宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

カテゴリ:■インド( 48 )

 昨日はブログをアップする間際に消えてしまって、お~まいが~!って感じでした。どうもPCのメモリ不足なのか、反応が遅くなっていて、誤動作が生じやすくなっています。メモリ増設するか、それとも思い切ってPCを買い直すか迷うところです。メモリが足りないと、ワードやら他のアプリケーションを開くまで時間がかかったりして、何となく面倒な気になってしまいますね。ま、それはそうと、今日の動きとしては、午前中、メガネを買いにきました。今のメガネは二年前に買ったものなので、そろそろ新調しようと思っていました。そんで視力を測ると、なんと二年前よりも上がってる感じです。視力ってのは、一度悪くなると、そのままずっと急下降するものなのに、何もしてないのに上がるってのは珍しいものです。確かにこの2年間はストレスもあまりたまらないし、身体にいいこともいろいろしてるので、視力上がってもいいかな、とは思います。その後は衣装合わせ。男の衣装などは、あまり選ぶ余地もないので、すぐに決まって寸法も合わせました。願わくばもう少し身体を絞りたいところではあります。ビリーもやっていたのですが、あれは続けるのたいへんですね。ビリーが続かない理由の一つに2周目に入りにくい点があげられます。最終プログラムは30分なのが、最初に戻ると50分に増えてしまうあたりがなんとも。ま、そんなに忠実にやらずに、一日2~30分で勘弁しとくのもありかもしれません。で、衣装合わせが終わると、ご飯を食べて家に帰ります。また、結婚式の準備。そんな感じですね。

 あ、夜はテレビで「ガンジス河でバタフライ」というドラマを見ました。面白かったです。昨日から見たのですが、脚色はあるにせよ、あれはバックパッカーが必ず通る道ばかりでした。カルカッタ(コルカタ)のサダルストリート、ハウラー駅、ブッダガヤーなどお馴染みの場所がたくさん出てて懐かしかったです。そして、なによりドラマの中で主人公の「てるこ(長澤まさみ)」がバラナシで泊ってた宿、あれは私が3回バラナシに行った時、3回とも泊った宿です。「ヴィシュヌ・レスト・ハウス」と言います。ガンジス河に面したテラスが素敵な宿で、あそこでチャイを飲みながらガンガーを眺めているのが、とっても最高なのです。ヴィシュヌのテラスが出てきた時、「おお~!!!」と叫んでしまいました。長澤まさみちゃんも気に入ったようで(ドラマの中で)、泊る時即決してました。一泊100ルピー(約300円)くらいですね。ドラマでは、例によって主人公てるこもボラレまくったり、いやな目にあいまくったりするのですが、「ヴィシュヌ」は昔から良心的な宿なので、とっても安心できます。それにしても、あそこに泊ってた人ラッキーだったな~。突然、宿に中谷美樹だとか長澤まさみだとかが、来るんですから。いわゆる「安宿」なので、普段なら絶対に来ない場所です。だからかどうか分かりませんが、テレビで見た感じでは、若干、リニューアルされてる感じでした。以下の写真は私が97年に行った時のものです、上がヴィシュヌのテラスでの私です。ドラマ見た人はこのテラスに見覚えあると思います。そして下がガート(河の縁)から見たヴィシュヌです。やっぱりリニューアルされてますね。テレビで見た看板はめちゃくちゃきれいでしたし。ちなみに2年前のインド旅行記はこちらです。ここでもヴィシュヌの写真撮ってます。
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 ただ、これから先、ちょっと心配なのは、これから数年はバラナシに行くと、「バラフライ~、てるこ~、まさみ~、みき~」とかインド人の物売りが言ってきそうなところ。以前、沢木耕太郎の「深夜特急(主演:大沢タカオ)」のロケがあった時、「神様買うか~」と言うハガキ売りの少年が出た後、みんな「神様買うか~」と言って寄ってこられたことがありました。私も何度も会いました。なので、今からバラナシに行く人は、しばらくあのドラマの影響が続くと思います。日本人を見かけると、「ここからまさみは飛び込んだ」とか事細かに説明されそうです。そして私の常宿である「ヴィシュヌ~」が人気出すぎて、泊れなくなったらどうしよう~とか思ってしまいます。私はバラナシでは3つの宿に泊りました。一つ目は名前忘れたけど、1994年の初インド、バラナシに着いた初日が夜中で、しかも「クミコハウス」を目指して行ったにも関わらず、クミコハウスから門前払いをくらって仕方なく泊った近くの宿です。「クミコハウス」から門前払いくらった理由の一つは、我々一行が宿の親父シャンティが愛して止まない、インドの詩人タゴールのことを知らなかったら。「そんなん知らん」とか言ったら、態度が悪化して、すぐに出て行かされたのでした。理不尽やな~。で、その日はその名前も知らない宿に泊って、翌日移動したのが「ヴィシュヌ~」でした。長澤まさみちゃんじゃないけど、テラス見て即決。あ、そうか、このドラマの原作のたかのてるこ氏もここに泊ったんだな。日本人が多いのですが、いろんな奴がいて楽しかったです。ギター弾く奴、ディジュリドゥ吹く奴、シタール習ってる奴、バングラッシーでらりってる奴などなど。めちゃくちゃ楽しかったですね~。今度行く時は私も河に向かってホーミーですね。「ガンジス河でホーミー」です。

 で、次に泊ったのが97年。最初からヴィシュヌを目指して行ったのですが、その日は満員。仕方なく隣の「クミコハウス」に泊ったのでした。その日は門前払いくらいませんでした。ただ、めっちゃ汚いし、コアな日本人宿だけに、変なコミュニティができててちょっと馴染めません。翌日にヴィシュヌに移動しました。そんなわけで、バラナシはとっても思い出深い街ですし、とりわけ常宿の「ヴィシュヌ・レスト・ハウス」は思い出がいっぱいです。ドラマに登場して嬉しかったことは嬉しかったのですが、これからインドに行く日本人が、ヴィシュヌを目指して行くようになると、ちょっとヤダナ、とは正直思います。でも、今、ヴィシュヌに行くとドラマの写真とかが飾ってて、ここにまさみちゃんが泊った(ドラマの中で)とかいう部屋もあるんでしょう。その部屋だけやたらと高かったりして。それから真似してガンジス河でバタフライする連中も出てきそうです。おっと、時間がない。続きはちょっと手抜きして、ミクシィのインドコミュ(Qさんと行く奇跡のインドツアー)から、私の文章です。ではでは。


