宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

カテゴリ:■読書・書評( 88 )

 今日は朝6時半に家を出て、いつもの山川町で一日ワークショップでした。9月の間にあと5回あります。いい勉強をさせてもらっています。

 ところで、先日からのシュールの話の続きなんですが、今日、ネットサーフィンをしていたら、面白い本にめぐり合い、早速会社の帰りにジュンク堂で購入しました。

・小泉武夫「人間はこんなものを食べてきた」(日経ビジネス文庫)

 これは非常に面白いです。小泉武夫という人は今まで読んだことがなかったのですが、まさしく「私向け」の著者であると言えます。この本は、大学で教えている「食文化論」をベースに編集されていますが、「講義」といった堅苦しい内容ではなく、良質のエッセイ集を読むようで、そんじょそこらの似非エッセイストなんか全く太刀打ちできない内容の濃さと読みやすさです。

 著者はこれまで世界各国でありとあらゆる「ゲテモノ」を食べてきたそうで、その一つにシュールストレミングもあげられていますが、世の中にはもの凄い食べ物があるものですね。面白いのがイヌイット料理の「キビャック」。なんでもアザラシの腹の中に海燕を詰め込み土の中で発酵させてどろどろになったものを食べるのだと。著者いわく「鼻が曲がるほど、猛烈に臭いけど、うまい」。植村直己氏は大好物であったとか。その他、韓国料理でエイを発酵させたホンオ・フェと言うのは強烈なアンモニア臭で食べながら涙をぽろぽろ流すのだという話。その二つが東西臭いものチャンピオンであると。そして我等がシュールストレミングも登場します。著者いわく、「チャンピオンというよりは、これはもう別格」であると。これは発酵が進んで缶がパンパンに膨れ上がって爆発の危険があるので、輸入禁止の代物であると本には書かれているのですが、我々が輸入したのはなんだったのでしょうか(笑)。それほど危険で臭い食べ物であると紹介されています。

 他にも私の大好きな「虫食い」の話も満載です。化石から古代の人は虫を常食していたとある通り、虫は人間にとって食の範疇にあるものです。「カブト虫の幼虫」をして、「これほどうまいものはない」とまで書かれています。すごいなと思ったのが、ヒルに牛の血を吸わせてパンパンに膨らせたものをボイルして半熟で食べるもの。ボリビアのある部族の話だとか。

 しかし、そのような単なる「ゲテモノマニア」ぶりを誇示するだけでなく、学者さんらしく、知的刺激に富む興味深い話もたくさん書かれてあります。宗教、マナー、語源、嗜好、など食を通して文化や人間の本質に迫るものです。
 
 小泉武夫。シュールストレミングを通して知った人ですが、他にも著書は多数あるようです。またしても、読まなければならない本が増えてしまいました。幸せです。そう言えばもうすぐミャンマーに旅立ちますが、そこでもこれらの本を参考に、「食文化」を生で体験してきたいと思います。幸せですね。

(写真はエチオピアではビジュアル的にゲテモノ扱い-本書より)

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by katamich | 2004-09-06 23:01 | ■読書・書評
 最近、長い文章が続いていました。今日は特に何もない一日だったので、日記も手を抜かせて頂きます。

 長年探していた映像にようやくめぐり合いました。幼心にこの映像は衝撃であり、かつ最高のギャグでした。今思うとかなりシュールです。もったいぶらずにその映像をここに公開します。

 明日も滝に打たれます。おやすみなさ~い。

(写真は画像を見て確かめてください)

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by katamich | 2004-08-27 21:53 | ■読書・書評
 そろそろお盆休みに入る人が出てきました。毎年、この辺りの時期は好きなんですよね。お休みムードでのんびり仕事できて。

