宇宙となかよし

katamich.exblog.jp

Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

カテゴリ:■精神世界( 922 )

 昨日は滝に入ったおかげで、心地の良い眠りと爽やかな目覚めを経験できました。テレビをつけると、レギュラーがCMに出ていました。宇宙服を着て「あるあるサンデー隊!!」と言う奴です。朝からとても元気が出てきます。
b0002156_11385230.jpg

 
 その後、瞑想に入ります。私の家は6畳ほどのダイニングキッチンと12畳のリビング、そして4畳半の畳の部屋があります。一応一人暮らしなので、生活のほとんどを12畳のリビングで過ごし、一日に1~2度キッチンを使う程度です。なので、「4畳半の畳部屋」は物置化しており、ほとんど使うことがありません。しかし、ここに来て最も良い使い方に巡りました。それは、、、瞑想部屋です…

 仕事が収束し、休日も出社せず、家に帰るのも早いので、家にいる時間がちょっとは長くなっています。なので、前から習慣づけたいと思っていた「瞑想」をするようにしています。瞑想する際は、まず、部屋に御香を焚きます。趣味の観点から、仏具の御香ではなく、アジアやアロマ系の御香を焚きます。そして、般若心経と観音経、いくつかのご真言を唱えます(7~21回)。そして、目を瞑り呼吸を落ち着けます。呼吸はゆっくり、理想は吐くのに30秒、15秒止めて、吸うのに30秒を繰り返すのですが、まだそこまで体得していないので、なるべくゆっくりゆっくりと呼吸を繰り返します。

 瞑想時はなるべくあれこれと考えないようにします。宇宙からエネルギーが身体に伝わってくるイメージを持ちます。そして宇宙のエネルギーを体内に貯めるイメージを持ちます。私の場合、瞼に残る残像が宇宙のイメージとして現れます。そうして宇宙と一体化しているイメージを持ちます。それをわずか10分ほど続けます。時折、合掌した手をゆっくり離していきます。すると、手と手の間に「氣(エネルギー)」が貯まっているを体感できます。手を離していくにつれてエネルギーが拡散するので、何度も手を離したり近づけたりして、エネルギーを充足させます。確実に手ごたえがあります。
 
 そうして全体としてわずか20~30分程度の瞑想が終了します。なるべく一日に2回、朝晩に行いたいと思っています。今後、瞑想の効果がどのように現れるかわかりませんが、とりあえず、一回一回の瞑想の後はとてもすっきりした気分になります。とても気持ちが良いので瞑想も一日のサイクル、習慣の中に取り入れたいと思います。

 昼からはお花見でした。しかしあいにくの天気なため、友人の家で花見となりました。ただし、お花は見ていません(笑)。友人の家には半年になる赤ちゃんがいます。私は初対面です。子どもを持ったことがないので、抱っこするのが怖いのですが、ちょっとだけ抱かせてもらいました。案の定抱き方が良くないためか、涙顔になりそうだったのですぐにお返ししました。でも赤ちゃんは可愛いものです。
(写真前方はきょうちゃん4歳)
b0002156_5494749.jpg


 ところでその赤ちゃん、なぜか私の方を丸い目を見開いて凝視します。普通、赤ちゃんは何でも興味を示すので、私に限ったことではないと思っていたのですが、私が視野に入るといつまでも凝視するのです。それは周りにいた人も認めています。「Qちゃんには何か見えるのかな~」、と周囲が言っています。人間は赤ちゃんの時は我々大人が見えないものを見ていると聞きます。いわゆる霊的なものも見えているそうです。しかし、2歳頃から言葉を覚え始めるにつれて、段々と見えなくなるそうです。まれに大人になっても見える人がいわゆる霊能者の類になるのでしょう。

 赤ちゃんの視線の先を追ってみると、どうやら私の目ではなく、私の背後(右斜め辺り)を見ているような気がします。実はそのポジションには意味があるのです。私は人のオーラが見えるのですが、ジャズのライブや講演会などに行ったりすると、演奏者や講演者は決まってオーラが強く現れます。そして右斜め上辺りにくっきりとした光の環が見えるのです。そのような経験をするようになったずっと後のことですが、物の本に「守護霊の位置」として、右斜め上の話が書かれてありました。

 昨日、滝の導師(霊能者です)からは、「君はお坊さんそのものだ」と言われ、また、きれいな仏様がいるとも言われています。おそらく滝行などを通して、そのような守護仏(霊)を身に着け、それが見える人にはよりはっきりと見えるのかもしれません。なので赤ちゃんも他の人には見えにくい「何か」を私の背後に見たのかもしれません。(すべて本当のことです)
 
 今日もまた、奇妙な話をしてしまいましたが、これからも開き直ってスピリチュアルな体験を求めていきたいと思います。

皆様の温かいクリックをお願いします(ブログランキング)
by katamich | 2005-04-10 23:36 | ■精神世界
 いつの間にか花粉症が消えていました。3月は激務もそうですが、花粉症にもずい分苦しめられたものです。でも、気がついたら鼻が通り目の痒みも消えていました。最近は症状があるのが普通だったので、こんなに気持ちのいいものだなんて改めて感謝の気持ちが出てくるものです。

 会社のデスクに座って、ティッシュを一枚取ると、それは最後の一枚でした。ちょうどティッシュが必要なくなると同時に、最後の一枚が終わるなんて「偶然の一致(シンクロ)」とでも言うのでしょうか。ティッシュごときでシンクロなんて大げさかもしれませんが、実のところ、近頃は頻繁にシンクロを起こすようになってきました。

 先日から言っている「会社を辞めていいか神社で聞いてみようと思って信号で止まったところが神社横だった」なんてのは、典型的なシンクロ現象ですよね。他にも、ちょっと思い出した昔の知り合いから突然メールがきたり、聴きたいなと思った音楽が突然車のラジオから流れてきたりなど、そういうのもシンクロって言いますよね。あと、外に出た瞬間に雨がやむなんてのも。でも、通常は良いことが重なる場合にシンクロって言うのであって、悪いことが重なる時はそうは言いませんよね。

 近頃、ちょっと考えたんですが、上手くいく人ってのは、この「シンクロ」をどれだけ引き起こせるかによるのではないでしょうか。よく一代で財を成した人なんかが、自らの成功経験を語るとき、たいていは「実力ではなく運がよかっただけ」と言いますよね。これは決して謙遜でなく、ほとんどが本心で言っていると思います。松下幸之助さんや斎藤一人さんなどは声を大にして言っています。

 ではこのシンクロを引き起こすにはどうすればよいのでしょうか。モノの本では瞑想したりマントラを唱えたり、などというエクササイズが紹介されていることがあります。私自身はそのようなエクササイズは決して軽視しないどころか、重要な要素であると考え実践するようにもしています(習慣化はまだですが)。例えば、私の守護仏である文殊菩薩の真言である「おんあらはしゃのう」を1000回言ったり、時には空海が唱えていた虚空蔵菩薩真言(のうぼうあきゃしゃきゃらばや・・・)を100回ほど唱えてみることもあります。般若心経は毎日唱えています。まあ、私がこうしているのは何もシンクロを起こそうなどと言うのでなく、唱えていると気分がいいからなんですが、実際にシンクロ効果もあるのではないかと思っています。

