過去に使命を聞く 2008.9.30

 昨日の晩、福岡に着いたのが23時半。疲れていたので、風呂にも入らず着替えてそのまま寝てしまいました。そして起きたのが6時過ぎ。今日はいろいろすることもあるので、営業もお休み。もうちょっと寝ていました。外は雨が降っていたので、8時にツレを駅まで送って、それから活動開始です。昨日の打ち合わせでもらってきた宿題などに取り掛かります。

 宿題その壱はプロフィールを完成させること。どんな本でもそうですが、タイトルで気になって手に取ると、次に見るのは著者のプロフィール。どんな人か気になりますものね。そして何か共感すべきものがあれば、そこでレジに持っていく確率も高まります。そんなわけでプロフィールは重要。しかしプロフィールは字数、スペースも限られています。つまり伝えられる量や内容が限られているということ。そこに何を盛り込むか。文章を一万字書くのは難しくないですが、400字で最高の文章を書くのはめちゃくちゃ難しいです。スピーチでも同じですよね。一時間しゃべれって言われたら、今すぐにでもできますが、5分しゃべれって言われると、逆に準備が必要になります。

 そんなわけでプロフィール一つにしても、とても考えちゃうわけです。ですので今日は私自身の中学時代にさかのぼって、時系列的に棚卸をしてみました。結構、変な人生を歩んでいたことがわかります。いい面を見ればやりたい放題なんですが、悪い面を見れば失敗ばかりの人生ですね。それでもまあ、自分らしい人生だと言えます。過去の失敗はこれからの成功の糧。いろんな意味でオイシイのです。

 ところで自分の過去を振り返ってみて気づいたことがあります。近頃、私は人生のミッションみたいなことをいつも考えています。人にはその人特有の役割や使命があるのではないか、と。それはもしかしたら前世からの関連があったりすることも考えられますが、そうなると結局わかんなくなります。だからと言って、「わかる」と言われる他人に聞くのも変な話です。いつまでたってもその「正しさ」を確認することはできませんから。

 ではどうすればその「使命」がわかるのか。その一つの糸口が「過去」に聞く方法だと思っています。それは覚えている限りの幼き日から、だいたい20歳まで。私の場合、例えばこんなことがありました。私の中学時代と言えば、実は「クラスで一番存在感のない人間」と言われたことがあります。その時の担任だか教科担当だか忘れましたが、このクラスで一番存在感ない奴誰や?みたいな話になったのです。その時なぜか私は「やばい」と思ったのですが、案の定、「石田や!」みたいな展開になりました。中学2年生の時だったと思います。ただ、今思うと、私よりも存在感のない人は他にもいたように思います。確かに当時の私は大人しかったかもしれません。それでも「誰や?」と問われて名指しされるということは、存在を認められていることになります。本当はその時に思われもしない人。それこそがリアルな存在感なしなんですが。

 それはともかく、そう言われるのは、よほど大人しかったのでしょう。気も弱かったし、女の子はもちろんのこと、男にだって自分から話しかけるのは抵抗がありました。確か中学一年の時、もらった年賀状は一枚だけだったと記憶しています。部活(吹奏楽)でも男子は私一人だったし、思えば友達らしい友達もいなかったように思います。それでも2年、3年になるにつれ、ちょっとはマシになったのでしょうが、それでも存在感はないし、人前に出るなんてとんでもなかったです。

 それが高校の時のこと。私は寮生活をしており、高校一年の一学期、集団生活に慣れる目的もあって、一学期の間に全員が一度はみんなの前でスピーチをせねばなりませんでした。当然、私の中では抵抗ありましたが、ついに私の番が来ました。何を話したのか覚えていませんが、なぜだか私の話が受けたのです。とにかくみんなが大爆笑するのです。しかもそれは嘲笑ではなく、純粋に面白くて笑ったんだと肌で感じました。その時、感じたのが、、、快感でした。

 それ以降、一度ならず度々人前で話をする機会を積極的に取るようになったのです。もちろん受けます。そして今度は寮だけでなく、学校の教室でも前に出るようになります。ここでも受けます。女子の前でも。そうこうしているうちに、私の中では人前で話をすることが平気だし、むしろ得意とさえ思うようになってきたのです。当然、性格だって明るくなります。そして人前だけでなく、車座になってみんなと話をするのも好きになってきました。夜中も寮係の見回りが終わってから、起きてよく語っていました。その中の一人に、近頃、CMやドラマによく出てくる中村靖日がいたりもします。

 その頃から私の人格ができてきたように思うのですが、大学に入ってからもそういうことがありました。浪人時代に通っていたある予備校で、ちょっとしたサークル(韓国関係)の報告会をした時のこと。私は10分だけ話をしました。するとそこでも受けます。そればかりでなく、報告会終了後、浪人生や高校生が私の前に列を作ったのです。たった10分の話。それでも私と話をしてみたいという純粋な人たちだったので。偉そうなことを言ってたかもしれません。もう、ここまで来ると、私自身は人前で話をすることが「得意」としか言えなくなり、私のセルフイメージもそうなってきたのです。

 そして今、セミナーや講演会をする側として、たびたび人前で話をしていますし、それが仕事にもなっています。不思議な話です。中学の時は「クラスで一番存在感のない奴」で、人前に出ることなどもっての他だったのに。何か努力をした?決してそんなことはありません。高校一年の一学期に突然しゃべって、それが快感になっただけです。その延長に今があるかもしれません。だからこそ、今の私があるのでしょう。そして人前で話をすること、それが私の人生のミッションなのかもしれません。