【ガンジス河1】

ヒンズー教徒にとって聖なる河と言われているガンジス河(ガンガー)。イスラム教徒がメッカを目指すように、ヒンズー教徒も最期はガンガーに帰りたいとの思いで、一同に目指す場所があります。それがモデルプランのメインにも掲げられている
「バラナシ(英語・日本語ではベナレス)」です。

私が20歳の頃、初めてインドを訪れた時も「バラナシ」を訪れました。インド一最悪でインド一最高な場所。それがバラナシです。言い換えると、世界一最悪で世界一最高な場所がバラナシなのです。歴史的建造物があるわけでもなく、豊かな自然があるわけでもなく、単にガンジス河があるだけの他愛のない街なんですが、その「意味」を求めて世界中から集まります。

ガンガーは濁っています。まるでチャイの色です。初めて訪れた時、安宿のテラスから雨季で増水したガンガーを眺めていたら、なにやらぷかぷか流れてくるものがあります。犬の死骸です。そしてピョンピョン跳ねているものも見えます。河イルカと呼ばれる動物(?)です。うわ~と思いながら、眺め続けていると、何だか得体の知れないものが流れてきました。そう、がに股の男の死体だったのです。そんな河ですが、現地の子どもたちはダイビングして遊んでいます。死体が建物に向かって流れてきました。そして死体が建物の柱に引っかかってストップします。どうなるかと見ていたら、ダイビングしている子どもたちが何気なく素手で死体を柱から離し、死体は再び流れていきました。

そんなとんでもない河ですが、その「浄化能力」は科学的に証明されていると聞きます。真水で24時間生き延びたコレラ菌がガンガーの水だと3時間しか生きることができなかったのです。コレラも耐えられないガンガーの恐ろしさ(汚さ)、、と言う人もいますが(笑)、何はともあれ不思議な河であることは間違いないようです。

水は何でも知っている、、、と言いますが、人々のガンガーに求める聖なる想いが、ガンガーをますます聖なる河へと深めているのでしょう。今も多分、ガンガーには、がに股の死体がくるくる回りながら流れていることでしょう。


 「紙との対話」はまた後日。。ではでは。


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by katamich | 2007-10-06 07:59 | ■インド
 ぁ~今日もやってしまいました。一度、3時半に目が覚めたのですが、身体が動かんな~とか思っていたら、次に目が覚めたのが6時。日の出の時刻を過ぎてしまいました。今回の行では2度目の日の出遅刻です。なんと言うか、、、悪魔の囁きみたいなのが聞こえるんですよね。「今日は午前中の用事がなくなったから、もう少し寝ててもいいよ・・・」、なんてのが。一方で、「日の出とともに起きるんでしょ!さっさと起きなさい!」、とも聞こえるんです。これは天使の声ですよね。今日は悪魔君に負けちゃいました。まだまだ修行が足りぬようです。

 6時過ぎに家を出ると、既に結構、暑いです。私はもともと靴があまり好きでないので、今日はスニーカーではなくビーチサンダルで家を出ました。大地を踏みしめる感覚が心地いいです。しかし、慣れない部位に力が入っていたのか、すぐに足が筋肉痛みたいになります。これまた、明日は起きるのが辛いぞ~とか思ったのですが、これも修行修行。滝場まで2時間弱歩いたら、足の親指の付け根の部分が皮むけてました。これはよくある現象です。ミャンマーを旅行した時、ずっとビーサンだったのですが、親指の付け根がむけたので、人差し指と中指の付け根に鼻緒を挟むようにして履き直したりしました。でもそのうち、むけたところに強い皮が戻るので、そうなると後はOKです。足の皮を太くするのも修行です、、なんてね。

 靴が好きでないと言いましたが、それは昔からそうですね。小学生の時もビーサン大好きでしたし、アジアを旅行する時も、ほとんどスニーカーを履いたことがありません。大学生の頃、インドでずっとビーサンだったので、大学にも普通にビーサンで行ってました。それはまだいいのですが、ある日、完全に裸足で大学構内をうろついていたら、周囲から変な目で見られました、、と思います。すぐに大学事務の人から「靴を履きなさい」と言われたので、裸足生活は一日で終わりましたが、その後はまたビーサンです。今は雪駄が多くなっていますが。。。

 ところで、今日、なぜかインドの本を読んでいました。私は今まで3回インドに行ってます。3度目は2005年の5月です。これは奇しくも21日間だったので、完全に「修行の旅」でした。この時の話ですね。2回目のインドは1997年の8ヶ月かけての世界一周の時です。で、最初のインドですが、それは大学2年。20歳くらいの時だったと思います。私が初めて海外に出たのは、大学一年の夏、韓国でした。ちょうど釜山の大学生と交流する学外サークルに入っていたので、それで訪れたのが初です。その時は直接集まりに行くのではなく、3日前に釜山に入って、今考えると無鉄砲にも、一人でソウル行きの電車に乗り込みました。確か、地球の歩き方だけ持っていたと思います。車内で早速「歩き方」を見ていると、隣の女性から声をかけられました。日本語が堪能な25~6くらいのきれいな女性です。ちょうどソウルの友達の家に行くので、よかったら一緒に行かないか、という誘いでした。今ならボラれることを思ってしまうのでしょうが、その時は非常に純粋だったので、喜んで着いて行きました。ただ、鼻の下を伸ばす以前に緊張してたので、何かを期待するということもありませんでした。今なら期待するかも。結局、その日は焼肉などを奢ってもらって、友達の家に泊めてもらって、翌日、再び一緒に釜山に帰りました。そこでその女性のボーイフレンドとまた食事。結局、ひたすら親切にされただけで、お別れしました。その後、一度手紙を書いたのですが、届かず戻ってきました。

 そんな初海外旅行だったので、その後、病み付きになるのは致し方なしですね。で、その後の釜山大学の学生との交流も大盛り上がり。翌年もその交流会に参加するのですが、大阪の友達と一緒に参加して、その後、インドに行くことを計画していました。今考えると変な話ですが、とりあえずインドビザだけ取ってて、後はその時のノリでインドに行こうなどと言ってました。で、結局、釜山での交流が楽しかったので、その勢いでインドにも行くことになりました。交流会後、4人でソウルに行き、旅行代理店でチケットを買います。今考えるととても勿体無いです。日本で手配すると、どんなに高くても往復10万円前後なんですが、ソウルで片道を買ったら7万円でした。で、帰りもカルカッタから福岡までの片道が7万円でした。今考えるとありあえないチケットの買い方ですね。