 しかし、私のような「半お坊さん化」したような人間ならいざ知らず、普通に生活している人誰もがそのような真似をするとはあまり考えられません。では、どうすれば良いのか、初っ端のステップとしては、「シンクロしていることに気づく」ということではないかと思っています。

 シンクロというのは実は誰もが経験していることです。例えば、一日車に引かれずに無事に家に帰ってきたという当たり前のことも、事故に合った人から見れば大きなシンクロです。事故に合った人は、もう一歩進むのが遅ければ(早ければ)事故に合うことはなかったことを考えると、実際に一歩進んだ人は事故に合わないというシンクロ現象を起こしているのですから。

 まあ、こういう当たり前すぎて気づかないことも重要なんですが、日常的には「いいタイミング!!」なんてのはすべて小さなシンクロですよね。エレベーターの前につくとすぐに扉が開いたり、信号機に一回も捕まらずに家に帰れたりなど。

 そのような小さなシンクロが溜まり溜まって大きくなると、時には「奇跡」と言うような大きなシンクロを起こすこともあります。諦めていたような試験を受ける時、たまたま試験5分前に見ていた参考書と同じ問題が試験に出て、わずか一点の差で合格した場合などは「奇跡」と呼ぶでしょうね。面接試験に行くのに電車に乗り遅れて、イライラしている時に同じ車両で高校生がおじいちゃんに絡もうとしているのを見て、イライラついでに高校生を怒鳴りつけたら、そのおじいちゃんが面接先の会社の社長だったなんて展開に対しては人は「奇跡」と呼ぶでしょうね。。。

 話は変わりますが、最近、私のブログの熱心な読者(笑)から一通のメールが来ました。最愛の父親が癌で余命幾ばくもないと宣告されたのに対し、一瞬、「癌細胞が憎い」と思ってしまったのですが、ハッとなって癌細胞に「ありがとう」と言い直したという報告でした。私自身は最愛の人を蝕んでいく元凶に対して心から「ありがとう」と言えるかわかりませんが、そこで気づいて「ありがとう」と言い直したその方は、本当にすごいな~と思い、そのように返事もしました。

 そうやって返事を書いていると、突然、キーボードが走り次ようなことを書いてしまいました。

 「私の知っている人の中には、実際に医者から見放されたにも係わらず、「奇跡」を起こして今もピンピンしている人もいます。それは「奇跡」というよりも何かの「気づき」としか考えられないです。奇跡も気づきも一字の違いなので親戚みたいなもの。癌は何かの「気づき」と信じて、「奇跡」を待ちましょう。」、と。

 なんだか知ったような偉そうなことを書いていますが、私は医者ではありませんので、こう書くしかなかったのです。しかし、癌というのも誰もがなるものではなく、語弊があるかもしれませんが、選ばれて癌になったと考えることができます。選ばれると言うことは、何がしかの「気づき」を促しているだと考えられます。

 私がリスペクトする斎藤一人さんはお金の話でこんなことを言っています。

 「1円は5円の子ども。5円は10円の子ども。10円は100円の子ども。100円は1,000円の子ども・・・・。だから1円を大切にしていると、その親の親の親たちがみんな『子どもを大事にしてくれてありがとう』ってお礼を言いに来てくれるんだよ。だから1円でも大切にしなきゃだめだよ。」、と。

 「気づき」も同じと思います。日常の小さな「気づき」を大切にしていると(←つまり感謝していると)、その親のちょっと大きな「気づき」がやってきて、それに感謝しているとまたちょっと大きな「気づき」がやってくる。そうやって感謝しながらどんどん「気づき」を大きくして行くと、どこかで「奇跡」がやってくるのではないか、と。「きづき」と「きせき」は一字違い。親子のようなものです。なので「気づき」が膨らむと、どっかで「奇跡」がやってくるもの。

 日常の小さなことに対する「気づき」と言うのは、しつこく言いますが、日常の小さなことでも「感謝」して生きること。自分にとって都合の悪いことでも何かの「気づき」と思い感謝すること。そうやって、いつかは「奇跡」と呼べるような大きなシンクロを引き起こすのではないでしょうか。

 斎藤一人さんが「ツイてる」というと本当にツイてくる、と言いますが、実はこの「ツイてる」というは「気づいている」の子ども版なのではないでしょうか。だから、「ツイてる」と言いつづけることが、「気づき」を促し、それが感謝に変わり、結果として本当にツイてくる(運がいい、大きなシンクロを起こす)のでしょうね。

 畳の部屋で座禅を組んでマントラを唱えるのもいいのでしょうが、やはり、普段から何事にも感謝して、ツイてるな~、運がいいな~、ありがたいな~、と言うのが一番いいのかもしれませんね。んで、話の最後はいつもと同じ結果になっちゃいました。

 というわけで、花粉症の話が「気づき」と「奇跡」のシンクロという話に発展しちゃいました。

クリックして大きなシンクロを引き起こしましょう(笑)ブログランキング

(写真はシンクロ、安易だな~)
b0002156_8591545.jpg

by katamich | 2005-04-04 23:31 | ■精神世界
 今月頭の超激務は過去のこと、、、確実に仕事が収束に向かっています。しかし、本来は年度末締めなので、3月31日で全て終わるはずなんですが、その辺りは微妙な調整ということもあり、若干4月まで食い込むのが常と言えば常なんですよね。でも収束のための調整ですので気分はかなり楽です。

 今日は午後に打ち合わせに行った後、佐賀県上峰町まで業務終了のご挨拶に行ってきました。気持ちがいいものです。この業務も結局私一人で片付けちゃいました。帰りは鎮西山の「奥の院」というところにお礼参りに行きました。なんだかんだとこの町にはお世話になったものです。2年目では苦手とする「住宅関係の仕事」で、3~4年目では比較的得意とする「福祉関係の仕事」で、足掛け3年も係わらせてもらったのです。
 
 「奥の院」にはお不動さんをはじめ、仏像が多数奉られてあり(わが「文殊様」もいらっしゃいましたよ~)、一番奥には小さな滝が流れています。私はそこで不動明王真言と般若心経を唱え、最後に「3年間ありがとうございました」とお礼を言ってきました。それにしても、スーツにネクタイ姿で般若心経なんて、かっこいい~、と思うのは私だけでしょうか(笑)。

 それにしても、近頃はこういう行動(神社仏閣へのご挨拶など)を当たり前にするようになってしまいました。このブログを読んでくれている方々をはじめ、私の周囲の人から見ても、私という人間は完全に「精神世界にはまっている人」という認識が定着しつつあるようです。確かに10代後半頃から哲学や思想に興味を持ち始め、インドなども行ったりしてたのですが、実は最近まで「精神世界という『世界』」があることさえずっと知らずにいました。自分でこういう世界を意識し始めたのは、本当にここ一年くらいのものです。ホームページを立ち上げた当初は、「旅とジャズのページ」が主だったのが、近頃はすっかり「精神世界のページ」の様相を呈しているようです(本家はそこまでではないですが)。