 というわけで、今日も会社でマイペース資料づくりをし、結構はかどりました。昼休みは近くの農協で昼食を食べた後、ジュンク堂(本屋)をぶらぶらしました。そして本を3冊購入。大野和興著「日本の農業を考える」(岩波ジュニア新書)、斎藤一人著「ツイてる!」(角川oneテーマ21)、島田紳助・松本人志著「哲学」(幻冬舎文庫)の三冊です。仕事の合間に得意の斜め読みで一気に読みました(目を通しました)。最近、読書感想文ばかりで恐縮ですが、今日のテーマにしたいと思います。

 まず、「日本の農業を考える」ですが、岩波ジュニアは本来高校生向けに書かれた新書であるため、現在の日本の農業を取り巻く問題が分かりやすく書かれています。ショックだったのが、日本は先進国の中で最も食料自給率が低い、欧米に比べ明らかに農業の高齢化が進んでいる、近代化の歴史の中で農業は政策的に削減され農業の自立心を剥奪してきた、農薬使用量は今でも(あの!)アメリカの9倍、BSE・鳥インフルエンザ・遺伝子汚染など食の安全性の著しい低下など、最新のデータをもとに裏付けられている点です。こんなのを見ると、日本の農業はまさに瀕死の状況であることがわかります。本来、日本は農耕民族で欧米は狩猟民族であると言われてきまたが、その農耕民族の誇りは今や完全に失われていることがよく分かります。しかし、見方をかえると、農業は食の確保にとって必要不可欠であるゆえに、このような「逆境」は新しいビジネスチャンスにつながるものと言えます。筆者は、これからの農業として、地域性に見合った技術や方策に基づく農業のあり方を提言しており、私もそれには大きく同調するところです。かつてのような国策としての農業振興は時代にあわず、やはり地域の農業者や消費者、それを取り巻く関係者等が「わが町、わが村」に見合ったやり方を模索し実践していくべきだと思います。私の仕事の重要性もまさにその辺りにあるのだと自覚しています。
 
 2冊目は斎藤一人さんの新刊です。ここでも「ツイてる」の斎藤節が満載であり、非常に楽しく読めました。付録にCDによる講和もついています。斎藤氏の完全なるプラス思考は読んでて、聞いてて元気になります。最近、私の周りにも「ツイてる」教が増えてきました。みんなで「ツイてる」を口癖にして、楽しい生活を送りたいですね。

 3冊目は「哲学」で、島田紳助松本人志の共著です。島田紳助氏は私が最も敬愛する芸能人であり、真の「天才」だと思っています。両氏によるテレビ番組「松本紳助」は最近は見る機会に恵まれていませんが、かつてはむさぼり見たものです。本初はその紳助氏と松本氏が大きなテーマにそって、お互いに論じ合うというスタイルで構成されています。この人たちを見ていると、本当に頭がいいなあと思ってしまいます。と同時に、(意外にも)2人ともものすごく謙虚なんですよね。この本にもその辺りがよく感じられます。やっぱり「謙虚」だからこそ人から愛され息が長く続くんですかね。偉そうになって消えていく芸人って多いですし。その姿勢だけでも見習いたいものです。

 夜はニューコンボでジャズを聴いてきました。小國雅香トリオです。小國さんのピアノは久々に聴きました。とってもよかったので、これも近いうちにレビューしたいと思います。

(写真は往年の名漫才コンビ「紳助竜介」)

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by katamich | 2004-08-11 20:07 | ■読書・書評
 今日も平凡な1日でした。昼休みに本を買って読んだのでその話でもしましょう。

 買ったのは黒川伊保子著『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』(新潮新書)という本です。表題にインパクトがあり、手にとって見たのですが、表題の軽さとは裏腹に非常に知的好奇心をあおる面白い本でした。なので斜め読みながら一気に読み終えることができました。

