりテレビにせよ、本にせよ、与える「印象」を最大化するための「演出」が常に施されているのです。そして「印象」がいいものが、なぜか「真実」や「正義」に取り替ってしまうのです。

 そこで私が体験した実話を紹介したいと思います。私はかつて変な夢を見ました。何ものかから刀で切りつけられる夢です。切られた瞬間に目が覚めました。実はその当時、前世だとか、守護霊だとかの存在をかなり信じていました。あ、言っておきますが、このブログ始めて5年ですが、以前書いたことと、今書いていることとの間に、たくさんの矛盾が見られます。正直、今となっては恥ずかしいこともかつてはたくさん書いています。いっそのこと過去のその辺の記事を削除しようかと思ったのですが、それも何だか姑息に感じたので、ありのままを見てもらおうと、削除せずにおいてます。成長の過程と思って寛大に読んで頂ければ幸いです。

 話を続けます。その夢を見て、とあるスピ系のチャネラーさんに聞いてみました。するとそれは江戸時代だかに、私は地主みたいなことをしていたそうですが、正義のために武士に刃向い、それがゆえに切り殺されたんだそうです。その時、家族が3人残され、その3人は今生で私を探していると言うのです。そしてその3人に会うことで、私の運命は大きく流れると言われました。間もなく、その一人と会いました。初めて会ったとき、「この人だ!」と直感したのです。確かめるとそうでした。感動しました。

 その方はどんな人かと言うと、以前、船井幸雄さんの本に紹介されたことのある方。かなりの年配の方です。その時、こう言われました。「船井幸雄は波動が下がっている。今一番波動が高いのは江本勝だ」、と。そして何やら波動を測定する機械を持ってきました。定期的に波動測定会もしているとのこと。そして我々一同は波動を測定してもらいます。いろんな数値が出てきました。ある人はかなり波動が下がっていました。そこで出てきたのが「布団」です。一定時間、その布団で横になってもらいます。そして再び波動を測定すると、なんと波動が高くなっているのです。その布団は50万円ほどしました。

 私はその布団を買いませんでしたが、間もなく、私の「エネルギー」が変わってしまったのか、その「前世で残された3人のうちの1人」とは付き合いがまったくなくなりました。おそらくこれから先も会うことはないでしょう。正直、今の私が「波動」が高いのか低いのかわかりませんが、その布団にお世話になることもなく、元気でピンピンしています。それは事実です。50万円払わなくてよかったです。

 以上は私が実際に体験した話。あえて名前は申し上げませんが、今でもすべての実名を出すことはできます。もちろんどんなに聞かれても、その人たちのプライバシーもありますので、絶対に教えませんが。そこで、確かに江原さんも江本さんも「いいこと」は言っています。ただ、私は一歩手前で50万円を払わずに済みましたが(と言うか、あの時は50万円持ってなかった)、実際、私の知らない人で何人もその布団を購入しています。確かにそれで本人が満足しているのであればいいでしょう。しかし、中には釈然としない人だっているわけです。本来必要でないものを50万円で買ったとなると、それは「よくないこと」の部類に入るかもしれません。

 過度な一般化であることを承知で言いますが、もしもここで「前世の縁」など端から信じていなければ50万円を払うことはないでしょう。その「波動測定器」なるものを端から信じていなければ50万円を払うことはないでしょう。確かにたかが50万円です。しかし、水面下では50万円で済まない被害にあっている人も決して少なくありません。お金だけであればまだしも、心まで奪われてしまっている人も決して少なくありません。

 ただし、私は「前世」はあると思っていますし、「波動」もあると思っています。しかしそれらはどんなに頑張っても永遠に解明できないものです。10人のチャネラーが10人とも同じ前世を言ったとしても、それは絶対ではありません。波動はあると思いますが、では、それを測定した値に対する確かさは永遠に解明できません。でも、それらは確かに「ある」と思っています。しかし、それは同時に永遠に解明できないものであるし、そもそも解明する必要のないものなのです。

 そこで「スピリチュアル」とは何ぞやの話になりますが、それを日本語で訳すと「霊的な、精神的な、神聖な」となります。その反意語は「マテリアル」であり「物質的な、肉体的な」という意味です。もっと端的に言うと、「スピリチュアル」とは「目に見えないもの」であり、「マテリアル」とは「目に見えるもの」です。ただ、「色即是空空即是色」という前提においては、「スピリチュアル」も「マテリアル」も大差なくなるのですが、今日はそこまでは踏み入らないことにします。

 もう一度言いますが「スピリチュアル」は「目に見えないもの」であり、「マテリアル」は「目に見えるもの」です。ただし、現在一般的に言われる「スピリチュアル」とは、必ずしもその限りではありません。実のところ、江原さんにしても江本さんにしても、彼らの「スピリチュアル」とは「目に見えないもの」を「目に見えるもの」にすることだからです。

