宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

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 今日から全国的に寒波が覆うそうです。無駄にスペースのある私の部屋はなんだか底冷え。もしも今週から「行」だったら辛かったろうな~。ある意味、ツイてる~。

 今日は久々に本家BBSに書き込みがなされていました。最近、ブログの方は盛況なんですが、本家がどうも寂しい。更新してないからだろうけど。そうそう、その書き込んでくれた方なんですが、なんと私のコーチングの先生でした。嬉しいものですね。そもそも私がなぜ、最近、コーチングに興味を持っているのか。

 私はこれまで人知れず悩んでいたことがあります。それはいわゆる「手に職」と呼ばれるものがないことです。つまり、何を持って「プロ」と為すものか、それが自分にはわかりません。私の会社・業界は土木・建築出身者がほとんどで、いわゆる文科系出身者がほとんどいません。この業界の花形の資格とは、一級建築士や技術士などがあるのですが、文系出身の私にはほとんど縁のない資格です。受験資格もありません。それがなぜ、この業界にいるのか。それこそ「縁」としか言いようがないのですが、意外と資格に関係のない仕事も多いのです。

 そんなことで、こないだのコーチングの講習では、初っ端に私だけ3分間スピーチをさせられたのですが、「なぜ、コーチングか」というネタでこんなことを言いました。

「私の職種はいわゆる建設コンサルタントという仕事です。この業界でプロと呼ばれるには、技術士や一級建築士などの仕事が必要になります。しかし、今やそのような資格があるからといって、つぶしが効くかと言えばそんなことはありません。なぜなら世の中のニーズがそれらの資格を必要としなくなっているからです。世の中、いろいろな資格がありますが、それは時代やニーズによって価値が変わるものです。しかし、これだけは変わらないと思われるものがあります。それはコミュニケーションのスキルです。これは会社のマネージメント、営業、企画立案、教育、日常の人間関係などあらゆる場面で要求されるスキルであり、人間、社会がある限りどこまでも必要とされるスキルです。とりわけ、今の若い世代(10~20歳台)はゲームやコンピューターに慣れ親しんでおり、いわゆる対人関係というのが苦手になっている傾向があります。これからはそのような人にコミュニケーションを教える、また、そのような人たちの潜在能力をコミュニケーションによって引き出すと言う意味で、ますます重要です。コーチングにはそれがあります。」

 先生が私を指名したのは、「滝の話」をするだろうとの期待があったようですが、実は本道の真面目な話をしてしまいました。ついでに3つばかり質問がきました。

Q1:会社の中で部下や同僚とコミュニケーションをとることが重要だとは思いますが、具体的にどのような場面で生かしたいと思っていますか?

→端的に言って上司の「ため息」を聞かないようにするためです。ため息やネガティブな言葉を吐くのは、閉塞感を感じているからだと思います。その閉塞感は、言葉やコミュニケーションによって解消できるものだと思っています。例えば、「ほめる」という行為などがそうです。

Q2:会社の中ではそんなにコミュニケーションを取る場面って実際あるのですか?

→よその会社はわかりませんが、うちの会社では仕事を取るために、営業やプレゼンテーションなどスキルが要求されます。建築などの技術畑でありながら、「しゃべってなんぼ」の要素が強いので、積極的に話す場面を作ることは重要だと思っています。

Q3:営業などクライアントと話す際に気をつけていることって何ですか?

→「すいません」という言葉をなるべく使わないことです。この言葉は便利ですが安易に使うべきでないと思います。例えば、「ありがとう」でも、「失礼します」でも、「申し訳ございません」の場合でも、「すいません」は通用します。しかし、対人関係には様々な場面があるのに、すべて「すいません」で片付けてしまうのは、せっかくの関係を蔑ろにしている気がします。「すいません」にはだいたいきちんとした言い換えの言葉があるので、ケースに応じてきちんと使い分けるべきだと思っています。ちなみに私には素晴らしい教師もいれば、素晴らしい反面教師もいます。その反面教師の方は、この「すいません」で客からクレームをつけられたりもしているので、考えてしまったのです。

 これらの返答は瞬時にできます。毎日書いている日記の内容をそのまましゃべればよいからです。このブログもかなり自分の手助けになっているようですね。

 コーチングについては私のことをよく知っている方からすすめられました。「石田さんには合ってると思う」ということで。話を聞くと面白そうだったので、早速、講習に参加したというのがいきさつです。思っていた以上に面白いものかもしれません。

 コーチングやコミュニケーションのスキルは様々な場面で応用が効くと同時に、いろんな知識や経験が必要であると感じています。その意味で、私の雑多な関心がこれほど役に立つものはないと思います。例えば、放浪の経験、ジャズの知識や経験、哲学や心理学の知識、滝行の経験などは、一級建築士を取るのになんの役にも立ちませんが、コミュニケーションにおいては効果的な潤滑油や原動力になるものです。

 また、コミュニケーションスキルの魅力としては、「持ち運びが自在」ということもあるでしょう。建築士はそのスキルを生かすのに紙とペンが必要です。画家も然り。ピアニストはピアノが必要です。医者はメスが必要です。しかし、コミュニケーションのスキルは自分の中に完全にインプットされてしまうので、いつでもどこでもそれを披露することができます。つまり、「Time」「Place」「Occation」のどこでも、披露し活用することができる、それがコーチング及びコミュニケーションスキルというものです。

 そんなわけで、近頃、またまた「ハマリモノ」が出来つつある今日この頃です。そして、来年には「プロ」と呼ばれるようになるのが目標です。がんばるぞ~!!

貴方のワンクリックが日々の糧となります。よろしくおねがいします。(ブログランキング)

(今日も「きらきらアフロ」見ました。面白いっす。)

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by katamich | 2005-01-31 23:44 | ■まちづくり
b0002156_2252566.jpg 今日は8時に待ち合わせ。NPOのHGSM理事と一緒に鹿島市に行きました。炭釜の見学です。11時に到着。有明海が臨めるよい景色です。土釜は素晴らしいものであると同時に、難しい面もあることがわかりました。釜を作るのにも思ったより時間的・費用的コストがかかりますし、竹を運び込んで、炭にするのにも、手間や時間の割りには量が取れないものです。しかし、そこでは色んな情報を聞き入れましたので、とりあえず一歩前進です。竹やぶの管理と竹炭化に関して、ウルトラC的なよい方法はないものか。難しい問題ですが、答えはどこかにあるはずです。きっとできるはずです。わくわくしますね。

 帰りは、なぜかスポーツ自転車の店によりました。HGSMさんは自転車野郎で、休日はしばしば海岸一周や峠越えなどしているようです。私も自転車に関しては、オランダからオーストリアまで行ったり、アイルランドを一周したりしたことがあるので、興味は大です。でも、ちょっとは本格的にすると安くても10万円は必要なようです。趣味には金がかかりますね。

b0002156_22202273.jpg 家に戻ったのは5時前です。ちょっと小腹がすいていたので、ラーメンを食べる事にしました。中途半端な時間なので、ドカンと食べるわけには行かないので、いつもの通勤途中にある、通称百円ラーメン、「勝龍軒」に行ってきました。ここは創業以来ずっと一杯100円のラーメンを提供しつづけているそうです。すごいですね。今回行ったのは2回目です。
 