 しかし、実のところ、私自身はいわゆる「精神世界」の本を読んだり、集まりに行ったりすることが、その世界にどっぷりはまっている人よりは格段に少ないと思います。むしろ日常的に考えたり、経験していることが、「精神世界『風』」であるに過ぎないと思っています。私にとっての「精神世界」とは霊を見たり、超能力を身につけたり、どっかとチャネリングするようなことではなく、現実世界にしっかりと身を置きながら、日々健康に、心や生活を豊かにしていくものだと考えています。そうあるべきだと思っています。むしろ「暮らしに役立つ精神世界」という方が私の考えに合うと思います。ついでですので、「暮らしに役立つ精神世界」について、これまで書いてきたネタなどを踏まえつつ、思いつく限りに列挙するとこんな感じでしょうか。


①仕事をするときは、その場所場所の神社などで手を合わせ、土地の神様に許可を得る
 前に出した「一億円プレイヤー」から聞いた話ですが、その他、かつて年間20億円を回していた身近な人に言わせても「それは絶対の法則」だと言うことです。これは「神様へ許可を得ると上手くいく」という根拠の定かでない因果律よりはむしろ、自分自身が安心できる、思い切った行動に出れるという精神的な要素が大きいとは思います。いずれにしてもこの法則は「絶対の法則」と思っています。


②「ツイてる」というと運がよくなる
 ご存知、日本一のお金持ち、斎藤一人さんの言葉ですよね。これは日々実践しており、実感を得ています。他にも、「ありがとう」、「感謝します」、「運がいい」などもいい言葉で、幸運を呼び込むようです。五日市剛さんのエッセーにもありますよね。それとは逆の言葉は厳禁ですが、人というのは面白いもので、自然にしていると「悪い言葉」の方が出やすくなっているようです。でも訓練によって、「ツイてる」とか「ありがとう」も普通に出るようになるのですが。私などは「ツイてる」って言えてツイてる。


③トイレ掃除をすると臨時収入が入る
 小林正観さんなどがよく言っていますが、私も昔誰かから聞いた覚えがあります。究極はフン詰まりの便器に手を突っ込んで掃除するそうですが、これはかなり強烈ですよね。でも効果抜群のようです。私も早く「フン詰まり便器」に出会いたいものです。


④トイレのふたを閉めるとお金がたまる
 大富豪の家の共通項のようです。統計学的(?)にも正しいようです。さっきの便器の話などはウン(運)が付くのに対し、これはふたを閉めることでウン(運)がたまるのでしょうね。言葉とはうまくできているものです。


⑤願いごとを強く願ったあと、すっかり忘れると願いがかなう
 最近書いた実現法則で、よく言われるようです。理屈をつけると、強く願うことで意識を結晶化させ、すぐに忘れることによってそれが「潜在意識」に入るということです。潜在意識に入ってしまえばこっちのもの。必ず実現します。よく、「忘れた頃に…」という表現をしますが、それなど潜在意識の性質をよくあらわした言葉だと思います。


⑥寄付をすると、お金が寄ってくる
 これは今年から実践しています。今のところ、毎月、寄付金以上の臨時収入が入ってきています。「宇宙の法則」とは「与える」ことだと以前にも書きましたが、成功している人は皆それを言います。金持ちだから寄付をするのではなく、寄付をするから金持ちなんです。あと、私の解釈なんですが、寄付をすると「風穴」ならぬ「金穴」が通る気がします。人は入ってくる金はなるべくとめておこうとします。しかし締め切った窓に風が通らないのと同じように、金も出るところを作らないと、入ってこないんじゃないかな。そう思います。


⑦満月の夜に預金通帳を広げると、お金がたまる
 私の周りでは有名な話です。満月のエネルギーが通帳に浴びせられることで、お金を呼び寄せるのだとか。根拠はわかりませんが、素直に実践して成果をあげている人も多いようです。


⑧新月の夜に月間目標を立てると、達成する
 先に出た「一億円プレイヤー」が言ってたことですが、風水に根拠があるようです。私もやってみます。それにしても月(ツキ)のエネルギーってすごいですよね。


 今、思いつくのはこんなとこです。そのうち、本家にでも「暮らしに役立つ精神世界」というコーナーでも作って、順次増やしていきたいですね。そのうちのこのタイトルで本でも書こうかな。

 というわけで、私の考える「精神世界」とはこのレベルのもので(滝の中で霊に出会うこともありますが)、ごくごく日常のことですよね。と言うか誰でも実践できることです。する・しないの差があるだけです。私はこれからもこういうことは実践しまくって、それをこの場でご報告していきたいと思います。

 精神世界にはまっている人、、、そう言われるのも近頃は慣れてきました。今いる会社はそのような世界とは無縁の環境ですが、辞めることでより本格的に精神世界にはまって生きたいと思います。もう開き直りです。ただ、何度も言いますが、私にとっての精神世界とは「生活を豊かにする」ためにあるもので、俗世間から逃避するものでは決してありません。なので「お金」もきちんと求めていきます。

 あと、私のもう一つの願いは、より多くの人が生活を豊かにするための精神世界に目覚め、より多くの人が幸せになっていくことです。つい先日、私の身近な人間の親戚筋が首をつって自殺をしました。今日、その話を詳しく聞いたのですが、考え方一つで思いとどまることもできたのでは、、、と悔やまれるところがあります。人には思いもよらぬ苦悩や現実があることも事実です。しかし、宇宙という存在がこの世に「生」を与えた以上、自らそれを断つようにはできていないはずです。聞くところによると、自殺する人は過去何代もつづく前世においても自殺を繰り返しているようです。人は自殺すると、あの世で厳しい裁きを受け、もう一度この世でやり直しをさせるのですが、やはり自殺したくなるような苦悩(試練)が与えられるわけです。それに打ち勝ち、天命を全うすることで、ようやく裁きから解放されるのです。しかし、多くの人はその試練に勝てず、自殺を繰り返してしまうものです。でも、どこかの「生」でその自殺サイクルを打ち切らなければなりません。先の人は、今世では打ち切れませんでした。でも来生では必ず打ち切れるよう応援するしかありません。そして、今、自殺を考えている人は何としても今世で打ち切るよう頑張って欲しいものです。そこで、宇宙の仕組みや法則、生活を豊かにするための精神世界を知ることで、その一助になればと願うばかりです。

最後にこの「詩」を紹介したいと思います。ある13歳の女の子が8歳の頃から書きための詩の一つです。出所はここらです。皆さんはこれを読んで何をお考えになるでしょうか。


「人間」

 人は近くにある幸せに
 気づかずに生き
 気づかずに死ぬ
 死んでこうかいする
 あぁしておけば良かった
 こうしておけば良かった
 なぜ人がこうかいするのか
 それは単純で簡単
 人は遠くばかりを追い求める
 上へ上へと
 だから近くを見ないのだ
 近くを見ないから
 こうかいをするのだ
 だから一度ふりかえってみるといい
 そうすればこうかいなどということをしなくてすむ
 あなたは近くを見ていますか?