 チケットを手にした4人はもうテンション最高潮です。「テウォン旅館」という安宿に泊って夜中までいろんな旅人と語り合います。そして翌日、ついにインド行きです。バンコクに一泊するのですが、ノーマルに近いチケットだったので、ホテル付き。贅沢なディナーを4人で楽しみ、そこでもテンション最高潮。いや~楽しかったですね。インドや~!見たいな感じで。そして翌日、バンコクからカルカッタに飛びます。その時、4人が4人とも飛行機初体験。離陸の瞬間、4人で小さく万歳ですよ。

 その時の4人というのは、全員、河合塾という予備校出身。男女2名ずつの4人です。私はその男とは前から知ってたのですが、女の子のほうは、一人は前年の釜山交流会で知り合ったけど、もう一人の女の子は初対面。よく一緒にインドなんかに行く気になるよな~と思うのですが、その女の子の親の考え方はとっても共感を覚えます。娘に旅をさせてあげたい。インドなど素晴らしい。でも女だけでインドに行かせるのは心配なので、男が二人も同行するのならOKだ、という考え方です。言うまでもありませんが、別におかしなことにはなっていません。インドという非日常な空間で、4人とも下痢の話ばかりするのに、そんな気になりようもありません。ただ、女の子の一人が割りと英語に堪能だったため、助けてもらったのは男の方だったりするのですが。。。

 テンション最高潮でカルカッタの空港に着いたのですが、ソウルやバンコクとはうって変わったみすぼらしい空港です。国際空港とは思えません。田舎のバスターミナル並です。突然、手のない乞食みたいな男が現れてタクシーまでエスコートします。我々一行は無視です。外に出ると土砂降り。誰も傘をさしてないどころか、靴を履いてる人もあまりいません。何とか公共タクシー乗り場に行って、4人で乗り込みます。サダルストリートまで74ルピー。タクシーが出る間際まで、手のない男がチップを求めて、車の中に身体を挟もうとします。で、出発。出発すると今度は運転手が「一人74ルピー」などと言って、ボロうとします。聞こえてないふりします。外を見ると、大雨で道路が洪水。裸の子どもが手を振ってます。4人は「ええ感じやな~」とか言ってるのですが、明らかにテンションが下がっています。

 サダルストリートに着いたら雨が止んでいました。お目当てのパラゴンホテルに向かうのですが、ツインルームは満室。変なインド人オヤジがニヤニヤしてる小さなドミトリーだけあいてたのですが、さすがにそこは遠慮します。外に出るとすぐに客引きに捕まって、とにかく宿に入ろうということで、着いて行きました。そのホテルは安宿の中では中流かも。ソウルのパッカーからのアドバイスを聞いて、前払いするとすぐにレシートをもらいました。それがこの写真です。おお~若い、おれ!髪がある!
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 何となくきれいには見えるのですが、実際にはそうでもないです。特に部屋とベッドは、これまでの人生を覆すようなものでした。もっとも、その後の長旅の中ではもっとえげつないホテルに何度も泊っていますが。何よりも周りのインド人が怪しげですよね。腹が減ったので外に出ました。すると乞食に囲まれ、大勢の乞食にずっと付きまとわれます。道端を見ると、麻袋に入った人間が3人(3体)、亀のように顔を出しています。手足がなく達磨のような人間が亀のようにこちらを向いています。親分みたいなのが金を出せと手招きします。その瞬間、食欲がなくなり、すぐにホテルに帰ります。女の子の一人がついに言いました。「私ら、えらいとこ来たんちゃう・・」、と。

 ひたすら強がっていた4人は再び意気投合。さすがに帰ろうとは言わないものの、インドに対する不安を口々に言い合います。でも、ブッダガヤーとバラナシには行きたいものです。結局、カルカッタには2泊して、ブッダガヤーに向かいます。カルカッタは欲むき出しの街だったので、田舎に行って心を癒したい気分でした。カルカッタの駅でカレーを食べたのですが、なぜかそこではいいサービスしてもらい、とりあえずホッとしたのです。ちなみに下の写真はサダルストリートのハガキやサトシの店です。
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 列車は夕方に出ます。2等寝台に乗るのですが、周囲はインド人ばかりで、じろじろ見られます。こういうとき、女の子としては、我々がいたことが心強かったようです。4人で昔流行った話とか、バカ話をして、気を紛らわせます。うとうとするのですが、熟睡はできません。突然、「チャイ!」という声で起こされます。その大声に4人はまた笑い出します。「みんな寝てるのに、夜中に何大声だしてんねん!」、とか言いながら。

 15時間ほど列車に揺られて、ブッダガヤーに到着。男女ペアでサイクルリクシャーに乗って、中心地まで行きます。期待通り何もないのどかな街でした(しかし、その2005年に訪れた時は随分変わっていました)。スリランカ寺に宿を取り、外に出ます。雨季だったので、川の水かさも多いです。ヤケクソになって服のまま川に入ります。途中で島に辿り着いたので、私はそこで徐に全裸になりました。女の子は別の島にいます。うお~とか全裸で叫ぶと、インド人が向こうで指差してます。私の方からはあまり見えないのですが、視力のよいインド人はきっと私のチ○コもよく見えたのでしょうね。ブッダガヤーは落ち着けました。
 
 その後はバラナシに行きます。また2等に乗るのですが、着いたのは夜、暗くなってです。「クミコハウス」を目指していくのですが、みんな水没したとかウソをつきます。結局、怪しいインド人に連れられて「クミコハウス」に着くのですが、なぜか宿の主人シャンティーに門前払いを食らわされます。理由はタゴールをしらなかったから。我々も逆ギレして、「クミコハウスがなんぼのもんやねん!」と捨て台詞を吐いて、近くの宿に取り合えずチェックインします。翌日は私の常宿となる「ヴィシュヌレストハウス」に無事チェックインしました。3回インドに行ってますが、3回ともここに泊っています。テラスからガンジス川が見えるので、とてもいいロケーションです。
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 ヴィシュヌではいろんな旅人といい出会いもあり、とても楽しかったです。でも、バラナシの飯は劇マズでしたので、果物ばかり食べていました。2回目にバラナシに行った時は、結構、旅行者向けの店もできていてそれはそれでよかったのですが、何だか寂しくもあったものです。バラナシではまず、男が先に帰ります。女の子2人はデリーに向かいます。私は再びカルカッタに戻り、帰国となります。ちょうどビシュヌにカルカッタに戻る日本人旅行者がいたので、同行します。インド哲学を専攻している同じ年の男でした。(写真は先に帰った男ですが)
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 で、私の初のインド旅行が終わるわけですが、正直、2度と行くもんかと思いました。結局、4人のうち2人が赤痢になり、隔離病棟に収容です。私も保健所から呼ばれたのですが、「擬似赤痢」ということでギリギリセーフ。実はかなりやばかったのです。日本に帰っても下痢は止まらないし、症状がまさしく赤痢だったのですから。一応、赤痢菌は入ってはいたものの、感染は免れたので、隔離されずということです。検査結果が出るまでドキドキでしたね。