 そもそも前世などは目に見えません。永遠に解明できないものです。しかし、それをあたかも正しいかのように言葉にします。哲学的に言えば対象化します。同様に波動なども目に見えないものですが、それを氷の結晶などのように目に見えるものにします(ウソをついてまで)。

 つまり一般的にスピリチュアルとか精神世界でいうもののほとんどが、「目に見えないもの」を「目に見えるもの」へと「対象化」して決着をつけようとするものなのです。運勢をオラクルカードで占うのもしかり、男女の縁をツインソウルリーディングで知ろうとするのもしかり。「目に見えないもの」を「目に見えないもの」のまま片付けるのではなく、あくまでもそれを「目に見えるもの」へと対象化することで、今の「スピリチュアル」が完結するのです。

 しかし、「目に見えないもの」を「目に見えるもの」にすることにおいては、実のところ「科学」こそが本領発揮するところです。かつてペストは不治の病でした。現在、どんなにインフルエンザが猛威をふるっていようと、かつてのペスト程の被害にはならないでしょう。ペストは実に人口の3割を死に至らしめました。そしてかつて、ペストの治療法は「目に見ないもの」でした。しかし今ではその原因も治療法も確立し、「目に見えるもの」となり壊滅しました。

 かつて人間が空を飛ぶなど考えられなかった時代がありました。人間が空を飛ぶ方法は「目に見えないもの」だったのです。しかし今では何トンもの巨大な鉄の塊が空を飛ぶようになりました。空を飛ぶ仕組みが「目に見えるもの」になったからです。

 つまり現在の「スピリチュアル」が「目に見えないもの」を「目に見えるもの」へと対象化する営みであるとすれば、それは逆説的にも単なる「マテリアル」の文脈でしかなかったのです。だからと言って、それは「科学」と呼ぶにはあまりにも稚拙です。前世が中世の貴族だったなんて話を検証することは永遠にできませんから。

 では、「スピリチュアル」の本当の意義とは何なのでしょうか。それはまさに「スピリチュアル(霊的な、精神的な、神聖な)」と言うように、「目に見えないもの」の「真実」を伝えることです。例えば人はどのように生きていけばいいのか。そもそも人間の使命とは何か。それらを客観的に解明する(科学化する)ことは永遠に不可能です。

 しかしながら確かに「いま」こうやって生きています。存在しています。では、なぜそこに存在しているのか。実のところ、それを科学化することは永遠に不可能です。

 ところが、それを「体験」として知る人が世の中にはいます。それを「悟った人」とでも言うのでしょうか。お釈迦様はその代表者のひとりです。そしてそれに近づいた人も世の中には確かにいます。

 その一人が私であるなどと、教祖じみたことを言うつもりはありません。しかし、事実として会社員時代と今とでは、同じ私でも180度別人のように違います。いや、本質的には同じなのですが、生きる上での「あり方(being)」が全然違います。そのきっかけとなったのは、2005年5月のインドはラダックの出来事もあるかもしれません。所持金を奪われ5,000円でラダックに一週間滞在せねばならなくなったとき、することがなくて5日で般若心経を1000巻唱えようとしたとき。最終日、800巻を過ぎた頃から、なぜかとめどもなく涙が流れ、目の前に電光掲示板のように「感謝」の文字が浮かんできました。その瞬間から、世の中の景色が全然違ってしまったのです。

 それ以外にも滝行を通して、それだけでなく日常のふとしたことから。さらに言えば、今日、ちびQがいなくなったたったの3秒間に。瞬間的ではありましたが、その3秒間はまさに「愛」に満たされた3秒間でした。そして、それは理屈ではなく「体験」そのものなのです。

 もしかしたら、多くの人が、瞬間瞬間に「愛」や「感謝」の「体験」をリアルにしているのかもしれません。いや、きっとしているでしょう。しかし、多くの人はそのことに気づかない。気づこうとしない。なぜ気づかないかと言うと、そこにどうしても「3次元」の思考様式が介在してしまうから。人は常にその瞬間瞬間に凄い「体験」をしているのです。阿部敏郎さん風に言えば「いまここ」に凄い体験をしているのです。

 しかしその「体験」を「体験」のままに「体験」するのではなく、思考や言葉で解釈したり、さらには潜在意識による自動的な反応によって覆い隠してしまいます。しかし、何度も言うように、人は常に凄い体験、言い換えると「悟り」の体験をしているのです。それは理論でも科学でもありません。文字通り「体験」そのものなのです。私の言う「スピリチュアル」とはまさにこのこと。その瞬間瞬間(いわゆる「いまここ」)をありのままに体験すること。それを無理やり言葉で表すと「愛」と「感謝」なのかもしれません。

 もしも私がこのブログでやりたいことがあるとすれば、まさにそれをギリギリのラインで伝えていくこと。それがゆえに「スピリチュアル」のランキングに参加しているのかもしれません。てなわけで、これからも末長く「宇宙となかよし」をご贔屓くださいませ。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-25 23:39 | ■精神世界
 お盆が過ぎてからと言うもの、寝るときはクーラーが必要なくなりました。今朝も滝に行くと、幾分と水が冷たくなってきたようで秋の気配を感じさせます。正直、今年の夏は「ちびQ」に始まり「ちびQ」に終わると言った感じ。そんなちびQもそろそろ3か月。私もちょっとは子離れして、新たな出発をせんとですね(^^)