 内容をかいつまんで言うと(かいつまめるかな?)、コトバとして発する「言葉・表記・音」にはそれ自体に潜在的な「意味」があるという話。つまり、つけられた名前によってはその内容の良し悪しと関係なく売れたり売れなかったりするのだとか。例えば、「車の名前にはCがいい(例:カローラ、クラウン、セドリック、シビック等)」、「女性雑誌はNとMが売れる(例:ノンノン、アンアン、モア等)」、「人気怪獣の名前には必ず濁音が入っている(例:ゴジラ、ガメラ、キングギドラ等)」。これは普通になるほどと思います。しかし面白いのは、筆者はその専門領域である、物理学、人工知能、脳科学、言語学などの知識を総動員して、「なぜ音自体に意味(印象)があるのか、それはどんな意味(印象)なのか」を一つ一つ解明し体系化したところにあります。この一つ一つの音が与える意味(印象)を、筆者は「クオリア(印象の質)」と呼んでおり、「k」のクオリア、「t」のクオリア」、「m」のクオリア」、「p」のクオリアなどというように、一つ一つの子音ないし母音に意味(印象)を与えているのです。

 例えば、「k」は「固い」、「t」は「とろみがある」、「s」は「すべりのよい」、また「m」「p」「b」などは赤ん坊が最初に発する音でもあり(まんま、ママ、パパ、ばぶばぶ)、「親密」とか「満たされた」とかの印象があるようです。これらを詳細に体系化して、言葉や名前の意味(印象)を例示しているのが面白いです。

 具体的には、同じ化かす動物である「キツネ」と「タヌキ」だとキツネの方がずる賢そうとか、同じトマトジュースでも「カゴメ」と「キリン」ではカゴメの方がよく売れるのはなぜかとか、「牛丼」と「豚丼」では既に豚丼が名前負けしているので売れない、とかいろいろな例をとって説明してくれます。確かに、こじつけの感もなきにしもあらずですが、納得されられる部分も多いです。

 そこで、私も身近なもので名前のクオリアを対照させてみたくなりました。例えば、「ジャイアン」は濁音が入っており怪獣的で強そうです、「スネオ」はいかにもするするしててずる賢そうです、「しずか」は可憐で清楚なイメージを受けます、「のびた」はのんびり、トロトロしていそうです。なるほど。こんなのも筆者によれば、音を分解してそれぞれのクオリアであてはめ分析するのでしょう。確かに、ジャイアンのキャラに「のびた」の名前はありえないでしょう。

 さらに身近に例をとりましょう。私が所属している吹奏楽団は「ノアール・アンサンブル・ウインズ」というのですが、クオリア的には「n」が女性的、癒しを表し、「r」が理知的、美的を表すそうです(本書より)。従って、「ノアール」という名前を初めて聞くと「綺麗で賢く、癒される」というようになるのでしょうか。確かに私の第一印象では「ノアール」がフランス語である先入観もあってか、「お洒落でありながらこだわりを持っていそう(綺麗、理知的)」である一方、「親しみやすい(癒し)」というイメージを受けました。だからこそホームページのリンクを真っ先にクリックしたのかもしれません。もしも、これが「バスコダガマ・アンサンブル・ウインズ」だと何となく厳格で攻撃的なイメージがしますし、「のび太王国記念吹奏楽団」だとかったるくて眠そうなイメージがします(これはこれでクリックするでしょうが)。

 さらに、もっと身近なエピソードを紹介しましょう。私は近年、「Qちゃん」と言われおり、小さな頃からそう言う人も何人かいましたが、定着したのはここ3年ほどです。しかし高校の時は「Aちゃん」と言われていました。なぜかというと同じ中学の数学教師である親父の名が「英司」でまずAちゃん、そして兄貴(名前は英一)が引き継ぎAちゃん、そして私は久二(ひさつぐ)であるのにも関わらずそれを継承させられてしまったのです。今思うと、非常に「すわりが悪い」気がします。

 それで、先日、吹奏楽団の団員からこんなことを言われました。その団員の娘と息子はなぜか私になついており、私のいないところで、息子が「なんでQちゃん、て言うの?」と父親(団員)に尋ねたところ、その団員は「名前に「久」があるからじゃないの」と返答したのですが、横にいた娘が「見た目でQちゃんだと思ってた」、と。