 インドに行くと2通りに分かれると言われます。大好きになる人間と大嫌いになる人間と。間違ってはいないのですが、もっと正確に言うと、最初は1割が好きになり、9割が嫌いになります。でも嫌いになった9割りのうち半分はもう一度行ってみたいと思うようになります。そのまた半分以下が本当に行ってしまいます。でも、本当に行った人は、大体が好きになって帰ります。私もその一人ですから。

 そんなわけで、私の初のインド旅行について、述懐してみました。人生の中で、インドにはまだ何度かは行くと思います。やっぱインド好きですね、私は。



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by katamich | 2007-06-29 21:59 | ■インド
 さて、「インドの占い師」について書きます。彼の名は、パラウエズ・ハサンと言います。普段は仏陀が入滅した地、クシーナガルに住んでおり、本職は仏具や宝石の取引業のようです。占いは手相が主ですが、人相や印象など総合的に見ることが出来るようです。そして仕事としては占いをしていません。もちろん私もただで占ってもらいましたが、土地では有名な占い師のようで、彼が姿を現すと行列が出来るほどのようです。

 何度も言いますが、私が彼と出会ったのはまさに「偶然=意図せざる結果」としか言いようがなく、それゆえに「必然=運命」としか思えないところがあります。最初に彼と会ったのは、マハボディー寺院の前の道で、日は落ちてすっかり暗くなっていた時間です。現地で知り合ったインド人、アショカがたまたま彼を見つけて、紹介してもらったのです。

 会って、開口一番、こんなことを言われました。

ハサン:「あなたはお坊さんですか?」
(彼は英語、日本語のみならず数ヶ国語をマスターしているようです)
私:「え?!、いいえ。でも、お坊さんの真似事のようなことはやっています。」
ハサン:「では、真剣にやってください。あなたは、40歳までに『ほんもののお坊さん』になります。」
私:「え?!、何でそんなことが言えるんですか?」
ハサン:「私は主に手相で占いますが、その人の人相や印象だけである程度のことはわかります。今は暗いので手相は見れませんが。」
私:「『ほんもののお坊さん』、って何ですか?」
ハサン:「お寺を持って、葬式などでお経をあげたりするだけがお坊さんではありません。お寺で生まれたとか、仏教の学校に行っただけで、『ほんもののお坊さん』にはなれません。『ほんもののお坊さん』とは、正しいことをきちんと見ることが出来、自分を含めて全ての人を正しい道に導くことができる人のことを言います。あなたにはわかっているはずです。あなたは40歳までに『ほんもののお坊さん』になります。」


 とつぜん、「あなたはお坊さんですか?」にはびっくりしました。確かに数珠をぶら下げていたので、そう思われるかもしれませんが、そのあとの『ほんもののお坊さん』にはさらにびっくりしました。そしてこんなことまで言いました。

ハサン:「あなたは先生について修行をしていますね。その先生はブッダガヤーに来たことがないと思いますが、来る運命にあります。身体が丈夫でないようなので、冬にグループで来ることになると思います。私はあなたの先生に会ってみたいです。」

 先生(導師)について修行をしているのは事実です。滝行のことですね。私は導師のことは何も言ってないのに、ここまで言えるとは、本当に驚きです。他にもいろいろ言われました。

ハサン:「あなたは両親と一緒に暮らしていないようですがなぜですか?」
私:「なぜと言われても。仕事などで自然とそうなっているだけです。」
ハサン:「でもあなたの両親はあなたのことを頼りにしています。あなたは3人兄弟の二番目のようですが、最終的に両親の面倒を見るのはあなたです。」


 3人兄弟の2番目は客観的な事実です。言ってないのになぜわかるのか、と聞くと「わかるからわかるのです」だって。最終的に面倒を見るかどうかはわかりませんが、頼りにしているのは本当かもしれません。3兄弟の中では私が一番、親とコミュニケーションをとっているでしょうし。

ハサン:「あなたは今までの人生で苦労してきていますね。特に仕事面で。」
私:「順調とは言えなくとも、さほど苦労してきたようには思えませんが。」
ハサン:「それはあなたのエネルギーが高いからです。不運な状況にあってもそれを押さえつけることができるのです。でも、決して恵まれた人生ではなかったはずです。」


 苦労してきたかどうかはわかりません。しかし、確かに仕事面では決して恵まれた環境ではありませんでした。社会人になったのも遅かったし、入った会社でもよい待遇を受けていませんでした。そもそも恵まれていたら、今のこの時期にインドなんかにはいませんよね(笑)。

私:「では、これからの人生はどうなりますか?」
ハサン:「それは手相を見なければわかりません。」


 そうやって、占いは翌日に持ち越されました。翌日の午前、同じ場所に行くとハサン氏はいました。

ハサン:「ドキドキしていますか。手相のことばかり考えていたでしょう。そんなに心配することないですよ。」
私:「よろしくお願いします。」
(手相を見る)
ハサン:「最初に言うべきは、あなたは頑張らないといけません。つまり、今まで以上に物事に真剣に取り組まなければなりません。それは簡単ではありません。でも、決して難しくもありません。」
私:「・・・そうですか。」
ハサン:「でも、あなたにはよい運命が待っています。あなたはあまりお金を使いませんね。無駄使いをせずに必要なことだけにお金を使うというタイプです。でも、あなたはこれからの人生で人並み以上の財を得ることになります。少なくとも、家の一軒を建てるくらいには。あなたは頭の良い人ですし、物事に真剣にさえ取り組めば何でも出来る人です。自分に自信を持って頑張ってください。大丈夫です。」


 とても嬉しいことを言ってくれます。確かに私は今まで物事に真剣に取り組んだことがないかもしれません。どこか客観的でさめたところがあります(人はそう思わないかもしれないけど)。頑張ればできる。当たり前のことかもしれませんが、運命によっては頑張らなくてもできる、頑張ってもできない人もいるかもしれません。そういう意味では、私は恵まれているのでしょう。そして「結婚」についても言われました。

ハサン:「あなたはまだ結婚していませんよね。でも、5~6年前に結婚する流れがありました。その相手に心当たりがあるはずです。しかし、その人と結婚する縁はなくなりました。今は次の運命が待っています。普通の人と比べて時間はかかるでしょうが、必ず結婚します。」
 