 2009年8月、ある筋からこの月は凄いことになると言われていました。何が起こるのか。2012年などは単なるダミーで今月こそが本当の「アセンション」なんて言われていました。そしてこの月は何があるかと言うと、一つは選挙ですね。個人的に注目しているのが神奈川11区。と言うか、テレビつけるとなぜかこの選挙区ばかり。圧倒的な地盤を誇る小泉JR。それに対するは民主党のヨコクメ勝二氏。本来ならば順当に小泉自民党が勝つのでしょうが、今回はそう簡単にはまいりません。ヨコクメ勝二、、、知る人ぞ知るあの人。そうです、「あいのり」の「総理」のこと。私もその時の「あいのり」はリアルタイムに見ていましたので、よく知る顔です。

 「あいのり」ってのは良くも悪くもモンスター級の視聴率を誇り、ヤラセとかはともかく「大衆」に支えられて10年続いた番組です。つまり神奈川11区は「世襲VS大衆」の図式が見えるのです。日本の未来が問われる一瞬ですね。

 それから8月はテレビをつけるとしつこいほどに「押尾」と「酒井」です。これまた視聴率が取れるので、民法は止められないのでしょうが、これもある意味、何かを象徴しています。これは「押尾=御塩」であり「酒井=御酒」、、、つまり「塩」と「酒」が日本に降り注いているのです。それは言うまでもなく「浄化」です。さらに7月後半から記録的な集中豪雨と地震。命に関することですので、軽々しくは言えないことですが、自然災害も地球的視点から見ると「浄化」を意味します。

 そしてそんな月間に私は21日の滝行をやっています。毎日滝に打たれて、肉、酒、性を断つのです。本当は7月に7日行、8月に7日行みたいに考えていたのですが、なぜか予定が狂いまくって7月に行ができなくなりました。おそらく9月も大阪に帰ったりするので難しそう。となると8月に21日間するのがいいと思ったわけです。そしてこの21日間、先日はある件で五日市剛さんから電話を頂いたり、また、阿部敏郎さんの講演会に行ったりなど、何かと象徴的なことが続いています。

 実は21日行の最後の7日間。土曜日に「畑観音」で導師から「7」と言われました。どうやら私が滝に打たれていると「7」という数字が出てくるのだそうです。導師は昔から「見える」そうなんですが、すぐにその意味がわかるものでもありません。タイムラグがあってようやくわかることが多い。ですので、私の「7」の意味もわからないのですが、とりあえず「真言」を7巻ずつ唱えるように言われました。今までは私にご縁のある「真言」を3巻、文殊菩薩真言だけは21巻唱えていたのですが、今回のラスト7日は、お堂であげる真言をすべて7巻ずつ。これは結構な時間になります。ですが、とりあえずやっています。その意味がわかるのはおそらく行が終わってからかな。

 そんなわけで今月は見事に「浄化月間」となっています。そして9月からはまさに新たな世界が始まります。選挙が終わり、願わくば新しい日本の幕開け。そして私個人もいよいよ出発することになりそう。いろんなことが重なっているのですが、まずは12日13日の大阪セミナーがあります。どんなことになるものか、私にも想像つきません。

 とにかく8月も残りわずかですけど、その間、各自各自で「浄化」につとめ、9月を心機一転でスタートしましょう。ところで「浄化」って具体的にどうするの?って言われそうですが、それは人それぞれだと思います。何か特別なことをする必要もありません。ただ、個人個人のおける「浄化」で最も重要なのか「潜在意識」の浄化です。

 潜在意識には過去の体験・経験によっていろんな「垢(プログラム)」が染み付いています。それらの「垢」を浄化するには、その「垢」がこれまで自分を一生懸命に守ってくれてきたことへ「感謝」すること。つまりはあらゆることに「感謝」する。それが一番の浄化だと思います。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-24 23:39 | ■精神世界
 今朝はどう言う訳か微熱気味。と言っても、熱はないのですが、なんとなく風邪の初期症状のような感じでした。今は完全に収まって通常通りです。あれはいったい何だったのでしょうか。昨日の講演会で、Tシャツ一枚でクーラーの部屋にいたからでしょうか。毎日滝に打たれている人間がそんなことは言えないし。となると、なんとなく何かのエネルギーが受けたと考えられるかもしれません。現に今日はなんとなく変な余韻が続いていました。なんとなく。ザリガニで喩えると脱皮みたいな感触。そもそも21日滝行で脱皮している時に、阿部さんの講演会など行ってしまったから。