 メニューはスタンダードなラーメンが100円。木耳の入った勝龍軒ラーメンが150円。みそラーメン、醤油ラーメン、大盛りラーメンもありますが、一番高いメニューでも200円。私は簡単に食べたかったので100円(消費税含む)のでもよかったのですが、なんだか申し訳なくて150円の勝龍軒ラーメンにしました。

 100円のラーメンなんてどうなんだろう?、と思われるかもしれませんが、いたって普通の美味しいラーメンです。店の中やドンブリなど何の飾り気もありませんが、実質本位にラーメンを食べるためにはよいと思います。部活や塾帰りの中学高校生がたくさんいました。

 「物価の上昇や消費税の導入など、値上げしようと思ったことは何度もあるけど、100円玉を握りしめてやってくる子ども達の顔を見ると値上げできないのよね~」と、おばちゃんの談。客単価150円として一日100人来たとしても売上15,000円。原価3分の1として、粗利で10,000円。土日もやっているので、月に多くて30万円の利益でしょうか。もっと少ないかもしれません。税金もかかるし。店にはおばちゃんと従業員がいますので、1人10~15万円の手取りといったところか。当然、家賃は払ってないでしょう。

 と、人様の台所事情を詮索しても仕方ないのですが、思わず考えたくなるような値段設定です。でも、創業以来30年の間に、何人もの人がラーメンを食べにきたでしょうか。かつては100円玉を握りしめていた少年も今では、立派な家庭をもつ父親になっている人も多いでしょう。おばちゃんは、カウンター越しにラーメンを食べにくる子ども達の人生相談にのったりしていたそうです。きっと今もそうでしょう。時には1,000円札をこっそりドンブリの下に置いていく背広姿のサラリーマンもあるとか。こんな人情話が今の世の中にもあるのです。

 土釜、自転車、百円ラーメン。こじつけかもしれませんが、これらはにとても「人間臭さ」を感じます。お金やモノ、システムが世の中を動かしているようですが、やっぱり人間が主役なんでしょうね。「人間」を取り戻す、そんな活動をしていきたいと改めて思いました。

今日の順位は?

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by katamich | 2005-01-30 22:02 | ■日一日
 5時40分起床。結局3時間しか寝れませんでしたが、目が覚めたのは目覚ましがなる数秒前。気合ですね。今日も、土曜日恒例の「滝行」に行ってきました。今日の水はいくぶん温かく(いや、めっちゃ冷たいですけど)、落ち着いて入ることができました。でも出た後は体が熱くなり、導師からも「いい気が出てる」と言われました。

 夜はコーチングの講習です。今日のテーマは「聞く技術」について。この講習はロールプレイがたくさん入っていて楽しいものです。講義を一方的に聞くのは疲れますしね。「聞く」という技術に際して、初っ端こんなクイズが出されました。

(バスの運転手になったつもりで次の文章をお読みください)

「博多駅発のバスに乗客が10人乗っています。祇園で2人降りて1人乗ってきました。呉服町で3人降りて2人乗ってきました。中州で2人降りて3人乗ってきました。そして天神で6人降りて1人乗ってきました。」

ここで問題です。このバスの運転手の年齢はいくつでしょうか?

 どうです?10人ほど受講生がいたのですが、すぐにわかった人は2人。私は二度目の読み上げの時にわかりました。う~ん、文章にしちゃうとすぐわかりますよね。わからない人のためにヒント。括弧内の文章をもう一度よ~く読んでみてください。答えは、、、書きませ~ん。わかってもコメントに書いちゃ駄目ですよ。

 これは「いかに人の話しを聞くのが難しいか」という前振りです。今日学んだのは、「聞く」という行為は単純な受身的行為でなく、完全な「能動的行為」ということでした。この講習が始まる前、どういうわけか私だけ3分間スピーチをさせられました。実は私はこういうのは得意です。突然指名されても15分はしゃべりつづける自信があります。また、半日の準備をいただければ60~90分は話せる自信があります。しかし、逆に話を聞く方はどうでしょうか。意外と苦手かもしれません。よほど面白い話は別として、そうでない人の話は聞くのが辛い時があります。それはそうですよね。

 「私、話すより聞くほうが得意なの~」って言う人がいると思いますが、本当でしょうか。極端な例ですが、自分の話したい話をするのと、例えばアキバ系青年のオタクの話を聞くのとどちらが楽でしょうか。

 つまり、「話す」という行為は自分で選択しながら話すことができますが、「聞く」場合は相手が何を言うのか選択できませんので、聞くという「行為」により「集中」する必要があると思います。その「集中」という度合いに関して、「聞く」ことは「話す」ことよりも能動的な行為だと思えるのです。

 私はまだコーチングの扉をたたいたばかりですが、いろいろなスキルがある中で、「聞く」ことのスキルは基礎的かつ重要なものだと感じました。コーチングの講習に来ている方々は、コミュニケーションに関心がある方ばかりで割合話し上手な人が多いようですが、「聞く」ことの難しさは皆さん、共感するようでした。

 コーチングの目標は、習うところ、「相手中から答えを引き出す」ということのようで、それにはやはり、「聞く」という行為が重要となってきます。言い換えると「話させ」という行為になるのでしょうか。私の友達にも天才的な「聞き上手」の女性がいるのですが、その方はむしろ「話させ上手」と言った方がよく、その人と話していると思わぬ気付きがよく得られます(現在、その方は「うつ」専門のソーシャルワーカーをされています)。これがコーチングの本質で、その方のように自然にできる人はいいのですが、今ではそれを「スキル」として習える時代になっています。ありがたいことですよね。

 「相手の中にある大切なことを見つけさせる」

 これをいかに引き出すかがコーチの役割であるのでしょうが、その前に、「大切かこと」は「自らの中」にあるという前提を多くの人は知らないのが現実です。今日の講習で言われた話の一つにも、日本の教育は答えを外に求めさせようとする、という話がありました。つまり、受験を典型として、「答え」は「模範解答」として自分から離れたことろにあることを先ずは前提としています。この前提を突き崩すことが、今の日本の閉塞感を払拭する上で重要だと思うのですが。

 そんなことを考えながら、帰りのバスで読んだ本の中にこんな一節がありました。空海(=弘法大師)の言葉をして、「仏法はるかにあらず、身中して即ち近し」というのがあり、つまり、「真理というものははるか彼方に求めるものではなく、自分自身の中にひそんでいる」ものなのです。今の日本が失っている、コーチングに見る大前提を、空海はとうの昔に気付いていたのです。やはり天才ですよね。

 私は今、滝に打たれながら一方で、このようなコーチングの研修に出席しています。仏教(密教)の思想とコーチングには意外な共通点があり、ちょっと驚いたことろです。

 この講習は全6回のうち、まだ2回目ですが、すでに多くのことを学んだ気がします。これからの展開がとても楽しみです。私は今後、コーチングとどのような付き合いをするのかまだ未定ですが、おそらく、より専門的に勉強してプロを目指すかもしれません。そうなると、「密教」の真理をバックグラウンドとしたプロコーチとして仕事ができるかもしれませんね。考えるととてもワクワクします。

 というわけで明日も早いです。前段に出したクイズ、答えがどうしてもわからなければ、「わからな~い」とコメントしてくださいね。近いうちに答えだしますので。しかし、重要な答えは自分自信の中にある、、、なんちゃってね。

さてさて、ランキングは???