 5~6年前に結婚する流れがあった。確かに言われてみれば、直感的に感じていた相手がいたかもしれません。しかし、いつの間にかその流れがなくなっていたのも感じていました。今はきちんとした流れがあるのも感じています。そして、「お坊さん」の話を再度聞きました。

ハサン:「昨日も言ったとおり、あなたは40歳までに『ほんもののお坊さん』になります。手相でもそう出ています。あなたはお坊さんの格好をしたり、仕事でお坊さんをするのではなく、他に仕事を持ちながら『ほんもののお坊さん』になります。最終的に袈裟を着たりお寺を持ったりする可能性はありますが、それはわかりません。でも『ほんもののお坊さん』になる運命にあります。これからもよき先生のもとで修行をしてください。より真剣に。そして、インドの仏跡を全て巡ることも必要です。それは結婚すると行きにくくなるので、早めに行っておいた方が良いでしょう。おそらく来年にでも、またインドに来ることになるでしょう。」

 手相でも「ほんもののお坊さん」と出ているらしいです。私はよほど「お坊さん」に縁があるようです。私が「前世お坊さん」などを意識するずっと前に、2歳の男の子からいきなり「おぼうさん~」と言われたのも、幼い故に本当に見えていたのかも。それにしても来年もインド~。行きそうな自分が怖い(笑)。仏跡って数えるとそんなに多くないんですよね。それも北インドに集中しているし。いわゆる4大仏跡と言われているのが、仏陀生誕の地ルンビニー、仏陀が覚って文字通りブッダ(覚った人)となったブッダガヤー、仏陀が初めて説法をしたサルナート、そして仏陀入滅のクシーナガル。他にも祇園精舎や沙羅双樹など全部で8~10箇所だそうです。これなら十分に可能です。本当に行くのかな~。

 「運命」について質問しました。

私:「そもそも、『運命』って何ですか。それは生まれたときから決まっているのですか。変えられないのですか。」
ハサン:「『運命』とは人に与えられた使命や役割のことです。生まれたときから決まっています。運命は変わることもありますが、それも運命です。」
私:「運命が決まっているのなら、何もしなくて良いことにはなりませんか。」
ハサン:「運命に従って一生懸命生きること自体が人の使命、役割です。何もしないわけにはいきません。あなたは『運命』を信じていますか?」
私:「運命は信じているつもりです。」
ハサン:「宗教や神についてはどうですか。」
私:「いわゆる宗教団体というものはあまり信じていません。私が信じているのは『宇宙』そのものです。人はそれを『神』と言うのかもしれませんが。」
ハサン:「宇宙、それはブラフマンのことですね。やはりあなたは正しい認識をしている。仏陀は常に『宇宙』のことを考え、『宇宙』に従った人のあり方を探求していました。そして仏陀(覚った人)となったのです。あなたは一生涯、仏陀を最高の先生とすると良いでしょう。」
私:「・・・・」
ハサン:「それから、あなたはすぐに結果を欲しがるタイプです。これだけ一生懸命やっているのだから、すぐに結果が出るものと思っている。結果は必ず出るので、あせらずに正しい信仰をしていて下さい。また、小さな心配事をする癖もある。一人ぼっちと思う癖もある。それらの想いを捨てて、正しい信仰をしていて下さい。『ほんもののお坊さん』になるには、まず自分がその力をつけ、それから人を助けることになります。」

私:「昨日、運命の石の話をしていましたが。」
ハサン:「手相を見ると、今の段階での運命の石は『ゴールデントパーズ』です。『アメジスト』も良いようですが、今は『ゴールデントパーズ』を身につけていると良いでしょう。」
私:「『アメジスト』は私の誕生石ですね。『ゴールデントパーズ』を見せてください。」
(原石と削った石を見せてもらう)
ハサン:「手にとって見て下さい。何かパワーを感じますか。」
私:「・・・・」
ハサン:「ここに5つの『ゴールデントパーズ』がありますが、ひとつ選んでください。」
私:「これですね(一番大きな石を取る)。いや、違います。切り口の広いこちらの石の方が好みです。」
ハサン:「手相に出ているとおりです。やはりあなたはきちんとしたものを見分ける力がありますね。」
私:「先ほどの『運命』の話に戻りますが、石を持っているとどうなるのですか。『運命』が決まっているのなら石を身につける必要もないんじゃないですか。」
ハサン:「確かに石で『運命』が変わるわけでもなく、石がなくても『運命』の導くとおりに進みます。しかし、石の力とはこういうことです。あなたが家を出て、ある目的地に行くとします。そこで雨が降っていたらどうしますか。ずぶぬれで行きますか。傘をさすでしょう。石の力は傘のようなものです。ずぶねれでも目的地に着くかもしれませんが、傘を差したらスムーズに行けるでしょう。石の力があなたの『運命』の手助けをするのです。インドの上流階級の人たちは皆、石の力を信じており、自分にあった石を指輪やペンダントにして身につけています。そして、事業に成功したり、人生をよりよく送っています。インドの上流社会では石の力は今では常識になっています。」
私:「私にあったゴールデントパーズはおいくらですか?」
ハサン:「あなたは指輪よりもペンダントの方がよさそうですね。加工も含めて110ドルです。」
私:「高くないですか。もっと値引きできませんか。」
ハサン:「日本なら5万円は取るところです。決して高いとは思いません。110ドルは正当な値段です。それ以上吹っかけることも出来ますが、私は正当な値段で仕事がしたいのです。」
私:「わかりました。頂いて帰ります。」


 見事な商売上手ですね(笑)。確かに110ドル(約12000円)は決して安くありません。しかし、日本でちょっと気合入れて飲むと10000万円以上することを考えると、さほど高くないとも思います。また、親から大目に送金してもらっていたおかげで、すぐに買える値段です。そもそも、ここまできて買って帰らなかったら、日本に帰ってものすごく後悔するでしょうね。この買い物は正解だと思います。ハサン氏が続けます。

ハサン:「この石はあなたにとっては100万円のダイヤよりも価値のあるものです。あなたは市場価値や値段よりも自分自身の価値を重視する人です。ペンダントは日曜日の夜、シャワーを浴びて身を清めてから身に着けると良いでしょう。それ以降はきちんと身に着けていてください。」