 それにしても阿部さんの講演会は不思議でした。それを今になって感じます。よくありがちなスピ系講演会のように、エネルギーがどうとか、波動がどうとか、そんな話もパフォーマンスもなく、ブログで書いているような内容プラスアルファを淡々と話しているだけ。その時は「ふんふん・・」と思って聞いていたのですが、それが今になって伝わってくるような、不思議な感覚です。沖縄など毎回行く人の気持ちがちょっとわかります。私も沖縄に住んでいたら、何度も行ってるかもしれません。9月の講演会、、、やっぱり行こうかな。。。

 そうそう、昨日の講演会の終了直後、突然、肩をたたかれ「ちびQちゃん、可愛いですね」と声をかけられました。初めてお目にかかる方なんですが、私のブログをちょこちょこ読まれているとのこと。それから、家に帰ると「会場で見かけました」などのメールをいくつか頂きました。阿部さんもかつては同じブログランキングにいましたので、その辺りのことはあるかもですね。9月の講演会、、、やっぱり行こうかな。。。


 てなわけで、体調も完全回復したのですが、体調がすぐれなかったのは午前中のみ。そして今日は珍しく昼から滝に行ったのです。何度も言うように午前中はちょっときつかったのです。もしかしたらインフルエンザの前触れ、、、みたいなしょうもない不安までしたりして。そして午後から滝行。お日さまがガンガンなので、滝の水もぬるいかと思いきや、非常に爽快でした。そして帰ってくると、体調は回復。まさに滝で「浄化」したと言っていいでしょう。やっぱりちょっとしたエネルギー負けだったのかな。

 ところで昨日の講演会の質疑応答の中で、いくつか私なりに明確に答えられる質問がありましたので、そのことについて。一つは「流れに乗る」、もう一つは「プラス思考」についてです。質問内容の細かい点までは覚えていませんが、まずは一つ目。

 しばしばスピ系の本や講演会などで、「あるがまま」「自分らしく」「楽に生きる」「頑張らない」「おまかせする」なんて言葉が散見されます。それはすべて正しい考え方だとは思います。しかし、ちょっと誤解されるのが、「だったら何もしなくていい」という解釈。極端な話、何もせずに怠惰に寝とけばお金も恋人も思いのまま、という解釈ですね。言うまでもなく、そんなことで願望は実現しません。と言うか、みんなわかってるんでしょ、と言いたい。

 ちょっと皮肉った話になるかもしれませんが、私がブログを始めて5年。その間、いろんなブログがあるのを知り、ちょこちょこ読んだりしていました。そして中には「願望実現」に関するブログも少なくないことを知ります。それらのブログの特徴は、ちょっとスピリチュアルで、心が軽くなる、前向きになる、認めてもらえる、、、的なスタンスが主流のようです。そして「願望」なんて「簡単」に叶うんですよ、的な言い方で、いろんなテクニック(スピテク)やグッズを紹介して読者に希望を与えます。その代表が「実○くん」です。

 しかしながら、紹介されるスピテクなどを実践して、本当に「願望」が「実現」することは、、、ないってこと、みんなわかってるんでしょ。「引き寄せの法則」で引き寄せようとも、せいぜいすいてる電車の席に座れて「席を引き寄せた」って喜ぶのが関の山。でも、本当の「願望」はなかなか「実現」しない。それでも何か知らされていない「秘伝」があるのではとブログを徘徊する。

 ただし、中には本当に「願望」を次々と「実現」する人もいるわけです。例えば私。その秘訣がまさに「流れ」にのること。ボディボードのように流れに乗ると、次々と願望が実現するのです。しかし、それは決して「何もしない」ことを意味するのではありません。「流れに乗る」ことの本当の意味は「思ったことをする」ことなのです。

 実は「思う」ってめちゃくちゃ特別なこと。例えば「この講演会に行きたい」と思ったとします。世の中は思考であふれています。人は起きている間のほとんどすべて何かを考えています。それが60億パターンあるわけです。今この瞬間に、いったいどれくらいの「思考」が生まれたでしょうか。そしてその2秒後にはどれくらいの「思考」が生まれたでしょうか。数えることは不可能。それだけ地球上には「思考」が溢れているのです。

 その無限の「思考」の中から、どう言うわけか私は特定の「思考」を選び取ります。世界中の海から、特定の貝殻を拾うこと以上に限られた確率です。ただ、それは自分が選んだと言うより、向こうから来たと考えた方がいいです。昨日の阿部さんの講演会は飛び入りですが、あたかも講演会の方が私に近づいてきたような錯覚さえします。今、このブログを読んでいるのは、あなたが探して選んだブログではなく、いつの間にか読んでしまっている、つまりブログの方があなたに向かってきたもの。そしてそれを「読む」という行為も一つだし、昨日の講演会のように「行く」のも一つ。

 つまり無限の「思考」の中から勝手に選びだされたメッセージを、私は「講演会に行く」という行動によって形にしただけ。例えば今、誰かに電話したくなったとします。なぜ電話したくなったのでしょうか。意味はわからないけど。そして次の瞬間、電話をする人と、しない人にわかれてしまいます。電話をする人の論理は「電話した方がいいと思ったから」、電話しない人の論理は「面倒だから、忙しいだろうか」などなどいろんな言い訳が付随します。