(話変わりますが、エンタの神様に今日、出ていた「南野やじ」。今年ブレイクの兆しあり!!)

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by katamich | 2005-01-29 23:10 | ■日一日
 今日も昨日に引き続き、午前中は那珂川町で打ち合わせ。「行」でお世話になるのもこの町。縁がありますね。午後は事務所でデスクワークという平凡な一日でした。

 ところで、前にもちょっと書いたと思いますが、3月末にジャズのライブを企画しています。「企画」と言っても私は場所取りと客寄せぐらいしかしないのですが、なんにせよ関わらせてもらえるのは嬉しい限りです。

 ライブの主役は日本を代表するジャズ・クラリネット奏者、谷口英治氏です。先日、本家のページで谷口さんのCDをレビューしたので、さりげなく谷口さんのサイトのBBSに書き込みをしていたら、すぐに返信を頂いておりました。「好意的」と感じてもらえて嬉しかったのに加え、私のジャズの趣味と谷口さんの趣味とが面白いほど似通っているようで、さらなる嬉しさ倍増でした(BBSはこちら)。

 谷口さんのCDはリーダ作はすべて持ってますが、とても素晴らしい内容です。クラリネットと言う楽器はジャズの中ではオールドファッションドなスタイルで、谷口さんの選ぶ曲のラインナップもかなりオールドファッションドです。しかし、そういった伝統にきちんと敬意を評しながらも単なる「ナツメロ」に終わらず、お洒落で現代的、時にはアグレッシブなテイストを織り交ぜ、優れたモダンジャズに仕上がっています。

 ジャズのクラリネットというのは、ベニーグッドマンとかアーティショウ、日本では北村英治さん辺りのイメージが強すぎて、新たにジャズをやろうとすると、単なる二番煎じか、逆に奇をてらったフリーキーなスタイルになりがちと思います。でも谷口さんの場合は、きちんと王道を歩みながら、自らの語り口、言いたいことをきちんと感じさせるのですごいな~と思います。クラリネットでジャズをするのは技術面もさることながら、そういったスタイル面での難しさが、他の楽器にない関門だと思うのですが(だからジャズクラリネット奏者は少ない)、そこをあえてクラリネット一本で勝負するところに、大きな労と才能を感じさせるのです。

 それからレビューにも書いたのですが、谷口さんのクラリネットはその「音」が何よりも特徴的です。クラリネットにはフランス式とドイツ式とがあって、普通、日本の学生なんかが使うのはフランス式です。中学高校ではフランス式をず~っと使わされるのですが、ある時、CDなんかでドイツ人奏者のモーツアルトなどを聴くと、たいていの人は雷に打たれたような衝撃を覚えるものです。その辺りのことは私もここで述べています。とにかく音がめっちゃんこ美しいのです。勿論、フランス式も美しく、どちらがよいとかは一概には言えないのですが、比較の次元を超えて、とにかくドイツ式の音は美しいのです。

 それだけに、いろんな難しさもあるのですが(日本の学生がドイツ式に手を出せないのはこの辺にも理由があります)、谷口さんの場合は、その難しさを承知の上だと思うのですが、あえてドイツ製の楽器を使い、大変に美しいジャズクラリネットを聴かせてくれます(細かいこと言えば運指はフランス式のようです)。いろんあ意味で貴重なミュージシャンなんです。

 繰り返しますが、とにかくあの「音」。CDでもうっとりするのですが、それを「生」で聴くとどうなるのでしょうか。2度ほどコンサートホールで聴きましたが、身も心もとろけそうになるクラリネットでした。そして、3月のライブです。

 実は福岡で演奏するニューコンボは、正直、「狭い」です。しかし、客側にとってはあんなによいコンディションはありません。谷口さんのクラリネットを、最大、50センチ目の前で聴けるのです。実はこうやって谷口さんの演奏を聴くのが、前から夢でした。それが実現しようとしているので、「ツイてる」としか言いようがありません。

 今日の夜は、そのライブを取り仕切る、ドラムの定行氏とニューコンボで会いました。ライブの終わりかけの時に入ったのでちょっとしか聴けませんでしたが、アフターセッションもあり楽しめました。

 そしてポスターも出来ました。ピアノの久保田氏が作成しました。素晴らしいポスターですよね。これを読んでくれている皆さん!、ジャズのミュージシャンはこうやって頑張っているのですよ。ちょっと顔がいいだけで騒がれるアイドルなんかとは違って、ポスター、チラシを自分で作って、CDを手売りして、ライブが終わったらコンビニでコピーした自分のスケジュールをお客さんに直接配って。そして、ライブでは客が1人であろうが2人であろうが、完全燃焼して、最高の音楽を届けてくれるのです。

 これを、「ほんもの」と言うのです。見た目だけで中身の乏しい○○○(←適当に入れてください)なんかを聴いているうちに、どんどん「ほんもの」が聴けない耳になってしまいますよ。皆がそうなると、「ほんもの」がどんどんなくなっていくのですよ。嗚呼悲し耶。

 すいません。ちょっとぼやきになってしましたね。結局、自分の好きな音楽を聴けばいいのですが、、、う~ん、なんか釈然としないものも、、、あるのです。。。

 とにかく、あと2ヶ月先のことですが、これを読んでいる福岡の人、特に吹奏楽などをやってる人はこれ聴かないと人生の損失を見ちゃいますよ。特に、ノアールのクラリネット軍団は必ず聴きに行かないと、、、、どうしようか、、、、呪いますよ。私だって伊達に修業してないんですから。。。ふふふ。。。(もちろん、冗談ですよ)

 まあ、ライブが近づいたらまたアナウンスしますので、来てくださいね(と言いながら、ニューコンボは40人入ったらぎゅうぎゅうです。あぶれた場合は翌日の北九州がありますので。そこは80人入るそうです)。

 さあ、明日も滝行です。おやすみなさ~い(うわ!、4時間しか寝れん)。

今日の順位は?

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by katamich | 2005-01-29 01:46 | ■音楽
 今日も先ずは御礼。ついにランキングがトップ10に入りました。いつもありがとうございます。これからはこの位置を維持できるだけで十分です。これより上はかなり難しそうでございます。だって、点数の桁が違いますんで。でも小さな声で言わしてもらうと、特に上の方のブログの面白さがちょっとわかりません。まあ、これは個人の嗜好の問題なので、私のブログこそ字ばっかり多くて、誰が読んでるんだろう、って思う方もいらっしゃることでしょう。失礼しました。。。

 今朝は5時半に起きて、那珂川町の不入道というところで「滝行」をしました。「21日行」ではここを本拠地に行う予定です。リンクを見てもらえばお分かりの通り、ここは雨どいのようなもので加工して打たせにしてあります。何だか自然の風情が損なわれるなあ、と最初は思っていました。しかし、今日打たれてみるとビックリ。細工のためもあってか、水の圧力がすごくて、「ガツン」ときました。いつもの畑観音以上の衝撃です。さすがに苦しく、般若心経は一巻だけにしました。かなり苦悶の表情を浮かべていたと思います。でも、そのあとご真言などを唱えていると、徐々に楽になってきたので、三巻でもいけたかな?、という感じです。とにかくここも手ごたえ十分です。水もキレイなようですし。