貴方のワンクリックが明日への活力になります(ブログランキング)
by katamich | 2005-03-30 23:57 | ■精神世界
 今日は久々に北九州は畑観音の滝行に行きました。21日行が終わって以来の畑観音でみんなと一緒なのもあれ以来です。一ヶ月前と比べて温かくはなっているのですが、少し風がありました。
 
 今日は一番最後に滝に入りましたが、それまでの間、滝の近くで他の人の滝を見るよう導師から言われました。みんなの「気(波動)」を感じろ、と言うのです。しかし、ずっと立ったまま見ているのは正直寒いです。とにかく見ている間も「自分の想い」を捨てて、滝に打たれている人の想いを受け入れろということです。それで初めて「気」を見ることができるのだと。寒いと思っている間は、まだ相手を受け入れる準備ができてないということです。また一つ学びました。でも寒いものは寒い・・・(笑)。

 あと、寒さを感じなくなるコツも教えてもらいました。それは「呼吸法」です。臍の下(丹田)に力を入れて、まず30秒で息を吸います。そして、15秒止めます。その後、30秒で息を吐きます。その繰り返しです。やってみるとさすがに30秒-15秒-30秒は難しいにしても20秒-10秒-20秒はでき、そうすると本当に寒さをあまり感じなくなりました。なるほど、です。まあ、訓練で30秒-15秒-30秒もできるようになるそうなので、日々やってみたいと思います。

 ようやく最後になり、滝に入りました。いつものように「身禊の大祓」を唱えた後、般若心経を3巻あげるのですが、先ほどの「呼吸法」を意識してあげました。つまり、丹田に力を入れてできるだけ息を出し切るまで般若心経を唱えるのです。今まではフレーズをブチブチ切りながら唱えていたのを、できるだけフレーズを長くを心がけました。すると丹田の辺りが本当にビリビリきて、痺れるような感覚を得たのです。

 そのことを後から導師に言うと、「チャクラ(エネルギーの集結部)」が開いた状態だ、とのことです。やりました。また一つ成長。

 ところで、我々の滝の会のホームページができました。それから、ホームページの管理人のTORUさんがブログを始めました。叙情的ですが、内容はかなり濃いです。さすがは滝の先輩です。100日行を満行した人です。面白いので是非ご覧になってください。

 昼はオーラソーマ(カラーセラピー)のワークに行ってきました。最近、あるご縁で知り合った方(ルチアさん)がオーラソーマをされており、私にとって新しい世界であったので、興味がありおじゃまさせてもらったのです。でも、男一人で行くのはなんだか敷居が高い気がしたのでツレを無理矢理誘っていきました。「Serapis Bey」というヒーリングルームを主催されているルチアさんのリードによってワークが進められます。
b0002156_14325824.jpg


 最初はみんなで瞑想をします。ヒーリングの音楽をかけながら、ピンク色のオイルの香を身にまといます。ルチアさんのリードで「世界がピンクになっていきます・・・」など言われるので、正直、笑いそうになりました(失礼!)。でも、落ち着いて聞いていると本当に気持ちがよくなり、目をつぶっている中の残像が本当にピンクになってきたのです。生まれては消え生まれては消えするピンクを見ていると本当にリラックスできるものです。

 そしてオーラソーマのミニ体験に入ります。100数個並べられてある色のボトルを直感で選びます。私は上下黄色のボトルを選びました。
b0002156_13464367.jpg

 選んだ色によって内面の自分が見えるそうで、一人ひとりに対してルチアさんがコメントをします。私が選んだボトルは「ハーベスト」というボトルで「収穫」を意味します。つまりこれから収穫の時期に入るのだそうです。黄色は「知識や思考能力」を意味し、いろんな知識を得て、それを仕事や社会に役立てるのだそうです。また、変化のある人生の中でアイデンティティ(自分とは何か)を見つける時期でもあるようです。

 なんだか色々なところでシンクロします。何度もいっているように、近々、今の会社を辞めます。まさしく、「変化」がある中で、「アイデンティティ」を確率する時期です。さらにそれは「収穫」でもあるのです。とても勇気付けられます。そして「知識や思考能力」を表す黄色ですが、滝の導師に言わせると、私の守護仏は「文殊菩薩」であり、「3人寄れば文殊の知恵」というように、まさしく、「知識や思考能力」をあらわすのです。

 そう言えば今日の滝場のことです。導師が呼ぶので言ってみると、知らない間に「文殊菩薩」の仏像が置いてあったのです。今まで気付かなかっただけのか、誰かが持ってきたのかわかりませんが、導師もとても驚いていました。不思議なことです。今まで誰もそこに文殊様がいるのに気がつかなかったのです。

 私は今まで文殊様に何度かお会いしています。最初は部屋で一人でボケーとしている時、目の前にいきなり現れたこと、そして、仕事の道で突然気になって車から降りてみたお地蔵さんが文殊菩薩であったことなど。。。とことん「縁」を感じます。

 次に自分の誕生日のボトルを選びます。それはたった一つの変わらない人生のボトルとなります。私のボトルは緑と金の「ファウンテン」というボトルです。
b0002156_1443612.jpg

 まず、下にあるゴールドはお坊さんの袈裟の色であり、黄色と同じように「知恵」などを意味するそうです。「お坊さんの色」です。私はやはり生まれもって「お坊さん」に縁があったのでしょうか。前世はお坊さんで、親戚にもお坊さんがおり、今もお坊さんみたいな行をしており、髪型もお坊さんに近づきつつあります(爆笑)。

 上の緑は「真実を見つめる」などの意味があり、また、時間や空間が大切だとのコメントも頂きました。今の私で言うと、仕事によって自分の時間が著しく損なわれてきたので、会社を辞めるというのも「時間を大切に」という気づきなのかもしれません。

 ちなみにオーラソーマはホームページ上でもいろいろ紹介されており、ここなどでも簡単な体験ができますが、通常はカウンセリングなどとセットで、今の状況にあった話をしてもらえるので、ネットで見るよりも行った方が絶対お徳です。例えばここなど(笑)。

 とにかく、今朝の滝行といい、昼のオーラソーマといい、会社を辞めるという人生の転換点において、とても勇気付けられる経験であったと思います。間違いなくよい方向に進んでいることが実感できます。ありがとうございました。

おもしろい。クリックお願いします(ブログランキング)
by katamich | 2005-03-26 23:50 | ■精神世界
 昨日のは2時に帰宅して、とりあえず自宅の布団で寝ることができました。大好きなミシェル・ペトルチアーニのCDをかけて、さあ寝よう、と思ったときのことです。突然、「かなしばり」にあい、頭上に「霊のようなもの」が近寄ってきました。こないだのおばあちゃんの時とは違い、ちょっと気持ちが悪かったので、私も「体外離脱」して九字を切りました。そうすると霊がいなくなるので不思議なものです。

 その帰宅前もそうでした。会社で一人で残業していると、部屋が「ぴしぴし」いいはじめるのです。左側の窓の辺りに「人の気配」があります。帰ったと思っていた同僚がまだいたのかな、と思い席の方を見るのですが当然いません。そんなことが3、4回あった後に家で「霊のようなもの」を見たのでした。それから不思議なことに、今、アルバイトに来てもらっている友人が会社に来ると「ここって変な霊いませんか?」と言うのです。彼はかつて「霊」を見て以来「鬱」になるなど普通の人よりはかなり霊感が強い方です。私と同じことを思っていたので驚きです。私も「うん、おる」と言いました。