 そして電話をしない人は、それはそれで自分の感覚に従ったとか、無理しないどこうと思ったとか、いろんな言い訳をするのでしょうが、それは「思う」という特別な現象を無駄にしたのと同じこと。それそれでいいと思うかもしれませんが、せっかくの「流れ」をここでストップしてしまったのです。その時はそれで特に困ることもないでしょうが、それは「流れ」に乗ったのでは決してなく、淀んだ水たまりの上でぷかぷか浮かんでいるだけ。溺れるリスクはないでしょうが、それでは永遠に「流れ」に乗って運命をつかむことはできません。

 楽に生きるための考え方やテクニックも時にはあっていいと思いますが、自分自身が本当に「やりたいこと」を実現するには、「やりたい(と思った)こと」を確実に実行する。それが本当の意味での「流れに乗る」ということなのです。確かに乗るためにはサーフィンと同じく、多少は「技術」が必要となります。しかし、それは乗ろうとしなければ決して上達しません。水たまりに浮かんでいるだけでは、決して乗ることはできません。思ったことをすぐにやってみる。この連続がすなわち「流れに乗る」ことなのです。


 それからもう一つ、「プラス思考」について。よく物事は「無色透明」だと言われます。そしてそれは100%正しいです。例えば大学受験で失敗したとします。その失敗によって、もっといい大学を狙えるチャンスに巡り合ったとか、もっと基礎学力を身につけて考える力を養えるとか、予備校で掛け替えのない友や恋人の出会うチャンスをつかんだとか、いろんな側面があります。単純に「失敗した」というネガティブな側面以外にも、いろんなポジティブな側面があり、「プラス思考」とはそのポジティブな側面を見ていこうとするもの。確かにその方が人生は楽です。

 しかし、それだけではもしかすると人生において本当に尊いものが見えないかもしれません。例えば恋人と別れたことがめちゃくちゃショックだったとします。それこそ10年間付き合ってきた彼氏から一方的に別れを告げられてしまい、自分はもう30歳半ば。今でも彼のことを愛しているし、願わくばよりを戻して結婚したい。そして独りになると彼との楽しい思い出ばかりが蘇って、涙を流さない日はない。

 そんなとき、どうすれば自分の気持ちを整理することができるのでしょうか、と聞かれることもあります。もしかしたら、もっといい男と出会えるチャンスができたとか、彼にも欠点があってそれと生涯つき合わなくて済んだとか、男を見返してやろうという力が自分を成長させるとか、いろんなポジティブな側面もあるにはあります。

 しかし、そんなポジティブな側面ばかりを見て、本当に気持ちが整理できるのだったら、その人の元彼に対する「愛」はそれだけのこと。別れてよかったです。でも、本当はそんなに簡単には整理できないはずで、それが本音。そんな時はポジティブな側面を見るなど姑息なことをせず、別れた悲しみととことん付き合って、とことん泣き崩れればいいのです。「悲しみ(かなしみ)」は「愛しみ」とも書くように、悲しめば悲しむほどに、そこに「愛」を実感することができるもの。そしてその深い「愛」は元彼に対する一時的なツールに終わらず、その人の深い部分に浸透していくことでしょう。そして、どんなに深く悲しもうとも、人間ってのは現金なもので、いつしかその悲しみを忘れるようにできています。程度はあるかもしれませんが。そこで残ったのは、元彼と別れた悲しみではなく、そこで感じた深い「愛」だけ。

 もしも即座に失恋のポジティブな側面ばかり見ようとすれば、その「愛」に気づくことはなかったかもしれません。しばしば「努力は奴隷の力」とか「頑張るじゃなくて顔晴る」なんて、妙な言葉遊びがありますが、そんな生き方ばかりしているのであれば、努力によって得られた本当の幸せや、頑張ることの感動を味わうことはできません。

 「プラス思考」は確かに「マイナス思考」よりはマシかもしれませんが、「プラス思考」によって人生の真実から目を背けることになるのであれば、私はそんな生き方はまっぴらごめんです。ただし、本当のことを言うと、究極の究極としては、この世の中、そして「宇宙」には絶対的な「プラス」しかありません。「愛」とか「感謝」と言い換えてもいいです。しかしそれを「体験」するためには、まさしく「体験」が必要なのです。それが人生ってやつだと思います。ありがとうございました。


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by katamich | 2009-08-23 23:39 | ■人生哲学
 21日行も3週目に入ります。残り一週間。「自分らしく生きる」のwhite-crystalさんと北九州の「畑観音」に向かいます。今日の滝では初めての方のお世話をさせて頂きました。その方は小倉で英会話の先生をされています。国籍はカナダとエジプト。言葉は英語、アラビア語、日本語に加えてイタリア語、フランス語も話せます。そして宗教はイスラム教。日本でも一日5回メッカに向かってお祈りをしているそうです。