 それにしても、最近、「行」の話ばかりしてますよね。特に今週に入ってから、かなり内容も濃くなっています。それでもアクセスが増えているところを見ると、意外と皆さん、興味を持たれているのかな、と感じています。なかなか、このクソ寒いなか、リアルタイムに滝に打たれている人はいないでしょうし。予告どおり、2月5日(土)から21日間、毎日、「滝」に打たれます。オマケに「肉、酒、女」も絶たなければなりません。「行」に入ったら、通常の日記とは別枠に「21日滝行日誌」のコーナーを設けて実況するつもりです。そこでは淡々と一日のことを客観的に記述し、簡単なコメントを載せていきたいと思っています。例えば今日ので例をとるとこんな感じです。


【2005.1.27 「○日目」 曇り 3℃】

0時30分:就寝
5時30分:起床
6時00分:入行(般若心経1巻)
7時30分:一時帰宅のち出勤
9時00分:始業、AM:那珂川町打ち合わせ、PM:社内ワーク
21時00分:帰宅、TV、掃除、読書

朝食:コンビニの肉まん(←本番はNGです)
昼食:いわし定食(定食屋)
夕食:ワカメ麺(自宅)

本日の体重:70kg(←最近ちょっと太り気味なのです、身長は169㎝)

(コメント)
初の不入道。日の出前の雰囲気は最高。水の抵抗強くガツンと来る。般若心経一巻しかあげられず。だが真言で楽になる。本番の「行」が楽しみ。コンビニでうっかり肉まん(←本番では絶対NGです!)。

-ここまで-

 こんな感じです。これだと皆さんも読みやすいでしょう。そして、「行」の臨場感も味わえるのではないでしょうか。ダイエットの経緯もわかるし(笑)。もちろん、これとは別に通常の雑文も書きますよ。それから、「行」では先ほども書いたように、「肉、酒、女」を絶つ必要があります。私はこれとは別に、自分なりに何か絶つなり、行いをするなど、プラスアルファで課してみたいと思います。例えば、「コンビニパン」を絶つとか、客先(役所)では個室トイレを磨くとか。具体的に何かはこれから決めたいと思いますが、ちょっとはオリジナリティ持たせて「楽しむ」という側面も必要ですよね。

 それから、「行」ではツレにポーチを作ってもらい、それに線香とかロウソク等を入れて臨むつもりです。なんだかやる気満々ですね。ツレは最近、手芸とかに凝っているのでちょうどいいです。そう言えば、話変わりますが「そわかの法則」。ツレもその本を読んで、先ほど、とてもためになったと言ってきました。前はそんな本や話に絶対興味を示さなかったのに変わったものです。それで、電話口で言われました。

ツレ: 「そわかの法則」やから、ちゃんと部屋かたづけた?
オレ:朝から掃除して、ホコリも取った。まだ本が散らばってるけど、片付けるで。
ツレ:うん。それから、髪切った?
オレ:切ってません。
ツレ:それも実行してください!!

 何の会話かわかりませんよね。実は私は、なかなか「WAKAHAGE」であるため、髪を伸ばすとツレから怒られます。「WAKAHAGE」だと、伸ばしているとどうしても前頭部よりも横の伸びが目立つようになります。すると、ミッキーマウスのような感じで滑稽な髪型になります。なので、竹中直人風に短く切る方がよいのです。それは私も思います。

 でも、どうも床屋に行くのが面倒で、つい伸ばしてしまいます。すると、そんな下らないことで無駄な言い合いが始まります(もとい、私が一方的に言われます)。知らない間に、「一月に一度は散髪に行く」と約束させられたようで、なぜか「約束を守ってください!!」と言われるのです。

 ツレの解釈では、「そわか」の「か」は「髪切り」の「か」なのでしょうか??
(すいません、この洒落を言いたいがためにポーチの話から出しました。。。関係ない話で失礼しました。。。)

 余談ですが、私の滝のメンバーの中にHRさんという人がいます。その方はテッペンからクル性質なんですが、滝行のおかげで「生えてきた」という周囲の話です。私にはよくわかりませんが。まあ、毛根の刺激にはよさそうですけどね。。。

 というわけで、寝る前に散らばった本を片付けますのでこの辺で。また明日。

今日の順位は?

(苦悶の表情の橋本将棋四段。)

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by katamich | 2005-01-27 22:34 | ■滝行
 予定通り今日の昼休みに導師に会いにNPOの事務所に行きました。NPOの事務所ってよく考えたらここんとこ毎日行ってる(なぜか導師はNPOの事務局長)。2月5日からの「21日行」の心得みたいな話をしました。

 こないだも書いたとおり、私が「行」をするにあたっての「願」というのは、特段、明確なものでもありませんでした。導師もそれは認識されていたようで、「君の場合はネタづくりだろ」と言われました。確かにそうなのですが、単に「ネタ」のためだけに「行」をするのも辛いというものです。昨日までは「お金」という言い方もしましたが、それは結果論であって、目的論的に追い求めているものでもありません。導師は私が来る前に、このブログを読んで頂いていたこともあり、その辺のこともご理解頂いておりました。

 それでは私が「行」をするにあたっての目的とは何なのでしょうか。結論から言うと、導師からは「拾捨」であると言われました。意味するところ、とにかく、想いを一旦完全に捨てきることだと。「想いを捨てる」とは導師の言う「行」の第一の目的でもあります。やはりそれを徹底してやり通すことだと。

 「想いを捨てる」ことによって、究極どうなるのかと言うと、まさしく「宇宙」が自分の体を使い、自らが「宇宙」の一部分になることが出来るのだと。「宇宙」と言う言葉は私のブログのテーマが「宇宙」だからそう言われたのですが、別の言い方をすれば、「神」、「御神様」または「大日如来」とも言うそうです。ですが、私の場合は、ブログのとおり「宇宙」、時には「地球」とか「大自然」という言葉を使いたいと思います。(ああ、なんだかスケールのでかい話になりそうだ、クールダウン、クールダウン・・・)

 私が昨日書いた通り、「宇宙」というのはやっぱり「意志」を持っているようなのです。それは導師の考えることでもあります。私は物理学については完全な素人なのでツッこまれると正直困るのですが、「宇宙」と言うのはそもそも「質量一定」であり、ある部分が減少すればある部分が増加して帳尻を合わせるという性質のものらしいです。例えば、「地球」という生命体は、宇宙から太陽エネルギーを摂取すると同時に、逆に熱エネルギーを宇宙に放出することで生き長らえています。そもそも地球は熱エネルギーを不断に放出する性質を持つのですが(エントロピー増大の法則)、そのエネルギーの放出が一定量(←何が一定量かはさておき)を超えると、宇宙全体に「負荷」がかかります。するとどうなるか。「宇宙」は「地球」に対して「ドカン」とやってしまうのです。それが異常気象であったり、災害であったり、戦争であったりするわけです。

 では、その熱エネルギーの放出、すなわちエントロピーを増大させているのはいかなる所作によってか。それは現在、生物の中で最も地球を牛耳っている「人間」の行いであったり想いであったりするのでしょう。(やばい、話が膨らんじゃった・・・)

 言い換えると、人間の「行い」や「想い」は、いかに「宇宙」とつながっているかということなのです。一方で、人間の中にはエントロピーの増大を最小限に抑えるような行いや想いを持つ者もいるはずです。そのエントロピーを最小化させるような人間こそが、「宇宙の意志」に適合した人間であると思うのです。確かに、私が通勤・帰宅時にゴミを拾って帰ったところで、組織や企業レベルでゴミの大量廃棄をされた日には、私と言う人間は非力な存在です。しかし、昨日の話で言う「打算」かも知れませんが、私はできる限り、人間としての行いと想いを捨て、「宇宙の意志」とつながって生きていきたいのです。すなわち、自らの想いを捨て、「宇宙の意志」にできるだけ近づく、それこそが今回の「21日行」での目的なのです。(うわ~!!、俺一体なんの話をしてるになりか~!!)