 悔しいですが、これは非常に正しい気がします。「Q」というのは音のクオリアで言うと「k」が入り固いイメージがしますが、筆者は音だけでなく「表記」にもクオリアあると言っています。となると、おそらく「Q」という形が私にマッチしていたのかもしれません。「Q」と名のつく日本人を考えてみると、「坂本九」、「高橋尚子」、「オバQ」などが思いつきます(ファンキージャズテナーに「Q石川」というのもいますがマイナーですね)が、これらの人達から受ける印象は、「丸い(雰囲気を含めて)」、「平和そう」、「ちょろっとしている」などが浮びます。何となく私自信も自分であたっている気がします(昔、「平和そうな顔や」と言われたことがありますし)。

 今日も大作になっていますが、この本を読んで思ったことは「やはり、名前や言葉は大切」ということです。名前や言葉を「意味」と切り離して、単なる「伝達手段」と考えるのはあまりにも危険だと思います。もしも同じ内容のことを伝える時でも、言葉をきちんと考えて発するという感受性をもちたいと思いました。それから、これから子どもが生まれ名前を付けるときなども、その「意味内容」だけでなく「音」や「表記」にも気を配るべきだと考えさせられました。

 ともあれ、この本に出会ったことで、この先、言葉にもっとデリケートになり、ビジネスの現場にも十分生かしていきたいと思いました。

(写真はやっぱり傑作)

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by katamich | 2004-08-05 23:10 | ■読書・書評
 今日は午前が客先で打合せ、午後が現場説明会、そして現地調査、会社に戻ってからは社内打合せ、とごくごく平凡な一日でした。でも、昼飯の時や、空いた時間で本を一冊読んだので、その話とついでに最近読んだ一冊について書きたいと思います。

 まず、最近読んだ本から。これは吹奏楽団のM原嬢から借りた村山由佳著『天使の卵』という小説です。美大志望の主人公の青年が電車の中で会った一人の女性に恋をし、その2人とそれを取り巻く人間模様を中心として描かれたラブストーリです。女性の方は8歳年上のお医者さんで、精神疾患に冒されている主人公の父親の担当医となっています。そして主人公は偶然にもその女性の妹と高校の時から交際しているという関係です。主人公は女性の妹との交際を解消し、その姉である恋焦がれる年上の女性と付き合うことになるのですが、その周辺を含めて傷つき、傷つかせながら激しくも切ない恋が展開されていくわけです。
 
 ストーリー的には別段変哲のない話ですが、その変哲のなさとライトタッチな文体が、平凡な毎日を送る読み手を引き込むのでしょうか。村上春樹以降によくあるスタイルです。そして今大ベストセラーになっている「世界の中心・・・」にも通じる世界観があります。

 この小説にも、村上の小説にも、セカチュウにも言えることですが、主人公たちは我々と同じ学生であったり、社会人であったりと凡庸な立場にありながら、「純愛」というリアリティのない世界に身を投じていたりします。つまり日常(=自分)と手の届きそうな非日常(=想い)とが交錯するところに、平凡な毎日を送る我々を何ともなしに魅了するのでしょうか。これが、変態的な主人公による怪奇な世界だと単なるホラーかSFになり、平凡な主人公による平凡な世界だと、ネット上でよく見られるありふれた日記のようになってしまいます。

 それにしても、この「天使の卵」という小説はなかなかよかったと思います。ラストは切なく終わるのですが、特に涙が出るまではいきませんでした。年上の女性と展開するラブストーリーというのは、男として一種の憧れのようなところがあります。実は私自身も昔はそう言うことがありましたが、その時期にこれを読んでいるときっともっと切なかったのではないかと思います。

 次に今日読んだ本です。フランク・コンロイ著『マンハッタン物語(原題「Body&Soul」)』という小説です。これは上下巻で約800頁の大作で、実はその上巻しか読み終わっていないのですが、あまりの面白かったので今の時点での感想を書きます。