 今日は昼から県南の方に出張し、夕方、6時半頃に帰ってきました。会社の駐車場に着いて、疲れたので5分ばかり休もうと思い、シートをリクライニングしたときのこと。またも「かなしばり」にあいました。辺りは若干明るかったので、金縛りにあいながら周囲を見ると、前方の建物の2階当たりに気配をムンムン感じます。九字を切るのは可愛そうと思ったので、今度は体外離脱もせずに般若心経を唱えてあげました。ちょうど一巻唱えたところで金縛りから解け、そのまま事務所に戻って仕事です。

 最近、なぜにこんなに「霊」を見るようになったのでしょうか。「滝行」のためもあると思いますが、私はもう少しもっともらしい説明をします。

 思うに「霊を見るコンディション」を作る状態になりやすくなっているのでしょう。私がよく霊を見るときは、寝る直前とか、ソファでリラックスしているときとか、何もせずぼけ~としているときとか、景色を眺めてまったりしているときが多いです。あと、「音楽」を聴いているときが多いです。

 どういうことかというと、人間の脳波には、いわゆるリラックスしたときの「アルファ波」や、いらいらしているときの「ベータ波」などがあるようですが、霊を見るときはたいていリラックスしているときの脳波(波動)が多いように思います。いわゆる「シータ波」や「デルタ波」という奴です。

 思えば昨日の夜なんかは寝る直前でペトルチアーニのピアノを聴いているときに金縛りにあい、霊を見ました。こないだおばあちゃんに会ったときはビル・エバンスのピアノでしたし、私が生まれて初めて体外離脱したときはマイルス・デイヴィスでした。

 アメリカのモンロー研究所というところは「体外離脱」を科学的に体験することを研究、実践しているところなのですが、そこで「体外離脱」するのに「ヘミシンク」という音楽を聴くようです。これなどは脳波をアルファ波からデルタ波まで持って行き、そこで霊的な発動を呼び起こすようなのです。

 私がペトルチアーニやマイルスの音楽を聴いて、体外離脱したり霊を見たりするのもおそらく「ヘミシンク」と同じような効果があるのでしょうね。そもそも、ペトルチアーニやらビルエバンスやらマイルスやらモーッアルトなどは、完全に宇宙とつながってますので、当然と言えば当然ですよね。

 先に私が滝行を通して霊を見やすくなったというのは、オカルト的な話ではなく、自然のエネルギーを毎日あびていたことにより、いわゆるイライラ感や不平不満などの心が薄らぎ、脳波が落ち着いた状態になったからなのでしょうね。最近、仕事が忙しくてたまらないのですが、思ったよりも身体も疲れませんし、精神状態も平穏に保てています。こんなところが滝行の直接的な効果なのかもしれません。

 仕事ですが、やはりこれだけ忙しく徹夜が続いているのも、「霊」を見やすくなった原因であると思われます。つまり、常に眠たいような状態なので、常に脳波がシータ派からデルタ波に近い状態なのでしょう。

 そう考えると、霊を見るという現象なんかは、別にオカルトな話ではなく、そういうのを見やすい脳波の状態が作られているということなんでしょうね。つまり「誰でも見れるようになる」ものだと私は思っています。例えば、「三日間徹夜をしていい音楽を聴く」ことで誰でも霊的な発動が生じるのではないかな、そう思います。試しにどなたかやってみてレポートして頂ければ幸いです(笑)。

 何はともあれ、「霊を見る」なんて現象は私にとって日常になりつつあり、いわゆる「怖さ」などもほとんどなくなりました。なんて言ったって、九字を切ればいなくなるし、般若心経やご真言などを唱えると安らかになるしで、かわいいものです。生身の人間の方がよっぽど怖いですよね。もっとも私はそこまで怖い霊にあったことがないので、のん気に言ってられるのかもしれませんがね。

 霊を見るのは「脳波」の問題。今日はこれを言いたかっただけでした。

温かいクリックをおねがいしま~す。

b0002156_3403754.jpg

by katamich | 2005-03-04 23:47 | ■精神世界
 仕事で徹夜をしました。最近、ちょっと忙しくて休日もなかったのですが、今日の仕事は締め切りを過ぎていて客先からせっつかれていたので徹夜を余儀なくされました。朝の6時過ぎまでぶっ通しでパソコンに向かって資料の作成をします。

 午前は佐賀県上峰町というところで会議です。その間に「行」をしなければなりません。作るべき資料は半分をちょっと超えたあたりで日の出を迎え、今日中に仕上げることが絶望的となりました。またせっつかれることを覚悟の上で、中途半端なまま客先にメールで送り、とりあえず会社をでたのが6時半。家に帰るスーツに着替え、滝の道具一式をもって不入道に行きます。着いた頃は明るく、不眠、不食のまま滝に入りました。すると、、、滝行日誌にも書いたのですが、「霊的な発動」を感じたように思います。とにかく滝に周りに人だか霊だかが集まってくるようで、やいやい私に話し掛けてくるような気配を感じるのです。最後に滝の中で「おばあちゃんやったら出てきてええで」と言うと、目の前に丸いものが現れたような気がしました。意識が朦朧としているから錯角かもしれませんが。

 滝が終わるとそのまま客先に直行です。なんとツイてることに、会社と会議のある上峰町の途上に私の家と不入道があります。つまり回り道をまったくすることなく、会社→家→不入道→上峰町となるのです。午後は那珂川町で打合せだったのですが、それも上峰町→不入道→那珂川町役場→家→会社、と回り道なしです。ですので那珂川町の打ち合せの後は家に一時的に帰って飯を食い、仮眠まで取ることができました。

 会社に戻ります。案の定「客先」から催促の電話とメールです。電話を受けた事務の人に言わせるとかなり「ご機嫌な斜め」だったとか。わかっていたのですがちょっと間を置いて電話をすると、やはりクレームの言葉。弁解はできません。とりあえず口では「今日も徹夜でやりますので」と言いましたが、正直自信ありません。そうやって困っていると、同僚とアルバイトのスタッフが助けてくれると手を差し伸べてきました。ありがたい。しかし、そんなに遅くまで手伝ってもらうわけにはいきません。「ありがとう」と言いながらもちょっと目先が真っ暗でした。しばらくして同じ客先から電話がありました。

 どうやらその上司と相談したそうで、「いつまでなら大丈夫なのか」との質問。私も「上司と相談させてください」と言いました。結局、土曜日いっぱいまで猶予をもらいました。ほっと胸をなでおろします。しかも、今日はとりあえず根詰めずにある程度の時間で帰った方がいい、とのお優しい言葉。心に染み入ります。

 と安心するのも束の間、別の客先からも電話です。明後日までに資料を仕上げろとの催促。その客先は相手の都合でスケジュールが押して、ようやく話がまとまったところで突然の催促です。断ろうにもその後のスケジュールが詰まっているのでそう言うわけにもいきません。その仕事は自分ではせずに外注をしています。明後日までというタイトなスケジュールのなか外注に電話をします。

 「明後日ですね。わかりました。」

 神の声を聞いた気がしました。どうあっても、なんとかなるのです。おかげで今日は徹夜をせずに家に帰ることができました。この2~3日はなんだか自分が試されているような気がしています。今までなら無理なスケジュールに「うお~!!」と不足たらたらだったと思うのですが、とにかく「行」の間でもあるのでなるべく「不満の想い」を捨てて、「これは試されてるんだ。なんとかなる。なんとかなる。ツイてる。ツイてる。」と口に出して言いました。すると本当になんとかなっているのです。しかも土曜日までの猶予をもらっている仕事については、明日明後日の時間が空き、たっぷりとれるのでおそらく大丈夫と思われます。