 ああ。今日は簡単に書くつもりが、いつも以上に「あほあほ」な文になってしまった。ついでにもう一つ。昨日、「仏様を見たかもしれない」という話をしましたが、そのことを導師にも話してみました。すると、こんなことを言われました。

「それは『文殊様』(←文殊菩薩)だろうね。君には文殊様がついてるから。時々、行に入ろうと気合を入れていたりすると、見えることがあるんだよ。それに、君が行に入ることで文殊様も喜んで姿を現されたんだろうね。行の間は文殊様がきちんと見てくださるよ。」、と。

 何の不思議もなさそうな言い方です。確かに現れた仏様らしき物体は、座っていました。しかし、「蝿」のように小さく、その周りの後光だけが以上に広くまぶしかったのです。それを言うと、導師。

「最初は小さいもんだよ。俺だって竜神様に最初に会ったときは、びゅんびゅん虫みたいに飛んでたけど、そのうちこんなに大きくなったもんね。一生懸命に行をしてると、そのうち大きくなるから。」、と。

 こんな会話を昼の昼間から、しかも昼飯食った後の休憩時間にするなんて、俺たちどこかおかしいぜ~!!。ともかく、そう言うことらしいです。

 その後、導師の過去の話もいろいろ聞きました。ここではちょっと公開できませんが、すごい人生でした。ちょっとだけ言うと、かつては実業家で数十億の金を動かしていたのが、必然的にこの道に入る運命に導かれたのだと。その結果、いろいろな人の身体と魂を救う役割を負わされているのだそうです。なので、導師も「(昔はともかく)御神さんから嫌われるような生き方だけはしていないつもりだ。」、と言っています。

 私の日記(ブログ)の話も少しされました。このブログでは、導師のことを「一回死んだ男」とか「今でも半分死んでいる」とかネタにしまくっていますが、「もっと書け」とは言わないまでも、割合好意的に思って頂いているようです。私のブログには毎日100人以上がアクセスされるのですが、その中の何人かは、「行」に興味を持ったり、私の経験談を通じて何かを感じ取ったりしているかも知れないと。もしかしたら救われる人もいるかもしれないと(不遜な言い方で失礼します)。

 不遜ついでに言うと、現に私の日記を読んで、「仕事に役立っている」とか「元気になった」とか「印刷してアンダーラインを引きながら読んでいる」とかいう声をしばしば頂きます。それは本当に嬉しい声です。

 そんなこんなで、ブログも行もちょっとやめるわけにはいかない状況になっています。逆に100人以上の人が毎日読んでくれているという事実そのものが、私を鍛え、育ててくれているような気持ちになります。この場を借りてお礼申し上げます。
 
 明日は、21日行の予行演習のため早起きします。ヒーリングの達人ARZ氏にご指導頂きます。

今日の順位は?

(こういうのを宇宙の意思に反する人たちと言います)

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by katamich | 2005-01-26 23:18 | ■精神世界
 先ずは御礼。ランキングが自己最高の11位に上がりました。ありがとうございました。ベスト10までもう一歩!!

 それから、昨日のブログはかなり反響がありました。コメントや私宛の直接メールでも、「賛同!!」のご意見頂きました。あまり「金」と言うと、誤解を招くかとも思ったのですが、私の真意がおおかた伝わったようです(もっとも誤解されて困る人間でもないのですが・・・)。

 今日も色々新しい話がありましたが(NPOの新しい事業など)、そのことはこれから何度も出てくると思いますので、今日はちょっとばかし昨日の続きのような話をしたいと思います。
 
 私が「滝行」で「願」をかける際、まあ、率直に「金」とは言わずに「商売繁盛」とか、なんかの言葉にすると思いますが、それは明日の昼に導師と話し合って決めるつもりです。ただし、「金」とは言うものの、「正しい行い」がベースとなってのものだと昨日書きました。しかし、逆に取ると、「金」のために「正しい行い」をするのか、とも解釈できそうです。でも私の中では「金=正しい行い」なので、「卵が先か鶏が先か」なんて話はどうでもいいのです。つまりは、「金のため」という「打算」で「正しい行い」をしても、私の中では別段構わないことと思っています。

 そもそも、それが「打算」であっても何もしないよりは、「正しい行い」であればやった方がマシだと思います。例えば、先月はスマトラ地震のために5,000円の寄付をしました。その気持ちの中には現実にスリランカでお世話になった家庭に対する想いもありますが、「寄付することでお金の主人になるぞ」とか「先ずは寄付してもっと寄付できような収入を得るぞ」という打算があるのは否めません。もちろん今月もどこかに寄付するつもりですが、当然、打算の心は出てくると思います。

 もう一度言いますが、「打算でするなら何もしない」よりは、世の中にとって正しい行いである以上、「打算であっても何かする」方がマシだと思います。

 そんなことを考えながら、今日も自転車で帰宅していました。すると、突然のことです。そんな私の心を試すような出来事が起こったのです(つづく・・・とはしませんよ~)。

 信号待ちで待っている私の目の前で、車がタバコの空箱を外に投げ捨てたのです。空き箱は私の目の前に転がってきました。その時、何かしらないけど、「ドキン!!」と感じるものがありました。

 「お前、本当に正しい行いをする気持ちがあるのか?。妙な理屈ばかりこねているようだけど、本当は都合のよいこと、キレイなことだけして、自己満足してるんじゃないのか?。」

と聞こえたような気がしたのです。その瞬間、周囲を見渡すと、私から半径3メートル以内に、汚らしい使用済みのティッシュと水溜りの中に浸かったビニール袋が目に入りました。正面にはタバコの空箱です。「これは試されている!!」と思いました。ちょっとは躊躇しましたが、意を決してビニールとティッシュを拾い、タバコの空箱を拾い、自転車のかごの中に入れました。そして改めてごみ箱に捨てました。

 またまた変な話をしますが、この時、なぜだか「宇宙の意志」を感じてしまったのです。なので、その後も大変です。自転車に乗りながらゴミが目に付くと拾わずにはいられなくなりました。比較的小さなゴミでも、一瞬素通りしたものの、思いなおして拾いに行く始末です。私は一体何をしているのでしょうか。「願をかける」ということはこうも大変なことなのでしょうか。「宇宙」という「意志」が私を試してるような気がしてなりません。ちょっと怖くなってきました。

 こうなったらとことん「宇宙の意志」に従ってみたいと思います。明日から通勤・帰宅時はゴミを拾います。これも「宇宙に嫌われないようにする」という「打算の心」からの行動です。文句あるか~!!