 これはニューヨークを舞台とする貧しい生まれの少年が、ピアノを通して成長し、世界的な音楽家へ大成していくサクセスストーリーです。ただそれだけなのですが、ディティールが恐ろしく面白いのです。よほど音楽に精通していないと描けない世界で、音楽に興味のある人は間違いなく楽しめる内容です。

 例えば、主人公の先生が作曲の授業を受けるために出す問題に「西洋の音楽はなぜ12音階なのか」というのがあるのですが、ここでの主人公の回答がまさに目鱗ものなのです。長いですが素晴らしいので引用します。


「倍音列は音本来の持つ特性である。ピアノの低音Cの弦は一秒あたり六十四回転するが、同じ一本の弦もさまざまな長さに区切って考えることができ、その各部の長さによって異なる回数の振動をしている。短く区切れば区切るほど音は高くなる。二分の一、三分の一、四分の一、というように、無限に区切っていくことが考えられる。低音Cの弦を二分の一にすると、二つの部分はそれぞれ一秒あたり百二十八回振動する。つまり元の音の一オクターブ上の音になる。これが二倍音である。低音Cの弦を三分の一にすると、一オクターブ上のGが生まれる。これが三倍音であり、音程は五度である。同じように弦を区切っていくと、さらに高い倍音が生まれるが、実際に問題となるのはGの音である。よく響く音であるし、主音のCに最も近い音であるからだ。つまり、ある音を主音と考えた場合、それに最も関係が深いのは五度の音、すなわち属和音の根音ということになる。
 主音から属音へ、さらにその属音を主音とした場合の属音へ、というように上昇していくと、平均律のピアノであれば、C、G、D、A、E、B、F#、C#、G#、D#、A#、F、そしてふたたびCの音が得られる。Cに戻るまでに経る音の数は十二である。したがって十二音音階となるのである。」


 12音音階は西洋音楽の特性であり、さらに「12」という数は生活のいたるところに登場します。例えば、「月」、「時間」、「干支」、「ダースという単位」など。10進法が支配する世の中で「12」がここまで生活の隅々に浸透しているのは、「自然の定理」であるゆえに12音音階もいわば「あたりまえ(アプリオリ)」としか思っていなかったところ、「なぜ12音音階」というのを学術書でなく一遍の小説で知ったのは驚きでした。それも「ピアノの弦」という目に見える具体的な方法で説明したのは本当に見事です。

 ピアノの弦を自然数である1、2・・で区切るところに西洋音楽の合理性があるのに対し、自然数でなく例えば1.2とか1.7とかで区切るところに、インド音楽やアラブ音楽の特性があるとすると、西洋合理主義はただ単に「自然数」に支配されているだけなのでは、とまで考えさせられました。

 小説の内容に戻りますが、他にも素晴らしい箇所があります。シェーンベルク流の12音階技法の授業に嫌気がさした主人公が、世話になっている楽器やの主人に諭され、奮起して12音技法の曲を書くのですが、この時の話が面白いです。なんと自分の曲をチャーリー・パーカーのブルースのレコードにあわせて弾くのですが、まるで「ビバップが12音の曲を伴奏しているような、あるいはその逆のような感じ」になるのだそうです。これは是非とも実際に聴いてみたいものです。

 他にも当代の名ピアニストとモーツアルトの二重協奏曲を弾く場面のリアルさやそれにまつわるエピソード(モーツアルトが2ndを弾いていたとか)の面白さ。オケとのリハに嫌気をさした主人公に対する、指揮者の諭し方(「オーケストラは大きなのろまな獣なんだよ」とか)。そして、急遽ベートーベンのコンチェルトを代役で弾くことになり(それも初見で)、大成功をおさめたときの興奮(しかも、急に名乗り出た譜捲りの少女とその後Hをしている)。このエピソードなど、ホロヴィッツのあの話を元にしているのだろうけど、こんな話がいたるところに散りばめられているのです。