 よく「人には無限の可能性がある」と言いますが、これははっきり言ってウソです。何度も言うように、私は野球選手になれません。どんなに努力してもです。ジャニーズのタレントにもなれません。これもまたどんなに努力しても。トレンドドラマの主役もどんなに努力してもなれません。正直言ってその可能性はゼロに等しいです。私は音楽が好きです。しかしミュージシャンにはなれません。これは音楽好きの私だからこそ実感していることです。私の高校の2つ下に土井徳浩という男がいましたが、彼は今やファーストコールのかかるジャズミュージシャンです。私が高2で彼が中3の時、彼はもともとトランペットを吹いていたのですが、あまりの下手さにクラリネットに転向しました。そこで転向した途端、メキメキと上達してきたのです。もしもあと一年、私の卒業が遅れていたら、と言うか彼が一年早くクラリネットを手にしていたら、私などは余裕で抜かされていたでしょう。いや、すでに抜かされていたと思います。同じ時間、同じ努力をしているのに、どうしてこんなに差が出るのか。才能の違いとしか言いようがありません。

 やっぱり人は「無限の可能性」などないのです。しかし、人にはその人特有の「使命」はあると思っています。それが何かはすぐにはわかりません。しかし本当のところ、それはすでに幼少期にわかっていることかもしれないのです。私の場合はもしかしたら人前で話をすることが「使命(ミッション)」に近いかもしれません。なぜなら高校時代に何の努力もしてないのに、人前で面白い話ができることを知ったからです。もっとさかのぼれば、私は小学生の頃は口が達者でした。3兄弟の中で一番しゃべっていたと思います。ですので、もしも自分の「使命」が知りたければ、幼少期から20歳くらいまでの「得意」や「好き」を探してみれば、案外と早く見つかるかもしれません。それが「過去に聞く」と言う意味なのです。

 あるところに一人のお医者さんがいたとします。息子が生まれました。その息子にはどうしても医者を継いでほしいと思います。そして英才教育を施し、お金を使い、何としてでも医者にしようと頑張ります。しかしその息子の「使命」は医者じゃないかもしれません。血を見るのが嫌で、お菓子を作ることが大好きだとします。ひょっとしたらその息子はお菓子作りが「使命」であり、ストレートに育てば世界的なパティシエになっていたかもしれません。しかし、親のエゴで医者にさせられる。何とかわいそうなことか、と思います。世の中でもっともかわいそうな人。しかし、もはや医者の道を捨ててパティシエになることを「潜在意識」が許さなくなります。それにより、その人は天命を全うすることができないのです。ですがもしもその「潜在意識」の抵抗に負けず、40でも50でも医者の道を捨てて、料理の専門学校に入り直す決意ができたとすれば、その人は死ぬ間際に最高のパティシエになって大往生するかもしれません。いや、きっとすることでしょう。

 自分の「使命」は何か。何をすることが「使命」及び「ミッション」に近いことなのか。もしもその答えが知りたければ、どこかで一度、過去に聞いてみるのもいいかもしれません。今日、プロフィール作成のために自分の歴史の棚卸をして、改めてそんなことを考えてしまいました。

 話は変わりますが、実は私はメルマガをやっています。「週刊!!『宇宙となかよし』」というメルマガですが、発刊は2005年の10月。しかし「週刊」と言いながらも、完全に滞っていました。ですが今日思いました。このメルマガを復活させようと。どう復活させるのか。それもまさしく「ブログの棚卸」です。この4年間、毎日、ブログを書き続け、「宇宙となかよし」は完全に私の生き証人となっています。当然、この4年間で私も変化してきました。しかし、それでも変わらない「何か」はあります。もしかしたらその変わらない「何か」も私の「使命」の発掘になるかもしれない、と言うことで、メルマガの復活のテーマは「宇宙となかよし」の読み直しとなります。詳しくはメルマガまで。今度はきちんとリズムよく「週刊」を順守して配信していこうと思います。こちらについても、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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Commented by メチャ☆ at 2008-10-01 19:20 x
私も20代からずっと自分に与えられてる使命とは・・と暗中模索状態でした。最近、見えてきた感がある中、、芸能人が江原さんに使命を教えられてるのを見て『言ってもらえるなんてズルィ~私も聞きたい』と思いながら。さて本題の質問です。加賀田さんのセールス六法を書店やサイトで25件近く探したのですが、ありません。もう絶版入手不可なのですか??
Commented by katamich at 2008-10-02 00:45
■メチャ☆さん!
芸能人の場合はその時点で「使命」を生きているので簡単だと思います。
加賀田式セールス六法は非売品です。
Commented by らおぽん at 2008-10-02 23:59 x
先日の話の内容ですね。文章にするとじっくり読めるのでまた違った感じがして理解が進みます。使命は自分で判っているはずなのに、何が邪魔するのでしょうか。常識、教育、思い込み、モノサシ、煩悩などですかね。
一度じっくりと棚卸をしてみます。
それととても大人しかったというのが信じられません(笑
Commented by 『応援力』取次学 at 2008-10-04 04:15 x
短いスピーチの方が準備が必要なんて、不思議ですね(^^
Commented by katamich at 2008-10-11 07:29
■らおぽんさん!
使命、ミッション、、、私の今の一番の関心事です。
誰もが自分の使命に目覚めると、いい世の中になるのにな~と思っています。
やっぱり自分らしくが大切ですね。
Commented by katamich at 2008-10-11 07:30
■取次さん!
ある程度、場数を踏むと、もっとよくばりになってきて、
短いスピーチでどれだけ人を感動させるか、、に目が向くようになります。
どうせなら5分でいいスピーチができればと思います。
by katamich | 2008-09-30 23:46 | ■人生哲学 | Comments(6)