 今日一日はなんともあわただしい一日でしたが、なんとかなっていることに心から感謝申し上げたいと思います。さあ、行も残り2日。明日と明後日、滝に打たれて禁止事項を守れば、土曜の朝の滝で満行です。体調もすこぶるよいし、無理な仕事も迫っていません。でも何が起こるかわからないので気を緩めることなないようにしたいと思います。とりあえず、なんとかなる。ツイてるのです。

ああ、なんとかなるのよ、クリックお願いします(ブログランキング)
by katamich | 2005-02-23 23:13 | ■精神世界
 滝行も最後の週に入りました。ゴールはもうすぐそこ。体調も良いし満行が見えてきたかも。今日の滝行日誌に書いたのですが、昨日、音楽をかけて電気を消して布団に入り、ウトウトしかけたころ、「霊」を見ました。今日はそのことをテーマにします。ちょっとオカルト入りますので。

 昨晩も好きなジャズを聴きながら寝床に入り、ウトウトしかけたころです。久々に金縛りにあいました。「またか~」と思って体を動かすと、いつものように「体外離脱」が始まりました。しかし、その時は不思議と安らかな離脱でした。いつもなら、何かしら「抵抗」を感じながら離脱するのですが、不思議と安らかでした。とりあえず立ち上がり、自分の姿を確認し、さらに左手を見てみました。いつもは残された「肉体」は見えながらも、「霊魂」となった自らの身体は見えません。

 しかし、その時は、初めて霊魂としての「左手」が見えたのです。と同時に、、、左隣に人影があります。ちょっと怖かったのでよくは見ませんでしたが、明らかに人の姿が見えます。

 「滝からなんか持ってきたかな~」と冷静に思い、霊魂のまま「九字」を切りに入ります。「九字」を切るとは悪霊退散の際の作法です。滝行の前は必ずするので、ここでも九字を切りに入ります。しかし、、、「りん、ぴょう、とう、、、」くらいで、なぜか思いとどまり、般若心経を唱え始めました。体外離脱したままの般若心経です。すると、不思議とさらに安らかな気分になり、金縛りに逆らうことなく、そのまま眠りに入ったようです。

 そして翌朝も普通に滝に入りに行き、普通に会社に行きました。昼飯を食った後、ふと、昨晩の「体外離脱」の話を思い出しました。なんとなく気になったので、その場で「導師」に電話をしました。

(プルプルプル←電話の音)
導師:はい、導師です。
私  :今いいですか。いきなり変な話しますけど、僕、昨日の晩、「霊」見たんですよ。
導師:ほ~。その霊って、別に嫌な感じじゃなかったろ?姿ははっきりと見えなかった?
私  :いや、怖くてよく見れませんでした。でもそうですね。いつもは金縛りにあうと疲れるのですが、昨日は不思議と楽だったように思います。
導師:それは「ご先祖様」だよ。
私  :え!?、そうなんですか!
導師:実はこないだから来ているみたいなんだよ。別に供養が必要とかではなくって、単に君の姿を見に来ているだけみたいだよ。
私 :それってもしかしておばあちゃんじゃないですか?
導師:そう。茶色っぽい服を着て、小柄で白髪頭をきれいにまとめているよ。
私  :昔、僕のことを可愛がってくれていたおばあちゃんは、生前は毎日、台所で不動明王真言を唱えていました。私も「うんたら~!」とか言って冷やかしていたので覚えています。その人じゃないですか?
導師:そのおばあちゃんみたいだよ。君が行に入っていて喜んで来ているようだね。ようやくこの世界に入ってくれたか~って感じで。別に悪いことじゃないからね。
私  :昨日会ったとき、おばあちゃんに向かって九字を切ろうとしたの謝った方がいいですかね。
導師:その必要はないよ。まったく気にされていないみたいだから。本当にニコニコされてるよ。
私 :それは嬉しいですね~。

(ここまで)

 この会話はリアルに実話です。導師にはすべてお見通しだったようです。私のおばあちゃんは確かに、生前は真言をよく唱えていたし、母親に言わせると「変なことをよく言っていた」ようです。私風に言うと、「スピリチュアルなおばあちゃん」だったようです。しかも、最近知ったのですが、そのおばあちゃんの姪、つまり私の親戚は密教系の僧侶なのだそうです。私の母親もしばらくは連絡をしていないようなのですが、実はその人は北九州市に住んでおり、私が毎週土曜日に行く「畑観音の滝」の近くのお寺にいるようです(亡くなっていなければ)。当時はまったく意識はありませんでしたが、これって実は「血筋」のようですね。

 それにしてもおばあちゃんが来ているとは驚きと同時に感動でもあります。

 亡くなってから今年でちょうど10年なので、春には墓参りに行くことにさえなっていました。私は男3人兄弟なんですが、真ん中の私が一番可愛がられていました。おばあちゃんの葬式では、私が一番可愛がられていたということで、棺おけの先頭を持って遺体を運びました。小学校の頃は我われ3人のために「ジャンプ」を毎週買ってきてくれました。正義感が強く、見知らぬ人でも悪いと知れば平気で大声を張り上げて注意をする人でした。でも、見知らぬ人のことを平気で「ぶさいくやな~」とか口に出して周囲を冷や冷やさせる怖いもの知らずでもありました。土曜日には昼ご飯におにぎりと玉子焼きを作ってくれていました。私が高校を卒業した時分は体も弱っており、何年かぶりに「おにぎり作ってくれや~」というと、「よっしゃ」と言いながらも、サランラップを巻いたおにぎりを作りました。なんでも「よくトイレに行くから」だとか。そんなことを気にする人でした。ちょっと寂しかったのを覚えています。死ぬ前日、おばあちゃんの夢を見ました。そして電話が鳴った瞬間、「死んだ」と思いました。

 思い出はいろいろあるのですが、そのおばあちゃんが、「今、ここに」いるのです。私のことをそっと見守りに。導師の電話を切った後、なんだか涙が出そうになりました。とても心が温まりました。

 夕方、母親にも電話をしました。すると、「いやっ、気色わるっ。そんなん、はよ帰ってもらわなあかんな~」、と。おばあちゃんは母親にとっては実の母親です。最近、ようやく夢を見なくなったと言っています。

 まあ、いつまでもいてもらっても困るのですが、「行」の間だけでもいてもらってもいいかな。もう残り4~5日。残りの「行」では滝の中でおばあちゃんに話しかけてみたいと思います。来てくれてありがとう、おばあちゃん。

書いてて泣きそうになりました→なわけで、クリックお願いします(ブログランキング)

(なんとなくおばあちゃんが似合う人)

b0002156_13142180.jpg

by katamich | 2005-02-21 22:48 | ■精神世界
 今日も会社に行ってきました。最近、どうも会社のことでネガティブな想いばかりしているようです。なんだか申し訳ないですな~。今日はとりあえず企画書を出してきました。申し訳ないけど落選するでしょう。こんなこと、本とは言ってはならないんだけど、ここまで「魂」を入れずに書いた企画書も珍しいくらい、手を抜いてしまいました。しかし上司に申し訳ない。休日出勤は私だけじゃないのに。。。ちょっと反省。。。