 実はまだ半分しか読んでいないのですが、後半を読むのが楽しみなりません。繰り返しますが、これは音楽が好きなら(マニアであればあるほど)、絶対に楽しめる一冊です。というより一家に一冊はおいておきたい名著でしょう。ちょっと一般向けでないためなのか、今は絶版となり書店で見ることは少ないと思います(私は偶然ブックオフで見つけました)。

 是非とも再発して、映画化して欲しいものです。手に入れるのは難しいかもしれませんが、頑張って探して読みましょう。

(写真は年上の女性と年下の男性)

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by katamich | 2004-08-04 23:15 | ■読書・書評
今話題のロングセラー、ベストセラー小説、「世界の中心で、愛をさけぶ」を「一気に」読みました。今朝、会社の同僚の奥さんから借りて、帰宅後に読んだのですが、200ページという薄さの通り、「一気に(←しつこい)」に読み終わりました。

普段はベストセラーなどには興味を示さないのですが、最近「冬のソナタ」にはまってるのもあり、この通称「セカチュウ」も一度は読んでおこうと思い手にしたのです。

読了後、「泣きながら一気に読めませんでした」が第一の感想。あらすじはいろんなところで紹介されているのでここでは重ねませんが、どうしたもんでしょうか、ちょっと感性が衰えたかな、っと心配にもなりました。ページが進むにつれ「どこで泣けばいいのだ」と不安になっていったものです。

ちょっとせこい手かもしれませんが、先ほど、グーグル「世界の中心で、愛をさけぶ、書評」で検索し、ざっと目を通してしまいました。すると、私のような読了感を得たのは実は全然少数派でないことがわかりました。だからと言ってどうと言うこともないのですが。

その昔、「一杯のかけそば」という短編があり、日本中が泣いたと席巻したことがありましたが、このときも「どこで泣けばいいねん」と自責の念にかられ、そのときと同じ心境になっています。

これがベストセラーになった理由を私なりに表現すると、「好きになるとすぐにセックスする最近の男女にとって、もったいぶった性的進行と白血病でハゲになっても好きでい続けるひたむきな愛」が単に新鮮だっただけなのかもしれません(←ちょっと表現がよくないですね。すいません)。

そして、中学の時でしたか、南こうせつの「妹」という歌を音楽の時間に歌った時、「お前は器量が悪いから心配」というフレーズに対し、いつも他人のことを「きもい」など言い放っている性悪の女子が、「器量が悪いなんてかわいそ~」と言って、歌に半泣きしていたのを思い出しました。

やっぱり、個人レベルでも社会レベルでもある種のアンチテーゼにひかれるのは普遍なのかもしれませんね。逆にいうと、アンチテーゼにこそビジネスチャンスがあるということでしょう。

話を戻すと、結論を言うと、この小説は個人的にはマスコミで騒がれるほどのレベルではないと思いました。当の作者である片山恭一氏も「なぜ売れるのかわからない」と言っていますし。

ただし、全く読むに値しないかというとそうでもなく、例えば、(ネタバレごめん)主人公が白血病に冒されている彼女を、修学旅行で行けなかったオーストラリアに連れて行こうと、死に間際に無理矢理連れ出して、誕生日のケーキを二人食べるシーンなんて、精一杯食べようとしたけど食べられない彼女に対しては、主人公に感情移入して「うるっ」とはきましたね。

あと、後半の主人公と祖父との会話はメモをとってもいいようなフレーズが意外とちりばめてありました。例えば、「あの世や天国を発明したのは好きな人が死んだからだ」とか「見えるもの、形のないものが全てだと考えると、人生は味気ないものになる」とか「人間の思い込みを保証するものとして科学があるのであり、科学者でない自分は別のものを使う。例えば愛。」とか「あとに残ったことによって、あの人を悲しませずにすんだ」とか。。。