 ついでにもう一つ変な話をしていいですか?、しますけど。今日の昼もNPOの事務所に行って滝の先輩と話をしている時、思い出したのですが、2日前の日曜日のことです。この日は究極にゴロゴロしていました。そして、コタツに座ってうつらうつらとしている時です。意識ははっきりしているのですが、なんだか寝ているのか起きているのかわからないような中途半端な状況の時、突然、目の前に「仏様らしきもの」が現れたのです。ただし仏様と言っても、後光だけがやたらとまぶしくて、本体自体はものすごく小さく何の仏様か判別つきません。体は動かず、いわゆる金縛りという状況でしょうか。

 この時、自分の中では、「出た~!!、仏様や!!、これは導師に言わなあかん!!」とか独り言を言っていたようです。その間、10秒ほどだったと思います。

 そんな話を昼に滝の先輩にしました。もっとも、最近の私は「行」が近づいてそんなことばかり考えているから、気のせいか夢でも見たんだろうとも思ったのですが、滝の先輩いわく、「仏様に会えるのって、寝てるか起きてるかわからんような状態の時って聞くよ」、と。そう言われると、普段の覚醒している状況の時はβ(ベータ)派が出ているけど、リラックスするにつれて、α(アルファ)波が出始め、もっとリラックスするとθ(シータ)派からさらにδ(デルタ)派に変わっていき、そんな状態の時によくスピリチュアルな発動が起こるものだと、ものの本には書いていました。ひょっとしたら会えたのかもしれませんね。うお~!!こわい!!

 「21日行」まであと10日に迫りました。行の時はこの日記とは別に、「滝行日誌」なるものをつけて、何時に起きたとか、何を食べたとか、体重何キロになったとか、どうでも良いことを公開していきたいと思います。

 と言うわけで「打算で生きる」でした。とりあえず、私の「お金論」は言いたいこと言い切りましたので、しばらくは出てこないつもりです。それではまた明日!!

トップ10への応援をお願いします。

(大変申し訳ないんですが、書いてて自分で重くなってきました。ちょっとバランスを取りたいので、品位を落させてください。本当に失礼申し上げます。)

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by katamich | 2005-01-25 23:21 | ■日一日
 昨日は寝すぎたにもかかわらず、今日もギリギリの時間に会社に行きました。仕事の山場が過ぎたためか、今日はいくぶんのんびり気味に仕事しました。

 昼飯後はNPOの事務所に行くと、滝の先輩がいらっしゃいました。その時、ちょうど私の行の段取りの紙を作ってくれていました。行に当たっての流れなどを教えてもらいながら、こんな質問をされました。

「石田君は今回の行をするにあたって、どんな『願』をかけるの?」、と。

 改めて聞かれるとどうなんでしょう。ある方は先祖の供養であったり、ある方は健康であったり、ある方は家内安全であったりするのですが、私の場合は何になるのでしょうか。一義的には「行そのもの」が目的であり、もうちょっと深めると「自分との闘いに勝つこと」であったりするのですが、そう考えると目的らしい目的もよくわかりません。「行」をすることで「何か」が得られるのでは、という漠然とした目的感はあるのですが、具体的な目的となるとう~んと考えてしまいます。

 世界平和とか地球環境とか壮大な目的を掲げてもいいのですが、今の私にはちょっとスケールが大き過ぎます。かと言って「心願成就」とかもっともらしいありきたりの「願」をかけるのも違う気がします。そうなると、ここは正直に、

 「金」です。

 こう書くと、なんちゅ~欲深い奴や、と思われるかもしれません。しかし、真剣な話をすると、私の考えは単なる「物欲」ではありません。

 「お金」ってとても重要ですよね。よく、「世の中金じゃない!」なんて言う人いますけど、いつもお金のお世話になって、お金のために働いているのに、その言い方はあまりにも失礼な話です。確かに「お金だけ」ではないでしょうが、「お金じゃない」はちょっと言いすぎです。私は近頃、いろいろな人に会ったり、いろいろと物事を観察したりしていると、ちょっとした法則があるのに気がつきました。誤解を恐れずに言いますが、こういうことです。

「お金持ちほど人間性が豊か」

 昔から「金持ち喧嘩せず」と言いますが、お金持ちの人って細かいことに気を取られないし、気前が良くてやさしいし、付き合っていて学ぶことも多いのです。確かにお金持ちでなくとも人間性豊かな人もたくさんいます。しかし、「お金持ち」と「そうでない人」を比べた場合、「お金持ち」の方が相対的に人間性が豊かな人が多いように思います。考えると当然のことです。「お金」があるということは、それだけ人からも信頼され、人の心も知っており、周りには常に「人」がいるものです。ずる賢さだけでお金持ちになっている人もいるでしょうが、それは長続きしないものだと思います。

 そこで私はこう考えます。「お金持ちほど人間性が豊か」であるのと同時に、

「人間性が豊かなほどお金持ち」

ということです。つまり、「お金」というのはその人の人間性を計る上での「バロメーター」だと考えるのです。一例をあげると、人世のためにとか、感謝して生きようとか、立派なことを言う人がいますが、貧乏な人にそんなことを言われてもまったく説得力がありません。「清貧」の人もいるでしょうが、例外的にその人に人並みはずれた(芸術などの)才能があるか、本当に使命感にかられてボランティアなどをしているなどを除いては貧乏な人の言うことなど誰も聞きません。

 今日のブログはちょっと過激な発言で、気分を害される人もいるかもしれません。しかし私の言う「お金持ち」とはあくまで「人間性」がベースとなったお金持ちのことを言うのです。「人間性」さえしっかりしていれば、「お金」など後からついてくるものです。例えば、私がいる土木建設業界などは一部で談合などを繰り返して国民の税金を不当に搾取し、また、無駄な公共事業によって国土を食い荒らしてきた経緯があります。その結果、業界は今やどん底で多くの人が貧乏に向かっています。

 一方で、私の知り合いの元ゼネコン社長は、建設業界バブルの時に、いきなり環境事業に転身して今や金には困らない生活をしています。先日会ったN氏にしても、本業は鉄工所ですが、一方でEMなどを用いて環境保全活動を一生懸命にされています。結果、本人いわく、「金は後からついてくる」ことになるのです。

 ですので、私の願として「お金」を掲げているのは、「地球や人世のために正しい行いをしている証」として頂くものだと思っています。それから、わたしが今考えているような、地球環境の保全・改善、人の心の癒し・活性化などを本格的にするには、現実問題として「お金」が足りません。私が得たお金はすべて「世の中のため」に使いたいと思っています。

 ですので、2月に入って「21日行」を敢行しますが、「願」として「お金」を掲げるかわりに、得られたお金はすべて「世の中のため」に使うことを誓います。もちろん、すべて使うとは言っても、自分への投資や自分やその周りの人が幸せになるために最小限のお金は使います。斎藤一人さんはこう言います。

「幸せな人でないと人を幸せにすることは出来ないんだよ。方程式を知らない人が方程式を教えることが出来ないのと同じように。だから、みんな幸せになろうよ」、と。

 全く同感です。なので私はお金は使いますが、人を泣かしてお金をもうけるような事はしません。人が不幸になるような使い方もしません。あくまで自分と、その周りの人、そして自分に直接なり間接なり関わってくれる人が「幸せ」になるような使い方と稼ぎ方をします。

 もう一度言いますが、私はこれからも「正しい行い」を必ずします。その証としてできれば「お金」を下さい。ただし、人を不幸にするようなお金の使い方はしません。もしも私が「正しい行い」に反するお金の使い方などをするのであれば、いかなる罰則も受けます。

 これが2月に行う「21日行の願」です。

今日の順位は?