 つまり今日はイスラム教徒の方の滝のお世話をさせてもらったのです。私たちがやっている滝の作法は天台修験に則っています。しかし、導師は滝に来られる方の宗教や信仰を尊重されます。そしてそもそも「水」で浄化すると言う考え方は、どの宗教は文化にも見られることようです。その「水」がたまたま「滝」ということ。

 それにしても面白い光景だったと思います。滝に入る前に、私が作法をします。そしてその方を滝にお入れするのですが、私はその前で般若心経を小声で唱え、その方は滝の中でアラビア語でコーランの一節を唱えていらっしゃいます。つまり仏教と神道とイスラムのクロスーバー。人によってはケシカランと思うかもしれませんが、では釈迦やムハンマドがこれを見てどう思うか。さらに大日如来やアッラーが見てどう思うか。どうも思わないでしょう。そもそも大日如来もアッラーも言い方変えただけで同一人物なのですから(笑)。結局はひとつ。


 その後、white-crystalさんと私の車で福岡に戻ります。この後どうされるんですか?と聞くと「講演会」に行くと言われます。阿部敏郎さんの「いまここ塾in博多」に。私が6月に行こうと思って申し込みをしていた講演会です。ただ、あの時は別件と重なり他の方に行ってもらいました。今日のことはちらりと聞いてはいましたが、今日あることを知ったのは今日。すごく人気のブログだし、講演会もすぐにソルドアウトするので飛び入りで大丈夫かな?と思ったのですが、とりあえず私も行ってみることに。なんとなく呼ばれているような気さえしましたので。

 そして行ってみると案の定OKでした。しかし、用意されていた席はほとんどが埋まるほどの満員御礼。正直、私は阿部さんのブログを欠かさず毎日読んでいるわけでもなく、昔からの熱心な読者というわけでもありません。ただ、今年になって複数の人から「阿部さんのブログを読め」とか「阿部さんに会いに行け」と言われたこともあり、非常に気になる存在ではありました。今まで川○○○郎さんとか、斉○先生とか、ぶっ飛び系の怪しいのにも行ってきたので、正直、そんなだったらどうしよう、、、とはちょっとは思いましたが、ブログを読む限りでは大丈夫だろうし、阿部さんのことを勧めてくれた人も信頼できる方だったので、どんな話が聞けるのか楽しみでした。

 結論。やっぱり私は呼ばれていました。行くタイミングは6月ではなく、まさに今日。普段は一人で滝に行くところ、今日はwhite-crystalさんと行ったのも、まさに必然。今日は滝に行ってそのまま帰るつもりでしたので、筆記用具も、そして上着も持たずに会場に入りました。Tシャツに雪駄姿。クーラーが効いててめちゃ寒い。

 今から書くことは「いまここ塾」のレポートではありません。何のメモも取らずにただ感じただけ。阿部さんの言葉とかニュアンスとか違った部分もあるでしょうが、あくまで講演会で感じたままのことを私の言葉で語るだけです。もしかしたら阿部さんが言ったのではないことを、さも言ったかのように書いてしまうかもしれませんが、これは記憶を頼りに再現するのではなく、あくまで私の「感じたこと」を言葉にするだけ。その辺、どうぞご了承ください。

 まず、タイで起こった不思議な話に始まり、笑いを交えながらも、淡々と「いまここ」ということの本質に入ってきます。すぐに感じたことは、阿部さんは一次情報であるということ。講演会と呼ばれるものの多くは、他の人の話や本、データなどを引用しながら、それを自分の話と同化して講演会としての体裁を保とうとします。しかし、阿部さんの話はおそらく100%阿部さん自身の体験であり、阿部さん自身の言葉によるものです。精神世界の勉強もたくさんされてきたのでしょうが、その辺の知識の受け売りということがなく、100%阿部さんが受け取ったメッセージを素直に話しているだけ。しかも、本来は「言葉」にならないようなことを、どうにかしてギリギリのラインで伝えています。

 人によってはチンプンカンプンかもしれませんが、阿部さんと同じような「体験」をした人にとっては、深く浸み入ってくるでしょう。腑に落ちるでしょう。そして私自身も、、、わかる、でした。一方で、阿部さんの話が本当だとすると、皮肉なことに「精神世界の常識のウソ」がたくさん暴かれてしまいます。今日の講演会は、阿部さんのファンであると同時に、精神世界に造詣の深い人たちもたくさん来られていたと思います。ですので、いわゆる「精神世界の常識」に生きている人に対しては、かなりリスキーな発言にもなろうかと思います。

 例えば阿部さんは「魂はひとつ」という話をされました。となると、「ツインソウル」なんて概念が立ち行かなくなります。魂が「ひとつ」だとすると、言うなれば世界の全人類が「ツインソウル」であり、恋人なりパートナーなりの特定のツインソウル観が崩壊してしまいます。そして「アセンション」、、、この話は後ほど。

 最初に阿部さんは「今日の話はいわゆる3次元に生きている生活の延長上でとらえることはできないので、まずは3次元の思考様式をストップさせましょう。そのためには瞑想がいいです。」とのようなことを言われ、全員で5分間の瞑想に入ります。それから話がスタート。
  
 阿部さんの話は一貫して「この世界には『時間』という概念はない、あるのは『いまここ』だけだ」ということ。このメッセージはブログでもお馴染みですし、「いまここ塾」の基本中の基本であるメッセージです。そして「『時間』がないということは、『私』さえもがなくなることだ」と言います。おそらく「悟り」や「覚醒」があるとすれば、究極的にはその境地に達すること。しかしどう考えても「私」という実体はここにあります。それってどういうこと?