「純愛」というモチーフは決して世俗的でも短絡的なものでもなく、人間の琴線に触れる普遍的な価値があるとは思うのですが、いかんせん、ちょっと200ページにまとめすぎたのが残念です。もう少し長くて、深くて、読み応えがあったほうが、私としては納得いく読了感を得たかもしれません。しかし、そうなるとベストセラーにはならないでしょうが。

まあ、なんだかんだ言ってますが、今の日本を映写している物語でもあるので、映画やドラマもできれば見てみたいですね。

それにしても柴咲コウの「泣きながら一気に読みました」という帯のフレーズは効きましたね。おそらく売上の8割はこのフレーズに騙されて、もとい、共感して買っていったのでしょう。その意味で、柴咲コウは文芸界の「みのもんた」かもしれません。

(写真はお昼会の柴咲コウ-MONTA MINO)
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by katamich | 2004-06-30 02:11 | ■読書・書評
この日記のような雑文を書き始めて18日目です。日に日に文章が長くなっているような気がします。
しかし、読み直してみると、単に一文が長いだけのようにも思います。
例えば、昨日の文章で言うと、
「こないだまでテレビを見る側だった人が、一夜にしてブレイクできるような、言わばお笑い市場の成熟化と呼べるような現象が起こっています。」
なんかは、
「最近まで視聴者だった人が、今は一夜にしてお笑い芸人になれる時代です。」
で済むわけです。半分になりました。何も、「市場」とか「現象」とか「成熟化」とか難しい言葉を使わなくてもいいのです。気をつけますね。ちなみに、私、4年前は国語の先生だったのですよ。雑談先生でしたが。

昨日、高額納税者の話をしました。そこで長者番付日本一の「齋藤一人」さんの話を出しました。
氏の本はビジネス書のコーナーに平積みされているので知っていたのですが、手にとったことはありませんでした。
で、今日、銀行に行ったついでにふらふらと本屋に行ったのですが、名前をここに出したからには読んで見なければという訳で、ちょっと手にとってみました。

「変な人の書いたツイてる人の話」という本です。

ページも少なく字も大きいので立ち読みで十分思いきや、CDが挟んであるではないですか。
この本は氏の「最初で最後の講演会」を収録し、活字に起こしたものです。CDはそのライブ録音です。
しかも二冊に分かれています。
でも、何となく「これは買い」というお告げが来たように感じたので、2冊3,000円をレジに持って行きました。

この手のビジネスマンの成功本や啓蒙書の類は何冊か読んでいるのですが、共通する点があります。
それは「何でもプラス志向で前向きに生きろ」ということです。
語り口は違えど全ての成功本・啓蒙本はそのことが書かれています。逆を返せば全ての成功者はそのようなマインドを持っているということです。

この本の要点は3つ。
1.「ツイてる」と口に出していえ。
2.「楽しい」ことをしろ。
3.「プロ」になれ。
ということです。この手の本にしてはずい分お粗末なものです。本当にこれしか書いていないのです。一冊だと、聞いて一時間、読んで15分です。
しかし、真理と言うものは須く単純なもの。
少しだけ解説しますね。話の順番を考えて後ろから。


3.「プロ」になれというのは、どんな仕事でも(親でも主婦でも)、その仕事にまっとうし意識を持てということです。当たり前のことですが、実は易しくありません。

例えば我々は仕事で金を稼いでいます。それがプロです。
しかし、時には手を抜いたり、怠けたりします。それは金儲けとは矛盾します。
厳しいようですが、金儲けに徹することがプロです(ただし法の範囲内で)。

2.人間の魂の歴史には3段階あります。1段階目は「強い」に従うこと。狩りでも農業でも強い指導者に従うことでうまくいく時代です。個性を重視した狩りや農業では、獲物に食われるか、飢え死にします。