 それにしても最近、人が辞めすぎです。自主的に辞める人もさることながら、辞めさせられる人も多いときます。4年前までは「リストラによる人員削減」を極力しないのがうちの会社の取り得でもあったのが、最近、容赦なくバタバタ切っています。

 人を切る以外にも我々の給料までバタバタ切っています。もちろん経営陣の減額の方がはるかに多いのだけど、一番下っ端の社員の給料まで下げてしまってはこの先、、、ほんとうにやばいかも。今は独身で暮らせても、5年後あたりはどうなるのだろう、、、と真剣に考える社員も少なくないだろうに。

 そして例年のごとく「経営改善計画」なるものが出てきたのですが、ここ最近、基本路線は変わらずに目玉となるような戦略が毎年変わる。。。これはこれで形としてはよいのでしょうが、問題は「会社自体何ら変わらない」ということです。つまり改善計画の「基本路線」がどうもまずいとしか思えませんね。

 基本路線というのは、とにかく銀行の要求する水準になるように、人件費を含む経費を削減し、同時にむちゃでもいいから仕事を取りにいくという路線。リストラクチャリングの王道を走っています。しかしうちの会社に一番必要な考え方は、経費の削減方法でもなく、受注に向けた経営戦略でもなく、「いかに人を辞めなくするか」と言うことなんですよ。特に優秀な人からどんどん辞めていくのは設立以来の伝統のようです。

 私の知る限り、会社における「人材流出防止方策」や「人財育成戦略」と言った、いわゆる「人」に関するマネージメント戦略をほとんど見たことがありません。毎年、何人も優秀な若い社員が辞めていくのに、それに対する反省とそれを繰り返さないための戦略が全くないのです。

 「人がいなくなるのは、金がないからだ」という発想一本槍で、「金がなくなるのは、人がいないからだ」という発想にはどうしてもならないようです。そうなんです。「金に人がついてくる」のは20世紀の発想。そもそも「金」とは人間がつくったもの。なので金が事物に先行するのではなく、「人に金がついてくる」という発想の転換が今最も重要だと思うのです。

 という話を実は会議でもしたのですが、「今はそんなのを通り越してヤバイ状況なんだ」と言われてしまいました。ヤバイのはわかるのですが、今のまま、「ヤバイヤバイ」で基本路線を何ら変えることがなければ一体いつになったらヤバクなくなるのでしょうか。福岡の事務所でいうと4年前は技術者で10人いたのが、今度の4月からは2人になってしまいます。4年で5分の1です。トレンドで見ると来年には0人になってしまいます。あとは管理職と事務職又は営業職が残るだけになります。そうなるとドカンです。
 
 もしも私に裁量権があるならばこうします。とにかく「人中心」の再編をすること。例えば今回みたいにただでさえ忙しい時期に、休日出勤させて1%くらいしか通る確率のない企画書を書かせず、せめてまっとうな労働基準法ラインでの仕事のさせ方を徹底します。

 そして仕事をする時の第一優先を「楽しいか」だけにするのです。こうするとものすごく考えが楽です。1000万円の苦痛の仕事を一本するよりも、500万円の楽しい仕事を2本するのです。こんなことをしていると、おそらく銀行からにらまれ融資も滞るでしょう。しかし早晩融資を断られる運命であるのなら、起死回生ですべて「楽しい」を基準に仕事をさせてみるのもいいじゃないですか。楽しいことをしてて会社が潰れるのならそれはそれでいいじゃないですか。正直言うと、楽しくないことばかりさせられていると、いっそのこと「会社潰れてくれんかな」と考える若手社員もいるものです。私に耳にも何度かそんな言葉が聞こえてきました。

 それよりも「楽しい」を基準にしていると、「こんな楽しい会社絶対つぶしたらあかん。なので、ちょっとは我慢せなあかんこともある。」と考えを前向きにする社員も増えるだろうに。「発想の転換」とはこういう事をいうのでしょうね。

 しかし今では「発想の転換」かもしれませんが、ひょっとするとそれこそが「王道」となる日も遠くないかもしれません。そうです「楽しい」を基準にしたマネージメント。これはこれ自体がビジネスになる気がします。「リストラによるマネージメント」から「楽しいによるマネージメント」。これの教科書を書けば売れるでしょう。そして上手くいけば多くの会社が取り入れることでしょう。

 う~ん。またしても書きたい本の材料が見つかってしまいました。とりあえずこの「楽しい」は私のテーマでもあるので、これからのブログでもどんどんでてきまっせ!!

 さあ、滝行ものこり5日間。体調も万全!!

こちらをポチっと押していただければテンションがあがります!(ブログランキング)

(今日もレギュラーで心を癒します)

b0002156_10145655.jpg

by katamich | 2005-02-20 23:49 | ■精神世界
 滝行も5日目が終わりました。今はあまり寒くもなくちょっと楽しくなってきたかも。しかし気の緩みは禁物。日程的にはまだ始まったばかりですぞ。ちなみに朝の滝が終わって家に着いたら、ツレに「ついた」とメールを打つことになっているのですが(滝の中で凍えてないか心配だからと)、今日は忘れてしまいました。のん気にテレビを見ているときに電話がかかってきました。。。

 今日も客先に直行し会議に出席。今日は福岡と佐賀の県境の坂本峠を往復でした。と、その帰りのことです。福岡側に戻って普通に車を走らせていると、サイドの崖に何やら「お地蔵さん」のようなものが目に入りました。いつもは気に留めないのですが、今日は何か気になってわざわざ戻って車を降りました。思った通り(通称での)お地蔵さんで、階段の脇に並べられてあり、階段の上にはお堂がありました。階段を5段ほど上った時です。ふと、お地蔵さんに目をやると、、、、なんと、、、、「文殊菩薩様」でした。

 文殊菩薩は何度か言ってきたように、私を見ていてくれている御神様です。21日行に入る10日ほど前にお会いした話もここで書きました。普通、それが文殊菩薩だからと言ってなんということもないんですが、一番初めに目に飛び込んで来たのがそれだと、命運か、それか呼ばれたかのように思いました。

 いつも通っている道で普通なら素通りするところわざわざ立ち止まり、そして最初に目に飛び込んできたのが文殊菩薩とは。そういえば文殊様の仏像を見たのはこれが初めてでした。きれいな顔をしてました。とりあえず、手を合わせて「おんあらはしゃのう」とご真言を唱えて、上のお堂に行きましたが、ものすごく汚れていました。見ると階段も汚れていて、ほとんど手入れがされていない状態です。

 気のせいか、、、「掃除しろ」と聞こえたような気がしました。もちろんリアルに聞こえたのではなく、私が思っただけなのでしょうが、そう「思った」のは事実です。あいにく先がありましたので、今日はそのままでしたが、11日の祭日は滝の後に掃除に行こうと思います(実は不入道の近くです)。つまり、文殊様が他の仏様を代表して私を呼び寄せ、掃除をさせようということなのでしょうね。そわかの法則。ありがたいです。感謝します。