 そもそも3次元の思考様式を決定づけたのはデカルトであると言われます。科学の思考様式と言ってもいいです。それはすなわち「我思うゆえに我あり」という思考様式。デカルトは「方法的懐疑」という手法によってあらゆるものを疑いました。感覚はもちろんこと、目の前に存在するリンゴがリンゴであることさえも疑います。その結果、どうしても一つだけ疑えないものがでてきました。それが「我思うゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」なのです。

 つまり「方法的懐疑」によって世のあらゆる事象を疑います。しかしそうやって疑っている自分自身、疑っていること自体だけは疑いようのないことを発見するのです。唯一疑えないもの、それが「我思う」であり「我あり」なのです。そしてこの思考様式はその後の科学の発展の礎を作ったとさえ言われます。

 つまり「我思う」があれば、そこに「思われる対象」があることを意味します。そこには「思う」と「思われる」の図式、つまり「主観」と「客体」が存在することになります。「思う」が「我」だとすれば「思われる」は「我」以外の存在。となると「思われる対象」を例えばメスで切ったとしても、「思う我」には影響がないとされます。医学で言うと、腫瘍を取り除くためにメスで身体を切ったとしても、そこには切られた腫瘍があるだけで、世の中の全体性とは何ら関係がないことを意味します。

 そしてそうでなければ、基本的に現代医学は発展しません。医者が患者の身体にメスを入れたとして、そこで医者が痛がるようでは治療ができません。医学を医学として成立させるためには「医者(思う我)」と「患者(思われる対象)」という切り離された図式が必要になります。

 それは「開発」においても同じ。私が住んでいるマンションは開発された恩恵にあずかっています。しかしもともとは大地であり「自然」でした。そこには「開発する人間」と「開発される自然」という切り離された関係性があります。これは言うまでもなく「思う我」と「思われる対象」の延長上にあります。もしも「開発する人間」が「自然」を切り刻んで、そこに痛みを覚えるようではマンションは建ちません。

 このデカルト的思考様式、言い換えると「科学」はこの200年間の世界を一変させました。それがいいことか悪いことか。この生活に慣れている私たちにとって、それがいかなる弊害を見せようとも、それを否定することはできないでしょう。しかしながら、この思考様式は人類の長い歴史の中で高々200年前にできたものなのです。そして我々はその200年の思考様式(パラダイム)に完全に縛られて生きています。

 では、デカルト以前の、もしあるとすれば本来の姿とはどのようなものなのでしょうか。そしてあるとすれば正しい姿とはどのようなものなのでしょうか。もしもそれを探究したいのであれば、阿部さんの言うように「3次元の思考様式」を遮断する必要があります。

 阿部さんは道元禅師の「仏道を習うというは自己を習うなり。自己を習うというは自己を忘るるなり」という言葉を紹介して、人間が向かうべき最終的な姿を示唆します。しかし「私」がいながらにして「私」がいないとはどういうことか。何度も言いますが、それを「悟る」には3次元の思考様式から離れることが必要です。そしてそれが本来の意味での「スピリチュアル」だと私は思っています。

 ついでに言うと、巷に流れる「精神世界の常識」のほとんどは3次元の思考様式がベースとなっています。例えば「目に見えない世界がある」とすること自体が3次元に立脚した考え方です。「目に見えない世界」を言うためには「目に見える世界」が前提とする必要があります。そしてさらに「精神世界の常識」では「目に見えない世界」を「見える」ようにすることに力点が置かれます。

 例えば「前世」「守護霊」「ツインソウル」「オーラ」など。もちろんこれは「前世」存在そのものを否定するものではありません。ただ「前世は○○である」という言い方自体が、「目に見えない世界」を対象化(客観視)することに他ならず、それはまさに「今生の私」と「前世の私」という3次元の思考様式から脱していないことを意味するのです。

 では、3次元の思考様式から脱した到達点とはどのようなものか。そればかりは「体験」でしか理解できません。しかし阿部さんはそれを言葉で表現できるギリギリのラインで説明されます。つまり私たちが思っている「私」とは、すべて時間の連続性の上で認識された私です。3次元では「昨日の私」も「今日の私」も「同じ私」としてとらえます。そして「0.1秒前の私」と「今の私」は当然にも「同じ私」です。しかし我々はいつの時代にも「今」にしか生きたことがありません。「0.1秒前の私」と「今の私」を同時に生きることは不可能です。それが「同じ」だと思うのは単に「認識」の仕業です。