2段階目は「正しい」に従うこと。人殺しや泥棒をしてはいけない。これは「正しい」ことです。「正しい」ことをしていればそれでよしの時代です。

そしてそれらがクリアできた現在は3段階目の「楽しい」を行動の指針にするのです。楽しくワクワクしながら仕事をすれば、お金も人も、いいものは皆寄ってくるということです。
なるほど、です。ややもすると「仕事」=「苦悩」⇒「美徳」と思われるふしが未だにあります。

私の会社では帰るときに元気よく「お疲れ様」と言うのでなく、肩をすぼめて「すいません」と言います。「苦しいことから先に逃れてすいません」と聞こえます。そんな会社は意外と多いのではないでしょうか。

確かに儲かっている会社の人は楽しそうですよね。


1.これがこの人の一番言いたいことでしょう。例えば、歩いていると上からマジックペンが落ちてきて肩にあたったとします。普通は「ちくしょう」と言うでしょう。しかし、ここで「頭に当たらなくてよかった。ツイてる。」と言うのです。

これは単に、全てに肯定的に思えと言うのとも違います。「思う」ではく「言う」に価値があるのです。そのまま「ツイてる」と口に出して「言う」のです。「思う」だけではダメなのです。
そうすると、本当にツイてくるのです。

ここに来て、「なるほど組」と「わからん組」に分かれるのではないでしょうか。

私は「我が意を得たり」と思いました。

先日、「ペンは剣より強し」ならぬ「言は剣より強し」と言いましたが、言葉にはものすごい力、影響があるものだと思います。

この先を書くと更に長くなりますので、明日、改めて書きたいと思います。
by katamich | 2004-05-18 00:13 | ■読書・書評
昨今、空前のお笑いブームが続いていますね。
こないだまでテレビを見る側だった人が、一夜にしてブレイクできるような、言わばお笑い市場の成熟化と呼べるような現象が起こっています。

昔はお笑いというと、吉本か松竹に入門して、弟子や下働きで修行を積んでから、師匠の許しがでてようやく舞台に立てるという世界でした。
でも、最近は○○プロというよく分からないプロダクションにとりあえず籍を置いて、ちょっと面白ければドカン!とブレイクできます。
タレント志望にとってはいい時代になったのかも知れません。

ただし、その分競争相手も多いので勝ち抜いていくのが大変でしょう。
NHKの「爆笑オンエアバトル」なんて、その熾烈な生き残り合戦をみなまで見せてくれる、非常にシュールな番組だと思います。

そのような中、とりわけ奮闘しているのが「ピン芸人」と呼ばれるひとり芸人達でしょう。
このスタイルは「ボケとツッコミ」が基本形だった大阪では馴染みの薄いものだったと思います。
しかし、最近になって「陣内」のような吉本ピン芸人もメジャーになっているので、大分定着したことでしょうね。

近頃売れているピン芸人としては、「陣内」の他には「長井秀和」「だいたひかる」「青木さやか」「はなわ」あたりが思い浮かびます。
しかし、ここに来て今年ブレイク間違いなしという芸人が出てきました。
その名は「波田陽区」。
ギター侍、「・・・って言うじゃない」、テコテコテコテコ、「残念!」「○○斬り!」っていうとお分かりでしょうか。

もうすでに巷では「残念!」が流行っていると聞いています。今日、そんな話を会社でしていました。

そして、今日は高額納税者の発表がありました。最高納税者は健康グッズなどを取り扱う商社の代表である、齋藤一人氏でした。齋藤氏はビジネス書などでその名前を見たことありますが、最高納税者とは知りませんでした。

その齋藤氏ですが、名前は「ひとり」と読むそうです。

これまで日本社会では、共同体や組織、チームなどに従属し、個人を表に出すことはあまり好ましいこととされてきませんでした。
しかし時代も変わったのか、「ひとり」もさほど悪くない、むしろ積極的に受け入れられ、評価されるようになっている気もします。

人間最後は独りですしね。でも皆とは仲良くしたいものです。
by katamich | 2004-05-17 00:12 | ■読書・書評
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