 ちょっとした行動にもきちんと意味がある。昨日書いたことですが、本当にそうなんですね。ちなみに夕方は滝の導師に会っていたのですが、たまたま導師も「意味がなさそうなものに意味がある」とおっしゃっていました。今、実はまだ会社で残業していますが(23:19)、これも意味があるんでしょうね。さっき、ワードで章ごとのヘッダー付けがうまくいかなくて悪戦苦闘していたのも意味があるんでしょうね。とりあえず感謝して、もう帰りま~す。外は雨です。明日は寒そうだな~。

このクリックが毎日の励みになります。よろしくお願いします(ブログランキング)。

(掃除と言えばこの人。でもちょっと怖くないかい?)

b0002156_23275144.jpg

by katamich | 2005-02-09 23:24 | ■精神世界
 予定通り今日の昼休みに導師に会いにNPOの事務所に行きました。NPOの事務所ってよく考えたらここんとこ毎日行ってる(なぜか導師はNPOの事務局長)。2月5日からの「21日行」の心得みたいな話をしました。

 こないだも書いたとおり、私が「行」をするにあたっての「願」というのは、特段、明確なものでもありませんでした。導師もそれは認識されていたようで、「君の場合はネタづくりだろ」と言われました。確かにそうなのですが、単に「ネタ」のためだけに「行」をするのも辛いというものです。昨日までは「お金」という言い方もしましたが、それは結果論であって、目的論的に追い求めているものでもありません。導師は私が来る前に、このブログを読んで頂いていたこともあり、その辺のこともご理解頂いておりました。

 それでは私が「行」をするにあたっての目的とは何なのでしょうか。結論から言うと、導師からは「拾捨」であると言われました。意味するところ、とにかく、想いを一旦完全に捨てきることだと。「想いを捨てる」とは導師の言う「行」の第一の目的でもあります。やはりそれを徹底してやり通すことだと。

 「想いを捨てる」ことによって、究極どうなるのかと言うと、まさしく「宇宙」が自分の体を使い、自らが「宇宙」の一部分になることが出来るのだと。「宇宙」と言う言葉は私のブログのテーマが「宇宙」だからそう言われたのですが、別の言い方をすれば、「神」、「御神様」または「大日如来」とも言うそうです。ですが、私の場合は、ブログのとおり「宇宙」、時には「地球」とか「大自然」という言葉を使いたいと思います。(ああ、なんだかスケールのでかい話になりそうだ、クールダウン、クールダウン・・・)

 私が昨日書いた通り、「宇宙」というのはやっぱり「意志」を持っているようなのです。それは導師の考えることでもあります。私は物理学については完全な素人なのでツッこまれると正直困るのですが、「宇宙」と言うのはそもそも「質量一定」であり、ある部分が減少すればある部分が増加して帳尻を合わせるという性質のものらしいです。例えば、「地球」という生命体は、宇宙から太陽エネルギーを摂取すると同時に、逆に熱エネルギーを宇宙に放出することで生き長らえています。そもそも地球は熱エネルギーを不断に放出する性質を持つのですが(エントロピー増大の法則)、そのエネルギーの放出が一定量(←何が一定量かはさておき)を超えると、宇宙全体に「負荷」がかかります。するとどうなるか。「宇宙」は「地球」に対して「ドカン」とやってしまうのです。それが異常気象であったり、災害であったり、戦争であったりするわけです。

 では、その熱エネルギーの放出、すなわちエントロピーを増大させているのはいかなる所作によってか。それは現在、生物の中で最も地球を牛耳っている「人間」の行いであったり想いであったりするのでしょう。(やばい、話が膨らんじゃった・・・)

 言い換えると、人間の「行い」や「想い」は、いかに「宇宙」とつながっているかということなのです。一方で、人間の中にはエントロピーの増大を最小限に抑えるような行いや想いを持つ者もいるはずです。そのエントロピーを最小化させるような人間こそが、「宇宙の意志」に適合した人間であると思うのです。確かに、私が通勤・帰宅時にゴミを拾って帰ったところで、組織や企業レベルでゴミの大量廃棄をされた日には、私と言う人間は非力な存在です。しかし、昨日の話で言う「打算」かも知れませんが、私はできる限り、人間としての行いと想いを捨て、「宇宙の意志」とつながって生きていきたいのです。すなわち、自らの想いを捨て、「宇宙の意志」にできるだけ近づく、それこそが今回の「21日行」での目的なのです。(うわ~!!、俺一体なんの話をしてるになりか~!!)

 ああ。今日は簡単に書くつもりが、いつも以上に「あほあほ」な文になってしまった。ついでにもう一つ。昨日、「仏様を見たかもしれない」という話をしましたが、そのことを導師にも話してみました。すると、こんなことを言われました。

「それは『文殊様』(←文殊菩薩)だろうね。君には文殊様がついてるから。時々、行に入ろうと気合を入れていたりすると、見えることがあるんだよ。それに、君が行に入ることで文殊様も喜んで姿を現されたんだろうね。行の間は文殊様がきちんと見てくださるよ。」、と。

 何の不思議もなさそうな言い方です。確かに現れた仏様らしき物体は、座っていました。しかし、「蝿」のように小さく、その周りの後光だけが以上に広くまぶしかったのです。それを言うと、導師。

「最初は小さいもんだよ。俺だって竜神様に最初に会ったときは、びゅんびゅん虫みたいに飛んでたけど、そのうちこんなに大きくなったもんね。一生懸命に行をしてると、そのうち大きくなるから。」、と。

 こんな会話を昼の昼間から、しかも昼飯食った後の休憩時間にするなんて、俺たちどこかおかしいぜ~!!。ともかく、そう言うことらしいです。

 その後、導師の過去の話もいろいろ聞きました。ここではちょっと公開できませんが、すごい人生でした。ちょっとだけ言うと、かつては実業家で数十億の金を動かしていたのが、必然的にこの道に入る運命に導かれたのだと。その結果、いろいろな人の身体と魂を救う役割を負わされているのだそうです。なので、導師も「(昔はともかく)御神さんから嫌われるような生き方だけはしていないつもりだ。」、と言っています。

 私の日記(ブログ)の話も少しされました。このブログでは、導師のことを「一回死んだ男」とか「今でも半分死んでいる」とかネタにしまくっていますが、「もっと書け」とは言わないまでも、割合好意的に思って頂いているようです。私のブログには毎日100人以上がアクセスされるのですが、その中の何人かは、「行」に興味を持ったり、私の経験談を通じて何かを感じ取ったりしているかも知れないと。もしかしたら救われる人もいるかもしれないと(不遜な言い方で失礼します)。

 不遜ついでに言うと、現に私の日記を読んで、「仕事に役立っている」とか「元気になった」とか「印刷してアンダーラインを引きながら読んでいる」とかいう声をしばしば頂きます。それは本当に嬉しい声です。

 そんなこんなで、ブログも行もちょっとやめるわけにはいかない状況になっています。逆に100人以上の人が毎日読んでくれているという事実そのものが、私を鍛え、育ててくれているような気持ちになります。この場を借りてお礼申し上げます。
 
 明日は、21日行の予行演習のため早起きします。ヒーリングの達人ARZ氏にご指導頂きます。

今日の順位は?

(こういうのを宇宙の意思に反する人たちと言います)

b0002156_8231567.jpg

by katamich | 2005-01-26 23:18 | ■精神世界
ブログトップ | ログイン