(例によって本文とは全く関係ありませんが、写真の中央のじいさんの右上の子、悲痛な顔をしています。何があったのか気になります。)

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by katamich | 2005-01-24 23:08 | ■滝行
 ここ最近、徹夜したり遠出したり何かと忙しかったので、今日、日曜日は完全なる休息日にあてました。朝は11時頃に起き出して、昼にもちを食べて、その後はテレビを見ながら、うだうだしていました。途中昼寝もしました。夜も同じ感じで、座ったまま眠ろうとしていたので、日記も更新せずに布団の中に入ったのが夜の12時。

 こんな一日いいんかい!!、と思うのですが、このひきこもり体験を通じて思ったことがあります。

 当たり前なんですが、やっぱり一日に一回も外に出ないと、「気分がうつになる」ことがわかりました。近頃は、「そう(←うつの反対)」じゃないかと思われるくらいテンションが高かったのですが、この一日で「うつ体験ゾーン」に入ってしまいました。

 5年程前、私も大学院を途中でやめてしまい、何もしていない時期を思い出してしまいました。あの頃は本当に「暗黒」でした。朝起きて、岡江久美子とやっくんの顔見て、PCさわってテレビ見て、昼過ぎに飯に出かけて、その帰りに古本屋に寄って、夕方、ドラマの再放送見て、夜は簡単な飯を作ってテレビ見て本読んで、2時頃に何となく寝るという生活。当時は彼女もおらず、日常的に会う友達もおらず、一人ぼっちで「暗黒」の中でもがいていました。

 一方で生活もしなければならないので、単発のアルバイトを続けていました。ヤンキーみたいなのに混じってやってましたが、当時はよほど元気がなかったのか、単発のアルバイトでさえ断られることもありました。そんな中で塾講師のバイトが決まった時の嬉しかったこと。同時に老人ホームでのボランティアも始めました。しばらくして、今勤めている会社でのアルバイトも決まりました。
 
 そうやって自分から「うつ」を抜け出していったのです。やっぱり「動く」ことは大切です。人間も動物なので、太陽と新鮮な空気、生き生きとした緑に触れることは大切なのです。

 そんなこんなで、今でこそ私もハイテンションで通っているのですが、かつてはこんな時期もあったのです。

 話は変わりますが、先日、いつも登場するスピリチュアル・メンターに会った時、年末に見た「白へびの夢」のことを聞いてきました。メンターが言うには、

「ヒーリングの能力が芽生えたみたいね。でも石田さんの場合は、身体を癒すというより、性格の歪みを直す、といった精神面でのヒーリングの方が強いみたい。」

 ということのようです。隣にいたメンターの旦那も「君と話していると、素直になれるよ」と言っていました。本当にそうなのかどうかは知りませんが、そうであれば嬉しいです。今、私が最も関心を持っている「コーチング」などは、まさしくクライアントの潜在能力を引き出す、本来の自分を取り戻すといった役割があるので、「自分を見出せなくて引きこもっている人」などにも役立てるものと思っています。

 それから実は今、関わっているNPOでは近々、「都会の不登校の生徒・児童を田舎に呼んで本来の人間性を取り戻す」、つまり「里親事業」というのを始めようとしています。これなども、上で書いているような私の関心とも合いますし、そこに、昨日書いた「土釜づくりから始める竹炭づくり」などもセットすることができます。

 こうやって「意志」をもって「行動」していると、自然といろんなことがやってきますし、それぞれが私の関心の中で一つになろうとするものです。その意味で5年前の「暗黒時代」も決して無駄ではなかったわけです。私の場合、本格的なひきこもりでなくとも、それに近い体験をしているので、ひきこもり当事者と接するのにも多少は自分の体験に基づいて話ができます。

 と言うわけで今日のプチひきこもり体験も、私の進むべき道を確認させてくれたと言う意味で、有意義な時間だったと思います。ツイてる。

今日の順位は?

私信:埼玉のトモコさん、、、煎餅届きました。ありがとうございます。メールも頂きましたがまだ全部読んでいません。こんなところでご返事失礼します。また、改めてメールいたします。ありがとうございました。

(こんな記事があったので載せておきます。クリックすると大きくなります。)

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by katamich | 2005-01-23 23:46 | ■人生哲学
 今日はNPOの仕事で、先日の北方町まちづくりの2回目のヒアリングです。NPOの理事のHGSM氏と2人で佐賀県北方町に向かいます。(したがって「滝行」はお休みです)

【竹炭の話】
 先ずは前回、運命の出会いを果たしたN氏の店に行きました。今日は「竹炭」の話を聞きに行くのです。このブログを読んでくれている人にはご存知のように、「竹」は私の今年のテーマです。私は次の二つの側面から「竹」をテーマとしてとらえています。

1.竹は成長が早いので管理していないと、どんどん広がっていき生態系に悪影響を与える。
2.竹及び竹炭自体に「癒し」や「健康」などの面でものすごい効用がある。

 ですので、「竹」を活用していくことは、環境の保全(①)と生活の質の向上(②)の両面に役立ち、一石二鳥なのです。しかし、それにはいくつか課題があります。

①竹を切るための人件費
②竹を運ぶための運搬費
③竹を焼くのにかかる時間に対する竹炭の量(量/時間)
④里山を管理するだけの竹炭の消費
⑤竹炭の隠された効用を伝えること

 ①~③は竹炭化する上でのコストに関わることです。直売所などで「竹炭」を見かけることがあると思いますが、僅かなのにものすごく高いことはご存知でしょう。たかが「竹」なのに。これは原価などは無きに等しいのですが、それ以上にコストが上乗せされているのです。(実際にかかる数字も聞いてきましたがそれは企業秘密ということで・・・)。このコストを解消するためには、大量生産してスケールメリットを働かせるしかありません。しかし、それだけの設備投資ができるか、またその投資に見合った効果が期待できるか。。。

 また、仮に大量生産の体制ができたとしても、それを受け入れるだけの消費先があるかが問題です(④)。それは⑤の隠された効用にもつながります。「竹炭」の効用として聞いただけでも以下のようなものがあります(こちらのページが詳しいです)。

(1)「消臭効果」-部屋に置いておくだけで消臭効果があります(これは有名ですよね)
(2)「除湿効果」-竹炭は湿気を吸い取るので、家のシロアリ予防、カビ予防などに役立ちます(これも知られていることですが、あまり実践されていないようです)
(3)「シックハウス対策」-シックハウスの原因となる、ほこりや化学物質など有害物質を除去する働きがあります。
(4)「浄水効果」-汲んだ水の中に竹炭を入れておくだけでカルキなどを吸い取り、美味しい水になります。
(5)「マイナスイオン効果」-竹炭にはマイナスイオンを発する効果があるので、部屋の中に置くだけで森林浴の気分が味わえます。