 とりあえずそうします。ハサン氏はなんと初日の事件についても言及し始めました。

ハサン:「あなたは最近大きな事故にあいましたね。手相に出ています。」
私:「大きな事故、、、心当たりありません。強いて言うならこの旅の初日に、インド人から殴られて軽い怪我を負ったことぐらいでしょうか。考えてみると、私は人から殴られた経験がほとんどありません。」
ハサン:「それかもしれませんね。あなたはその事件について、深く考えたでしょう。」
私:「はい。その意味について深く考えました。」
ハサン:「やはりそれでしょうね。その事件を通してあなたは大きく成長しました。その程度の怪我で済んでいるのは、あなたのエネルギーが高いからです。あなたは本当に高いエネルギーを発していますよ。」
私:「ありがとうございます。これから先の人生で大きな事故にあうことはありますか。」
ハサン:「ありません。今回の事件が全てを吸収しました。あなたは本当に運がいい。」


 ハサン氏が言うように、事件の後、ラダックに行き、一週間、深く考えました。この事件が今回の旅、そして私の人生においてどういう意味を持つのか。ハサン氏は成長のきっかけであり、さらに、今後起こりうる災いを吸収した、と言いました。やはり初日の事件は意味のない不運な事故ではなかったのです。感謝してよかったのです。さらにハサン氏が続けます。

ハサン:「あなたが今回インドに来た経験は人生において素晴らしい意味を持ちます。インドで大きなエネルギーを吸収して日本に帰ります。今はわからないでしょうが、日本に帰ってから徐々にわかるようになると思います。あなたは本当に良い運命に恵まれています。とにかく何事も真剣に頑張れば、必ず良い結果がでます。あなたとはまたお会いできそうです。その時は是非、あなたの先生も一緒に来てください。私はあなたの先生と会って話しをしてみたいのです。」

 う~ん、何から何まで大げさなほどに良いことを言ってくれます。本当か嘘かは別として、そう言われただけでもインドに行ったかいがあります。今はまだエネルギーを吸収した実感はありませんが、いろんなことがありながらも本当に「行って良かった」と大満足しています。インドは私の人生における新たなステージへの導きだったのでしょう。これからもますますハッスルして頑張るぞー!!


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by katamich | 2005-06-02 23:55 | ■インド
 今回のインド旅行のクライマックスは何と言っても、ブッダガヤーでの「運命の占い師」に会ったことでしょう。占い師の言った内容については、後ほど詳しく書きますが、彼に会うには様々な「偶然の一致」が必要となってきます。最初から会うつもりで行ったのではないので、本当に偶然が重なったのです。しかし、言うまでもなく「偶然の一致」とは「必然」の意味を持ちます。

 彼に会うために起こった「偶然の一致」≒「意図ざる結果」を羅列すると以下のようになります。

①初日に殴られて4万円をむしりとられなかったら
→予定通りバラナシからネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった

②送金のためのロスタイムがなかったら
→やはり予定通りネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった

③デリーからブッダガヤーまでの直接列車が取れていたら(実際は仏陀の誕生日に重なり予約がフル)
→バラナシより先にブッダガヤーに行き、占い師が来る前にブッダガヤーを去っていた(占い師が来たのは27日以降)

④ブッダガヤーであったアショカに最後まで不審の念を抱いたままだったら
→当然、占い師と会うチャンスもなかった(アショカが占い師と知り合いだったことも偶然)

⑤普段はクシーナガルに住んでいる占い師が27日以降仕事でブッダガヤーに来ていなければ
→当然、私とは会えなかった

⑥初日に4万円取られてなかったら
→「運命の石(110ドル)」は買えなかった
(結果的に親からの5万円送金があったから買えた。帰国時の所持金は80ドルだったので。)

 とまあ、このように「本当はこうしたかった」と思う(意図する)ことが外れたおかげで、占い師とも会うことができたのです。「運命」とは本人の意図せざるラインで流れており、やはり全てが「必然・ベスト」であることは間違いなさそうです。特に私の場合、殴られて金を取られたことも、送金が必要になったことも、デリーから直接ブッダガヤーにいけなかったことも、すべて意図せざることでありながら、すべて、何かの「前兆」であると考え、「感謝」していたのがよかったと思います。

 本来なら予定通り進むことがよく、また、殴られたり、金を取られたりなどはあってはならないことです。であるにも関わらず、命や健康、思い出(日記・写真等)など本当に大切なものはなくならず、「お金」のような取り返しのきくものですみ、また、命や身体にまったく別状がなかったのは、本当に「ツイてる」としか言いようがなく、「感謝」する以外に出てくる思いがありません。

 何が起こっても必然・ベスト。普段から考えていることが、短期間のうちに本当に実証され、これからの人生においても大きな自信がついたこと自体、今回の旅の成果であったと思っています。

 やはり、私は本当にツイてるようです(笑)
by katamich | 2005-06-02 01:06 | ■インド
 今回のインド旅行記のダイジェスト版をお送りします。今回の旅のテーマは何になるのでしょうか。「北インド修行旅行」とでもなるのでかな(笑)。それではどうぞ。