 人は常に「いまここ」にしか生きることはできません。だとすれば我々が思っている私とは「昨日の私」でも「さっきの私」でもないことに気づかなければなりません。しかし多くの人の「私」とは「昨日の私」と「さっきの私」と「今の私」を同一視することによって成り立ちます。しかしその「私」は存在しません。先ほどの3つの「私」を同時に実現できるような「私」は絶対に存在しえないのです。しかし、繰り返しますが我々は3つの「私」を同じ「私」だと認識し、それが「私」という概念の本質になっています。そしてそれは「認識」に過ぎず、絶対に存在しえないのです。

 そこでもしも「私」が存在しないとなると、当然「あなた」も存在しないことになります。「彼」も「彼女」も存在しません。では何が存在するのか(「存在」という言葉自体が3次元思考様式ですが、言語で表現する限界であることをお察しください)。それに行きつくことがもしかすると「悟り」なのかもしれません。ただ、「精神世界の常識」では、「あ、これはワンネスのことだ」とか言うかもしれません。しかし、言っておきます。ワンネスなんて言葉で片付けてしまっては、その人は永遠に理解することができないでしょう。ワンネスとは概念ではなく、体験そのものなのですから。精神世界の本を一万冊読んでも絶対にわからないでしょう。まさに「体験」した人にしかわからに境地。では、どうすれば「体験」できるのか。「体験」するには「体験」するしかない。これが私が言えるギリギリの表現です。わからん人はわからんでいいです。まずはわかろうとするところから脱却すること。それしかありませんから。

 そんなわけで、おこがましくも阿部さんの話は私にとってもよく「わかる」話でした。阿部さんの講演自体は1時間20分で終わり、その後は質疑応答。「友達が亡くなったが、どう考えればいいか」「男女ということの意味は」「お金を儲けるには」などの質問が続き、そして最後に私が手をあげました。


「阿部さんの言う『いまここ』は確かにおっしゃる通りでよくわかるのですが、冒頭に言われた『アセンション』によって人々の意識がどうにかなると言う話は、時間的なベクトルを前提としなければ成り立たないと思います。そのことと『いまここ』との矛盾なり一貫性についてご説明をお願いします」


 阿部さんはまさに「それが核心である」と言いながら、これもまたギリギリの言葉で表現されました。非常によくわかりました。正直言って、阿部さんの言うことはよくわかるのです。では、何のために質問をしたのか。嫌らしい言い方ですが、阿部さんがどのように答えるかに関心があったのです。

 つまり「アセンション」とはもしもそれがあるとすれば、まさに「いまここ」なのです。人々はもしかしたら本当の意味での「悟り」に向かっているかもしれない。そして同時に誰もが悟っている。例えばすべては「ひとつ」である。実はこれは誰もが知っていること。その意味で悟っている。だが、そこに3次元思考様式が入ってしまうとどうか。

 私が理解したところ「アセンション」とは時系列上の延長において起こりうるイベントではなく、常に「いまここ」に起こっている「うねり」のようなもの。そしてそれを「精神世界の常識」に限りなく近づけた言い方をすれば、「アセンション」とはその「うねり」の大きさのことなのかもしれない。これは私の理解なのでどうかわかりませんが。最後にこう質問しました。


「端的に行って、2012年にどうこうなると言うのは、単なる『おとぎ話』・・・?」


 阿部さんは笑いながら答えます。「・・・恥ずかしくて言えないっしょ・・1999年でこりてるわけだし(笑)」、と。すいません、最後の質問は嫌らしかったですね。。。

 初めて参加する「いまここ塾」は思った以上に学びがありました。そしておこがましい言い方かもしれませんが、阿部さんの発するメッセージは私が普段思っていることと何ら矛盾するものでもないこと。お釈迦様が言うように「苦」もまた人の本質。しかし「苦」を「苦」のままでとどめない。そこの「葛藤」から脱却するには、まさに「いまここ」に在るということ。そのことが本当に腑に落ちてしまうと、ある現象が起こるかもしれません。私は起こりましたが、起こらないかもしれません。どっちでもいいです。しかし、最初から何かの現象を目指して何かをすることは本末転倒。

 私は、特定の人間を教祖のように特別視することは否定的です。そう断った上で、阿部さんの話はいわゆる「3次元」にも「精神世界の常識」にもとらわれない、彼自身の体験に基づく「一次情報」が伝えられているようです。私は阿部さんの信奉者ではありません。私は私の信奉者であり、そして宇宙の信奉者です(このニュアンスはわかりますよね)。それでも今日の話はすごく気づきがありました。今度9月にまた博多であるようです。行こうかな。今日みたいに呼ばれてたら行くでしょうが先のことはわかりません。私にとってのすべてはまさに「いまここ」なのですから。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-22 23:39 | ■精神世界
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