 まだまだ、たくさんあります。しかし、これらは家庭でちょっと使う分にはよいのですが、大量にさばけるものではありませんし、すべての家庭がこの効果を知っているわけでもありません。また、隠された効用としては、竹炭を固めて地面に埋めておくだけで、その半径数十メートルの範囲にいる人は病気にならなくなるなどの効果も立証されているようです。(ケガレチ→イヤシロチ

 このような効果(里山保全と竹炭効果)があるにも関わらず、未だに荒れ放題の竹やぶが解消されていません。N氏も今まで、いろいろ頑張って取り組んできたそうなのですが、協力する人が少なくて頓挫しているそうなのです(しかし、N氏は今年、東南アジアの数カ国に竹炭の指導に行かれるそうです)。

 N氏が言うには竹炭はビジネスにならず、今のところ趣味の範囲を超えるものではない、とのことでした。しかし、だからと言ってこのような事態を野放しにしておくわけには行きません。起死回生、ここにはやはり「公共事業」という考えを持ち出す以外にはありません。事業採算性が取れるのであれば民間企業がとっくの昔にやっています。「事業採算性」が乏しく、「公共性」が高い事業こそ、「公共事業」として取り組む価値があるのです。これ以上山や農地を削って宅地を増やしたり、無駄な道路建設をするくらいなら、「環境」と「健康」に貢献できる「竹炭」を「公共事業」とした方が良いに決まっています。

 しかし、「公共事業」とは「国民の税金」を投入するため、何もないところから「予算」をつけるのは困難です。そこで、我々NPOは「竹炭」を「公共事業」にするための「モデルケース」を作ることから始めたいと考えています。

 そこで具体的に上がってきたのが、「竹を素材とした都市農村交流事業」です。都会の住民が農村の美しい環境を求めてやってくる「グリーンツーリズム」の取り組みは公共も民間もすでに積極的になされています。そこで、本事業です。フローは以下の通り。

①都市の住民を募ります
②一箇所に集まって先ずは「土釜」づくり(又はすでに土釜を用意しておきます)
③竹林に入って竹を伐採します
④切った竹を土釜に持っていって「入竹式」で盛り上がります
⑤作業が終わったら簡単な食事とビールで心と体を癒します
⑥その後、近くの温泉にご招待、解散します
⑦後日、自分たちで切って入れた竹炭が送られてきます

 こんなツアーを一人数千円の参加料を徴収して企画するのです。しかし、これだけでは大規模な竹やぶ管理には及びません。それでも、先ずは行動するのです。最終的には「公共事業」にするのが目的ですが、行動することによっていろいろは波及効果が期待されるかもしれません。また、この企画の良いところは「お金がかからない」ことです。金をかけずに知恵を使って問題解決に導く。これぞNPOの仕事です。

先ずは北方町でモデルケースとして実施し、実績ができれば他の地域でも実施します。ゆくゆくは都市だけでなく、地元の住民が楽しみのために竹を切り、竹炭を作る、すなわち「地産地消」による竹炭事業を展開していくのです。わくわくしますね。

 ところで、ここにきて馴染みない言葉が登場していますよね。それは上のフローの②の「土釜」です。お金がかからないと言いましたが、竹を炭にするには当然、釜が必要となります。N氏のところで作っているのは一機50万円の炭焼機です。しかし、労力さえ使えば炭焼機は土を原料に自分たちで作れるものなのだそうです。N氏もそれは可能だと言っていました。では、「土釜」を作るためにはどうすればよいのか。技術は??

 そのことも実は解決しようとしています。N氏の後に、HGSM氏の実家(北方町です)に寄ったのですが、氏の母親が土釜を作っている人を知っているということで、その場で電話をしました。すると、来週、近くの鹿島市という所で手作りの土釜による竹炭づくりがあるそうなのです。何と言うタイミング。ツイてる。ここから仲良くなって土釜づくりの技術を身に付けます。ですので、来週の日曜日は再び竹炭のために動くことになました!!はははは!!

 従って、上記のツアーでも「土釜」は私がツ・ク・リ・マ・ス。

【またまた命の水です】

 前回、「命の水」を汲みましたが、当然、使ってなくなりました。なので、今日も汲みに行ってきました。

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 その場所にはすでに3名ほど汲みに来ている人がいました。少し待って私も汲みました。汲み終わってからもしばらく、千手観音にお参りしたり、いい空気を吸ったりしていました。そこで、既に来ていた先の3名の一人(おばちゃん)がなにやら興奮しています。

「あ~、たまらない!!。ここに来るだけでエネルギーがもらえるの~。(石碑に)近寄ってごらん。あ~、もうたまらない!!。ここに来るまで頭痛かったのがすっとなくなった。」などと喚いています。私もそのパワースポットに立ち、石碑に手を置いていましたが、確かに言われるとそんな気がしないでもないのですが、おばちゃんのように「イキそうな」声を出すには至りません。

 その次におばちゃんがまた言います。

「ここに立ってごらんなさい。あの石碑とあの石碑を結ぶ三角形の頂点の場所なんだけど、ここもすごいエネルギーよ。あ~ん、たまらな~い!!(←ちょっと誇張しています)」

 私も立ってみました。先ほど、N氏のところに行った時に「体が良くなると体が柔らかくなるから前屈をして試せばわかる」と言っていたのを思い出し、その場で「前屈」をしてみました。私は体がものすごく固いので、前屈をすると「マイナス20センチ」という情けない数値を示します。

 ですがその場所に立つと、きちんと手が地面に着いたのです。暗示かもしれませんが、あながち間違いでもないと思いました。以下の写真はそのスポットから撮った写真です。どうです?エネルギーを感じますか??

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【ツイてるうどん屋】

 水を汲んだあとは、本題のヒアリングです。いくつか周った後、国道沿いではやっているうどん屋に話を聞きに行きました。忙しそうなので、10分のはずが話し好きの大将のようで、一時間にも及んでしまいました。大半は地元の話や身の上話でしたので、趣旨に会う話は少なかったのですが、その中で面白いことを言っていました。

「俺は高校卒業して、すぐ競艇選手になって25年。40代半ばでうどん屋を始めたんだが最初は10年もてばいいと思っていた。当時は周りに何もなかったんだ。でも、いつの間にかうどん屋も25年やっている。俺がうどん屋を始めてから、あれよという間にいろいろ立ち並んだ。俺は運がいい、ツイてるんだよ。」

 でました!!ツイてる!!。こんなところでツイてるが聞けた。私もツイてる。斎藤一人さんのファンならわざとらしく「ツイてる」を連発するところ(私も同様)ですが、そのうどん屋さんは自然にツイてる。おそらく普段から言ってるんでしょうね。さすが!!

 そんなことで今日は日帰りで行ってきましたが、今日も素晴らしい進歩がありました。いや~、わくわくしますね~!!

今日の順位は?
by katamich | 2005-01-22 23:56 | ■まちづくり
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