【1日目(5月11日)】
 夜の10時頃、首都デリーに到着。中心地までバスで向かい、降りて数分後に暴漢から突然殴られる。メガネを破損。逃げるようにタクシーに乗り込む。幸い大きな怪我は無し。お決まりのように悪徳旅行会社に連れて行かれ、巧妙な(ずる賢い)手口で4万円をむしりとられる。度入りのサングラスを持っていたことが不幸中の幸い。
(旅の連れ合い-実家でのバックパック)
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【2日目(12日)】
 悪徳旅行会社から80ドルで空港まで送ってもらい(半ば脅されて)、早朝のフライトでラダック(レー)へ。所持金は2100ルピー(約5000円)。一晩150ルピーの安宿にチェックインして、長くて辛い1日がようやく終わる。1日寝る。ラダックは日中でも気温が10度以下で寒い。
(レー空港)
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【3日目(13日)】
 チェモゴンパ(お寺)に登り、空を見ていると、「般若心経を5日間で1000巻あげなさい」という啓示を受ける。3時間以上かけて200巻あげる。「雲消しの極意」を体得する。軽い高山病で頭痛と微熱。
(チェモゴンパからの眺め-ここで読経)
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【4日目(14日)】
 レー近郊の観光スポット(お寺など)にローカルバスで行く。ティクセゴンパという由緒あるお寺に行くと、お坊さんから優しくされる。他の外国人には拝観料を取っているのに、私からは取らず。お坊さんとは、すれ違う度に「ジュレー(ラダック後でこんにちは)」と挨拶される。般若心経は100巻。
(ティクセゴンパ)
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【5日目(15日)】
 チェモゴンパで般若心経300巻。5時間以上かかる。終わると声がつぶれていた。
(レーで泊まってたオールドラダックゲストハウス-正面が私の部屋)
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【6日目(16日)】
 スピトクゴンパを拝観。般若心経200巻。高山病はほとんどなくなる。
(スピトクゴンパのお坊さん)
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【7日目(17日)】
 チェモゴンパ。現地の女性グループからお茶に誘われる。その後、般若心経残り200巻に挑む。820巻目辺りから、急に涙が出てきて、30巻は完全に涙声で読経。「感謝」の2文字が頭に浮かぶ。あとは順調に1000巻達成。ちょっとした達成感で満足。読経中はチェモゴンパのお坊さんがずっと私の方を見ていた。
(お茶に誘われた女性グループ)
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【8日目(18日)】
 早朝のフライトでデリーに戻る。ラダックと違って暑い。すぐに日本大使館に行き、初日の事故の報告。所持金のない私は、N書記官から好意で2000ルピーを借りる。夕方、デリーの安宿にチェックインして、日本の親に送金の依頼の電話。
(宿で知り合ったイギリス人-彼らの楽器と私のホーミーでセッション)
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【9日目(19日)】
 起きると身体が真っ白。一晩中汗をかいて、それが扇風機で乾かされて結晶化したもの。送金待ちのため、オールドデリーを観光。気温は40度を軽く超えていた。頭の皮か完全にずるムケ状態。
(オールドデリーのラールキラー)
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【10日目(20日)】
 午前一番で東京三菱銀行ニューデリー支店へ。親からの送金5万円が無事到着。日本大使館にお金を返しに行き、帰りに電車のチケットの予約。ブッダガヤーに行くつもりが、仏陀の祭日のため電車が満員。バラナシに変更。夕方、宿をチェックアウトしてバラナシ行きの夜行に乗る。初めてエアコンクラスに乗る。インドの上流階級のクラス。
(列車内の機内食)
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【11日目(21日)】
 朝方バラナシ到着。暑さや疲れのため、体調が悪くなり、半日宿で横になる。バラナシは8年ぶり3度目。今回もヴィシュヌレストハウスに泊まる。
(ヴィシュヌレストハウスのテラスとガンジス川)
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【12日目(22日)】
 仏陀が覚った後、初めて説法を行ったサルナートを観光(バラナシから日帰り)。
(サルナートのストゥーパ(仏塔))
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【13日目(23日)】
 宿で初めて日本人と日本語で話す。
(ガンジス川と戯れる人々)
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(ガンジス川の日の出)
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【14日目(24日)】
 昼の列車でバラナシからブッダガヤーへ。中心地のマハボディー寺院で今回お世話になるアショカと知り合う。アショカは日本語がペラペラで一見胡散臭い。
(仏陀が悟りを開いた菩提樹と私)
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【15日目(25日)】
 ブッダガヤーを一人で一日観光。アショカと再開するが胡散臭そうなので極力無視する。でも、暇なのもあり、翌日、バイクで近郊に行く約束をする。ガソリン代だけでよいというが、疑いは抜けず。アショカ曰く、「私はお金のことは考えいない、心のことを考えている」、と。知ったような台詞だと馬鹿にするがとりあえず、翌日お願いすることに。
(ブッダガヤーの市場)
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【16日目(26日)】
 暑くならない早朝にアショカと待ち合わせ。彼のバイクのケツに乗り、仏陀が行をしていた山に行く。ミャンマー人の一行と出会う。午後に戻り、アショカの友達のたまり場に招待され、昼寝をしてクサを吸う。昼食はアショカに家でご馳走になる。夜はアショカの友達とポークカレーを作り、夕日を見ながら、カレー、ココナツビール、クサを楽しむ(全部で6人)。会話の内容はシモネタばかり。
(仏陀が断食行をしていた洞窟と仏像)
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(ポークカレーを楽しむ仲間たち)
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【17日目(27日)】
 自転車でアショカとその友達とスジャータの村に行く。昨晩、蚊に悩まされほとんど眠れず、寝不足で疲れているので、早めにホテルに戻る。夜、アショカと一緒にマハボディ寺院に行くと、「占い師」と出会い、インスピレーションだけで私の運命を見てもらう。客観的な属性などが全て当たっていてたまげる(家族構成など)。
(ココナツビールを飲む-左がアショカ)
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【18日目(28日)】
 午前、占い師と会い、手相によってきちんと運勢を占ってもらう。この人と会うために今回のたびがあったのだと確信する。運命の石(ゴールデントパーズ)を授かる(買う)。夜、夜行でデリーに戻る。アショカから仏教のCDをプレゼントしてもらう。結局、アショカは完全に善意で私と接していたのだ。私からは何も取らず、ただ私に与えるのみ。「心のことを考えている」は言葉だけでなかった。完全に疑っていた自分を反省する。
(占い師と私-占い師はもちろん左-右も怪しいって?)
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【19日目(29日)】
 午前、デリーに到着。宿で「アルケミスト」という小説を何回も読む。読めば読むほど感動する。
(毎朝飲んだラッシー屋)
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【20日目(30日)】
 旅を回想する。夜、いつもの安飯屋に行くと、マスターから「ビールがあるよ」と耳打ちされる。インドでは大っぴらに飲めないため、水差しに入れ替えて、ビールを飲む。何だか今回の旅(行)のご褒美のような気がして、感謝していただく。
(インドのマクドナルドのベジタリアンメニュー)
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【21日目(31日)】
 正午に宿をチェックアウト。ちょっと贅沢なレストランで昼食。インドでは出した費用と質(満足度)が完全に比例している。午後6時のバスで空港に向かい、チェックイン。11時15分の帰国便に乗る。
(ちょっと贅沢なレストラン)
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by katamich | 2005-06-01 22:47 | ■インド
 本日、6月1日の午後1時頃、無事に帰国いたしました。旅先から何度かBBSに書き込みしていたように、今回の旅はかなり密度の濃いものでした。21日間という数字も意味深なもので、まるで「おとぎ話」のような旅になりました。

 何人かの皆様からはメールをいただいたり、BBSに書き込みいただいたり、ありがとうございました。暇な旅先でかなり励みになりました(笑)。鉄の熱いうちにぼちぼちレポートをしたいと思います。

 何はともあれ無事でよかったです。。。気にかけてくださった皆様には厚く感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 ランキングの方もこれからもよろしくお願いいたします(笑)
by katamich | 2005-06-01 21:55 | ■インド
 インド行き出発です!!

 5月11日:14時大阪発  → 同日  :21時デリー着
 5月31日:23時デリー着 → 6月1日:12時大阪着

のスケジュールです。これ以外はまったく未定の旅です。「わくわく」してきました。

 旅先でもネットカフェでちょくちょく更新するかもしれません(不定期で)。
 
そして、旅中の私の連絡先は、

 india_ishida@hotmail.co.jp

ですので、緊急の連絡、応援メールなどこちらにお受けします。 

 では行って参ります!!
by katamich | 2005-05-11 08:59 | ■インド
 昨日歩きすぎたためか、今日は全身が筋肉痛。旅先ではもっと歩きまくるだろうか、いいウォーミングアップになりました。今日はいい休息になったものです。今日一日の動きとしては、昼に寝袋を買いに出かけ、散髪にも行きました。3週間ほど暑い国に行くので、いつもよりもかなり短く切り、見た目は完全に「お坊さん」です。向こうに行ったら手を合わせられたりして。。。

 今は大阪の実家なんですが、実家から旅に出るのは実は3回目です。つまり関西空港を利用することなんですが、最初は1997年の「8ヶ月間世界一周」で二回目が1999年の「愛蘭自転車一周」です。二回目のは帰りは福岡着だったので、往復関空利用は実に1997年以来のことです。今は2005年。あれから実に8年も経っているのです。早いものです。さらに初めてインドに行ったのは、1994年なので11年も経っているのです。

 二回のインド行きのそれぞれの訪問場所はこうです。
<一回目:1994年>
カルカッタ→ブッダガヤー→バラナシ→カルカッタ
<二回目:1997年>
(パキスタン)→アムリトサル→デリー→アグラ→バラナシ→(ネパール)

 一回目は学生の頃で、エピソードは同行した友達が赤痢になったり、あと、このプロフィールがまさにその旅によるものでした。この時は、インドという国に完全にやられてしまい、「二度と行くもんか!!」とさえ思ったのでした。

 しかし、3年後の1997年には再度訪れてしまったのです。この時は世界一周の道中だったため、旅にも完全に慣れていて、さほど苦労することもありませんでした。しかし、この旅行記を見てもわかるとおり、旅も結構だれ気味です。バングラッシー(大麻入りのヨーグルト)にはまったりして、かなり自堕落な旅になっているのがわかります。

 そんなこんなで、今回のインドは実に3度目8年ぶりです。私の知っているインドがどう変わっているのか見るのが楽しみです。それにしても、最初の訪問であれほど嫌になったインドに3回も行くのはどういうことなんでしょうね。

 ところで、今回の旅にあたってよく聞かれるのですが、今回の目的、意図はどのようなものなのかと。今になって考えてみるとよくわからないのが事実です。当初は「チベット」に行くことを第一に考えていたのですが、最近の反日運動に加えて、そもそもチベット自治圏は金がかかるらしいので、今回は見合わせたのです。だとすると、アフリカとか中南米とか行ってないところに行ってもよかったのですが、なぜだかインドが離れず、結局、当初のチベット行きの目的も果たせるということで、インドのチベット圏であるラダック地方を中心に周ることになったのです。

 じゃあ、ラダックに行って何をするのですか。う~ん、わからなくなります。とりあえず、行くだけです。もちろん、お寺めぐりや瞑想などもすると思いますが、それとて3週間もしているわけにはいきません。南の方に行くか、ネパールに行くかすると思いますが、とにかく、デリーからラダックに行く以外に今のところ予定がないのが事実です。

 それにしても、ここ最近の動きを振り返ってみると実に不思議なものです。いつの間にかインドビザを取り、インド行きのチケットを買い、そして前日をむかえているのです。先ほど親とも話していたのですが、なんの障害もなく、自然の流れでインド行きをむかえているのは、どうも自分以外の何者かがそのように手配しているような気にさえなってきます。あたかもインド行きが最初からプログラミングされているかのような。。。インドで誰かが私を待っているような。。。

 今回の旅程は5月11日から5月31日までの「21日間」です。不思議な数です。出発を11日にしたのは、GWの遊びや退職後の手続きなどの段取りの問題で、帰国を31日にしたのは5月いっぱいと最初から決めていたからです。そもそも、私が利用するエアインディアは水曜日と土曜日しか飛んでないので、自然と日程も限定されてしまうのです。

 言うまでもなく「21日」という日数には仏教的に尊い意味があります。お釈迦様が菩提樹の下で瞑想して、「仏陀(悟った人)」になるまでの日数が21日間であることをはじめとして、さまざまな場面で「21」という数字に出会います。私が2月に滝行に入ったのも21日間です。そもそも21とは「宇宙の数字」という考え方もあるようです。

 私は最初から「21日間」を狙っていたわけではなく、スケジュールの都合で数えてみたらぴったり21日だったということです。しかし、偶然のようで、何か必然的な意味があるのでしょうね。その意味は今の時点ではわかりません。まさしく21日後にわかることでしょう。帰国後にわかることでしょう。

 今回の旅は多くの人から注目されている気がします。事実、このブログには最近は、少なくても200人、多くて400人以上が訪れています。つまり少なくとも200人以上の人が私という一個人のインド行きを知っていることになります。我ながらすごいことだと感じています。

 明日の今頃はインドです。デリーの空港を降りたとたん、目つきのギラギラしたインド人がわんさと寄ってきてタクシーやらリクシャーやらに乗せようとします。そして料金交渉をします。一番安い奴のリクシャーに乗っていると、途中で料金を吊り上げようとします。「ノー」と言いますが、途中で降ろされることはありません。目的地に着くと、決まって最初の料金以上を請求します。相手にせずお釣りの出ないようにルピーを手渡します。そしてちょっと歩いて安宿にチェックインです。シングルで120ルピー(300円程度)です。荷物を置いて簡単に水シャワーを浴び、ミネラルウォーターとクッキーを買ってから歯を磨きます。そしてシミだらけのベッドの上に寝袋を広げ思いっきり手足を伸ばして眠りに入ります。そして旅が始まります。

 いよいよ明日。これから21日間はインドが日常で日本が非日常になります。しかし、私は日本に帰るためにインドに行ってきます。そして、インドでも常に日本のことを考えます。今は便利な時代です。インドにいながらでもインターネットなどで日本と瞬時につながることが出来ます。そのことで旅の醍醐味が半減されたり、面白みが薄れたりということを私は感じません(前は感じていましたが)。それが時代なのですから。なので私はインターネットカフェをちょくちょく利用します。そしてできればこのブログの更新と、メールの送受信を行います。そこで、私のインドでのメールアドレスをお知らせしておきます。応援のメールなんかがあれば嬉しいな、、、とか言ったりして。ぼよ~ん。

india_ishida@hotmail.co.jp

ついに明日、インド行きです。ランキングへのご協力お願いします。
by katamich | 2005-05-10 21:52 | ■インド
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